麻倉 怜士(あさくら れいじ、男性、1950年12月30日 … 麻倉 怜士(あさくら れいじ、男性、1950年12月30日 - )は、日本のデジタルメディア評論家。 津田塾大学講師(音楽理論)、日本画質学会副会長。 岡山県岡山市出身。1973年横浜市立大学卒業。日本経済新聞社を経てプレジデント社に入社。『プレジデント』副編集長、『ノートブックパソコン研究』編集長を務める。 1991年よりオーディオ・ビジュアルおよびデジタル・メディア評論家として独立。 映像メディアについてVHSやDVD、Blu-ray Discといった記録媒体の違いによる「感動の量」を感動度という概念であらわして比較した。麻倉によると、VHSが20%、LDは40%、DVDは60%、BDは250%となるという。
川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - … 川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - )は、日本の鉄道評論家(鉄道アナリスト)である。鉄道友の会会員、全国鉄道利用者会議会員。 兵庫県芦屋市出身、山梨県上野原市在住。 鉄道に関する著作が多く、中でも『全国鉄道事情大研究』(草思社)は25年以上続くシリーズとして現在も続刊中で、川島はこのシリーズをライフワークとしている。 兵庫県立芦屋高等学校、東海大学を経て、電気車研究会『鉄道ピクトリアル』編集部に勤務。同誌のグラフ写真の撮影のほか、同社が刊行していた『電気車の科学』の編集も担当した。その後はフリーのライターとして鉄道関連の記事を書いていたが、収入も微々たるもので、妻子を養うために父親が関わるベンチャー企業に技術職として就職。
亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 20… 亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 2011年1月21日、男性)は日本の漫画評論家。愛知県名古屋市出身。批評集団「迷宮」の主要メンバーであり、MGMの創設者。本名は松田 茂樹(まつだ しげき)。愛称は「あにじゅん」。 1950年8月31日、愛知県名古屋市昭和区で誕生。 1969年4月、京都大学(文学部仏文科)入学。京都市左京区一乗寺に下宿する。1971年、月刊誌『COM』(虫プロ商事)8月号の読者投稿欄に「亜庭じゅん」のペンネームで長文のCOM批判を投稿し掲載される。 1972年、ぐら・こん関西支部長であった中島隆の紹介により、京都工芸繊維大学の学生だった高宮成河と出会い、意気投合。
岩下 眞好(岩下 真好、いわした まさよし、1950年7月1… 岩下 眞好(岩下 真好、いわした まさよし、1950年7月1日 - 2016年12月15日)は、ドイツ文学者、音楽評論家。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部独文科卒。1979年慶大法学部講師、1984年助教授、教授。2016年定年、名誉教授。『レコード芸術』『音楽の友』『音楽芸術』などに多数寄稿している。 2016年12月15日、脳出血のため死去。
鍵谷 芳勝(かぎたに よしかつ、1950年7月 - )は、日… 鍵谷 芳勝(かぎたに よしかつ、1950年7月 - )は、日本のファッションモデル、俳優、政治評論家。身長174cm。 クリエートジャパンエージェンシー所属。 中央大学法学部法律学科を卒業後、予備校講師、国会議員の政策秘書、内閣府秘書官を務め、過去には経済企画庁大臣秘書官や日本新党財務委員会代表理事を歴任。 趣味はテニス、ゴルフ、スキューバダイビング。
田﨑 史郎(たざき しろう、1950年〈昭和25年〉6月22… 田﨑 史郎(たざき しろう、1950年〈昭和25年〉6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、政治評論家。姓の「﨑」はいわゆる「たつさき」であるが、JIS X 0208に収録されていない文字であるため、代わりに「崎」を用いて田崎 史郎と表記されることも多い。 時事通信の政治部次長、編集局次長、解説委員、解説委員長などを歴任、一貫して時事通信で記者人生を過ごした。 福井県出身の政治評論家であり中央大学法学部卒業後、時事通信社に入社する。政治部や編集局の次長を経て解説委員となり、のちに解説委員長も務めた。 定年後も時事通信社において特別解説委員として在籍したが、2018年に退いた。その後はフリーランスの政治評論家として活動を続けている。
田崎 史郎(たざき しろう、1950年6月22日[要出典] … 田崎 史郎(たざき しろう、1950年6月22日[要出典] - )は、日本の政治評論家。時事通信社特別解説委員。
