三好 十郎(みよし じゅうろう、1902年4月23日 - 1… 三好 十郎(みよし じゅうろう、1902年4月23日 - 1958年12月16日)は、昭和初期から終戦後の復興期にかけて活動した劇作家、詩人、小説家。 佐賀県佐賀市八戸町生まれ。戸籍上は父の兄の子で、旧姓は森。孤児として育つ。4歳で三好家の養子になり、12歳で両親と育ててくれた祖母を失う。旧制佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)を経て、早稲田大学英文科卒業。早稲田大学在学中の1924年(大正13年)に「早稲田文学」に詩「雨夜三曲」など五篇を発表してデビュー。サンジカリズムからマルクス主義に接近。壺井繁治らと左翼芸術同盟を結成し、ナップの下部組織プロット(日本プロレタリア劇場同盟)に属して、プロレタリア劇の作家として活動。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月1… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年〈明治35年〉4月1… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年〈明治35年〉4月11日 - 1983年〈昭和58年〉3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 昭和文壇に大きな影響を与えた文芸評論家であり、日本における本格的な近代批評の創始者とみなされている。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に影響を受ける。代表作に『無常といふ事』(1942年 - 1943年、1946年刊)、『ドストエフスキイの生活』(1935年 - 1937年)、『モオツァルト』(1946年)、『ゴッホの手紙』(1951年 - 1952年)などがあり、晩年には本居宣長などの学問大系を思索した『本居宣長』(1977年完成)でも高い評価を受けた。
久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 19… 久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 1957年10月6日)は、日本の小説家、演出家。北海道函館市出身。本名:阿部 正雄。推理小説、ユーモア小説、歴史・時代小説、現代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧的な文体で「多面体作家」「小説の魔術師」と呼ばれた。 北海道函館区に、父・小林善之助と母・鑑(戸籍上は「カン」) の長男として生まれる。母方は回漕業を営む家の次女 で草月流生花の師匠、父は番頭頭だった(後に離婚)。2歳の時に両親と離れて、回漕業を営む祖父阿部新之助に養育される。1916年春に函館区立寶小学校高等科を卒業して北海道庁立函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)に進学するも中退。
信田秀一(しだ ひでかず-しゅういち、1902年4月5日 -… 信田秀一(しだ ひでかず-しゅういち、1902年4月5日 - 1974年5月3日)は、児童文学作家。青森生まれ。1922年青森師範学校卒、小原圀芳の自由教育に参加、成城学園のイデア書院の編集部に勤務。小学館、誠文堂新光社、日本出版、二葉株式会社の児童出版の企画編集。1973年日本児童文芸家協会から児童文化功労者。別筆名・石上十地、斎藤久児。
川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(い… 川崎 大治(かわさき だいじ(たいじ)、本名:池田 政一(いけだ まさかず)、1902年3月29日 - 1980年8月8日)は、日本の児童文学作家。プロレタリア児童文学の運動にも関わった。また、紙芝居の制作にも携わり、第二次世界大戦後の民主主義教育の普及にも貢献した。 北海道札幌市生まれ、旭川市出身。幼少期は巖谷小波に関心をもち、図書館に通って巌谷の本を二百冊以上読んでいた。1919年に北海道庁立旭川中学校を卒業後に上京、巌谷小波のもとを訪ねて師事。早稲田第二高等学院を経て早稲田大学文学部英文学科卒業。在学中に大杉栄の全集を読んで影響を受け、早大童話会にも所属していた。また巌谷の翻訳業の下請けをして学費や生活費を稼いでいた。
