菖蒲 敦司(しょうぶ あつし、2001年12月16日 - )… 菖蒲 敦司(しょうぶ あつし、2001年12月16日 - )は、山口県光市出身の陸上競技選手。 専門は長距離種目。光市立浅江中学校、山口県立西京高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。 地域のスポ少で野球を始めた傍ら、山口県ジュニアアスリートアカデミーの第3期生として身体能力開発プログラムに参加。中学3年時には、20mシャトルラン走で174回を記録した。これは現在でもなお、アカデミー生の歴代最高記録として残っている。 YAMAGUCHIジュニアアスリートアカデミー - インスタグラム 光市立浅江中学校では野球部に所属し、持ち前の俊足と守備力を買われ1年秋より外野手として試合に出始める。野球部が主活動ではあったが、長距離走でも実力があったため、駅伝大会が行われる冬季のみ駅伝部と兼部という2年間を過ごした。
田中 志歩(たなか しほ、1998年6月29日 - )は、日… 田中 志歩(たなか しほ、1998年6月29日 - )は、日本の女子柔道及びレスリング選手である。山口県光市出身。階級は70kg級。身長171cm。血液型はO型。段位は弐段。組み手は左組み。得意技は大内刈。兄は100kg超級で活躍している田中源大。 国体の相撲競技で入賞したことがあり、柔道経験もある父及び兄の影響を受けて、柔道は5歳の時に田布施スポーツ少年団で始めた。その後に2歳年下の妹も始めた。なお、母親はバレーボールの実業団で活躍していた。小学校5年の時に山口県から世界に羽ばたく人材を育成するために設立された「YAMAGUCHI ジュニアアスリートアカデミー」のセレクションにおいて、レスリングとセーリング部門で合格した。
田中 源大(たなか げんた、1997年2月8日 - )は、山… 田中 源大(たなか げんた、1997年2月8日 - )は、山口県光市出身の、日本の柔道家である。階級は100kg超級。身長180cm。体重125kg。血液型はO型。段位は参段。組み手は左組み。得意技は足技。現在は明治大学に在学。2歳年下である妹の田中志歩は、2016年のインターハイ70kg級で優勝した。また、柔道以外にレスリングにも取り組むと、2015年の世界カデット選手権65kg級で3位になった。 柔道は7歳の時に始めた。高川学園中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg超級で5位となった。高川学園高校に進むと、2年の時にはインターハイ100kg超級で3位となった。 2014年3月には全日本選手権の中国予選に出場すると、崇徳高校2年の香川大吾に敗れたものの2位となって、前年の静岡学園高校の佐藤和哉に続いて、高校生での全日本選手権出場を優勝した香川とともに果たすことになった。
カイリ・セイン(Kairi Sane、1988年9月23日 … カイリ・セイン(Kairi Sane、1988年9月23日 - )は、日本の女性プロレスラー、パーソナルトレーナー、経営者、女優、タレント、 元ヨット選手。山口県光市出身。WWE所属。血液型O型。 旧リングネームに宝城カイリ(ほうじょう かいり)、KAIRIがある。 高校時代にヨットを始め、法政大学在学中にはヨット選手として活躍。2011年に女子プロレス団体スターダムの練習生となり、翌2012年にデビュー。宝城カイリのリングネームでワールド・オブ・スターダム王座などを戴冠した後、2017年に米国のプロレス団体WWEと契約。リングネームをカイリ・セインに変更した。第1回メイ・ヤング・クラシックで優勝し、2018年にはNXT女子王座を獲得している。
吉開 菜央(よしがい なお、1987年 - )は、日本の映像… 吉開 菜央(よしがい なお、1987年 - )は、日本の映像作家、振付師、ダンサー。山口県光市出身。山口県立光高等学校を経て、日本女子体育大学舞踊学専攻でダンスを学んだのち、東京藝術大学大学院映像研究科に進学。生き物ならではの身体的な感覚・現象を素材に、「見て、聴く」ことに集中する時間を映像として編集している。東京造形大学非常勤講師。名古屋芸術大学 芸術学部 芸術学科 美術領域 現代アートコース 特別客員教授。 映像作品「みづくろい」を監督、山口情報芸術センター(YCAM)が開催した「FILM by MUSIC 架空の映画音楽の為の映像コンペティション」で優秀賞を受賞。短編映画「自転車乗りの少女」を監督、第8回那須国際短編映画祭にて、じゃらん賞を受賞。
