長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日… 長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、参議院外交防衛委員長、財務大臣政務官、都城市長等を歴任。父は元参議院議員の長峯基。 宮崎県都城市出身。都城市立妻ヶ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学時代は雄弁会に所属し、幹事長を務めていた。1995年(平成7年)から父の長峯基参議院議員の秘書、JC宮崎ブロック事務局長を務める。 1997年(平成9年)6月、宮崎県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。1999年(平成11年)4月、2期目の当選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。
山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、… 山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 現在は、個人でトレーナー業を営む。 都城西高から、1986年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はトレーナーに転身。清原和博、石毛宏典、小久保裕紀、斉藤和巳らのトレーナーを歴任したのち、2005年秋より寺原隼人と個人契約しスランプに陥っていた寺原の筋力を強化させ復活への目途をつけた。2007年シーズンより。再び小久保の個人トレーナーとして再契約した。
平嶋 隆司(ひらしま たかし、1968年〈昭和43年〉1月3… 平嶋 隆司(ひらしま たかし、1968年〈昭和43年〉1月31日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 宮崎県都城市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。1991年(平成3年)4月、運輸省に入省。入省後、近畿運輸局企画観光部長、航空局航空戦略課国際企画室長、内閣法制局参事官(第二部)、国土交通省総合政策局物流政策課長、自動車局貨物課長、航空局総務課長、鉄道局次長などを歴任。総合物流施策大綱の策定などに携わった。 2024年(令和6年)7月1日、観光庁次長に就任。 2025年(令和7年)7月1日、国土交通省大臣官房危機管理・運輸安全政策審議官に就任。
馬渡 松子(まわたり まつこ、1967年12月17日 - )… 馬渡 松子(まわたり まつこ、1967年12月17日 - )は日本の歌手。宮崎県北諸県郡三股町出身。結婚をしていたが現在は離婚。
入来 智(いりき さとし、1967年6月3日 - )は、宮崎… 入来 智(いりき さとし、1967年6月3日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。
有井 伊奈(ありい いな、女性、本名:上原ひとみ(旧姓:細山… 有井 伊奈(ありい いな、女性、本名:上原ひとみ(旧姓:細山田)、1967年4月? - )は、日本の漫画家。宮崎県都城市出身。都城工業高等専門学校建築学科卒。 『ザ・マーガレット』1987年(昭和62年)No.23 にて作品「片思い」でデビュー。 モノローグ(内面描写?)に独特の作風を持った作品が多い。 活躍の度合いは当時に比べて減ってはいるものの、不定期ながら現在も作品を発表しているようである。 ※ いずれも、掲載された短編集を文庫化したものである。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
中川 カ〜ル(なかがわ カール、1967年2月14日 - )… 中川 カ〜ル(なかがわ カール、1967年2月14日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。宮崎県都城市出身。 昭和42年2月14日生まれ。1984年に宮崎県立都城工業高校インテリア科を卒業。上京し竜崎遼児のアシスタントを経て、その後独立。 アシスタント在籍中の1991年に『週刊少年ジャンプ』増刊Summer Specialにて「超プロレス宣言!!」でデビュー(当時のペンネームは姫城喧太郎)。独立後にペンネームを中川カ〜ルと改め、イラストレーター、漫画家として活動。アシスタント以前にプロレスのマスク、コスチュームを制作していた会社でアルバイトをしていたことがあり、漫画やイラストの仕事と平行してマスクデザインや制作なども行う。
