井上 幸治(いのうえ こうじ、1910年7月10日 - 19… 井上 幸治(いのうえ こうじ、1910年7月10日 - 1989年9月9日)は、日本の歴史学者。専攻は西洋史(近代フランス史)で、フランス史書・哲学などの翻訳・監修も多い。戦後の西洋史研究の基礎を築いた一人で、郷里の埼玉県で起きた秩父事件の先駆的研究や史料集成でも知られる。 1910年、埼玉県秩父郡大宮町(現・秩父市)で生まれた。旧制熊谷中学校から旧制浦和高等学校文科丙類(フランス語)に進学。浦和高校での友人に、後にジャーナリストになった柳沢恭雄(同級生)、警視総監になった原文兵衛(2年後輩)がいた。1930年3月に浦和高校を卒業、東京帝国大学文学部西洋史科に入学。1933年に同大学を卒業した。
豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 … 豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 - 1980年(昭和55年)3月29日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。日本中世史専攻。
羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年… 羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年12月27日)は、日本の歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。父は東洋史学者の羽田亨。東京大学名誉教授羽田正の伯父にあたる。 1910年、京都市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1934年に卒業した。1936年9月より2か年にわたりフランス政府招聘留学生としてパリ大学に留学する。 帰国翌年1939年1月より東亜研究所嘱託員となり、中央アジア近世史に着手する。1940年3月より母校である第三高等学校の講師となり、翌年に同校教授、1949年京都大学教養部教授となり、東洋史学を講じた。1962年に学位論文『中央アジア史研究(近世篇)』を京都大学に提出し、文学博士号を取得。
箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 200… 箭内 健次(やない けんじ、1910年1月16日 - 2006年)は、日本の歴史学者。 東京都小石川に、東洋史学者箭内亘の次男として生まれる。旧制静岡高等学校から、1934年東京帝国大学国史学科卒業。36年台北帝国大学講師、38年助教授、敗戦によって引き上げ、47年外務省調査課入局、48年文部省教科書局、50年金沢大学教授、53年九州大学教授、64年同文化史研究所所長、68年東海大学教授、74年駒澤大学教授。
今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - … 今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - 2003年9月8日)は、日本の歴史学者、神戸大学・大手前大学名誉教授。専門は日本古代・中世史。 大阪府生まれ。大阪府立今宮中学校を卒業し、1928年第三高等学校文科に入学。同校で中村直勝の講義を受け、日本史を専攻することにする。1931年に卒業すると、京都帝国大学では三浦周行の定年退官が決まっていたこともあり、「中世に於ける社寺と社会との関係」に惹かれて平泉澄のいる東京帝国大学へ進学する。同期入学に北山茂夫、久保田収や箭内健次らがいる。卒業論文では「中世における庄園の農民」をテーマとしようと黒板勝美に相談したところ、「歴史のいろいろな記録には殆んど出てこない、そんなものを調べてみても無駄だ」という意見であったというが、黒板の承認を得て清水三男の論文「中世に於ける若狹太良莊の農民」などに学びながら、卒業論文「中世における荘民について」をまとめた。
清水 三男(しみず みつお、1909年12月20日 - 19… 清水 三男(しみず みつお、1909年12月20日 - 1947年1月27日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。山部好吉のペンネームによる論文もある。 京都市下京区生まれ。京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、1928年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学に入学。同期に赤松俊秀らがいる。義兄でもあった中村直勝の影響と、指導教官三浦周行の指導で荘園研究を行った。卒業論文「封建制度の成立に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部を卒業する。同年、大学院に進学し、西田直二郎の指導を受ける。唯物史観の立場に立って中世封建社会成立についての研究を進めた。 1931年10月から1934年3月まで、叡山学院で神道史の講師を務めた後、1935年、和歌山県立和歌山商業学校教員となる。