冨澤 有爲男(とみさわ/とみざわ ういお、1902年3月29… 冨澤 有爲男(とみさわ/とみざわ ういお、1902年3月29日 - 1970年1月15日)は、日本の作家、画家。 大分県大分市生まれ。父・冨澤久蔵は中学校の英語教師をしており、転勤の都合により全国に移り住む。やがて幼年期より名古屋市で過ごす。旧制東海中学校卒業。東京美術学校に進学して絵画だけでなく文学についても学ぶが1年で中退し、漫画記者として新愛知新聞(現在の中日新聞)に入社する。 1921年より2年連続で帝展に入選し、1927年にはフランスへ1年間留学し絵画を学んだが、その側で作家としての活動も行い1925年に同人誌『鷲の巣』を創刊している。1930年に結婚し、東京市牛込区天神町(当時)へ移住すると、次第に作家としての活躍が認められるようになり、1936年8月に発表した『地中海』で翌1937年2月に芥川賞を受賞した。
里村 欣三(さとむら きんぞう、1902年3月13日 - 1… 里村 欣三(さとむら きんぞう、1902年3月13日 - 1945年2月23日)は、日本の小説家。 岡山県和気郡福河村(現在の備前市)生まれ。本名: 前川 二享(にきょう)。谷周平(昌武)ら新選組の谷三兄弟は母方の家系である。関西中学校中退。1922年、徴兵検査で甲種合格、岡山の歩兵第10連隊に入営したが脱走、水死を装って逃亡し、満洲を放浪する。 のち上京し『文藝戦線』に投稿、1924年に深川貧民窟のルポルタージュ『富川町から』を発表して注目される。1925年に中国での体験をもとにした小説「苦力頭の肖像」を発表し、プロレタリア文学の新進作家として認められる。この時代は、脱走兵であることを知られぬために、写真の公表を拒んでいた。
東野辺 薫(とうのべ かおる、1902年〈明治35年〉3月9… 東野辺 薫(とうのべ かおる、1902年〈明治35年〉3月9日 - 1962年〈昭和37年〉6月25日)は、日本の小説家・劇作家。本名、野辺 慎一。福島県在住者として、初めて芥川賞を受賞した。 福島県二本松出身。旧制安積中学校を経て、1923年早稲田大学高等師範部国漢文科卒業、長野県立大町中学校教諭となる。1925年福島県立安達中学校教諭、1930年、戯曲集『黎明を待つ人々』を自費出版、1940年福島県立会津中学校教諭、1941年、懸賞小説当選作「国土」が『サンデー毎日』に掲載される。1943年福島県立保原中学校教諭。1943年、「和紙」で芥川賞を受賞。 1948年福島県立福島女子高等学校教諭、1949年福島県立福島商業高等学校夜間部教諭を経て、1952年に教員を退職。
鶴田 知也(つるた ともや、1902年2月19日 - 198… 鶴田 知也(つるた ともや、1902年2月19日 - 1988年4月1日)は日本の小説家、農業指導者。小説『コシヤマイン記』で第3回芥川龍之介賞を受賞。 1902年(明治35年)2月19日、福岡県小倉市大阪町(現:北九州市小倉北区)でに高橋乕太郎、アサの三男として生まれる。実父乕太郎は植村正久門下のクリスチャンであり、リベラルな知識人として知られていた。兄弟に音楽家高橋信夫、画家の福田新生がいる。1909年(明治42年)、7歳の時に母アサの兄にあたる鶴田和彦、ミヨ夫妻の養子となり鶴田姓となる。鉄道技師であった養父和彦の転勤に伴い、小倉市、直方市、田川市、大分市の小学校を転々とし、最後に豊津尋常高等小学校で卒業した。
中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月2… 中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家・政治家。代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。 福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。
川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日… 川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日 - 1985年11月6日)は、日本の小説家。 神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身。神奈川県立小田原中学校中退。初めアナーキストの周辺で詩作をしていたが、その後、徳田秋声、宇野浩二に出会い、その系譜を継承する私小説作家となる。1935年に「余熱」で一度芥川賞候補になるも、長く不遇の時代が続き、実家の物置小屋を住処にして貧しい生活を続けた。1950年代に「抹香町」「鳳仙花」などの作品で、物置小屋で暮らしながら私娼街に通う初老の男と娼婦との触れ合いを哀感をもって描いて好評を博し、一時のブームとなる。晩年の1970年代に出版が盛んになり、1977年に菊池寛賞、1981年に芸術選奨文部大臣賞を受賞して文学的な評価も定まった。
楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 197… 楢崎 勤(ならさき つとむ、1901年11月7日 - 1978年12月1日)は、昭和期の日本の編集者、小説家。 山口県萩市生まれ。同志社大学中退。1925年新潮社に入社、『新潮』の名編集者として鳴らし、太平洋戦争末期の1944-45年には、言論活動や出版が困難な時期に編集長として舵を取った。その一方で新興芸術派の小説家としても活動、戦後まもなくは、太宰治の担当だったことで知られる。のち読売新聞記者に移籍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治3… 海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。 1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。
中谷 孝雄(なかたに たかお、1901年(明治34年)10月… 中谷 孝雄(なかたに たかお、1901年(明治34年)10月1日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の小説家。妻は小説家の平林英子。 三重県一志郡七栗村(現・津市)出身。三重県立第一中学校(現・三重県立津高等学校)卒業後、旧制第三高等学校に進学し、梶井基次郎、飯島正、浅野晃らと出会う。平林英子とは三高在学中に出会い、2人が既に同棲をしていた下宿へ友人であった梶井基次郎や大宅壮一が遊びに訪れた。 1924年(大正13年)に東京帝国大学文学部独文科に進み、一旦離れていた平林英子と10月から同棲を再開し結婚。翌1925年(大正14年)1月に、同校の梶井基次郎、外村茂らと同人誌『青空』を創刊した。
小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901年9月9日 - 1940… 小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901年9月9日 - 1940年11月20日)は、日本の詩人、小説家、漫画原作者、画家である。筆名に、小熊 愁吉(おぐま しゅうきち)、黒珊瑚(くろさんご)、旭 太郎(あさひ たろう)などがある。 1901年(明治34年)9月9日、北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業。養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した後、1922年より旭川新聞社で新聞記者となる。この頃から詩作を始め、1923年、旭川新聞に最初の詩作『奪われた魂』などが掲載される。この頃よりペンネームを小熊愁吉(おぐま しゅうきち)や黒珊瑚(くろ さんご)の筆名を使用し、作品や取材記事を書いた。
金井 喜一郎(かない きいちろう、1901年9月 - 196… 金井 喜一郎(かない きいちろう、1901年9月 - 1961年7月16日)は、日本の映画監督、映画プロデューサー、作画監督、撮影監督、アニメーション作家(英語版)であり、実業家である。出生名佐藤 喜一郎(さとう きいちろう)、養子縁組後本名金井 喜一郎、筆名金井 木一路(かない きいちろ)。 日本初のアニメーション作家のひとりである北山清太郎の助手からキャリアを始め、アニメーション映画の撮影・作画、独立後はドキュメンタリー映画の製作も行ったことで知られる。東京線画フィルム製作所、都商会、都映画社、「目黒スタジオ」として知られる東京録音現像をそれぞれ創立し、代表を務めた。 1901年(明治34年)9月、栃木県足利郡足利町(現在の同県足利市)に生まれる。
伊藤 公平(いとう こうへい、1901年7月28日 - 19… 伊藤 公平(いとう こうへい、1901年7月28日 - 1984年3月9日)は、日本の歌人、随筆家、小説家、教員。千葉県印旛郡八生村押畑生まれ。吉植庄亮に師事。千葉県歌人クラブでは創設以来、事務所代表を長年務めた。また、出身地である成田市をはじめ、各地で短歌教室を開き指導を続け、後進に大きな影響を与えたと評価される。 1901年、千葉県印旛郡八生村押畑(現・成田市押畑)に父総平、母よねの長男として生まれる。父の総平も歌人であった。少年時代より体が弱く、文学や絵画に親しむようになる。1919年、成田中学校(現・成田高等学校)を卒業して、國學院大學に進学。大学で佐佐木信綱、折口信夫、武田祐吉らの講義を受けて文学的素養を深めたが、同時期に絵画に傾倒し、川端画学校で油絵を学ぶ。
小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 19… 小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 1989年7月25日)は日本の作家。高知県長岡郡大篠村(現・南国市)篠原出身。出生名は池本 イト、結婚後は小山 イト。綿密な調査に基づき社会問題を扱った作品が多く、清純なヒューマニズムと社会性が特徴である。「執行猶予」で第23回直木三十五賞を受賞した。『読売新聞』紙上の人生相談「人生案内」回答者を務め、皇太子妃美智子に関する小説連載中止騒動に巻き込まれたことでも知られる。 福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業。在学中に歌人の橋田東聲の門下生となる。1920年(大正9年)、19歳で父親により結婚を強要されるが、相手を好きになれず、男性に対する反逆心を持ち始める。
菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-19… 菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、編集者、翻訳家。「芸術新潮」初代編集長。 宮崎県臼杵郡北方村(現在の延岡市) で生まれる。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国。 研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める。 新潮社では、1950年「芸術新潮」初代編集長となり、創刊から62号まで携わり、1955年退職。 晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している。
山田 順子(やまだ ゆきこ、1901年6月25日 - 196… 山田 順子(やまだ ゆきこ、1901年6月25日 - 1961年8月27日)は、日本の小説家。徳田秋聲、竹久夢二などの愛人として知られる。 本名ユキ。秋田県由利郡本荘町(現由利本荘市)に廻船問屋の長女として生まれる。山田家は明治維新以前は本荘藩に仕える士族だったが、明治期に炭の商いから成功して金貸しなども手がけ、父親の代に廻船業に転じた。気丈で美貌の祖母を慕っていたが、順子が7歳のころにその祖母が投身自殺し、精神的に多大な影響を受ける。 秋田県立秋田高等女学校(現秋田県立秋田北高等学校)を卒業し、1920年に19歳で東京帝国大学出の弁護士増川才吉と結婚して小樽に住む。長女出産後、病で片方の乳房を失う。
風間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1… 風間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1988年8月25日)は、日本の平和運動家、伝記作家。 東京出身。暁星中学、第一高等学校、1928年東京帝国大学法学部法律学科卒業。太陽生命保険株式会社、谷村製鉄鉄工所、東京商工会議所、大政翼賛会、長野県鉄商工経済会などで勤めた。戦時中は大政翼賛会文化部副部長を務めるが、ほどなく退き農村生活を送る。戦後は、世界画報社や志摩書房の編集者、日本学園高等学校教諭などを歴任した。 大学で尾崎秀実と親しく、1946年尾崎の『愛情はふる星のごとく』を出版。新日本文学会に属し、平和運動家として活動しつつ、伝記などを書いた。
宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 19… 宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 1982年12月17日)は、日本の教育評論家、児童文学作家。男性。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、慶應義塾大学文学部心理学科卒。同幼稚舎教師を経て、戦後は小原國芳の湘南学園設立に参加し初代園長、杉野女子大学短期大学部教授。 自ら児童読物を多く書いたほか、教育指南書を著し、旧文部省の「幼稚園指導要綱」作成委員なども歴任した。 子に演劇評論家・「朝日ジャーナル」編集長の宮下展夫、ドイツ文学者・慶應義塾大学名誉教授の宮下啓三。
新垣 美登子(あらかき みとこ、1901年〈明治34年〉5月… 新垣 美登子(あらかき みとこ、1901年〈明治34年〉5月6日 - 1996年〈平成8年〉12月9日)は、日本の作家、美容師。 作家としての代表作は、処女作の『花園地獄』、『黄色い百合』など。甥はレーザー医学の第一人者とされる医師の大城俊夫。 沖縄県那覇区上之蔵で誕生した。小学校4年生の頃から文学を愛好した。沖縄県立高等女学校に入学後、昼間は県立図書館に入り浸りとなり、当時の県立図書館の館長を務めていた伊波普猷との出会いがあった。大正デモクラシーの最中の女学生には、読書好きが多かったが、特に美登子はその筆頭といえ、女学校2年のとき『チャタレイ夫人の恋人』を読み、大人を真似てフランスやイギリス文学にも手を伸ばしていた。
桜田 佐(さくらだ たすく、1901年4月29日 - 196… 桜田 佐(さくらだ たすく、1901年4月29日 - 1960年12月20日)は、フランス文学者、翻訳家、児童文学作家。 東京生まれ。旧制暁星中学・旧制一高を経て、東京帝国大学仏文科卒。立教大学教授、法政大学教授。 アルフォンス・ドーデの作品などを翻訳、晩年は児童文学を自ら書いた。
龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1… 龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう、1901年4月27日 - 1992年6月3日)は茨城県出身の作家、サボテン研究家。龍膽寺雄とも表記。 千葉県印旛郡佐倉町(現在の佐倉市)味噌部屋生まれ。茨城県真壁郡下妻町(現在の下妻市)育ち。本名は橋詰雄(はしづめ ゆう)。父橋詰孝一郎は長塚節の親友で、雄の出生当時は千葉県立佐倉中学校の国語教師だった。母の兄の連れ合いは松原姓で、その実兄にジャーナリストの松原二十三階堂がいる。 生後まもなく、父の転任に伴って下妻に移住。1918年、茨城県立下妻中学校卒業。第二高等学校 (旧制)を受験したが失敗し、その翌年、水戸高等学校 (旧制)受験の途次、急性の結核性頸部淋巴腺腫に倒れて受験を断念し、東京の順天堂医院に入院。
勝野 金政(かつの きんまさ、1901年4月9日 - 198… 勝野 金政(かつの きんまさ、1901年4月9日 - 1984年1月13日)は、日本の作家・思想家である。パリ、モスクワに滞在中フランス共産党員、ソ連共産党員として活動し、大粛清に遭遇してラーゲリに収容されながら、日本への帰国を果たした。21世紀においては、大粛清に対する先駆的批判者として「日本のソルジェニーツィン」と紹介されることもある。 長野県木曽郡読書村(現南木曽町)に生まれる。島崎藤村とは旧知であり、若いころから文学に憧れた。1914年旧制愛知一中に入学。1919年早稲田大学に入学し、フランス文学、ロシア文学を専攻する。在学中の1924年(大正13年)、フランスに留学、パリ大学で学び、フランス共産党に入党した。
丸尾 長顕(まるお ちょうけん、1901年4月7日 - 19… 丸尾 長顕(まるお ちょうけん、1901年4月7日 - 1986年2月28日)は、作家、演出家。 大阪府生まれ。本名・一ノ木長顕(ながあき)。1918年(大正7年)、関西甲種商業学校(現・関西大学第一高等学校)を卒業後、1922年、旧制・関西学院高等部商科(現・関西学院大学)卒業。 1928年、「芦屋夫人」が「週刊朝日」の懸賞に入選、モダニスムの代表作といわれる。宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の文芸部に所属し、同歌劇団機関誌「歌劇」の編集長も務めた。1933年、新妻莞に誘われて宝塚から大毎に社員として入り学芸部に配属されたが城戸事件により短期間で退社。この年に上京し「婦人画報」編集長となる。戦時中、陸軍省情報部長嘱託となったため、戦後一時公職追放。
福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - … 福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - 1977年6月13日)は、日本の出版実業家、作家。 北海道小樽市生まれ。松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学社会学科卒。 報知新聞記者などを経て、1943年3月に『日本読書新聞』の発行元であった日本出版文化協会から改組された出版統制組織「日本出版会」の総務部次長兼編集室長となる。同紙は敗戦を待つまでもなく物資の不足と編集部員の応召などにより、1945年5月に休刊した。同年3月には出版用紙の確保のために一括して用紙を荷受する機関として「日本出版助成株式会社」が設立され、同社専務に就任。1946年、同社を日本出版協同株式会社に改組した後に社長に就任した。
小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3… 小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3月14日 - 1946年(昭和21年)2月10日)は、日本の小説家、推理作家、秘境冒険作家。本名:小栗 栄次郎(おぐり えいじろう)。東京都千代田区外神田出身。 漢語カタカナルビと西洋の知識に彩られた、極度のペダントリー(衒学趣味)的作風で著名。代表作は、デビュー作『完全犯罪』、推理小説の三大奇書の一つといわれる『黒死館殺人事件』、秘境探検小説の連作『人外魔境』など。 1901年3月14日、東京市神田旅籠町(現・東京都千代田区外神田)で生誕。生家は代々の酒問屋の小田原屋の分家であった。父親は1911年に死去しているが、本家からの仕送りや貸家の賃貸収入のため生活には困らなかった。
加宮 貴一(かみや きいち、1901年2月27日 - 198… 加宮 貴一(かみや きいち、1901年2月27日 - 1986年6月23日)は、日本の小説家。岡山県生まれ。慶應義塾大学英文科卒。1924年、川端康成らの『文藝時代』同人となる。戦後は文京区議会議員、おいらく山岳会会長などを務めた。墓所は小平霊園。
