濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 … 濱野 正(はまの ただし、1933年〈昭和8年〉6月14日 - )は、日本のヴァイオリニスト・編曲家。 ヴァイオリニストとして山形交響楽団などで演奏したほか、山形県立山形北高等学校で指導した。編曲家として手がけた楽譜はオーケストラ譜、弦楽合奏譜、ヴァイオリン ソロ譜、映画音楽まで多岐にわたり500曲を超える。 富山県高岡市の旅館の三男に生まれた。高岡市立定塚小学校の同じクラスに 藤本弘 (後の藤子・F・不二雄) がいた。藤本が病気療養中に書いた絵日記に感銘を受けた濱野は、手描きの漫画本の刊行を夢見てその作成に力を入れる。その後、小学校5年の時にヴァイオリン音楽に魅力を覚え、高岡市立南部中学校(現在は廃校)入学後もヴァイオリンの修練に励む。
有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東… 有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。東京音楽大学名誉教授。本名は日暮禮子。師匠は下総皖一、伊福部昭。祖先に有馬晴信。著名な教え子に作曲家の神山奈々、福島弘和らがいる。 1933年5月5日に東京市中野区に生まれる。家族と満州に移住したが、1946年に帰国した。高校在学時に演劇部で作曲した曲が評価されたことを契機に、東京芸術大学音楽部作曲科に入学し、下総皖一に師事する。卒業後に東京音楽大学へ勤務し、学長に就任した伊福部昭に弟子入りした。1965年から1968年に日本コロムビアのディレクターを兼務する。音楽理論、民俗音楽の研究を行い、戦後日本の女性作曲家の先駆的存在として数多くの作品を手掛けた。
高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2… 高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2020年8月31日)は、日本のミュージカル作曲家、編曲家、演出家。大阪音楽大学卒業。元宝塚歌劇団作曲家(1992年まで在籍)。 関西のミュージカル劇団、日本ミュージカル研究会・劇団JMA 創立者・主宰、但馬ミュージカル研究会 創立者・芸術監督、市民ミュージカル劇団『希望』創立者代表・芸術監督を務める。宝塚歌劇団時代の主な作品に、虞美人、華麗なる千拍子、ワン・ボーイ、ガールス・オー!ガールス、ほか。劇団のモットーは、芸術+エンターテイメント=JMAミュージカル。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年… 和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年2月8日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。愛媛県宇和島市出身。男性。 主にアニメソングや演歌の作・編曲家として知られている。アニメの代表作としてはタツノコプロ製作アニメーション作品のコロムビアレコードの作曲、編曲を多数手掛け『紅三四郎』(丘灯至夫 詩 堀江美都子 唄)、『ハクション大魔王』のエンディング曲『アクビ娘』や『昆虫物語みなしごハッチ』のエンディング曲『ママをたずねて』などがある。 その一方で『会津の小鉄』(作詞:松島一夫 = 宮川左近ショー 、唄: 京山幸枝若 、1967年 キングレコード)、また「ご当地ソング」の先駆けともなった『新宿ブルース』(作詞:滝口暉子、唄: 扇ひろこ 、1967年日本コロムビア)など演歌の大ヒット曲も同時期に手掛けている。
伊藤 雪彦(いとう ゆきひこ、1932年8月17日 - )は… 伊藤 雪彦(いとう ゆきひこ、1932年8月17日 - )は、愛知県豊橋市出身の作曲家・編曲家。日本音楽著作権協会評議員、日本作曲家協会理事。東京都中野区に伊藤雪彦音楽事務所を持つ。 全日本カラオケ王座決定戦の第10回(1999年)から第14回(2003年)まで「伊藤雪彦賞」が設置された。2003年2月に「豊橋ふるさと大使」に任命された。作曲した代表曲には、八代亜紀「おんな港町」(1977年)、「恋歌」(1977年)などがある。2011年と2014年に、日本音楽著作家連合「藤田まさと賞」を受賞した。
