相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1… 相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年〈大正13年〉5月20日 - 1991年〈平成3年〉12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。 1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 199… 藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 1997年12月2日)は、日本の詩人、評論家。 兵庫県出身。慶應義塾大学卒。在学中から「三田文学」「歴程」に参加。1951年詩集「谷間より」を発表。ルポライターとして沖縄、在日朝鮮人、被差別部落などを扱う。 藤岡信勝は、藤島が「朝鮮人強制連行」という造語の生みの親であると主張している。
比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月… 比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月5日 -2018年3月4日)は、日本の詩人、教育研究者。 東京生まれ。東京物理専門学校(現・東京理科大学)卒。日本現代詩人会会員。1955年『青衣』同人。東京都中野区立第五中学校長、東京都教育研究所幼児教育研究部長などを務め、児童教育に関する著作もあり、大学講師などを務めた。2009-2011年日本詩人クラブ会長。2013年日本現代詩人会より先達詩人とされる。
犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - … 犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - 1999年1月11日)は日本の詩人。「地球」「歴程」同人。 中国長春生まれ。佐賀県伊万里市で育つ。第一高等学校 (旧制)を経て東京大学法学部卒業後、1950年に朝日新聞社に入社。1959年、特派員として第4次南極観測隊に同行取材する。のち、印刷局長や九州朝日放送専務を歴任。 1969年、詩集『南極』により第19回H氏賞受賞。1984年、詩集『河畔の書』により第2回現代詩人賞受賞。
内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 19… 内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 1984年6月15日)は、日本の俳優、詩人。千葉県銚子市出身。 法政大学予科在学中の内田は、戦況が悪化すると「いずれ自分も特攻隊員に採られて死ぬのだから、学校に居ても仕方が無い」と思い、帰郷後にブラブラしていると家のすぐ近くにある銚子市立飯沼小学校から「教師が不足しているのでどうだ?」と声が掛かり、1945年夏から1946年の夏までの1年間代用教員を務めた。法政大学経済学部在学中の1951年、新協劇団に入って演劇を始める。1951年に杉浦直樹・小松方正らと劇団「新演劇研究所」を結成して活動するが、ほどなく解散した。東映での映画出演を経て1953年に友人から小林正樹を紹介され、その伝手で松竹映画にも出演。
小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、… 小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。 東京出身。中央大学卒。佐藤春夫に師事。1954年からエッソ・スタンダード石油に11年間勤務。万葉集を現代詩化した『万葉集―運命の歌』で1971年芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008… 岡本 喬(おかもと たかし、1924年1月3日 - 2008年8月14日[要出典])は、詩人・作家。 群馬県生まれ。東京第一師範学校卒。『歴程』同人。小学校教師をしながら詩や小説、ノンフィクションなどを書いた。
山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日… 山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日 - )は、日本の詩人、カウンセラー。佐賀県武雄市生まれ。1952年九州大学法学部卒。横浜家庭裁判所家事調停委員、東京家庭裁判所、横浜家裁で調査員、大学講師をへて、国際カウンセリング協会主任研究員。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。 栃木県足利市生まれ。旧制館林中学卒。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦した。帰国後慶應に復学した後、かねてからの希望だった画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。その後は、池田龍雄らと制作者懇談会を結成し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとした。 