栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9… 栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9日 - )は、高知県安芸市出身(「相撲レファレンス」において須崎市出身とされているのは明徳義塾高校の所在地と混同されたため)で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名は影山雄一郎(かげやま ゆういちろう)、愛称はカゲ。身長188cm、体重157kg、血液型はA型。得意手は右四つ・寄り・もろ差し・押し。最高位は東関脇(2010年11月場所、2015年7月場所)。好物はとんかつ。趣味は読書、寝ること。
土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 -… 土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 敏生(やまもと としお)。現在は年寄・立川。得意手は突き・押し・右四つ・上手投げで、最高位は東関脇(1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高校、同志社大学商学部卒業。趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ、星座はみずがめ座、血液型はB型、干支は子年。 漁師の長男に生まれる。小学校の低学年の時は野球少年だったが高学年より相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだったが、相撲部のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。
名木 利幸(なぎ としゆき、1971年11月29日 - )は… 名木 利幸(なぎ としゆき、1971年11月29日 - )は、高知県安芸市出身の元サッカー審判員、高知県サッカー協会理事。 2017年までFIFA(国際サッカー連盟)国際副審を務めた。 高知工業高等専門学校卒業。1996年12月に1級審判員資格を取得。以後、主にJ1で副審を務め、2007年10月6日に行われたJ1第28節・アルビレックス新潟対大宮アルディージャ戦(新潟スタジアム)で史上19人目となるJ1副審担当120試合を達成した。 また、2003年からは国際副審となり、AFCチャンピオンズリーグやAFCカップ、東アジアサッカー選手権2008などの国際大会で審判員を務めた。 2009年2月に日本サッカー協会とプロ契約を結び、相樂亨とともに、副審としては初のプロフェッショナルレフェリーとなった。
西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )… 西内 直彦(にしうち なおひこ、1971年8月14日 - )は、日本の実業家、政治家。高知県安芸市長(1期)。 安芸市出身。上智大学法学部国際関係法学科卒業。1997年4月、株式会社富士通金融システムズ入社、2002年12月、日本アイ・ビー・エム株式会社入社、2006年1月、安芸市において新規就農、2017年8月、はぐみ農園社長。 2022年に安芸市議会議員に当選。1期務めた後、2025年8月の安芸市長選挙で無投票で初当選した。 2025年9月、安芸市長就任。
小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は… 小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳。1994年アジア競技大会銀メダリスト、2002年アジア競技大会銅メダリスト。高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校、日本大学卒業。 安芸高校3年の国民体育大会で三段跳に出場し、15メートル81の日本高校新記録をマークして優勝。1994年、日本選手権で初優勝。広島アジア大会では16m88をマークして銀メダルを獲得した。1996年、アトランタオリンピックへの出場が有力視されていたが、コンディショニングに失敗し選考会であった日本選手権で3位に終わり、オリンピック出場を逸した。2000年のシドニーオリンピックも落選した。
門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6… 門田 隆将(かどた りゅうしょう、1958年〈昭和33年〉6月16日 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。YouTuber。本名は門脇 護(かどわき まもる)。 高知県安芸市出身。土佐中学校・高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。 1983年4月、新潮社入社。『週刊新潮』に配属される。神戸連続児童殺傷事件では被害者遺族の手記を発掘するなどした。2002年10月から『週刊新潮』に「裁判官がおかしい!」を連載、後にそれを大幅に加筆して『裁判官が日本を滅ぼす』を新潮社から刊行している。同書では、小野悦男が1996年に殺人容疑で逮捕されて有罪が確定した足立区首なし殺人事件について、以前に逮捕されていた松戸OL殺人事件を逆転無罪とした東京高裁の裁判官を「無罪病」と論評している。
須藤 靖 (すとう やすし、1958年 - )は、日本の物理… 須藤 靖 (すとう やすし、1958年 - )は、日本の物理学者。専門は理論宇宙物理学。高知工科大学総合研究所特任教授。理学博士。 高知県安芸市出身。清水ヶ丘中学校、土佐高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。1986年に東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。東大では佐藤勝彦に師事した。その後、カリフォルニア大学バークレー校、ミラー基礎科学研究所、茨城大学理学部、広島大学理論物理学研究所、京都大学基礎物理学研究所、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻助教授を経て、2006年より 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。そして定年により東京大学を退職した後、2024年より高知工科大学総合研究所特任教授として現任。
樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023… 樋口 恵子(ひぐち けいこ、1951年2月6日 - 2023年9月15日)は日本の政治家、元町田市議会議員(1期)。障害者運動の社会活動家、著作家である。 1951年、高知県安芸市生まれ。1歳半で脊椎カリエスを罹患し、中学時代は寝たきり状態の中で施設での生活を体験する。安芸高校の商業科を卒業。このころ、後のパートナーである近藤秀夫に出会う。 1972年、近藤と結婚した。埼玉県へ移り、近藤と生活しつつ高千穂商科大学で会計学を専攻する。卒業後は東京都町田市で障害者の訪問介護事業に携わる。 1984年、ダスキンの「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の研修生としてアメリカにわたる。カリフォルニア州バークレーの自立生活センターで身体障害者や知的障害者の当事者運動を学ぶ。
川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月… 川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。愛称は拓ボン。身長163cm。 大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。"3000回殺された男""不世出の役者バカ"とも評された。 仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。 父・川谷庄平は1915年に17歳で日活京都にカメラ助手として入社、牧野省三作品や尾上松之助の映画を撮り、1927年に日活を退社するまでに、主に築山光吉とコンビで237本の映画を撮影したカメラマンで1975年没。
小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016… 小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016年8月12日)は、日本の劇作家である。 高知県安芸市出身。1959年に高知県立安芸高等学校を卒業し、上京。1968年早稲田大学演劇科卒。以後、劇作ひとすじに、地味で寡作ながらも中味の濃い創作活動を続けている。劇団には所属せず、演出や出演も行っていない。様々な演劇賞の選考委員を務めるほか、学校演劇に使われる脚本なども執筆。演劇雑誌『テアトロ』の編集委員。日本劇作家協会常務理事。 2016年8月12日、胃癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高… 須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高知県安芸郡安芸町出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。現在は野球解説者。
小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、… 小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、高知県安芸市出身の元プロ野球選手。 高知商業高校時代の1954年に春夏連続で甲子園に出場した。 1955年に広島カープへ入団。1957年に退団後は篠崎倉庫でプレーした。その後地元に帰郷して安芸市役所に勤めた。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知… 石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知県安芸市出身の競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの200mバタフライ銀メダリスト。 1935年4月6日、高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校を経て日本大学卒業。 中学校の時に野球をしていたが、水泳部の大会に出場したことがきっかけで水泳を始めた。大学1年の時に100mバタフライで日本記録を出した。 1956年メルボルンオリンピック男子200mバタフライ銀メダリストで、1957年9月7日に神宮プールで、富田一雄、古川勝、石原勝記との400mメドレーリレーの世界記録、9月14日に100mバタフライの世界記録を保持した。 日本選手権水泳競技大会では、100mバタフライで1956年から1958年まで3連覇、200mバタフライでも1955年から1957年まで3連覇した。
小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。… 小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。専門は商法。弁護士。明治大学名誉教授。高知県安芸市出身。 1956年司法試験合格。1957年明治大学法学部卒業。司法修習生。1959年明治大学法学部助手。1962年明治大学法学部専任講師。1965年明治大学法学部助教授。1970年明治大学法学部教授。1974年イギリス・ロンドン大学に留学。1990年明治大学法学部長。1996年明治大学評議員。2000年明治大学法制研究所所長。2003年明治大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録。 この他、明治大学法学部法律学科長(1978年-1979年、1982年-1984年)も務めた。 著書に伊藤進, 木元錦哉と共著『消費者の権利 : 賢い消費者のすすめ(有斐閣選書)』(有斐閣、1976年)がある。