原田 実(はらだ まこと、1932年7月19日 - 1996… 原田 実(はらだ まこと、1932年7月19日 - 1996年8月25日)は、東京都生まれのカントリー・ミュージックのスティール・ギター奏者・編曲家。愛称はピーウィー。ワゴン・エースの創立メンバーである。 1932年、東京府東京市渋谷区大山町に於いて、のちに安田信託銀行(中央信託銀行)の本店部長を務めた原田信雄の次男として生まれる。長男である兄は敬。祖父の善兵衛は山形県東村山郡達磨寺村の郷中取締で、のちに長崎町(のちに中山町)の町議会議員を務めた。母の京は福島県士族で、日本銀行の志賀虎一郎の長女。3歳の頃からピアノに親しみ、慶應義塾幼稚舎の頃にハーモニカのバンドを作っていたという。 1945年、慶應義塾普通部に入学。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明… 鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明)は、日本の作曲家、編曲家、演奏家。中央大学応援歌 「中大健児の歌」作曲者。鈴木音楽研究所主宰。 1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1955年、中央大学卒業。中央大学音楽研究会に所属、委員長を務めた。大学2年の時、中央大学応援歌 「中大健児の歌」を作曲した。静岡市で鈴木音楽研究所を開設。 昭和27年に「中大建児の歌」が誕生する。新しい中央大学学生歌として募集され、発表会では、「新応援歌」として、昭和27年11月23日、白門祭の期間中の大講堂で行われ現在に至るまで、中大生愛唱歌の一つとして歌い継がれ校歌等と共ににカセットテープ「中央大学校歌」にも収録され、応援部・チアリーディング部のメイン演舞の曲となっている。
菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2… 菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2021年4月24日)は、日本の作曲家、編曲家。青森県弘前市出身。日本大学藝術学部音楽学科卒業。 1961年に映画『八人目の敵』で映画音楽家としてのデビューを果たした後、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当した。 それ以来、テレビ番組や映画の劇伴・主題歌を手掛けてきた。 1931年(昭和6年)、鮮魚店の長男として生まれる。幼少のころから映画好きで、弘前市内と青森市内の映画館をほとんどハシゴしたという。 青森県立弘前工業高等学校機械科を卒業後、日本大学藝術学部音楽学科に入学し作曲を専攻。大学卒業後、プロの映画音楽家を目指して木下忠司に師事。
小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年… 小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年1月25日)は、北海道釧路市出身 の作曲家・編曲家。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、明治大学ではマンドリン倶楽部に入部。アコーディオンの演奏は当時、六大学一の腕前と言われた。卒業後はキングレコード専属の作家として活躍し、主に歌謡曲の編曲を手掛け、川上英一とともに三橋美智也のヒット曲を数多く担当した。その傍らでNHK紅白歌合戦・演歌の花道・にっぽんの歌のオーケストラ、母校・明大マンドリン倶楽部の指揮者も務めた。
小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - … 小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - 2017年11月11日)は、日本の作曲家、編曲家。秋田県出身。 1954年東京芸術大学楽理科卒業。作曲家、編曲家、指揮者、伴奏者として活動。小椋佳の初期作品やペギー葉山の作品等を手がける。20年にわたりヤマハ世界歌謡祭の音楽監督と指揮を務めたほか、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団とのコンサートや、昭和のNHK番組「音楽の花ひらく」「音楽は世界をめぐる」他クラシック音楽を世に広める番組で編曲及び指揮。1992年には福岡市民芸術祭「世界のうた」や、1995年には「ときめく愛のうた」の指揮、編曲を担当するなど、幅広い分野で活動した。
