広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 200… 定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 2001年10月30日)は、日本の編集者、評論家、劇作家。日本フェノロサ学会、日本浮世絵協会会員。 福岡県北九州小倉出身。旧制五高卒業。1954年、東京大学文学部仏文科卒業。のちに日本読書新聞・日本エディタースクールで同僚となる吉田公彦(旧名:谷川公彦。谷川雁ら谷川兄弟の末弟)とは、五高・東大とおしての同級生。 日本読書新聞に入社し編集者に。1958年の週刊読書人創刊による分裂時にも編集部に残り、編集長の巌浩の片腕として活躍。1962年からは編集長もつとめた。 1965年には谷川雁らが創設したラボ教育センターに入社。のちの、ラボ教育センターの分裂時には、谷川と行動をともにし、1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。
赤井 鬼介(あかい おにすけ、1932年 - 1999年)は… 赤井 鬼介(あかい おにすけ、1932年 - 1999年)は、日本の脚本家、編集者。本名:宮崎 英明。立教大学経済学部卒。赤井企画代表取締役社長。 東宝撮影所特殊技術演出助手を経て、円谷プロダクション企画室の出向社員として入社。『ウルトラセブン』や『戦え! マイティジャック』の脚本を担当し、『ウルトラセブン』第11話「魔の山へ飛べ」では友人の金城哲夫、上原正三と共に地球防衛軍メディカル・センターの医師役としてカメオ出演。 その他、東宝演劇の宣伝プロデューサーや、信州大学の非常勤講師、池田町図書館の館長を勤めた。 ※全てノンクレジット ※第9・10話は小滝光郎と共同
浅川 満(あさかわ みつる、1932年 - 2008年7月7… 浅川 満(あさかわ みつる、1932年 - 2008年7月7日)は、日本の編集者。太郎次郎社(現・太郎次郎社エディタス)の創業者。 東京府出身。浅草の履物問屋の末っ子として生まれる。幼いころから本の虫だった。中央大学法学部在学中に学生運動へ参加。卒業後は、現代社、麦書房、北星美術、一ツ橋書房を経て太郎次郎社を設立。詰め込み教育が問題になっていた1973年、戦後の理想に立ち戻り、「人間一人ひとりから出発する教育」を掲げて月刊教育誌『ひと』を創刊。自ら編集部長を25年間務め、ピーク時には3万部を記録した。2001年、咽頭がんを発病。長い闘病生活を経たのち、2008年7月7日、肺炎により死去。
安藤 満(あんどう みつる、1931年12月4日 - 202… 安藤 満(あんどう みつる、1931年12月4日 - 2023年1月9日)は、日本の編集者、経営者。文藝春秋社長を務めた。 神奈川県出身。1955年に慶應義塾大学文学部西洋史学科を卒業し、同年に文藝春秋に入社。「諸君!」・「オール読物」・「文藝春秋」各編集長を経て、1984年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年2月から1999年6月まで社長を務めた。 2023年1月9日、心不全のため死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25… 清水 文人(しみず ふみと、1931年(昭和6年)11月25日 - 1997年(平成9年)6月1日)は、日本の書籍編集者、実業家。 長野県南佐久郡佐久町(現佐久穂町)出身。明治大学大学院(商学研究科)修了、1956年に双葉社に入社。『世界の秘境』編集部などをへて、1965年「漫画ストーリー」の編集長に就任。 1967年、青年コミック誌のさきがけとして「週刊漫画アクション」を創刊。「漫画で文学をやる」として新機軸を打ち出し、初代編集長として「ルパン三世」、「子連れ狼」、「じゃりン子チエ」などのヒット作を生みだす。ルパン三世において石川五右衛門を登場させ、女性の細かい描き方を指示するなど、キャラクター設営にまで及んだ細かい指示出し等により、多くの劇画・漫画家を育てたとされる。
来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、… 来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、日本の歌人、編集者。
増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年… 増淵 健(ますぶち けん、1931年8月1日 - 1996年5月21日)は日本の編集者・映画評論家。日本映画ペンクラブ会員。 千葉県船橋市生まれ。1956年、東京教育大学文学部独文科卒業。 光文社での月刊誌、週刊誌の編集者を経て、1964年からフリーに。 娯楽映画評価の先駆者であり。また、映画を作品論としてとらえるだけでなく、映画産業のメカニズムの中で論じるという、独自の評論スタイルを持った。主著に「映画のもうひとつの楽しみ方」「西部劇」「B級映画フィルムの裏まで」などがある。 西條の没後、2003年度の日本映画批評家大賞内に増淵健賞が創設されており、2004年度・2005年度は特別賞、2006年度から2011年度まで特別功労賞の副名称として授賞が行われていた。
荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985… 荒木 博(あらき ひろし、1931年5月30日 - 1985年7月10日)は日本の雑誌編集者。週刊現代・週刊ポスト元編集長。 1931年5月30日、東京に生まれる。東京教育大学文学部を卒業し、講談社に入社する。「婦人倶楽部」の編集を振り出しに、「たのしい三年生」・「日本」・「若い女性」を担当する。1964年に「週刊現代」の編集になり、3年後に編集長となる。「週刊現代」の発行部数をトップクラスに伸したが、編集をめぐって幹部と対立し、退社する。1969年に小学館が新しく発行する「週刊ポスト」の初代編集長にスカウトされる。このライバル誌への移籍は出版界の話題となった。 1985年7月10日、千葉県外房の海岸で入水自殺する。
櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は… 櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は日本の作家、編集者、YouTuber。 「ミニスカートブームの仕掛け人」「OLの名付け親」「西洋占星術を日本に紹介」として知られる。 『ウーマンウェーブ』代表取締役会長、『きずな出版』代表取締役社長、『KIZUNA CREATIVE』取締役、『早稲田運命学研究会』主宰。元女性自身編集長。著者『女がわからないでメシが食えるか』『男の運命は35歳で決まる』など200冊に及ぶ。古今東西の占い・運命学を研究活用している。 作家、きずな出版社長、5つのオンラインサロンのオーナー、YouTuberの顔を持ち、女学の神様・運命師・伝説の編集長などと呼ばれる。
落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、… 落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、日本の演劇評論家、編集者。 東京都出身。1956年早稲田大学国文科を卒業。東京創元社で「名作歌舞伎全集」の編集に、第三文明社で「絵本通俗三国志」の校訂に携わる。ほか、成城大学文芸学部講師を務めた。
西川 秀男(にしかわ ひでお、1931年 - 2006年3月… 西川 秀男(にしかわ ひでお、1931年 - 2006年3月10日)は、日本の編集者。元岩波書店取締役(辞典・ニューメディア開発担当)。 1931年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部を中退し、1948年、岩波書店に入社。経理部、出版部を経て、1965年より「広辞苑」第2版から第4版までの編集・制作に携わる。その間、コンピュータ組版(CTS)による各種辞典(「生物学辞典」「六法全書」など)の制作を推進する。1986年から「広辞苑」CD-ROMの開発・商品化を担当し、翌年に「広辞苑 第3版」CD-ROM版が発売される。1991年には、電子ブックの普及のための「電子ブックコミッティー」を立ち上げ、代表幹事に就任する。
丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 20… 丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 2016年12月15日)は、日本の漫画編集者。『少女クラブ』編集長、講談社取締役を務めた。山梨県甲府市出身。学習院大学文学部哲学科卒業。 1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫担当の編集者を務めた。初期のトキワ荘に住む漫画家を発掘、担当を務めて、数々の新人を育て上げた編集者でもある。藤子不二雄Aの自伝漫画『まんが道』にも「編集長の丸池」として登場する。 育てた漫画家として、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子らがいる。 1953年(昭和28年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)に入社。1954年(昭和29年)、『少女クラブ』編集部配属となり、当時「リボンの騎士」を連載していた手塚治虫の担当となり、以後、手塚番を6年務めた。
福元 一義(ふくもと かずよし、1930年11月5日 - 2… 福元 一義(ふくもと かずよし、1930年11月5日 - 2016年9月)は、日本の漫画家、漫画編集者、漫画アシスタント。元手塚プロダクション所属。別名:福本一義、福本かずよし、伊奈たかし。 手塚治虫のチーフアシスタントを20年以上務める。手塚24歳頃の担当編集でもあり当時から作画を手伝っていた。 鹿児島県に生まれる。鹿児島県立鹿屋高等学校卒業後[要出典]、グラフィックデザイナーを目指して1949年に日本大学芸術学部に進学。1952年、下宿先で知り合った絵本作家にイラストを認められ少年画報社を紹介され、大学を中退して同社に入社する。少年画報の編集者として、手塚治虫、福井英一、高野よしてる、武内つなよし、河島光広を担当する。
亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010… 亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010年10月23日)は京都市出身の編集者。 父亀井三郎(化学者、京都帝国大学教授)と叔父亀井奎介(内科医、岐阜医大教授)は共に高知県出身で第三高等学校 (旧制)OB。旧制京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)のころから文学作品に魅せられ太宰治に私淑していた。第三高等学校 (旧制)を経て、1954年、東京大学文学部仏文科卒業。同年、古山高麗雄の後任として河出書房に入社。主に文芸出版を担当した。『知性』編集部での同僚に山口瞳がいる。 1957年に河出書房倒産に伴い退社し、フリーライターとなる。テレビ関連の仕事もこなした。 1957年11月、新潮社に入社し三高の先輩の野平健一と仕事をするようになる。
高橋 健(たかはし けん、1930年7月25日 - 2007… 高橋 健(たかはし けん、1930年7月25日 - 2007年3月1日)は、日本の編集者、児童文学作家、動物文学作家、翻訳家。本名は高橋健(タカハシ タケシ)。俳号は草風子。 岐阜県関市に生まれる。大阪府大阪市で育つ。 15歳で終戦を迎えるまでの5年間を、父の勤務地である上海で過ごす。1954年、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。早大在学中は早大童話会に所属、坪田譲治に師事。1955年平凡社に入社。 20年間の編集者生活ののち、1975年に退社し、以後作家生活に入る。この間、1973年動物雑誌「アニマ」を企画・創刊、初代編集長を務めた。また、1961年、コピー部門で朝日広告賞を受賞。 映画「キタキツネ物語」企画・原案を担当。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 … 岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 - 2023年(令和5年)10月15日)は、昭和・平成期の演劇評論家・編集者。 東京大学文学部卒業。新潮社に編集者として勤務しつつ、外部媒体に演劇評論を執筆。 2023年10月15日、肺炎のため東京都の自宅で死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
厚木 淳(あつき じゅん、1930年3月9日 - 2003年… 厚木 淳(あつき じゅん、1930年3月9日 - 2003年5月19日)は、日本の翻訳家、編集者。厚木氏の末裔。 東京市日本橋生まれ。成城高等学校 (旧制)を経て、1952年、旧制京都大学経済学部2年在学中に創元社入社。1953年に同大学を卒業。東京創元社で編集者として『世界推理小説全集』などを担当。1959年、創元推理文庫を創刊。1963年、創元推理文庫にSF部門を設ける。編集者として働く傍ら、100冊近い翻訳も手がけた。 宮田昇は著書で「長身白皙の容姿に加えて、老人キラーといわれてもよい、育ちのよさから来る礼儀ただしさ、しかも裏表のないまっすぐな生一本さがあった」と回想している。 1967年取締役編集部長、編集顧問を経て、1981年に東京創元社を退職。
木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2… 木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2023年7月13日)は、日本の編集者。元マガジンハウス社長。 東京府出身。米沢藩の側用人・木滑要人の子孫。15歳で太平洋戦争の敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。1954年3月、立教大学文学部史学科卒業。学生時代から出入りしていた平凡出版(現在のマガジンハウス)に1955年3月に入社し、1965年から1980年まで『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任した。1980年12月取締役に就任。1982年6月には『Olive』の編集長を兼任する。1984年10月、取締役編集担当副社長に就任し、1988年には『Hanako』を創刊しブームを作るきっかけを与えた。
田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 202… 田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 2026年1月11日)は、日本のフェミニズム運動家・編集者。 東京生まれ。早稲田大学文学部フランス文学科卒業。大学院へ進むが、夫の田中昭二(東大名誉教授)の渡米に従い、研究者を断念。グループわいふ代表取締役、政治雑誌『ファム・ポリティク』編集長。1976-2000年主婦の投稿誌『わいふ』編集長。1997年「ニュー・マザリングシステム(NMS)研究会」を創設。 1999年、林道義の『主婦の復権』に関して『諸君!』誌上で論争を行った。
