小河 等(おがわ ひとし、1956年2月15日 - 1992… 小河 等(おがわ ひとし、1956年2月15日 - 1992年5月24日)は、日本のレーシングドライバーである。愛知県岡崎市出身。1989年全日本F3000選手権チャンピオン。 長男はレーシングドライバーの小河諒。 ハヤシレーシング(東大阪市)のメカニックを経て、1979年鈴鹿シルバーカップFL500でレースデビュー。ハヤシレーシングの社員レーサーとして1981年に全日本F3選手権へステップアップしての参戦開始。資金的な面からフル参戦はできず全9戦中5戦の出場だったが、第6戦筑波での4位を最高にランキング8位に入る。1982年には開幕戦鈴鹿でコースアウト、リタイヤとなった際にマシンが大破し身体ダメージもあったことから数戦欠場。
土屋 圭市(つちや けいいち、1956年1月30日 - )は… 土屋 圭市(つちや けいいち、1956年1月30日 - )は、日本の元レーシングドライバー。YouTuber。長野県小県郡滋野村(現:東御市)出身。血液型B型。ドリフト走行を多用するそのドライビングスタイルから「ドリキン」(ドリフトキングの略)とも呼ばれる。レーサーとしての経験から、その類の作品に監修として業務することもある。 長野県出身。埴生高等学校卒業。高橋国光の日産・スカイライン2000GT-Rに憧れて2000GTを購入。碓氷峠などといった峠道での「走り屋」として腕を磨き、1977年に富士フレッシュマンレースでレースデビュー。以降倉田自動車と坂東商会のサポートを受けながら日産・サニー、トヨタ・スターレットを乗り継ぎ、ツーリングカー(いわゆる「ハコ車」)でのレースを中心に活動する。
福山英朗(ふくやま ひでお、1955年8月13日 - )は、… 福山英朗(ふくやま ひでお、1955年8月13日 - )は、日本のレーシングドライバー。血液型はRH+A型。 三重県尾鷲市出身。1977年に地元である鈴鹿サーキットで開かれた鈴鹿シルバーカップ・FL500でデビューした。その後は鈴鹿サーキットを中心に活躍し、1979年には鈴鹿シルバーカップ・FL500のチャンピオンとなった。 1982年には全日本F3選手権にステップアップし、1988年にかけてシリーズ参戦して優勝1回、ポールポジションを2回獲得するなど活躍した。また1992年にもスポット参戦している。1990年には全日本F3000選手権にステップアップしTEAM NOJIからスポット参戦し、翌1991年にはシーズン参戦し1992年まで参戦した。
松田 秀士(まつだ ひでし、1954年12月22日 - )は… 松田 秀士(まつだ ひでし、1954年12月22日 - )は、日本のレーシングドライバー、自動車評論家。日本カー・オブ・ザ・イヤー、世界・カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。 高知県生まれ、大阪府育ち。姉の北野幹子は元お笑い芸人でビートたけしの元妻。 龍谷大学文学部仏教学科在学中にカートレース活動を開始。大学卒業後、地元の大阪で一般企業に勤めるも、26歳の時に上京し、義兄だったビートたけしの運転手兼付き人となる。 クルマ好きのたけしの援助を受けて、「たけしプロジェクト」の一環としてレース活動を再開。1982年に鈴鹿シビックレースにデビュー。1980年代後半から1990年代初めにかけて数々のカテゴリのレースにおいて好成績を収めて、たけしの援助から離れてプロのレーシングドライバーとして一本立ちを果たす。
中子 修(なかこ おさむ、1954年8月20日 - )は、三… 中子 修(なかこ おさむ、1954年8月20日 - )は、三重県尾鷲市出身の元レーシングドライバー。父は元市議会議員の中子幸男。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
吉川 とみ子(よしかわ とみこ、1954年3月19日 - )… 吉川 とみ子(よしかわ とみこ、1954年3月19日 - )は、愛知県あま市甚目寺町出身の女性レーシングドライバーである。 1977年に国内A級ライセンスを取得、レースデビューは鈴鹿シルバーカップのサルーン・カーレースでデビューした。1980年にFL500への参戦を開始、同時期のFL参戦者には小河等、福山英夫などもおり同期と言える存在である。同年の最終戦JAFグランプリで全日本F3(当時は日本F3チャレンジカップ)にステップアップ、1984年の第2戦西日本大会では自己ベストとなる4位入賞を記録する。 1985年に富士グランチャンピオンレース、1992年にル・マン24時間レース、共に日本人女性として初めて出場する。