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 19… 平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。日本作曲家協会会員。 1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 20… 小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 2016年6月5日)は、日本の作曲家、編曲家、医師。 童謡を多く作曲した。主な作品に、『ブーフーウー』、『勇者ライディーン』、「げんこつやまのたぬきさん」、「おべんとうばこのうた」、「いとまきのうた」、音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』、NHK朝ドラマ『いちばん星』、編曲作品「黒猫のタンゴ」がある。 息子に男性俳優、声優の小森創介がいる。 1931年に東京で生まれ、幼少時からピアノを習う。旧制東京都立九段中学校、慶應義塾高等学校(塾高の同級生に小林亜星、 冨田勲、林光らがいた )を経て、1957年に慶應義塾大学医学部を卒業し、外科学教室助手を経て、脳外科医師として活動した。
山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2… 山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2015年1月6日)は、日本のハワイアンスティール・ギター奏者、編曲家。実兄に山口正保、山口銀次がおり、ともにハワイアン・ミュージシャンである。 幼少期から兄達の影響で、ウクレレなどを始めた。 1945年、学徒動員。 1946年、青山学院の同級生とカハナ・アイランダースを結成。 1951年、山口軍一とルアナ・ハワイアンズを結成。 1955年、青山学院大学を卒業。兄の山口銀次が合流し、山口銀次とルアナ・ハワイアンズに改称。 1960年、日本グラモフォンと契約し、デビュー作『ハワイアン日本民謡集』をリリース。 1964年、銀次がルアナ・ハワイアンズを脱退して、ルアナ・タヒチアンズを結成。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱… 須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱指揮者、編曲家。高知県出身、大阪府在住。豊中混声合唱団名誉指揮者、大阪府合唱連盟・関西合唱連盟最高顧問。 高知県立安芸高等学校を経て早稲田大学第一理工学部卒業。在学中は早稲田大学グリークラブに在団して学生指揮者を務める。磯部俶、高田三郎に師事。 大学卒業後は久我産業株式会社に勤務。その一方、1962年、豊中混声合唱団に入団、同年秋より指揮者となる。同団を指揮して1980年の第33回全日本合唱コンクール全国大会一般部門で金賞受賞、その後第35回(1982年)から第37回(1984年)と第44回(1991年)から第46回(1993年)、第48回(1995年)から第50回(1997年)と、3度の3年連続金賞に導く。
池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)… 池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)、1931年 - 2014年6月12日)は、日本の作曲家・編曲家。
斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 19… 斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 1990年1月5日)は、愛知県豊川市出身の作曲家・編曲家。 2009年、編曲者として古賀政男音楽博物館が定める「大衆音楽の殿堂」入りを果たした。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 -… 宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 - 2005年6月24日)は、日本の作曲家、編曲家である。 長野県南佐久郡田口村(現佐久市)生まれ。4歳頃よりピアノを始める。村立田口小学校から東京市の京橋小学校へ移る。旧制暁星中学校を経て(この頃に音楽人類学者・日本打弦楽器協会会長の生明慶二と出会う)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業。同期に黒柳徹子、石橋エータローがいた。音楽学校在学中よりクラブ等にてジャズピアニストとして活動を始める。 ミュージシャン仲間との親交の中で小杉太一郎に師事。映画音楽、TV音楽等の作曲・編曲に携わる。中でも1979年10月からテレビ朝日系列で放送が開始されたテレビドラマ『西部警察』のメインテーマ曲が知られる。
