篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )… 篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )は、日本の柔道家(六段)、タレント。 兵庫県神戸市長田区出身。身長190cm、体重135kg。 得意技は大外刈り、内股、内股すかし。 父親は建築業をしていた。10歳年下の妹がいる。30歳を過ぎる頃まで本籍地は父親の出身地である鹿児島県日置郡金峰町大坂(現:南さつま市金峰町)に置いていた。 中学入学と同時に新設された柔道部に入部して柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学体育学部へ進学。 大学生の時に才能が開花し、外国人に負けない体格とパワー、巧みな技術によって多くの大会を制覇した。 天理大学卒業後は旭化成に入社し、2000年シドニーオリンピック100kg超級にて銀メダルを獲得する(後述する誤審判定問題を参考)。
大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静… 大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長187cm。 東海大第一中学から東海大第一高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽重量級に出場するが予選リーグで敗れた。新人体重別の95kg級では3位となった。1991年に東海大学へ進むと、1年の時には新人体重別で3位となった。3年の時には正力杯に出場すると、福岡大学3年で190cmの宗真一郎との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となり、谷落で破って優勝を飾った。優勝大会では3位となった。4年の時には正力杯では決勝で筑波大学4年の湊谷知幹を崩袈裟固で破って2連覇を達成したが、優勝大会では3位だった。
恵本 裕子(えもと ゆうこ、1972年12月23日 - )は… 恵本 裕子(えもと ゆうこ、1972年12月23日 - )は、日本の女性柔道家。段位は四段。身長163cm。北海道旭川市出身。1996年アトランタオリンピック柔道女子61kg級金メダリスト。2017年現在、三井住友海上柔道部の特別コーチを務めている。
田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知… 田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知県出身の柔道選手。現役時代は86kg級の選手。現日本体育大学教授。日本体育大学男子柔道部監督。 小学校1年の時に柔道を始める。中学3年の時に全国中学校大会78kg級で3位に入る。高校からは上京して講道学舎に学ぶ。高校2年の時、インターハイ軽重量級で優勝する。続いて高校選手権の無差別では、86kg級の選手ながら決勝で重量級の真喜志慶治を破って優勝を飾る。さらに高校選手権では世田谷学園高校の団体戦優勝にも貢献して2冠を達成する。日体大進学後は、大学2年の時に世界ジュニアで優勝を果たす。しかし、86kg級は吉田秀彦、中村佳央、岡田弘隆等強豪揃いの階級だったこともあって、シニアの大会では上位に顔を出すものの優勝までには至らなかった。
楢崎 教子(ならざき のりこ、旧姓:菅原、1972年〈昭和4… 楢崎 教子(ならざき のりこ、旧姓:菅原、1972年〈昭和47年〉9月27日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)生まれ、神奈川県大和市出身の元柔道選手。柔道指導者。福岡教育大学専任講師。筑波大学大学院体育学修士課程修了。身長157cm。得意技は体落と寝技。 母が岩手県千厩町、父が藤沢町の出身で、生後間もない頃から幼稚園に入園するまでの約3年間を母親の実家がある千厩町で育つ。柔道は4歳の頃から父親の主宰する菅原道場(神奈川県大和市)にて指導を受ける。日本大学藤沢高等学校卒業後、筑波大学へ進学。大学卒業後に株式会社ダイコロへ入社。 1996年アトランタオリンピックでは菅原姓で銅メダルを獲得。
弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は… 弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は、日本の柔道家(65kg級)、柔道指導者。三重県いなべ市出身。身長168cm。 いなべ市立大安中学校から四日市中央工業高校を経て、1991年に天理大学へ進学。1年の時に新人体重別の65kg級で3位となった。2年の時には正力杯の決勝で筑波大学4年の内村直也を破って優勝すると、ジュニア体重別でも決勝で筑波大学2年の南條充寿を破って優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で近藤興産の内村に敗れて2位だった。正力杯の決勝では順天堂大学4年の和合徹を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。嘉納杯では決勝で世界チャンピオンである東海大学4年の中村行成に敗れて2位だった。