原田 種夫(はらだ たねお、1901年(明治34年)2月16… 原田 種夫(はらだ たねお、1901年(明治34年)2月16日 - 1989年(平成1年)8月15日)は日本の小説家、詩人。本名は種雄(たねお)。 福岡市博多区中洲(西大橋たもと)に文学碑が建立されている。
梶野 悳三(かじの とくぞう、1901年1月29日 - 19… 梶野 悳三(かじの とくぞう、1901年1月29日 - 1984年4月1日)は、昭和期日本の小説家。 新潟県岩船郡村上町(現在の村上市)生まれ。本名・正義。幼児期に北海道に移住。1921年に横須賀海兵団に入り、水兵となる。海軍三等主計兵曹であった。柔道に励んで四段となる。退団後、柔道知識を生かして梶野千万騎(かじの ちまき)の筆名で「試合もの」の小説を書き始める。1933年、山手樹一郎らと『大衆文学』を創刊。長谷川伸の新鷹会に加入後、悳三に改名。 1930年代後半から海洋文学、とくに捕鯨船員の生活などを描いた長編を手掛けるようになり、「俺は水兵」「鯨の町」などの作品を発表する。 1946年、自身が少年期を過ごした北海道天塩の鰊漁場を描いた「鰊漁場」(『大衆文芸』1947年6月号)で大衆雑誌懇話会賞を受賞。
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月… 村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。
梅原 北明(うめはら ほくめい、1901年〈明治34年〉1月… 梅原 北明(うめはら ほくめい、1901年〈明治34年〉1月15日 - 1946年〈昭和21年〉4月5日)は、日本の作家・編集者。本名は梅原 貞康。昭和初期のエログロナンセンス文化を代表する出版人である。宗教研究家の梅原正紀は息子。別名・烏山朝太郎、談奇館主人、大塚倭堂、吾妻大陸ほか多数。 1901年、富山県富山市の士族の次男として生まれる。父・貞義は生命保険の代理店を営んでおり、生活はゆとりがあったとされる。京都の平安中学を卒業し、早稲田大学予科に進学。同校在学中に片山潜のグループと接し、社会主義思想に触れた。1920年に中退して関西で部落解放運動に従事。1924年から新聞社や雑誌社に勤める傍ら小説を執筆。
渡辺 啓助(わたなべ けいすけ、1901年1月10日(190… 渡辺 啓助(わたなべ けいすけ、1901年1月10日(1900年末?) - 2002年1月19日)は、日本の推理作家。本名は渡辺 圭介。渡辺伊太郎・渡辺ツネの次男で、画家の渡辺東は娘、推理作家の渡辺温は実弟である。秋田県秋田市生まれ。 セメント技師の父の赴任のため、生後まもなく北海道谷好村(現在の北斗市)に、次いで1905年東京・深川に、1912年茨城県高鈴村(現在の日立市)に転居。茨城県水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を経て、1920年青山学院高等部英語師範科入学。1925年同校を卒業し、群馬県立渋川中学校(現在の群馬県立渋川高等学校)で英語教員となるが、翌1926年辞職し九州帝国大学(現在の九州大学)法文学部史学科に入学。
弘津 千代(ひろつ ちよ、1901年1月5日 - 1983年… 弘津 千代(ひろつ ちよ、1901年1月5日 - 1983年)は、日本の劇作家、小説家。 山口県熊毛郡伊保庄村(現、山口県柳井市伊保庄)上八(こうじょう)生まれ。広島女学校附属小学校、広島県師範学校附属小学校、広島県立広島高等女学校を経て、日本女子大学校文科国文学科を1922年卒業。在学中より中村吉蔵らに師事。卒業後も東京で劇作に専念した。本名はチヨ。 1921年、日本女子大学校在学中に卒論のかわりに、印度の阿育王の伝説を題材にした戯曲・華子城物語(かしじょう・ものがたり)を、同級生の山原鶴、宮田範と共作、翌1922年6月、新光社より出版される。 代表作は、1925年(大正14年)7月号の「舞台批評」に発表した「天樹院」。
北村 小松(きたむら こまつ、1901年(明治34年)1月4… 北村 小松(きたむら こまつ、1901年(明治34年)1月4日 - 1964年(昭和39年)4月27日)は、日本の劇作家、小説家、脚本家。 青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)生まれ。八戸中学校を経て慶應義塾大学英文科卒。在学中から小山内薫に師事して劇作を学び、卒業後に松竹キネマ蒲田研究所に入社。松竹の『マダムと女房』(1931年)など多くの映画シナリオを書く。戦後はユーモア小説作家に転じた。『人物のゐる街の風景』(1926年)が初期代表作で、初期は左翼文学にも手を染めたが、戦時下は戦争協力小説を多く書き、スパイものを編纂した。ほか翻訳がある。終戦後の1948年(昭和23年)に公職追放を受けて活動停止追放処分となる(1950年(昭和25年)に解除)。
