青井 政美(あおい まさみ、1907年〈明治40年〉12月2… 青井 政美(あおい まさみ、1907年〈明治40年〉12月22日 - 1991年〈平成3年〉1月29日)は、日本の農業協同組合指導者、実業家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。 愛媛県越智郡、のちの今治市で生まれる。1927年(昭和2年)東洋商業学校(現東洋高等学校)を卒業。繊維関係の商業に従事した。 富田村農業会会長、愛媛県経済農業協同組合連合会会長を務める。1947年(昭和22年)愛媛県議会議員に選出され2期在任し、同副議長も務めた。愛媛県農協四連会長、全国農業協同組合連合会代表監事などを歴任した。1969年(昭和44年)に長年、農業関係団体要職に就いて育成指導に努め技術普及畜産振興を図り農業発展に寄与したとして藍綬褒章受章。
鄭 鎮瑾(チョン・ジングン、朝鮮語: 정진근/鄭鎭瑾、190… 鄭 鎮瑾(チョン・ジングン、朝鮮語: 정진근/鄭鎭瑾、1907年9月29日 - 1984年7月25日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、農家、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 慶尚南道梁山郡(現・梁山市)出身。早稲田大学政経科卒(中退という情報もある)。中国にて長い間民族運動を行った後に帰国し、農家を営んだ。また、安熙済が経営する白山商会を通じ朝鮮独立運動のための資金的な支援などを行った。1948年の初代総選挙に梁山郡選挙区より無所属で出馬し当選した。国会では懲戒資格委員会委員を務めた。 1984年7月25日に梁山郡上北面の自宅で老衰により死去。享年79。 1950年の第2代総選挙では梁山郡選挙区から従兄弟の安鐘石と同時に出馬したが、2人を含む計10人の候補者がいた混戦で共倒れして徐璋珠に敗れた。
松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月… 松浦 東介(まつうら とうすけ、1907年(明治40年)4月18日 - 1964年(昭和39年)3月6日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 山形県東村山郡成生村(現在の天童市)大字大清水に生まれる。1926年、山形県立寒河江中学校を卒業。山形県会議員、同参事会員を務めた。1942年の翼賛選挙では山形1区(当時)から大政翼賛会の推薦を受けずに立候補したため落選した。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で山形選挙区から出馬して当選。以後、23回、24回、25回、27回、29回、第30回総選挙で当選し、衆議院議員を通算7期務めた。 この間、日本自由党、民主自由党、自由党、日本民主党、自由民主党に所属。
渡辺 うめ(わたなべ うめ、1907年3月23日 - 201… 渡辺 うめ(わたなべ うめ、1907年3月23日 - 2014年9月16日)は、日本(青森県青森市出身)の農民・人形作家。太平洋戦争中に転居した夫の故郷の但馬地方の農村風景や農作業をする人々を描写した人形を製作していた。
伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39… 伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39年)3月25日 - 1984年(昭和59年)4月4日)は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、広島県安芸郡熊野町長。 広島県安芸郡熊野村(現熊野町)で、伊藤忠兵衛の息子として生まれた。1938年(昭和13年)私立山陽中学校(現山陽高等学校)を卒業した。 農業を営む。熊野町会議員、同町長、同町農業会長、広島県農業中央会初代会長、全国農業会議所副会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で広島全県区に無所属で出馬して当選し、日本農民党に所属して衆議院議員に1期在任した。その後、1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙で広島県地方区に無所属で立候補したが次点で落選した。
井上 東治郎(いのうえ とうじろう、1906年(明治39年)… 井上 東治郎(いのうえ とうじろう、1906年(明治39年)1月13日 - 1980年(昭和55年)9月29日)は、日本の農業指導者、政治家。衆議院議員。旧姓・升。 宮城県柴田郡村田町で升健蔵の長男として生まれ、井上ちせの養子となった。1924年(大正13年)市立仙台商業学校(現仙台市立仙台商業高等学校)を卒業した。新聞販売業を営んだ。 村田町農会長、全国治水砂防協会評議員、同県支部長、宮城県森林組合連合会長、同県蒟蒻栽培生産組合連合会副会長、全国蒟蒻原料配給統制協議会常任理事、宮城県蒟蒻原料統制 (有) 取締役社長、商工組合中央会理事、宮城県蚕糸連盟評議員などを務め、農民の福祉の向上に尽力した。
赤沢 与仁(赤澤 與仁、あかざわ よじん、1905年(明治3… 赤沢 与仁(赤澤 與仁、あかざわ よじん、1905年(明治38年)10月6日 – 1960年(昭和35年)2月13日)は、昭和期の農政家、実業家、政治家。位階は正五位。参議院議員。 徳島県板野郡大津村吉永(現鳴門市大津町吉永)で、赤沢時太郎、サキの長男として生まれる。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部法科を卒業した。 1933年(昭和8年)産業組合中央会徳島県支会主事補に就任。その後、徳島県農業会長、全国農業会理事、大津農業協同組合長、徳島県農業協同組合連合会理事、同会長、全国農業協同組合連合会理事、徳島県信用農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員、全国農業共済組合連合会理事、徳島民報社監査役、日本ガイドショップ社長、石岡電機顧問などを務めた。