山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 200… 山下 毅雄(やました たけお、1930年3月7日 - 2005年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家である。兵庫県神戸市出身。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。愛称はヤマタケ。 次男の山下透も作曲家で、父親のリスペクト・アルバムやリスペクト本に係わっている。 幼少期からフルートに親しみ、ジャズ、ハワイアンの手法を独学で学ぶ。大学在学中に作曲を始め、ラジオ放送で賞を獲得し、その才能を発揮する。同じころに影絵作家の藤城清治と出会い、NHK『学生の時間』の音楽を担当。後にビクターレコード専属となり、1960年(昭和35年)にLP『黒猫』、翌年に『黒い足音』を発表。 主としてラジオ、テレビドラマ、アニメ、CMの音楽を数多く作曲し、『七人の刑事』の主題歌で1962年(昭和37年)第4回日本レコード大賞新人作曲賞を受賞した。
内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1… 内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)は、東京都出身の作曲家・編曲家・ピアニスト。
若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11… 若松 正司(わかまつ まさし、1928年〈昭和3年〉1月11日 - 2009年〈平成21年〉10月18日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。作曲家の若松歓は息子にあたる。ヤマハ音楽振興会理事や日本作曲家協議会監事、日本童謡協会常任理事などを歴任した。 1953年(昭和28年)に放送用の音楽を手始めに作曲家を志向。作曲を服部正、指揮を高階正光に師事。1955年(昭和30年)のNHKのオーケストラ番組の編曲担当をきっかけに恒常的にレギュラー番組を担当。以後、NHKみんなのうたなどNHKの番組を中心に幅広く活動。1993年(平成5年)に第23回日本童謡賞受賞。また、日本大学習志野高校の応援歌(作詞:山上路夫)を作曲したりしたこともあった。
宇野 誠一郎(うの せいいちろう、1927年2月27日 - … 宇野 誠一郎(うの せいいちろう、1927年2月27日 - 2011年4月26日)は、日本のソングライター、編曲家。 兵庫県武庫郡鍛冶町(現・神戸市兵庫区)出身。早稲田大学第一文学部仏文科卒業。妻は声優、女優の里見京子。 幼少のころから母親の影響でピアノを習う。小学3年の時にピアノを取り上げられ練習を禁じられたが、独自に勉強を積む。 音楽大学への進学を考えていたが、音大に通っていた親戚に紹介された音楽評論家の園部三郎に「作曲家志望だからといって音大に行くのは間違っている。それよりむしろ見聞を広めるために一般校に行くべきだ」と指導され、早稲田大学に入学。 在学中の1948年から池内友次郎・安部幸明に作曲を、齋藤秀雄に指揮を、平尾貴四男に管弦樂法などを学ぶ。
福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 … 福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 - 1990年2月10日)は日本の指揮者、編曲家、音楽評論家。兵庫県神戸市生まれ。 関西学院中学部、西南学院中学部、西南学院高等部を経て、東京音楽学校(現:東京藝術大学)ピアノ科に入学したが、1948年1月に中退。東京音楽学校在籍中より、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)にて、近衛秀麿の内弟子となり、指揮法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。1950年、西南学院大学神学部に入学したが、翌年再上京し、藤原歌劇団に入団。マンフレート・グルリットの下でオペラ演奏法を学んだ。 晩年は腎臓病に苦しみ、人工透析に週3回通いながら音楽活動を続けていたが、1990年2月10日に死去。
鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27… 鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27日 - 2014年〈平成26年〉9月4日)は日本の作曲家、編曲家。日活ロマンポルノ作品では「月見里太一」名義を用いた。 神奈川県生まれ。1945年(昭和20年)東京高等商船学校航海科卒業。1952年(昭和27年)東京音楽学校本科作曲部卒業。作曲を池内友次郎、木下忠司に師事する。 1950年代から1990年代にかけて、アクション、スリラー、喜劇、ポルノといった大衆的な娯楽映画や2時間ドラマのサスペンス物などに音楽を数多く提供。耳に馴染みやすい明快なメロディを特徴とする作風で、多くの観客に親しまれた。石井輝男、井上梅次、加藤泰といった娯楽映画の職人監督への楽曲提供が特に有名である。
寺岡 真三(てらおか しんぞう、1925年(大正14年)12… 寺岡 真三(てらおか しんぞう、1925年(大正14年)12月4日 ‐ 2007年(平成19年)8月26日)は昭和期の作曲家、編曲家。本名寺田 常三郎。 京都府京都市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1952年以後に、ビクターレコード専属作曲家となる。 1953年10月から59年4月まで文化放送で放送された『素人ジャズのど自慢』ではピアノを担当。 第2回日本レコード大賞大賞の「君恋し」(フランク永井)や、第6回日本レコード大賞編曲賞の「お座敷小唄」(松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)、第11回日本レコード大賞編曲賞の「悲しみは駈け足でやってくる」(アン真理子)、ほか青江三奈の「恍惚のブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」など大ヒットの編曲を数々手掛けた。
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8… 渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」。 父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 また、作詞家の田野倉健之がアシスタントを務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒。
大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 200… 大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 2006年6月7日)は、日本のハワイアン歌手、スティール・ギター奏者、ソングライター、編曲家。 東京都出身。ニックネームは「オッパチ」「オッパチさん」(オッパッツさん)。後に石原裕次郎や五木ひろしがカバーした「倖せはここに」などがヒットし、戦後の日本にハワイアンブームをもたらした。加山雄三のヒット曲「お嫁においで」の編曲、演奏を手がけたことでも知られる。 節分に産声を上げたところから節夫と名付けられる。12歳からウクレレを始めたが、間もなくスティール・ギターに転向。 1941年にセブンスターズ・ハワイアンを結成。1943年に海軍予備員となり、翌年に洲ノ崎派遣隊隊長として出征。
只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月… 只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月18日 - 2015年〈平成27年〉7月18日)は、宮城県白石市出身の作曲家、編曲家。 1944年、日本大学芸術学部音楽科作曲専攻卒業。終戦を清津で迎え、ソ連軍との交戦の後、捕虜としてシベリアに抑留される。抑留中に竹山逸郎が後に大ヒットさせることになる「異国の丘」(吉田正作曲)をアコーディオンで伴奏し、同胞に歌わせ元気づけていた。その様子は日本国内でも報道され、「異国の丘」の作曲者でもある吉田正も知っていたと言われる。 1949年10月に復員し、東京都文京区立第六中学校で音楽科教諭として教鞭をとる中、「異国の丘」の縁で吉田正と運命的に出会う。
