木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 20… 木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 2011年3月22日)は、日本のテレビ番組ディレクター、プロデューサー。愛称はエイブンさん。
福岡県 福岡市:601人
木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 20… 木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 2011年3月22日)は、日本のテレビ番組ディレクター、プロデューサー。愛称はエイブンさん。
榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真… 榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市出身。
三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月2… 三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月23日)は、西洋中世哲学研究者。南山大学名誉教授。中世哲学。 福岡市出身。九州大学教育学部卒、同大学院、南山大学助教授、教授、2004年定年退職、名誉教授。
平田 光弘(ひらた みつひろ、1934年12月20日 - )… 平田 光弘(ひらた みつひろ、1934年12月20日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授。中国南開大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、1958年横浜国立大学経済学部卒、1960年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1962年明治学院大学経済学部助手、1963年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。藻利重隆の指導を受けた。 1963年明治学院大学経済学部専任講師、1966年助教授、1972年一橋大学商学部附属産業経営研究施設助教授となり、1977年教授、1985年同施設長、1997年一橋大学イノベーション研究センター教授、1998年定年退官、名誉教授となり、東洋大学経営学部教授。
寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )… 寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。 博多工業から濃人渉が監督を務める日鉄二瀬に進む。1954年から2年連続で都市対抗野球大会に出場。1955年の大会では東洋高圧大牟田に補強され、日立製作所との1回戦で決勝本塁打を放つなど活躍。準々決勝で全鐘紡に敗退するが好打者として注目を集める。この時のチームメートに小淵泰輔がいた。 1956年に南海ホークスに入団。入団に当たっては地元の西鉄ライオンズとの間で激しい争奪戦があり、西鉄が投手の島原幸雄を獲得の見返りに日鉄に譲渡するという噂まで流れたほどであった[要出典]。当時、南海の監督であった鶴岡一人は、守備はよい一方で、「穴が多く、いい投手にかかると打てないという欠点」があり、期待ほどの実績はあげられなかったと評しているものの、南海が400フィート打線と称していた打線の担い手の一人と位置づけられていた。
青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日… 青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日 - )は、日本の政治家。元東京都葛飾区長。旭日小綬章受章。 福岡市出身。1961年(昭和36年)中央大学法学部を卒業し、葛飾区役所に奉職。葛飾区第三出張所長、企画室副主幹、厚生部国民年金課長、教育委員会事務局学務課長、選挙管理委員会事務局長、企画部企画課長、企画部予算課長、企画部主幹、企画部長、総務部長を経て、1991年(平成3年)厚生部長および助役に就任。1993年(平成5年)葛飾区長に当選した。 2014年 春の叙勲で旭日小綬章を受章
吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 201… 吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 2018年4月22日)は、日本の経営者。ティー・エックス・エヌ九州(現在のTVQ九州放送)社長、会長を務めた。 福岡県福岡市生まれ、鹿児島県出水市出身。1957年に横浜国立大学経済学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。日経では日経流通新聞編集長、東京編集局次長、日経マグロウヒル取締役を歴任した。1990年からティー・エックス・エヌ九州常務に就任し、専務を経て、1995年から1999年までに社長を務め、1999年から2001年までに会長を務めた。 2018年4月22日、小腸せん孔のために死去。83歳没。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、… 原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、日本の造園家。特定非営利活動法人日本ガルテン協会会長。社団法人日本経営士会正会員、社団法人日本建築学会正会員。 福岡県福岡市生まれ。 宗左近にフランス文学、松下圭一に政治学を学ぶ。法政大学卒業。 人間行動研究会(HB研)代表として企業で働く人々の心と行動を研究。 25年に亘り丸の内「日本工業倶楽部」において、月例会を主宰、月刊誌「HB研レポート」を発行。 1970~95年、中国各地、東南アジア、中央アジア、アメリカの他、東欧、北欧をはじめヨーロッパなど世界各地を調査研究。とくにシルクロード、中国へは十数回調査敢行。 日本庭園学会正会員。
岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15… 岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 西南学院高校から日鉄二瀬を経て、1952年に西鉄ライオンズへ入団。 しかしプロ初登板の試合で二者連続四球を出して降板。結果的にこれがプロ唯一の登板となった。 1954年に引退。その後はノンプロに参加した後、起業。「岡本食品機器販売」の社長を務めている。