1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受けてそれまで描いてきた「リアル」に対する概念をゆすぶられた彼は、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍し、木や石を素材に各地の展覧会に出展した。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月… 田村 隆一(たむら りゅういち、1923年〈大正12年〉3月18日 - 1998年〈平成10年〉8月26日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えた。府立三商業学校在学中から詩を書き始めた。明治大学文芸科卒。 鮎川信夫・中桐雅夫らを知り詩誌「LE・BAL」などに参加。戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞受賞。アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。 東京府北豊島郡巣鴨村(現在の東京都豊島区南大塚)に生まれる。
原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2… 原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。芥川賞作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は孫。画家のSaya(摩耶の娘)は曽孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2… 加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。 詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、90代で没するまで、西洋と東洋の双方を見渡す位置から、私生活でも徹底したタオイストとしての一貫した姿勢を生きた。 翻訳者としては、訳書により、一ノ瀬直二、久良岐基一といった別名義を用いて活動しており、死後になり、改めて関係者よりその事実が明かされた。 東京市神田区にて、大家族の商家の家系に生まれ育つ。
河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 201… 河合 幸男(かわい ゆきお、1922年12月2日 - 2016年9月21日)は、日本の詩人。河合紗良(さら)および河合紗己(さき)名義でも活動を行った。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜商業高等学校卒業。堀口大學に学ぶ。詩誌「誌苑」主宰。1967年、詩集『愛と別れ』(河合沙良名義)にて第7回室生犀星詩人賞受賞。2016年、肺炎のため、東京都世田谷区の自宅にて死去。 妻は声楽家の河合敏子。
金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 -… 金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 - 2004年11月29日)は韓国の詩人、文学評論家、国文学者、政治家である。本貫は光山金氏。慶尚南道忠武市(現在の統営市)出身。 代表作は「花」「ブダペストでの少女の死」など、韓国の教科書に収録されることもある。 1922年11月25日、慶尚南道の忠武で生まれる。統営普通学校と京畿中学校を卒業して、日本大学の芸術科に入学したが、1942年12月に不敬罪の疑いにより退学処分になった。 統営中学校、馬山高校の教師、それから馬山の海印大学(現・慶南大学校)、慶北大学校、嶺南大学校などで教授を務めた。文芸振興院の顧問、韓国詩人協会長などを歴任。
北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1… 北村 太郎(きたむら たろう、1922年11月17日 - 1992年10月26日)は、日本の詩人、翻訳家。本名・松村文雄(まつむら ふみお)。 東京府北豊島郡谷中村(現在の日暮里付近)にて、逓信省簡易保険局の下級官吏の家庭に双生児の兄として生まれる。関東大震災のため1923年から東京府荏原郡駒沢村字弦巻(東京都世田谷区世田谷1丁目)に育つ。駒沢小学校3年修了後、1932年、父が浅草合羽橋通りで蕎麦屋「小松庵」を始めたため、一家で東京市浅草区芝崎町(東京都台東区西浅草)に転居し、4年次から金竜小学校に転校。1935年、東京府立第三商業学校入学。同校では国語教諭佐藤義美の薫陶を受ける。 1940年、同校卒業後、横浜正金銀行に入行して帳面つけを担当するも、勤務時間中に『新潮』(を読んでいたため上司に激しく叱責され、1週間で無断退職。
秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008… 秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008年11月18日)は、日本の詩人。詩誌「地球」の創刊者。埼玉文化功労賞受賞者。 埼玉県生まれ。日大三商-日本大学予科中退。堀辰雄や立原道造に影響され詩作を開始する。元日本現代詩人会会長。詩集「砂漠のミイラ」(日本詩人クラブ賞)、「時代の明け方」(丸山薫賞)など。登山家で山や旅の著作も多い。日本現代詩人会議会長、埼玉詩人会会長、世界詩人会議日本大会会長。浦和区元町の自宅は秋谷豊資料室となっている。