藤巻 健史(ふじまき たけし、1950年6月3日 - )は、… 藤巻 健史(ふじまき たけし、1950年6月3日 - )は、日本の債券・為替・株式トレーダー、経済評論家、政治家。モルガン銀行東京支店長、ジョージ・ソロス氏アドバイザーなどを経て、日本維新の会所属の参議院議員(1期)。日本維新の会政務調査会長代行および、東京維新の会代表、千葉維新の会代表、埼玉維新の会代表。
船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月… 船瀬 俊介(ふなせ しゅんすけ、1950年〈昭和25年〉4月27日 - )は、消費者問題や環境問題を専門とするジャーナリスト、評論家。 化粧品や酒類の品質を問うシリーズ書でミリオンセラーを記録するほか、60冊以上の著書を持つ一方で、政治や医学の分野においては疑似科学・陰謀論者との批判もある。 福岡県田川郡添田町出身。福岡県立田川高等学校卒業、九州大学理学部中退、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。大学在学中より生協活動に携わる。 日本消費者連盟の編集者を経て、1986年に独立。 週刊誌『週刊金曜日』で1996年に連載が始まった『買ってはいけない』シリーズの共著者として知られている。同連載をまとめた書籍はベストセラーとなり、多くの類似書を生むなど社会現象となり、消費者意識を高めたと評価される一方、船瀬がマクドナルドの肉に食用ミミズが使われていると主張するなど、科学的妥当性には批判も多い(買ってはいけない#批判を参照)。
西ヶ廣 渉(にしがひろ わたる、1950年4月18日 - )… 西ヶ廣 渉(にしがひろ わたる、1950年4月18日 - )は、日本の外交官、演劇評論家。駐ルクセンブルク特命全権大使、宮内庁宮務主管等を務めた。演劇評論家としての筆名は結城 雅秀(ゆうき まさひで)。 愛知県名古屋市生まれ。丹羽郡扶桑町出身。東海中学校・高等学校を経て、1974年に一橋大学経済学部を卒業し外務省入省。1977年オックスフォード大学哲学政治経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業。 小学生のときにローレンス・オリヴィエの『ハムレット』をテレビで観て以来、演劇に没頭するようになる。外交官の仕事のかたわら「結城雅秀」のペンネームで、1979年から『テアトロ』で演劇評論を定期的に執筆する。
松澤 喜好(まつざわ きよし、1950年3月1日- )は、日… 松澤 喜好(まつざわ きよし、1950年3月1日- )は、日本の英語教育評論家。 神奈川県出身。神奈川県立川崎高等学校、電気通信大学電波通信学科卒業後、富士ゼロックス入社。2004年『英語耳』を刊行してベストセラーとなり、以後多くの音声による英語習得の著作を出している。現在はカルチャーセンターなどで英語の講座を行っている。日本音声学会、日本英語学会会員。ウェブサイト「英語・発音・語彙」を主宰している。息子に音楽家の松澤健がいる。
友川 カズキ(ともかわ かずき、1950年2月16日 - )… 友川 カズキ(ともかわ かずき、1950年2月16日 - )は、日本の歌手、競輪評論家、画家である。本名:及位 典司(のぞき てんじ)。2004年に「友川かずき」から現在の表記へと改めている。
増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2… 増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2021年6月30日から7月1日にかけての未明)は、日本の漫画原作者、小説家、書評家、映画評論家、音楽評論家。東京都出身。血液型はB型。 漫画家・竹宮惠子のプロダクションのプロデューサー兼ディレクターを20歳のときから務め、『変奏曲』の原作なども担当する。15年間務めたのち独立、フリーライターとして活動する。のりす・はーぜの筆名で、『風と木の詩』のその後を書いた小説『神の子羊』や、イギリスのパブリックスクールを舞台にしたミステリー『永遠の少年』を執筆。他に、増山のりえの名前で『アリス・ブック』『少女風雅』の編纂など。 幼少時から指が人よりもよく動いたという理由で、両親のすすめでピアノを習い始め、小・中学校時代は桐朋学園大学の『子供のための音楽教室』に通い、将来はプロのピアニストを目指していた。
伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は… 伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は、日本の経済評論家、エコノミスト、ジャーナリスト。 株式会社三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。CS-TBS番組審議委員。コメンテイターとしてテレビ番組やラジオ番組に出演することもある。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て1973年早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年 時事通信社入社。外国経済部の報道記者。1976年 ニューヨーク特派員として4年間を過ごすが、国内での記者経験はない。その後中途入社で1986年 住友信託銀行に為替営業室長として入社。資金為替部為替カスタマー調査役、市場金融部調査役、為替営業室長を歴任。
寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、… 寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家、鉄道作家、鉄道評論家、元公立小学校教諭(地方公務員)、鉄道友の会会員、鉄道運輸史研究会会員。 大阪府八尾市出身。柏原市在住。 幼き頃より鉄道に興味を示し、義務教育在籍中から鉄道写真を撮影するようになり、また並行して鉄道雑誌に投稿したり、鉄道の歴史を研究する活動を行っていた。趣味活動対象は主に日本国有鉄道(国鉄、なかでも旧大阪鉄道管理局や天王寺鉄道管理局管内を中心とした関西地区関連)・JRグループ(特に地元のアーバンネットワーク関連)であるが、近畿日本鉄道(近鉄)や京阪電気鉄道(京阪)や南海電気鉄道(南海)などの大手私鉄関連も行っている。
筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は… 筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は、日本の俳人・評論家・文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。東京都出身。 東京都豊島区生まれ。獨協中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学在学中の1971年「馬酔木」に投句し、1973年「沖」に入会、能村登四郎に師事。1974年に大学卒業した後は科学技術庁に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「豈」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。 諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。
篠原 資明(しのはら もとあき、1950年 - )は、日本の… 篠原 資明(しのはら もとあき、1950年 - )は、日本の哲学者・詩人(日本文芸家協会会員)・美術評論家(国際美術評論家連盟会員、2014~2015年 日本美術評論家連盟常任委員)。京都大学名誉教授。京都市立芸術大学客員教授。専門は、哲学・美学。 1950年、香川県生まれ。1975年、京都大学文学部哲学科を卒業。1980年、同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程を単位取得満期退学し、京都大学文学部助手となった。 その後は大阪芸術大学助教授、東京芸術大学専任講師となった。京都大学総合人間学部助教授となり、後に教授昇進。学外では、2005年4月から2015年3月まで国立美術館外部評価委員をつとめた。
青柳 恵介(あおやぎ けいすけ、1950年 - )は、日本の… 青柳 恵介(あおやぎ けいすけ、1950年 - )は、日本の古美術評論家。 東京都生まれ。1973年成城大学文芸学部卒業。1978年同大学院文学研究科博士課程(国文学専攻)単位取得満期退学。成城学園教育研究所勤務、成城大学短期大学部日本文学科非常勤講師。白洲正子と親交を結んだ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉岡 栄一(よしおか えいいち、1950年 - )は、英文学… 吉岡 栄一(よしおか えいいち、1950年 - )は、英文学者、文芸評論家、東京情報大学教授。 北海道生まれ。1975年法政大学英文科卒。81年同大学院英文学専攻博士課程満期退学。トルーマン州立大学大学院留学。東京情報大学教授。1986年日本翻訳出版文化賞(共訳)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