清水 和夫(しみず かずお、1954年2月11日 - )は、… 清水 和夫(しみず かずお、1954年2月11日 - )は、日本のレーシングドライバー、モータージャーナリスト。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本自動車研究所・客員研究員。東海大学講師。父親は実業家で日本テレビ放送網第2代代表取締役社長の清水与七郎。 東京都生まれ。武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部電子通信工学科卒業。血液型はO型。既婚。 免許を取得後にGC10型日産・スカイラインを購入し、山や高速を走り込んだ。学生時代の1972年(昭和47年)からTE27系トヨタ・カローラレビンや三菱・ランサーなどでラリーに参戦し、資金がつきかけた頃にスバルのワークスドライバーとなった。
中嶋 悟(なかじま さとる、1953年2月23日 - )は、… 中嶋 悟(なかじま さとる、1953年2月23日 - )は、愛知県岡崎市出身の元レーシングドライバーで、有限会社中嶋企画代表取締役社長。身長165cm、体重60kg。血液型B型。 日本人初のF1フルタイムドライバーで、株式会社日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長も歴任した。 愛知県岡崎市に、4人兄姉の末っ子として生まれる。生家は約300年続く農家。父親は航空母艦「雲鷹」で艦載機の整備兵をしていた軍人で、兄たちが戦死した後に農業を継いだ。 岡崎市立梅園小学校、岡崎市立葵中学校を経て、名城大学附属高等学校に進学。 高校在学中にレーシングカートを始め、数戦のレースに参加し優勝も経験。高校在学中に自動車運転免許を取得し、アルバイト先だったガソリンスタンドに就職。
茂木 和男(Kazuo Mogi, もぎ かずお、1953年… 茂木 和男(Kazuo Mogi, もぎ かずお、1953年2月2日 - )は、日本のレーシングドライバー。茨城県潮来市出身。 1975年にサニーでレースデビュー。1980年に新設されたFJ1600選手権に参戦、初代チャンピオンとなった坂本典正に次ぐランキング2位を獲得。翌年から全日本F3選手権にステップアップし、F3のトップレーサーとなった。以後、全日本F3000選手権、全日本ツーリングカー選手権(JTC)、全日本GT選手権等で長く活躍した。JTCには初年度の1985年から参戦しており、フォード・シエラやBMW・M3などのマシンを駆った。 全日本ツーリングカー選手権のチャンピオンを3回獲得しており、初年度の1985年には、クラス1のチャンピオンを長坂尚樹とともに獲得。
柳田 春人(やなぎだ はるひと、1950年10月21日 - … 柳田 春人(やなぎだ はるひと、1950年10月21日 - )は、埼玉県深谷市出身の元レーシングドライバーである。自動車チューニングショップ『セントラル20』の創業者。 実子は同じくレーシングドライバーの柳田真孝。 日産・フェアレディZでレースに出場し活躍したことから「Z遣いの柳田」と呼ばれた。また、どしゃ降りの中でも勝利をもぎ取る姿から「雨の柳田」とも呼ばれた。 1970年、桑島正美とともに招待選手としてブラジル・インテルラゴスで国際レース「コパ・ブラジル」に出場(優勝者はエマーソン・フィッティパルディ)。1977年には第16回マカオグランプリにマーチ・752で出場している 1980年、1983年富士スーパーシルエットレースのシリーズチャンピオンに輝く。
池沢 早人師(いけざわ さとし、1950年8月27日 - )… 池沢 早人師(いけざわ さとし、1950年8月27日 - )は、日本の漫画家・小説家でカーマニア、レーシングドライバー。旧ペンネームは池沢 さとし。代表作は『サーキットの狼』『サーキットの狼II モデナの剣』など。 千葉県野田市出身。野田市立南部中学校卒。高校在学中の1969年、『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて『怪童のひびき』が新人佳作賞を受賞し、デビュー。週刊少年ジャンプにて1975年に連載が開始された『サーキットの狼』は高い人気を得て社会現象となり、1970年代後半の「スーパーカーブーム」の火付け役となった。 その後も『Beat Shot!!』や『サーキットの狼II モデナの剣』など多数の作品を発表し、多くの熱狂的なファンを獲得。