大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 200… 大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 2008年6月17日)は、日本の詩人。「VOUクラブ」所属、「びわの実学校」同人。赤い鳥文学賞受賞。 1922年(大正11年)、広島県安芸津町(東広島市)に生まれる。広島県立忠海中学校を経て、早稲田大学文学部独文科卒業。大学の先輩で児童文学者の前川康男と親交があった。郷里の広島で、洋品店や教材販売業を営みながら、詩作をつづける。1949年から北園克衛主宰の「VOUクラブ」に所属し、雑誌『VOU』などに前衛的な詩を寄稿。1959年、詩集『密着した時間』を出版。その後、坪田譲治創刊の童話雑誌『びわの実学校』を中心に「少年詩」を寄稿し、それらを集めて詩集を出版。
中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年… 中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。 別名に、塔晶夫、碧川潭、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。 東京市滝野川区田端に生まれ育つ。父は植物学者で国立科学博物館館長、陸軍司政長官・ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長等を歴任した東京帝国大学名誉教授の中井猛之進。祖父堀誠太郎も札幌農学校教授、小石川植物園御用掛を歴任しており、二代続いた植物学者の家系であった。
三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005… 三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005年2月23日)は、日本の詩人。福島民報社に勤務の傍ら、生涯詩人としての生き方を貫き通し、郷里福島の地から、第1詩集『蝶の記憶』から第9詩集『河口まで』を発表した。 地方と呼ばれる都会から離れた地域に生きる人々に限りなく温かい眼差しを注ぐ。アジアの中央から日本まで国境を越えて続くそば畑で、その生育とともに人生を紡ぐ人々、山深い田舎で便りを待ちわびる人々に郵便を配達する 郵便配達夫、 生涯をかけ樹齢千年の紅枝垂桜の子孫を訪ね歩いて、 420本の子孫桜を捜し出した農夫など、名もなく人知れず、日々の生活に命を賭ける無数の人々が支える日常生活に確かな世界を見出す。
山田 野理夫(やまだ のりお、1922年7月16日- 201… 山田 野理夫(やまだ のりお、1922年7月16日- 2012年1月24日)は、日本の小説家、詩人。 宮城県仙台市出身。本名・徳郎(のりお)。東北大学文学部で、国史を専攻し、農林省統計調査員、宮城県史編纂委員、東北大学付属農学研究所員などを経て作家へ。1962年『南部牛追唄』で第6回農民文学賞を受賞。東北地方、みちのく、特に岩手県をテーマにすることが多い。 2012年1月24日、急性心不全のため死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
森 みつ(もり みつ、1922年3月20日-1967年7月1… 森 みつ(もり みつ、1922年3月20日-1967年7月15日)は、日本の詩人。北海道出身。 幼い頃、事業に失敗した父と生別。札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)を卒業し、教員を経て、北海道農業会、食糧公団などに勤務。1941年、処女作『雪の哀願』を更科源蔵の推薦で『北方文芸』に掲載。その後も北海道で太平洋戦争の敗戦まで同人誌『木雫』を発刊して作品を発表。1943年、詩集『花咲きぬ』を出版し高い評価を集める。この頃結婚して阿部姓を名乗るが夫は戦死。戦後は詩誌『至上律』『野性』『核』に参加。1952年再婚して森姓となり、夫の任地・日高管内の新冠町へ移り詩作を続ける。1960年、『北海道讃歌』の歌詞に応募。
田口 弘(たぐち ひろし、1922年3月18日 - 2017… 田口 弘(たぐち ひろし、1922年3月18日 - 2017年2月9日)は、日本の詩人。埼玉県東松山市の元教育委員会教育長。高村光太郎や高田博厚などの文化人と親交を持ち、東松山市の小中学校の校歌の作詞を多く手がけた。 「日本スリーデーマーチの育ての父」と言われ、また、東武東上線高坂駅前の高坂彫刻プロムナード(高田博厚彫刻群)建設のため尽力するなど、東松山市の教育と体育・文化・芸術に対する顕著な活動を行った。 1922年(大正11年)3月18日、埼玉県武州松山町(現:埼玉県東松山市松葉町)に生まれる。旧制松山中学校を経て、東京府大泉師範学校専攻科卒業。志村第三国民学校に赴任後、南西方面艦隊司令部付海軍教員として、フィリピンよりインドネシア・スラバヤ等に着任、終戦後プジョン、レンパン島収容所を経て復員。
木原 孝一(きはらこういち、1922年2月13日-1979年… 木原 孝一(きはらこういち、1922年2月13日-1979年9月7日)は、日本の詩人。 東京出身。本名・太田忠。東京府立実科工業学校(現・東京都立墨田工業高等学校)卒。北園克衛の詩誌『VOU(バウ)』に参加し、戦後は『荒地』に参加。詩学社の雑誌『詩学』の編集者も務める。音楽詩劇「御者バエトーン」で1965イタリア賞グランプリ。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
