山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
職業がライター:714人
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
斎藤 勲(さいとう いさお、1941年 - )はフリーライ… 斎藤 勲(さいとう いさお、1941年 - )はフリーライター、作家。 大阪生まれ。1965年、早稲田大学第一政経学部経済学科卒業。徳間書店勤務ののち、フリーライターとして『平凡パンチ』などで活躍。 また、「日刊ゲンダイ」「FOCUS」の創刊にかかわる。「FOCUS」では創刊から廃刊までの20年間、アンカー・ライターをつとめた。 舎人周、舎人栄一の筆名でも、著作がある。編集プロダクション「iSプランニング」を主宰した。
辻野 弥生(つじの やよい、1941年 - )は、日本のフリ… 辻野 弥生(つじの やよい、1941年 - )は、日本のフリーライター、エッセイスト。福田村事件について記録した『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』の著者である。 1941年、福岡県福岡市南区に生まれる。香蘭女子短期大学卒業。1981年、千葉県流山市に移り住む。同人誌『ずいひつ流星』の主宰を務める。 1999年、福田村事件について書いてほしいという人物から資料を渡されたことで、同事件についての調査を開始した。福田村事件とは、1923年9月6日、関東大震災直後の千葉県福田村(現・野田市)において、香川県の被差別部落から来ていた15名の売薬行商団のうちの9名が、行商団を朝鮮人と決めつけた自警団によって殺害された事件である。
千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日… 千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日 - 1987年(昭和62年)7月9日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクションライター。死に至るまで自らのガン闘病記を出版し続けた。そのほかキャリアウーマンとしての生活術・仕事術、日本人論などについての著書もある。
久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10… 久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10月10日 - )は、群馬県太田市出身の医療機器開発コンサルタント、サイエンスライターである。生体情報モニタの創始を手始めとして、心電図モニタ、パルスオキシメーターなどのワイヤレス化、小型・省エネ化、ポータブル化などによる関連機器群の普及活動に尽力している。 1963年、群馬大学工学部電気工学科を卒業後、日本光電工業株式会社に入社し医療機器の研究開発に従事した。1965年に生体情報モニタ、1975年にワイヤレス式の生体情報モニタを商品化し、ともに世界初の開発だったことから「ミスタモニタ」や「生体モニタの父」と呼ばれる。このとき開発された初号機「MBM-40」は現在麻酔博物館に展示されている。
木村 聖哉(きむら せいや、1940年 - )はフリーライタ… 木村 聖哉(きむら せいや、1940年 - )はフリーライター。 中国・大連生まれ。同志社大学文学部社会学科卒。大阪労音事務局、「話の特集編集室」等を経てフリーに。 ハンセン病であった藤本としの同名随筆集を、ひとり芝居とした結純子「地面の底がぬけたんです」公演プロデューサー。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月1… 小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月10日)は、囲碁の観戦記者、ライター。 徳島県徳島市出身。1969年から日本棋院職員として勤務し、のち退社してフリー。1981年から約22年にわたり、毎日新聞の囲碁本因坊戦の観戦記を担当した。 2003年9月10日、間質性肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐藤 孝(さとう たかし、1939年〈昭和14年〉9月14日… 佐藤 孝(さとう たかし、1939年〈昭和14年〉9月14日 - 2022年〈令和4年〉2月19日)は、日本のコピーライター、実業家。初代博報堂DYメディアパートナーズ代表取締役社長。神奈川県出身。 1962年(昭和37年)、東京教育大学卒業、博報堂入社。 1994年(平成6年)、取締役に昇格。 1998年(平成10年)、常務取締役。 2000年(平成12年)、専務取締役。 2003年(平成15年)12月から初代博報堂DYメディアパートナーズ代表取締役社長を務め、東芝エンタテインメントの買収などを行った。 2010年(平成22年)6月、博報堂DYメディアパートナー取締役会長。 2011年(平成23年)6月、博報堂DYメディアパートナーズ相談役。
坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - … 坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - )は、日本の編集者、フリーライター、ルポルタージュ作家。 北海道函館市出身。1965年東洋大学卒。『週刊ポスト』『週刊現代』記者などののちフリー。『歴史と現代』(1980-1982、歴史と現代社)『新雑誌X』(1983-1991)編集長、元早稲田マスコミ塾専任講師。日本ペンクラブ会員。
原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )… 原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )は、日本の鉄道・旅行ライター。 東京生まれ。上智大学経済学部経済学科を卒業。その後凸版印刷のアイデンセンターとして一時勤めるが、1982年以降はフリーとなっている。「鉄道ジャーナル」・「旅と鉄道」などによく寄稿を行い、現在に至る。 元々は蒸気機関車専門のファンであったが、1975年の国鉄における全廃後は各方面に興味対象を広げた。1994年から約1年、JR東海の発行する年史『新幹線の30年-栄光の軌跡』(ISBN 4808305011)の編集に携わった後、新幹線には強い関心を抱くようになり、『新幹線がわかる事典』(ISBN 4534039158)などといった関連書籍をだすようになった。
横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年… 横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年〈昭和13年〉5月20日 - )は、タレント、フリーライター、放送作家。AB型。滋賀県大津市出身。 滋賀県立膳所高等学校を経て、1961年に立命館大学経営学部卒業。大学時代はジャズのドラマー,、また千日劇場の楽屋に出入りもしていた、このころ漫画トリオの横山ノックに横山フックが辞めるのでメンバー入りしてほしいと懇願されたが就職が決まっていたので固辞。就職してサラリーマン生活をしていたが3か月で辞め、大阪の繁華街でバンドボーイとして修業した後、再び芸人志望が強くなり横山ノックの元を訪れると横山やすしを紹介されお前ら組めと言われコンビを組み、初代横山たかしの名前をもらう。
芦沢 一洋(あしざわ かずひろ、1938年3月15日 - … 芦沢 一洋(あしざわ かずひろ、1938年3月15日 - 1996年 )は、日本のフリーライター。アウトドアライター、ネイチャーライター。 山梨県南巨摩郡鰍沢町出身。早稲田大学文学部卒業。 フリーのグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、日本フライフィッシング協会の設立に関わるなど、日本のアウトドア界の草分けとして知られる。新聞、雑誌、TV、ラジオでバックパッキング、フライ・フィッシングを中心にアウトドアライフ全般にわたる著作活動を行ない、国内各地と合衆国、カナダ、ニュージーランドを歩く。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )… 柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日 - )は、東京出身の生命科学者、サイエンスライター、エッセイスト、歌人。夫は柳沢嘉一郎。
こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)… こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)は、日本の小説家、コピーライター、演出家。岩手県出身。岩手県立大東高等学校、法政大学法学部卒業。作家としては経済小説を主に執筆する。
岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコ… 岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコピーライター。広島県呉市出身。 1938年、広島県呉市に生まれる。父は海軍大尉(終戦退役時)。 少年時代を山口県宇部市で過ごし、東京渋谷の松濤中学校、東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部新聞学科に入学。高校時代の同級生に作家の安土敏と朝日新聞元論説委員の早房長治、早稲田大学同学部の同級生に写真家の浅井慎平、脚本家の鎌田敏夫、作家の尾高修也、朝日新聞元論説委員の高山智がいた。大学卒業後、光文社に編集記者として務めたのち、明治製菓宣伝部でコピーライターとなる。その後、広告作家の土屋耕一に師事。一番弟子を自称している。 1971年、独立して株式会社岩永事務所(現・株式会社ロックスカンパニー)を設立。
鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和1… 鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和12年〉3月19日 - )は、日本のコピーライター、ゴルフマナー研究家。 1937年、秋田市に生まれる。小学校は静岡県藤枝市、中学校高校は東京都で過ごす。早稲田大学文学部仏文科へ。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰した。卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科へ進み、1961年コピーライターとして日本デザインセンターに入社。。1963年、東京コピーライターズクラブTCCの第1回新人賞受賞、入会。その後、1964年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを経て、フリーランスに。1969年、株式会社タイム設立。。TCC年艦事業部長、コピー年艦審査委員、日本広告制作会社連盟(OAC)常務理事、広告学校全25期専任講師、日本広報協会技術アドバイザーなどを歴任。
脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、… 脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、コピーライター、クリエイティブ・ディレクター。AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、東京都出身。 早稲田大学を卒業後、森永乳業へ入社。早大の同窓生に作家の阿刀田高がいる。森永でコピーライターとして広告に携わり、同社退社後フリーを経て、電通へ入った。 電通が時代に合わせて女性だけの広告代理店「電通EYE」を立ち上げることが決まり、脇田は専務取締役に就任。1985年に代表取締役社長ヘ就任。少数精鋭を好むスタイルで徒党を組むことを嫌い、電通EYEを大きくした。その後、時代の変貌と自らの年齢により退任。脇田の退任と同時に電通EYEも解散した。
山田 史生(やまだ ふみお、1936年12月 - 2013年… 山田 史生(やまだ ふみお、1936年12月 - 2013年7月9日)は、日本の将棋観戦記者で将棋ライター。東京都杉並区生まれ。父は囲碁の観戦記者として名高い山田覆面子(山田虎吉)。 1959年早稲田大学卒業。同年読売新聞社入社。地方部、娯楽部などを経て、1971年文化部。将棋、囲碁、芸能などを担当。「十段戦」の担当、そして「竜王戦」の創設や「アマチュア竜王戦」の発足などに尽力。 1996年定年退職。将棋、囲碁の観戦記者を行うかたわら、「囲碁将棋チャンネル」(CS衛星放送)顧問として、将棋番組のレギュラーキャスターを務める。2006年には「第13回大山康晴賞」を受賞。 読売新聞社社友、東京将棋記者会会友、将棋ペンクラブ会員、テレビ囲碁番組製作者会会友、日本中国文化交流協会会員。
秋山 晶(あきやま しょう、1936年2月16日 - )は日… 秋山 晶(あきやま しょう、1936年2月16日 - )は日本のコピーライター。合わせて現在ライトパブリシティ代表取締役ならびにCEOとして活躍する実業家である。 東京都世田谷区奥沢に生まれる。幼少期からアメリカン・カルチャーに馴染みを持ち、「ニューヨーカー」や「エスクァイア」などの雑誌を読み漁る学生生活を送る。その頃にDDBがフォルクスワーゲン・ビートルで完成させた広告制作手法として知られる、ノン・グラフィックにも一足早く触れており、広告の企画・制作の道を志望するようになる。 立教大学経済学部卒業後、1958年に講談社に入社、宣伝部に配属される。「若い女性」(現在は廃刊)などの雑誌や、小説の帯のキャプション等を手掛けた後、1964年に現在までキユーピーマヨネーズの広告でコンビを組むことになる、アートディレクター兼デザイナーの細谷巌と知り合い、細谷に誘われるカタチでライトパブリシティへ移籍。
岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の… 岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の編集者・スポーツジャーナリスト・ライター。 鳥取県生まれ。1960年京都大学文学部哲学科卒、文藝春秋入社、『文藝春秋』『週刊文春』『オール読物』編集部を経て、1980年創刊の『スポーツ・グラフィック・ナンバー』初代編集長、82-84年『文藝春秋』編集長を経て、99年退職。
しとう きねお(本名:紫藤 甲子男〔読みは同じ〕、1936年… しとう きねお(本名:紫藤 甲子男〔読みは同じ〕、1936年 - 2005年5月)は、日本の漫画家、パズル作家、ライター。 本名名義のほか、姓名の間に中黒を入れた「しとう・きねお」の表記でも活動した。 東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)出身。早稲田大学商学部在学中の1956年、創設されたばかりの早稲田大学漫画研究会に入部し、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らと活動する。同人文芸サークル「ワセダミステリクラブ」にも参加していた。 大学卒業後の1959年に広告代理店に入社。もとは園山に斡旋した就職先であったが、その園山が入社初日に辞職したため、「人身御供として」1年半勤務した。そのかたわら、『週刊サンケイ』へのカットイラスト提供でプロデビュー。