岩井 直溥(いわい なおひろ、1923年10月2日 - 20… 岩井 直溥(いわい なおひろ、1923年10月2日 - 2014年5月10日)は、日本の作曲家、編曲家および指揮者。 陸軍中将で男爵の野崎貞澄の孫として東京牛込に生まれる。父の岩井貞麿(旧姓野崎)は音楽教室経営者で、柴田南雄のピアノの師。母は帝国劇場のリハーサルピアノプレーヤー。 1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現東京藝術大学)器楽科(ホルン専攻)入学。作曲を橋本國彦に師事。1943年(昭和18年)に学徒出陣により旧大日本帝国陸軍に入隊。朝鮮半島へ出征。その後千葉県習志野市の東部軍教育隊へ異動。館山市の守備隊で見習士官(准尉)で終戦を迎える。ホルン専攻ではあるが、終戦後ジャズの世界にとびこみ、トランペットも演奏。
飯田 景応(いいだ けいおう、1916年2月5日 - 196… 飯田 景応(いいだ けいおう、1916年2月5日 - 1967年1月3日)は、石川県金沢市出身の作曲家・編曲家。本名:丹羽景應。別名には、木村武彦、下村信夫、相馬喜久雄、田中晴夫、藤井すすむ などがある。また、「景応」は「かげたか」とも読む。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
大久保 徳二郎(おおくぼ とくじろう、1908年3月14日 … 大久保 徳二郎(おおくぼ とくじろう、1908年3月14日 - 1974年8月19日)は、日本の作曲家、編曲家、映画音楽家である。ジャズバンドのサックス奏者から転向、作詞家の島田磬也、歌手のディック・ミネとのチームで第二次世界大戦前のテイチクレコードのヒットメーカーだった。 1908年(明治41年)3月14日、東京市本所区(現在の墨田区本所)に生まれる。ジャズのサックス奏者として上海に渡る。帰国後、テイチクレコードに入社、専属バンドで演奏する。このころ結婚し、1936年(昭和11年)、のちに衆議院議員となる大久保直彦が生まれた。 1938年(昭和13年)、日活多摩川撮影所が製作したトーキー映画『指輪のワルツ』(監督吉村廉)の劇伴を作曲をし、映画音楽家としてデビューする。
杉井 幸一(すぎい こういち、1906年〈明治39年〉 - … 杉井 幸一(すぎい こういち、1906年〈明治39年〉 - 1942年 〈昭和17年〉 4月5日)は、日本の編曲家、男性歌手、アコーディオン奏者。彼は日本のジャズのパイオニアとみなされている[誰によって?]。彼の音楽アレンジは、東アジアと西洋の音楽スタイルを巧みに融合させ、アメリカのオーケストラジャズ、日本の民謡、中国の民謡を組み合わせることで、複雑で多様かつ旋律豊かな音楽スタイルを生み出した。ある研究者[誰?]は彼の音楽を「戦前・戦時中の日本のジャズにおいて最も魅力的な独創的なスタイルのひとつ」と評し、また別の研究者[誰?]は「日本の戦時ジャズの頂点」と称賛した。 大阪商船社員から音楽家へ転身した日本の編曲家・バンドリーダー。
木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月1… 木下 保(きのした たもつ、1903年(明治36年)10月14日 - 1982年(昭和57年)11月11日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、指揮者、合唱指揮者、オペラ歌手、音楽評論家、作曲家・編曲家。日本の洋楽の黎明期を代表する音楽家として多大な功績を残した。 兵庫県城崎郡豊岡町(現: 豊岡市)に三人兄弟の次男として生まれる。父・松吉は特産「柳行李」製造卸業。1920年(大正9年)3月上京。ヴァイオリンを川上淳、声楽を澤崎定之に師事。1922年(大正11年)4月東京音楽学校予科入学。1926年(大正15年)同校本科声楽部を卒業し研究科進級。ペツォード、ネトケ=レーヴェに師事。 ベートーヴェン『第九』は、学生時代に東京音楽学校定期演奏会での公式初演で合唱団メンバーとして参加し、1927年(昭和2年)5月新交響楽団(現「NHK交響楽団」の前身)による初演奏「ベートーヴェン没後百周年演奏会」でソリストとしてデビュー。
中野 二郎(なかの じろう、1902年4月10日 - 200… 中野 二郎(なかの じろう、1902年4月10日 - 2000年6月10日)は、日本のマンドリン奏者・指揮者・作曲家・編曲家。 愛知県瀬戸市出身。愛知県立工業学校図案科卒。1920年(大正9年)に名古屋高等工業学校建築科に助手として採用されると、初任給20円で当時日本では珍しかったマンドリンを購入。マンドリンのほかギター演奏および作曲を独学で習得し、マンドリン合奏曲・マンドリン独奏曲・ギター独奏曲を作曲。また『一茶さん』などの童謡作曲家としても知られる。1922年に助手の職を辞して本格的に演奏・作曲活動を始め、1945年からはNHK名古屋放送管弦楽団の指揮者を務めた。『パガニーニの主題による30の変秦曲』が1954年のイタリア国際ギター作曲コンクールに入賞している。