松陰寺 太勇(しょういんじ たいゆう、1983年11月9日 … 松陰寺 太勇(しょういんじ たいゆう、1983年11月9日 - )は、日本のお笑い芸人、シンガーソングライター(50PA)で、お笑いコンビ・ぺこぱのツッコミ(ノリツッコまない漫才)、ネタ作成担当である。本名は松井 勇太(まつい ゆうた)。相方はシュウペイ。サンミュージックプロダクション所属。 山口県光市生まれ。姉と妹2人という4人兄弟の中、穏やかな環境で育つ。 山口県立光丘高等学校を経てキャットミュージックカレッジ専門学校(サウンドエンジニア専攻)卒業。元々はバンドマンで、高校時代はGLAY、LUNA SEA、X JAPAN、WANDSのコピーバンドをしていた。専門学校時代は裏方である音響エンジニアだったが、卒業後はプロミュージシャンを目指して上京。
くまがい 杏子(くまがい きょうこ、1983年2月14日 -… くまがい 杏子(くまがい きょうこ、1983年2月14日 - )は、日本の漫画家。女性。山口県光市出身。福岡コミュニケーションアート専門学校卒。血液型はO型。2006年から小学館の『Sho-Comi』にて執筆中。 1983年2月14日、山口県光市に生まれる。人を笑わせるのが好きで、幼いころから芸能人をキャラクターにしたギャグ漫画を描いていた。小さいころから篠原千絵の作品を読み、『少女コミック』(小学館)の中で一番好きな作家は篠原である。『少女コミック』で「思い出に残っている作品」として、篠原の『闇のパープル・アイ』を挙げている。小学生の時に母親と訪ねた書店で「面白そう」だと考え手に取った篠原の『陵子の心霊事件簿』のノベライズを読み、それが初めて購入した篠原作品となる。
末岡 龍二(すえおか りゅうじ、1979年5月22日 - )… 末岡 龍二(すえおか りゅうじ、1979年5月22日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはMF、FW。 山口県光市出身。兄の影響でサッカーを始める。 進学した光高校にはサッカー部が存在せず、同好会で活動(卒業後には部に昇格)。 卒業後は中京大学サッカー部所属。2000年には全日本大学サッカー選手権優勝を経験した。在学中にアルビレックス新潟(当時J2)のトライアルの誘いを受け、2002年に入団した。 2004年にアルビレックス新潟シンガポールにレンタル移籍しリーグ戦12ゴールをあげSリーグ年間MVP候補に選出され、2005年にはアルビレックス新潟に復帰。しかし2005年度限りで退団、その後はシンガポールやタイのクラブでプレーした。
あさみ ちゆき(1978年1月11日 - )は、日本の女性歌… あさみ ちゆき(1978年1月11日 - )は、日本の女性歌手。結婚前の本名は山本 陽子(やまもと ようこ)。 山口県光市出身。血液型はA型。芸名は山口県の朝の海の景色から「あさみ」、早逝した兄の名前「智幸」から「ちゆき」、それぞれを採った。 井の頭公園で歌謡曲・フォークソング・演歌・J-POPなどを歌うストリートライブを続け「井の頭公園の歌姫」と称される。 2015年1月11日に一般男性との入籍と懐妊をブログで公表し、7月6日に第1子の男児を出産した。
市川 良子(いちかわ よしこ、1976年4月18日 - )は… 市川 良子(いちかわ よしこ、1976年4月18日 - )は、山口県光市出身の元陸上競技中距離走・長距離走・マラソンランナーであり、現在は指導者として活動中である。
国近 友昭(くにちか ともあき、1973年4月22日 - )… 国近 友昭(くにちか ともあき、1973年4月22日 - )は、陸上競技長距離走・マラソン元選手、現指導者(NTT西日本陸上競技部監督)。山口県光市出身。主な実績に2004年アテネオリンピック男子マラソン日本代表、2003年福岡国際マラソン優勝など。 光市立浅江中学校から陸上を始め、当時の陸上部顧問であった山村進(現・聖光高等学校陸上部監督)の指導を受けて実力をつけ、山口県立光高等学校時代には田村好明教諭の指導を受けインターハイに出場した。卒業後の1992年、NTT中国に入社。1996年、広島市で開催された第1回全国都道府県対抗男子駅伝で優勝した広島県チームのアンカーを務める。長身でかつ俳優の古尾谷雅人似の爽やかイケメンで、現役時代女性から高い人気を得ていた[独自研究?]。
高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )… 高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年の時に野球を始める。下松工業高に進み、3年の夏は3回戦で敗退。卒業後に新日本製鐵光に入社。都市対抗野球には補強選手も含めて出場した。チームが休部したため、1994年に読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し、同年ドラフト5位で入団した。50メートル走を5秒6で走る俊足が持ち味であった。 1年目の1995年に一軍に昇格し、8月には2番セカンドでのスタメン出場が多くなり注目を集め、それまで下位に沈んでいたチーム浮上に貢献した。徹底して叩きつける打撃が持ち味で、この年19安打を放ったがうち12本が内野安打だった。