田嶋 伸博(、1950年6月28日 - )は、日本のレーシン… 田嶋 伸博(、1950年6月28日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。石川県小松市出身。国士舘大学工学部機械工学科卒業。通称は「モンスター田嶋」。 レーシングコンストラクターであるアイアールディー、モンスタースポーツジャパン、自動車ディーラー・タジマモーターコーポレーションの創業者。 1968年にモータースポーツデビュー。主にラリーやダートトライアルを得意とし、1996年・1997年・1998年・2001年・2002年と、過去5回アジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の2輪駆動部門でシリーズチャンピオンを獲得した。 また、1983年に「モンスターインターナショナル」(現:タジマモーターコーポレーション)を設立しモータースポーツに参戦するレーサーの後方支援活動も展開。
関谷 正徳(せきや まさのり、1949年11月27日 - )… 関谷 正徳(せきや まさのり、1949年11月27日 - )は、日本の元レーシングドライバー。ル・マン24時間レースにおける日本人初の総合優勝者。 静岡県安倍郡井川村(現在の静岡市葵区)出身。血液型はA型。常葉学園橘高校出身。同校を卒業後静岡マツダ(マツダの静岡県における販売ディーラー)に入社する。 静岡マツダの社員だった1972年にレースデビュー。「ファミリアロータリークーペ」や「カペラ」、「サバンナ」をドライブし活躍した。1976年には富士グランチャンピオンレース(富士GC)併催のスーパーツーリング選手権でシリーズ2位となり、翌1977年にはシーズンチャンピオンを獲得した。 1978年には富士グランチャンピオンレースにステップアップし、1981年まで参戦した。
佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sat… 佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sato、1949年11月19日 - 1983年5月1日)は、東京都出身のレーシングドライバー。慶應義塾大学卒。 オートスポーツなどレース雑誌では富士ロングディスタンスシリーズでの活躍から「耐久王」や「耐久のフミヤス」との愛称で呼ばれた。 慶應義塾幼稚舎から中・高・大学と過ごした生粋の慶應ボーイで、水泳部選手として活動し基礎的な身体持久力を持っていた。 1967年11月3日に富士スピードウェイで行われた「富士スピードフェスティバル」のミニカーレースクラスにホンダ・N360で出場し、18歳でレースデビュー。1968年もN360で富士を走りこんだ。
風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974… 風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974年6月2日)は、日本のレーシングドライバー。1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍し、当時の日本人ドライバーの中で「F1に最も近い男」と呼ばれた。通算成績は、全カテゴリー含め55戦8勝。 風戸レーシングリミテッドのオーナー兼ドライバーとして、レースをビジネスとして運営しようと試み、今日のプライベートレーシングチーム形態の先駆けになったと評される。 また自身のレーシングマシンメンテナンスのために、今日まで活動を続ける老舗コンストラクター、ノバ・エンジニアリングを設立した。 1949年3月13日、当時電子顕微鏡技術において最先端を行き、世界中から大きな評価を得たことで知られる日本電子光学研究所(JEOL)創立者である風戸健二の次男として千葉県茂原市に生まれる。
赤池 卓(あかいけ たかし、1947年8月6日 - 2023… 赤池 卓(あかいけ たかし、1947年8月6日 - 2023年7月22日)は、日本の元実業家、レーシングドライバー。 山梨県甲府市(旧中道町)6人兄弟の次男として生まれる。生家は農業と給油取扱所を運営していた。旧山梨工業高等高校を卒業後、マツダオート山梨に整備工として就職。その後、家業に従事する一方で国内のジムカーナに参戦し、本格的な国内外レース活動に移行した。 レース活動を継続していく上でマツダオート山梨、ダンロップ、スタンレー電気、エンケイ、Benihanaとの長年関係が深かった。特にマツダからエンジン、車体供給を受けながら、富士グランチャンピオンレース(富士GC)、耐久シリーズ、ツーリングカー選手権などのカテゴリーに参戦。