白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - … 白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - 1999年7月5日)は、近世文学研究者、福岡大学名誉教授。
大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2… 大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2003年1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・解説者、野球指導者。 博多工業高から社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、1951年に南海ホークスの2軍的なチームであった社会人野球の南海土建に入団。 1952年に南海ホークスに昇格する。1年目の当初は、ぱっと見で身体が細くて、使い物になるか危ぶまれるような選手であったという。しかし、キャンプで注目を集めると、シーズンでは8勝を挙げる。巨人との日本シリーズでは新人にもかかわらず、第1戦の先発に抜擢される(大神以後、日本シリーズ第1戦に先発登板した新人投手は、楽天の則本昂大が2013年に先発登板するまで61年間にわたって現れなかった。
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )… 大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は、日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 1932年、福岡県福岡市生まれ。父大隅芳雄は鉱山学者で、九州帝国大学に勤めていた。戦時中であった1945年4月、全国から理系科目に秀でた生徒を特別に集めた広島高等師範学校附属中学校特別科学教育学級に進学。しかし戦局悪化にともない疎開中、広島へ原子爆弾が投下されたことにより校舎が壊滅し、福岡県立中学修猷館に転校した。 1951年、新制になった福岡県立修猷館高等学校を卒業。 東京大学に進み、1955年に文学部国史科を卒業した。1964年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - … 山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - 2010年2月15日)は、日本の俳文学者。鶴見大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。幼時から両親の影響で俳句に親しみ、小学校上級から中学にかけて句作に熱中した。やがて句作からは離れたが、早稲田大学文学部国文学科卒、大学院で近世文学を専攻。 成城大学短期大学部助教授、鶴見大学文学部国文科教授を務めた。著書は多く、松尾芭蕉、与謝蕪村など近世俳人についての研究、評論が多い。 2010年2月15日、逝去。77歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は… 水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 20… 岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 2012年1月21日)は、日本の小説家、国文学者。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。 1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。横浜学園高等学校に勤務。 1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
岡 照雄(おか てるお、1930年1月2日 - 2024年6… 岡 照雄(おか てるお、1930年1月2日 - 2024年6月26日)は、日本の英文学者。京都大学名誉教授、福岡女子大学名誉教授。専門は18世紀イギリス文学。 福岡市生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、1953年京都大学文学部卒業。大阪市立大学講師、助教授、京大教養部助教授、文学部助教授、1979年教授、1990年学部長、1993年定年退官、名誉教授、県立福岡女子大学学長、名誉教授。2008年、瑞宝中綬章受章。2024年6月26日死去。叙正四位。
簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 199… 簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 1999年12月28日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 旧制福岡県筑紫中学校から西日本鉄道、国鉄志免鉱業所を経て、1950年に南海ホークスへ入団。1年目からいきなり中堅手のレギュラーポジションを獲得し、1番打者として活躍。翌年以降も笠原和夫が不調の際には代わりを頼まれるなど南海の主力打者として3度のリーグ優勝を経験した。 1955年に東映フライヤーズへ移籍。4番打者として活躍した。1956年も4番打者として活躍するが、この年に引退した。 引退後は九州朝日放送やRKB毎日放送で長きにわたって野球解説者を務めた。 1999年12月28日に心筋梗塞のため死去(享年70歳)。
岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 20… 岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 2020年9月7日)は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、金沢大学名誉教授。 福岡県福岡市出身。富士見町 (広島市)修道中学校在学中であった1945年(昭和20年)8月6日16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現同市中区)の自宅の庭で被爆し、母と妹を亡くして「原爆孤児」となった。 1960年に石川県原爆被災者友の会を設立。金沢大学で法学部長を務めた後、2000年から日本原水爆被害者団体協議会]の事務局次長、11年から代表委員、17年から顧問を務め、被爆者救済などに取り組んだ。 2016年には、オバマ米大統領(当時)の広島訪問に立ち会った。
