宮本 尊義(みやもと たかよし、1957年11月9日 - )… 宮本 尊義(みやもと たかよし、1957年11月9日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
大分県 大分市:236人
宮本 尊義(みやもと たかよし、1957年11月9日 - )… 宮本 尊義(みやもと たかよし、1957年11月9日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
石山 東吉(いしやま とうきち、男性、1957年9月23日 … 石山 東吉(いしやま とうきち、男性、1957年9月23日 - )は、日本の漫画家。大分県大分市出身。血液型はO型。愛称はトキちゃん、トキさん、トンちゃん。左目の傷がトレードマーク。 大分県立芸術緑丘高等学校、大阪芸術大学卒。若い頃から不良少年として地元で有名であった。大学在学時はボクシング部に所属。卒業後、大阪でどおくまんのアシスタントをしていたが、人手が足りているとのことで上京し、車田正美のプロダクションの「神輪会」でチーフアシスタントを務める。1986年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて「闘神サイト」でデビューした。 石山の作風と絵柄は、代表作の『チキン・クラブ』や『男旗』を始めとして師匠である車田の影響が強く表れているのも大きな特徴である。
中島 拓(なかしま ひらく、1957年9月6日 - )は、日… 中島 拓(なかしま ひらく、1957年9月6日 - )は、日本の実業家。ジェイリース株式会社創業者・CEO代表取締役。 大分県大分市生まれ。1973年大分大学教育学部附属中学校卒業。1976年大分県立大分上野丘高等学校卒業。1980年中央大学法学部卒業、拓成入社。1997年日本青年会議所国際室委員長。2004年ジェイリースを設立し、代表取締役社長に就任。2016年に東京証券取引所マザーズに上場させ、同年、大分南ロータリークラブ会長に就任。2018年には東京証券取引所市場第1部への上場を果たし、2019年、ジェイリース代表取締役社長兼会長に就任。 ジェイリース取締役副社長で、日本青年会議所第71代会頭の中島土は長男。
浅香 あき恵(あさか あきえ、1956年10月23日 - )… 浅香 あき恵(あさか あきえ、1956年10月23日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ。吉本新喜劇の座員。大分県大分市出身。吉本興業所属。 本名は佐藤 秋恵(さとう あきえ)、旧姓は首藤。旧名は浅香 秋恵、小田 真理。夫は新喜劇団員で元Wヤングの佐藤武志。 高校2年生で家庭が大分から大阪に引っ越し、大阪市立天王寺商業高等学校卒業。中学生の頃、学芸会で誰も引き受けなかった老婆役を任され、その演技が好評だったことで演劇に目覚め、高校時代は演劇部に所属する。高校卒業後は一時期東京にも出て映画『愛と誠』の早乙女愛役や文学座養成所に応募するなど様々な女優オーディションに応募していたが果たせず。
山本 政志(やまもと まさし、1956年 - )は、日本の映… 山本 政志(やまもと まさし、1956年 - )は、日本の映画監督。大分県出身。
小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 … 小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 - )は、フリーアナウンサー。元フジテレビ・元ニッポン放送アナウンサー。独身。 確認できる範囲なので、下記の年以外にも多数担当している。
久保 俊郎(くぼ としろう、1955年3月27日 - )は、… 久保 俊郎(くぼ としろう、1955年3月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元FBS福岡放送アナウンサー。 大分市出身。福岡大学を卒業後、1978年にFBSへ入社。 主にスポーツ中継を担当し、同局スポーツ記者としても活動する一方、2009年秋以降はFBSの“ワークシェアリング”の一環として、スポーツの一線から離れ、スタジオ勤務がメインとなる(この件については本人が2010年3月29日付のブログで事情説明した)。 2010年秋のリニューアルに伴い一旦はスポーツから離れ、「ニュースプラス1」以降久々に夕方のニュース番組でキャスターを務めていたが、2014年度から土・日・祝日のソフトバンク主催のデーゲームの実況で現場復帰した。
石丸 謙二郎(いしまる けんじろう、1953年〈昭和28年〉… 石丸 謙二郎(いしまる けんじろう、1953年〈昭和28年〉11月1日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。大分県大分市出身。2006年1月1日より青年座映画放送部所属。 大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。日本大学藝術学部演劇学科中退。 幼少期から山を走り回っており、「将来はターザンになりたい」と言っていた。部活動で野球部に入っていた時期があるが、身体が小さかったことに加え、弁膜症を患っており、医師から走ることや日光を浴びることを禁止されていた時期が1年近くあったが、言われる通りにする生活につまらなさを感じ、倒れてもいい覚悟で身体を動かしていた。 高校卒業後に大分から上京し、日本大学芸術学部演劇学科に進学するも2年生のときに中退し、渋谷区のホテルで住み込みのアルバイトやビルの掃除、飲食店などのアルバイトを掛け持ちし、1日の睡眠時間が3時間ほどの生活を送っていた。