高村 正大(こうむら まさひろ、1970年(昭和45年)11… 高村 正大(こうむら まさひろ、1970年(昭和45年)11月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。自由民主党遊説局長、同副幹事長。 法務副大臣(第2次石破内閣)、外務大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣・第1次石破内閣)、財務大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)などを歴任した。 山口県光市出身(現住所は周南市三番町)。慶應義塾高等学校卒業。1994年3月、慶應義塾大学商学部卒業。同年4月、慶應義塾大学法学部政治学科に学士入学。並行して同年6月、父の高村正彦経済企画庁長官秘書官。1996年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年4月、電通入社。 2008年5月、高村正彦外務大臣秘書官。
芳岡 統(よしおか おさむ、1968年(昭和43年)12月7… 芳岡 統(よしおか おさむ、1968年(昭和43年)12月7日 - )は日本の政治家。光市長(1期)。 山口県光市出身。光市立島田小学校、山口大学教育学部附属光中学校、山口県立光高等学校、大分大学工学部を卒業し、同大学院工学研究科を修了。新日鐵化学に勤務した後、光市役所に入る。市役所内では秘書係長、商工観光課長や議会事務局次長、教育、経済部長を務めた。 2024年4月に芳岡は10月の市長選挙に立候補することを表明、光市長市川熙の後継者に指名された。10月の市長選挙では芳岡は自民、公明、連合山口の推薦を受け、JR光駅のバリアフリー化の早期実現や、学校給食の無料化などを訴え、元市議会議長、元市議会副議長の新人2人を破り、初当選を果たした。
村﨑 五郎(むらさき ごろう、1966年 - 2025年10… 村﨑 五郎(むらさき ごろう、1966年 - 2025年10月30日)は猿まわし師。本名は村﨑 義則。周防猿まわしの会所属。 山口県光市出身。父は猿まわしを復興した村﨑義正、兄も猿まわし師の村﨑太郎。 高校の体育教師となり、野球部を甲子園に出場させることを夢みて、日本体育大学に進学。しかし、1985年、大学1年の時に「周防猿まわしの会」の先輩調教師が退会したため、急遽、初代チョロ松とコンビを結成。大学の卒業論文も「猿まわし」をテーマにした。 初代チョロ松は後に、ソニー「ウォークマン」のテレビCMでも有名となった。 1990年に初代チョロ松引退後、二代目チョロ松とコンビを組む。1991年には「猿まわし5人衆」に出演し、文化庁芸術祭賞を受賞する。
村﨑 太郎(むらさき たろう、1961年〈昭和36年〉3月1… 村﨑 太郎(むらさき たろう、1961年〈昭和36年〉3月10日 - )は猿まわし師。株式会社「太郎倶楽部」代表取締役。「日光さる軍団」主宰。 山口県光市出身。実父である村﨑義正が1977年(昭和52年)「周防猿まわしの会」を結成したのを期に、高校2年の正月に「絶えていた猿まわし芸の後継者」に指名され、ニホンザル「次郎」と共に日本の伝統的な猿まわし芸を発展させ、漫才やコントなど演芸の要素を取り入れた。 名前は「太郎」であるが村﨑義正の四男である。長男の村﨑與一、次男の村﨑梅二郎、五男の村﨑五郎は、父が興した「周防猿まわしの会」を継承している。 1980年に上京、翌1981年に大道芸の猿まわしが貴重な民俗芸能として国立劇場に出演。
いなせ家 半七(いなせや はんしち、1959年3月13日 -… いなせ家 半七(いなせや はんしち、1959年3月13日 - 2023年5月11日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身の落語家。落語協会所属。本名:国本 貴久。出囃子は『昼飯』。 山口県熊毛郡大和町(現在山口県光市岩田)で育ち、山口県立徳山高等学校卒、成蹊大学法学部政治学科中退後の1980年5月、五代目春風亭柳朝に入門。翌年11月に前座になる。高座名は朝吉。 1985年3月、二ツ目に昇進、茶々丸に改める。1991年2月、師匠柳朝が亡くなり、兄弟子春風亭勢朝と共に兄弟子春風亭小朝門下に移籍する。 1996年3月に春風亭勢朝、三遊亭窓里、林家とんでん平、柳家さん福、橘家蔵之助、柳家福治、三遊亭らん丈、橘家仲蔵と共に真打昇進し、合わせていなせ家半七に改めた。
三砂 ちづる(みさご ちづる、1958年9月6日 - )は、… 三砂 ちづる(みさご ちづる、1958年9月6日 - )は、日本の疫学者。津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授。山口県光市生まれ、兵庫県西宮市育ち。 山口県光市生まれ、兵庫県西宮市育ち。1981年京都薬科大学薬学部卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)卒業、琉球大学大学院保健学研究科修士課程修了。1999年ロンドン大学Ph.D.(疫学)。ロンドン大学衛生熱帯医学院研究員、JICA疫学専門家として活動。2001年国立公衆衛生院(国立保健医療科学院)疫学部勤務を経て、2004年津田塾大学教授。