関口 義人(せきぐち よしと、1950年 - )は、日本の音… 関口 義人(せきぐち よしと、1950年 - )は、日本の音楽評論家。東京都生まれ。 歯科開業医の長男として出生。弟(誠人)と妹がいる。3歳の頃より両親と共にプロテスタント教会に通っていた。1966年4月、父が急逝。 1979年から1997年にかけて東ヨーロッパを巡り、キリスト教正教会、カトリック教会、ユダヤ教の教義を学ぶ。1999年からはバルカン諸国、中東、アフリカ、アジア諸国へジプシーの取材を敢行。イスラム教、ヒンドゥ教、その他精霊信仰のアニミズムも含む民族宗教の教義を学ぶ。それらから学び得た知識や経験を上梓している。音楽についてはジプシー、ユダヤ、トルコなどに造詣が深く、自著がある。イベント企画を立ち上げることもある。
校條剛(めんじょう つよし、1950年- )は、元編集者、文… 校條剛(めんじょう つよし、1950年- )は、元編集者、文芸評論家、作家、元京都造形芸術大学教授。 東京都荻窪生まれ。1973年早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業、新潮社入社。『小説新潮』編集部に29年間在籍、9年間編集長を務めた。日本推理サスペンス大賞、新潮ミステリー倶楽部賞、小説新潮長編小説新人賞の創設に関与する。日本推理サスペンス大賞から乃南アサ、宮部みゆき、高村薫、帚木蓬生、天童荒太など、新潮ミステリー倶楽部賞から伊坂幸太郎、雫井脩介などを輩出する。新潮新書編集委員のときに、270万部のミリオンセラー『国家の品格』(藤原正彦)を担当。2007年、『ぬけられますか 私漫画家滝田ゆう』で第20回大衆文学研究賞受賞。
大塚 将司(おおつか しょうじ、1950年 - )は、作家、… 大塚 将司(おおつか しょうじ、1950年 - )は、作家、経済・金融評論家。前職日本経済研究センター 研究本部主任研究員。神奈川県出身。 聖光学院中学校・高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学大学院政治学研究科修了。日経のエース記者として、数々の疑惑を白日の下に曝し、報道した。
近藤 直子(こんどう なおこ、1950年 - 2015年8月… 近藤 直子(こんどう なおこ、1950年 - 2015年8月28日)は、日本の中国文学者、評論家。日本大学文理学部教授。 中国の女性作家である残雪の翻訳・研究を行い、彼女を日本へ紹介した。他にも、瓊瑶や遇羅錦らの翻訳がある。 新潟県出身。東京外国語大学英米語学科卒。東京都立大学大学院中国文学専攻修士課程修了。
山口 猛(やまぐち たけし、1949年12月29日 - 20… 山口 猛(やまぐち たけし、1949年12月29日 - 2004年9月3日)は、日本の映画、演劇評論家。本名:真 宮城県仙台市に生まれる。宮城県仙台第一高等学校20回生。東北大学工学部金属学科中退。劇団状況劇場の研究生となり、20歳から25歳まで状況劇場で過ごす。1975年に唐十郎監督の『任侠外伝 玄界灘』の助監督を務めた後、同年以降、フリーライターとなり、1981年からは映画を執筆の中心とした。東京藝術大学講師も務めた。 2004年9月3日、東京都内の病院にて心不全のため死去。
佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 -… 佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 - )は、兵庫県氷上郡青垣町(現・丹波市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・監督、野球解説者、野球評論家。 少年時代は相撲を取ったら負け知らずだったため、相撲部屋からスカウトが来たという。 兵庫県立柏原高校では捕手で4番を打つと、社会人野球の新日本製鐵広畑に入社する。新人の頃は神部年男(後に近鉄でも先輩)の球も受けていたが、2年目から一塁手に転向して1970年の第41回都市対抗野球大会に鐘淵化学の補強選手として出場し、チームの準々決勝進出に貢献する。同年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから9位指名を受けるが入団を拒否し、会社に残留する。
テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は… テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は、日本の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家、著作家。本名は伊藤 輝夫(いとう てるお)で、芸名の「テリー」は本名の輝夫にちなむ。東京都中央区築地出身。本籍地は千葉県山武郡横芝光町。身長174cm