児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8… 児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士。学習院大学名誉教授。学習院大学学長・学習院女子短期大学学長を歴任。品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた。 1909年、長野県更級郡稲荷山町(現在の千曲市稲荷山)生まれ。 旧制東京府立第二中学、旧制成蹊高等学校を経て、東京帝国大学国史学科に入学。児玉が少年期を過ごした故郷の稲荷山町は、江戸時代の善光寺街道最大の宿場町として栄え、明治期までは商都としても栄えた街であった。その最大の理由は、善光寺街道として知られる北国街道と北国西街道の事実上の合流点であり、善光寺街道から谷街道が分岐する交通の要衝であったためである。
鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2… 鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2001年4月3日)は、日本の歴史学者。専攻は中世史。土一揆・国一揆の研究で先駆的業績をあげる。その後に有力説となった戦国時代の明応の政変始期説を提唱する。 京都府生まれ、神奈川県出身。1930年第三高等学校文科乙類卒業、1933年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「中世に於ける農民の統制(特に社寺を中心として)」。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学)、愛知県半田中学校で教諭。戦後は神奈川県で高校教師となる。のち平塚市史編さん協議会委員長。
李家 正文(りのいえ まさふみ、1909年7月17日- 19… 李家 正文(りのいえ まさふみ、1909年7月17日- 1998年7月4日)は、日本の歴史学者。朝日新聞社東京本社日本古典全書編集長。 1909年、山口県で少輔五郎の長男として生まれた。國學院大學国文科で学び、1933年に卒業。 卒業後は、広島女学院専門学校の講師を務めた後、朝日新聞社に入社して映画局長、出版局長、朝日学生新聞社社長などを歴任した。便所の歴史の研究で知られたがほかに広く日本・東アジア史に関する著書多数がある。宗教は曹洞宗。
信夫 清三郎(しのぶ せいざぶろう、1909年4月8日 - … 信夫 清三郎(しのぶ せいざぶろう、1909年4月8日 - 1992年10月10日)は、日本の政治学者・歴史学者。日本政治学会理事長。名古屋大学名誉教授。 外交官で国際法学者の信夫淳平の三男として、父の任地である韓国の仁川で生まれる。信夫韓一郎(新聞記者、元朝日新聞社代表取締役専務)は兄。1934年、九州帝国大学を卒業し、マルクス主義的な立場から在野で日本近代史の研究を行う。唯物論研究会に所属し、1938年には治安維持法違反容疑で、特別高等警察に逮捕されたこともある。 1943年9月に出版した『ラッフルズ――イギリス近代的植民政策の形成と東洋社会』(日本評論社)は、発売一週間で内務省により敵国のイギリスを褒めているという理由で発売禁止の処分を受けた。
竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 200… 竹内 利美(たけうち としみ、1909年2月2日 - 2001年)は、日本の民俗学者、歴史学者。東北大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1944年國學院大學文学部国史学科卒業。日本の村落の実地調査研究を続け、社会学的見地に立って理論化を目指した。 1929年長野県上伊那郡川島村小学校、同本郷小学校で教諭となり、1940年日本常民文化研究所に勤務、1944年中央水産業会職員、1948年連合軍総司令部民間情報教育局世論及社会調査部顧問などを経て、1951年東北大学教育学部講師、1952年助教授、1954年教授。1972年定年退官、名誉教授、同年東北福祉大学教授、1983年退官。 1962年「日本村落構造の研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。
李 弘稙(イ・ホンジク、1909年 - 1970年)は、韓国… 李 弘稙(イ・ホンジク、1909年 - 1970年)は、韓国の歴史学者。朝鮮古代史を専攻。本貫は韓山李氏。 号は南雲。京畿道利川市出身。幼少時に日本に移住する。1931年、浦和高等学校卒業。1935年、東京帝国大学文学部卒業。1936年に帰国。帰国後は李王職に在職していた。 解放後は延禧専門学校講師、明倫専門学校講師、国立中央博物館課長(1945年 - 1951年)。1953年、延禧大学(延世大学)教授。1958年、高麗大学教授。学外では、国史編纂委員会委員、国宝古蹟名勝天然記念物保存会副委員、文化財委員会委員長、大韓民国学術院委員など。 史料批判を重視した実証的な高水準の研究により、韓国の歴史学の発展に大きく寄与した。