李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - … 李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - 1958年?)は朝鮮のジャーナリスト、作家、政治家、社会主義運動家、美術史家。朝鮮日報社調査部長・社会部長、東亜日報社調査部長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議員。本名は李命鍵(イ・ミョンゴン、이명건)。 1901年に大邱の裕福な家庭に生まれる。 その後、日本統治時代の朝鮮において言論活動や社会運動に携わる。1918年に、金若水らと中華民国・南京にある金陵大学(現・南京大学)に留学するが、翌1919年に朝鮮に戻って三・一運動に参加し、投獄される。 1922年から1925年まで立教大学に留学し、北星会や一月会といった組織に関わりながら、社会主義思想を発展させる。
野口 三四郎(のぐち さんしろう、1901年〈明治34年〉-… 野口 三四郎(のぐち さんしろう、1901年〈明治34年〉- 1937年〈昭和12年〉2月22日)は日本の人形作家。静岡県三島市(旧三島町)大中島地区出身。張り子製を中心とする人形「三四呂人形」(みよろにんぎょう)を製作した早逝の作家として知られる。作品の一部は三島市が指定する有形文化財に指定されている。 1901年(明治34年)に当時の静岡県田方郡三島町大中島の質屋の家に生まれる。名前の由来は生年の「明治三十四年」による。静岡県立韮山中学校(現・静岡県立韮山高等学校)に入学後、美術部に入り絵画の技術を身につける。 卒業後は写真技術を身につけ、1928年(昭和3年)頃に東京の三越百貨店に写真技師として就職。
久保 栄(くぼ さかえ 1900年(明治33年)12月28日… 久保 栄(くぼ さかえ 1900年(明治33年)12月28日 - 1958年(昭和33年)3月15日)は、日本の劇作家・演出家・小説家・批評家。代表作に『火山灰地』、『のぼり窯』などがある。
稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1… 稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 1920年代(大正末)から1970年代(昭和後期)にかけて、抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好、エロティシズム、天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表した。代表作は『一千一秒物語』、『少年愛の美学』など。 稲垣は1900年(明治33年)の年末、大阪市船場に歯科医の次男として生まれた。7歳の頃から謡曲、仕舞を習う。小学生の時に祖父母のいる明石に移住し、神戸で育った。小さいころから映画や飛行機などに魅了され、その経験を後の作品に昇華させている。1914年、関西学院普通部に入学。同院では今東光と同級になる。
由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年12月2日 - 196… 由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年12月2日 - 1969年12月30日)は、日本の小説家。
池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日… 池谷 信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日 - 1933年12月21日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。東京帝國大學法学部、ベルリン大学法科中退。 暁星小学校、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校卒業。一高在学時より校友会雑誌に短歌などを発表し創作活動をはじめる。1922年に東京帝大へ入学するが、その年の終わりには休学してベルリン大学へ行き、先にベルリンへ来ていた一高時代の先輩である村山知義の影響を受けヨーロッパの芸術運動に触れる。最終的に東大は中退した。 1923年9月1日に起きた関東大震災により実家を失い帰国。 1925年、ベルリン滞在の経験を元に執筆した『望郷』が「時事新報」の懸賞小説に当選。