仁木 他喜雄(にき たきお、1901年(明治34年)11月1… 仁木 他喜雄(にき たきお、1901年(明治34年)11月14日 - 1958年(昭和33年)5月13日)は、昭和期の作曲家、編曲家。北海道出身。 北海道札幌郡篠路兵村(現在の札幌市北区屯田・篠路付近)に生まれ、1歳の時に滝川村幌倉(現在の滝川市東滝川町付近)に移住し1914年まで過ごす。その後札幌の劇場を経て、横浜のバンド屋(鼓笛隊養成所の意味)「睦崎」に入門してドラムを学び、ハタノ・オーケストラ、日本交響楽協会を経て、1926年(大正15年)の新交響楽団(のちのNHK交響楽団)創設時にティンパニ奏者として参加。1940年以降は、コロムビア専属として、レコーディングにおける多数の編曲と作曲で知られる。
奥山 貞吉(おくやま ていきち、1887年〈明治20年〉3月… 奥山 貞吉(おくやま ていきち、1887年〈明治20年〉3月20日 - 1956年〈昭和31年〉6月2日)は日本のピアニスト、作曲家、編曲家、トロンボーン奏者。歌手の奥山彩子は実娘。 1887年(明治20年)東京茅場町に生まれる。東洋音楽学校卒業後、大正年間は船内のバンドでの活動を行った。昭和に入ると帝国ホテル主演のハタノ・オーケストラに所属する傍ら東京放送局で楽曲の編曲を担当し、浅草オペラ全盛期には金竜館の音楽部に所属し楽長を務めた。その頃に知り合った佐々紅華のすすめで後年はコロムビア専属となり、多くの作編曲を手掛けた。日本初のスライド・トロンボーンの奏者であったことでも知られる。1956年(昭和31年)に病死した。
羽鳥 風画(はとり ふうが、12月18日 - )は、日本のソ… 羽鳥 風画(はとり ふうが、12月18日 - )は、日本のソングライター、編曲家、音楽プロデューサー。 東京都出身。早稲田大学第一文学部英文科を卒業後に渡仏し、フランス国立リヨン地方音楽院を卒業。帰国後はフリーランスの作曲家として活動し、主にゲーム・アニメの主題歌やBGMを手掛けている。studio CHANT名義で活動する他、同人では羽っ鳥もさく共和国としても活動。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
furani (ふらに、12月12日-)は、東京都出身の女性… furani (ふらに、12月12日-)は、東京都出身の女性鍵盤楽器奏者、作曲家、編曲家、シンガーソングライター。東京都立国際高等学校、東京音楽大学作曲専攻映画・放送音楽コース卒業。。2025年より歌うマルチクリエイターと名乗る。 幼稚園の頃から、先生が弾くピアノを耳コピーして家で弾いていた。小2からエレクトーンを習い、ドラゴンクエストシリーズの音楽に衝撃を受け、作曲家を志した。高校3年時にジュニアエレクトーンコンクール'95全日本大会最優秀賞受賞。大学時代はバンドサークルに所属し、ライブの魅力に取りつかれ、シンセサイザー、ベース、ドラム、ギター等で様々なジャンルのバンドに参加。沢田泰司のバンド「音風」にもキーボードとして参加し、音楽観に影響を受けた。
伊藤 ゴロー(いとう ゴロー、Goro Ito 12月10日… 伊藤 ゴロー(いとう ゴロー、Goro Ito 12月10日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名:伊藤 尚規(いとう なおき)。 独特の作曲、編曲、オーケストラ・アレンジから「コードの魔術師」と呼ばれる。 幼少の頃は父親の影響でクラシック音楽(主にドイツ)一辺倒だったが、中学に入った頃にロック、ボサノヴァと出会う。影響を受けたギタリストはジョアン・ジルベルト、ラルフ・タウナー、キース・リチャーズ。影響を受けた作曲家はベートーヴェン、ガブリエル・フォーレ、ジョン・レノン、アントニオ・カルロス・ジョビン。 2005年に来日したキアラ・シヴェロ(Chiara Civello)のプロモーションライブをサポートした際、素晴らしいハーモニーだ!と賞賛される。
EHAMIC(エハミック、11月22日 - )は、日本のフリ… EHAMIC(エハミック、11月22日 - )は、日本のフリー作曲家、編曲家、シンガーソングライター、タレント、司書。東京在住。 TV-CM「Google Chrome×初音ミク」への出演やローソンのイメージソング提供をきっかけにメディアへの露出を始め、アーティスト活動以外に作家やタレントとしての顔をもつ。各所への楽曲提供も行っており、アナログとデジタルを融合させた、繊細かつ大胆な楽曲が特徴。ライブの回数が比較的少ないが、都内のほか、米国や欧州(イギリス、ドイツなど)で不定期に音楽コンサートの枠にとらわれないパフォーマンスを行う。音声合成ソフトVOCALOIDを使ったLP盤を制作するなど、前衛的な表現活動でも注目される。