ねず まさし(禰津正志、1908年11月18日 - 1986… ねず まさし(禰津正志、1908年11月18日 - 1986年4月1日)は、日本の歴史学者、考古学者、著述家、翻訳家。専門は天皇史と昭和史。 本名の「禰津正志」、および「ねづ まさし」の名義でも著述活動を行った。 東京出身。1932年京都帝国大学文学部史学科国史専攻卒業。卒業論文は「文久元年露艦の對馬占據に關する外交史的研究」。同大学院考古学科修了。1936年文部省維新史料編纂局に入る一方で、1935年京都で創刊された雑誌『世界文化』の同人となり、その姉妹紙である週刊紙『土曜日』にも執筆するなど反ファシズム市民文化運動に関与したが、1937年、人民戦線事件で治安維持法違反として検挙された。戦後は天皇制、日本史、フランス革命に関する著述、翻訳を行う。
岡田 章雄(おかだ あきお、1908年〈明治41年〉10月2… 岡田 章雄(おかだ あきお、1908年〈明治41年〉10月2日 - 1982年〈昭和57年〉3月18日)は、日本の歴史学者。中世後期から近世初頭にかけての日本と西洋の交流史が専門。東京大学史料編纂所教授、青山学院大学教授を歴任。 1908年(明治41年)群馬県前橋市に生まれる。群馬県師範学校附属小学校を経て、群馬県立前橋中学校に入学し埼玉県立浦和中学校へ転校。旧制浦和高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部国史科を卒業。 大学卒業とともに大倉精神文化研究所副本作成部国書校正係嘱託となる。1933年(昭和8年)東京大学史料編纂所嘱託として入所。この頃から歴史地理学会の委員として『歴史地理』の編集に携わる。
増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2… 増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。第5代一橋大学学長、東京経済大学理事長。日本学士院会員。文化勲章受章者。位階は従三位。日本学術振興会会長、国立大学協会副会長等を歴任。 専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。 1908年、奈良県山辺郡波多野村(後の山添村)生まれ。旧制上野中学校(後の三重県立上野高等学校)卒業後、東京商科大学付属商業教員養成所入学。1932年東京商科大学(後の一橋大学)卒業。学部では日本経済史を専攻し、幸田成友の指導を受ける。
福尾猛市郎(ふくお たけいちろう、明治41年(1908年)7… 福尾猛市郎(ふくお たけいちろう、明治41年(1908年)7月8日 - 平成2年(1990年)6月4日)は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授。 明治41年(1908年)に兵庫県有馬郡三田町に生まれる。 旧制姫路高等学校を経て、昭和7年(1932年)京都帝国大学文学部国史学科の国史学専攻を卒業し、大学院へ進学。その間に『滋賀県八幡町史』の編纂主任などを務め、昭和15年(1940年)に刊行された。 昭和16年(1941年)に文部省に入省し、国史概説の編纂にあたった。 昭和21年(1946年)に旧制山口高等学校の教授となった後に山口大学教授となり、昭和29年(1954年)に広島大学文学部の教授に転じた。
黒羽 茂(くろばね しげる、1908年6月3日 - 2000… 黒羽 茂(くろばね しげる、1908年6月3日 - 2000年2月27日)は、日本の歴史学者。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学文学部卒、1962年「日英同盟史論」で文学博士。東北大学助教授、教授、1972年定年退官、名誉教授、東北福祉大学教授を務めた。近代における日本の対外関係を専門とした。
石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3… 石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3月14日 - 1989年(平成元年)4月14日)は、日本の官僚、歴史学者。行政管理庁行政管理局長、法学博士。 兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町)で、石川伊兵衛の四男として生まれる。第一高等学校を卒業。1932年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。1935年10月、高等試験行政科試験に合格。1936年、内閣に入り内閣調査局属となる。 以後、企画庁属、企画院事務官・内政部勤務、地方事務官・富山県勤務、埼玉県地方課長、同商工課長、奈良県地方課長兼振興課長、静岡県官房主事、企画院調査官、軍需省軍需官などを歴任。 戦後、東北地方行政事務局第一兼第二部長、宮城県経済部長、大阪管区経済調査庁査察部物資課長、東京管区監察局第二部第二課長、岡山地方監察局長、名古屋管区行政監察局第二部長、行政管理庁行政監察局監察審議官などを歴任し、1963年12月、行政管理庁行政管理局長に就任。