小池 一子(こいけ かずこ 1936年 - )は日本のクリエ… 小池 一子(こいけ かずこ 1936年 - )は日本のクリエイティブディレクター、コピーライター。東京都出身。父は教育学者の矢川徳光、姉は作家、詩人、翻訳家の矢川澄子。
菅野 国春(かんの くにはる、1935年5月14日 - )は… 菅野 国春(かんの くにはる、1935年5月14日 - )は、日本の作家、出版プロデューサー、フリーライター。 岩手県奥州市出身。國學院大學卒業。編集者、ルポライター等を経て作家に。 1990年、菅野ペンオフィスを設立し出版プロデューサーとしても活動している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
たいらまさお(本名:平 正夫、1935年4月5日 - )は、… たいらまさお(本名:平 正夫、1935年4月5日 - )は、フリーライター。兵庫県神戸市生まれ。平龍生(たいらりゅうせい)は兄。 絵本ストーリィ作者として学研の幼児誌を中心に幼年童話を多数執筆 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
戸嶋 平八(としま へいはち、1934年〈昭和9年〉11月1… 戸嶋 平八(としま へいはち、1934年〈昭和9年〉11月10日 - 1998年〈平成10年〉7月11日)は愛媛県で活動していたラジオパーソナリティ、イラストライター。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校を卒業。 伊予弁による本音トークが人気であった。 1998年7月11日、死去。享年63。
戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本… 戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本の語学書ライター、教育者(大学教授)。 岐阜県出身。東京外国語大学英米学科卒。NHK国際局報道部、東海大学外国語教育センター教授を歴任。 1986年から1998年までの間に、泰流社(1998年に廃業)から文法書や辞書などの語学書を出版していた。語学書の対象とした言語は非常に多く、アラビア語やイタリア語といったメジャーな言語はもとより、ミウォク語やパパゴ語(英語版)といったマイナーな言語までカバーしていた。これらの語学書の出版点数は、1998年には83点を数えるに至ったが、同年の泰流社の廃業により出版元を失って以降は出版されていない。そのほか、評論社から国木田独歩や二葉亭四迷の作品の英訳を出版した。
杉淵 玲子(すぎぶち れいこ、1934年2月26日 - 20… 杉淵 玲子(すぎぶち れいこ、1934年2月26日 - 2023年11月4日)は、日本の翻訳家、フリーライター。 1934年青森県青森市に生まれる。津田塾大学英文科を卒業後、日本ユネスコ協会連盟に勤務。米誌『ホライズン』東京連絡員、『リーダーズダイジェスト』極東版国際広告部を経て、『ジャパン・タイムズ』の『クーリエ』翻訳。1963年東京キワニスクラブ設立準備事務局に勤務し、1965年社会奉仕団体・キワニスの招待でケンタッキー州ルイビル大学に留学。1966年から1967年にかけてヨーロッパを旅行して帰国。
佐江 衆一(さえ しゅういち、1934年〈昭和9年〉1月19… 佐江 衆一(さえ しゅういち、1934年〈昭和9年〉1月19日 - 2020年〈令和2年〉10月29日)は、日本の小説家、コピーライター。本名は柿沼 利招()。老老介護を描いた『黄落』(1995年)がベストセラーとなったほか、時代小説も手がけた。 東京府東京市浅草区栄久町(現:東京都台東区蔵前4丁目)の「柿沼質店」の次男として出生。2日前に4歳の兄が急性肺炎で急死していた。母の乳が出ず乳母の乳を飲み、兄の生まれ代わりとして大事に育てられ病弱。質店には浅草六区の芸人・歌手・踊り子・劇場の客引き・アドバルーン揚げや両国の相撲取りや下町の苦学生等の庶民の客が来て、それらの話を盗み聞きしてマセた子として育つ。
石原 藤夫(いしはら ふじお、1933年〈昭和8年〉4月1日… 石原 藤夫(いしはら ふじお、1933年〈昭和8年〉4月1日 -)は、日本の小説家、SF作家、サイエンス・ライター、SF書誌研究家、通信工学者(工学博士)である。2000年ごろ、インターネット上で保守的な発言を始めた頃から、過去の自作に因んで“オロモルフ”と名乗り始めた。 ハードSF研究所、SF資料研究会主宰。日本文芸家協会、日本推理作家協会、日本SF作家クラブなどの会員。靖国神社崇敬奉賛会終身会員。元玉川大学教授。論文特許多数あり。 遠縁に社会主義者の沖野岩三郎。 東京府東京市(現在の東京都渋谷区原宿)生まれ。歯科医の長男としてうまれる。母親は同志社大学卒業で、吉屋信子の英語の家庭教師をしたこともある。
西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16… 西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16日 - 2016年12月27日)は、日本のフリーライター、地方史家、出版事業者。宮城県気仙沼市出身。大学(不明)中退後、記者、商工会議所勤務を経て、1976年より出版社・耕風社を始める。『三陸地方総合誌』主宰。東日本大震災で住居が全壊し、山形県にて被災避難生活していた。
烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月1… 烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月17日 - )は、日本の国際ビジネスコーディネーター、ライター、翻訳家。ジャーナリストの烏賀陽弘道は息子。京都大学名誉教授の烏賀陽然良は祖父。 フィリピン・マニラ生まれ。横浜正金銀行元行員で江商(現:兼松)取締役や東京皮革社長を務めた烏賀陽恒正の長男として生まれる。父親の仕事の関係で、生後すぐアメリカ合衆国に渡り、幼少期をニューヨークとロサンゼルスで過ごす。京都大学法学部卒業。東レ入社、国際ビジネスに従事。帰国後、同社マーケティング開発室長などを経て独立。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本の… 斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本のフリーライター。 北海道生まれ。北海道函館中部高等学校をへて、東京大学に進学し卒業後、NHK入局。プロデューサーとして報道番組やドキュメンタリーを担当したのち、1965年退社。以降、フリーライターになる。
朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 202… 朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 2023年6月17日 )は、日本のコピーライター、詩人、童話作家。東京都出身。 小学生の頃は夏休みごとに静岡市で過ごし、中学1年の3学期に静岡県立静岡中学校へ疎開転校した。中学3年の1947年(昭和22年)7月7日、結核で神奈川県秦野の療養所に入り、1955年(昭和30年)8月末まで8年2ヶ月の間、ベッドの上で暮らし24歳で退院した。静岡中学は3年1学期で中退したが、同級生たちのカンパによって抗生物質の入手が可能となり再起に繋がった。 1960年(昭和35年)1月、米国海軍戸塚無線送信所技術者から、ライトパブリシテイに転職、15年勤務の後、フリーランスを経て、1974年(昭和49年)12月、株式会社パブロを設立。
田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 20… 田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 2008年1月6日)は、日本の将棋観戦記者、将棋ライター。 東京都生まれ。早稲田大学在学中は将棋部正選手として活躍。1956年共同通信社に入社、1959年より運動部で将棋、囲碁、相撲、柔道などを担当。1974年棋王戦創設に参画し、その運営に当たった。 大阪支社運動部長などを歴任し、1991年定年退職。以後はフリーの観戦記者として活動した。 1997年、将棋ペンクラブ大賞。2000年から2007年まで、将棋ペンクラブ大賞の選考委員をつとめた。2002年、大山康晴賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
梶 祐輔(かじ ゆうすけ、1931年1月23日 - 2009… 梶 祐輔(かじ ゆうすけ、1931年1月23日 - 2009年10月4日)は、日本のコピーライター、クリエイティブディレクター。日本デザインセンター最高顧問。大阪府出身。 東京コピーライターズクラブ会員、東京アートディレクターズクラブ会員、日本広告学会監事。 大阪府に生まれる。早稲田大学文学部仏文科卒業後、電通を経てフリーのコピーライターとなり、1960年日本デザインセンター設立に参加。アサヒビール、野村証券、トヨタ自動車など数多くの企業を担当し昭和を象徴する広告を生み出した。人間に対する深い思いやりと生活者と企業を結びつける優しい視点は、企業が社会の中で果たすべきポジションを的確に見つけ、それを広告として表現する。
西尾 忠久(にしお ただひさ、1930年〈昭和5年〉6月9日… 西尾 忠久(にしお ただひさ、1930年〈昭和5年〉6月9日 - 2012年〈平成24年〉7月28日)は、日本のコピーライター、評論家。 鳥取県に生まれる。関西大学経済学部卒。 大学在学中、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に開高健らと参加。在学中に、三洋電機のハウスオーガン(PR誌)の文筆家として入社。宣伝部に配属されると共に、家電向けPR誌の編集を担当。未開だった日本の産業界・広告界でコピーライティングの実践をおこなうべく、また当時アメリカで主流になりつつあったクリエイティブ手法、ノン・グラフィックを創始したことで知られるDDBのクリエイティブシーンを松本善之助らと、共に日本で初めて紹介した。