永瀬 正敏(ながせ まさとし、1966年7月15日 - )は… 永瀬 正敏(ながせ まさとし、1966年7月15日 - )は、日本の俳優・写真家。有限会社ロケットパンチ所属。宮崎県都城市出身。 都城市立姫城中学校卒業。宮崎県立都城西高等学校に進学するも、1983年に上京。日本大学鶴ヶ丘高等学校に再入学したが、堀越高等学校に転学して卒業する。 小学生の頃は地元の小さな野球団で少年野球をしていた。中学生時代はバンドを結成。この頃は特にザ・クラッシュやセックスピストルズなどパンクバンドにとても影響を受けており、中でもイギー・ポップやジョー・ストラマーは神様のように思っていた。 1982年、高校生の頃、全国オーディションにて約15000人の中から選ばれ、相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』1983年2月11日(公開日)にデビュー。
益田 明典(ますだ あきのり、1965年9月23日 - )は… 益田 明典(ますだ あきのり、1965年9月23日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 2019年2月6日より、愛知学院大学硬式野球部の監督を務める。 都城西高から愛知学院大学に進学。愛知大学リーグでは4年時に2季連続でリーグ優勝に貢献し、最優秀選手とベストナインに選ばれた。明治神宮大会では初戦で近大の山内嘉弘と投げ合って完投勝利。リーグ戦通算35試合登板、23勝7敗、防御率1.95。1987年のNPBドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け入団した。背番号は33。 プロ1年目の1988年に一軍初登板を含む2試合、2年目の1989年に3試合に登板しただけで、その後は一軍登板はなく1991年に現役を引退。
水間 詠子(みずま うたこ、1965年2月15日 - )は、… 水間 詠子(みずま うたこ、1965年2月15日 - )は、日本のボディビルダー。宮崎県都城市出身。日本ボディビル・フィットネス連盟所属。 日本を代表するボディビルダーの一人で、出場する大会では上位入賞の常連である。 1997年ワールドゲームズにて52kg以下級で優勝、1997年アジア女子ボディビル選手権にて52kg以下級で優勝。素朴な人柄で、ひたむきに努力を積み重ねるタイプの選手である。筋肉量に関して言えば日本の女性ボディビルダーの中では最高峰である。 国会議員の秘書を務めている。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
温水 洋一(ぬくみず よういち、1964年〈昭和39年〉6月… 温水 洋一(ぬくみず よういち、1964年〈昭和39年〉6月19日 - )は、日本の俳優、タレント。本名同じ。通称、ぬっくん。宮崎県都城市出身。身長165 cm、体重58 kg。既婚。 宮崎県立都城西高等学校を卒業し、2浪後、日本福祉大学社会福祉学部に進学。1989年3月に大学を卒業。1988年から1994年まで劇団「大人計画」に在籍。在籍中は、松尾スズキとともに「鼻と小箱」というコンビを組んでいたことがある。 1994年に竹中直人のコント番組『竹中直人の恋のバカンス』にレギュラー出演したことから、独特のキャラクターが世間にも知られる事となり、それ以降テレビ番組への出演が増える。 1998年には安斎肇、村松利史らとオフィス「ワン・ツゥ・スリー」を創立。
永井 利光(ながい としみつ、1964年6月7日 - )は、… 永井 利光(ながい としみつ、1964年6月7日 - )は、日本のドラマー。宮崎県都城市出身。主に、GLAYや氷室京介のサポートドラマーとして活動している。そのほか、EXILE TAKAHIROなど。その際の名義は、「Toshi Nagai」。(通称Toshi)。その他に、音楽スクール等でドラムクリニックを行っている。
大井 久士(おおい ひさし、1963年10月22日 - )は… 大井 久士(おおい ひさし、1963年10月22日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 西武ライオンズ入団から現役選手(9年間)・チームスタッフ(17年)・二軍バッテリーコーチ(3年)時代を含め、西武一筋29年間で、黄金期を支えた人物の一人である。 都城西高から、1981年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。1984年には米国1Aサンノゼ・ビーズへの留学を経験したが、常に故障との戦いで一軍出場を果たせず、1990年に現役を引退。 引退後も西武に残り、チームスタッフ(1991年 - 2007年)→二軍バッテリーコーチ(2008年 - 2010年)を務めた。チームスタッフではブルペン捕手を務め、投手の投球練習時におけるサポートや投手の調子を的確に把握した上で必要に応じて、チーム首脳陣に報告などの業務を担当。