増田 悦佐(ますだ えつすけ、筆名:米口胡、よねぐちえびす1… 増田 悦佐(ますだ えつすけ、筆名:米口胡、よねぐちえびす1949年12月6日- )は、日本の証券アナリスト、評論家。ニューヨーク州立大学助教授、HSBC証券シニア・アナリスト、JPモルガンシニア・アナリスト等を経て、フリーの経済アナリスト・文明評論家。 YouTube、ウェブマガジン、ブログなどでも精力的に発信中。 東京都生まれ。1973年一橋大学経済学部卒業、1975年、一橋大学大学院経済学研究科博士前期課程修了(修士学位を取得)、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程進学。指導教官は中川学。1979年、ジョンズ・ホプキンズ大学修士号取得、1981年ジョンズ・ホプキンス大学大学院経済学部・歴史学部博士課程単位取得。
鹿島 茂(かしま しげる、1949年11月30日 - )は、… 鹿島 茂(かしま しげる、1949年11月30日 - )は、日本のフランス文学者、文芸評論家、翻訳家。専門は19世紀フランス文学。明治大学名誉教授。角川財団学芸賞選考委員。2024年2月より、横綱審議委員会委員。 息子は写真家の鹿島直。 神奈川県横浜市金沢区出身。神奈川県立湘南高等学校を経て 1973年東京大学文学部仏文科卒業。1978年同大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。大学院の指導教官は蓮實重彦[要出典]。共立女子大学助教授・教授を経て 2008年より明治大学国際日本学部教授。2020年に定年退職。
村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2… 村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者、評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。旧名は村田 長次(読み同じ)である。 現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。 長崎県対馬市の市民球団である『対馬まさかりドリームス』の監督を務めていた。 プロ野球選手を志したのは小学5年の時で、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。
二田 一比古(ふただ かずひこ、1949年10月24日 - … 二田 一比古(ふただ かずひこ、1949年10月24日 - )は、日本の芸能レポーター、芸能評論家、作家。 福岡県出身。青山学院大学法学部卒業。卒業後、就職浪人中に男性週刊誌でアルバイトの後、女性誌『微笑』(祥伝社、廃刊)の専属記者として、主に芸能記事を担当する。その後、写真誌『Emma』(文藝春秋、廃刊)の専属スタッフになる。 その後は完全フリー。芸能取材のモットーは「現場と確認」。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月… 成田 一徹(なりた いってつ、1949年(昭和24年)10月9日 - 2012年(平成24年)10月14日)は、日本の切り絵作家、バー評論家。 本名、成田 徹(なりた とおる)。新聞・雑誌・書籍を中心に作品を発表。BARの情景を刻んだモノクロの切り絵は、30数年来のライフワーク。個展、グループ展多数開催。講談社フェイマススクール・インストラクター。Society Of Illustrators (New York) 会員。日本出版美術連盟会員。 兵庫県神戸市出身。大阪経済大学卒業。1988年(昭和63年)、切り絵作家として独立。 公務員として勤務する一方、バーの多彩な魅力を切り絵で表現することをライフワークとした。
高野 恭壽(たかの やすひさ、1949年9月24日 - )は… 高野 恭壽(たかの やすひさ、1949年9月24日 - )は、大阪府守口市出身の日本の株式評論家、評論家、株式評論家、経済評論家。株式市場新聞社大阪支社長、株式新聞社大阪支社長を経て有限会社ティエムエスを設立。代表取締役。国際綜合研究所特別顧問。 株式市場新聞時代から40年以上、欠かさず日経新聞の記事を業種別にスクラップしており、世界経済を俯瞰して為替や原油価格を含めた外的要因を把握した上で企業の業績を加味して多様な角度から銘柄を選定している。さらに、同じく毎日主要銘柄のチャートを手書きで200銘柄以上書いており、その日々の積み重ねがあるからこそ日本経済全体の流れおよびその時々に主役として日経平均を押し上げていく業種および銘柄がわかり、暴落暴騰のきっかけが判断できる。