影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1… 影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1964年3月26日)は、日本の電機および鉄道技術者で実業家。高知県出身。近畿日本鉄道(近鉄)元専務取締役である。 高知県安芸郡安芸町(現・安芸市)西浜に生まれる。旧制安芸中学校時代には平均点で95点とも98点ともいわれるほどの優秀な成績を残したという。 旧制松山高校を経て1926年に東京帝国大学工学部を卒業し、鈴木商店(現・味の素)に入社。まもなくイギリスに渡り、ウェスティングハウス(WH)の子会社であるメトロポリタン・ビッカース電機会社に工員(名目上は実習生)として勤務、技術を習得した。 1929年、同郷の先輩で近鉄の前身・参宮急行電鉄(参急)の幹部であった井内彦四郎に招聘され、中途入社として参急に入社する。
手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年〈明治34年〉11月… 手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年〈明治34年〉11月3日 - 1987年〈昭和62年〉3月27日)は、日本の書家、文化功労者。高知県安芸町(現安芸市)出身。本名・南海巍(なみき)。ニックネームは「ライオンの右卿」[要出典]。 妻は仮名書家の手島小華、長弟と次弟は、いずれも書家の高松慕真と南不乗。 1915年(大正4年)、川谷尚亭の門をたたき、師逝去の後は1935年(昭和10年)に上京、比田井天来の門下となる。その後、大日本書道院第1回展では天来の単独審査を手伝うなど、次第に頭角を現し、以後日展の参事や審査員、文部省指導書編集委員などを歴任。 常々、「書は人間の霊知の所産である」として、東洋的な精神性と現代感覚を融合した「象書」を創始。
岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7… 岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7月13日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第50期卒業。最終階級は海軍大佐。 1901年高知県安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)の瓦葺き職人の父岡村熊之助のもとに生まれる。兄に岡村徳長、妹聖子の夫に江草隆繁がいる。1922年6月1日海軍兵学校50期を卒業。第13期飛行学生を戦闘機搭乗員として卒業。1928年鳳翔勤務時、振武盃を下賜される。 飛行学生17期の出身で、三式艦上戦闘機搭乗以来の長いキャリアを持つ戦闘機搭乗員で、特に編隊飛行の名手であり、横須賀航空隊分隊長時代、戦闘機の特殊編隊飛行の公演を行って「岡村サーカス」の名前で知られた。
岡村 徳長(おかむら とくなが、1897年1月10日 - 1… 岡村 徳長(おかむら とくなが、1897年1月10日 - 1972年7月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。戦後は日本共産党員として活動した。弟は名戦闘機搭乗員で鹿屋基地司令・岡村基春大佐(海軍兵学校50期)。末妹の清子は艦爆の神様江草隆繁大佐の妻。 1897年(明治30年)に高知県安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)で生まれる。海軍兵学校45期。岡村は天衣無縫の好漢でその奇行で海軍内でも有名だった。航空機開発に情熱を燃やし大西瀧治郎中将に心酔していた。 横須賀航空隊教官時代、計器飛行の実験中に、主翼が海に接触し危うく一命を落としかけた。1928年(昭和3年)2月29日、悪天候の中、搭乗していた一三式艦上攻撃機が佐賀県鹿島付近に墜落・炎上し、岡村は顔に大火傷を負った。
吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 … 吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 - 1958年4月4日)は、高知県出身の日本の漆芸家。 1896年(明治29年)3月20日、高知県安芸町(現安芸市)に生まれる。石井吉次郎(別名、石井士口)に師事し漆芸を学んだ。1919年(大正8年)東京美術学校(現東京芸術大学)漆工科選科修了。 1921年(大正10年)東京の上野で開催された平和博覧会に作品を出品、これが注目を集めた。 以後、1928年(昭和3年)、第9回帝展(現日展)で「麦の棚」が初入選、1930年(昭和5年)第11回展「泉の衝立」および1933年(昭和8年)第14回展「トマトの図棚」が特選受賞、1937年(昭和12年)第1回文展(現日展)および1942年(昭和17年)第5回、1943年(昭和18年)第6回で文展審査員を務め、昭和17年度第6回文展出品作品である「梅蒔絵飾棚」は第2回帝国芸術院賞(現日本芸術院賞)を受賞している。
弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)… 弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)6月30日 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、日本の作曲家。 1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。 父の転任に従って3歳の時高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、三重県立第一中学校(現:三重県立津高等学校)を経て、1910年(明治43年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学する。東京音楽学校では本居長世に師事。在学中に歌曲『昼』を発表した。文部省唱歌の『鯉のぼり』は作者不詳とされてきたが、弘田龍太郎が在学中に作曲したものと言われている。