室積 光(むろづみ ひかる、1955年4月11日 - )は、… 室積 光(むろづみ ひかる、1955年4月11日 - )は、山口県光市出身の作家。ペンネームは出身地である「光市室積」から由来。 本名の『福田 勝洋』(ふくだ かつひろ)名義で俳優としても活動している。俳優としては F ACTOR(現・ラッシュアップ)に所属していた。 八幡製鐵(現・日本製鉄)光製鐵所に勤務していた父の二男として生まれる。幼少時から読書好きで、父の書棚にあった北杜夫、三島由紀夫らの本を読みあさった。山口大学教育学部附属光小学校6年の頃、太平洋戦争末期に結成された演劇慰問部隊が極限状態の戦地で兵士を楽しませた実話を元にした俳優・加東大介の従軍手記『南の島に雪が降る』を読み、役者という仕事に特別な思いを抱くきっかけとなる。
末延 吉正(すえのぶ よしまさ、1954年〈昭和29年〉11… 末延 吉正(すえのぶ よしまさ、1954年〈昭和29年〉11月9日 - )は、日本のジャーナリスト、元東海大学教授、元テレビ朝日政治記者。姪はバイオリニストの末延麻裕子。 山口県光市出身。実家は末延建設株式会社と言う建設業 を営み、近所に岸信介宅があり、青少年時代から安倍晋三と面識があった。 1979年3月、早稲田大学社会科学部卒業後、同年4月、テレビ朝日に入社。社会部、政治部、ニューヨーク特派員、バンコク支局長などを歴任し、湾岸戦争で米軍を従軍取材する。帰国後に『ニュースステーション』のディレクターを経て、1997年に『スーパーJチャンネル』初代プロデューサーとして番組の立ち上げに携わった。2002年報道局解説委員室にへ異動し、『やじうまプラス』などの番組コメンテーターを務める。
片山 正則(かたやま まさのり、1954年5月16日 - )… 片山 正則(かたやま まさのり、1954年5月16日 - )は、日本の経営者。いすゞ自動車会長CEOを務めている。山口県出身。 山口県光市生まれ。山口大学教育学部附属光小学校、山口大学教育学部附属光中学校、山口県立光高等学校を経て、1978年に東京大学工学部を卒業し、同年にいすゞ自動車に入社。2007年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2014年4月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格。 2020年9月から日本自動車工業会(自工会)副会長に就任。 2023年4月から会長CEO。 2024年1月から自工会会長。トヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業(ホンダ)以外、並びに商用車メーカー出身の人物では初めて自工会会長に就任した。
西渕 光昭(にしぶち みつあき、1954年2月22日 - 2… 西渕 光昭(にしぶち みつあき、1954年2月22日 - 2019年6月24日)は、日本の細菌学者。京都大学名誉教授。 山口県光市生まれ。北九州市八幡区を経て、小学校6年から大阪市阿倍野区に住み、大阪府立生野高等学校を経て、1976年広島大学水畜産学部水産学科卒業。1979年広島大学大学院農学研究科修了、農学修士、オレゴン州立大学微生物学科研究補助員 。1983年オレゴン州立大学大学院微生物学科修了、Ph.D.。 1983年メリーランド大学ワクチン開発センター研究員。1986年大阪大学微生物病研究所助手。1988年京都大学医学部助教授。1993年大阪大学蛋白質研究所助教授併任。1996年京都大学東南アジア研究センター教授。
山本 和男(やまもと かずお、1954年2月15日 - )は… 山本 和男(やまもと かずお、1954年2月15日 - )は、山口県熊毛郡大和町(現:光市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 柳井学園高から、社会人野球の新日鉄光に入団。大町定夫、児玉克雅ら先発陣を救援投手として支える。1978年にはチーム創部17年目の都市対抗初出場を果たす。1回戦で大町をリリーフして登板するが日本通運に惜敗。1980年の都市対抗でも、2回戦で大昭和製紙を相手に好投するが敗退。 同年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。背番号は江夏豊から26を受け継いだ。スリークォーターから、MAXは138㌔程、スライダー、シュート、カーブ、シンカーなどを武器とした。左の中継ぎとして活躍し1984年には46試合に登板、5勝をあげる。
