岸田 翔太郎(きしだ しょうたろう、1991年〈平成3年〉1… 岸田 翔太郎(きしだ しょうたろう、1991年〈平成3年〉1月14日 - )は、日本の議員秘書。慶應義塾大学法学部卒業。広島県広島市出身。第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄・岸田裕子夫妻の長男で、弟が2人いる。 広島県広島市生まれ。2014年(平成26年)、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学を卒業後は三井物産に入社。2020年(令和2年)3月に三井物産を退職し父である衆議院議員の岸田文雄の事務所に入って公設秘書となる。 2022年(令和4年)10月4日、政務担当の内閣総理大臣秘書官に就任。総理大臣の子供が内閣総理大臣秘書官に任命されるのは福田達夫以来である。 2023年(令和5年)6月1日、内閣総理大臣公邸で親族と忘年会を開き、赤じゅうたんの敷かれた階段にて組閣写真に似た記念撮影(いわゆる「組閣ごっこ」)をするなどの行動の責任をとり、内閣総理大臣秘書官を辞職。
松下 英樹(まつした ひでき、1990年〈平成2年〉9月6日… 松下 英樹(まつした ひでき、1990年〈平成2年〉9月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 1990年、広島市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。卒業後は三菱UFJ銀行、三菱UFJモルガン・スタンレー証券に勤務。その後、独立し、コンサルティング会社株式会社ユニークテーブルを創業、代表取締役となる。また、登別市に観光企画会社アドベンチャートラベル・ジャパン株式会社を設立し、代表取締役となる。 2024年10月、自由民主党北海道第九選挙区支部長に就任。直後の衆議院議員総選挙に北海道9区から立候補し、6万2328票を獲得するも立憲民主党の山岡達丸に敗れ、比例復活もならなかった。
山本 深(やまもと しん、1985年〈昭和60年〉5月16日… 山本 深(やまもと しん、1985年〈昭和60年〉5月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 広島市出身。1998年広島市立幟町小学校卒業。2001年広島学院中学校卒業。2004年広島学院高等学校卒業。2009年慶應義塾大学経済学部卒業、三菱商事入社。食品流通第一ユニットに配属。2012年在英国食品製造販売会社(Princes Limited)に出向。 その後祖父が創業した大進本店(商社)の業績がコロナ禍で悪化したたため、2020年8月に同社の執行役員経営企画部長に就任。2022年に財務省に入省し、国際局総務課課長補佐に就任。同年国際局開発機関課課長補佐。2023年大臣官房総合政策課課長補佐。
福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 … 福田 玄(ふくだ げん、1981年〈昭和56年〉12月6日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岡山県浅口市議会議員(1期)を歴任した。 岡山県浅口郡鴨方町深田(現・浅口市)生まれ。広島市出身の父を持つ被爆三世にあたる。岡山県立倉敷商業高等学校入学後、父の仕事の都合で神奈川県小田原市に転居し、2000年に横浜市立横浜商業高等学校卒業。拓殖大学北海道短期大学から編入して、拓殖大学政経学部を卒業。 国際連合広報センターインターン、江田五月参議院議員国会事務所インターンを経て、株式会社トランスコスモス(IT関連企業)に入社。その後柚木道義衆議院議員公設第一秘書を務める。 2014年、浅口市議会議員選挙に初当選する。
森本 真治(もりもと しんじ、1973年(昭和48年)5月2… 森本 真治(もりもと しんじ、1973年(昭和48年)5月2日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。立憲民主党選挙対策委員長(第5代)兼組織委員長。政治団体「結集ひろしま」幹事長。 参議院経済産業委員長、広島市議会議員(3期)を歴任。 広島県広島市安佐北区可部町生まれ。3人兄弟の次男である。広島市立落合小学校、広島学院中学校・高等学校を経て、1997年同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒業。 大学卒業後、松下政経塾に入塾(第18期生)。その後、福祉や地域活性化をテーマにイギリス、デンマーク等で研修を行う。 1999年4月、広島市議会議員選挙に出馬し、3,972票を獲得するも119票差で惜敗した。
三上 絵里(みかみ えり、本名:川堀 絵里〈かわほり えり〉… 三上 絵里(みかみ えり、本名:川堀 絵里〈かわほり えり〉、1970年6月11日 - )は、日本の政治家、アナウンサー、テレビディレクター。立憲民主党所属の参議院議員(1期)、政治団体「結集ひろしま」副代表。三上えりの表記も使用する。 テレビ新広島のアナウンサー、ディレクターを務め、報道部、総務部を経て、2022年3月31日に退社。 広島県広島市中区出身。広島市立鈴が峰小学校、広島市立井口中学校、広島県立広島井口高等学校、アメリカバージニア州サザンセミナリーカレッジ卒業。 大学を卒業後、1991年からNHK広島放送局の地域情報番組でアシスタントを務めた[何の?]。また、1994年からテレビ新広島の朝の生活情報番組『どっこい!神田の日めくりテレビ』のアシスタントを務めた(入社後も継続)。