粕谷 一希(かすや かずき、1930年(昭和5年)2月4日 … 粕谷 一希(かすや かずき、1930年(昭和5年)2月4日 - 2014年(平成26年)5月30日)は、日本の編集者、出版事業家、文筆家。都市出版株式会社社長を経て、相談役。 保守派の編集者として多くの書き手を送り出し、戦後日本の論壇に保守主義、現実主義の潮流を築いた。東京府出身。 東京雑司が谷に生まれる。旧制東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蠟山政道、丸山眞男の著作を読み、高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中期の著作にも影響を受けた。 1955年、中央公論社に入社。
小長井 信昌(こながい のぶまさ、1930年 - 2025年… 小長井 信昌(こながい のぶまさ、1930年 - 2025年2月2日)は、日本の漫画編集者。集英社時代から一貫して少女マンガ家の育成指導にあたり、白泉社の立ち上げメンバーとして多くの少女マンガ雑誌の創刊を行い、現在の隆盛をつくった。 静岡県静岡市に生まれ、東京陸軍幼年学校時代に終戦を迎えた。横浜国立大学経済学部を卒業後、1955年に集英社に入社、『おもしろブック』、『りぼん』編集部を経て、『別冊マーガレット』編集長として1970年代初頭は15万部であった別冊マーガレットの発行部数を150万部まで増やした。1973年白泉社創立に参加。その後は編集担当役員として『花とゆめ』『LaLa』『ヤングアニマル』『MOE』などを編集長として創刊。
中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は… 中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は、日本の編集者、評論家。 東京生まれ。1952年日本女子大学英文科卒業、中央公論社に入社。「婦人公論」「思想の科学」「中央公論」編集部に属し、のち書籍編集者となり、1978年に退社。東京大学新聞研究所講師をつとめた。 思想の科学研究会会員、離婚後、評論活動を始める。小田切秀雄に師事し、宮本百合子の伝記を描いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 201… 甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者。元マガジンハウス副社長。 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町出身。実家は米屋を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校(神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校の前身)、府立高等学校(東京都立大学の前身)を経て、1955年に東京大学文学部仏文科を卒業。 学習研究社を経て、1959年に平凡出版へ入社。『平凡パンチ』『週刊平凡』『an・an』の編集長として、1960年代から1970年代の流行の先駆者として活躍。その後、『クロワッサン』『ダカーポ』などを創刊し、大人になった『an・an』世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。
能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年… 能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年12月16日)は、作家、編集者。本名は野島 良治(のしま よしはる)。 宮崎市出身だが、子供の頃に親の故郷である高知市へ移ることになり、高知県立海南中学校に入学した後名古屋陸軍幼年学校へ入学したが、終戦となり海星中学に復学したのち旧制高知高等学校に進学する。 1949年に東京大学文学部ドイツ文学科へ入学すると、在学中に旧制高知高校の先輩から誘われる形で同人誌『第15次新思潮』に加わり、1952年に大学を卒業して小学館に入社した後も児童向け雑誌の編集に関わりながら短編数話を発表した。その後小学館の学習雑誌で学年別の編集長を務め、作家として梶山季之や瀬戸内寂聴らを起用している。
福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 19… 福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 1976年4月9日)は、樺太出身の編集者、SF作家、SF評論家、翻訳家。 本名:加藤 正実(かとう まさみ)。別名:加藤 喬(かとう きょう)、原 狷介(はら けんすけ)がある。 長男の加藤 喬(かとう たかし、1957年 -)は元米陸軍大尉で米国防総省外国語学校日本語学部長であり、第3回開高健賞奨励賞受賞者である。次男の加藤まさし(別名・桑沢慧、1963年 - )も翻訳・著述を手がけている。義弟(妹の夫)は内田庶(宮田昇)。詩人田村隆一の2度目の妻は正実の従姉妹。 初代『S-Fマガジン』編集長であり、それまで日本の出版界では商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、様々な分野で精力的に活動し、「SFの鬼」と呼ばれた。
伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2… 伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2004年9月1日)は、日本のロシア語翻訳家、出版編集者、ロシア語教育者。 現在の大阪府大阪市旭区森小路生まれ。大阪市立中大江東小学校、山水中学校、仙台幼年学校、茨城県立下妻中学校を経て、東京外国語大学ロシア語科卒業。新読書社社長、本郷ロシア語クールス主宰。レーニン、クルプスカヤ夫妻に関心が深く教育学関係図書の翻訳を多く行った。 2004年9月1日、脳幹梗塞のため死去。
金平 聖之助(かねひら しょうのすけ、1928年12月30日… 金平 聖之助(かねひら しょうのすけ、1928年12月30日 - 2019年11月7日)は、日本の編集者、出版学者。小学館国際室長、大妻女子大学短期大学部教授などを歴任した。 京都府生まれ。早稲田大学第一高等学院を経て早稲田大学教育学部英語教育科卒業。小学館に入り、『めばえ』『よいこ』『幼稚園』編集長、国際室長、1988年大妻女子大学短期大学部教授。日本出版学会常任理事。アメリカ出版研究会主宰。 死後、蔵書は金平文庫として白百合女子大学に収められた。
内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019… 内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019年3月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編集者、著作権コンサルタント、実業家。東京都出身。日本ユニ著作権センター代表理事理事兼顧問著作権相談員。本名は宮田 昇(みやた のぼる)。1953年、明治大学文学部文学科中退。 戦後、近代文学社、南雲堂などに勤務ののち、1952年から早川書房の編集者となり、ハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊を企画する。のち1955年に退社し、チャールズ・イー・タトル商会で勤務するかたわら、ペンネーム内田庶(うちだ ちかし)名で数多くの児童書の執筆・翻訳を手がける。1967年、独立して矢野浩三郎と矢野著作権事務所を興す。
小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年… 小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年9月19日 - 2025年9月5日)は、日本の編集者、文芸評論家、詩人。 東京府出身。日本女子大学国文科卒業。1949年、新潮社入社。『新潮』編集部にて森茉莉や三島由紀夫、檀一雄、吉行理恵、幸田文、円地文子らを担当。特に森とは、1958年から森が死去する1987年まで29年間にわたって親交を結んでいた。1970年には、三島事件当日の朝に三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』第4巻「天人五衰」の最終回原稿を受け取った。 出版部、副部長職兼務を経て1988年に退社し、文筆業一本となる。 2025年9月5日、老衰のため死去。96歳没。生涯独身だった。
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – … 伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – 1998年11月22日)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。 兵庫県神崎郡香寺町(現姫路市)出身。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。 もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。 1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。ノベルスからは松本清張の社会派推理小説を続けて刊行(なお、この「社会派推理小説」という言葉を考えたのも伊賀だという説もある)。
大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 202… 大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 2021年6月20日)は、日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。生家が没落したため、高等小学校卒業後、名古屋市の三菱重工業に旋盤工として就職する予定であったが、1942年、官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、国語と音楽を教えていた。1948年12月に退職し、長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。