下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しも… 下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しもかわ ときふみ>、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。
髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 20… 髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 2019年9月29日)は、日本の流体工学者。九州大学名誉教授。元有明工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。 福岡県福岡市出身。福岡県中学修猷館を経て、1958年九州大学大学院修了。1962年九州大学より工学博士の学位を取得。九州大学助手、九州大学講師、九州大学助教授を経て、1972年九州大学教授に昇格。1988年から九州大学工学部長を務め、ベビーブーム期の学生への対応を行うなどした。1992年有明工業高等専門学校校長。1998年久留米工業大学学長。2001年勲二等瑞宝章受章。2019年9月29日、福岡市城南区の病院で急性肺炎のため死去。
森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3… 森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日 - 2014年3月28日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。 クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)卒業。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。 1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。
正宗 悟(まさむね さとる、1928年7月4日 - 2003… 正宗 悟(まさむね さとる、1928年7月4日 - 2003年11月9日)は、日本出身のアメリカ合衆国の生化学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は生化学。ロバート・バーグマンとともに正宗・バーグマン環化を発見した。 福岡市出身。旧制仙台第二中学校(現・宮城県仙台第二高等学校)を経て、1952年東北大学卒業。フルブライト奨学金でカリフォルニア大学バークレー校に留学し、1957年にPh.D.を取得。ウィスコンシン大学で博士研究員となった後、メロン工業所(現・カーネギーメロン大学)で研究員として勤務する。1964年アルバータ大学に移り、1967年に教授に昇進した。1978年にマサチューセッツ工科大学の教授となり、多くの有機化学者を育てた。
三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日… 三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日 - 2007年11月20日)は、日本の作曲家。福岡県福岡市出身。 旧制福岡中学(現:福岡県立福岡高等学校)を経て、1952年東京大学文学部哲学科美学専攻を卒業後、コーラス・グループ『フォー・コインズ』に参加。グループ解散後は作曲家に転向し、主にテレビドラマ、アニメーションの主題歌や劇伴音楽の作品を手掛けた。 1976年からはアメリカ合衆国に移住し、同地でも音楽活動を続けた。『エースをねらえ!』のCDブックレットには、滞在先のハワイからコメントを寄せている。 2007年11月20日(現地時間未明、日本時間同日夜)、カリフォルニア州パームスプリングス郊外の病院で死去。
田尻 宗昭(たじり むねあき、1928年2月21日 - 19… 田尻 宗昭(たじり むねあき、1928年2月21日 - 1990年7月4日)は、日本の海上保安官。日本で初めて公害事件の刑事責任を追及し「公害Gメン」と呼ばれた。 福岡市生まれ。1944年、宮崎県立宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1948年、官立高等商船学校(静岡県)航海科を卒業。 門司海員養成所教官を経て海上保安庁に入り、巡視船船長などを務め李承晩ライン警戒、北洋海難救助などに従事した。1968年、四日市海上保安部警備救難課長。在職中、石原産業四日市工場、日本アエロジル四日市工場による四日市港への工場排水垂れ流しを摘発。日本の公害事件で初めて刑事責任を追及、行政と産業界の癒着にメスを入れた。
紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 … 紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2015年〈平成27年〉7月19日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)、元日本婦人有権者同盟会長。旧姓佐々。 福岡県福岡市に生まれるが、父佐々弘雄が九大事件で失職し、東京都港区に転居する。実家目前の、東京府立第三高等女学校(現東京都立駒場高等学校)に通う。4年時に飛び級で旧制聖心女学院に入る。戦中の混乱で休学するも戦後新制聖心女子大学専門部歴史科を卒業。 1948年10月9日、父の佐々弘雄が参議院議員在職中に病死。 1949年、新聞記者であった紀平行雄と結婚し紀平姓となる。しかし行雄はすぐに肺結核で倒れ、失業した。困り果てた悌子は、父親が生前褒めていた市川房枝を訪ねる。
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10… 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10日 - 2002年(平成14年)9月8日)は、日本の社会学者、政治家。東京大学名誉教授。元東京都東久留米市長(3期)。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。東久留米市議会議員の間宮みきは次女。 福岡県福岡市生まれ。広島県立広島商業学校、第一高等学校 (旧制)を経て、1953年、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科社会学専門課程(B)新聞学に進学、在学中1958年より東京大学新聞研究所(現東京大学大学院情報学環・学際情報学府)助手。1962年に助教授、1972年に教授に昇格し、1980年から1984年まで、新聞研究所長を務めた。