遠藤 元男(えんどう もとお、1908年〈明治41年〉2月1… 遠藤 元男(えんどう もとお、1908年〈明治41年〉2月11日 - 1998年〈平成10年〉7月22日)は、日本の歴史学者。明治大学名誉教授。研究分野は日本史。 東京府東京市生まれ。1931年東京帝国大学文学部国史学科卒業。 高等女学校、高校教諭を経て、1953年金沢大学教授、1958年明治大学教授、1965年「日本職人史の研究・総説」で明治大学より文学博士の学位を取得。1973年定年退任、東京電機大学教授、日本女子大学教授、荒川区文化財保護審議会会長。筆名・福島信夫(ふくしま しのぶ)。
川崎 庸之(かわさき つねゆき、1908年1月16日 - 1… 川崎 庸之(かわさき つねゆき、1908年1月16日 - 1996年11月3日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授、和光大学名誉教授。 1908年東京生まれ。第一高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に進んで、辻善之助に師事した。1930年に卒業。 1936年に東京帝国大学史料編纂所に入り、1954年に教授昇進。1968年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は和光大学教授として教鞭をとった。 仏教を中心とした古代史、日本思想史、日本文化史の研究を続けた。
竹内 理三(たけうち りぞう、1907年(明治40年)12月… 竹内 理三(たけうち りぞう、1907年(明治40年)12月20日 - 1997年(平成9年)3月2日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史・中世史。号は竹犂(ちくり)。文学博士。東京大学名誉教授。東京大学史料編纂所所長を務めた。 1907年(明治40年)12月20日、愛知県知多郡岡田町(現・知多市)にて、機織工場の共同経営者である父・竹内仁重と母・志んの三男として生まれた。 岡田尋常小学校を経て、1920年、愛知県立半田中学校(現・愛知県立半田高等学校)に入学。背が低く猛勉強をする竹内は、彼を気に入らない連中からいじめを受けたという。1924年、第八高等学校文科甲類に入学。在学中に同級生と史学研究会を結成し、その会報誌『瑞陵史叢』の創刊号に竹内の処女論文「有史以前の日本」を寄せている。
清水 博(しみず ひろし、1907年9月23日 - 1993… 清水 博(しみず ひろし、1907年9月23日 - 1993年8月10日)は、日本の歴史学者、立教大学名誉教授。専門はアメリカ史。 東京都出身。東京帝国大学卒。第四高等学校講師、1949年立教大学文学部史学科教授に就任。1972年~1974年、アメリカ学会第5代会長。立教大学での教え子に、カナダ史研究者の大原祐子がいる。1976年国際商科大学教授。1985年退職。 アメリカ学会は、1996年、清水を記念する「清水博賞」を創設した。
秋山 國三(あきやま くにぞう、1907年6月11日 - 1… 秋山 國三(あきやま くにぞう、1907年6月11日 - 1978年9月27日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。 京都の地域史研究に取り組んだ。 京都市下京区出身。1932年京都帝国大学文学部史学科卒業。1934年から同志社専門学校講師、1944年に同志社外事専門学校教授。1949年に同志社大学教養部教授となり、1951年に経済学部・1954年に文学部に配置換え。1977年に退職して名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉本 勲(すぎもと いさお、1907年5月16日 - 199… 杉本 勲(すぎもと いさお、1907年5月16日 - 1991年4月28日)は、日本の歴史学者。 東京府豊多摩郡大久保村(現・東京都新宿区)生まれ、岐阜県出身。1932年東京帝国大学文学部国史学科卒。宮内省図書寮編修員、日本大学助教授、教授、九州大学九州文化史研究施設教授を経て、1969年九大文学部教授、1971年定年退官、名誉教授、高知県立大学教授、武蔵工業大学教授を務めた。近代日本技術史が専門。 1991年4月28日、脳梗塞のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1… 赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、日本の歴史学者。北海道旭川市出身。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。卒業論文として「室町幕府の統制意識に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部史学科卒。 京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。