小宮山 博仁(こみやま ひろひと、1949年8月25日- )… 小宮山 博仁(こみやま ひろひと、1949年8月25日- )は、教育評論家。東京都生まれ。中央大学商学部卒業後、私塾を開く。2005-2010年学研メソッド取締役。2011年学研エデュケーショナル顧問。
宮崎 秀一(みやざき しゅういち、1949年8月8日 - )… 宮崎 秀一(みやざき しゅういち、1949年8月8日 - )は東京都出身の競馬評論家。 法政大学卒業後、1972年に日刊競馬新聞社へ入社。年齢は1つ下だが、長年編集長・看板評論家を務めた柏木集保よりも1年早いため、普段は「柏木」と呼び捨てにしている。 調教内容をベースにした主に穴狙いの予想スタイルで同紙では人気が高く、高額配当的中もしばしばあり、2011年末までコラム「穴カルト」を担当。メイン馬柱に掲載されている6人のトラックマンの中で最も長く掲載されていたが、2012年からはスタッフ予想欄に移動した。看板評論家の柏木が1979年からメイン馬柱に載ったのに対し、宮崎はその3年前の1976年から既にメイン馬柱に掲載されていた記録がある。
平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年… 平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年2月24日)は、日本の写真評論家、写真史研究家。 川崎市民ミュージアム学芸員、九州産業大学教授、大阪芸術大学非常勤、日本写真協会理事などを歴任。フリー以後、写真評論家という肩書きにこだわりを公言し、「時代性」「社会を映す鏡」「写真論写真」などの観点から写真批評や講義を行い多くの後進や写真家を育成した。 京都府宮津市に生まれ、小・中・高と京都市伏見区で育つ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。大学時代には写真部に所属。フォトギャラリー・プリズムでは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生らと立ち上げ、金銭面で閉廊したがその間自身の作品展示も行う。
中川 五郎(なかがわ ごろう、1949年〈昭和24年〉7月2… 中川 五郎(なかがわ ごろう、1949年〈昭和24年〉7月25日 - )は、1960年代後半から活躍するフォークシンガー、訳詞家、音楽評論家、小説家、エッセイスト、翻訳家。ノーベル文学賞受賞者であるボブ・ディランの訳詞を全て手がけた。 1960年代後半、フォークミュージックのムーブメント「関西フォーク」の中で活動を開始した。 1967年3月、当時、大阪府立寝屋川高等学校の3年生であった中川はベトナム反戦講演会に参加。ゲストで来ていた高石ともやの歌に衝撃を受けた。1967年7月29日、中川は、高石やザ・フォーク・クルセダーズが参加した、第1回関西フォークキャンプ(京都・高雄)で歌唱した。 1967年、ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に、受験生を題材にしたオリジナルの詞をつけた「受験生ブルース」を制作する。
近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は… 近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1973年中央大学商学部経営学科卒業。 大学在学中は中大ペンクラブに所属。卒業間際に檀一雄主宰の「ポリタイア」に参加し、林富士馬、真鍋呉夫、古木春哉、谷崎昭男ら「日本浪曼派」にゆかりのある人物たちの知遇を得る。1980年代には「SCOPE」などの同人雑誌に参加。現在、歴程、鷹同人。詩誌「スタンザ」発行。日本文芸家協会会員。2025年に評伝『草野心平』で第63回歴程賞を受賞。
川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は… 川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は、福井県三方郡美浜町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者・評論家・タレント・YouTuber。本名:開田 幸三(かいだ こうぞう、旧姓:川藤→武田)。通称「浪速の春団治」、「野次将軍」。あるいは「川さん」、「川」とも。 所属事務所は有限会社ダッシュ・フォーで、田辺エージェンシーのグループ会社・ぐあんばーると業務提携している。 元プロ野球投手の川藤龍之輔は実兄。 地元の名士の家に生まれ、少年時代はやんちゃであったが、佛國寺の甚玄和尚に諭されて、野球に取り組んだ。本格的に野球を始めたきっかけは、同郷で当時日体大生にしてラグビー日本代表選手であった山口良治である。