川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は… 川上 泰生(かわかみ やすお、1953年8月30日 - )は、日本のタレント、お笑い芸人。大分県大分市出身。PINES所属。現在は九州地方で、ローカルタレントとして活躍している。 コントユニット「ヒップアップ」の一員として、『オレたちひょうきん族』などに出演。主にネタ考案の役割を持っており、「アダモステ」のネタも川上が考案した。 トリオ解散(自然消滅)後、1990年代後期から地元である九州に活躍の場を移す。『めんたいワイド』のレギュラー(イムズ前レポーター)を皮切りに、『朝はポレポレ』など、様々な地元ローカル番組に出演。 40代に入るころから頭髪が薄くなり、1998年ころからカツラを被りはじめる。
工藤 三郎(くどう さぶろう、1953年〈昭和28年〉6月1… 工藤 三郎(くどう さぶろう、1953年〈昭和28年〉6月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー、元嘱託職。株式会社オフィスカノン所属。 大分県大分市出身。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1976年(昭和51年)にNHKに入局。 スポーツアナウンサーとしてのキャリアが長く、プロ野球を中心に様々な競技の実況を行ってきた。チーフアナウンサーを経て、2002年(平成14年)に局次長級エグゼクティブアナウンサーに昇進。2018年(平成30年)6月30日付で嘱託職からも退き退職、同じく協会の元局員である羽佐間正雄が代表を務める株式会社オフィスカノンに所属する。
あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家… あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家、ミュージシャン、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。 大分県大分市出身。長崎県立諫早高等学校卒業。長崎県立国際経済大学(現長崎県立大学)中退。中学2年より作詞・作曲を始め、大学時代はフォークソングクラブに所属していた。 上京後、荻窪ロフトや高円寺のレッドハウスなどのライブハウスでミュージシャンとして活動。29歳で放送作家となり、現在は『ガッテン!』(NHK総合テレビ)などを担当。SPACE SHOWER MUSIC所属のミュージシャンとしても活動中であり、制作した楽曲数は300曲を超える。アニソンやゲーム音楽にも精通している。
植田 美千代(うえだ みちよ、1951年〈昭和26年〉9月2… 植田 美千代(うえだ みちよ、1951年〈昭和26年〉9月21日 - )は、鹿児島県を拠点に活躍する日本のフリーアナウンサー。元MBC南日本放送エグゼクティブアナウンサー。 1979年(昭和54年)以降、最優秀賞を含めアノンシスト賞を計9回、受賞している。 大分県速見郡日出町出身、血液型A型、独身。 大分県立大分商業高等学校、関西方面の私立大学を卒業後、地元でのOL生活を経て1974年(昭和49年)3月入社。MBCラジオ『やったんこのちぇすといけ!ヤング』において、一般人から応募した作詞に猪俣睦彦が作曲した番組テーマ曲「みんなともだち」における「長い髪の小猫ちゃん」とは二代目アシスタントの植田のことであり、ミニスカートの出で立ちでファンが多かった。
甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は… 甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は、日本の写真家、エッセイスト、翻訳家、ほんやら洞(京都市上京区に存在した喫茶店)、八文字屋(京都市中京区)の経営者。「自衛隊米兵人権ホットライン」発起人のひとり。大分県大分市出身。
筒井 清忠(つつい きよただ、1948年8月18日 - )は… 筒井 清忠(つつい きよただ、1948年8月18日 - )は、日本の社会学者。京都大学教授を経て、帝京大学文学部日本文化学科教授・文学部長。東京財団上席研究員。専門は、日本近現代史・歴史社会学。大分県大分市出身。
後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21… 後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21日 - )は、日本の政治家、社会活動家。国民新党の元参議院議員(1期)。 大分県大分市出身。一男一女をもうける。国際協力事業団(JICA)支援によりブラジルのアマゾナス州マナウスに家族で工業移住。 マナウス日伯文化協会の日本語学校で日系二世・三世に日本語や日本文化について指導する。 2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙では自由民主党の公認を受け、大分県選挙区から出馬し参議院議員に初当選。2004年(平成16年)、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。2005年(平成17年)8月8日、郵政民営化関連法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、「郵政解散」につながる同法案否決への道を開いた。