宮路 一昭(みやじ かずあき、1963年6月20日 - )は… 宮路 一昭(みやじ かずあき、1963年6月20日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・スタジオ・ミュージシャンとしても活動している。宮崎県都城市出身。血液型O型。 宮崎県立都城工業高校在学中、TOTOのギタリスト、スティーブ・ルカサーに感銘を受けギターを始める。その後、ルカサーが参加しているアーティストの音楽は、全てと言っていい程聴き、そのプレイをコピーしながらライブ活動をしていた。高校3年の時、FM宮崎に出演、また寺内タケシとも共演。ギタリストの北島健二が師匠。[要出典] 高校卒業後、武蔵野音楽学院に入学。同級に西村智彦(SING LIKE TALKING)、米川英之(元C-C-B)が在籍。
加藤 誉昭(かとう たかあき、1963年4月24日 - )は… 加藤 誉昭(かとう たかあき、1963年4月24日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 都城商業高3年時の1981年、第63回全国高等学校野球選手権大会に4番打者として出場し、3回戦岡谷工業高戦でのサヨナラ本塁打・1試合2本塁打を含む大会3本塁打を記録。 1981年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団する。 プロ3年目の1984年に一軍初出場。1988年10月に現役を引退。 引退後はベースボール・マガジン社の記者を経て、プロ野球グッズ企画制作販売等を事業とする有限会社トータルベースボールワークスを設立。同社代表取締役社長となる。その後は九州料理を出す外苑前駅近くの居酒屋に勤める。
岡元 昇(おかもと のぼる、1962年4月17日 - )は、… 岡元 昇(おかもと のぼる、1962年4月17日 - )は、朝日放送グループホールディングス総務局OPEN↑(オープンアップ)推進部長。元アナウンサー。 宮崎県都城市出身。宮崎県立都城西高等学校から立命館大学産業社会学部へ進学した後に、1985年にアナウンサーとして朝日放送へ入社した。同期のアナウンサーは伊藤史隆と中邨雄二。アナウンサー以外では、2024年4月より朝日放送テレビの社長へ就任した今村俊昭が同期に当たる。 朝日放送への入社後は、「オカホン」という愛称を持つ先輩アナウンサー・岡本洋(後に経営部門へ異動)と区別するために、オカゲンというニックネームを付けられた。『ビーバップ!ハイヒール』(ABCテレビの教養バラエティ番組)でも、2005年4月の番組開始から2013年3月まで、オカゲン 岡元昇という名義で「データマン兼アシスタント」を務めていた。
今村 洋史(いまむら ひろふみ、1962年1月28日 - )… 今村 洋史(いまむら ひろふみ、1962年1月28日 - )は、日本の政治家、精神科医。元衆議院議員(1期)。 宮崎県都城市生まれ、福岡県育ち。埼玉医科大学卒業。精神科医として埼玉県や茨城県で勤務医を務める。その後愛知県一宮市今伊勢町で、医療法人有俊会理事長・いまむら病院院長を務める。 2011年、たちあがれ日本(青年部)に入党し、かけはし塾第一期生となる。 太陽の党を経て、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙にて日本維新の会より比例東京ブロック単独(第2位)で立候補し、初当選。 2014年8月、日本維新の会分党にともない次世代の党の結党に参加し、党総務副会長と党選対副委員長に就任した。10月には次期衆院選を想定して選挙区を地元の愛知10区へ構えたが、解散による選挙前倒しにより「準備不足」を理由に立候補を辞退した。