那珂 太郎(なか たろう、1922年1月23日 - 2014… 那珂 太郎(なか たろう、1922年1月23日 - 2014年6月1日)は、日本の詩人。日本芸術院会員。「歴程」同人。 福岡市麹屋町の呉服商・酒井家の五男として生まれる。生後半年ほどで実家近くの同業者・福田家の養子となる。旧制福岡中学(後の福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部国文科卒。海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、海軍兵学校国語科教官を務める。戦後は教員として、東京都立第十女子新制高等学校(1950年に東京都立豊島高等学校に改称)、東京都立新宿高等学校、玉川大学等で教える。なお、第十女子高校時代の教え子の中に、のちに詩人となった石川逸子と吉原幸子がいた。
奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 201… 奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 2012年12月1日)は、日本の詩人。愛媛県生まれ。中央大学法学部卒。『中央評論』編集部に勤務し、中央大学出版部長、中央大学就職部長を務めるかたわら詩を書いた。
西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - … 西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - 1988年6月9日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家・詩人である。本名は伊奈 文喜(いな ふみき)、別名は鶴巻 次郎(つるまき じろう)。詩人としては本名を名乗った。 1921年(大正10年)10月23日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に生まれる。伯父に作詞家の西條八十(1892年 – 1970年)、叔父に映画監督の伊奈精一(1898年 – 1962年)がいる。 旧制・駒込中学校(現在の駒込高等学校)に進学、叔父・伊奈精一の影響により幼少より映画に親しみ、1940年(昭和15年)3月、同校を卒業するとともに、叔父の紹介を得て、同年4月、新興キネマに入社する。
荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9… 荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9月7日 - 1998年5月6日)は、日本の作家、詩人、文芸評論家。 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 1951年、千葉県で地方公務員の公立高校教諭となり、千葉県立佐原第一高等学校教諭、1959年千葉県立成東高等学校教諭。 1965年第3次千葉県詩人クラブ初代会長に就任。1977年日本現代詩人会常任理事。1989年多摩美術大学教授。
別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992… 別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992年)は、詩人、評論家。シンガポールにて生まれる。原籍地は宮城県。 母の築地藤子は、アララギの歌人であり、斎藤茂吉、島木赤彦などと親交があり同時代に活動していた。 上智大学経済学科卒業後、新聞、雑誌記者を経て文筆生活に入る。1938年頃から「アララギ」に短歌を寄せ、土屋文明の門にあったが、同時に現代詩にも手を染め、次第に短歌から遠ざかる。「日本詩壇」「若草」に投稿。1943年太宰治の知遇を得、その死までの5年間を師事する。「鱒」「詩行動」「新日本詩人」「文学者」にも寄稿。「灰」主宰。 太宰治との親交にかかわる逸話として、戦時中の物資不足の折、酒が手に入ったとの報に仲間達と共に太宰のもとに集まりささやかな宴の最中、直樹は、誤って酒をこぼしてしまい、ひたすら恐縮する別所に対し太宰は次のように語ったという。
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月… 竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。 三重県宇治山田市吹上町(現・伊勢市吹上)に生まれた。 明倫小学校を卒業後、宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に進学、中学在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)に日本大学専門部映画科に入学し、伊丹万作の知遇を得る。1942年(昭和17年)6月、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年9月に日本大学を繰り上げで卒業し、入営。久居(現・津市)で初年兵として1年の訓練の後、吉沼(現・茨城県つくば市)で落下傘兵として厳しい訓練を課される。
