恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月2… 恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月21日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、スポーツ科学者。学位は修士。お笑いコンビホンジャマカのツッコミ担当。相方は石塚英彦。愛称は、恵(めぐ)ちゃん。 鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。 鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立甲南高等学校卒業。3年間の浪人を経て、東放学園専門学校に就職。 1986年(昭和61年)、当時渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY()」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年(昭和63年)6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。
平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士… 平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士・民法学者。明治大学教授。 鹿児島市生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業、1985年東京大学経済学部卒業、1987年司法試験合格。1990年弁護士登録。 1996年ベルギー、ルーヴァン・カトリック大学留学、2004年明治大学法科大学院専任教授となる(民法担当)。 2012年日比谷南法律事務所を設立。
有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行… 有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行政学者。宮崎公立大学第8代学長・名誉教授。専門は行政学、地方自治論。博士(学術)。日本地方自治研究学会常任理事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校での部活動は化学部。1975年4月明治大学経営学部経営学科入学、1979年3月に卒業し、商業の高校教員免許を取得。1980年12月鹿児島県庁(鹿児島県上級行政職)に入職し、以降23年間勤務。県庁では高齢者福祉、過疎対策などを担当。その間に、自治省(現・総務省)財政局での「地方財政白書」の執筆や、鹿児島県大口市役所(現・伊佐市)での勤務を経験する。1996年4月鹿児島大学大学院法学研究科法学専攻へ入学して1998年3月修了し、修士(法学)の学位を授与される。
石田 潤一郎(いしだ じゅんいちろう、1952年10月26日… 石田 潤一郎(いしだ じゅんいちろう、1952年10月26日 - )は、日本の建築史学者。武庫川女子大学教授。京都工芸繊維大学名誉教授。専門分野は日本近代建築史・都市史。 鹿児島市出身。ラ・サール高等学校卒業。1976年京都大学工学部建築学科卒業。1981年同大学院博士課程満期退学、京都大学工学部助手。1987年「近代日本の府県庁舎に関する建築史的研究」で工学博士の学位を取得。1995年滋賀県立大学助教授、2001年 - 2018年京都工芸繊維大学教授、2021年武庫川女子大学教授。2000年に建築史学会賞、2003年に日本建築学会賞を受賞。
畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は… 畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は、日本の家族社会学者。大阪市立大学名誉教授、博士(学術)。専門は、家族社会学・臨床社会学・家族福祉学。 鹿児島市生まれ。1969年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1973年、鹿児島大学教育学部卒業。1975年、立教大学大学院社会学研究科応用社会学修士課程修了(社会学修士)。1980年、筑波大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。沖縄キリスト教短期大学講師、中国短期大学幼児教育科助教授、大阪市立大学生活科学部助教授を経て、大阪市立大学生活科学部・大学院生活科学研究科教授。1999年3月に大阪市立大学より博士(学術)の学位を取得。
岩切 信一郎(いわきり しんいちろう、1950年10月10日… 岩切 信一郎(いわきり しんいちろう、1950年10月10日 - )は、日本の美術史学者、新渡戸文化短期大学教授。出版文化・明治版画史専攻。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1975年國學院大學大学院神道学科修士課程修了。2010年『明治版画史』で芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日… 湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日本史学者、静岡大学名誉教授、博士(文学)。専門は日本中世の宗教・文化と国家・地域社会の関係についての研究。東海地方・静岡県における古代・中世の交通史についても研究した。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1968年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1972年静岡大学人文学部人文学科卒業。鹿児島県立出水工業高等学校教諭、1974年退職[要出典]。九州大学大学院文学研究科史学専攻修士課程を修了し、文学修士の学位を取得。1977年九州大学大学院文学研究科史学専攻博士課程を中退し、静岡大学人文学部助手に就く。後に静岡大学人文学部助教授就任。1995年「日本中世の仏教徒文化」で九州大学より博士(文学)を授与される。
射場本 忠彦(いばもと ただひこ、1947年12月15日 -… 射場本 忠彦(いばもと ただひこ、1947年12月15日 - ) は、日本の工学者。専門は、建築環境工学・建築設備。第10代東京電機大学学長。第82期空気調和・衛生工学会会長。元国際エネルギー機関蓄熱実施協定執行委員会日本代表。 鹿児島県鹿児島市生まれ。父は射場本勘市郎北海道大学名誉教授。1972年北海道大学工学部衛生工学科卒業。1977年東京大学大学院工学系研究科建築学専門課程博士課程修了、工学博士。専門は建築環境工学、建築設備。研究生を経て指導教官の勧めで、1979年東京電力入社。1980年東京電力技術開発研究所入所。 1984年東京電機大学工学部建築学科講師。1986年東京電機大学工学部建築学科助教授。