中村 行成(なかむら ゆきまさ、1972年8月28日 - )… 中村 行成(なかむら ゆきまさ、1972年8月28日 - )は、日本の柔道選手。元世界チャンピオン。身長172cm。得意技は内股、掬投、小外刈。兄佳央、弟兼三とともに中村三兄弟と呼ばれた。
阿部 由記子(あべ ゆきこ、1972年8月26日 - )は岩… 阿部 由記子(あべ ゆきこ、1972年8月26日 - )は岩手県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長165cm。 小佐野中学2年の時に早くも体重別と強化選手選考会の66kg級で3位になった。3年の時にはコロラドスプリングスで開催された環太平洋柔道選手権大会で日本選手最年少となる15歳1ヶ月でのシニアの国際大会優勝を飾った(2020年現在も最年少記録を保持している)。続く強化選手選考会でも優勝を果たした。釜石南高校へ進むと、1年の時には強化選手選考会で2連覇、体重別では初優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会で3連覇を達成した。福岡国際では3位に入った。3年の時には世界ジュニアに出場して決勝まで進むも、イギリスのケイト・ホーウェイに敗れて2位にとどまった。
岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は… 岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長165cm。 鹿屋第一中学から都城商業高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級で優勝を飾った。 1991年に東海大学へ進学すると、1年の時に新人体重別71kg級で3位になった。ブルガリア国際ではシニアの国際大会で初優勝を飾った。2年の時には世界ジュニアの決勝でオーストリアのパトリック・ライターに敗れるも2位となった。4年の時には正力杯で2位にとどまるが、講道館杯では決勝で警視庁の阿武貴宏を破って優勝を成し遂げた。さらには、フランス国際でも優勝を飾った。 1995年にはフジ&トライオーシャンの所属となった。
宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は… 宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級及び100kg級の選手。身長190cm。 志摩中学から福岡大大濠高校に進むが、この当時は大きな実績を上げていない。福岡大学へ進むと力を付け始めて、2年の時にはジュニア体重別95kg級で優勝を飾った。3年の時には正力杯に出場すると、東海大学3年で187cmの大原尚喜との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となったが、谷落で敗れて2位に終わった。アジア選手権では優勝を飾った。優勝大会では5位となった。4年の時には正力杯と優勝大会でそれぞれ5位だった。1995年には九州電力の所属となった。
永井 和恵(ながい かずえ、1972年5月19日 - )は、… 永井 和恵(ながい かずえ、1972年5月19日 - )は、京都府宇治市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級および52kg級の選手。得意技は背負投、巴投、寝技。身長153cm。。現姓は南條。現在は仙台大学女子柔道部監督。 柔道は5歳の時に始めた。北宇治中学の時には48kg級の選手ながら無差別で争われる京都府柔道大会で優勝を成し遂げた。成安女子高校に入学すると、全国高校選手権では1年の時から2連覇を達成した。2年の時には福岡国際で3位となった。しかし、世界ジュニアでは初戦で旧ソ連の選手に敗れた。3年の時には体重別決勝で筑波大学の江崎史子に崩上四方固で敗れたものの2位となった。1991年には筑波大学に進学するが、体重別では準決勝で田村亮子に掬投で敗れて3位だった。
岩崎 卓(いわさき たかし、1972年5月16日 - )は広… 岩崎 卓(いわさき たかし、1972年5月16日 - )は広島県出身の日本の柔道家。65kg級の選手。身長172cm。現在は流通経済大学の社会学部講師で、柔道部監督を務めている。 崇徳高校3年の時にインターハイ軽中量級で3位に入った。1991年に流通経済大学へ進むと、東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功の指導を受けるようになった。1年の時には新人体重別の65kg級決勝で東海大学1年の中村行成に敗れて2位だった。2年の時には講道館杯で決勝まで進むが、ダイコロの丸山顕志に大内返で敗れた。選抜体重別では準決勝で世界選手権2位である東洋水産の大熊政彦を効果で破ると、決勝でも中村を巴投げの技ありで破って優勝を飾った。