清水 正智(しみず まさとも、1947年7月15日 - 20… 清水 正智(しみず まさとも、1947年7月15日 - 2023年5月20日)は、日本のレーシングドライバー。 1966年、いすゞ・ベレットGTでレースデビュー。 レーシングドライバーとして活動をする傍ら、20歳で日本歯科大学に入学し、1970年代にNACストックカーレース、富士GCに参戦。1973年、富士GC最終戦での30度バンクで多重クラッシュに巻き込まれ、大怪我を負う。 大事故から復帰後も富士GC、フォーミュラ・パシフィック、全日本F2選手権/全日本F3000選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権、全日本GT選手権に参戦。 その後もポルシェ・カレラカップ・ジャパンに参戦した他、レジェンドレーシングドライバーズクラブの会員としてレジェンドカップ等のレース挑戦するなど、モータースポーツを精力的に活動を続けていた。
星野 一義(ほしの かずよし、1947年7月1日 - )は、… 星野 一義(ほしの かずよし、1947年7月1日 - )は、日本の元レーシングドライバーである。現在は株式会社ホシノインパル取締役会長。静岡県安倍郡玉川村(現:静岡市葵区)出身。血液型:A型。現役時代は「日本一速い男」と呼ばれた。 同じくレーシングドライバーの星野一樹は長男。 生家は生菓子の製造・販売業を営み、周囲と比して裕福な家庭に育った。野球少年だった星野は、父・又平が道楽で何台も自動車を所有していたこともあり、乗り物好きでもあった。中学生の時には無免許にもかかわらず、父親からオートバイを買ってもらい、それを乗り回したり改造したりしていたという。この頃には「オートバイ」や「モーターサイクリスト」などのオートバイ雑誌を読み漁っては、マン島TTレースやロードレース世界選手権(WGP)に参戦している北野元や高橋国光が駆るホンダのマシンに思いを馳せていた。
鮒子田 寛(ふしだ ひろし、1946年3月10日 - )は、… 鮒子田 寛(ふしだ ひろし、1946年3月10日 - )は、日本の元レーシングドライバー。 日本人で初めてF1やル・マン24時間レースに参戦したドライバーとして名を残している。生沢徹や風戸裕などと並び、海外レース挑戦のパイオニア的ドライバーと評されている。 現在は童夢顧問、日本自動車レース工業会顧問としてレース業界に関わっている。京都府京都市下京区仏光寺出身。同志社中学校・高等学校、同志社大学法学部卒。 同志社大学在学中の1964年秋ごろから、同志社中学校からの友人・林みのるや横山靖史らとともにホンダ・S600を駆って鈴鹿サーキットでスポーツ走行を開始する。この頃、鈴鹿サーキットで浮谷東次郎と出会う。
長谷見 昌弘(はせみ まさひろ、英: Masahiro Ha… 長谷見 昌弘(はせみ まさひろ、英: Masahiro Hasemi 、1945年11月13日 - )は、日本の元レーシングドライバーで、現・有限会社ハセミモータースポーツ代表。東京都青梅市出身。東京都立八王子工業高等学校卒業。 15歳のときに全日本モトクロスレースへ参戦しレースデビューする。黒澤元治とともに城北ライダースにも加入した。 1964年四輪レーシングドライバーとなり日産・大森ワークスに所属、デビュー戦を勝利で飾る。その後は日産を離れフリー(タキ・レーシング所属)になった事もあるが、後に日産・追浜ワークスに復帰しており、基本的には日産系ドライバーと見なされている。1970年代から1990年代にかけて、長く日本のトップドライバーとして活躍を続けた。
粕谷 勇(かすや いさむ、1944年5月27日 - )は、日… 粕谷 勇(かすや いさむ、1944年5月27日 - )は、日本の元レーシングライダー、レーシングドライバー。東京都清瀬市出身。 1973年4月 現学校法人粕谷学園 清瀬たから幼稚園を開園 2011年4月24日 清瀬市議会議員選挙にて、1173票の投票を得て当選。 250ccクラス 2位 250ccクラス 2位