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月… 温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日 - 1976年(昭和51年)10月22日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 宮崎県西諸県郡小林村(現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し、農業に従事した。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任。
橋本 二郎(はしもと じろう、1904年(明治37年)9月1… 橋本 二郎(はしもと じろう、1904年(明治37年)9月16日 - 1977年(昭和52年)3月14日)は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、熊本県玉名郡滑石村長、玉名市長、玉名市名誉市民。 熊本県玉名郡滑石村(現玉名市滑石)で、橋本静太の二男として生まれる。1926年(大正15年)早稲田大学専門部政治経済学科を卒業。 1933年(昭和8年)滑石村会議員に選出された。その後、滑石村長、熊本県会議員に在任した。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から無所属で出馬して当選し、国民協同党に所属して衆議院議員に1期在任した。この間、協同民主党常任中央委員などを務めた。
古賀 了(こが さとる、1904年(明治37年)8月8日 -… 古賀 了(こが さとる、1904年(明治37年)8月8日 - 1997年(平成9年)5月5日)は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、佐賀県佐賀郡久保田町長、久保田町名誉町民。位階は従五位。 佐賀県 佐賀郡久保田村久富(久保田町久富を経て現佐賀市久保田町久富)で、古賀銀三郎、トクの長男として生まれる。1917年(大正6年)久保田村立新田尋常小学校卒業。1921年(大正10年)佐賀県立佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)4年を修了し、佐賀高等学校に入学。1924(大正13年)同校を卒業し、東京帝国大学経済学部に入学。1928年(昭和3年)同大経済学部を卒業。 卒業後、久留米歩兵第48連隊に入隊し、1929年(昭和4年)に除隊して農業に従事した。
新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉… 新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉2月26日 - 1946年〈昭和21年〉6月19日)は、日本の農業技師。群馬県利根郡東村園原(現在の沼田市利根町園原)出身(昭和42年に勲五等瑞宝章叙勲)。 日本統治下の台湾において紅茶の栽培に尽力したことで知られる。その紅茶各種の研究・普及活動で台湾紅茶産業の発展に大きく寄与したことから「台湾紅茶の父」または「台湾紅茶の祖」と呼ばれている。 1921年、旧制沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)を卒業後、1925年、北海道帝国大学農学部農学実科を卒業。一年志願兵(幹部候補生)として歩兵第59連隊(宇都宮)で軍隊生活を送る。満期除隊後の1926年に台湾に渡り台湾総督府中央研究所平鎮茶業試験支所に助手として赴任。
町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月2… 町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月26日 - 1994年〈平成6年〉3月7日)は、昭和期の教育者、農業技師、政治家。長野県小諸市長。位階は従五位。 長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、町田新治郎、しげ の長男として生まれた。更級農学校(現長野県更級農業高等学校)を経て、旧制岐阜高等農林学校農芸化学科卒業。昭和2年(1927年)埴科郡埴南農蚕学校(現長野県坂城高等学校)教諭となり、飯山高等女学校(のち長野県飯山南高等学校)教諭、旧制飯山中学校(のち長野県飯山北高等学校)教諭、旧制伊那高等女学校(現長野県伊那弥生ヶ丘高等学校)教諭を歴任。 1935年(昭和10年)以後、長野県農林技師、高知県農林技師、新潟県農林技師を務め、1944年(昭和19年)軍需省管理官に転じ、1949年(昭和24年)通商産業省長野事務所長に就任。
奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 … 奈良 治二(なら はるじ、1903年(明治36年)4月8日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・成田。 青森県北津軽郡六郷村胡桃館(現鶴田町)で、成田治の二男として生まれる。1923年(大正12年)青森県立弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)を卒業した。 中津軽郡新和村(現・弘前市)種市の奈良家の養子となる。新和村農業会長、(有) 北隆造船鉄工所取締役社長、北日本化学工業取締役社長、新和村農業協同組合長、同村農業共済組合長、青森県農業共済保険組合理事、同県利用農業協同組合連合会長などを務めた。 政界では1930年(昭和5年)新和村会議員に選出された。
羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月2… 羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月26日 - 1988年(昭和63年)4月29日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員。旧姓・前田。 大分県大野郡緒方村(緒方町を経て現豊後大野市)で、篤農家・前田弥三郎の二男として生まれる。大分県立竹田中学校(現大分県立竹田高等学校)を経て、1928年(昭和3年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業した。 同郷の羽田野ワキと結婚して羽田野に改姓し、東京市役所に勤務。その後帰郷し、教員、産業組合理事を務めたが、病のため療養した。 1946年(昭和21年)緒方村農地委員会長に就任し、大分県農地委員、緒方村助役を歴任。緒方村農業協同組合長、大分県農業協同組合連絡協議会長を務め、1948年(昭和23年)農協五連(信用、購買、販売、指導、厚生)結成発起人会総代表となり各連合会の結成に尽力し、大分県信用農業協同組合連合会長に就任した。
小松 信太郎(こまつ しんたろう、1902年(明治35年)7… 小松 信太郎(こまつ しんたろう、1902年(明治35年)7月9日 - 1987年(昭和62年)9月29日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員。 福島県安達郡本宮町(現本宮市)出身。1918年(大正7年)市立仙台商業学校(現仙台市立仙台商業高等学校)を卒業した。 本宮町農業協同組合長、本宮地区消費生活協同組合長、福島県信用農業協同組合連合会理事、福島県消費生活協同組合連合会理事などを務めた。 政界では、本宮町議会議員、福島県議会議員に在任。1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙に福島県第1区で当選した鈴木周次郎について、1957年(昭和32年)公職選挙法違反による当選無効が確定したため、同年9月に実施された再選挙に日本社会党公認で立候補して初当選し、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
鶴田 知也(つるた ともや、1902年2月19日 - 198… 鶴田 知也(つるた ともや、1902年2月19日 - 1988年4月1日)は日本の小説家、農業指導者。小説『コシヤマイン記』で第3回芥川龍之介賞を受賞。 1902年(明治35年)2月19日、福岡県小倉市大阪町(現:北九州市小倉北区)でに高橋乕太郎、アサの三男として生まれる。実父乕太郎は植村正久門下のクリスチャンであり、リベラルな知識人として知られていた。兄弟に音楽家高橋信夫、画家の福田新生がいる。1909年(明治42年)、7歳の時に母アサの兄にあたる鶴田和彦、ミヨ夫妻の養子となり鶴田姓となる。鉄道技師であった養父和彦の転勤に伴い、小倉市、直方市、田川市、大分市の小学校を転々とし、最後に豊津尋常高等小学校で卒業した。
谷口 慶吉(たにぐち けいきち、1901年(明治34年)11… 谷口 慶吉(たにぐち けいきち、1901年(明治34年)11月10日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(2期)。 鹿児島県鹿児島郡吉田村大字東佐多浦(現鹿児島市東佐多町)出身。1918年(大正7年)鹿児島県立川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)を卒業した。 鹿児島県鹿児島郡吉田村会議員、同村農会長、同村煙草耕作組合長などを務めた。1932年(昭和7年)上京して運輸事業に従事した。 戦後、鹿児島県食糧調整委員、吉田村北農業協同組合長、鹿児島県経済農業協同組合連合会長、全国販売農業協同組合連合会理事、全国運輸農業協同組合連合会長、鹿児島県農業会議議員、同県茶業振興会長、同県鹿児島茶輸出協会長、同県農業協同組合中央会理事、同県トラック協会監事、鉄道貨物協会監事などを務めた。
青田 源太郎(あおた げんたろう、1901年〈明治34年〉8… 青田 源太郎(あおた げんたろう、1901年〈明治34年〉8月28日 - 1996年〈平成8年〉8月1日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員、兵庫県神崎郡船津村長。 兵庫県、のちの姫路市で生まれる。1917年(大正6年)帰一学館を卒業した。南満洲に渡り撫順南海火工品工廠に勤めた。1934年(昭和9年)に帰国。 元田商店取締役、神崎縫工取締役、船津消防団長、船津村長、神崎郡商工会長、青田鋳造所社長、岡製材所社長、船津農業協同組合長などを務めた。兵庫県議会議員に選出され2期在任した。 1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から自由民主党公認で出馬して初当選。