壽福 眞美(じゅふく まさみ、1947年1月20日 - )は… 壽福 眞美(じゅふく まさみ、1947年1月20日 - )は、日本の社会学者。法政大学社会学部名誉教授。専門はドイツ社会思想、環境倫理、エコロジー、フェミニズム、社会哲学。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒、1971年一橋大学法学部卒、1976年一橋大学大学院社会学研究科ドイツ社会思想史博士後期課程単位取得満期退学、法政大学社会学部助手、1977年専任講師、1979年助教授、86年教授、2015年法政大学サスティナブル研究所副所長。2017年名誉教授。 1980-1981年西ドイツ・エアランゲン大学、1983年ベルリン大学、ハンガリー歴史研究所留学。
池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月… 池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月21日 - )は日本の医師、医学者。専門は周産期医学。宮崎大学名誉教授で、2015年10月から同大学学長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1964年長崎県立長崎東高等学校卒業。1970年鹿児島大学医学部を卒業。1972年鹿児島市立病院に産婦人科医員として勤務。その後南カリフォルニア大学産婦人科とカリフォルニア大学アーバイン校産婦人科に留学する。1982年に医学博士号を取得(日本大学)。1990年に鹿児島市立病院産婦人科部長となる。1991年宮崎医科大学産婦人科教授。2003年宮崎医科大学の宮崎大学への統合に伴い宮崎大学医学部附属病院副病院長。
村野 健太郎(むらの けんたろう、1946年 - )は、日本… 村野 健太郎(むらの けんたろう、1946年 - )は、日本の環境学者、理学博士。法政大学生命科学部環境応用化学科元教授。酸性雨や大気汚染などを専門とする。鹿児島県鹿児島市出身。
井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月… 井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月5日 - )は、日本のロボット工学者。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授、工学博士。鹿児島県鹿児島市出身。 1969年に計算機で制御される双動性を備えたマニピュレータの開発に世界で初めて成功、クランクの回転・ピンを穴に抜き差し・直接教示など、触覚と力覚を使う重要な動作機能を実現した。1970年電子技術総合研究所の知能ロボットプロジェクトに加わり、ハンドアイシステムで視覚フィードバックによる組み合わせ作業を実現、客員研究員で訪れたMITにおいてロボットによる千分の一インチのはめあい作業を実現する。 1978年東京大学助教授に着任し情報システム工学(JSK)研究室を開設、1984年教授。
有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本… 有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本の情報科学者、第22代九州大学総長。第8代放送大学学園理事長。 鹿児島市出身。1960年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒、1964年九州大学理学部数学科卒、1966年九州大学大学院理学研究科修士課程修了、九州大学理学部助手。1969年九州大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は 「Elementary formal systems and formal languages-simple formal systems(基本形式的体系と形式的言語-単純形式的体系)」。 京都大学数理解析研究所助手を経て、1970年九州大学理学部附属基礎情報学研究施設講師、1973年助教授、1985年教授、1996年九州大学システム情報科学研究院教授、九州大学評議員、1998年附属図書館長、2002年副学長、2005年定年となり特任教授、附属図書館長、2006年国立情報学研究所客員教授、2008年4月から2014年3月まで九州大学総長。
村松 喬(むらまつ たかし、1941年2月16日 - )は、… 村松 喬(むらまつ たかし、1941年2月16日 - )は、日本の生化学者・細胞生物学者である。 鹿児島市生まれ、名古屋市出身。糖タンパク質とミッドカイン(英語版)について研究し、顕著な成果を上げた。 若い研究者の時は、糖タンパク質の糖鎖を大きく切り出すエンドグリコシダーゼ(英語版)が存在することを発見した。このとき見出された酵素(Endo-D)は免疫グロブリンに結合する糖鎖の機能を明らかにするのに役立った。Endo-Dなどのエンドグリコシダーゼはアスパラギンに結合した糖鎖の生合成機構解明でも重要な役割を果たした。つづいて多分化能を持つEC細胞(ES細胞の原型)に、糖タンパク質結合性の巨大な糖鎖を発見した。
寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は… 寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は、日本の神学者、九州大学名誉教授、日本バプテスト福岡城西キリスト教会協力牧師。 鹿児島県鹿児島市生まれ。ラ・サール高等学校在学中に受洗。西南学院大学神学部卒、九州大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程満期退学。ボン大学大学院博士課程修了。1972年九州大学助手、75年教養部助教授、85年教授、94年大学院比較社会文化研究科教授、98年定年退官、名誉教授、西南学院大学神学部教授。西南学院院長、2010年退職。2012年西南学院理事長を退職。
諸熊 奎治(もろくま けいじ、1934年(昭和9年)7月12… 諸熊 奎治(もろくま けいじ、1934年(昭和9年)7月12日 - )は、日本の理論化学者、日本学士院会員。鹿児島県鹿児島市出身。男性。