近山 金次(ちかやま きんじ、1907年4月12日 - 19… 近山 金次(ちかやま きんじ、1907年4月12日 - 1975年11月6日)は、日本の歴史学者(古代ローマ史・中世精神史)、教育者。学位は文学博士(慶應義塾大学・1950年)。慶應義塾大学名誉教授。 慶應義塾大学予科教員、慶應義塾大学文学部教授、慶應義塾中等部部長(第3代)、清泉女子大学文学部教授などを歴任した。 東京府東京市出身の西洋史学者である。慶應義塾大学文学部を卒業すると、同大学の予科の教員を経て、文学部で教授を務めた。また、慶應義塾中等部の部長も兼務した。その後、清泉女子大学に転じ、文学部の教授を務めた。また、翻訳者としてガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』を日本に紹介したことでも知られている。
平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)… 平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)3月17日 - 1970年(昭和45年)12月12日))は、衆議院議員(日本社会党)、歴史学者。選挙には「びょうどう ぶんせい」の読みで出馬した。 神奈川県横浜市出身。1929年、新潟高等学校卒業。東京帝国大学文学部卒業。東京で新聞・雑誌記者として勤めたのち、中国大陸に渡り高橋公館、興亜院華北連絡部に勤務。のち、新民学院や北京大学(農学院)教授などを歴任し、東洋史の研究に従事する。第二次世界大戦後、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓に入植し、農民運動を始め、全日本農民組合中央常任委員、同国際部長、同長野県連合会委員長、日本社会党長野県本部統制委員長、私学新報社長などを歴任した。
宮本 又次(みやもと またじ、1907年3月5日 - 199… 宮本 又次(みやもと またじ、1907年3月5日 - 1991年3月12日)は、日本の歴史学者。専攻は、日本経済史・近世商業史。経済学博士(九州大学)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。 大阪府大阪市生まれ。旧制大阪府立市岡中学校、大阪外国語学校仏語部を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学経済学部卒業、同大学院修了。同大学助手、日本経済史研究所を経て、1939年(昭和14年)彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)教授。 1942年(昭和17年)九州帝国大学助教授、1945年(昭和20年)同教授。1950年(昭和25年)九州大学より経済学博士の学位を取得、学位論文は「江戸時代問屋の研究」。
阿部 行蔵(あべ こうぞう、1907年2月25日 - 198… 阿部 行蔵(あべ こうぞう、1907年2月25日 - 1981年4月28日)は、日本の歴史学者(近代思想史、歴史理論)、旧・東京都立大学(現首都大学東京を経て東京都立大学)教授、牧師。平和運動家。政治家、第10代東京都立川市長。 広島県広島市出身。最初、川端画学校の藤島武二に師事したが1928年、賀川豊彦の集会に出席して神学を学ぶことを決意する。神田の中央バプテスト教会(三崎町教会)で中島力三郎からバプテスマ(洗礼)を受ける。 関東学院に入学、神学部に学ぶ。キリスト者学生運動に参加の後、日本戦闘的無神論者同盟に加盟。1933年治安維持法違反容疑で検挙され執行猶予。1937年同志社大学文学部神学科を卒業すると姫路バプテスト教会に赴任する。
洞 富雄(ほら とみお、1906年11月14日 - 2000… 洞 富雄(ほら とみお、1906年11月14日 - 2000年3月15日)は、日本の歴史学者。専攻は日本史。元早稲田大学文学部教授。文学博士(早稲田大学)。
太田 廣(おおた ひろし、1906年11月10日 - 198… 太田 廣(おおた ひろし、1906年11月10日 - 1984年11月26日)は、日本の歴史学者。専攻は西洋史、特にドイツの宗教改革史。 東北帝国大学法文学部で大類伸に師事し、1933年に卒業。東京文理科大学の嘱託、助手となった。一方で、東京高等師範学校書記、助教授を兼務し、1939に東京高等師範学校助教授専任となる。 1942年、台北高等学校教授に着任したが、1946年に辞職。その後、鉄道教習所講師、実践女子専門学校講師などを経て、1949年に発足間もない新潟大学人文学部の助教授となり、1952年には教授に昇任した。 1972年に新潟大学を定年退職し、名誉教授。1973年には城西大学経済学部教授に就任し、1981年に退職した。