園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日… 園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日 - 1962年(昭和37年)12月23日)は、大正から昭和期の官吏、農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県鹿本郡山東村大字小野(植木町大字小野を経て現熊本市北区)で生まれる。1914年(大正3年)3月、山東小学校を卒業し、同年4月、熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)に入学したが、1915年(大正4年)9月、肋膜炎となり同校を退学。その後回復して家業の農業に従事した。 1922年(大正11年)11月、朝鮮総督府官吏となり、1931年(昭和6年)6月まで在任。同年11月、満州国官吏に任官し新京警察署に赴任。1937年(昭和12年)10月、満州国官吏を辞任し、同年11月、北京の北支派遣軍嘱託となり特務部総務課に配属。
山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8… 山岸 巳代蔵(やまぎし みよぞう、1901年〈明治34年〉8月12日 - 1961年〈昭和36年〉5月4日)は、昭和時代の農業家。幸福会ヤマギシ会の創始者。 滋賀県蒲生郡老蘇村大字東老蘇(現・近江八幡市)にて生まれ、1922年より養鶏を中心に農業を始める。1950年にジェーン台風が日本を襲った際、山岸の田地が無事だったことが注目され、以後講演活動を始める。 1952年、山岸会を創立する。これが、「幸福会ヤマギシ会」の始まりである。1954年、『山岸式養鶏法・農業養鶏編(前編)』を、名古屋の中禽社より出版する。1958年3月には、三重県阿山郡伊賀町(現・伊賀市)にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が実現するが、1959年7月に山岸会は不法監禁容疑で警察の強制捜査を受け、山岸会幹部9名が逮捕され、代表の山岸にも逮捕状が出された。
山崎 恒(やまざき ひさし、1901年(明治34年)7月1日… 山崎 恒(やまざき ひさし、1901年(明治34年)7月1日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 千葉県匝瑳郡匝瑳村中台(八日市場町、八日市場市中台を経て現匝瑳市中台)出身。1919年(大正8年)茂原農学校(千葉県立茂原農業高等学校を経て現千葉県立茂原樟陽高等学校)を卒業した。 千葉県匝瑳村農業会長、同村産業組合長、千葉県農会議員、同県信用販売購買連合会専務理事、同食糧営団理事、同農業会会長、全国販売農業協同組合連合会長、中央蚕糸協会理事、全国乾繭協同組合連合会副会長、全国農業共済協会理事、農民教育協会理事、千葉県農業協同組合連合会理事、同農業共済保険組合連合会長、東邦海運取締役、共栄火災海上保険取締役、関東いすゞ自動車販売(現関東いすゞ自動車)取締役、いすゞ産業社長などを務めた。
李 浩錫(イ・ホソク、朝鮮語: 이호석、1901年または19… 李 浩錫(イ・ホソク、朝鮮語: 이호석、1901年または1911年11月12日 - 1959年)は、大韓民国の教員、政治家、農家。第2代慶尚北道大邱市(現・大邱広域市)長、制憲韓国国会議員。本貫は星山李氏(朝鮮語版)。字は致亨(チヒョン、치형)。 日本統治時代の慶尚北道星州郡出身。星州公立普通学校(現・星州初等学校)、大邱公立農業学校(現・大邱農業マイスター高等学校)、日本大学法学部卒。星州公立普通学校で教員を務めたほか、満州の吉林省で農場を経営した。1948年の初代総選挙では星州郡選挙区から無所属で出馬し国会議員に当選した。1951年9月19日から第2代大邱市長を務め、1952年5月5日に地方自治制度により大邱市議会(朝鮮語版)の間接選挙で初代民選市長に選出された。
重富 卓(重冨、しげとみ たく、1900年(明治33年)6月… 重富 卓(重冨、しげとみ たく、1900年(明治33年)6月16日 - 1979年(昭和54年)2月17日)は、昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 山口県出身。1910年(明治43年)に出家したが1918年(大正7年)に還俗。1920年(大正9年)山口中学校(現山口県立山口高等学校)を卒業。1925年(大正14年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年農林省に入省し農務局雇となる。同年、一年志願兵として入隊し、1926年に除隊した。1927年(昭和2年)農林省に復帰し、同年12月、高等試験行政科試験に合格。1930年(昭和5年)東京府に出向し農林主事補、同属となり、1932年(昭和7年)に退官した。
松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月… 松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月15日 - 1968年(昭和43年)10月26日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 三重県一志郡、のちの一志町(現津市)で生まれた。明治大学専門部法科で学んだ。尾崎行雄の秘書を務めた。 一志郡大井村長、三重県会議員、三重県耕地協会長、三重県農業共済組合連合会長、三重県畜産会長などを務めた。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて三重県第1区で民主党から出馬し当選し、第24回、第25回、第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算四期務めた。この間、衆議院建設委員長、同農林水産委員長、第2次池田内閣・科学技術政務次官、民主党会計監督、民主自由党相談役、同民情部長、自由民主党全国組織副委員長、全国農業共済協会副会長などを務めた。