大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は… 大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。1983年の登録名は大町 定生(読みは同じ)。 現在[いつ?]は、阪神タイガースの球団職員。 柳井商高では1年次の1969年に秋季中国大会で準々決勝に進むが、米子東高に敗退。その後は県予選で敗れて甲子園には出場できず、卒業後の1972年に新日本製鐵光へ入社。 1973年からは偏光グラスをかけ出してプロでもトレードマークになる。1973年のドラフトで太平洋クラブライオンズに6位で、1975年のドラフトではロッテオリオンズに2位で指名されたが、どちらも拒否して新日本製鐵光でのプレーを続けた。 1978年には創部17年目で都市対抗野球初出場を果たし、1回戦で先発するが日本通運に惜敗。
末岡 泰義(すえおか やすよし、1948年(昭和23年)5月… 末岡 泰義(すえおか やすよし、1948年(昭和23年)5月16日 - )は、日本の政治家。前・山口県光市長で、山口県市長会会長、日本の森・滝・渚全国協議会会長、全国自治体病院開設者協議会副会長などを歴任した。
藤本 和宏(ふじもと かずひろ、1947年11月28日 -)… 藤本 和宏(ふじもと かずひろ、1947年11月28日 -)は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。 聖光高から、社会人野球の八幡製鐵光を経て、1966年にドラフト外で西鉄ライオンズへ入団。 一軍での登板試合は少なく、勝ち星は挙げられないまま1969年オフに西鉄を自由契約となり、翌1970年に広島東洋カープに拾われる。 広島での1年目も成績は西鉄時代と変わらなかったが、1971年は、6月18日に大洋ホエールズから完投で初勝利を挙げると、29日には中日ドラゴンズの渋谷幸春との投手戦を制し1-0で初完封を達成。8月19日の中日戦(広島市民球場)でも渋谷と投げ合い、2四球を与えたのみで安打は許さず勝利、外木場義郎に続いて広島2人目のノーヒットノーラン達成者となる。
市川 熙(いちかわ ひろし、1947年〈昭和22年〉9月2日… 市川 熙(いちかわ ひろし、1947年〈昭和22年〉9月2日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元山口県光市長(4期)。元光市議会議員(4期)。 山口県光市生まれ。山口県立光高等学校、早稲田大学法学部卒業。 1994年5月、光市議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。2004年、光市の合併に伴い一旦市議を失職するが、市議選で4選を果たし、同年12月には光市議会議長に就任した。議長在任中、山口県市議会議長会会長を務める。2008年9月、光市議を辞職。光市長選挙に出馬し、山口県第1区選出の高村正彦衆議院議員の元秘書で前光市議会議員の河村龍男(民主党推薦)ら2人の対立候補を破り、初当選。
村﨑 修二(むらさき しゅうじ、1947年 - )は猿まわし… 村﨑 修二(むらさき しゅうじ、1947年 - )は猿まわし師(自称、猿曳き芸人)。山口県光市出身。「猿舞座」座長。 兄は猿まわしを復興させた村﨑義正。猿まわし師の村﨑太郎、村﨑五郎は甥。 息子の村﨑耕平は、元俳優・脚本家で、2005年から「猿舞座」に参加し、ともに活動している。 高校卒業後、東京の舞台芸術学院で演劇を学ぶ。卒業後は実家にかえり、詩人の丸岡忠雄に師事して、部落解放運動に携わる。県連青年部長として、演劇・音楽などの文化活動を盛んに行った。 1970年、俳優の小沢昭一がレコード『日本の放浪芸』シリーズの「猿まわし」調査のために光市を訪れた際に、兄・義正とともに小沢に面会する。当時は途絶えていた、自分たちの祖先が行っていた芸能である「猿まわし」をみつめ直すことを考え、身近にいた猿まわし巡業の経験者に、聞き取り調査を始める。
岡田 裕(おかだ ゆう、1946年〈昭和21年)3月 - 〉… 岡田 裕(おかだ ゆう、1946年〈昭和21年)3月 - 〉は、山口県光市出身の陶芸家。江戸時代に築かれ、200年以上受け継がれてきた由緒ある窯元である萩焼岡田窯八代目(山口県指定無形文化財萩焼保持者)。 1946年3月岡田窯七代岡田仙舟の長男として、父の赴任地山口県光市で生まれる。1964年神奈川県立厚木高等学校、1968年慶応義塾大学法学部をそれぞれ卒業。いったんは水産会社である株式会社極洋に入社したが、萩焼の魅力に引き込まれ、1972年退社して父仙舟に師事し作陶に入る。2004年仙舟死去の後、岡田窯八代に就任。1977年日本工芸会山口支部研究会員、1978年萩女子短期大学非常勤講師に就任(1999年まで)。