阿部 幸太郎(あべ こうたろう、1949年6月21日 - )… 阿部 幸太郎(あべ こうたろう、1949年6月21日 - )は、宮城県出身の競馬評論家。 明星大学卒業後の1972年に株式会社ホースニュースに入社し、競馬専門紙『ホースニュース・馬』の記者として、コラム「穴党専科」を担当。 ホースニュースでは井崎脩五郎と並ぶ同紙の看板予想家として活動し、1984年から2001年まで中央競馬ワイド中継・ハイライト(CTC・TVK・TVS)に出演。ハイライトは1984年4月7日の第1回から松沢俊夫と共に出演し、ワイド中継では毎週日曜日にコーナー「アベコーの穴党専科」を担当。日曜日はラジオ日本 日曜競馬実況中継にも出演し、同名のコーナーを持っていた。 ワイド中継では初期の頃に阿部本人が中山の大障害コース4100mを完走するという特集VTRが制作され、馬が飛越する障害も全て乗り越えて完走。
勝見 洋一(かつみ よういち、1949年6月18日 - 20… 勝見 洋一(かつみ よういち、1949年6月18日 - 2014年4月17日)は、日本の美術鑑定家、料理評論家。オーディオ評論家、エッセイストの一面も持つ。 東京都港区生まれ。芝高等学校、成城大学文芸学部卒業。新橋に代々続く美術商に生まれ育つ。リスボン・グルベンキャン大学、パリ・コンセルヴァトワールにおいて音楽美学を講じ、文化大革命中の北京で美術品の鑑定に携わる。実家の美術商を継ぎ、NHK「男の食彩」キャスターなどを務めた。国外では、フランスでミシュランのレストラン及びホテルガイドブック審査員を務めた。1983年、桐島洋子と結婚、2000年、『中国料理の迷宮』でサントリー学芸賞受賞。審査委員の一人が桐島だった。
中村 勝広(なかむら かつひろ、1949年6月6日 - 20… 中村 勝広(なかむら かつひろ、1949年6月6日 - 2015年9月23日)は、千葉県山武郡九十九里町出身のプロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者、野球評論家。愛称は「カツ」「カッちゃん」。2012年9月5日より、プロ野球阪神タイガースの取締役ゼネラルマネージャー(GM)を務めていた。 成東高校では遊撃手、三番打者として1967年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進出するが、竜ヶ崎一高に敗退。1年下のチームメートには加瀬茂樹、藤田康夫の両投手がいた。 早稲田大学教育学部体育専修へ進学。東京六大学野球リーグでは、谷沢健一、荒川堯らのいた1968年秋季リーグで優勝を経験したが、自身の活躍の機会はなかった。
肥留間 正明(ひるま まさあき、1949年5月15日 - 2… 肥留間 正明(ひるま まさあき、1949年5月15日 - 2023年2月18日)は、日本のジャーナリスト、芸能文化評論家、出版プロデューサー、著作家。ペンネームは菅原 岳(すがわら たけし)、本庄 初(ほんじょう はじめ)がある。 『女性自身』『週刊宝石』『FLASH』などの週刊誌記者を務め、のち音羽出版を設立。 埼玉県さいたま市生まれ。日本大学法学部卒業。 芸能記者としてのデビュー当時は、「山口百恵と桜田淳子の区別がつかなかった」知識であった。学生時代から映画が大好きで『昭和残侠伝』『仁義なき戦い』、そしてアメリカンニューシネマを並木座などの名画館に追い求めて、ひたすら鑑賞。 1969年、女性自身の記者に転じグラビア班に配属される。
弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、… 弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(外野手)、監督、野球解説者、評論家。
井出 洋一郎(いで よういちろう、1949年(昭和24年)5… 井出 洋一郎(いで よういちろう、1949年(昭和24年)5月8日 - 2016年(平成28年)10月19日)は、日本の美術評論家。府中市美術館館長、群馬県立近代美術館館長を歴任。 1949年群馬県高崎市生まれ。1968年群馬県立高崎高等学校卒業。1972年上智大学外国語学部フランス語学科卒業、1978年早稲田大学大学院文学研究科西洋美術史専攻博士課程満期退学。 山梨県立美術館に勤務し、初代「ミレー番」学芸員を務める。1987年退職。上智大学講師、明星大学助教授、東京純心女子大学芸術文化学科教授、2009年府中市美術館館長、2015年群馬県立近代美術館館長。 2013年から日本テレビのルーヴル美術館特番の監修を務める。