朴 祺培(パク・キベ、朝鮮語: 박기배、1900年または19… 朴 祺培(パク・キベ、朝鮮語: 박기배、1900年または1913年ごろ - 1977年1月5日)は、大韓民国の農家、政治家。第2代韓国国会議員。 全羅南道海南郡出身。明治大学法科卒。瑞山郡で農場を経営した後、無所属・自由党所属の国会議員を務めた。国会議員在任中も政治活動より農場の経営に熱心で、国会への欠席が多かった。 1977年1月5日、ソウル市冠岳区の自宅で持病のため死去。64歳没。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 この項目は、朝鮮に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:朝鮮)。
東浦 庄治(ひがしうら しょうじ、1898年(明治31年)4… 東浦 庄治(ひがしうら しょうじ、1898年(明治31年)4月8日 - 1949年(昭和24年)9月2日)は、日本の農業指導者、政治家。参議院議員。三重県度会郡城田村中須(現伊勢市)出身。 自作農の家に生まれる。1923年、東京帝国大学経済学部を卒業。 当時ようやく本格的な農政運動を開始していた帝国農会(帝農)に入り、農政調査を行いながら農政論の提唱をする。 1936年、帝国農会に幹事として復帰。1943年の農業団体統合直前までは帝農を全国機関とする系統農会の事実上の指導者として活躍する。 終戦後は全国農業会副会長となる。政界に進出し、1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
佐伯 忠義(さへき ただよし、1897年(明治30年)11月… 佐伯 忠義(さへき ただよし、1897年(明治30年)11月19日 - 1969年(昭和44年)4月8日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、鳥取県西伯郡天津村長。 鳥取県西伯郡天津村大字福成(西伯町を経て現南部町)で生まれる。1911年(明治44年)法勝寺実業専修学校を卒業した。農業を営む。 天津村長に在任。1937年(昭和12年)4月、鳥取県会議員に選出され、1947年(昭和22年)まで在任。また、鳥取県産業組合連合会幹事、西伯郡畜産組合長、天津村農会長、同産業組合長、西伯郡家畜保険組合長、鳥取県農業会理事、同粗飼料製粉組合長、同馬匹組合長、同酪農組合連絡会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、のちに民主党に所属して衆議院議員に1期在任した。
菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgah… 菅原 明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgaharat、1897年(明治30年)3月21日 - 1988年(昭和63年)4月2日)は、日本の作曲家、音楽の教育者、指導者、啓蒙家。本名は吉治郎。 兵庫県明石市大蔵町生まれ。菅原道真の菅原氏の末流。プロテスタントの幼稚園に通ったことから、明石第二尋常小学校(現在の明石市立人丸小学校)通学中の1908年(11歳)、洗礼を受ける(後年、カトリックに改宗)。1910年(13歳)京都二中(現在の京都府立鳥羽高等学校)に入学。その時代、陸軍軍楽隊長小畠賢八郎にホルンとソルフェージュを習った。 1914年(17歳)上京し、1918年(21歳)まで川端画学校洋画科で藤島武二に学んだ。
萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年… 萩原 寿雄(壽雄、はぎわら / はぎはら としお、1896年(明治29年)4月8日 - 1981年(昭和56年)9月5日)は、日本の農業関係者、実業家、政治家。衆議院議員。 神奈川県出身。1919年(大正8年)東京帝国大学農科大学実科(現・東京農工大学農学部)を卒業した。 産業組合中央会主事補、全国購買農業協同組合連合会(現・全国農業協同組合連合会)主事、同肥料部長、同常任理事、農林省一般農林水産物価格形成専門委員会専門委員、神奈川県農業会長、同県蚕糸業会長、同県販売農業協同組合連合会長などを務めた。全国購買農業協同組合連合会の創立に加わった。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に神奈川県第3区から国民協同党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は… 石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は、日本の篤農家・発明家・実業家・工芸家。株式会社石井製作所創業者。酒田市局惣田に石井梅蔵記念館がある。 1896年(明治29年)石井梅蔵は石井家5代目として酒田市に生れる。農機具の発明家・事業家で、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機を作り、農民の重労働と危険を解消。人・動力兼用のフライホイル式カッターとして1928年(昭和3年)に特許を取得。世界最初のバインダー(稲麦刈取収束機)を1958年(昭和33年)に特許申請(1960年(昭和35年)に登録)。酒田発明協会長などを務める。1949年(昭和24年)、籾が目にささり負傷。角膜移植を受けるが、1958年(昭和33年)全盲を宣告される。