山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013… 山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013年11月17日)は、日本の政治学者。専門は、政治学、とくに戦間期ドイツを中心としたヨーロッパ政治史。大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授。
海老原 遙(えびはら はるか、男性、1933年6月10日 -… 海老原 遙(えびはら はるか、男性、1933年6月10日 - 2018年8月9日)は、日本の教育学者、熊本大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。東京大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学。ロンドン大学客員研究員、鹿児島県立短期大学助教授、熊本大学教養部教授、1992年「教育と労働の結合にかんする思想史的考察-クループスカヤ「国民教育と民主主義」の読解試論」で東大教育学博士、1994年「帝制ロシアにおける教育政策の歴史的展開-ピョートル一世からアレクサンドル一世まで」で立正大学文学博士、1997年定年、名誉教授。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。
木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 201… 木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 2014年)は、日本のジャーナリスト、環境学者。千葉大学名誉教授 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1950年第七高等学校文科卒業。1953年東京大学法学部卒。朝日新聞社に入り、盛岡支局勤務から始め、小繋事件を取材、のち公害キャンペーンと環境問題を担当、編集委員をへて、1981年千葉大学教養部教授となる。1996年定年退官、江戸川大学教授。環境庁の自然環境保全審議会委員、ナショナル・トラストを進める全国の会幹事長。
金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 20… 金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 2009年2月14日)は、日本の水産学者。専門は水産化学、水族栄養化学。鹿児島大学名誉教授、日本水産学会名誉会員、学位農学博士。 鹿児島県鹿児島市出身。1951年(昭和26年)3月旧制鹿児島水産専門学校(鹿児島大学水産学部の前身)水産製造科卒業。1952年(昭和27年)6月新制鹿児島大学水産学部助手に着任。論文「海藻のビタミンB群に関する研究」により、1962年(昭和37年)3月31日九州大学から農学博士の学位を授与される。1964年(昭和39年)5月、「藻類の成長を促進し品質を向上せしめる方法、海苔の養殖剤の製造法」に対して昭和39年度全国発明表彰発明協会会長賞を授与される。
諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 202… 諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 2020年3月15日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学・地質学。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」)。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学名誉教授。日本アフリカ学会元会長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)、第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1951年東京大学理学部地質学科卒業。 1962年、学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」で、名古屋大学より理学博士の学位を取得。 その後、名古屋大学理学部地球科学教室教授、名古屋大学理学部学部長、日本福祉大学情報社会科学部学部長、日本福祉大学学長を歴任。
大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
光吉 健次(みつよし けんじ、1925年3月15日 - 20… 光吉 健次(みつよし けんじ、1925年3月15日 - 2000年3月8日)は、日本の建築家、都市計画学者。九州大学名誉教授。工学博士。社団法人日本都市計画学会九州支部初代支部長、財団法人福岡都市科学研究所初代理事長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。「地方都市の計画と設計における基本的考察」により工学博士の学位を取得(東京大学、1971年2月18日)。 九州大学工学部建築学科の創設期に、九州大学での講義を兼務していた丹下健三(東京大学助教授、当時)の後を受けて助教授として赴任し、定年退官まで同学科の発展に寄与した。 丹下研究室時代には、倉吉市庁舎(1956年、鳥取県倉吉市)の設計等を担当した。九州大学では、建築学教室、九州大学五十周年記念講堂、工学部七十五周年記念庭園等を設計し、キャンパスの整備に貢献するとともに、九州各地において数多くの学校建築、商業建築、公共建築等を手がけた。
有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 20… 有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者。医学博士。チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが、有村博士は、そのうちの1人。その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。
森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 201… 高良 和武(こうら かずたけ、1921年2月9日 - 2019年1月30日)は、放射光科学を専門とする日本の物理学者。鹿児島市出身。東京大学及び高エネルギー加速器研究機構名誉教授。動力学X線回折理論の研究により、放射光科学と結晶学の発展に貢献した。また後年は、産学連携や高等教育におけるインターンシップ制度の推進にも尽力した。 フォトン・ファクトリー施設長、日本結晶学会会長、日本放射光学会会長、学校法人筑波研究学園理事長、総合科学研究機構理事長、日本インターンシップ学会会長を歴任した。 高良大社の宮司の家に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館、九州帝国大学理学部物理学科卒業。