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日… 太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日 - 1945年〈昭和20年〉6月20日)は、日本の詩人。 1941年〈昭和16年〉徴兵検査に合格したのちに、翌1942年〈昭和17年〉1月に千葉県柏・高射砲第二連隊に入営。少尉として沖縄戦に参加。高射砲陣地構築作業に動員されてきたひめゆり学徒隊に、「相思樹の歌」の詩をプレゼントした。米軍との死闘の後に沖縄県糸満市にて戦死。最終階級は死後に陸軍中尉。 短い生涯であったが、厳しい軍務にあっても詩人としての生き方を貫徹した。クリスチャンであった。 東京府東京市渋谷にて、郵便局員であった父・芳松、母・てふの三男として出生。1930年(昭和5年)、福島県郡山市清水台78番地の伯父・太田恒吉の養子となる。
礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 19… 礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 1976年7月27日)は、詩人。旧朝鮮仁川出身。 1921(大正10)年1月17日、旧朝鮮仁川の生まれ。詩人・童話作家。京城中学、姫路高校をへて東京帝大文学部美学科に進学。昭和18(1943)年、学徒動員で南方(ハルマヘラ島)へ行き、敗戦の翌年6月に復員。山口県光市に居住。やがて高校教師をしながら詩作を試み、23(1948)年、小詩集『天路への誘い』『聖玻璃彷徨』『夜の聖歌隊』を刊行。同年、結婚。25(1950)年、詩誌「駱駝」創刊。26(1951)年、詩集『浮灯台』で第1回山口県芸術文化振興奨励賞を受賞。昭和47(1972)年、山口県文学者訪中団の一員として中国訪問。
桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 20… 桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 2013年7月22日)は、日本の詩人、心霊研究家。ペンネームは山波 言太郎(やまなみ げんたろう)。慶應義塾大学経済学部卒業。 学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。1985年、任意団体「シルバー・バーチの会」(後のニューエイジ団体『生命の樹』)を設立し、「ネオ・スピリチュアリズム」を唱導する。 1992年、癒やしの力を持つ発声法として「リラ」を考案。人間の耳には聞こえない自然界の呼吸音が癒やしと生命力の回復になると考え、これを「自然音楽」と呼び、この自然音楽で人を癒やす「自然音楽療法」を1995年に開始。
李 漢稷(イ・ハンジク、朝鮮語: 이한직、1921年 -19… 李 漢稷(イ・ハンジク、朝鮮語: 이한직、1921年 -1976年7月14日)は、日本統治時代の朝鮮と大韓民国の詩人。本貫は全義李氏。号は木南(モンナム、목남)。 京城に生まれた。慶應大学法科卒業。1939年前後に『文章』誌の推薦で文壇に登場した。作品には『風葬』『北極圈』などがあり、光復後の作品では『崩壊』などがある。朝鮮戦争時代は大韓民国空軍に所属し、蒼空俱楽部の一員として活躍した。1960年に文公部の官僚としてまた日本に渡り、日本で僑居した。日本に東京都練馬区の自宅で膵臓癌により55歳で死去した。 寡作のため、生前には詩集を出版しなかった。死後に『李漢稷詩集』が上梓された。
金田 弘(かなだ ひろし、1921年(大正10年) - 20… 金田 弘(かなだ ひろし、1921年(大正10年) - 2013年(平成25年)8月17日)は、日本の詩人。 兵庫県龍野市(現:たつの市)出身。早稲田大学文学部卒業。東洋美術史を学び、会津八一に師事。西脇順三郎、高橋新吉らと親交を結んだ。姫路文学館の設立に参与。 1987年、第23回姫路文化賞受賞。2009年、『虎擲龍拏』にて第20回富田砕花賞受賞。 2013年8月17日、肺炎のため死去。92歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 20… 向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 2003年8月6日)は、日本の詩人、社会運動家。 東京都出身。中央大学卒。1947年日本アナキスト連盟に加盟。1952年WRI(戦争抵抗者インター)に参加、1956年WRI日本部書記。「自由連合」「イオム通信」を発行。詩誌「コスモス」同人。
堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 202… 堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 2021年10月11日)は、日本の詩人。 山梨県東八代郡御代咲村(現笛吹市)生まれ。本姓・千葉。大妻専門学校卒。 22歳で甲府在住の千葉幸男と結婚するが、姑とあわず、3ヶ月で婚家を出て、夫を誘い東京に出て二人で生活する。 神保光太郎、深尾須磨子らの知遇を得て『四季』などに詩を発表する。詩誌『葡萄』発行人。中田喜直、田中隆司の作曲により歌曲となった作品も多数ある。 現代詩人会会員。101歳で死去。 夫の千葉幸男は、上野精養軒に勤め、社長、会長、のち相談役。