松尾 晶代(まつお あきよ、1961年10月10日 - )は… 松尾 晶代(まつお あきよ、1961年10月10日 - )は、日本の女優。宮崎県都城市出身。東映アカデミーに所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 -… 南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1960年12月9日に宮崎県都城市で生まれる。「南牟礼」という名字は鹿児島県東部の大隅半島付近を発祥と言われ、鹿児島県大隅町に多いとされる。全国的には僅か40名ほどしか確認されていないという。 宮崎県立都城工業高等学校では黒原祐二(のちに西武ライオンズ)と同期で、卒業後は電電九州に就職して1980年から2年連続で都市対抗野球大会に出場を果たす。 1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3巡目で指名されたが、電電九州は他に横浜大洋ホエールズから右田一彦が1巡目、村岡耕一が3巡目で指名されており、同い年かつ同期入社組3名が揃ってプロ入りを果たした。
加藤 宇章(かとう たかふみ、1960年8月15日 - )は… 加藤 宇章(かとう たかふみ、1960年8月15日 - )は、日本の彫刻家。宮崎県都城市出身。文化教室「アトリエぱお造形教育研究所」創業者。広島芸術学会会員、こども環境学会会員、広島市立大学芸術学部彫刻科非常勤講師。 宮崎県都城市出身。その後1962年から高校卒業までを長崎県長崎市で育つ。 東京芸術大学彫刻科卒業。 1994年、広島県広島市への転居を機に、文化教室「アトリエぱお造形教育研究所」を創立。代表に就任。現在は会員数650名、教室数15ヶ所になるまで成長した。創設のきっかけは、幼少期に通っていた絵画教室があまり楽しいものではなく、「自分自身が通いたくなるような理想の教室」を作りたかったためである。
重信 優(しげのぶ まさる、1960年 - 2021年1月2… 重信 優(しげのぶ まさる、1960年 - 2021年1月24日)は、宮崎県内を中心に活躍したローカルタレント、津軽三味線奏者。マー坊の愛称で視聴者から親しまれていた。津軽三味線全国協議会幹事。北諸県郡高城町(現:都城市)出身。 宮崎県のローカル番組、「UMKさんさんサタデー」で地元の「高城プロレス」が取材された時に初出演。その後、リポーターに抜擢されてレギュラー出演以降、ハイテンションで「おっとズッキン」等独自のギャグを交えながら諸県弁全開で喋るキャラで地元で人気者に。本職は、津軽三味線天地心弦流家元であり、孫弟子まで入れると、300人以上に上る。また、2006年10月にはニューヨークのカーネギー・ホール(米)でライブを開催。
島津 久友(しまづ ひさとも、1958年〈昭和33年〉9月2… 島津 久友(しまづ ひさとも、1958年〈昭和33年〉9月26日 - )は、宮崎県都城市出身の実業家。都城島津家第29代当主。 都城島津家第28代当主の島津久厚の二男として、かつての旧領の都城市で誕生する。小学校入学時に母と共に上京し、東京で育つ。学習院大学を卒業後は東京の農林中央金庫に就職。26年勤続した後に2007年に都城に帰郷し、久厚から島津茶園、島津山林の経営を引き継ぎ社長に就任する。 地元に帰郷後は家業のみならず、地元の宮崎銀行の社外取締役や、公職としては都城市教育委員、都城市社会福祉協議会会長などを歴任する。宮崎県公安委員会委員も務め、かつては久厚も務めていた県公安委員会委員長に就任している。
平井 一臣(ひらい かずおみ、1958年4月30日 - )は… 平井 一臣(ひらい かずおみ、1958年4月30日 - )は、日本の政治学者、鹿児島大学名誉教授。専攻は日本政治史、地域政治。博士(法学)。 宮崎県都城市生まれ。北海道虻田郡倶知安町で少年時代を過ごす。1977年3月熊本県立済々黌高等学校卒業。1982年3月九州大学法学部卒業。1984年3月九州大学大学院法学研究科博士前期課程修了し、法学修士の学位を取得。1987年3月九州大学法学研究科後期博士課程単位取得退学、同年4月より九州大学法学部助手。1989年4月鹿児島大学教養部講師、翌1990年4月より助教授。教養部の廃止にともない1997年4月より鹿児島大学法文学部経済情報学科助教授、2001年10月教授に昇任。
東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年… 東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年〉9月16日 - )は、日本の政治家、コメンテーター、タレント、作家。1980年代から1990年代にかけてビートたけしの一番弟子およびたけし軍団の一員としてそのまんま東名義でお笑いタレントとして活動。 2006年に政治家に転身し、2007年から2011年まで宮崎県知事(公選第17代)、2012年から2013年まで日本維新の会の衆議院議員(1期)を歴任した。 宮崎県都城市出身。都城市立東小学校、都城市立妻ケ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、専修大学経済学部経済学科卒業。 専修大学卒業後の1980年、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て(初回出演が水曜日だったため、火曜レギュラーだったたけしと会うには4日勝ち抜かなければならなかった)、1981年1月に付き人となる。