大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8… 大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8月3日 - 1973年(昭和48年)11月29日)は、大正から昭和前期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市)長。 秋田県由利郡矢島町で生まれる。1914年(大正3年)秋田県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を卒業した。 1921年(大正10年)矢島町会議員に選出され4期在任。1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで秋田県会議員、矢島町長に在任。その他、本荘税務署所得調査委員、矢島町産業組合長、秋田県農業会由利支部長・理事、同県森林組合連合会理事、帝国在郷軍人会由利郡連合会分会長などを務めた。
森田 豊寿(豊壽、もりた とよひさ、1895年(明治28年)… 森田 豊寿(豊壽、もりた とよひさ、1895年(明治28年)2月14日 - 1962年(昭和37年)1月6日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員、参議院議員。 静岡県駿東郡楊原村下香貫(現沼津市下香貫楊原)で、沼津市長を務めた森田泰次郎の長男として生まれる。1917年(大正6年)千葉高等園芸学校を卒業。父が勧めた銀行家への道を断り、農業経営に従事。 1921年(大正10年)楊原産業組合を設立し組合長に就任。以後、沼津市販売購買利用組合長、同市農会長に就任し、沼津市信用組合長、静岡県信用組合連合会専務理事を長らく務めた。1941年(昭和16年)から静岡県内の各種農業団体の代表を務め、沼津倉庫社長、静岡県食糧品工業社長、同県蚕糸社長、駿河銀行(現スルガ銀行)取締役なども務めた。
荻原 豊次(おぎわら とよじ、1894年9月20日 - 19… 荻原 豊次(おぎわら とよじ、1894年9月20日 - 1978年2月10日)は、日本の篤農家。 長野県北佐久郡東長倉村(現軽井沢町)生まれ。尋常小学校卒業後、農業に従事し、軽井沢町会議員などを務める。昭和7年(1932年)、野菜の温床苗代に伸びていたイネ苗を発見し、これをきっけに高冷地のイネの育苗法や冷害対策研究に没頭し、水苗代の改良に取り組み、委託苗代や、温床苗代、水陸折衷苗代等の試作を重ねた末、イネを早植をすることで冷温による障害やイモチ病への抵抗力が高まることを発見し、昭和17年(1942年)には、種を撒いた苗代の上に油紙を置いて地温を上昇させ、発芽時期を早める「保温折衷苗代」を考案し、同年農林大臣より食糧増産功労者として顕彰された。
北原 名田造(きたはら なだぞう、1894年(明治27年)4… 北原 名田造(きたはら なだぞう、1894年(明治27年)4月1日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、大正から昭和期の政治家、篤農家。長野県駒ヶ根市長。号は竹雲山人。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、北原久次郎、やす の三男として生まれた。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学の農地実地見習を修了、同附属果樹園主任となり、1920年(大正9年)桔梗ヶ原に北原農場を開設し、果樹野菜栽培や畜産の先駆となる。 1947年(昭和22年)長野県議会議員となり、同副議長も務めた。1951年(昭和26年)欧米各国を視察し、1952年(昭和27年)長野県人事委員会委員長、長野県総合開発審議会会長などを歴任。
佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1892年〈明治25年〉… 佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1892年〈明治25年〉7月26日 - 1973年〈昭和48年〉4月19日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(1期)。 栃木県河内郡豊郷村(現宇都宮市)出身。1909年(明治42年)栃木県立宇都宮農学校(現栃木県立宇都宮白楊高等学校)を卒業した。 1927年(昭和2年)河内郡農会代議員に就任。その他、1929年(昭和4年)豊郷村会議員に選出され、同村消防組頭も務めた。1937年(昭和12年)満洲国に移り南満洲鉄道嘱託、軍人、官吏となる。 終戦後に帰国し、豊郷村農業会長、同農業協同組合長を務め、1947年(昭和22年)栃木県議会議員に選出され2期在任し、1951年(昭和26年)同議長となった。
中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) /… 中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) / 1893年(明治26年) - 1978年(昭和53年))は、日本の農民、商人(雑貨商兼家畜商)、政治家。北海道広尾町議会議員を務めた。通称、“拙者(せっしゃ)文蔵”。 政治家中川一郎・中川義雄の父、中川昭一の祖父。 富山県西砺波郡福光町(現:南砺市福光)出身。14歳の時に北海道に渡り、道東の僻地を選んで開拓に従事した。 19歳で父を失った。以来、文蔵はひとりで一家眷族を養うことになった。ある時は田畑の作物が全滅し、また牛馬が人手に渡ったことも何度かあった。 長男の一郎が小学校2年生の時、文蔵は開拓地を離れて町中に住み、雑貨商兼家畜商に転じた。