松浦 大悟(まつうら だいご、1969年10月3日 - )は… 松浦 大悟(まつうら だいご、1969年10月3日 - )は、日本の政治家、元秋田放送アナウンサー。参議院議員(1期)、民主党・民進党秋田県連代表を務めた。 広島県広島市出身。広島市立基町高等学校、神戸学院大学法学部卒業。大学卒業後の1992年秋田放送にアナウンサーとして入社。2006年12月、同社退社。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に無所属(民主・社民推薦)で秋田県選挙区から出馬し、初当選。選挙前は当選後の国会における所属について、民主党・社民党・連合・鈴木陽悦参議院議員の意向を聞いた上で所属政党・会派を決定する考えを表明していたが、当選後の8月4日には一転、将来的な民主党入党を見据えた民主党・新緑風会への入会を希望。
菅川 洋(すげかわ ひろし、1968年10月19日 - )は… 菅川 洋(すげかわ ひろし、1968年10月19日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 現在は生活の党と山本太郎となかまたち広島県第1区総支部長を務める。父は元参議院議員の菅川健二。
畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月… 畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月30日 - )は、日本の診療放射線技師、実業家、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党政務調査会環境部会長代理。 厚生労働大臣政務官、党副幹事長、環境委員会理事などを歴任。 広島市出身。安田学園安田小学校、あきる野市立秋多中学校、山陽学園山陽高等学校を経て1980年3月、国際医学総合技術学院(現:岐阜医療科学大学) 診療放射線技師科を卒業。 同年、社会保険広島市民病院 (現:広島市民病院)放射線科。1985年、横河メディカルシステム株式会社(現:GEヘルスケア・ジャパン株式会社)入社。1999年、有限会社オフィス・アゼモト設立 (後の株式会社AZE)代表取締役社長 就任。
寺田 稔(てらだ みのる、1958年〈昭和33年〉1月24日… 寺田 稔(てらだ みのる、1958年〈昭和33年〉1月24日 - )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 総務大臣(第27代)、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)、自民党国防部会長、自民党国会対策副委員長、自民党副幹事長、内閣府副大臣兼復興副大臣(第2次安倍内閣)、衆議院安全保障委員長、総務副大臣兼内閣府副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、自由民主党広島県連会長を歴任した。 広島県広島市生まれ。広島大学附属中学校・高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース。雄川一郎ゼミ、加藤一郎ゼミ)卒業。1980年、大蔵省へ入省。主計局総務課に配属される。
松井 一實(まつい かずみ、1953年〈昭和28年〉1月8日… 松井 一實(まつい かずみ、1953年〈昭和28年〉1月8日 - )は、日本の政治家、厚生労働官僚。広島県広島市長(4期)、全国市長会会長(第31代)。 広島県広島市東区牛田出身。広島市立牛田小学校、広島市立牛田中学校、広島市立基町高等学校、京都大学法学部卒業。1976年、労働省入省。同期に金子順一元厚生労働事務次官、井原勝介元岩国市長など。本省勤務の他、在英国日本国大使館で一等書記官を務めた。同期の金子官房長の部下として官房総括審議官を務めたのち、2008年、中央労働委員会事務局長を最後に退官した。 広島市議会には元々自由民主党系会派が複数(「自由民主党・保守クラブ」「市政改革・地域デザイン・無党派クラブ」「爽志会」)存在し、広島市長選挙への対応をめぐっては各会派の対応が分かれ、保守票が分裂した結果、革新系の秋葉忠利市長に三連敗していた。
蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1… 蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1日 - )は、日本の政治家。広島県東広島市長(3期)、広島県議会議員(2期)、東広島市議会議員(1期)等を務めた。 広島県東広島市八本松町生まれ。広島県立広島商業高等学校卒業。 1995年、東広島市議会議員選挙に出馬し、初当選。 1998年、東広島市議を任期途中で辞職。1999年、広島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2003年の県議選は自民党公認で立候補し再選。 2006年1月、広島県議会議員を2期目の任期途中で辞職。同年4月23日に行われた東広島市長選挙に立候補し、当時自由民主党政務調査会長であった中川秀直の二男の中川俊直との一騎打ちを制し、初当選した。
藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月1… 藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉12月18日)は、日本の政治家。参議院議員、広島県知事(第59、60、61、62代)。 1989年、参院選に自民党から立候補し当選。任期途中の1993年に広島県知事選に44歳で初当選、当時全国最年少の知事に就任。4期16年務めた。参議院議長を務めた藤田正明の長男。 1949年4月19日生まれ。広島県広島市翠町(現:南区翠)出身。藤田正明の長男。父親の藤田正明は藤田組(現:フジタ)に勤務(後に同社副社長)。弟が2人、妹が1人いる。 修道高等学校から成蹊高等学校に転入。1972年3月、慶應義塾大学商学部卒業。
福本 潤一(ふくもと じゅんいち、1949年3月23日 - … 福本 潤一(ふくもと じゅんいち、1949年3月23日 - )は、日本の政治家。広島県広島市出身。東京大学大学院修了。元参議院議員(2期)。
増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は… 増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は、日本の元政治家。自由民主党所属の元衆議院議員。広島県広島市出身。現在、広島経済大学経済学部教授。座右の銘は「人間至る所に青山あり」。
檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月… 檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月7日 - )は、日本の実業家、政治家。平和広告代表取締役。広島県議会議員(自由民主党所属)。第58、59、60代広島県議会議長。 広島県広島市出身。慶應義塾大学法学部卒業。南カリフォルニア大学を経て1970年に日本教育テレビ(通称NETテレビ。現:テレビ朝日)に入社。翌年に広島ホームテレビに入社。1973年に平和広告を設立し代表取締役社長、鴻治組監査役を兼任する。 1979年4月、広島県議会議員に初当選。1984年6月から1986年6月まで新空港建設特別委員会副委員長。1986年6月から1987年4月まで行財政改革特別委員会委員長。1987年7月から1988年7月まで交通対策特別委員会委員長。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算7期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。 広島県広島市生まれ。1945年8月6日、広島市への原爆投下により被爆を経験する。修道中学校、1962年洛星高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。1975年、田中石油株式会社代表取締役に就任。1982年、亀岡青年会議所理事長に就任した。1983年、谷口義久亀岡市長の下で亀岡市助役に起用される。 1991年、京都府議会の保守系会派である新政会の公認を受けて京都府議会議員選挙に亀岡市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、再選。
溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和1… 溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和17年〉9月13日 - 2023年〈令和5年〉4月14日)は、日本の実業家、政治家。従三位。 幸陽船渠代表取締役社長、国家公安委員会委員長(第74代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院議員会長(第28代)、自由民主党参議院幹事長、参議院議員(5期)、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・懲罰委員長・政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党広島県支部連合会会長を歴任した。 広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や父方の郷里の賀茂郡原村(現東広島市八本松町原)を経て、日本通運に勤めていた父親の転勤に伴い三原市に転居した。
木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 … 木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、広島市出身の政治家。広島市議会議長などを務めた。
粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月2… 粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月25日 - 2016年〈平成28年〉9月4日)は、日本の政治家、建設官僚。衆議院議員 (5期)。位階は従三位。 広島県広島市出身。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校、東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。 退官後の1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で立候補したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。 第40回衆議院議員総選挙は新生党、第41回衆議院議員総選挙は新進党、その後、太陽党、民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙は無所属の会から立候補し当選(広島2区)。