五藤 齊三(ごとう せいぞう、1891年1月31日 - 19… 五藤 齊三(ごとう せいぞう、1891年1月31日 - 1982年7月11日)は、日本の技術者・実業家で、天体望遠鏡やプラネタリウムなどの専門メーカー、五藤光学研究所の創業者。高知県生まれ。 父が司法官であったため、幼少時は宇和島市、高松市、大阪市と転居を繰り返した。 戦前の日本光学工業(現在のニコン)では、すでに小型の天体望遠鏡を製造しており、中学校や高等学校むけに販売していた。五藤はこれらの営業を担っていたが、その価格は、一般の学校で簡単に導入できるようなものではなく、販売は伸び悩んでいた。 また、当時(第一次世界大戦後)、ドイツから日本光学工業へ招聘されていた光学技術者から、「優れた光学機器を作れば必ず儲かる」とも聞かされた。
加勝山 鹿治(かしょうざん しかじ、1889年(明治22年)… 加勝山 鹿治(かしょうざん しかじ、1889年(明治22年)10月9日 - 1914年(大正3年)9月20日)は、高知県安芸市出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は寺尾 鹿治(てらお しかじ)。最高位は東前頭14枚目。 1889年10月9日に高知県安芸市で生まれる。旧制安芸中学2年生のとき、相撲が強かったことで高知市の商家に引き取られて相撲に専念し、ここで腕を上げて1907年5月場所で初土俵を踏み、1912年1月場所で新十両昇進、1913年5月場所では十両優勝を果たした。小柄な力士の多かった当時としても体格は恵まれていなかったが、相撲巧者で、いつも前髪がすり切れているほどの稽古熱心が実って1914年1月場所で新入幕を果たしたが、幕内では在位2場所で各場所1勝ずつしか挙げられず、巡業中だった同年9月20日に、新潟県南蒲原郡三条町(現:三条市)にて心臓脚気により死去、24歳没。
胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)… 胎中 楠右衛門(たいなか くすえもん、1876年(明治9年)9月20日 - 1947年(昭和22年)3月22日)は、日本の大正・昭和期の政治家、実業家、自由民権運動家。農林審議会議員、米穀統制調査会委員、大日本国粋会幹事長、藤原製材会社社長。 明治9年(1876年)9月20日、旅館業を営む胎中弥平の次男として、高知県安芸郡安芸町(現安芸市)に生れる。母は芳子。 この明治9年(1876年)9月は、折しも明治天皇が国憲草案起創の詔勅を元老院へ御下賜された時にあたり、楠右衛門はことあるごとにそれを深く認識するようになり、晩年「憲政碑」の建立へもその思いがつながっている。 明治23年(1890年)、上京し、神奈川県愛甲郡厚木町(現・厚木市)に居を定めた。
富田 幸次郎(とみた こうじろう、1872年11月1日〈明治… 富田 幸次郎(とみた こうじろう、1872年11月1日〈明治5年10月1日〉- 1938年〈昭和13年〉3月23日)は日本の新聞人、政治家、第32代衆議院議長、双川と号した。 1872年(明治5年)、高知県安芸郡川北村(現:安芸市)に生まれた。川北小学校を出て芸陽学舎卒業。安芸地方の教員になる。 1887年(明治20年)代末頃土陽新聞記者になり日露戦争の従軍記者に選ばれたが土陽新聞の内紛(中央派vs郡部派の争い)により退社。 1904年(明治37年)9月同志、岡本方俊、野中楠吉、杉駸三郎、藤戸達吾らと高知新聞を興し、その主筆となった。対向紙土陽新聞と筆を競いつつ次第に声望ほ高めた。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙に故郷の高知県から立候補して初当選。
五藤 正形(ごとう まさかた、1866年9月9日(慶応2年8… 五藤 正形(ごとう まさかた、1866年9月9日(慶応2年8月1日)- 1936年(昭和11年)12月17日)は、明治・大正期の政治家。貴族院多額納税者議員。土陽美術会高知支部長。土佐図書倶楽部(土佐史談会の前身)創設者。板垣伯銅像記念碑建設同志会監事。勲四等・士族。安芸五藤家10代目当主。 慶応2年8月1日(1866年9月9日)、土佐藩家老(5000石)・五藤正身(内蔵助)の長男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。母・利喜子(福留錠之助長女)は正身の側室であったため、正形は高知城下ではなく、父の所領の土居(※土佐藩における幕府へ無届けの城)で育つ。 父の正室・加賀野井多賀子(桐間成卓(主鈴)女)に、子が生まれなかったことから、明治2年(1869年)3月、土佐藩家老(執政)の父の招きにより、生母・利喜子と共に高知城下へ移る。
岩崎 久弥(いわさき ひさや、1865年10月14日〈慶応元… 岩崎 久弥(いわさき ひさや、1865年10月14日〈慶応元年8月25日〉 - 1955年〈昭和30年〉12月2日)は、日本の実業家。三菱財閥3代目総帥。正四位、男爵。 久弥は岩崎弥太郎・喜勢夫妻の長男として土佐国安芸郡井ノ口村(現・高知県安芸市)に生まれた。父・弥太郎は三菱財閥の創設者。明治8年に福澤諭吉の慶應義塾に幼稚舎から入塾。3年後に父が開設した三菱商業学校(明治義塾)に転じ、英語や簿記、法律、経済を学んだ。慶應義塾普通部を卒業後、明治19年に米国留学し、1888年(明治21年)にアメリカのペンシルベニア大学ウォートン・スクールに入学。 1891年(明治24年)に帰国後、副社長として三菱社に入り、1894年(明治27年)、三菱社の合資会社転換と共に、叔父・岩崎弥之助に代わって社長に就任。