原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4… 原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4月5日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 神奈川県横浜市生まれ、山口県育ち。明治大学法学部卒業。文学座出身。プロデューサープレイヤー、舞プロモーションを経て、個人事務所ロビンフッド・アーチスツを設立。俳優・歌手の高橋元太郎の所属事務所アネモイエンタテインメントに所属(メンバー)している。 2001年から2010年までは明治大学特別招聘()教授として朗読を指導していた。妻は英文学者で第5代東洋学園大学元学長の原田規梭子。女優で元AKB48の岩田華怜は大姪(姉の孫)。 横浜で生まれ。2歳のとき、山口県に住む伯父の養子となる。上関町八島、田布施町城南(現在・宿井)、平生町佐賀、光市脇田(現在・光井4丁目)などに居住した。
田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本… 田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。同朋大学大学院人間福祉研究科客員教授。名古屋大学名誉教授。教育学博士(京都大学・1971年)。元名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長。専門は、心理臨床学・発達援助臨床学。山口県光市生まれ。
松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭… 松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭和9年〉10月4日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。 旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた。山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年(昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。
村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 19… 村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 1990年2月23日)は、日本の猿まわし師、政治家。 山口県光市出身。「周防猿まわしの会」初代会長。元山口県光市議会議員(3期)。 地区で一番富裕な家に生まれる。家長である祖父・村﨑梅二郎は、土建業・猿回しの親方などを営んでおり、義正は梅次郎の一人息子・勝正の次男であったが、小学校入学時に兄とともに祖父にひきとられ、厳格に育てられる。毎日仕事を課され遊ぶ暇もない毎日であったが、その中で創意工夫をこらして遊ぶ時間を生み出すなど試練を跳ね返すバイタリティと才覚を身につけていく。だが、1948年に祖父が死去し、村﨑家は没落。兄は家出し、17歳の義正は妹一人と弟五人をかかえて、さまざまな非合法行為まで行い一家を支える。
藤田 富雄(ふじた とみお、1923年11月10日 - 20… 藤田 富雄(ふじた とみお、1923年11月10日 - 2010年2月2日)は、日本の宗教学者、宗教哲学者。立教大学名誉教授。 1923年、山口県光市生まれ。1949年に東京大学文学部宗教学科を卒業し、1954年に東京大学大学院を修了した。立教高校で教諭を務め、1957年に『現代の意識 ヘーゲルを超えるもの』を村山書店から出版した。翌1958年、この作品によって日本宗教学会の姉崎記念賞を受賞した。 1959年から立教大学講師、1961年から助教授、1968年から教授を務めた。1976年から1986年まで立教大学ラテン・アメリカ研究所長を務めた。その後、神奈川大学教授を務めた。日本宗教学会、日本ラテンアメリカ学会、比較思想学会に所属した。
手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1… 手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1981年12月1日)は、日本の文学研究者、作家である。 山口県熊毛郡周防村(現光市小周防)に代々続く医師の長男として生まれる。維新の英蘭学者手塚律蔵は曾祖父の弟にあたる。 旧制徳山中学から慶應義塾大学に進学する。徳山中学在学中に19世紀ロシア文学を愛読、特にトルストイの影響を受ける。慶應在学中に社会運動に参加するようになり、その後当時非合法だった日本共産党に入党し、文化団体の活動をする。日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の新人作家であったこの時期の作品に1932年に発表した「虱」がある。 1933年に検挙され、出獄した後は同じ中学の一年後輩だった宮本顕治の救援活動をおこない、宮本百合子と協力して獄中でのたたかいを支えた。