時任 宣博(ときとう のりひろ、1957年 - )は、日本の… 時任 宣博(ときとう のりひろ、1957年 - )は、日本の化学者。 京都大学学際融合教育研究推進センター 特定教授 (副学長、学際融合教育研究センター長、名誉教授)。 専門は有機元素化学、有機合成化学、構造有機化学、物理有機化学、生物有機化学。宮崎県都城市出身。
緒方 良信(おがた よしん、Yoshin Ogata、194… 緒方 良信(おがた よしん、Yoshin Ogata、1948年11月18日 - )は、宮崎県都城市出身の彫刻家、現代美術家である。 1971年からイタリアに在住。詩人の湾と呼ばれるレーリチで制作を続けている。 一滴の滴は流れとなり、成長して洋々たる海の如き形態となり、蒸発し蒸気は水滴となり水に戻る、水の循環を生命の循環にたとえ、輪廻をテーマに主に大理石、ブロンズ、木などを使って彫刻制作をしている。 水博物館にて2人展 リスボンのイタリア大使館 イタリア文化会館後援 (ポルトガル)
江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は… 江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は、日本の実業家。霧島酒造株式会社代表取締役社長。 1946年、宮崎県都城市生まれ。1970年、立教大学経済学部卒業。1971年、霧島酒造入社。営業畑を歩き、1977年取締役企画室長、1993年専務。 1996年、父で先代社長の江夏順吉の死去に伴い社長に就任。
南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は… 南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は、日本の経営者。日東紡社長。日本紡績協会会長。宮崎県都城市出身。
やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、19… やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、1941年6月19日 - )は、日本の漫画原作者。代表作は画:北見けんいちにより『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて連載されている『釣りバカ日誌』。 宮崎県都城市に7人きょうだいの3男として生まれる。実家は学校教材等を取り扱う大規模な文具店の山崎文科堂で、『釣りバカ日誌』にてハマちゃんの実家「浜崎文科堂」として登場したが、2013年12月18日に火災被害に遭い全焼している。 中学時代は野球部で投手を務めて宮崎県大会で優勝し、野球の才能を見込まれて宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学、1年生のときには補欠で甲子園に出場した。しかし、2年生で腰を痛めて野球を挫折し、加えて肺浸潤で2か月の入院生活をした後に映画を観るようになる。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
藤元 登四郎(ふじもととしろう、1941年-)は、日本の小説… 藤元 登四郎(ふじもととしろう、1941年-)は、日本の小説家、医師。 宮崎県都城市出身。東京大学医学部卒業。医学博士(東京大学)。社団法人八日会 元理事長。一般社団法人藤元メディカルシステム 元理事長。日本SF作家クラブ会員。 2008年「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と精神病理学」で第四回日本SF評論賞候補。2009年「スキャナー・ダークリーと多重人格」で第五回日本SF評論賞候補。2010年「『高い城の男』――ウクロニーと「易経」」で日本SF評論賞選考委員特別賞受賞。 2021年「祇園『よし屋』の女医者」(小学館文庫)で作家としてデビュー。同作により、2022年啓文堂書店時代小説文庫大賞を受賞。
藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、… 藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、日本の官僚。過去に、日本道路公団総裁・副総裁、建設事務次官、駐車場整備推進機構理事長を歴任。
吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 20… 吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 2000年8月16日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1953年に国営競馬(翌年より日本中央競馬会)で騎手デビューし、1974年まで騎乗。1978年より調教師として開業し、1989年には管理馬サンドピアリスでエリザベス女王杯を制した。2000年に在職のまま死去。 宮崎県北諸県郡高城町出身。農業を営んだ実家では農耕馬を飼養していたが吉永はこれに触れたことさえなく、中学校卒業後には船員として就職が決まっていた。しかし当時身長132cmと非常に小柄で、従兄に騎手をしていた吉永猛がいたこともあり、競馬会の職員を兄にもつ担任教師から騎手になることを勧められる。
二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は… 二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は、宮崎県都城市出身の元調教師(栗東所属)・元騎手。 妻は師匠である布施文蔵元調教師の次女であり、布施正とは義兄弟の間柄に当たる。 1953年に布施文蔵厩舎から騎手としてデビューし、1219戦60勝(中央以降)をマークし、1965年引退。 引退後の1965年に調教師免許を取得して厩舎を開業し、1968年にクモムラサキでアラブ大賞典(秋)を制して重賞初制覇。1978年にアグネスホープが東京優駿(日本ダービー)2着に入り、1980年にはアラナス産駒のノースガストで菊花賞を制し、クラシック初制覇を達成。1981年にはフォルティノ産駒のテキサスワイポンで中山大障害(秋)を制覇し、1988年から1990年にかけてはウエスタンウインド産駒のシンウインドが短距離戦線で活躍。
瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - … 瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - 1978年10月19日)は、日本の法学者。専門は、行政法・公法学。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1972年)(学位論文「明治憲法における予算制度」)。元八幡大学教授。宮崎県都城市出身。子息に大阪大学大学院法学研究科教授瀬戸山晃一がいる。 宇賀田順三、森三十郎、和田英夫らに師事した。存命中に32の研究論文を発表した(法学セミナー1973判例憲法等)。また福岡大学法学部、鹿児島大学法文学部の非常勤講師も勤めた。明治憲法における研究では、予算制度の研究の他、租税法律主義、予算の効力、現憲法下における思想の残存とその検討、ドイツ予算制度の導入とその矛盾、等多角的また比較論的にも考察し当時の学会に於いて一定の評価を得た。
持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 201… 持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日… 吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日本の競馬騎手、調教師。 1943年に日本競馬会(のち国営競馬、日本中央競馬会)で騎手デビュー。兵役を経て1947年より復帰し、1965年までに重賞3勝を含む通算276勝を挙げた。騎手引退後は調教師に転身し、1992年の阪神3歳牝馬ステークスを制したスエヒロジョウオーらを手がけた。1999年に定年引退。調教師通算成績は7493戦670勝、うちGI競走1勝を含む重賞13勝。 同じく中央競馬騎手・調教師であった吉永忍は従弟。自身の門下生であった川村禎彦は娘婿。 宮崎県北諸県郡高城町出身。近郊の三股町には競馬場があり、農家であった父と叔父は飼養する馬をそこで走らせていた。
杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月2… 杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月20日 - 平成29年(2017年)11月21日)は、囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。主な実績はタイトル獲得2回(日本棋院早碁名人戦優勝、囲碁選手権戦優勝)、本因坊挑戦2回など。常に囲碁一筋であることから「囲碁の神様」と呼ばれた。夫人は杉内寿子九段。 昭和12年(1937年)に入段してから平成29年(2017年)に死去するまでの現役棋士生活は80年を超え、97歳の最年長現役棋士(当時)として最終対局を打ったのは死去の19日前であった。90歳を超えても打ち分けに近い年間成績を維持し、死去した2017年にも2勝を挙げるなど、その実力は最後まで健在であった。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
島津 久厚(しまづ ひさあつ、大正7年(1918年)10月8… 島津 久厚(しまづ ひさあつ、大正7年(1918年)10月8日 - 平成26年(2014年)8月2日)は、日本の実業家。第23代学習院院長、丸十産業社長、島津茶園会長、島津山林会長。都城島津氏28代当主。宮崎県都城市出身。位階は正五位。 戦前における爵位は男爵。その他、栄典として紺綬褒章、藍綬褒章、旭日重光章受章。宮崎県公安委員会委員長、日本赤十字社理事などの公職を歴任した。宗派は神道 始祖・資忠は島津氏4代当主忠宗の六男にあたる。代々日向都城3万9千6百余石を領する。明治24年(1891年)12月、特旨を以って華族に列し男爵を授けられた。 男爵島津久家の長男として生まれる。学習院高等科、東京帝国大学農学部卒業。
土持 則正(つちもち のりまさ、1916年 - 1994年1… 土持 則正(つちもち のりまさ、1916年 - 1994年12月13日)は、日本の陸軍軍人、スパイ、陸上自衛官。 太平洋戦争においてF機関工作員としてタイに潜伏、インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市の指揮でマレー作戦、ビルマ作戦に従事。 1916年、宮崎県都城市出身。陸士49期。1937年、歩兵第四十五聯隊第一中隊所属、小隊長見習士官。日中戦争に少尉として従軍、正定城攻略戦では日本刀を手に白兵戦を敢行する。機関銃や迫撃砲攻撃の最中、手榴弾を投げる敵に太刀をふるった(証言者の福田清造伍長も銃剣で二人倒す程であった)。固安城の攻撃では第九十一師五百四十五団の敵歩兵2,200人を相手に突撃した。
有田 正憲(ありた まさのり、1912年 - 没年不明)は、… 有田 正憲(ありた まさのり、1912年 - 没年不明)は、宮崎県都城市出身の右翼、特殊株主、政治運動家(笹川良一秘書)、天理教布教師。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂元 彦太郎(さかもと ひこたろう、1904年1月25日 -… 坂元 彦太郎(さかもと ひこたろう、1904年1月25日 - 1995年2月4日)は、日本の教育・保育学者。岡山大学名誉教授。 宮崎県都城市生まれ。1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、姫路師範学校教諭、1943年岡山師範学校女子部長、1945年11月大阪第一師範学校女子部長、文部省初等教育課長、1949-51年岡山師範学校校長、岡山大学教育学部長(-56年)・教授、1958年名誉教授、お茶の水女子大学教授、59年お茶の水女子大学附属幼稚園長、1969年青山学院大学教授、洗足学園大学教授、1974年十文字学園女子短期大学学長。1984-94年旭出学園 (特別支援学校) 校長。 1959年NHK放送文化賞受賞。
富松 良夫(とみまつ よしお、1903年3月 - 1954年… 富松 良夫(とみまつ よしお、1903年3月 - 1954年11月)は、日本の詩人、作詞家、文芸評論家。 教育家富松柏の長男として宮崎県都城市姫城町に生まれる。母方の親戚に有馬馨がいる。 6歳のとき脊髄カリエスにかかり身体障害者となる。翌年には生母を亡くし、伯母に背負われて小学校に通った。1917年に高等小学校を卒業、1919年にキリスト教の洗礼を受ける。1925年に文芸誌「盆地」を刊行し、1929年に詩誌「白」を主宰。いずれもガリ版刷りであった。1930年に友人坂元彦太郎の助力により第一詩集『寂しき候鳥』を出版。1938年、黒木清次らと「竜舌蘭」を創刊。 独学で美術論、音楽論、宗教論を書き、またフランス語を学び訳詩もした。