南條 充寿(なんじょう みつとし、1972年4月30日 ‐ … 南條 充寿(なんじょう みつとし、1972年4月30日 ‐ )は、愛媛県松山市出身の柔道選手。現役時代は65kg級の選手。現在は仙台大学教授で柔道部の総監督。姪は女子レスリングの南條早映。 柔道は4歳の時に始めた。小学校5年と6年の時には、松山少年柔道教室の一員として全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。道後中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で2位となった。新田高校2年の時には新人体重別65kg級で決勝まで進むものの、同じ高校2年である東海大第五高校の中村行成に効果で敗れた。翌年も決勝まで進むが2年連続2位に終わった。国際高校選手権では優勝を飾った。筑波大学進学後、2年の時にはジュニア体重別で2年ぶりに決勝まで進むが、3度敗れることになった。
宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本… 宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。61kg級の選手。身長167cm。 城南中学から熊本西高校へ進むと、2年の時に当時無差別の個人戦で争われていた金鷲旗で3位となった。全国高校選手権の66kg級では決勝まで進むも、松戸馬橋高校1年の藤本哲子に送足払の技ありで破れて2位だった。3年の時には全日本選手権に出場するも、3回戦で筑波大学3年の鈴木香に崩袈裟固で敗れた。1991年には拓殖短期大学へ進み木村政彦や岩釣兼生の指導を受けることになると、1年の時には強化選手選考会61kg級決勝で住友海上の西野弘子を腕緘で破って優勝を飾った。2年の時には選抜体重別の準決勝でミキハウスの小林貴子に判定で敗れて3位だった。
鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )… 鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )は、熊本県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長170cm。 柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位になった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で1年先輩の松本昌広や阿武貴宏、同級生の田辺勝とともに活躍して優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で優勝するが、インターハイの団体戦では予選リーグで敗れて2年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)はならなかった。全国高校選手権ではエースの田辺などとともに優勝を勝ち取った。
藪下 めぐみ(やぶした めぐみ、1972年3月2日 - )は… 藪下 めぐみ(やぶした めぐみ、1972年3月2日 - )は、日本の女性総合格闘家、プロレスラー、柔道家。北海道旭川市出身。旭川大学高等学校卒業。FIGHT CHIX所属。初代スマックガール無差別級王者。柔道家の藪下由香は妹。 旭川大学高等学校、ミキハウスと柔道で活躍。
植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大… 植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大阪府東大阪市出身の日本の柔道家。現役時代は52kg級及び56kg級の選手。身長163cm。得意技は大外刈。3人姉妹の次女。長女の早苗は実業個人選手権52kg級で2位、3女の庸子は体重別や全国女子体重別の57kg級で3位になるなど、それぞれ活躍していた。 小阪中学1年の時にニュージャパン柔道協会で柔道を始めた。高校は道場の先輩である深川照子が通っていた大阪市立桜宮高等学校へ進んだ。1学年上には後のバルセロナオリンピック56kg級で銅メダルを獲得することになる立野千代里がいた。2年の時には高校選手権52kg級で決勝まで進むが、浜松西高校2年の溝口紀子に横四方固で敗れた。
浅田 ゆかり(あさだ ゆかり、1972年1月7日 -)は大阪… 浅田 ゆかり(あさだ ゆかり、1972年1月7日 -)は大阪府出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は174cm、体重106kg。 高槻第八中学から成安女子高校へ進むと、3年の時に強化選手選考会72kg超級で5位となり、ジュニア強化選手に選ばれた。 1990年に湊川女子短大へ進学すると、1年の時には世界ジュニアに出場するも5位に終わった。無差別で争われる全日本学生選手権では準決勝で筑波大学4年の坂上洋子に敗れるも3位となった。強化選手選考会でも3位に入った。2年の時には正力杯の66kg超級で優勝すると、全日本学生選手権でも決勝で中国の黒龍江省からの留学生である同じ湊川女子短大1年の隋文霞を横四方固で破って、学生2冠を達成した。