澤井 英久(さわい ひでひさ、1948年 - )は、日本の弁… 澤井 英久(さわい ひでひさ、1948年 - )は、日本の弁護士。新四谷法律事務所代表。日本弁護士連合会副会長、日本弁護士国民年金基金理事長、電気通信大学産学官連携センター客員教授等を歴任。 大分県大分市出身。1973年一橋大学法学部卒業。1979年澤井法律事務所開設。2002年新四谷法律事務所を設立し代表に就任。2010年電気通信大学特任教授。2011年第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2012年日本弁護士政治連盟副理事長、電気通信大学産学官連携センター知的財産部門客員教授、文部科学省学校法人運営調査委員。2015年日本弁護士国民年金基金第9代理事長、冨士ダイス取締役、2016年アイセイ薬局監査役。
釘宮 磐(くぎみや ばん、1947年(昭和22年)10月6日… 釘宮 磐(くぎみや ばん、1947年(昭和22年)10月6日 - )は、日本の政治家。 大分県大分市長(3期)、衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、総務省顧問(鳩山由紀夫内閣)、九州市長会会長、参議院外務委員長、大分県議会議員(2期)などを歴任した。 大分県大分市出身。大分県立大分舞鶴高等学校、明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業。大学卒業後は東京都社会福祉協議会に勤務する。 1987年、大分県議会議員選挙に立候補し、初当選。1991年の県議選で再選されたが、翌1992年に県議を辞職。第16回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で大分県選挙区から立候補し、初当選した。1993年、自民党を離党して新生党の結党に参加。
藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大… 藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大分県大分市出身の女優、タレント。本名・旧芸名は、藤田 憲子(読み同じ)。 松竹時代は、映画やドラマでもどこに出ているか確認するのが困難なほどの端役専門の女優であったが、1967年(昭和42年)に『雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり』に出演してからは、一部で注目され短いセリフのある端役を演じるようになった。 1970年(昭和45年)10月、当時屈指の人気幕内力士だった貴ノ花と結婚し、芸能界を引退した。2児をもうけたが、2001年(平成13年)、不倫疑惑が報道される中で別居し、後に離婚して芸能界に復帰した。 2008年(平成20年)12月27日、芸名を本名の藤田憲子から藤田紀子に改名したことを公式ブログで発表した。
藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大… 藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大分県大分市出身の女優、タレント。本名・旧芸名、藤田 憲子(ふじた のりこ)。
篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政… 篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政治解説者(評論家)、元政治部記者、元テレビ東京解説委員、昭和女子大学客員教授。 大分県大分市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業後、1971年4月日本経済新聞社に入社。政治部記者として、総理大臣官邸、自民党キャップ、1986年4月、政治部次長、1990年9月の人事にて、宇都宮支局長へ異動。1993年4月付けで、テレビ東京の報道局解説委員を担当。解説委員長を含め務め、2007年11月まで担当し同時に日経新聞社を退職。 京都工芸繊維大学特別教授、昭和女子大学客員教授。2009年3月、文部科学省中央教育審議会委員、2012年3月から内閣府再就職等監視委員会委員を務める。
井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1… 井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1945年8月6日 - )は、日本の脚本家、小説家。大分県出身。コメンテーターとしてテレビ番組にも出演する。 日本統治下の朝鮮・京畿道京城府(現在のソウル特別市)に誕生。終戦に伴い、0歳の時に居留日本人の引揚船でもともとの郷里である長崎へ帰り、4歳までを過ごす。大分県立大分舞鶴高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文科中退後、オーストラリアへ渡る。帰国後、NHKのラジオドラマのシナリオコンクールに佳作入選したのをきっかけとして、脚本家の道へと進む。 脚本家として、しばらくはラジオを中心に書いていたが、NHKやTBSのテレビドラマでピンチヒッターのライターを務めるうちに、テレビへと方向転換をする。