増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月1… 増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月18日 - 1996年〈平成8年〉12月2日)は、日本の内務及び建設官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 広島県広島市出身。旧制広島一中、旧制広島高校を経て1946年東京帝国大学工学部土木工学科卒。同年内務省に入る。1948年、建設省発足に伴い同省に移る。1972年北陸地方建設局長、1974年河川局長に就任する。1976年に退官。翌年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選した。1981年鈴木善幸改造内閣で大蔵政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1991年に首都圏建設資源高度センター社長に就任した。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12… 友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12日 - 1999年(平成11年)11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 小学校教諭の友納友次郎の四男として生まれる。 府立六中・府立高等学校 (旧制)を卒業。 東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1937年4月に内務省に入省。 埼玉県総務部で勤務の後、兵役で大日本帝国陸軍習志野騎兵第15連隊に見習士官として入営し、ノモンハン事件にも参加している。 陸軍中尉で軍役解除後、滋賀県学務課長、岐阜県庶務課長を経て厚生省保険局健康保険課勤務となり、1947年2月に同課課長。
浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月2… 浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月28日 - 1968年(昭和43年)2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年、1959年 - 1967年。渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。 広島平和記念都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。
岩沢 忠恭(岩澤 忠恭、いわさわ ただやす、1891年6月7… 岩沢 忠恭(岩澤 忠恭、いわさわ ただやす、1891年6月7日 - 1965年12月8日)は、日本の内務及び建設官僚、教育者、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。建設事務次官(初代)、参議院議員(3期)、日本大学教授。 1891年(明治24年)広島県広島市仁保(現在の南区)で仁保島村村長・岩沢熊助の長男に生まれ。県立広島中学(現広島県立国泰寺高校)を経て第三高等学校卒業。 1920年、日本大学教授(道路工学)として日本大学高等工学校(現在の日本大学理工学部・大学院理工学研究科)設立に参画。同大学で長らく教鞭を執った。また内務省土木局に属し、多くの道路整備、河川の改修・維持事業に携わる。1936年着工した新京浜国道の工事事務所長としてその建設に尽力。
賀屋 興宣(かや おきのり、1889年〈明治22年〉1月30… 賀屋 興宣(かや おきのり、1889年〈明治22年〉1月30日 - 1977年〈昭和52年〉4月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。主計局長、大蔵次官を経て、第一次近衛内閣大蔵大臣、貴族院勅選議員。東條内閣でも大蔵大臣として戦時財政における中心的な役割を担った(賀屋財政)。戦後、衆議院議員、池田内閣法務大臣、日本遺族会会長などを歴任した。 位階は正三位、勲等は勲一等(後者は1946年返上)。広島県広島市出身。旧姓は藤井。 父は国学者の藤井稜威(いつ)、母は愛国婦人会幹事を務めた漢学者の賀屋鎌子。4歳の時、母方の伯父の家を継いで賀屋姓を名乗った。父方の祖父は山口県熊毛郡上関町長島の白井田八幡宮司・藤井厚鞆、父方の叔父に靖国神社第3代宮司・賀茂百樹がいる。
渡辺 銕蔵(わたなべ てつぞう、明治18年(1885年)10… 渡辺 銕蔵(わたなべ てつぞう、明治18年(1885年)10月14日 - 昭和55年(1980年)4月5日)は、大正・昭和期の経済学者、教育者、政治家、実業家。東宝争議時の東宝社長。 大阪市生まれ。9歳から広島県広島市本通電停前の書店・積善館店主の子として育つ。 広島済美小学校(広島偕行社付属済美学校)~広島一中~第一高等学校を経て明治43年(1910年)、東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。同年から文部省特派海外留学生として英国・ドイツ・ベルギーに留学。 大正2年(1913年)帰国し東京帝国大学法科大学助教授となる。同年北里柴三郎の長女と結婚。大正5年(1916年)教授、大正6年(1917年)法学博士。