増田 仁子(ますだ いつこ、1972年1月1日 -)は大阪府… 増田 仁子(ますだ いつこ、1972年1月1日 -)は大阪府阿倍野区美章園出身の日本の柔道家。66kg級及び72kg級の選手。身長160cm。得意技は背負投、一本背負投。
板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は… 板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は熊本県出身の日本の柔道家、サンビスト。 現役時代は柔道では60kg級の選手であり、サンボでは68㎏級の選手。 身長167cm。組み手は右組み。得意技は背負投 巴投 払腰 腕挫十字固。 別名はヴィクトル板楠(Victor Itakusu)。 現在は熊本中央高校の教諭、柔道部顧問、モンゴル国体育大学客員講師。また、九州サンボ連盟の副会長兼技術委員長も務めている。 柔道は小学校2年の時に兄に無理やり誘われて、近くの松龍館で始めた。何度もやめようと思いながらも兄が怖くて続けていたが、そのうち力を付け始めて、楠中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で優勝するまでになった。
五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - … 五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - )は北海道出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重95kg。 根室市立啓雲中学からとわの森三愛女子高校へ進学するが、この当時は柔道だけでなくバスケットボールにも取り組んでいた。1年の時には高校選手権72kg超級の決勝で、暫くライバル関係が続くことになる東海大仰星高校1年の松尾徳子に判定で敗れた。2年の時には決勝で松尾を裏投げで破って優勝を飾った。 1990年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本選手権の準決勝で世界選手権61kg級3位である筑波大学4年の小林貴子に合技で敗れるも3位入賞を果たした。
福場 由里子(ふくば ゆりこ、1971年9月28日 - )は… 福場 由里子(ふくば ゆりこ、1971年9月28日 - )は岐阜県郡上郡八幡町(現在の郡上市)出身の日本の柔道家。現役時代は72kg級の選手。身長169cm。 柔道は小学校5年の時に郡上八幡スポーツ少年団で始めた。八幡中学へ進むが、当時の柔道部は女子の受け入れ態勢が整っていなかったために、ソフトボール部に入部して、柔道は時々スポーツ少年団で練習する程度だった。郡上高校へ進学すると、2年の時に全国高校選手権72kg級で優勝を飾った。3年の時には強化選手選考会で2位に入った。1990年には住友海上所属となると、強化選手選考会で優勝した。1991年には全日本選手権で3位入賞を果たした。1992年には強化選手選考会で2度目の優勝を飾った。
江崎 史子(えさき ふみこ、1971年9月27日 - )は、… 江崎 史子(えさき ふみこ、1971年9月27日 - )は、長野県松本市出身の日本の女子柔道選手。身長155cm。現役時代は48kg級の選手だった。 小学校4年の時に父親の影響を受けて、近所の松島道場で柔道を始めた。同期には泉香澄がいた。信州大学教育学部附属松本中学校中学2年の時全日本女子柔道体重別選手権大会52kg級決勝で山口香に敗れるが2位となった。翌年には階級を1つ下げて48kg級に出場して優勝を成し遂げ、世界選手権では決勝でイギリスのカレン・ブリッグスに敗れたものの、中学3年生ながら2位となった。八千代松陰高等学校進学後の世界選手権では決勝で中国の李忠雲に敗れて再び2位に終わった。1988年のオリンピック(公開競技)でも李に有効で敗れて2位にとどまった。
杉村 英子(すぎむら ひでこ、1971年9月23日 -)は愛… 杉村 英子(すぎむら ひでこ、1971年9月23日 -)は愛知県海部郡立田村(現・愛西市)出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級の選手。身長162cm。 立田中学から同朋高校へ進むと、1年の時に強化選手選考会61kg級で3位となった。全国高校選手権では決勝で常磐高校1年の北爪弘子に判定で敗れて2位だった。体重別では決勝まで上がるが、ソウルオリンピック(公開競技)銅メダリストである住友海上の持田典子に敗れた。フランス国際では3位となった。しかし、全国高校選手権では2回戦で敗れた。3年の時には体重別で3位だった。1990年に筑波大学へ進学すると、1年の時には強化選手選考会の決勝で埼玉大学1年の北爪に敗れた。