久芳 庄二郎(くば しょうじろう、1892年(明治25年)9… 久芳 庄二郎(くば しょうじろう、1892年(明治25年)9月20日 - 1965年(昭和40年)7月31日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・山本。 山口県熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)で山本家に生まれ、久芳安之進の養子となる。1912年(明治45年)山口県師範学校を卒業した。 その後、山口県視学、公立国民学校訓導、同校長、萩市青年団長、萩市女子青年団長、山口県青年学校教育会理事長、日本体育会山口県支部評議員、日本教育会山口県支部国民学校教育部会長、光市島田農業協同組合長などを務めた。山口市内の小学校で教員として勤務していた大正時代後期には、山口県阿武郡を拠点とする教育実践グループ「更新会」に所属し、機関紙「更新」においてエッセイを寄稿するなど活動に参画していた。
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月… 松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。 南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。 1880年(明治13年)3月4日廻船問屋の四男として、山口県熊毛郡室積村(現:光市室積)で生まれた。 洋右が11歳の時に父親が事業に失敗し破産したことや、親戚が渡米し成功していたことから、1893年(明治26年)に留学のため13才で渡米する。
矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日… 矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日 - 1955年〈昭和30年〉6月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・小倉。 山口県熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)出身。小倉甚吉の三男として生まれ、矢島作郎の養子となる。1898年(明治31年)陸軍士官学校(10期)卒。陸軍歩兵大尉となり、日露戦争に参加する。その後、長周銀行頭取、下松銀行、北満州金鉱(株)各取締役となる。 1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙において山口7区から無所属で立候補して当選する。のち、庚申倶楽部に入り、衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
杉山 直矢(すぎやま なおや、嘉永3年3月14日(1850年… 杉山 直矢(すぎやま なおや、嘉永3年3月14日(1850年4月25日) - 明治29年(1896年)5月16日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。支那(清国)情勢研究の第一人者として知られ、参謀本部における対外情報研究の草分け的存在とされた。 杉山直矢は、嘉永3年(1850年)3月14日(15日とも)、周防国熊毛郡室積村東之庄(現・山口県光市)に、士族林家の次男として生まれ、幼名を文蔵といった。父は一膺、母は光子。少年期に藩儒・東宗一に師事し、特に陽明学に深く通じたとされる。豪胆で不敵な性格で知られ、慶応年間には干城隊に加わって第二次長州征伐に参加し上阪、活躍が認められて山縣有朋の知遇を受けた。
小倉 甚吉(おぐら じんきち、1846年(弘化3年5月) -… 小倉 甚吉(おぐら じんきち、1846年(弘化3年5月) - 1911年(明治44年)3月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 周防国熊毛郡島田村(のち山口県熊毛郡島田村、周南町、光町を経て現・光市)生まれ。萩明倫館で学ぶ。熊毛郡御用掛、島田村会議員、同副議長、山口県会議員、所得税調査委員、徴兵参事員となる。 1893年9月、曽禰荒助の辞職による山口4区の補欠選挙に立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1911年に死去した。
西岡 竜一朗 は、日本の男性実業家、元俳優。山口県光市出身。… 西岡 竜一朗 は、日本の男性実業家、元俳優。山口県光市出身。既婚で1児の父。