成島 勇(なるしま いさむ、1891年 (明治24年)5月2… 成島 勇(なるしま いさむ、1891年 (明治24年)5月25日 - 1956年(昭和31年)2月11日)は、日本の農家、政治家。衆議院議員。 千葉県出身。成島巍一郎の三男として生まれ、成島あゑの養子となる。1915年、東北帝国大学農学科を卒業。台湾製糖会社に入社し、その後、帰郷して農業を営む。 富勢村会議員、千葉県会議員、富勢村長、郡農会議員、県販購利用組合特別議員などを務めた。1937年4月の第20回衆議院議員総選挙で立憲民政党所属で千葉県第一区から出馬して当選。その後、第22回総選挙まで連続3回の当選を果たした。1947年に公職追放となり、同年の総選挙には妻の憲子が身代わり立候補した。 その他、農地開発営団設立委員、農林省委員、農商務省委員、日本進歩党民情部長、同政務調査会長、同総務委員会副会長、朝日乳業 (株) 取締役などを歴任した。
森部 隆輔(もりべ りゅうすけ、1891年(明治24年)1月… 森部 隆輔(もりべ りゅうすけ、1891年(明治24年)1月28日 - 1978年(昭和53年)8月6日)は、日本の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員、参議院議員。 福岡県上座郡福成村大字長淵(のち朝倉郡大福村大字長淵、現朝倉市長渕)で、篤農家・森部隆造、ウメノ夫妻の三男として生まれた。1911年、東京高等農学校を卒業した。 1916年、長淵信用購買販売組合を設立して組合長に就任。福岡県農会常任幹事、福岡県会議員(5期)、同副議長、上座銀行頭取、産業組合中央会福岡県支会副会長、福岡県農会長、福岡県青果統制会社社長、帝国耕地協会理事、福岡県農業協会理事長、福岡県養蚕組合連合会長などを歴任。1942年4月、第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け福岡県第一区から出馬して当選。
阿部 浅十(あべ あさじゅう、1890年〈明治23年〉12月… 阿部 浅十(あべ あさじゅう、1890年〈明治23年〉12月6日 - 没年不明)は、日本の政治家、農民。鳥取県西伯郡余子村会議員。境港町議会議員。境港市議会議員。 鳥取県西伯郡余子村大字高松(現・境港市高松町)出身。久栄の長男。弓浜高等小学校を卒業後、家業の農業に専念し、傍ら弓浜組合製糸監事、農協理事、農会理事等を歴任する。1954年、境港町議会議員に当選する。西伯郡米子市養蚕農業協同組合連合会理事、誠道中組合議員を兼任する。1956年、市制実施とともに市会議員となる。 自治及び養蚕功労者として当局より再三表彰され、地区有力者として尊敬される。趣味は畜育。宗教は曹洞宗。住所は境港市高松町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
坪山 徳弥(徳彌、つぼやま とくや、1890年(明治23年)… 坪山 徳弥(徳彌、つぼやま とくや、1890年(明治23年)11月15日 – 1970年(昭和45年)12月28日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、栃木県河内郡姿川村長。栃木県を代表する戦後昭和期の農業指導者。 栃木県河内郡姿川村下欠(現宇都宮市)で、坪山弥重、トモの二男として生まれる。1910年(明治43年)栃木県立宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を卒業した。 その後、家業の農業に従事。徴兵され、その後、陸軍砲兵中尉に昇進し、帝国軍人教育会地方委員、帝国在郷軍人会姿川分会長、同河内郡連合分会長などを務めた。また、地方森林会議員、栃木県馬匹畜産組合連合会副会長、同養蚕組合連合会副会長などにも就任した。
林 五一(はやし ごいち、1890年8月15日 - 1992… 林 五一(はやし ごいち、1890年8月15日 - 1992年3月7日)は、日本の篤農家、実業家。「五一わいん」で知られる林農園創業者。長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岩槻 信治(いわつき のぶじ、1889年8月30日 - 19… 岩槻 信治(いわつき のぶじ、1889年8月30日 - 1948年5月9日)は、日本の農業技師。20余種に及ぶ稲の品種改良を行い、西三河一帯の農業振興に大きく寄与した。岡崎市名誉市民。 愛知県碧海郡中園村(現・岡崎市中園町)に生まれる。なお岩槻が出生した直後の1889年(明治22年)10月1日、中園村は合併により長瀬村大字中園となるが、父善吉は同村の村長に就任している。長瀬村立長瀬尋常小学校(現・岡崎市立矢作北小学校)と江西高等小学校(現・岡崎市立矢作中学校)に学ぶ。1906年(明治39年)3月、愛知県農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)を卒業。8か月ほど母校の江西高等小学校に勤務。同年12月、愛知県農林学校の山崎延吉校長に招かれて碧海郡安城町の愛知県農事試験場(現・愛知県農業総合試験場)に入った。
庄司 廉(しょうじ れん、1887年(明治27年)4月17日… 庄司 廉(しょうじ れん、1887年(明治27年)4月17日 - 1960年(昭和35年)8月10日)は、日本の豪農、実業家、政治家。世人をして“庄司の殿様”といわしめた。女優の司葉子は姪にあたる。 鳥取県西伯郡渡村(現在の境港市渡町)に生まれる。父・昇造の死により8歳で豪農「本庄司家」を継ぎ、杉山永真(のちの郡会議長)を養育係として成長した。 山陰日日新聞社、米子銀行、米子博愛病院等の取締役、渡村村長(第5代)、同村会議員・学務委員。鳥取県多額納税者。大地主にも名を連ね、奥出雲の山林大地主・23代田部長右衛門(元島根県知事)はいとこにあたる。 木下二介や門脇春翠に絵の修行をさせたり、私財を投じて山陰地方初の繭市場を開設する等、非凡にして識見高く、先見の明があって、事に臨んでは果断と実行の人だった。