北爪 弘子(きたづめ ひろこ、1971年9月8日 - )は、… 北爪 弘子(きたづめ ひろこ、1971年9月8日 - )は、群馬県の佐波郡赤堀町出身の日本の柔道家。身長155cm。現役時代は61kg級の選手。得意技は背負投、一本背負投。現姓は石川。 中学1年の時に親戚が経営している柔道の道場に入門を志すも、女人禁制を理由に断られたが毎日のように道場に日参したことで、師範が根負けして入門が許可されることになった。中学3年の時には強豪校の東中学に転向した。常磐高校に入学すると、1年の時には無差別で争われる金鷲旗の女子個人戦で3位となった。全国高校選手権では1年の時から2連覇を達成した。3年の時には強化選手選考会でも優勝を飾った。1990年に埼玉大学に進学すると、強化選手選考会で2連覇を達成した。
松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎… 松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級~72kg超級の選手。身長171cm。段位は四段。現在は三浦市にある南下浦中学の教員を務めている。
松本 昌広(まつもと まさひろ、1971年8月10日 - )… 松本 昌広(まつもと まさひろ、1971年8月10日 - )は、愛知県安城市出身の日本の柔道家。階級は95kg超級。身長178cm。体重120kg。 小学校2年の時に父親に勧められて杉山道場で柔道を始めた。4年と6年の時には県のチャンピオンとなった。テレビで見かけて憧れていた講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。2年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級では3位だったが、団体戦では1学年上の秀島大介などとともに活躍すると、決勝では代表戦で一本勝ちして優勝を飾った。3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で2位にとどまった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で優勝するが、全国高校選手権では3位だった。
溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は… 溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は、日本の柔道家。学位は博士(学術)(東京大学・2015年)。公益財団法人全日本柔道連盟評議員、日本武道学会評議員。
衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、… 衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、福岡県甘木市出身の日本の女性柔道家。現役時代は48kg級の選手だった。身長151cm。妹の衛藤由佳も48kg級で活躍していた。 甘木中学校2年の時、早くも体重別48kg級で3位になった。柳川高校1年の時には強化選手選考会で2位となると、体重別でも3位に入った。2年の時には強化選手選考会で昨年に続いて2位となった。全国高校選手権では、決勝で成安女子高校1年の永井和恵に判定で敗れた。3年の時には体重別の九州予選準決勝で城香中学2年の田村亮子と対戦すると、ポイントでリードされていたものの終了間際に送襟絞で逆転勝ちするなどして優勝した。この当時の田村は、まだ駆け出しの中学生選手に過ぎなかったものの衛藤はシニアの公式戦で田村を破った最初の選手となった(その後は、田村に4連敗している。
原口 力也(はらぐち りきや、1971年7月8日 - )は、… 原口 力也(はらぐち りきや、1971年7月8日 - )は、日本の柔道整復師、教育者、研究者。 神奈川県相模原市南区出身。父が道場を開いていた影響から、幼少時代より柔道を始めた。父も柔道整復師で、地元である相模原市に原口整骨院を開院していた。 東海大学付属相模高等高校を経て、帝京医学技術専門学校を卒業し、1993年に柔道整復師免許を取得した。帝京平成大学大学院健康科学研究科健康科学専攻博士課程にて単位取得後満期退学した。学位は情報学修士。 帝京平成大学大学院健康科学研究科、帝京平成大学ヒューマンケア学部柔道整復学科准教授となる。
阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は… 阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は、山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長170cm。2歳年下の妹は世界選手権56kg級代表の阿武美和。5歳年下の妹はアテネオリンピック78kg級で優勝した阿武教子。 荻スポーツ少年団に所属していた小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦無差別で3位になった。6年の時は2位となった。柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で3位だった。2年の時にはインターハイ団体戦決勝で東海大学付属福岡高等学校|東海大第五高校と対戦すると、相手エースの中村佳央に後袈裟固で敗れるなどしてチームは2位にとどまった。