三好 豊一郎(みよし とよいちろう、1920年8月25日-1… 三好 豊一郎(みよし とよいちろう、1920年8月25日-1992年12月12日)は、日本の詩人。 東京出身。早稲田大学専門部卒。鮎川信夫らと交遊、戦時下に詩誌「故園」を発行。1947年『荒地』創刊に参加。1949年第一詩集『囚人』を刊行。1975年『三好豊一郎詩集』で無限賞、1984年『夏の淵』で第14回高見順賞受賞。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 200… 塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫では、これらの著者名で出版されたものはない。
一丸 章(いちまる あきら、男性、1920年7月27日 - … 一丸 章(いちまる あきら、男性、1920年7月27日 - 2002年6月12日)は、日本の詩人。 福岡市新柳町で生まれる。幼少時に両親と生き別れ、伯母の家で育つ。1937年、福岡県立福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。 「母音」「こをろ」「九州文学」「ALMEE」などに参加する。生まれつき病弱であり、戦後、KBCやNHKなどで脚本を書いたり、研究所員や短大・文化サークルの講師をつとめたりした。1966年、福岡県詩人会の創立に携わり、16年間代表幹事を務める。2001年、先達詩人顕彰(日本現代詩人会)。未完の長詩「美濃道行魂胆咄(みのへのみちゆきこんたんばなし)」がある。 没後、弟子の龍秀美の尽力により全詩集が刊行される。
窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 20… 窪田 啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 2011年)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家、銀行員。本名・開造。 カミュ『異邦人』の翻訳で知られる。 神奈川県生まれ。1943年、東京帝国大学法学部卒業。在学中にマチネ・ポエティクに参加し詩や小説を書いた。 大学卒業後、東京銀行に入行。パリ、新橋各支店次長、国際投資部副参事役を経て、1948年欧州東京銀行頭取となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
富原 孝(とみはら たかし、1920年7月15日 - 200… 富原 孝(とみはら たかし、1920年7月15日 - 2006年3月8日)は、北海道出身の詩人、ジャーナリスト、国際芸能プロモーター。 若い頃からヴァレリーやリルケに傾倒。金子光晴に師事し、新聞記者のかたわら、河邨文一郎らと同人を結成し、詩を次々に発表。特に、アイヌ・コシャマインの戦いを題材にした長篇叙事詩『クオンタインとシクフ』は傑作とされる。「野性」「至上律」「ポエム」「核」同人。1957年に、「赤い呼び屋」と称された神彰のアート・フレンド・アソシエーション(AFA)に参画。制作部長として、木原啓允、工藤精一郎らとともに神彰を支え、数々の国際プロモーションを行う。 1920年、北海道七飯村(現七飯町)の農家に、父輝美、母志づの長男として生まれる。
梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら … 梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、1920年(大正9年)4月23日 - 2015年(平成27年)11月8日)は、日本の詩人。 宮城県気仙沼市唐桑町出身。実家は早馬神社。気仙沼実科高等女学校(宮城県鼎が浦高等学校、統合され現 宮城県気仙沼高等学校)卒業。 10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、国語教師として小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1952年、唐桑小学校校歌を作詞。1953年に髙村智(フランス文学者で、のち東京都立大学教授)と結婚した。 1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに16の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、ローマ、ヴェネツィア、モスクワ等より名誉作家として認定される。
衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 200… 衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 2004年9月18日)は、日本の詩人・翻訳家。高校教諭(英語科)。本名は鎌田 進(かまだ すすむ)。香川県大川郡白鳥村(現・東かがわ市)出身。 県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)在学中の1935年頃から詩作を始め、詩誌『若草』に投稿。明治学院高等商業部に進学して上京し、鮎川信夫らとともに『荒地』の前身である『LUNA』の創刊に参加。以後『ル・バル』『詩集』『荒地』に作品を発表。50歳まで地元の香川で高校教諭としての職務と並立して活動していたが、退職後は詩作・翻訳活動に専念した。1976年、『庚申その他の詩』(書肆季節社)で、第1回地球賞を受賞。