石垣 りん(いしがき りん、女性、1920年(大正9年)2月… 石垣 りん(いしがき りん、女性、1920年(大正9年)2月21日 - 2004年(平成16年)12月26日)は、日本の詩人。東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。銀行員として働きながら、詩を次々と発表。主な詩集として、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年)、『表札など』(1968年)、『略歴』(1979年)、『やさしい言葉』(1984年)。代表作に「表札」。「断層」「歴程」同人。 第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。教科書に多数の作品が収録されており、また合唱曲の作詞でも知られる。
結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月… 結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月13日)は、日本の童謡詩人。童謡『ないしょ話』(山口保治作曲)の作詞者であるが、童謡が広く知られているのに対し、作詞者の知名度は高くない。 生涯で5000曲を超える童謡を作詞し、そのうち30数曲がレコード化されている。 本名は結城 芳夫(ゆうき よしお)。 歌人・結城健三と妻・えつの長男として山形県東置賜郡宮内町(現在の南陽市)で生まれる。父の仕事の都合で鶴岡町(現在の鶴岡市)、酒田町(現在の酒田市)へ移り、1930年より山形市内に移り住む。1934年に山形市立第四尋常高等小学校(現在の山形市立第四小学校)高等科を卒業すると「好きな本が読める」という理由から山形市内の八文字屋書店で住み込みの店員となる。
中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1… 中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1983年8月11日)は、日本の詩人、翻訳家。 本名は白神 鉱一(しらかみ こういち)。 福岡県生まれ。1939年、英作文と教練の出席時間不足により兵庫県立神戸高等商業学校で進級不可能となり、同校中退後、父の預金通帳を盗み出して金を下ろし、家出して上京。徴兵逃れで日本大学芸術学科に途中入学し卒業。読売新聞の政治部記者として働く。詩誌『Le Bal』を主催し、田村隆一と知りあう。戦後、田村、鮎川信夫、黒田三郎と『荒地』を設立。のちに詩誌『歴程』にも参加。ミステリーやSFを翻訳しつつ、英国モダニズム詩人、特にW・H・オーデンを翻訳、詩作を行い、大学でも英文学の教員として活動した。
小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 20… 小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 2015年7月24日)は、静岡県庵原郡富士川町(現:富士市)生まれの詩人。女性。本名は芦川 照江(あしかわ てるえ)。日本現代詩人会会員。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2… 宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2005年3月11日)は、日本の詩人・作詞家。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 199… 安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 1994年2月8日)は、日本の詩人。日本現代詩人会会長、日本文芸家協会会員。作家の増田俊也は従甥。 福岡県筑紫郡筑紫村(現・筑紫野市筑紫)生まれ。福岡師範学校(現・福岡教育大学)中退。師範学校在学中に文学を志す。1943年朝日新聞社福岡総局、東京本社学芸部記者などを務める。学芸部では詩壇を担当した[要出典]。戦後は「九州文学」に参加し、火野葦平や劉寒吉、野田宇太郎などと出会い、「母音」の丸山豊に師事する。また、伊藤桂一主宰の「山河」、高田敏子主宰の「野火」をはじめ、「歴程」「地球」「山の樹」などの詩誌に参加する[要出典]。1983年『暗喩の夏』で第1回現代詩花椿賞受賞。
黒田 三郎(くろだ さぶろう、1919年(大正8年)2月26… 黒田 三郎(くろだ さぶろう、1919年(大正8年)2月26日 - 1980年(昭和55年)1月8日)は、日本の詩人。 東大経済学部卒。戦後の『智恵子抄』とも言える恋愛詩集『ひとりの女に』(1954年)と、妻の入院中、父娘2人の生活をうたった絶唱『小さなユリと』(1960年)で現代詩を誰にもわかる平明なものにした。ほかに『時代の囚人』(1965年)など。 広島県呉市出身。呉海兵団の副団長であった父・勇吉(海軍兵学校第21期)の退役に伴い、3歳からは、父の故郷・鹿児島で育つ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制) 、第七高等学校造士館 (旧制) を経て東京大学経済学部卒業。戦時中、会社から派遣されたり現地召集で南洋の島々で過ごした。