浅子 覚(あさこ さとる、1971年3月2日 - )は、日本… 浅子 覚(あさこ さとる、1971年3月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー、柔道整復師。 引退後は2017年まで、プロレスリング・ノア専属メディカルトレーナーとして活動した。 愛称は「リーダー」。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。大宮市立春里中学校、埼玉県立浦和東高等学校出身で、新日本プロレス学校に入校した。 元々から全日本プロレスに憧れていたが、事情あって新日本プロレス学校に入学。浅子と一緒に練習していた西村修の話によると、浅子は非国民的な扱いを受けながらも黙々と練習に励んでいたそうである。1990年に全日本プロレスへ入門。背も低く、体も小さかったので、ジャイアント馬場は当初入団に難色を示していたが、丁度SWSへの選手の大量離脱があり、レスラー不足から入門を認められたと言われている。
秀島 大介(ひでしま だいすけ、1970年12月7日 - )… 秀島 大介(ひでしま だいすけ、1970年12月7日 - )は、日本の柔道家。福岡県・春日市出身。階級は71kg級。身長167cm。得意技は背負投。 小学校1年の時に地元のスポーツ少年団で柔道を始めた。その一方で、小学校4年の時にはリトルリーグで野球も始めた。小学校5年の時にはもっとレベルの高いところで柔道に取り組むために田村亮子や中村三兄弟(中村佳央、中村行成、中村兼三)などを輩出したことで知られる東福岡柔道教室に道場を移った。小学校6年の時に団体戦の少年少女練成大会で優勝したことがきっかけで、中学からは上京して講道学舎へ入門した。 講道学舎で指導を受けることになった吉村和郎は特に恐ろしい存在で、高校3年になるまでまともに言葉を交わすことさえできなかった。
藤山 茂(とうやま しげる、男性、1970年12月3日-)は… 藤山 茂(とうやま しげる、男性、1970年12月3日-)は、日本の柔道家。愛知県大府市出身。 小学1年生から柔道を始め、同朋高等学校-東海大学を卒業後、綜合警備保障に入社した。現在は現役を引退し、母校である同朋高等学校で体育教師を務めながら柔道部監督として後進の指導をしている。
阪部 貴行(さかべ たかゆき、1970年11月14日 - )… 阪部 貴行(さかべ たかゆき、1970年11月14日 - )は、和歌山県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長176cm。体重123kg。 和歌浦小学校の時に、和歌浦の健心館畠中道場、(館長畠中耕作)で柔道をはじめる 明和中学から和歌山北高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権の個人戦無差別の準決勝で天理高校2年の養父直人に合技で敗れるも3位になった。3年の時にはインターハイの重量級で5位だった。 1989年に近畿大学へ進学すると、3年の時には優勝大会で3位になった。4年の時にも優勝大会で同級生の奥山由洋や2学年下の田村和也、武村雄太、竹村欣也などとともに活躍して3位となった。
小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 - )は、… 小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 - )は、新潟県出身の日本の柔道家。56kg級及び61kg級の選手。身長165cm。 柔道は小学校2年の時に両親に勧められて護身術の一環として始めた。東石山中学から新潟第一高校へ進むと、1年の時に高校選手権61kg級で優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会の決勝で常磐高校1年の北爪弘子を破って優勝した。高校選手権では3位にとどまった。高校までは柔道に辛さや苦しみしか覚えず、何で自分ひとりだけがこんな思いをしなければならないかとばかり考えていた。 1989年に日体大へ進学すると同じ悩みを持った多くの部員と知り合った。そんな仲間から勇気付けられたり、一緒に喜びを分かち合うことができて、初めて柔道をしてきて良かったと思えるようになったという。
天野 安喜子(あまの あきこ、1970年10月31日 - )… 天野 安喜子(あまの あきこ、1970年10月31日 - )は、東京都江戸川区出身の柔道家、花火師で鍵屋15代目宗家。国際柔道連盟審判員の資格を持つ。柔道七段を取得。全日本柔道連盟審判委員会副委員長および講道館評議員を務める。日本大学大学院芸術学研究科芸術専攻博士後期課程修了。博士(芸術学)。 柔道は小学校1年の時に父親が自宅に富道館天野道場を開設したことがきっかけで、姉と共に始めた。その後、共立女子中学に進むが、「お嬢様学校」と言われるだけあって柔道とは全く関わりあいのない学校だったために、大会に出場できるように名前だけの柔道部を設置してもらった。この頃は講道館でもよく稽古を行った。また、父親がプレハブ小屋にウェイトトレーニング場を設置したこともあって、そこでよくウェイトトレーニングを積んでいた。