渡辺 峻(わたなべ たかし、1944年3月26日- )は、日… 渡辺 峻(わたなべ たかし、1944年3月26日- )は、日本の経営学者。立命館大学名誉教授。 大分市生まれ。1966年同志社大学商学部卒。1972年同志社大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得修了。1986年「現代銀行企業の労働と管理ーーオフィス・オートメーションとホワイトカラーに関する経営経済学的研究」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。1972年に立命館大学経営学部助教授、その後、教授、経営管理研究科教授。 この間、英国ウォーリック大学客員研究員(1987年)、英国シェフィールド大学客員教授(1994年)、非常勤として九州大学大学院、京都大学大学院、同志社大学大学院、関西学院大学大学院、関西大学大学院などで講義担当。
佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 … 佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 - )は、大分県大分市出身の日本の洋画家。本名佐藤哲也。 1944年(昭和19年)1月27日、大分県大分市に生まれる。 1966年(昭和41年)、大分大学学芸学部美術科卒業。翌1967年(昭和42年)、江藤哲に師事。 1975年(昭和50年)日展初入選、同年東光展会友賞。1982年(昭和57年)「紫陽花の頃」が第14回日展特選を受賞、東光展会員賞。1991年(平成3年)ジャパンフェスティバル・イン・ベルリン展金賞。 2009年(平成21年)「ひととき」が第41回日展文部科学大臣賞受賞。2013年(平成25年)、「夏の終りに」が日本芸術院賞受賞。
池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - … 池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手。 大分商業高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は… 田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は、日本の医学者(外科学・消化器外科学・移植免疫学)。主な業績は生体肝移植の確立と展開に関する研究。京都大学名誉教授。神戸国際フロンティアメディカルセンター理事長。大分県大分市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
司 忍(つかさ しのぶ、本名: 篠田 建市 (しのだ けんい… 司 忍(つかさ しのぶ、本名: 篠田 建市 (しのだ けんいち) 、1942年1月25日[4] - )は、日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組組長。身長165cm。[要出典]
ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )… ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )は、大分県大分市生まれの実業家。パラグアイ在住。日本の国政選挙に立候補した、初の在外日本人候補である。 「にっぽんよ!」万葉舎 (2004-05-12出版)。
小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説… 小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説家、女性史研究家、日本ペンクラブ会員。 大分県大分市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校を経て、青山学院女子短期大学国文科を卒業。 当初は那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975年の国際婦人年を契機に作家の南原幹雄にすすめられて女性史を中心とした歴史物を手がけるようになる。 日本は男尊女卑の男社会だったので、正史に書かれなかった女帝や歪曲された女性の真相を歴史小説とし、また正史は為政者の歴史だったので、裏面史として流人史を書く。 執筆のかたわら、カルチャー教室の歴史の講師をつとめ、平成元年(1989年)に始まった横浜の教室は令和まで30年以上つづき、八丈島から始まった「歴史の旅」も31回を数える。
葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2… 葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2013年7月27日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 大分上野丘高校では2年生の時、1953年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東九州大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗れ甲子園出場はならなかった。高校の1年上に太田文高がいた。 1955年、別当薫監督率いる毎日オリオンズに入団。高卒新人ながら活躍を見せた。 1956年にはレギュラー遊撃手となり、規定打席(22位、打率.250)にも到達。 1957年は三塁手に回り、リーグ3位の91打点を記録した。 1958年は遊撃手に戻るが、1打点差で中西太(西鉄)の三冠王を阻み、打点王を獲得。