西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2… 西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2017年6月12日)は、日本の文芸学者、児童文学研究者、ロシア文学翻訳家。 鹿児島市生まれ。幼くして両親に死なれ孤児として育つ。上京後、土方などをして苦学、東京帝国大学理学部応用物理学科に学ぶ。 第四航空師団に召集され朝鮮平壌航空隊に配属。敗戦時、ソ連の捕虜となり、のちモスクワ東洋大学日本学部講師として日本文化・文学を教え、1949年帰国。 ロシア児童文学の翻訳を多数行い、のち文学教育を中心として多数の翻訳、創作、論考、著書を著した。文芸教育研究協議会(文芸研)の理論的支柱であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
久保田 尚志(くぼた たかし、1909年11月8日 - 20… 久保田 尚志(くぼた たかし、1909年11月8日 - 2004年1月1日)は、日本の化学者。理学博士。大阪市立大学名誉教授。有機化学の権威。日本化学会名誉会員。 鹿児島県鹿児島市出身。鷹師町で生まれて1914年に市内の上竜尾町に転居し、鹿児島市立大龍小学校を出る。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類を1929年に卒業。東北帝国大学理学部化学科で真島利行に師事して1932年に卒業し、東北大の助手となって藤瀬新一郎の下で研究に従事。1936年に大阪帝国大学理学部小竹無二雄研究室の助手に転じて、1939年に大阪大学助教授。同年「白茶に含まれるフラパノール、アンペロプチンの構造研究」で理学博士。
平野 春逸(ひらの しゅんいつ、1909年10月1日-199… 平野 春逸(ひらの しゅんいつ、1909年10月1日-1992年8月23日)は、日本の医学者。医学博士。専門は生理学、解剖生理学。福岡大学名誉教授。クラシック音楽レコードの愛好収集する音楽評論家でもあり、また、ツバキの愛好収集家としても知られた。 鹿児島市出身で医師の長男。鹿児島女子師範学校附属小学校から旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入学し、1927年卒業。県立鹿児島病院研究補助員を務めた後、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)に入学。九州医学専門学校を1933年に卒業して、一度鹿児島へ戻り県立鹿児島病院の医員を翌年まで務める。1934年には九州医学専門学校内科に入局して、1936年には放射線科へ転じ、1937年に医局長となる。
沢田 慶輔(さわだ けいすけ、1909年2月18日 - 19… 沢田 慶輔(さわだ けいすけ、1909年2月18日 - 1995年2月1日)は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。生徒指導や学生相談の研究と普及に尽力した。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1928年第七高等学校造士館 (旧制)卒業、1931年東京帝国大学文学部心理学科卒業。 1933年から1939年、岩波書店嘱託として『教育学辞典』(全5巻)の編集にあたる。1938年から東京府大泉師範学校・東京第三師範学校に勤務。学制改革により、1949年東京学芸大学教授。 1950年東京大学教育学部助教授に転任し、1952年東京大学教育学部教授に昇任。東京大学学生相談所初代所長も務めた。
竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 … 竹之下 休蔵(たけのした きゅうぞう、1909年1月30日 - 1988年3月20日)は、日本の体育学者。東京教育大学(現筑波大学)名誉教授。体育社会学を研究した。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1932年に東京高等師範学校体育科を卒業した後、1936年に東京文理科大学教育学科を卒業(東京高等師範、東京文理科大ともに東京教育大学の前身)。1937年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)助教授に就任し、その後、神戸商業大学(現神戸大学)予科教授、東京体育専門学校(東京教育大学体育学部の前身)教授を経て、1947年に文部省事務官となる。後に文部省大学学術局視学となり、1949年、学校体育指導要綱、学習指導要領体育編の作成で中心的な役割を果たす。
尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999… 尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999年5月16日)は、日本の国際政治学者、法学者、ソ連研究者。神戸大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市出身。1929年京都帝国大学法学部卒業。満州のハルピン学院や建国大学で教授を務める。終戦直前に現地召集され、戦後は5年間シベリア抑留された。 1951年より神戸大学法学部教授、1968年定年退官、名誉教授。同年より神戸学院大学法学部教授を務め、1974年から1980年までは学長も務めた。1989年退職。 1961年、「ソビエト外交史」で京都大学法学博士。1975年勲三等旭日中綬章受章。
島田 恭子(しまだ きょうこ)は、日本の精神保健学者(保健学… 島田 恭子(しまだ きょうこ)は、日本の精神保健学者(保健学博士)。専門は予防医学、ストレスマネジメント、対人関係。一般社団法人ココロバランス研究所の研究所長・代表理事。保健学博士(Ph.D.)、精神保健福祉士。 鹿児島県鹿児島市出身。志學館中等部・高等部卒業。国際基督教大学教養学部卒業。卒業後は株式会社アクセンチュア、株式会社アーンスト・アンド・ヤング等で人材開発業務に従事する。 企業での人材育成の経験から、人の心の健康の重要性を感じ、東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻に進学。公衆衛生学修士号(MPH)を取得後、博士課程に進学し、保健学博士号(Ph.D.)を取得。 学位取得後は、東洋大学社会学部社会心理学科教員等を経て、一般社団法人「ココロバランス研究所」を設立。