中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9… 中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9月20日) - 1944年(昭和19年)1月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家。高知県高岡郡須崎町長、高知市長。高知県会議員。 五藤家の旧臣・中島作次の次男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。1883年(明治16年)高知県師範学校中等科を卒業後、安芸郡大井・井ノ口、土佐郡潮江などの訓導を経て、幡多郡視学。その後、県属となり、1908年(明治41年)香美郡長、1912年(大正元年)吾川郡長、1914年(大正3年)高岡郡長を経て、1917年(大正6年)12月、高知市長に就任。1921年(大正10年)12月まで務める。 満期辞任後は、1922年(大正11年)高知県教育会長を15年務め、さらに同年、高知信用組合を設立し、組合長に就任した。
仙頭 武央(せんとう たけなか/たけてる、1864年4月30… 仙頭 武央(せんとう たけなか/たけてる、1864年4月30日(元治元年3月25日) - 1919年(大正8年)12月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。幼名、外太郎。 1864年(元治元年)、土佐国安芸郡穴内村(現在の高知県安芸市)に生まれた。父、武英は旧藩時代の安芸町寄役。申議学舎で船本楠吉に学び、1883年(明治16年)10月、海軍兵学校(10期)を卒業し海軍少尉補となる。1886年(明治19年)4月、海軍少尉任官。 日清戦争には「千代田」分隊長として出征。1896年(明治29年)7月、「鎮遠」砲術長となり、「平遠」副長を経て、1897年(明治30年)12月、海軍少佐に昇進し「浅間」回航委員に発令されイギリスに出張。
黒岩 涙香(くろいわ るいこう、文久2年9月29日〈1862… 黒岩 涙香(くろいわ るいこう、文久2年9月29日〈1862年11月20日〉- 大正9年〈1920年〉10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。本名は黒岩 周六(くろいわ しゅうろく)。兄は黒岩四方之進。ペンネームの由来は、黒岩が愛読していた『紅涙香』に由来する。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等、歯月生などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。執拗な取材を行うことから「マムシの周六」というあだ名がつけられた。翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報』を創刊した。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。 土佐国安芸郡川北村大字前島(現在の高知県安芸市川北)で土佐藩郷士・黒岩市郎の子として生まれる。
岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、1851年2月8日(嘉永4… 岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、1851年2月8日(嘉永4年1月8日) - 1908年(明治41年)3月25日)は、日本の実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵。三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟にあたる。 岩崎弥次郎・美和夫妻の三男として土佐国安芸郡井ノ口村(現在の高知県安芸市)に生まれた。 1867年(慶応3年)、満16歳のときに土佐藩校の致道館に入学。この時、岩崎家は郷士の地位を失って地下浪人に没落しており、武士の教育を受けられる身分ではなかったが、兄の弥太郎が吉田東洋の知遇を受けて下級役人に出世していたため、入学することができた。 1869年(明治2年)には大阪に出て、重野安繹の私塾成達書院に入門し、この時に英語を学んだ。
岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、旧字体: 岩崎 彌太郞、天… 岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、旧字体: 岩崎 彌太郞、天保5年12月11日〈1835年1月9日〉- 1885年〈明治18年〉2月7日)は、日本の実業家。土佐藩(現在の高知県)出身で、34歳の時、大阪府大阪市西区の土佐稲荷神社付近の堀江の辺りの大地主だった。現在の三菱財閥(現:三菱グループ)の源流企業であるが、明治政府が設立した共同運輸会社と話し合いの上合併し日本郵船が創設された。その年に岩崎彌太郎は50才で病死した。弟である三菱財閥2代目の岩崎弥之助とともに岩崎家の中心的人物であった。 天保5年12月(1835年1月)、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。
樋口 綾子(ひぐち あやこ、本名:宇佐美 綾子、旧姓:樋口、… 樋口 綾子(ひぐち あやこ、本名:宇佐美 綾子、旧姓:樋口、6月11日 - )は、元NHK高知放送局の契約キャスター、元岩手朝日テレビ (IAT) のアナウンサー。 高知県安芸市出身。立命館大学法学部卒業[要出典]。 大学を卒業後、2001年4月にNHK高知放送局の契約キャスターとなる。NHKとの契約の終了後、2004年4月に岩手朝日テレビへ移籍した。岩手朝日テレビを退社後、2008年から再びNHK高知放送局の契約キャスターを務めていた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸… 西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸市生まれ。高知県高知市在住。高知県立安芸高等学校、米国私立エカード大学創作法専修卒業。