中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )… 中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )は日本の和装研究家、エッセイスト。大分県大分市出身。 大分県立大分上野丘高等学校を経て共立女子大学文芸学部卒業。女性雑誌『女性自身』『二人自身』の編集記者を経て、株式会社 秋櫻舎(こすもすしゃ)設立。きもの季刊誌『きもの秋櫻』発行。婦人雑誌等にきものの記事を執筆。東京都新宿区在住。
首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10… 首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10日 - )は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。 大分県大分市出身。東京大学工学部土木工学科卒業後、建設省土木研究所の研究員を経て、1961年(昭和41年)、中央大学助教授、1966年(昭和46年)に中央大学教授に就任。1977年(昭和52年)から東北大学教授となる。後、岩手県立大学教授を経て日本大学教授に転籍。津波の挙動を数値解析手法で確定し、国内外の津波災害を数量的に明らかにするなど「津波工学」の確立に努める。2014年(平成26年)日本学士院賞を受賞。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2… 吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2011年3月15日)は、昭和後期に活動した美術家。大分県大分市出身。1960年に登場した過激な前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の発案者であり、主宰者。 実家は大正初期創業の医薬品卸売の吉村薬品という裕福な環境で育つ。大分第一高等学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)在学中の17歳のときに河北倫明が著した青木繁の画集を見て美術にのめり込む。昼は学校の美術室に、夜は地元大分の画材店キムラヤの美術サークル「新世紀群」で活動した。ここには、同郷の磯崎新、赤瀬川隼(両者は同じ高校の1年先輩)風倉匠らが集っていた。当時から鷹揚で人をひきつけ、親分肌で面倒見がよくスポーツ万能。
磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日… 磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日 - 2022年(令和4年)12月28日)は、日本の建築家、一級建築士、アトリエ建築家。日本芸術院会員。 大分県大分市出身。父は実業家で俳人の磯崎藻二。妻は彫刻家の宮脇愛子。茨城・つくばセンタービルや米国・ロサンゼルス現代美術館などで知られ、ポストモダン建築をリードして国際的に活躍した。 CIAM以降、さまざまな現象へ分裂解体しつつあった世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した役割において、磯崎はポストモダン建築を牽引した建築家の一人であると言われる。特に日本では丹下健三以降の世代にとって、1970年以降の建築言説の展開の大凡は磯崎によって編成されてきたと見なされている。
直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日… 直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。 大分県大分市生まれ。1954年東京大学文学部仏文科卒、1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。金子幸彦ゼミ出身。1958年からルーマニア・ブカレスト大学に学び、1963年同文学部卒業。1965年同大学院修士課程修了、帰国。翻訳を幾つか出し、1969年東京大学教養学部専任講師、1971年11月助教授、1976年12月教授、1989年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授、1990年文学部長。2004年退職。 主としてルーマニア語、ルーマニア文学の教育、翻訳を行なった。かつては社会主義思想を信奉していたが、後年は、宗教学者ミルチャ・エリアーデが、初期に書いた小説作品の翻訳で知られる。
立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15… 立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月31日)は、日本のバリトン歌手。二期会所属。本名は立川 澄人(たつかわ すみと)。旧芸名は立川 澄人、所属レコード会社はビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)。洗足学園大学客員教授も務めた。 大分県大分市出身。春日浦海岸近くのフグ料理の料亭である春日亭(現在は閉店)に生まれる。大分県立別府第二高等学校(現在の大分県立芸術緑丘高等学校)、東京芸術大学卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、中山悌一に師事し、1953年『椿姫』のジェルモンでデビュー。歌劇を始めミュージカル、テレビ番組への出演も多く、NHK紅白歌合戦にも1963年から1966年まで連続4回出場した。