坂田 吉雄(さかた よしお、1906年 <明治39年> 11… 坂田 吉雄(さかた よしお、1906年 <明治39年> 11月 - 2000年 <平成12年> 8月24日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。専門は日本近世史・近代史。位階は正四位。
藤井 駿(ふじい しゅん、1906年10月24日 - 198… 藤井 駿(ふじい しゅん、1906年10月24日 - 1989年7月19日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 岡山県の吉備津神社の神職の家に生まれる。岡山県立第一岡山中学校から第六高等学校文科に進学。1927年に同校を卒業し、京都帝国大学文学部史学科に入学。同期入学に山根徳太郎、池内義資らがいた。卒業論文「文藝復興期に於ける日本道への歸着」をまとめ、1930年に卒業。 大学卒業後は、六高における恩師でもある松本彦次郎の推薦により、その後任として第六高等学校講師となり、同年10月に同校教授。1950年に岡山大学法文学部教授。1972年に退官し、名誉教授となり、1978年まで山陽学園短期大学教授を務めた。
藤井 貞文(ふじい さだふみ、1906年7月4日 - 199… 藤井 貞文(ふじい さだふみ、1906年7月4日 - 1994年6月12日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。専門は、近世から近代に至る日本思想史。 山口県下関市の神職の家に生れた。1924年に旧制唐津中学校を卒業。國學院大學に進学し、折口信夫の門下で学んだ。1929年に国史学科卒業。 卒業後は維新史料編纂事務局編纂事務嘱託に採用された。維新史料編纂官補として勤務し、1938年から維新史料編纂官。しかし、1942年の官制廃止にともない退職。1943年からジャカルタ医科大学教授となるが、敗戦により帰国。 復員後は、1946年から帝国図書館・国立国会図書館に勤務。1951年、学位論文『明治初世に於ける国学の展開』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。
早川 二郎(はやかわ じろう、1906年2月22日 - 19… 早川 二郎(はやかわ じろう、1906年2月22日 - 1937年11月8日)は、日本の歴史学者。本名は「小出 民声」(こいで みんせい)。 東京府西多摩郡吉野村(現・東京都青梅市)生まれ。1929年3月、東京外国語学校ロシア語科を卒業。プロレタリア科学研究所、唯物論研究会に入り、ソ連事情、ソ連史学の翻訳・紹介をおこなった。のちに日本古代史に関心を広げて研究を進めた。1937年11月8日、奥秩父を登山中、将監小屋で遭難死した。
柴田 實(しばた みのる、1906年1月11日 - 1997… 柴田 實(しばた みのる、1906年1月11日 - 1997年3月16日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。 1906年、京都市下京区で生まれた。京都府立第一中学校を経て、第三高等学校に進学。1925年に卒業し、京都帝国大学文学部史学科に入学。三浦周行、西田直二郎の指導を受け、1930年に卒業。 1930年、京都帝国大学文学部副手に採用された。1932年に助手昇格。 1946年に助教授昇格。1950年、京都大学分校(後の教養部)教授に昇格。1963年から1965年まで京都大学教養部長をつとめた。1969年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。同1969年4月より関西大学文学部教授。1970年からは財団法人元興寺仏教民俗資料研究所人文科学室長をつとめた。
今井 啓一(いまい けいいち、1905年8月17日-1975… 今井 啓一(いまい けいいち、1905年8月17日-1975年11月27日)は、日本の歴史学者。 京都府出身。神宮皇學館卒。大東文化学院高等科修了。1961年「帰化の研究」で國學院大學文学博士。立命館大学教授、近畿大学教授、大阪樟蔭女子大学学芸学部教授。
和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983… 和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983年2月28日)は、日本の歴史学者。 東京府東京市生まれ。1926年静岡高等学校卒業。1929年東京帝国大学文学部国史学科卒。立教大学講師、1936年神戸女学院專門學校教授、神戸女学院大学教授、1966年同学長、のち大手前女子大学教授。日本思想史が専門で、特に日本宋学史研究で功績を残した。
川勝 政太郎(かわかつ まさたろう、1905年(明治38年)… 川勝 政太郎(かわかつ まさたろう、1905年(明治38年)5月22日 - 1978年(昭和53年)12月23日)は、日本の歴史学者・考古学者・美術史家。学位は、文学博士。専門はサンスクリット、石造美術の研究。京都市生まれ。 京都府京都市生まれ。京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)卒業後、建築史家の天沼俊一に師事し、石造遺品への関心を深めた。1926年に自宅で書店をひらき、屋号をスズカケと称し、1928年にはスズカケ出版部を設け、『古美術史蹟 京都行脚』を刊行し、1929年、京都史蹟会の会誌『京都史蹟』の創刊に携わった。1930年、史迹美術同攷会(しせきびじゅつどうこうかい)を創立し、会の機関誌として研究雑誌『史迹と美術』を創刊した。