河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 200… 河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 2006年1月3日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、フリーライター。 筆名に、三田 海彦(ミタ ウミヒコ)、御岳 森彦(ミタケ モリヒコ)、河原 遊酔(かわはら・ゆうすい)。日本ペンクラブ、本の会、痛風友の会、各会員。現代デザイン研究所(旧 河原ゼミナール)を主催。 愛知県刈谷市出身。名古屋工業大学機械科中退。慶応義塾大学国文科中退。文化学院デザイン科卒。1950年代、雑誌「装苑」などでファッションイラストを手がけた。イラストレーター、文筆家として活躍し、傍らNHK文化センターや現代デザイン研究所で後輩プロを育成。 1961年に出版された「イラストレーション・技法とアイディア」に続き、30冊以上の本を出版した。
森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日… 森山 京(もりやま みやこ、1929年〈昭和4年〉7月10日 - 2018年〈平成30年〉1月7日)は、日本の童話作家、コピーライター。化粧品のCMコピー「25歳はお肌の曲がり角」の作者。 東京都大森生まれ。兵庫県立福崎高等女学校卒業、神戸女学院大学中退。大阪阪急百貨店宣伝部勤務を経てフリーのコピーライターとなり、日本デザインセンターで活動した。40歳から創作を始める。1968年「子りすが五ひき」で講談社児童文学新人賞佳作、翌年児童文学作家としてデビュー。1983年『ねこのしゃしんかん』(講談社)でボローニャ国際児童図書展エルバ賞特別賞受賞。1989年「きつねのこ」シリーズで路傍の石幼少年文学賞、1990年『あしたもよかった』で小学館文学賞、1996年『まねやのオイラ旅ねこ道中』で野間児童文芸賞、1999年『パンやのくまちゃん』でひろすけ童話賞、2009年『ハナと寺子屋のなかまたち』で赤い鳥文学賞を受賞。
金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイ… 金子 史朗(かねこ しろう、1929年 - )は、日本のサイエンスライター。 東京農業大学、日本大学など非常勤。The Planetary Society, AAAS(アメリカ科学振興協会)、ニューヨーク科学アカデミーなどの会員。 歴史学者の金子民雄は弟。 東京生まれ。東京文理大(現筑波大学)地学科卒、同大研究科4修。東京都立立川高等学校教員を経て、サイエンスライターへ転身。 発表年 テーマ 発表雑誌名 巻、号、頁
綿貫 礼子(わたぬき れいこ、1928年 - 2012年1月… 綿貫 礼子(わたぬき れいこ、1928年 - 2012年1月30日)は、科学ライター、エコロジスト。 東京薬科大学卒業。専門は環境学、平和研究、エコロジー。「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク代表。反環境汚染、反原発運動を行った。 1972年のスウェーデンの国際連合人間環境会議にも参加した。
貴島 操子(きじま みさおこ、1927年 - 2011年)は… 貴島 操子(きじま みさおこ、1927年 - 2011年)は日本の女性ジャーナリスト、フリーライター。 1952年東京大学文学部卒業。読売新聞社記者を経て、フリーライターとなる。日本婦人問題懇話会の発足当時からの会員として初期の出版物である田中寿美子編『ビジネスマダム‐共かせぎ百科』(読売新聞社出版局、1963年)の実現に貢献した。
吉村 光夫(よしむら みつお、1926年(大正15年)2月1… 吉村 光夫(よしむら みつお、1926年(大正15年)2月14日 - 2011年(平成23年)1月3日)は、日本のアナウンサー、司会者、鉄道ライター。愛称は「ロングおじさん」、「ロンちゃん」。「吉村 忠晃」の名義を使用する場合もあった。2女あり。 兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市、東京都千代田区育ち。 1937年(昭和12年)、第一東京市立中学校(現・千代田区立九段中等教育学校)に入学し、1942年(昭和17年)に卒業。次いで同年藤原工業大学(後の慶應義塾大学工学部、現・理工学部)予科に入学、戦後の1948年(昭和23年)に慶應義塾大学大学工学部電気工学科を卒業し、日本放送協会(NHK)入局。
長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2… 長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2021年7月27日)はフリーライター、出版史研究者。 日本推理作家協会会員。現代風俗研究会、雑学倶楽部、書皮友好協会各会員。 大阪市生まれ。旧制官立大阪工専(現大阪公立大学工学部)卒業。元東京新聞記者。元東京田辺製薬役員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - … 大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる。函館師範学校中退。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。