大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 200… 大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)。 大分県大分市生まれ。父は陸軍軍人の大江一二三(敗戦時に大佐。陸士32期)。大分県師範学校附属小学校(現大分大学教育福祉科学部附属小学校)、東京市立富久小学校、東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を経て、1944年、熊本陸軍幼年学校を卒業し陸軍予科士官学校へ進学。1945年陸軍航空士官学校に入学し、在学中に敗戦。敗戦による士官学校の解散に伴い復員。1950年旧制第五高等学校卒業、1953年旧制名古屋大学経済学部卒業、1954年名古屋大学大学院経済学研究科中退。
今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - … 今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日)は日本の俳人。 大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市(現北九州市)、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる。 1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。「霜林」「鶴」を経て、1979年、「桃滴舎」を創刊、主宰。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム「風車」を担当。句集10冊のほかに、「風車」のコラムをまとめた『桃滴コラム』、「桃滴舎」に連載したエッセイなどをまとめた『桃滴記』『桃滴日録』などの著書がある。
金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 201… 金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 2019年4月15日)は、日本の実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校、東京大学第二工学部土木工学科卒業。1951年4月、京阪電気鉄道に入社。主に技術畑を歩み、1977年から取締役、常務、専務を経て1992年から副社長。1995年から社長に就任。京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)から京阪電鉄が再分離した後に入社した、初の社長となった。社長時代は子会社の整理など事業の構造改革に取り組んだ。2001年に社長を退任。尚、後任の社長の佐藤茂雄も同郷・大分県出身である。
寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2… 寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2015年4月3日)は、大分県大分市出身の版画家。昭和36年棟方志功らの日本版画会創立に参加し、一貫して屋根瓦を題材とした作品を発表した。 以下、公式ウェブサイトによる。 大分県大分市三ケ田町の呉服店の次男として生まれる。大分県立大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)に進学するが、4年生だった1943年の2学期より大日本帝国海軍航空隊に志願入隊する。5ヶ所の航空隊勤務を経て特攻訓練中に入院した。終戦後の1945年9月に復員する。11月に大分経済専門学校(現:大分大学経済学部)1年に編入する。 1948年に大分経専を卒業後は家業の呉服商、銀行員、会社員、不動産業を経験する。
荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 19… 荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 1971年5月12日)は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
木崎甲子郎(きざき こうしろう、1924年9月16日 -20… 木崎甲子郎(きざき こうしろう、1924年9月16日 -2022年2月26日)は、日本の地質学者、琉球大学名誉教授。 大分県大分市出身。1951年北海道大学理学部地質・鉱物学科卒、1960年「日高変成帶におけるミグマタイトの研究」で理学博士。1952年北大助手、助教授。1968年メルボルン大学研究員をへて、1972年琉球大学教養部教授、のち理学部教授。1980-1983年国立極地研究所併任教授。1990年琉球大を定年退官、名誉教授となる。1993-1996年、ネパール国立トリブバン大学地質学教室客員教授(JICA専門員として)。1980年『琉球の自然史』で沖縄タイムス出版文化賞、1985年『琉球弧の地質誌』で沖縄タイムス伊波普猷賞受賞。
上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 201… 上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 2015年5月4日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。大分県大分市出身。 1958年に九州帝国大学法文学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1972年11月に取締役に就任し、1975年5月には専務に就任した。 1978年5月にクラレに転じ、同年6月に専務に就任し、1981年6月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格した。1990年6月から相談役に就任した。 2015年5月4日前立腺がんのために死去。90歳没。