今西 正雄(いまにし まさお、1905年5月4日 - 199… 今西 正雄(いまにし まさお、1905年5月4日 - 1990年6月13日)は、日本の歴史学者。同志社大学名誉教授。 1905年5月4日、京都市の西陣に織問屋を営む今西家の長男に生まれる。1928年、同志社大学法学部経済学科卒業。アメリカ合衆国やドイツに留学。1949年より同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ経済史。1965年ころから「低開発」問題に関心をもち、ブラジル経済史、特にポピュリスト的指導者ヴァルガスの計画経済の研究にとりくむ。1976年の退職後は、同志社大学や他大学で後進の指導にあたった。1990年6月13日、ブラジルで逝去。享年85。
小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 200… 小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。 1905年、福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)生まれ。1922年に福井中学校(現:福井県立藤島高等学校)、1925年に第四高等学校を卒業した。その後は京都帝国大学文学部史学科に進んだ。卒業論文「貨幣流通の發展」をまとめ、1928年に卒業。 卒業後は、堺市史編纂部嘱託となった。1930年、台北帝国大学文政学部講師に着任。後に同大学助教授に昇進。1944年に応召し、陸軍中尉に至った。戦後も1946年まで国立台湾大学副教授として同地にとどまったが、同年中に帰国した。
細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月… 細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月2日 - 1962年(昭和37年)4月5日)は、日本の法学者、歴史学者、弁護士。元法政大学教授、元専修大学教授。専門は法制史、社会経済史。 香川県三豊郡麻村(現三豊市)に生まれる。1928年3月、法政大学専門部第二部政治経済科卒業。 1933年から法政大学で法制史を講義し、1936年に教授に就任する。1945年、『日本獄制史論』で法政大学から法学博士の学位を授与される。 1947年に公職追放されるが、1951年に解除される。1955年、専修大学教授に就任する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日 - 198… 中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日 - 1986年12月10日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。社会史・農民史および村落共同体に関する著書多数。 長野県上伊那郡朝日村平出(現在の辰野町)に生まれる。朝日尋常高等小学校、長野県諏訪中学校を経て、旧制第三高等学校に進学し、中村直勝の講義を聞き、歴史学に興味を持つ。1925年3月に同校文科丙類を卒業。京都帝国大学入学後、1926年、東京帝国大学文学部国史学科に再入学し、卒業論文「近世初期の農政」をまとめ、1929年3月に同大学文学部卒業。 1929年、東京大学史料編纂所に入所し、1933年3月まで勤めたのち、東北帝国大学法文学部助教授。
岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38… 岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38年) - 1993年11月20日)は日本の言語学者、歴史学者。 1905年1月21日、愛知県豊橋市で生まれた。旧制第八高等学校を卒業後上京し、東京帝国大学英文科に進学。同大学大学院に進み、修了。その後、東京外国語大学に入学。東京外国語大学ではオランダ語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、中国語、チベット語等を習得し、卒業した。 修了後は、郁文館、早稲田実業学校、桜蔭学園などで英語教師として勤務。専門は語学であったが、東洋史に関する問題についても研究し、『書物展望』、『歴史地理』、『学鐙』などの論文を残した。1943年に応召し、中華民国に渡った。