稲田 安良(いなだ やすよし、1901年〈明治34年〉4月2… 稲田 安良(いなだ やすよし、1901年〈明治34年〉4月27日 - 1981年〈昭和56年〉11月26日)は、陸軍歩兵(大佐)。正五位、勲四等。 1901年(明治34年)4月27日、北諸県郡山之口(現都城市)において稲田安彦の長男として生まれる。父・稲田安彦は元陸軍中尉であり、都城中学校の兵式体操の教官を務めていたこともある。1916年(大正5年)9月、都城中学校の第2学年から広島陸軍地方幼年学校に入校し、同校を経て、同年12月7日に陸軍士官学校本科を卒業(陸士第35期生)した。同年10月、陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第64連隊附となる。 1925年(大正14年)5月、歩兵第13連隊附に補せられる。
田鍋 友時(たなべ ともじ、1895年〈明治28年〉9月18… 田鍋 友時(たなべ ともじ、1895年〈明治28年〉9月18日 - 2009年〈平成21年〉6月19日)は、かつて男性長寿世界一であった宮崎県の男性。エミリアーノ・メルカド・デル・トロの死去以来、世界最高齢男性となり、ギネスブックに認定された。 宮崎県都城市生まれ。両親は薩摩島津氏の出身でいとこ同士であったが、同人が幼少の時期に離婚している。 18歳の時に大阪の専門学校へ入学し測量を学んだ後、同地の貿易会社に4年勤務した。その後帰郷して都城市役所に5年ほど勤務した後は農業を営んでいた。亡くなった時点で子供が8人(5男3女)、孫が25人、曾孫が53人、玄孫が7人おり、晩年は五男夫婦と3人で暮らしていた。
藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11… 藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11日 - 1963年〈昭和38年〉9月19日)は、日本の道路技術者、内務官僚、政治家。 宮崎県都城市生まれ。1914年(大正3年)、東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。同年、兵庫県技師となった。1917年(大正6年)、明治神宮造営局技師に転任した。折下吉延とともに、明治神宮外苑の銀杏並木道路を手がける。1922年(大正11年)、東京帝国大学講師となり道路工学や都市計画施工法を担当した。1924年(大正13年)には内務省土木試験所の内務技師も兼任するようになる。1931年(昭和6年)に日本大学工学部講師となった。1932年(昭和7年)に工学博士を取得した。
山内 多門(やまうち たもん、1878年(明治11年)4月2… 山内 多門(やまうち たもん、1878年(明治11年)4月29日 - 1932年(昭和7年)5月30日)は、日本の明治から昭和にかけて活動した日本画家。多門は本名で、字を子弘、初号を都洲、他に空容子、起雲閣、蜀江山房、自足園主人、書禅堂など。 宮崎県都城市倉之馬場通東に、都城島津家家臣の山内勝麿の子として生まれる。16歳で郷里で狩野派の中原南渓に学ぶ。1899年(明治32年)に上京、同郷の造船技師で経営者だった須田利信の家に寄寓しながら、川合玉堂に入門、雅号都洲を授かる。翌1900年(明治33年)橋本雅邦に師事し、前期日本美術院に参加、同年第8回日本美術協会第三回日本美術協会連合絵画共進会「三顧草盧」という歴史画で初入選。
佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7… 佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7月1日 - 1952年(昭和27年)6月27日)は、日本の僧、政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)で生まれた。京都本願寺文学寮本科で学ぶ。語学研究及び状況視察のため、シンガポール、オランダ領東インド、パリに留学する。帰国後、本願寺派摂護寺で布教活動に従事する。都城天竜幼稚園、日州学院を創立する。摂護寺住職、本願寺派本願寺執行所に出仕し、本願寺台湾別院輪番兼台湾開教教所賛事を経て、本願寺アメリカ合衆国開教総長となる。帰国後、内務省道府県感化院教諭となる。その後、宮崎県慎修学校(現・宮崎県立みやざき学園)校長に就任する。