中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 … 中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 - 2011年4月15日)は、青森県八戸市出身の日本放送協会職員、どどいつ作家、詩人。本名・中道定雄(なかみち・さだお)、 早稲田大学卒。1941年東京中央放送局(後のNHK)に入局。バラエティー番組「とんち教室」や、ドキュメンタリー番組、テレビ文芸部部長、芸能局長などを歴任。退職後は詩人、どどいつ作家となる。 NHKラジオ第1放送のリスナー参加の番組「文芸選評」で「どどいつ」の選者として参加。著書に「新編・どどいつ入門」がある。 2011年4月15日、心不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正… やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正8年〉2月6日 - 2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の漫画家・絵本作家・詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(後述)。妻は編集者の小松暢。 『アンパンマン』の原作者として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長(2000年5月 - 2012年6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 - 2013年10月)を歴任。 作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。壮年期までは「やなせ・たかし」と中黒が付された表記をされていた。 絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなし、編集者・舞台美術家・演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなど様々な活動を行っていた。
原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日… 原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日本の詩人、歌人、中国文学者。弟は歌人の原田禹雄。 京都市の日蓮宗・妙徳寺の生まれ。1941年龍谷大学文学部卒、尾上柴舟門下の歌人となる。1953年雑誌『方向』を発刊。漢詩を軸に古典中国文学を多く翻訳。 唐代詩人の『李賀研究』を、個人雑誌で拠点に発刊、長年かけその作品を全訳注解した『李賀歌詩編』で、日本翻訳文化賞を1999年に受賞した。
鈴木 亨(すずき とおる、1918年9月29日 - 2006… 鈴木 亨(すずき とおる、1918年9月29日 - 2006年12月9日)は詩人。神奈川県横浜市出身。 慶應義塾大学文学部国文科卒業、同大学院修士課程修了。第2次『四季』に寄稿、のち編集に当たる。1939年『山の樹』を創刊、主宰。90年より詩誌「木々」を主宰。98年「火の家」で丸山薫賞受賞。明治大学教授、跡見学園女子大学教授、宇都宮文星短期大学教授。 2006年に肺炎のため死去した。享年88。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月2… 許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月24日 - 1988年11月)は、在日韓国・朝鮮人の詩人。朝鮮語と日本語の両方で作品を発表。日本語で書いた叙事詩「火縄銃のうた」で有名。在日本朝鮮文学芸術家同盟委員長、朝鮮総聯中央副議長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員。
浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968… 浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人、詩人、医師。ロサンゼルス出身。 1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ、4歳のとき帰国。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業。 1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。 1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医)。 1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司、山中智恵子、菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