平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年〈大正13年〉3月… 平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年〈大正13年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉8月21日)は、日本の通産官僚、大分県知事。 「一村一品運動」の提唱者として有名である。その他、関西大学政策創造学部客員教授や立命館アジア太平洋大学 アドバイサリー・コミッティ名誉委員などを務めた。座右の銘は「継続は力なり」。マグサイサイ賞受賞者。 大分市出身。大分中学、第五高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1949年(昭和24年)3月、東京大学法学部を卒業後、1949年(昭和24年)旧商工省(後の通商産業省、現・経済産業省)に入省。
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日… 玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全盛期の体格は181cm、120kg。得意手は右四つ、櫓投げ、外掛け。栃若時代の実力者の一人で、長谷川や琴錦と並んで、最強関脇との見方もある。 引退後は年寄・12代片男波を襲名し、片男波部屋を興した。 1923年1月、料亭の板前の家に六人兄弟の長男として生まれる。小学校時代は野球に熱中しており、大分県立商業学校(現大分県立大分商業高等学校)からの誘いもあったが中学には進学せず、玉錦(二所ノ関部屋)の一行が巡業に来たのを見て力士になることを志望した。
児玉 利一(こだま りいち、1919年2月19日 - 200… 児玉 利一(こだま りいち、1919年2月19日 - 2008年9月3日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者。
後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 200… 後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 2000年1月29日)は、日本の政治家、統計学者。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(3期)、法務大臣(第50代)を歴任した。 父は元内務大臣の後藤文夫。 大分県大分市生まれ。旧制横浜高等工業学校(現:横浜国立大学)卒業。三菱鉱業(現:三菱マテリアル)の技師、内閣技術院参技官、内閣調査局調査官、宮城県職員、内閣統計委員会事務局基準課長、行政管理庁統計基準部企画課長等を経て、1959年、行政管理庁統計基準局長に就任。1967年の退官まで務める。 退官後、1968年から8年間、大分大学学長を務める。 1976年9月、岩男頴一の死去に伴う参議院大分地方区補欠選挙に立候補。
杉原 周一(すぎはら しゅういち、1907年5月7日 - 1… 杉原 周一(すぎはら しゅういち、1907年5月7日 - 1972年6月21日)は、日本の経営者、工学博士。東陶機器(現在のTOTO)社長を務めた。 大分県大分市出身。1931年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。 三菱重工業での勤務を経て、1948年5月に東洋陶器に転じ、専務、副社長を経て、1967年7月に社長に就任。 1972年6月21日、脳卒中のために死去。65歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
伊藤 彦造(いとう ひこぞう、1904年(明治37年)2月1… 伊藤 彦造(いとう ひこぞう、1904年(明治37年)2月17日 - 2004年(平成16年)9月9日)は、日本の画家、イラストレーター。大正から昭和にかけて活動、主に挿絵を描き細密なペン画で一世を風靡した。享年100歳。 大分県大分市出身。剣豪、伊藤一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範であった。朝日新聞東京本社で勤務中に同社の専属挿絵画家右田年英からイラストを学び、英明と号して改めて画家を目指した。その後、結核を患い帰省、日本画家の橋本関雪に師事する。 1925年(大正14年)に、『大阪朝日新聞』掲載の番匠谷英一作『黎明』の挿絵でデビュー、同年の行友李風の小説『修羅八荒』の挿絵で好評を得た。若くして時代ものの挿絵画家として第一人者となった。
林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日… 林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。 父が酒に溺れたため、家業の雑貨商が破産。このため母が紡績工場の女工として家計を支えた。1916年(大正5年)、旧制大分中学校(現・県立大分上野丘高校)入学後は、銀行家の小野家の住み込み家庭教師として働きながら苦学し、1919年(大正8年)、第五高等学校に入学してからも小野家の援助を受ける。