福澤 幸雄(ふくざわ さちお、1943年(昭和18年)6月1… 福澤 幸雄(ふくざわ さちお、1943年(昭和18年)6月18日 - 1969年(昭和44年)2月12日)は、日本の元レーシングドライバー、元実業家。フランスのパリ生まれのレーサー兼ファッションモデルかつ紳士服メーカー「EDWARD'S(エドワーズ)」の元取締役企画部長。新字体で福沢幸雄とも表記される。 身長170cm。マックスファクター、東レ、松下電器産業(後のパナソニック ホールディングス)等のイメージ・キャラクターも務めた。 父方の曾祖父は福澤諭吉。母はギリシャ人ソプラノ歌手の福澤アクリヴィ。 当時在フランス(ヴィシー政権)日本国大使館に勤務していた、福澤諭吉の孫である父・福澤進太郎(当時慶應義塾大学法学部助教授)と、フランスへ歌の勉強に来ていたギリシャ人ソプラノ歌手である母・福澤アクリヴィとの間に、パリで生まれた。
漆原 徳光(うるしはら のりみつ、1943年 - )は、東京… 漆原 徳光(うるしはら のりみつ、1943年 - )は、東京都出身の日本の実業家、元レーシングドライバー。 漆原不動産株式会社(東京都文京区)代表取締役社長。 父は戦時中に軍需工場の社長をしており、1945年東京大空襲の際には工場が米軍B-29による攻撃の標的となった。戦争が終わると実家が不動産業「漆原不動産」に転身した。 1969年レースデビュー。1970年のマカオグランプリにはロータス・41(英語版)で出場し4位の記録を残している。以後1970年代に富士グランチャンピオンレース(富士GC)、フォーミュラカーレースに移行後の日本グランプリ、全日本F2000選手権などで活躍。普段から口数が少ないことやメガネをかけた風貌から「ドクター漆原」の異名で知られた(なお「ドクター」の名がついているが、本人は医者ではない)。
川合 稔(かわい みのる、1942年(昭和17年)12月9日… 川合 稔(かわい みのる、1942年(昭和17年)12月9日 - 1970年(昭和45年)8月26日)は、日本のレーシングドライバー。東京都大田区出身。日本大学芸術学部演劇学科中退。妻はモデルの小川ローザ。 実家は当時のレーサーに多い裕福な出自ではなく、ごく一般的なサラリーマン家庭であった。 1959年に2輪の第2回全日本クラブマンレースに昌和ライトクルーザーSLでエントリーするが、怪我のため決勝への出場は果たせなかった。 1965年に4輪レースにデビューを果たすが、両親に反対されたため陸送のアルバイトをしながらレースに出場していた。日本大学芸術学部演劇学科を中退後、トヨタ・モータースポーツ・クラブ(TMSC)の事務局で働き、1966年(昭和41年)にトヨタ自動車販売(トヨタ自販)のワークスドライバーとして契約。
浅岡 重輝(あさおか しげあき、1942年1月1日 - )は… 浅岡 重輝(あさおか しげあき、1942年1月1日 - )は、東京都出身の元レーシングドライバー、モータージャーナリスト。 港区白金出身。小学校の後輩に同じくレーサーの福澤幸雄がおり、当時から親しかったという。子どものころからクルマ好きで、16歳で免許を取得(当時1,500cc以下の小型車は16歳で免許が取れた)。最初の愛車はイギリス車のオースチンA50。 1960年に、18歳で日本スポーツカークラブ(スポーツカークラブオブジャパン、SCCJ)に入会。ジムカーナやヒルクライムなどのモータースポーツに出場する。 1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに、ヒルマン・ミンクス(いすゞがノックダウン生産していた)で出場し、C-5クラス(1,300〜1,600ccのツーリングカー)で5位。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )… 菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。北海道小樽市出身。 日本レーシングマネージメント(JRM)株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。長男はヤマハ発動機のデザインに関わるGKダイナミックス株式会社代表取締役の菅原義治、次男はクロスカントリードライバーで現チームスガワラ代表の菅原照仁。 日本のレース文化草創期からプライベーターとして自動車レースで活躍し、1970年代にはいち早くラリーレイド(クロスカントリー)に挑戦するなど、日本のモータースポーツのパイオニアの一人である。サーキットでもオフロードでも、小排気量車で大排気量車を追い回すのを身上とした。
黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は… 黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 茨城県日立市にて日立製作所に勤める技術者の息子として生まれる。1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。「ガンさん」のニックネームでも知られる。2012年からSUPER GTに関わり、LEON RACINGの監督も歴任した。 年齢が2025年8月で85歳となった現在においても、ビデオマガジンやYouTubeなどで高度な運転技術を披露する。 ホンダ系チームで2輪ライダーとして活動。1962年に鈴鹿サーキットで初開催された、第1回全日本選手権ロードレースの50ccクラスで優勝するなどの実績がある。
高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月2… 高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月29日 - 2022年3月16日)は、日本の元レーシングドライバー、オートバイ評論家。東京府北多摩郡小金井町(現:東京都小金井市)出身。血液型はB型。愛称は国さん。 二輪・四輪合わせて489レースに出場し、通算71勝を挙げている。二輪では世界グランプリを転戦したが、四輪のレース活動は日本国内を主戦場とした。 華麗なドリフト走法で知られ、黒澤元治に代表されるグリップ走法派のドライバーが台頭した後もレースでドリフトを多用したことで知られる。そのため、ドリキン(ドリフト・キング)こと土屋圭市達から、師匠的な扱いを受けている。 1999年に59歳で現役を引退し、2000年以降は自らのレーシングチームであるチーム国光の監督を務めた。
徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉… 徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉11月7日)は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 「有恒」は「ゆうこう」とも読む。本名及び旧筆名は、杉江 博愛(すぎえ ひろよし)。 代表作となる「間違いだらけのクルマ選び」を出版する前は、本名で活動していた。「徳大寺有恒」の名前は、「できるだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームである。この筆名の姓に関しては、堂上家で清華家7家のうちの一つである公家の徳大寺家と姻戚関係は一切無い。 「NAVI」(二玄社)や「ベストカー」(三推社)、「ENGINE」(新潮社)などの自動車専門誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、テレビ、新聞、各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍していた。
式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9… 式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9日 - 2016年5月17日)は、日本の実業家、自動車評論家、元レーシングドライバー。 伯父は精神科医で精神病理学者の式場隆三郎。妻は歌手の欧陽菲菲。 千葉県市川市国府台の精神科病院「式場病院」の理事長であった父の元に生まれる。 成城大学文芸学部在学中より輸入車をドライブし、同郷の後輩であった浮谷東次郎や、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、福澤幸雄など日本のモータースポーツ草創期を支えたドライバー達と親交があった。 音楽にも親しみ、アマチュアのジャズマンとしてホテルオークラや東京・飯倉のイタリア料理店「キャンティ」などに出入りし、ミッキー・カーチス(のちにレーサーとしても活躍)やムッシュかまやつ、堺正章などの芸能人とも親しかった。