遠藤 卓治(えんどう たくじ、1886年〈明治19年〉10月… 遠藤 卓治(えんどう たくじ、1886年〈明治19年〉10月3日 - 没年不明)は、日本の農民、埼玉県多額納税者。有限責任行幸村信用販売購買組合理事。 埼玉県北葛飾郡行幸村(現・幸手市)出身。遠藤鎛吉の二男。1925年、家督を相続する。農業を営む。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 趣味は園芸、盆栽、読書。宗教は禅宗。住所は埼玉県北葛飾郡行幸村大字千塚。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
深沢 吉平(深澤 吉平、ふかさわ きちへい / ふかざわ き… 深沢 吉平(深澤 吉平、ふかさわ きちへい / ふかざわ きっぺい、1885年(明治18年)8月15日 - 1957年(昭和32年)12月15日)は、日本の篤農家、政治家。衆議院議員、北海道空知郡音江村長、同郡北村長。酪農の先覚者。 山梨県中巨摩郡南湖村(現南アルプス市)で深沢龍平の長男として生まれる。1903年、深沢家は財産を処分し一家を挙げて北海道音江村(現深川市)に入植した。 その後、請われて戸長役場に就職し、音江村長、北村長を務めた。産業組合の普及に尽力し、音江信用購買販売組合長、音江村農会長、北海道酪農販売組合連合会理事、北海道信用購買販売利用組合連合会理事、北海道興農公社社長などを務めた。
高田豊四郎(たかた とよしろう、1885年(明治18年)7月… 高田豊四郎(たかた とよしろう、1885年(明治18年)7月10日 - 1961年(昭和36年)11月3日、旧姓:松原)は、日本の篤農家である。梨の黒斑病対策として鳥取県に初めてパラフィン紙袋を持ち込んだことや、傾斜地のオールバック整枝を発案したことで知られる。 1885年(明治18年)7月10日、鳥取県東伯郡三朝村(現在の東伯郡三朝町)大字横手村の農家の三男として生まれる。松原家は江戸時代には庄屋も務めた名家であり、父の松原虎之丈(虎之丞とも)は村長を13年務めた。虎之丈は山村にも新産業を導入しようと考え、岡山県から小山益太を招いて講演会を開催し、自身も果樹栽培を始めた。果樹栽培に興味を持った豊四郎は家業の農業をする傍ら年に2~3回は小山のもとを訪ねるなどして果樹栽培の技術を磨いていった。
藤野 繁雄(ふじの しげお、1885年(明治18年)4月7日… 藤野 繁雄(ふじの しげお、1885年(明治18年)4月7日 - 1974年(昭和49年)3月17日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(3期)。 長崎県南高来郡神代村(国見町を経て現雲仙市)で藤野小三の二男として生まれる。1907年(明治40年)東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した。 長崎県農林主事、同県産業組合連合会長、同県生活物資配給統制組合連合会長、同県農業会長、同県指導農業協同組合連合会長、全国農業会監事、家の光協会理事、全国指導農業協同組合連合会理事・監事、全国土地改良協会理事・監事、全国農業協同組合監事協議会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から無所属で出馬して当選。
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月… 黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月28日 - 1982年(昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業、現在の雪印メグミルク)創業者、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の父、北海道開発の父と呼ばれる。 1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現:常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父による過度の飲酒がもとで負債をつくり、家計は常に苦しかった。
中馬 猪之吉(ちゅうまん / ちゅうま いのきち、1885年… 中馬 猪之吉(ちゅうまん / ちゅうま いのきち、1885年(明治18年)1月31日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県国分市長(第2代)、鹿児島県会議長。 鹿児島県囎唹郡国分郷(現・霧島市)で、中馬猪之助の長男として生まれる。1906年(明治39年)12月、神戸高等商業学校(現神戸大学)を中退した。1922年(大正11年)父の隠居に伴い家督を相続し農業を営む。 青年団長などを務め、1923年(大正12年)9月、鹿児島県会議員に選出され1947年(昭和22年)まで連続5期在任した。この間、副議長、議長、東国分村長、大政翼賛会鹿児島県支部常務委員などを務めた。
田巻 堅太郎(たまき けんたろう、1883年〈明治16年〉1… 田巻 堅太郎(たまき けんたろう、1883年〈明治16年〉1月2日 - 没年不明)は、日本の実業家、新潟県多額納税者、地主、篤農家、資産家。族籍は新潟県平民。 新潟県南蒲原郡田上村(現・田上町)出身。田巻七郎兵衛の二男。新潟中学校を卒業する。1902年に一年志願兵として近衛歩兵第1連隊に入営、1904年に陸軍歩兵少尉に任ぜられ、1910年に陸軍歩兵中尉に進み、正七位に叙せられ除隊となる。農業、金銭貸付業を営む。 新潟貯蓄銀行、新潟信託、愛隣社各取締役を歴任。1933年7月に第四銀行取締役に選任され以来20年間その職を続ける。1944年10月に第5代の頭取に推され、1953年に退任する。ラジオ新潟監査役をつとめる。