中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1… 中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1969年8月19日)は、日本の小説家。本名は中山 議秀(なかやま よしひで)。横光利一に兄事し、無名時代の長い苦節を経て『厚物咲』『碑』で文壇に登場。以後作家として幅広く活躍した。後年は、戦国武将物や剣豪物を多く書いた。日本芸術院会員。 福島県西白河郡大屋村(後の大信村、現在の白河市)生まれ。 1918年に旧制福島県立安積中学校(現在の福島県立安積高等学校)を卒業、1923年に早稲田大学文学部英文科卒業。 早稲田大学在学中に、横光利一、富ノ澤麟太郎、小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。
美川 きよ(みかわ きよ、女性、1900年9月28日 - 1… 美川 きよ(みかわ きよ、女性、1900年9月28日 - 1987年7月2日)は、日本の小説家。 神奈川県出身。大阪府立大手前高等女学校(後の大阪府立大手前高等学校)卒。本名は鳥海清子。 大正15年(1926年)『三田文学』に「デリケート時代」を発表。昭和5年(1930年)以降「父の恋愛」など女性心理をえがく短編を手がける。画家の鳥海青児と結婚。
大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月1… 大宅 壮一(おおや そういち、1900年〈明治33年〉9月13日 - 1970年〈昭和45年〉11月22日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。 大阪府三島郡富田村(現:高槻市富田)の醤油屋に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。祖父の八右衛門は、嫁入りの日に差し押さえを受けるような貧しい所から富を作ったり、法廷へ出るのに衣類が無くて薦を被って行ったという者の金まで絞り取る程の残酷な人だったが、妻子には甘かった、と大宅壮一自身が書き残している。 父について大宅は『青春日記』で、「14歳より放蕩を始め、青年時代に法律を志して弁護士試験に失敗し、中年よりは選挙、警察界に足を入れて産を傾け、最後に生涯離さなかった酒の為に死んだ。
平井 蒼太(ひらい そうた、1900年8月5日 - 1971… 平井 蒼太(ひらい そうた、1900年8月5日 - 1971年7月2日)は愛知県出身のミステリー作家、豆本作家、性風俗文献蒐集家。薔薇蒼太郎、牡丹耽八、書鬼海二等、多数の変名を持つ。 平井太郎(江戸川乱歩)の次弟として名古屋市に生まれる。本名:平井通。 1917年11月、長兄太郎の鳥羽造船所入社に伴い、末弟敏男と共に鳥羽へ移住。1919年に兄弟で上京。東京市本郷区団子坂にて、長兄太郎や末弟敏男と共に古書店「三人書房」を経営。のち大阪へ移り関西大学専門部経済科を修業。1921年から電気部試験係として大阪電気局に勤務。1931年にカリエスを病み、休職して滋賀県甲賀郡寺庄村(現在の甲賀市)なる妻の実家で静養。
小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年… 小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年6月2日) は、日本の小説家。本名は、小田武夫。 新潟県高田町字(現・上越市)竪春日町出身。実家は呉服商。呉服商を営む父熊吉と母登美の間に生まれる。高田中学(現新潟県立高田高等学校)時代は短歌と野球に熱中。東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語学科を卒業後、外務省亜細亜局入省。当時の局長は芳澤謙吉(後の外務大臣)。外務書記として中国・杭州の領事館などに勤務。 1926年に蔵原伸二郎の紹介で同人誌『葡萄園』に参加。のちに『文藝都市』にも寄稿する。 1930年7月に外務省を退職して文筆で身を立てることを決め、1931年に寺崎浩、田畑修一郎らと同人誌「雄鶏」(後に「麒麟」と改題)を創刊。
小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 … 小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 - 1933年(昭和8年)1月6日)は、日本の小説家、劇作家。 1900年6月1日、宮城県仙台市に生まれる。長野県旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)を経て、1924年に早稲田大学文学部哲学科卒業。在学中に横光利一や中山義秀と同人誌『塔』を発行した。卒業後はプロレタリア文学に傾倒し、1925年、『早稲田文学』に「地平に現れるもの」を発表したが発禁処分となる。翌年には『新小説』に「遥かなる眺望」、創作集『ケルンの鐘』などの戯曲を発表して、社会主義とモダニスムを併せ持つ作風で注目を集めた。当初は労農芸術家連盟に所属していたが、その後第二文戦打倒同盟をへて日本プロレタリア作家同盟に参加した。