岩山光男(いわやま みつお、1927年11月 - 2006年… 岩山光男(いわやま みつお、1927年11月 - 2006年1月16日)は日本の社会事業家、鍼灸師、編集者。視覚障害当事者として名古屋ライトハウス点字図書館を創設。 愛知県名古屋市瑞穂区に生まれる。 1938(昭和13)年、満10歳で愛知県立盲学校初等部に入学。 第二次世界大戦中は日本点字図書館から郵送で借りた明石海人の『白描』を指で読みながらB29の爆音から心を守り精神的飢餓を補っていた。1948(昭和23)年、20歳で4年制の愛知県立盲学校旧制中等部を卒業。 社会に出てマッサージ師として患者を治療する傍ら、南山大学教授の神父が視覚障害者に布教を始めた名古屋のカトリック教会に通う中で、学問を続けたいという気持ちが芽生え、大学進学を決意。
松本 昌次(まつもと まさつぐ、1927年10月9日-201… 松本 昌次(まつもと まさつぐ、1927年10月9日-2019年1月15日)は、日本の編集者、出版者。 東京都生まれ。東北大学文学部英文科卒。高校教師等を経て1953年から83年まで未來社に勤務。83年、影書房を創業した。 2019年1月15日、腎臓がんのため、埼玉県狭山市の病院で死去。91歳没。 未來社で全7巻の『金日成著作集』(同刊行委員会編訳、1970〜1981)を刊行。日本語版の翻訳と編集は、朝鮮総連の刊行委員会によって行われ、未来社側は独自の編集権を放棄し、介入不可能だったという。当時、第1副議長だった金炳植が、日本の出版社から日本語版が出ることの意味を重んじて企画を持ち込んだ。この出版によって、経済的に苦しかった未來社は支えられたという。
原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 20… 原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 2024年7月6日)は、日本の編集者、出版者。 東京府生まれ。皇国少年として戦時下を送る。1952年明治大学を卒業、筑摩書房入社。『展望』『人間として』『終末から』編集長などを務める。べ平連の活動にも積極的に参加する。1978年の同社倒産の責任をとって退社。当時の役職は取締役編集局次長。原田の薫陶を受けた編集者に柏原成光、松田哲夫がいる。 1980年に山代巴、林竹二、上野英信らの後押しを受けて径書房を創業。発刊1冊目は筑摩書房創業者・古田晃の回想文集『そのひと ある出版者の肖像』(臼井吉見編)。山代巴『囚われの女たち』(全10巻)『山代巴文庫』(全8巻)、上野英信『上野英信集』(全5巻)、林竹二『問いつづけて』『教育の根底にあるもの』、桑原史成『水俣 終わりなき30年 原点から転生へ』、『長崎市長への7300通の手紙』(径書房編集部編。
大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25… 大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25日 - 2022年9月[要出典])は、日本のアナキズム研究家、文筆家、編集者。 名古屋市出身。別名・大原緑峯。1950年東京大学文学部哲学科卒。在学中、日本アナキスト連盟に参加、機関紙の編集に携わる。 卒業後平凡社に入り1966年雑誌『黒の手帖』を創刊。編集局長、出版局長、取締役を歴任し、1986年退社。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 201… 石渡 幸二(いしわた こうじ、1927年2月7日 - 2014年9月29日)は、日本の編集者、船舶評論家。 千葉県の現木更津市で網元の家に生まれる。 1951年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、三井銀行(現在三井住友銀行)に入行。1年で退社し、河出書房勤務。 軍艦や商船に強い興味を持っていたが、自身が満足するような趣味雑誌が存在していなかったため、1957年株式会社海人社を創立し、月刊誌『世界の艦船』を創刊。1989年まで同誌編集長。海人社代表取締役、出版協同社代表取締役などを務めた。
小西 和人(こにし かずひと、1927年1月11日 - 20… 小西 和人(こにし かずひと、1927年1月11日 - 2009年1月7日)は日本の新聞記者、編集者。週刊釣りサンデーを創刊して会長。全日本サーフキャスティング連盟第2代会長。
山高 昭(やまたか あきら、1927年 - 1993年4月1… 山高 昭(やまたか あきら、1927年 - 1993年4月18日)は、日本の翻訳家、編集者。 東京・赤坂生まれ。1952年、東京大学理学部化学科卒業。岩波書店に入社し、雑誌「科学」を担当し。その後、英和辞典や広辞苑の編集にも携わる。アイザック・アシモフのエッセイ集を訳したのをきっかけに、SFの翻訳をはじめる。以後25年間、編集と翻訳家の二足のワラジで活躍、主にハードSFを翻訳した。 1987年に退職し、以後翻訳に専念。主訳書にシェフィールド『星ぼしに架ける橋』、ベンフォード『星々の海をこえて』、アシモフ『見果てぬ時空』『木星買います』『アシモフ自伝』、アーサー・C・クラーク『宇宙島へ行く少年』『楽園の泉』他。
宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉1… 宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉12月9日 - 2003年〈平成15年〉2月26日)は、日本の編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。 父は陸軍大佐で後に衆議院議員となった宮脇長吉。娘に作家の宮脇灯子。 編集者として日本出版史に残る企画に数多く携わり、名編集者と謳われる。作家北杜夫を世に出したのも功績の一つである。紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。
松居 直(まつい ただし、1926年10月5日 - 2022… 松居 直(まつい ただし、1926年10月5日 - 2022年11月2日)は、日本の編集者、出版事業家、児童文学者。 京都府京都市生まれ。生家は近江商人の家系で、6人姉兄弟で長姉は1914年生まれ。幼時より上村松園や竹内栖鳳などの作品に接して育つ。 洋画家の須田国太郎は叔父で、若いころ彼のアトリエに入り浸っていたこともある。また国太郎の息子で東海旅客鉄道元社長の須田寬とは親戚にあたる。 同志社大学法学部政治学科を卒業する直前、24歳のとき、自宅に下宿していた佐藤身紀子と恋仲になったことがきっかけで、身紀子の父佐藤喜一の経営する福音館書店の編集者となった。のち身紀子は妻となる。 このとき実験的に作った「福音館小辞典文庫」シリーズが成功を収めたため、翌1952年2月、佐藤と共に正式に福音館書店を発足させた。
長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001… 長野 規(ながの ただす 1926年1月13日 - 2001年11月24日)は編集者、詩人。『週刊少年ジャンプ』初代編集長。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 20… 宮内 嘉久(みやうち よしひさ、1926年1月4日 - 2009年12月13日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 東京生まれ。旧制府立高等学校を経て東京大学第二工学部建築学科卒業。 雑誌「新建築」(1957年のいわゆる「新建築問題」で退職)、雑誌「THE JAPAN ARCHITECT」(新建築社、1956年の創刊時の担当)、雑誌「国際建築」(美術出版社、1968年廃刊)、「建築年鑑」(美術出版社、1969年まで)などを編集する。 その他にも、1956年に大谷幸夫らと五期会を設立、1958年に宮内嘉久編集事務所を開設、1969年にAF(建築戦線)を結成する。
久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月… 久保田 二郎(くぼた じろう、1926年 - 1995年4月)は、日本のエッセイスト、ジャズ評論家、雑誌編集者。東京都渋谷区千駄ヶ谷生まれ。香川県出身。日本にモダン・ジャズを初めて紹介した一人。 千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の裏の屋敷街で育つ。幼少からアメリカ文化の影響を強く受ける。青山師範付属小学校卒業。法政大学卒業。戦後、ジャズ・ドラマーを経て、博学なジャズ評論家として活躍し、キング・ジャズ・シリーズの監修者を担う。『スイングジャーナル』誌の編集長となり、ジャズについて書き始めていた植草甚一を起用した。 日本初のステレオLPレコードや、今のテレビ音楽番組のスタイルを確立するなど、日本の音楽界に大きく貢献。
菅原 国隆(すがわら くにたか、1926年 - 1992年1… 菅原 国隆(すがわら くにたか、1926年 - 1992年11月25日)は東京府出身の編集者。
峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2… 峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2016年11月18日)は、神奈川県出身の日本の編集者、評論家。 横浜市生まれ。1947年横浜専門学校(現・神奈川大学)を卒業。1950年早稲田大学文学部社会学専攻を卒業して実業之日本社に入社。1959年『漫画サンデー』創刊に伴い同誌編集長に就き、漫画集団の漫画家たちと交友した。 1970年に『漫画サンデー』を退いて文芸書出版の拡充事業に携わり、1972年に『週刊小説』創刊を企画し、同誌編集長に就任。同誌の創刊ブレーンは五木寛之、生島治郎、尾崎秀樹、筒井康隆だった。『漫画サンデー』時代の縁で梶山季之、その紹介で柴田錬三郎、黒岩重吾の連載で創刊号を飾った。