中村 佳央(なかむら よしお、1970年10月22日 - )… 中村 佳央(なかむら よしお、1970年10月22日 - )は、日本の柔道家。身長182cm。弟兼三と共に寝技師として知られる。得意技は、寝技。中でも、腕挫十字固を得意としている。また、立ち技では内股、大内刈、払腰を得意にしていた。行成、兼三とともに中村三兄弟と呼ばれた。
大石 愛子(おおいし あいこ、1970年10月13日 - )… 大石 愛子(おおいし あいこ、1970年10月13日 - )は、愛知県大府市出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長166cm。得意技は内股。 バルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦や63kg級でオリンピック2連覇の谷本歩実を輩出したことで知られる大石道場の指導者である大石康の長女。弟の大石公平は大成中学校・高等学校女子柔道部の監督を務める。妹の大石いづみも全国レベルで活躍していた。 体重別選手権には中学の頃から出場していて、桜丘高等学校2年の時には66kg級で2位になった。全国高校選手権ではオール一本勝ちで優勝した。3年の時にはこの当時無差別で行われていた女子の金鷲旗で3位となった。
増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は… 増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。 現役時代は1990年代の全日本選手権の常連として活躍し、無差別級のアジア王者にも2度輝いた。引退した現在は筑波大学柔道部総監督や、全日本柔道連盟の強化スタッフとして女子代表監督を務める。 三重県津市出身。父親が警察官だった関係で小学校4年生の時に警察署の柔道場へ連れて行かれたのを機に、柔道を始めた。とは言え遊び盛りの少年時代、この頃の増地は柔道よりも野球の方に興じていたという。中学生の時に父が転勤となり川越町の川越町朝日町組合立明和中学校。現、川越中学校に入学。既に身長170cmと大柄だった増地は柔道部に入部して練習に明け暮れるが、連日の猛稽古が祟り中学2年の時に腎盂腎炎を患って、栄養失調により一時は体重60kgまで激減して入院までする羽目になった。
大漉 賢司(おおすき けんじ、1970年9月22日 -)は愛… 大漉 賢司(おおすき けんじ、1970年9月22日 -)は愛知県名古屋市出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。 名古屋で生まれるが、その後に鹿児島県の姶良郡に移った。父親は実業団の東レ柔道部監督を務めていたが、特に柔道を勧めることもなかったという。帖佐中学へ入学すると、柔道かバレーボールのどちらかに取り組もうと思ったが、自分の体形を考えて柔道を選択することになった。 鹿児島工業高校時代には田邉侑の厳しい指導を受けると、父親の後輩だった大石道場の大石康の勧めで明治大学へ進んだ。1年の時には優勝大会で3年先輩である世界チャンピオンの小川直也や1年先輩の吉田秀彦などとともに活躍して2位となった。
北田 晃三(きただ こうぞう、1970年9月12日 - )は… 北田 晃三(きただ こうぞう、1970年9月12日 - )は福岡県京都郡出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長178cm。得意技は大外刈。現在は東海大学付属翔洋高校の柔道部監督を務めている。
本田 勝義(ほんだ かつよし、1970年8月26日 -)は福… 本田 勝義(ほんだ かつよし、1970年8月26日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長172cm。
原田 堅一(はらだ けんいち、1970年8月16日 -)は、… 原田 堅一(はらだ けんいち、1970年8月16日 -)は、福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長162cm。 柔道は中島小学校1年の時に中島柔道クラブで始めた。小学生時代はほとんどの大会で優勝しており、同郷の同級生で後に世界チャンピオンとなった中村佳央や秀島大介にも勝っていたほどだった。大和中学から大牟田高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽量級と新人体重別60kg級で5位になった。鹿屋体育大学に進むと、1年の時には正力杯で優勝を飾った。3年の時には正力杯で2年ぶりの優勝を果たした。4年の時には3位だった。1993年には鹿屋体育大学の大学院へ進むと、講道館杯では日体大4年の木村勝範を破って優勝を飾った。