石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 20… 石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 2025年8月9日)は、日本の法学者。専門は、憲法のほか、メディア法・プレス法・言論法・情報法。ジャーナリズム論。特に、大学にて「マス・メディア論」の開講した草分け的存在であった。福岡県福岡市出身。 福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。1947年旧制福岡高等学校卒業。1950年東京大学法学部政治学科卒業。1950年から5年間病気療養。1955年福岡商科大学短期大学助手。1956年福岡大学法経学部助手。1958年同法経学部専任講師。1959年同法学部専任講師。1961年同法学部助教授。
天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 200… 天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 2008年11月30日)は、日本の小説家。 覆面作家沼正三の著作として出版された奇書『家畜人ヤプー』について、作者であると告白したことで知られる。 福岡市出身。市立福岡商業(現・福岡市立福翔高等学校)卒。戦前は満州を放浪、戦後は種々の職業を経て1967年から校正者として新潮社に勤務。その傍ら小説を執筆し、沼正三の代理人を名乗っていたが、1982年、自身が『家畜人ヤプー』の作者のひとりであると公表。その真偽や関与の程度をめぐってはなお論争があるが、沼正三の著作のうち『家畜人ヤプー』の後半部分や『マゾヒストMの遺言』の著者は天野であることが確かとされる。
四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 … 四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2015年〈平成27年〉2月23日)は、日本の銀行家。位階は正五位。 福岡県福岡市出身。父は福岡無尽(後の福岡相互銀行、福岡シティ銀行、現・西日本シティ銀行)創業者の四島一二三。1949年(昭和24年)に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年(昭和26年)11月に一二三が経営する福岡相互銀行に入行した。 1956年(昭和31年)5月に取締役に就任し、1958年(昭和33年)5月に常務、1967年(昭和42年)5月に専務を経て、1969年(昭和44年)5月に一二三の後任として頭取に就任。2003年(平成15年)6月までに務めた。 1985年(昭和60年)11月に藍綬褒章を受章し、1995年(平成7年)4月に勲二等瑞宝章を受章。
石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月… 石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月14日 - 2006年7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学。学位は、比較法修士(Master of Comparative Law (M.Comp.L.))、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京都立大学名誉教授。2003年4月、勲三等瑞宝章受章。 福岡県福岡市生まれ。誕生日(9月14日)がオイゲン・エールリッヒと同一である。実家は福岡市の土産菓子として知られる鶴乃子などを製造販売する石村萬盛堂。 東京帝国大学在学中の勤労動員で静岡県の山村に滞在時、学生の状況を知るため巡回していた教授陣の一員であった川島武宜と出会う。
楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 20… 楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 2020年9月16日 )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、日野自動車工業取締役会長、中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長等を歴任した。 福岡県福岡市生まれ。1946年東北帝国大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事し、1972年トヨタ自動車工業取締役特殊部品製造企画室長に昇格。1975年トヨタ自動車工業取締役生産管理部長。1978年トヨタ自動車工業常務取締役衣浦工場長、生産管理部、安全環境部担当。1982年トヨタ自動車工業専務取締役生産関係部門統括。 1984年からトヨタ自動車取締役副社長として、生技生産部門を統括し、好川純一を生産調査室トップに起用するなどし、工場でのトヨタ生産方式の徹底を推し進めた。
伴 勇資(ばん ゆうじ、1923年5月20日 - 2003年… 伴 勇資(ばん ゆうじ、1923年5月20日 - 2003年7月29日)は、福岡県出身のプロ野球選手(捕手、三塁手)。野球監督。