T4K(タク、11月20日 - )は、日本のボーカリスト、作… T4K(タク、11月20日 - )は、日本のボーカリスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、トラックメイカー。東京都町田市出身。主にアニメソングやアイドル楽曲をはじめ、声優・VTuberなど多様なアーティストへ楽曲提供を行っている。 近年はボーカリストとして、『モンソニ!』(『モンスターストライク』関連プロジェクト)にてキャラクター「コクウ」の歌唱を担当している。 高校在学中にスカウトされ、ファンキー末吉がプロデュースによる激鉄オムニバスに参加。シャウトボーカルとしてバンド活動を行っていたが、バンド解散を機に本格的に作曲活動へ転身する。 2021年頃よりアニメやゲーム作品への楽曲提供を始め、幅広いジャンルに対応できるアレンジ力を武器に活動の場を拡大している。
鬼武 みゆき(おにたけ みゆき、11月17日 - )は、日本… 鬼武 みゆき(おにたけ みゆき、11月17日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。 東京理科大学理学部数学科卒業。2002年、自身のレーベル、Eternal Music Records を設立。これまでに、6枚のオリジナルアルバムを発表。自身の活動の他、他のアーティストのレコーディングやコンサートにも参加。2011年、ブラジリアン・シンガーソングライター、グラストン・ガリッツァとのコラボレーションアルバムを発売、マドリードや、30ヵ所にわたる日本ツアーを敢行。その他、小栗康平監督映画「埋もれ木」の挿入歌作曲、マレーシア・ナショナル・シンフォニー・オーケストラのオーケストレーションを手がけたり、東京理科大学のオリジナル楽曲「未来への約束」作曲などを行う。
吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の… 吉木 絵里子(よしき えりこ、11月13日 - )は、日本の作曲家、編曲家、作詞家。La Gauno所属。 東京芸術大学音楽学部器楽科バイオリン専攻を卒業。 ZAIN PRODUCTS所属を経て現在はLa Gaunoに所属している。
塚田 耕平(つかだ こうへい、10月22日 - )は、日本の… 塚田 耕平(つかだ こうへい、10月22日 - )は、日本のソングライター、編曲家。パレード・ミュージック所属。かつてはRebrast、ドリームモンスターに所属していた。 小学生の頃にピアノを習い始め、中学生でゲーム音楽に影響を受けた。高校ではバンド活動のかたわら楽曲制作を始め、大学進学後も作詞・作曲を続ける。作詞・作曲・編曲全体を通して世界観を作り上げるアプローチを得意とし、アイドルグループや声優アーティストを中心に楽曲提供を行っている。英語科の教職免許を持っている。 『アイドルマスター SideM』 『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 『アイドルマスター ミリオンライブ!』 『ウマ娘 プリティーダービー』 『彼女、お借りします』 『グリムノーツ The Animation』 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』 『スケートリーディング☆スターズ』 『女神寮の寮母くん。
矢嶋 マキ(やじま マキ、9月16日 - ) は日本のピアニ… 矢嶋 マキ(やじま マキ、9月16日 - ) は日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京都出身。夫はギタリストの矢島賢、次女はアートディレクターの矢島沙夜子。Whisper Notes Music代表。 2才の頃より音に対する恐怖症を克服するため、ピアノの前に座り弾き始める。東洋英和女学院幼稚園から小中高等部へと進学し、その間父親の転勤で台湾にて5〜8歳まで過ごす。この頃台北の著名な演奏家に師事すると、ピアノの才能を認められる。 中学・高校時代は学園祭のためのバンドを結成し、バート・バカラックの曲やボサノヴァなどをレパートリーとすると、クラシック以外の音楽を演奏する事に強く惹かれるようになる。