中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8… 中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の演劇研究家・脚本家・美術評論家(専門は浮世絵・現代日本絵画)・学習院大学非常勤講師(2001年当時)。東京都深川・白河町生まれ。日本文芸家協会、日本演出者協会、美術評論家連盟各会員。鶴屋南北研究会・江戸深川文学会各代表を務めた。詩や美術評論も書いた。
関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は… 関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者・評論家。大洋時代の登録名は関本 充宏(せきもと みつひろ)。 糸魚川商工では3年次の1967年、エースとして夏の甲子園予選北越大会準決勝に進出するが、新湊高に完封を喫し甲子園には届かなかった。 同年のドラフト10位で読売ジャイアンツに入団。ドラフトで指名されながら、打撃投手としての扱いしか受けず3年間は一軍登板が無かった。 1971年に一軍ローテーションに抜擢され、10勝・防御率2.14(リーグ5位)の成績を残して、ヤクルトの若松勉との新人王争いを制す。入団4年目での新人王受賞は小関竜也(1998年、西武)と並ぶ記録であるが、同期入団で1年目に新人王になった高田繁からは「セキ、お前のは新人王じゃない。
仁平 勝(にひら まさる、1949年4月26日 - )は、日… 仁平 勝(にひら まさる、1949年4月26日 - )は、日本の俳人・文芸評論家。 東京都武蔵野市吉祥寺に生まれる。東京都立三鷹高等学校、中央大学法学部政治学科を卒業。1979年、古本屋で見つけた坪内稔典編集の『現代俳句』(南方社)を読んで同時代の俳句に興味を抱く。翌年から句作を開始し、第一句集『花盗人』を私家版で上梓。1981年「豈」参加(1999年退会)、「未定」参加(1991年除名)。1983年「俳句評論」に準同人として参加(同年終刊)。1989年「船団」入会(1997年退会)。1997年、評論集『俳句が文学になるとき』を中心とした業績で第19回サントリー学芸賞受賞。2003年、評論集『俳句のモダン』で第3回山本健吉文学賞評論部門受賞。
南條 史生(なんじょう ふみお、1949年4月21日 - )… 南條 史生(なんじょう ふみお、1949年4月21日 - )は、日本の美術評論家、キュレーター。東京都出身。森美術館特別顧問。アーツ前橋特別館長。 1949年、東京都生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業。三井銀行に入行するも、1年後に退職。1976年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。 国際交流基金勤務(1978年~1986年)、ICAナゴヤ・ディレクター(1986年~1990年)、ナンジョウアンドアソシエイツ(現:エヌ・アンド・エー株式会社)(1990年~2002年)を経て、2002年4月森美術館副館長。2006年11月同館長就任(2019年12月末で特別顧問に退く)。
永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、… 永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、日本の小説家、歴史評論家。
絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の… 絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の文芸評論家。本名は菅秀実。元近畿大学国際人文科学研究所教授。 妻は詩人で自然美容法研究家の筏丸けいこ(本名・菅圭子)。埼玉県坂戸市在住。 新潟県小千谷市出身。小千谷市立東小千谷中学校、新潟県立長岡高等学校卒業。代々木ゼミナール(世田谷寮)を経て、1969年学習院大学文学部哲学科に入学(後に中退)。 「日本読書新聞」編集長、「杼」編集員。1978年4月からサンリオ出版部アシスタント・エディターを務めたが、組合闘争のため、同年10月6日に解雇される。 コーネル大学客員研究員(1990年9月から1年間)、日本ジャーナリスト専門学校専任講師(1998年3月迄)を経て、2002年より近畿大学国際人文科学研究所教授、2015年定年。