武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月… 武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月14日 - 1997年(平成9年)7月9日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会会員、日本推理作家協会会員。 本名・富永真平。福岡県福岡市出身。早稲田大学法学部卒業。 主婦の友社の編集者を経て、1959年『大衆文学への招待』を南北社から刊行したことをきっかけに、大衆文学の評論家となる。1961年尾崎秀樹らと大衆文学研究会を発足。『代表作時代小説選集』の編纂を務め、江戸川乱歩賞の選考委員も担った。1976年、長谷川伸賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本… 前田 淑(まえだ よし、1921年 - 2020年)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。近世の女性旅日記などの近世女性文学を研究した。福岡女学院短期大学名誉教授。 福岡市生まれ。福岡県女子専門学校文科研究科卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。福岡女学院短期大学助教授、教授を務める。1999年「江戸時代女流文芸史 地方を中心に」で九州大学文学博士。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21… 古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21日 - 不明)は、日本の銀行員、実業家。ガダルカナル島の戦いにおける川口支隊の生還者の一人。三和銀行参与、象印マホービン常務取締役。 福岡県福岡市出身。松次郎、ツルの三男。1937年(昭和12年)に福岡商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)を卒業後、三和銀行に入社。1940年に応召し、第18師団隷下の歩兵第124連隊に配属。連隊は川口支隊隷下として南方に向かい、ボルネオ島、ミンダナオ島、フィジー諸島攻略を経て、1942年(昭和17年)9月3日よりガダルカナル島の戦いに連隊本部附書記(上等兵、のち伍長)として参加。支隊本部とは別途舟艇で上陸したが、その直後より敵戦闘機の機銃掃射に遭い、連隊主力とともにアウステン山(英語版)で包囲孤立し、以後3か月にわたる籠城を耐えた。
萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28… 萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28日。 - 没年不明)は、日本の女優。本名は、石川貴美。(石川貴美子とも。福岡県福岡市出身。芸名は萬代峯子、万代峰子、万代峯子とも表記される。愛称は「イシカワさん」。趣味は読書で、体重は11貫200匁。 福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)を卒業後、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団25期生。宝塚一番の泣き虫とされた宝塚歌劇団を退団後は東宝劇団や新春座に所属。主に映画、舞台、テレビドラマなどで脇役として活躍する。第9回芸術祭賞奨励賞受賞。芸名は古今集から父がつけた。 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月2… 杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月26日 - 1987年〈昭和62年〉9月20日)は、私財を投げうってインドの緑化に尽力し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。 1919年、杉山直樹(夢野久作)、クラの長男として生まれる。福岡県福岡市出身。二男は三苫鉄児、三男は杉山参緑。 1935年(昭和10年)、祖父杉山茂丸没、1936年(昭和11年)、父杉山直樹没、祖父と父を相次いでなくす。 1937年(昭和12年)、福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。1938年(昭和13年)19歳、農園の土地を売らずに一家を養うために、陸軍士官学校(53期)に入学する。軍人が戦争反対運動をやらぬ限り戦争は止められないと考え、反戦活動を行い、憲兵隊に捕われる。
細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - … 小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - 1995年(平成7年)4月24日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(九州大学、1951年)(学位論文「臨界現象及び表面現象の統計熱力学」)。東京大学名誉教授。元群馬大学学長。日本物理学会会長を3期3年間務めた。勲二等旭日重光章受章。福岡県福岡市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田… 三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田、1918年〈大正7年〉3月13日 - 2005年〈平成17年〉12月9日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。二期会の創設者の一人。夫はピアニストでフェリス女学院短期大学教授兼学長の三宅洋一郎。 福岡市生まれ。父は英文学者・九州帝国大学教授の豊田実。1939年(昭和14年)東京音楽学校を卒業する。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 実質的なデビューは1939年(昭和14年)12月の新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会のベートーヴェン『フィデリオ』マルツェリーネである。 戦時中の1945年(昭和20年)1月においても新交響楽団の演奏会に出演しているのが確認できる。
篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- … 篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- 2018年2月7日)は、日本の実業家。広島相互銀行頭取や広島総合銀行会長を務めた。藍綬褒章受章、オーストリア共和国有功大栄誉報賞受賞、広島経済大学名誉博士。 福岡県福岡市出身。福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)、長崎高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、1942年1月日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、秋田県田沢湖付近の補給工場で終戦を迎える。 1945年福岡に復員し、1945年10月から1年間広島支店に配属。