大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレー… 大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレーシングドライバー、自動車ジャーナリスト。東京都小金井市出身。元モーター新党代表。 1953年14歳から原付オートバイに乗り始める。その後、米軍立川基地周辺のライダーが集まるオートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の一員に。1958年に浅間高原自動車テストコースで開催されたクラブマン初の全日本モーターサイクルクラブマンレース大会(MCFAJ主催に関わりレースとの縁が深まる。1960年5月、アマチュアオートレース大会(大井オートレース場、50ccクラス優勝・スーパーカブ)を機に同年9月にはトーハツ(東京発動機)の支援を受けていた同クラブから宇都宮市の元陸軍清原飛行場跡地で開催の第3回クラブマンレースにレーシングライダーの本格的デビューをする。
細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 202… 細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 2024年1月22日)は、日本の元レーシングドライバー。 トヨタ純血ワークスチームであった「チーム・トヨタ」のキャプテンを務めた。 広島県尾道市で生まれ育つ。父親は警察官だったが広島市で原爆に遭い殉職したという。 広島県立尾道商業高校卒業。1963年に開催された第1回日本グランプリのC-IIクラス(400〜700cc)に、完全ノーマルのトヨタ・パブリカ700でプライベーター(個人)として出場し3位。 その技術を見込まれ1964年、トヨタのワークスドライバーになる。当時のトヨタは、開発を行うトヨタ自工と販売を行うトヨタ自販が別々だったが(後に合併)、細谷はプロとしてトヨタ自工と契約し技術部に所属。
滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1… 滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1998年11月24日)は、日本の実業家、元レーシングドライバー、レーシングチームオーナー。日本のモータースポーツの黎明期、ビジネスとしてプライベートチームを成立させることに挑戦した先駆者と評価されている。 愛知県名古屋市生まれ。立教大学卒業後はスーパーマーケット経営をしていたが、車に興味を持ち箱根などに走りに行くようになる。日本スポーツカークラブ (SCCJ) でジムカーナなどを体験後、本格的なサーキットレースに参戦する。 1964年8月16日にロータス・エラン26で第3回ナショナル・ストックカー・レース(川口市営自動車競技場)でデビュー。
鈴木 誠一(すずき せいいち、1936年12月23日 - 1… 鈴木 誠一(すずき せいいち、1936年12月23日 - 1974年6月2日)は、日本のモーターサイクル・ロードレーサー、モトクロス選手、レーシングドライバー。東京都板橋区出身。血液型O型。1962年のロードレース世界選手権50ccクラスにスズキのワークスライダーとして出場した。 日産系のエンジンチューナーとして名高い東名自動車(現:東名パワード)の創設者の1人。日本では数少ないメカニカル技術を併せ持ったレーシングドライバーであった。 愛称は誠さん(せいさん)。東名パワード社長の鈴木修二は実弟。 1956年に埼玉県で開催された2輪スクランブルレースにヤマハYA-1(通称赤とんぼ)で出場し優勝したのがデビュー戦と言われている 1958年前後、仲間と共に城北ライダースクラブ(JRC)を結成し、主将的な存在になる。
三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、… 多賀 弘明(たが ひろあき、1934年3月21日 - )は、日本のレーシングドライバー。早稲田大学卒業。東京都出身。日本のモータースポーツ黎明期に活躍したドライバーの一人として、日本グランプリなどに出場。 早稲田大学の自動車部に所属し、ラリーやフィギュアなどの競技に出場。 1963年の第1回日本グランプリでは、トヨペット・クラウンを駆ってC-VIクラスに出場し、優勝を飾っている。 1964年には「トヨタモータースポーツクラブ(TMSC)」の設立に関与し、2代目のTMSC会長に就任。 当初TMSCの主催で行われていた富士1000kmなどのレースや、1966年のトヨタ・2000GTによるスピードトライアル運営にも携わっていた。
山田 英二 は、日本のレーシングドライバー。奈良県吉野郡大淀… 山田 英二 は、日本のレーシングドライバー。奈良県吉野郡大淀町出身。血液型はB型。愛称はターザン山田もしくはラーマン山田。由来はOPTION雑誌の編集部員である斉藤美智子が山田がロン毛でボサボサな髪であり、奈良の田舎の方から出てきたことから「ターザンにしなよ」と勧めたことから名付けられた(本人の還暦配信で自ら発言)。主に雑誌企画等でのタイムアタックで名を知られており、様々な車種のチューニングカーを幅広く乗りこなす。