佐藤 溪(さとう けい、1918年(大正7年)3月31日 -… 佐藤 溪(さとう けい、1918年(大正7年)3月31日 - 1960年(昭和35年)12月30日)は、日本の画家、詩人。本名は忠義。溪山人、忠石、教祖とも号する。 第二次世界大戦中は中国・東南アジアで従軍する。1945年に復員したのちは、後述の放浪中に作成された作品とは対照をなす、神秘的な油彩画を多く制作した。1955年から5年に渡り日本全国を旅し、昭和30年代の風景や人物を絵画に残した。水彩、フェルトペン、鉛筆等による多彩な画風が特徴である。1959年、旅先の沼津で脳卒中のため倒れ、翌1960年、両親の住む湯布院町で、「父母の後光見たり萩深し」という辞世の句を残し死去。 佐藤の作品の多くは、1991年7月に大分県大分郡湯布院町(現大分県由布市湯布院町)に開館した由布院美術館で展示されていたが、2012年3月に同館が閉館することに伴い、2013年1月からは大分県別府市にある国の登録有形文化財聴潮閣内に開設された佐藤溪美術館で展示されている。
福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月1… 福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)… 中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。
宇佐見 英治(うさみ えいじ、1918年1月13日 - 20… 宇佐見 英治(うさみ えいじ、1918年1月13日 - 2002年9月14日)は、日本の詩人・フランス文学者・美術評論家。明治大学名誉教授。 大阪府出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学文学部倫理学科卒。48年『同時代』の創刊に矢内原伊作らと参加、同誌の第3次第二号(黒の会、1997年5月)では個人特集も組まれた。そのほか『歴程』にも参加。明治大学商学部教授を務め、88年定年。 1957年(昭和32年)、初の著書となる『ピエールはどこにいる』を刊行。同書に収録された中編小説「死人の書」は宇佐見英治の小説における代表作であり、その後も推敲が加えられ『夢の口』『死人の書』に再録されている。 1982年(昭和57年)『雲と天人』が第20回藤村記念歴程賞を、97年『明るさの神秘』を始めとする評論活動の業績から第7回宮沢賢治賞を受賞。
朴 南秀(パク・ナムス、1918年 - 1994年)は韓国の… 朴 南秀(パク・ナムス、1918年 - 1994年)は韓国の詩人。平安南道平壌出身。 1918年、平安南道平壌に生まれる。平壌の崇仁商業を卒業後日本に渡り中央大学に入学する。卒業後は朝鮮殖産銀行の鎮南浦支店に入行し、1946年に朝鮮殖産銀行平壌支店長に昇進したが、朝鮮戦争期に大韓民国国軍の撤収に伴い越南した。 1939年、『문장(文章)』に「초롱불(灯火)」「거리(距離)」「밤길(夜道)」「마을(村)」 「심야(深夜)」「주막(酒幕)」などの 6篇が推薦された。初期の作品は日帝植民地の農村生活を通して時代的な暗黒相を求めていた。 「문장(文章)」の中に、他の詩人は主に自然を詩っていたとき、朴は社会にも関心をおいて、叙情的な情景に切実な感情を隠喩しているのが特徴である。
山崎 剛太郎(やまさき こうたろう、1917年12月16日 … 山崎 剛太郎(やまさき こうたろう、1917年12月16日 - 2021年3月11日)は、日本の詩人、フランス文学の翻訳家。 福岡県福岡市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。在学中加藤周一、福永武彦らの『マチネ・ポエティク』同人となり、卒業後外務省勤務を経て東宝東和に入社し、『大いなる幻影』など多数のフランス映画の字幕翻訳を行う。調布学園女子短期大学教授、早稲田大学講師を歴任した。1979年、フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。1990年、フランス政府より芸術文化勲章オフィシエを受勲される。 2021年3月11日、肺炎のため東京都港区内の病院で死去。103歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長島 三芳(ながしま みよし、1917年9月14日 - 20… 長島 三芳(ながしま みよし、1917年9月14日 - 2011年9月7日)は、日本の詩人。 神奈川県横須賀市生まれ。横浜専門学校(現在の神奈川大学)卒業。北園克衛の詩誌「VOU」に参加。1937年より中支を転戦し、負傷して帰国。戦後は「日本未来派」同人、「植物派」主宰となる。1958年、横浜詩人会設立に参加。現代詩人会会員。また、神奈川近代文学館評議員を務めた。 戦争体験を直截に描いた詩を多数書く。三好達治や草野心平など多くの詩人と交流があり、その直筆原稿や書、掛け軸などは、死後、遺族によって神奈川近代文学館に寄贈された。遺稿「駆けぬけた夏」は、「現代詩手帖」2012年1月号に掲載された。
伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 20… 伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 2016年10月29日)は、日本の小説家、詩人。『静かなノモンハン』などの戦場小説や、時代小説、私小説風な身辺小説などがある。日本芸術院会員。
河邨 文一郎(かわむら ぶんいちろう、1917年〈大正6年〉… 河邨 文一郎(かわむら ぶんいちろう、1917年〈大正6年〉4月15日 - 2004年〈平成16年〉3月30日)は、日本の整形外科医、詩人。元札幌医科大学教授。 北海道小樽市出身。小樽中学、北海道帝国大学医学部を卒業。その後、東京帝国大学医学部を経て、札幌医科大学整形外科教授となる。医師から作家に転向した渡辺淳一は、教え子のひとりである。 1950年12月、東北大学より「項中隔石灰症の研究」で医学博士を取得した。 1952年には北海道整肢学院(現北海道立子ども総合医療・療育センター)の初代院長となり、北海道の「肢体不自由児の父」と呼ばれる。北海道内でのポリオ流行後、同疾患による下肢短縮に対する河邨式脚延長術式を開発した。
森 英介(もり えいすけ、本名:佐藤重男、1917年3月13… 森 英介(もり えいすけ、本名:佐藤重男、1917年3月13日 - 1951年2月8日)は、日本の詩人。生前はまったく無名であったが、没後に評価されるようになった。 佐藤重男として、1917年(大正6年)3月13日、山形県米沢市に生まれる。1936年(昭和11年)、早稲田大学文学部哲学科に入学するも、1939年(昭和14年)に中退。1940年(昭和15年)、結婚。1941年(昭和16年)に召集され浜松の航空隊に入隊後、青森県三沢基地に転属、病気のため豊橋の陸軍病院に送還され、1943年(昭和18年)に召集解除。長男、次男が生れた後、1945年(昭和20年)の敗戦前に離婚。1946年(昭和21年)9月に総合雑誌『労農』を米沢で創刊(第3号で休刊)。
田中 千鳥(たなか ちどり、1917年 <大正6年> 3月 … 田中 千鳥(たなか ちどり、1917年 <大正6年> 3月 - 1924年 <大正13年> 8月18日)は、日本の詩人。母親は大正時代、鳥取県下初の女性新聞記者となり女流作家としても活動した田中古代子。「大正時代の新しい女性」のひとり古代子の長女として生まれた千鳥だが、生来病弱で、わずか7歳半でこの世を去る。長女の死を悲しんだ母・古代子は、没後すぐに千鳥が書いた八十あまりの詩文を『千鳥遺稿』に編み残した。以来、千鳥の詩文は世紀を超えて読み継がれ、今に至る。 1917年(大正6年)、鳥取県気高郡正条村浜村に父・安治博道(あじ ひろみち)と母・田中古代子(たなか こよこ)の長女として生まれる。両親の不仲から、生後間もなく母に連れられて八頭町郡家の実家に戻る。
峠 三吉(とうげ さんきち、1917年(大正6年)2月19日… 峠 三吉(とうげ さんきち、1917年(大正6年)2月19日 - 1953年(昭和28年)3月10日)は、日本の詩人。本名は、三吉(みつよし)。1951年(昭和26年)に自費出版した『原爆詩集』で知られる。 父・嘉一はタイル製造などを手がける実業家で、三吉は父の勤務地大阪府豊能郡(現・豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居した。幼い頃から気管支の病気に苦しめられしばしば喀血、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作にいそしんだが、卒業後は長期の療養生活を余儀なくされ、この病気は三吉を生涯苦しめることとなった。 さらに1945年(昭和20年)8月6日、爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠)で被爆。
植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉1… 植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉12月1日 - 1981年〈昭和56年〉5月6日)は、日本の詩人、実業家、部落解放運動家。百合崎 迅の筆名でも知られた。日本アジア・アフリカ作家会議会員、新日本文学会会員、ラテンアメリカ行動委員会会員。季刊『原詩人』誌主宰。元日本共産党員で、部落解放文学賞佳作入選の経歴を持つ。 群馬県邑楽郡大川村(現・大泉町)の被差別部落で貧農の三男として生まれる。長兄の植松丑五郎は関東水平社青年同盟の執行委員として活動した。 1932年に郷里の高等小学校を卒業した後、所沢市の魚屋に5年の年季奉公に出されたが、半年で前借り金70円を踏み倒したまま、兄を追って東京に逃亡する。