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年〈明治10年〉10… 小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年〈明治10年〉10月1日 - 1962年〈昭和37年〉7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。 広島県広島市出身。福山誠之館中学、修道学校(現:修道中学校・高等学校)、旧制私立海軍予備校を経て海軍兵学校第26期入校。入校時成績順位62名中第4位、卒業時成績順位59名中第3位。海軍次官、連合艦隊司令長官、台湾総督、翼賛政治会総裁、小磯内閣の国務大臣などを歴任した。 一部の書籍で同郷の加藤友三郎元帥・内閣総理大臣の甥と記載されているが、加藤の兄弟姉妹に小林の縁故者はおらず、加藤との姻戚関係はないことが強く推定される。弟は早川幹夫中将、義弟(妹の夫)は新見政一中将。
早速 整爾(はやみ せいじ、1868年11月15日〈明治元年… 早速 整爾(はやみ せいじ、1868年11月15日〈明治元年10月2日〉- 1926年〈大正15年〉9月13日)は、明治・大正期の日本の実業家、政治家。初代大蔵政務次官、農林大臣及び大蔵大臣。 安芸国沼田郡新庄村(現:広島市西区新庄町)出身。出生名は中山米吉。 中山源蔵の二男として生まれ苦学して、旧制広島中学を経て1887年(明治20年)に東京専門学校政治経済英学科(現:早稲田大学)を卒業。前年、秀才で通りながら遊び過ぎて卒業試験に失敗した事から「爾(なんじ)を整(ととの)へよ」と自省し整爾と改名し、中山整爾となった。卒業前に埼玉英和学校校長代理兼教頭を務めた。 1889年(明治22年)、芸備日日新聞社主の早速勝三の養子となり、早速整爾に名を改め、同年、社長兼主筆として新聞を経営、優秀な頭脳と速筆で活躍。
中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、な… 中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、なかむら これきみ、1867年12月20日〈慶応3年11月25日〉- 1927年〈昭和2年〉3月1日)は、日本の官僚・実業家・政治家である。南満洲鉄道株式会社(満鉄)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した。 作家・夏目漱石の親友としても知られ、官僚出身らしからぬ豪放磊落な性格で、「べらんめい総裁」「フロックコートを着た猪」「独眼龍」などの異名をとった。 安芸国佐伯郡五日市村(五日市町を経て現:広島県広島市佐伯区)に酒造業・柴野宗八の五男として生まれる。柴野家の墓は現在でも広島市佐伯区五日市の光禅寺にある。兄は大審院検事・鈴木宗言。
松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月… 松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。法学博士。族籍は東京士族。 1866年11月(慶応2年9月)、広島県広島市猿楽町(のち広島市中区大手町)生まれ。有隣の長男。広島尋常中学(広島国泰寺高等学校の前身)で、柴野登一(中村是公)、玉井喜作らと同級。1880年父親の転勤で丸亀に移り、翌1881年上京。獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)、東京大学予備門(第一高等学校)を経て1893年東京帝国大学法科大学独法科卒業、引き続き法科大学研究科で警察法を研究。 日清戦争直前の1893年内務省入省。警視庁四谷警察署長を振り出しに香川県警察部長、警保局警務課長、警視庁第二部長兼任内務書記官、兼任消防署長(のちの消防総監)などを経て1905年、警視庁第一部長となり日比谷焼打事件の鎮圧指揮にあたった。
尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元… 尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元年3月7日) - 没年不明)は、日本の政治家(広島市会議員)、商人(醤油商)、醤油醸造家、実業家。第六十六銀行、尾道貯蓄銀行各取締役。(旧)広島銀行、中国紡績各監査役。広島桟橋監査役、同取締役。族籍は広島県平民。 広島県平民・尼子英次郎の長男。家は代々醤油醸造を業とし、「茶屋」と称する。漢学を学び、後に普通教育を受けた。商業に従事した。1881年、家督を相続した。銀行、会社の重役であった。第六十六銀行取締役兼広島支店長を務めた。 広島市胡町・恵美須神社の境内は、もと32坪2合9勺だったが、1909年6月、忠蔵が付近の地積42坪6合2勺を寄付したので74坪9合1勺となった。
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久… 加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。
山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(1期)。中道改革連合代表代行。日本福祉大学客員教授。大阪府堺市堺区在住。