立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25… 立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25日 - )は、大阪府守口市出身の柔道選手。現役時代は56kg級の選手だった。身長155cm。得意技は大内刈、寝技。 中学まではソフトボールをやっていて、本格的に柔道を始めたのは桜宮高校に入ってからだった全国高等学校柔道選手権大会では3位となる。筑波大学に進学後、1991年には体重別で優勝して世界選手権代表に選ばれるも3回戦で敗れる。翌年再び体重別で優勝してオリンピック代表に選ばれて、銅メダルを獲得する。1993年の世界選手権では決勝で敗れて2位に終わる。その後は52kg級から階級を上げてきた溝口紀子に勝てず代表の座から離れていたが、1997年には体重別で久しぶりに優勝して代表に選ばれて、世界選手権でも3位となる。
鈴木若葉(すずき わかば、1970年6月13日 - )は、埼… 鈴木若葉(すずき わかば、1970年6月13日 - )は、埼玉県富士見市出身の日本の柔道家。 小学校2年の時に柔道を始める。中学の時から全日本体重別の48キロ級では上位に位置するも、一つ下のライバルである江崎史子に勝てず代表にはなれず。川越女子高等学校から埼玉大学に進学するが、オーバートレーニングの影響などもあって、52キロ級に階級を変更する。その後、埼玉大の大学院に入学した1993年に、バルセロナオリンピック銀メダリストで大学の1つ後輩である溝口紀子に見事な一本勝ちをして同年の世界選手権代表に選ばれる。世界選手権では前年のオリンピック覇者のアルムデナ・ムニョスに敗れるが、1987年世界選手権の覇者で試合巧者のシャロン・レンドルに競り勝ち3位となる。
土屋 好英(つちや よしひで、1970年5月29日 - )は… 土屋 好英(つちや よしひで、1970年5月29日 - )は、山梨県出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長174cm。 浅川中学から日川高校へ進むと、3年の時にインターハイ軽中量級に出場するが予選リーグで敗れた。1989年に日体大へ進学すると、3年の時に正力杯の71kg級で2位となった。続く正力国際では決勝でCISのウラジーミル・ジェボアーゼを得意の背負投で破って優勝を飾った。4年の時には正力杯と嘉納杯で3位になった。ハンガリー国際では決勝で山形県教育委員会の吉鷹幸春を破って優勝を飾った。 1993年には東芝の所属となると、実業個人選手権で2位になった。1994年にはチェコ国際の決勝で綜合警備保障の藤山茂に敗れて2位だった。
高柳 信也(たかやなぎ しんや、1970年4月23日 - )… 高柳 信也(たかやなぎ しんや、1970年4月23日 - )は、福井県吉田郡出身の鍼灸師・柔道整復師。元トヨタ自動車女子バスケットボール部コンディショニングコーチ。 現在は福井市にて鍼灸整骨院を開業。仕事の傍らトレーニング指導もしている 北陸高校バスケットボール部で、佐古賢一東野智弥、らとともに全国大会優勝に貢献。 その後 日本大学を経てクレーマージャパンに入社(1993-94)、脱サラ後、明治東洋医学院専門学校鍼灸科に入学。日本大学ではレバンガ札幌折茂武彦と同級生である。
山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は… 山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は、日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。了徳寺大学教授。また、了徳寺学園の柔道部監督も務めている。 岡山県出身。東海大相模高校時代には団体戦で活躍して、1年と2年の時に全国高校選手権で3位、金鷲旗では2年と3年の時に2位、インターハイは1年と3年の時に3位、2年の時に2位となったものの、全国優勝までには至らなかった。しかし、インターハイ個人戦の重量級では3年の時に優勝している。さらに、新人体重別でも優勝を果たした。 東海大学に進学すると、1年と2年の時に優勝大会で優勝した。また、1年の時には早くも全日本選手権に出場を果たすものの、初戦で綜合警備保障の金野潤に敗れた。
山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、… 山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は61kg級。身長166cm。 児玉高校2年の時に全国高校選手権61kg級の2回戦で敗れた。日体大へ進学すると、1年の時に正力杯で3位となった。強化選手選考会では決勝で常磐高校3年の北爪弘子に敗れて2位だった。2年の時には体重別決勝で世界選手権3位である筑波大学4年の小林貴子に敗れて2位だったが、正力杯決勝では大学の同級生である小竹尚子を破って優勝した。グッドウィルゲームズで3位になると、福岡国際では決勝まで進むも、中国の金香蘭に効果で敗れて2位だった。3年の体重別では3位、正力杯では決勝で埼玉大学2年の北爪に敗れて2位だった。