山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10… 山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10日 - 昭和20年(1945年)8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。 . NCID BB08934063
井手 則雄(いで のりお、1916年8月25日 - 1986… 井手 則雄(いで のりお、1916年8月25日 - 1986年1月3日)は、日本の彫刻家、美術評論家、詩人。別名は矢野 則雄。 朝鮮京城府生まれ、長崎県北松浦郡佐々村出身。1939年東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科卒業、1941年研究科修了。 在学中から二科展などに出品、1943年銀座で個展を開く。戦後、前衛美術会を結成。1972年12月宮城教育大学教授。1981年退官。『純粋詩』『造型文学』『新日本詩人』『列島』などに詩や評論を発表。 1986年1月3日、福島県双葉郡富岡町の小浜海岸を散歩中に転倒して、怪我によって起きられなくなったまま凍死した。墓所は多磨霊園。 元妻は、女性史研究家の井手文子。
三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月2… 三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月24日 - 1992年〈平成4年〉4月13日)は、日本の詩人、児童文学作家。本名は三津越幸助(みつこし こうすけ)。千葉県香取郡大倉村(現:香取市)出身。 昭和20年頃より神保光太郎、高橋新吉、山之口貘らと交流があり、戦後現代詩の書き手の1人として活動。1950年に江口榛一と童謡詩誌『キツツキ』を創刊。詩誌『薔薇科』などに同人として参加。また、NHKのプロデューサーであった三枝健剛(三枝嘉雄)と知り合い、ラジオ番組の台本の執筆の他、『音楽夢くらべ』という番組の詩の選と補選を十数年担当した。 主な詩集に『柘榴の花』『夜の鶴』、童話集に『あの町この町、日が暮れる』『ぼくはねこじゃない』『かあさんかあさん』などがある。
海達公子(かいたつ きみこ、1916年8月23日 - 193… 海達公子(かいたつ きみこ、1916年8月23日 - 1933年3月26日)は、日本の詩人である。 1916年(大正5年)、長野県下伊那郡飯田町(現、飯田市)に生まれ、父親の仕事の関係で熊本県玉名郡荒尾町(現、荒尾市)で育つ。1923年(大正12年)、荒尾北尋常小学校に入学。1924年(大正13年)、海達が小学2年生のとき、文芸雑誌「赤い鳥」に詩を投稿。詩人北原白秋に称賛される。それ以後、詩人として全国に知られるようになる。1929年(昭和4年)、同校を卒業。1933年(昭和8年)、高瀬高等女学校(現、玉名高等学校)卒業式の日に腹膜炎で倒れ、同月26日に17歳で死去。
小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29… 小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29日 - 2002年〈平成14年〉11月13日)は、日本の詩人・中国文学者。「四季」「山の樹」「文学館」同人。関東短期大学教授。丸山薫賞受賞。 盆景家小山潭水の次男として、東京青山に生まれる。府立四中を経て、旧制弘前高等学校に進み、本格的に文学を志す。 高等学校時代に、杉浦明平の紹介で立原道造と知り合い、強い影響を受け、詩作を始める。したがって、初期には岩野泡鳴から立原へと発展したソネット形式を多用した、独自の世界を描いた抒情詩を多く作った。が、後には、散文的要素が強い哲学的、幻想的な世界を構築したり、日常に潜む危機を描いていった。また、初期から晩年まで、その詩の中心的課題は、「愛」であった。
岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28… 岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28日 - 2013年(平成25年)10月25日)は、日本の作詞家、詩人、翻訳家。本名:岩谷 トキ子(読み同じ)。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。