高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1… 高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1987年6月19日)は、日本の僧侶、歴史学者。本名は北小路貞和。 岩手県奥州市江刺地域出身。大東文化大学教授。真言宗智山派金剛寺住職、大東文化大学名誉教授。日本経済史、社会経済史、人口史専攻。1960年「近世諸藩の人口と人口増加政策」により、専修大学から経済学博士の学位を授与される。また、1961年には「かくし念仏の歴史と教義・教団組織とに関する一研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
村田 正志(むらた まさし、1904年9月23日 - 200… 村田 正志(むらた まさし、1904年9月23日 - 2009年6月26日)は、日本の歴史学者。専門は、日本南北朝史。三重県出身。 1904年、父の任地茨城県下妻で生れた。三重県富田中学校(現・三重県立四日市高等学校)で学び、1924年3月に卒業。同年4月、國學院大學予科に入学した。 1929年3月に國學院大學史学科を卒業後、同年4月に東京帝国大学史料編纂所嘱託として入所。史料編纂所では『大日本史料』第6編・第7編の編纂に従事した。1942年に史料編纂官補に昇任。1951年、学位論文『南朝歴代天皇御事蹟の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。 1930年代に南北両朝の取扱について、史学界内外から圧力が起こり、『大日本史料』第6編29は、1939年以降から1951年まで刊行が中断された。
奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 20… 奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。学位は、文学博士。現在[いつ?]でも織田信長研究の権威と評されている。 兵庫県洲本市生まれ。1928年(昭和3年)に國學院大學を卒業後、東京帝国大学史料編纂掛に勤務、『大日本史料』第2・9・10編や『史料綜覧』の編修に携わる。1941年(昭和16年)に東京帝国大学史料編纂官補、1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所助教授に就任。引き続き『大日本史料』第10・11・12編の編修にあたった。この間、1945年(昭和20年)6月12日には、『皇室御経済史の研究』が評価されて帝国学士院より恩賜賞を受賞。
末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月… 末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月20日 - 1992年(平成4年)4月10日)は、日本の歴史学者。学習院大学名誉教授。文学博士。専門は朝鮮史。 1904年(明治37年)、福岡県田川郡弓削田村(のち田川市)生まれ。福岡県立小倉中学校・佐賀高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1927年に卒業した。 卒業後は朝鮮総督府朝鮮史編修会に修史官として勤務。『朝鮮史』などの編修事業に従事し、1933年から京城帝国大学法文学部助教授を経て、1939年に同教授に昇格した。 敗戦にともない引上げ帰国。1947年に学習院教授に招聘され、1949年学習院大学開学とともに文政学部教授に就いた。
杉 勇(すぎ いさむ、1904年8月1日- 1989年11月… 杉 勇(すぎ いさむ、1904年8月1日- 1989年11月25日)は、日本の歴史学者、東京教育大学名誉教授。専攻は古代オリエント史。 1904年、大阪で生まれた。東京帝国大学文学部西洋史学科で学び、1927年に卒業。 卒業後は東京教育大学助教授に就いた。後に教授昇格。1968年に東京教育大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は明治大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。1989年に死去。死去と同時に正四位受勲。
尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月3… 尾崎 喜左雄(おざき きさお、1904年〈明治37年〉5月30日 - 昭和53年〈1978年〉1月4日)は、日本の歴史学者・考古学者。主に群馬県で古墳の調査を行い、群馬県の考古学の礎を築いた。文学博士、群馬大学名誉教授。 1904年(明治37年)、神奈川県足柄上郡川村(現・山北町)に生まれる。1923年(大正12年)神奈川県立第一横浜中学校(現・神奈川県立希望ケ丘高等学校)を卒業。1926年(大正15年)日本メソヂスト静岡教会で受洗。同年静岡高等学校卒業後、東北帝国大学法文学部に入学するも中退。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部を卒業(法学士)。1932年(昭和7年)近衛砲兵大隊に入隊し工兵科幹部候補生となるが同年除隊し予備役となる。