大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 20… 大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 2017年11月11日)は、日本のフリーライター。日本エディタースクール講師。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部を経て九州大学法文学部卒業。 大戦末期に学徒出陣し、西部第47部隊に入営。甲種幹部候補生に合格し、久留米第一予備士官学校に11期生として入学。歩兵砲中隊速射砲区隊を経て福知山の中部軍教育隊での教育機関を終えたのち、12月に大村に戻り初年兵教育を担当する。45年頭に新田原飛行場の警備兼塹壕構築に従事。3月中旬に第156師団に転じ、速射砲中隊を経て5月より歩兵第454連隊(護西第22804部隊)第3大隊副官に転じる。7月に幹部候補生教育隊も兼任した。
花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1… 花森 安治(はなもり やすじ、1911年10月25日 - 1978年1月14日)は、日本の編集者・グラフィックデザイナー・ジャーナリスト・コピーライター。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。 1911年、兵庫県神戸市に6人兄弟の長男として生まれる。父親の花森恒三郎は裕福な薬種商であったが、競馬や株などで財を無くし、安治が8歳のときには火事で家が全焼したため長屋暮らしとなった。安治は幼い頃より画才に優れ、神戸市立雲中小学校の同級には田宮虎彦がいた。旧制兵庫県立第三神戸中学校では活動写真部と弁論部に入り、1年浪人して旧制松江高等学校に進む。旧制高校時代、田所太郎らと校友会雑誌(第20号:1932年12月が花森の責任編集号)の編集に参加したことが編集者としての出発点になったと語る。
上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905… 上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905年6月2日 - 1979年6月5日)は、日本の詩人、小説家、コピーライター。妻の小坂たき子も小説家。戦後はコピーライターとしてヒットを飛ばし、広告業界で活躍した。 茨城県筑波郡作岡村(筑波町を経て現つくば市)で、上野清二郎(地主、警察官)、とく の三男として生まれた。早稲田高等学院露文学科を中退し、アナキズム系の「黒嵐時代」の一員となり、1929年「文芸戦線」に携わり、1927年に労農芸術家連盟の書記長及び前衛芸術家同盟の結成や、日本プロレタリア作家同盟に加入した。 後に人物評論社に就職し、『人物評論』編集部に勤務し、尾崎一雄の「暢気眼鏡」を掲載した。
安永一(やすなが はじめ、1901年(明治34年)12月3日… 安永一(やすなが はじめ、1901年(明治34年)12月3日 - 1994年(平成6年)2月2日)は、アマチュアの囲碁棋士、囲碁評論家、ライター。兵庫県氷上郡出身。木谷実、呉清源と共著の『囲碁革命 新布石法』は特に有名。アマチュア棋士としても実力は一流で、中国流布石を創始したとも言われる。プロ棋士の育成もし、門下に小松英樹、谷口敏則、吉岡薫らがいる。
岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 19… 岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。本名・龍郎(たつお)。三重県に生まれ、大阪府で育った。 1909年大阪成器商業学校(現・大阪学芸高等学校)卒業。同年西田当百に師事、1913年に西田当百等とともに番傘川柳社を組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹として主宰。そのかたわら、コピーライターとして1909年大阪貯金局にはいり、大阪新報社勤務をへて、1918年桃谷順天館に転じ、1920年福助足袋(現:福助)、1931年壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ)の広告を担当。グリコでは広告部長を務めた。
片岡 敏郎(かたおか としろう、1882年10月3日 - 1… 片岡 敏郎(かたおか としろう、1882年10月3日 - 1945年1月31日)は、戦前の広告業界で活躍したコピーライター(当時の呼び名で「アドライター」)の第一人者。「天才」と謳われた。静岡県焼津市出身。 旧制開成中学校卒業[要出典]後、海軍兵学校を目指すも叶わず、静岡中学校を卒業。泉鏡花に師事して文筆家を目指すが挫折。1906年、シャム公使館に勤務。1909年から1912年まで渡航。広告業界に足を踏み入れるきっかけは本人曰く「たまたま見た森永(製菓)の広告がまるでダメで、これなら俺の方がよいものができる」と思ったからだという。帰国後の1913年、日本電報通信社(現・電通)に入社するも、翌年には、その森永製菓に広告部長として招かれ、ヒット広告を次々と打ち出す。