菊田 義孝(きくた よしたか、1916年(大正5年)3月21… 菊田 義孝(きくた よしたか、1916年(大正5年)3月21日 - 2002年(平成14年)7月21日)は、日本の詩人・文芸評論家。「群系」創刊同人。 仙台市生まれ。1937年(昭和12年)明治大学文藝科卒。太宰治と親しく交わる。戦後、紫書房、大蔵財務協会に勤務。1960年(昭和35年)よりフリーの編集者。かたわら文芸評論を書いた。「群系」創刊同人。 息子・菊田求(1949-1975)も詩や小説を書いたが、学生運動のさなか自死した。遺稿集に『反逆と愛のはざまで ある学生の孤独な遺書』(光風社出版 1979年5月)がある。
福田 陸太郎(ふくだ りくたろう、1916年2月9日 - 2… 福田 陸太郎(ふくだ りくたろう、1916年2月9日 - 2006年2月4日)は、日本の英米文学者、比較文学者、詩人、東京教育大学名誉教授。紫綬褒章・勲三等旭日中綬章受章。追叙従四位。 1916年、石川県羽咋市生まれ。1940年、東京文理科大学英文科を卒業した。 卒業後は東京高等師範学校に勤務。太平洋戦争後の1947年、東京教育大学助教授に就任した。のち教授に昇任。1948年には、太田三郎、中島健蔵らと共に日本比較文学会を創立。1949年から3年間ソルボンヌ大学に研究留学。1961年からはフルブライト交換教授として1年間米国の諸大学に派遣された。1977年に東京教育大学を定年退官し、名誉教授となった。
野田 真吉(のだ しんきち、1916年1月28日 - 199… 野田 真吉(のだ しんきち、1916年1月28日 - 1993年11月22日)は、日本のドキュメンタリー映画監督・評論家、詩人。本名は、亘 真吉(わたり しんきち)。野田 眞吉表記もある。 息子に、映像民俗学者で駒沢女子大学教授の亘純吉、キャメラマン・映画プロデューサー・オフィスエムエイピー(野田の映像作品のビデオ等を販売している)代表の亘真幸(亘眞幸)。息子たちは、野田の制作映画にスタッフとして参加もしている。 父は南宗派の画家の野田青石。宇宙機エンジニアの野田篤司は青石の曾孫であり、遠縁にあたる。 1916年(大正5年)1月28日生まれ。愛媛県八幡浜市矢野町出身。 1937年、早稲田大学文学部仏文科卒業。
和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1… 和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1日)は、日本の詩人、俳人、グッピー研究家。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)本所柳島生まれ。本名・牛次。中央大学商業学校卒業、アテネ・フランセ中退。1950-1980年「和泉熱帯魚研究所」を経営、おもにグッピー、卵生メダカ・卵胎生メダカを研究・繁殖。日本グッピー協会会長を務めた。
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2… 串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 1915年、東京市芝区生まれ。駿河台や永田町や一番町に育つ。暁星中学校で学び、中学時代から登山を始めた。1932年、旧制東京高等学校文科丙類に入学し、1935年に卒業。東京帝国大学文学部哲学科で学び、1938年に卒業した。同1938年には、処女短編集『白椿』(初見靖一名義)を刊行した。 卒業後は、上智大学で教鞭をとる。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓し、『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教鞭をとり、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。
石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月… 石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。
黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年… 黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年8月22日)は、日本の作家、詩人。 宮崎県西諸県郡須木村(現小林市)生まれ。宮崎師範学校(のち宮崎大学)卒。小学校教員となる。1938年に富松良夫らと同人誌『龍舌蘭』を創刊。太平洋戦争中は上海に渡り、『上海文学』を創刊する。43年「棉花記」で芥川賞候補。戦後、宮崎市の日向日日新聞社(現・宮崎日日新聞社)勤務、のち同社社長(1977~1982)。
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 198… 丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は、日本の医師、詩人。現代日本における代表的な詩人の一人。 福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌「日時計」を発行。1932年第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して、1937年九州医学専門学校卒業。 1941年以降、軍医として中国、フィリピン、ビルマを転戦した。復員後の1946年、久留米市にて豊泉会丸山病院を開業。医師として働く傍ら詩作を行う。1947年、安西均、野田宇太郎らと詩誌「母音」を創刊。谷川雁、川崎洋、有田忠郎ら九州の詩人たちが参加した。1966年、福岡県詩人会を設立して代表幹事に就く。
黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月… 黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月26日 - 2000年9月14日)は韓国の小説家、詩人。淡い同性愛とサディズム、マゾヒズムを抱く「落胆したロマンチスト」を描写する黄の作風は、詩人として出発した抒情的感性から来るのかもしれない。50年代以降、党派文学に対する批判が起こる韓国文壇で、感受性で美学を形象化してきた黄は純文学のひとつの頂きをなしている。 1915年3月26日、平安南道大同郡在京面氷庄里175番地に生まれる。父は黄賛永。母は張賛朋。三人兄弟の長男。1919年、黄が4歳のとき、三・一運動に父が関わり、日帝当局に逮捕される。それは後に『父』を書く土台になった事件である。
清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 201… 清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 2010年4月30日)は、日本の児童文学作家、詩人。 埼玉県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。北原白秋の指導を受け、「赤い鳥」に児童自由詩や童謡を投稿する。1991年「清水たみ子詩集 かたつむりの詩」で第21回赤い鳥文学賞、第21回日本童謡賞受賞。日本児童文学者協会、日本童謡協会会員。
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 -… 野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった
淵上 毛錢 (ふちがみ もうせん、1915年〈大正4年〉1月… 淵上 毛錢 (ふちがみ もうせん、1915年〈大正4年〉1月13日 - 1950年〈昭和25年〉3月9日)は日本の詩人。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)に生まれる。本名・喬(たかし)。東京の青山学院中学部へ進学する。東京では、詩人山之口貘の知遇を得、のちのちまで交流は続いた。脊椎カリエスを病んで青山学院を中退・帰郷。以後、寝たきりの生活を余儀なくされる。病床で詩作を始め、「九州文学」などに作品を発表。また戦後の1946年、水俣青年文化会議を組織するなど、郷里の文化活動の発展に貢献した。1950年、35歳で死去。 代表作に「柱時計」「寝姿」など。ユーモラス、また一面スケールの大きい詩風と評される。
鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982… 鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982年7月27日)は、日本の詩人。宗教評論家。ギリシア正教徒。洗礼名ダニール。漢詩文では不羣(ふぐん)と号した。 サン=ジョン・ペルスに影響された長大な叙事詩的スタイルの作品が特徴である。少年時代からボードレール『悪の華』に原書で親しむなどしたが、戦時中に新興俳句運動に出会い、富澤赤黄男に師事して俳人として出発した。北海道石狩に戦後開拓に入るが、やがて離農、札幌で印刷会社に校閲者として就職した。その頃に現代詩に転じ、和田徹三の形而上詩誌「湾」同人として活動した。 定年退職とともに埼玉県に移住。前年に出版した『定本鷲巣繁男詩集』で歴程賞受賞。
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1… 芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者、詩人、歌人。 山形県白鷹町横田尻に生まれる。 1935年山形師範学校(現:山形大学地域教育文化学部)卒業後、山大教育学部附属小学校、山形南高、上山高での勤務を経て、長井高校長を務める。退職後、日大山形高校に移り教鞭を執った。旧制山形二中・山南には23年にわたり在籍し、児童文学作家である鈴木実は文芸部で指導を受けた。 アララギ派の歌人として出発し、1943年に情報局・朝日新聞主催の懸賞作詞「大日本の歌」が一位入賞。戦後は、戦中の反省から短歌を捨て詩作におもむく。1952年に洋酒壽屋(現:サントリー)主催で公募された新国民歌では応募した「われら愛す」が一位で入選する。