野田 樹潤(のだ じゅじゅ、英: Juju Noda )は、… 野田 樹潤(のだ じゅじゅ、英: Juju Noda )は、日本の女性レーシングドライバー。通称「Juju」。東京都生まれ、岡山県美作市出身。2026年FIAドライバー分類規定でシルバーに分類されている。 2006年、F1参戦経験のある元レーシングドライバーの父野田英樹、元バレエダンサーでトレーナー、帯同マネージャーも務める母・雅恵(NODAレーシングコンサルタンツ株式会社代表取締役)の次女として誕生。ほか、姉と弟がいる。樹潤という名前は、父・英樹の「樹」の一文字を貰い「樹木が潤いすくすくと育つようにのびやかに成長して欲しい」との願いが込められているとラジオ番組で逸話を明かした。父が経営するレーシングスクールNODAレーシングアカデミーの拠点がツインリンクもてぎから岡山国際サーキットに移転した為、年少期より岡山県美作市で育つ。
小林 キュウテン(こばやし きゅうてん)は、日本のジムカーナ… 小林 キュウテン(こばやし きゅうてん)は、日本のジムカーナレーシングドライバー、地方公務員(静岡市職員)。静岡県静岡市葵区出身。工学院大学出身で一級建築士の資格を持つ。 7歳上の姉が自動車教習をする為に父親と広場に行き練習している時に、教習所に通う姉より上手く運転してみせたのが自動車運転の初体験。この時小学5年生。本人は「英才教育」であると語る。 1988年にジムカーナ静岡県シリーズに参戦開始。1990年・1991年にはシリーズ2位の成績を収める。 当時は学生の時にアルバイトで資金を貯めて購入したMR2(AW11)でジムカーナに参戦していたが、ライバル達が新型のMR2(SW20)に乗り換える中、思い出の多いマシンを手放す事ができず、1993年には全日本ジムカーナ選手権参戦に伴いナンバー付き車両をナンバー取得が義務でないCIIクラスマシンに改良。
高江 淳(たかえ じゅん)は、日本のレーシングドライバー、会… 高江 淳(たかえ じゅん)は、日本のレーシングドライバー、会社員。沖縄県うるま市出身。沖縄エキサイティングモータースポーツクラブ所属。全日本ジムカーナ選手権において沖縄出身者として初の3連覇を達成。 琉球大学在学中に、友人に誘われジムカーナを始める。その後は沖縄県内の大会に参戦を続けていたが、結婚を機にジムカーナから遠ざかった。 2006年に約7年ぶりにジムカーナへ復帰。車両はホンダ・インテグラ (DC2) を使用する。2010年からは九州選手権へ参戦、初年度でシリーズ3位を獲得した。2012年からは全日本ジムカーナ選手権に参戦。当初は結果を残せずにいたが、2013年の最終戦で4位入賞、2014年は初勝利を挙げシリーズ6位に食い込んだ。
寺崎 源(てらさき げん)は大分県出身のD1グランプリに参戦… 寺崎 源(てらさき げん)は大分県出身のD1グランプリに参戦していたレーシングドライバー、自動車整備・販売・チューニングショップ経営者。ニックネームは「源さん(げんさん)」。 大分県大分市出身。同市内で1996年にチューニングショップのG.T WORKSを創業。チューニングカーやモータースポーツ参戦車両の製作・メンテナンスを手掛け始める。 D1グランプリには初年度となる2001年からトヨタ・カローラレビン(AE86)で参戦。2002年・2003年には準優勝を一度ずつ経験している。 2004年からはオートバックスセコハン市場をスポンサーに迎え、「セコハン with G.T WORKS」チームとしてD1に参戦。
海老澤紳一(えびさわ しんいち)は、茨城県笠間市出身のレーシ… 海老澤紳一(えびさわ しんいち)は、茨城県笠間市出身のレーシングドライバーである。また、メーカー系のイベントインストラクターなどでも活躍している。 レースデビューは1992年、当時大盛況だったプロダクションカーレス、筑波グランナショナルスピードカップのAE86でポールトゥーウィンでデビュー戦を飾った。1992年 - 1993年を86使いとして観客を魅了した。 戦歴はメーカー系ワンメークレースや耐久レースの参戦が多く、トヨタC/SNCレースやHONDAシビックレース、ベルノエキサイティングカップ、筑波ナイター8時間耐久レース、N-1耐久レース、スーパー耐久、もてぎチャンピオンカップ、もてぎ菅生ツーリングカー選手権、JOY耐7時間耐久レースなどで活躍、数多くの優勝とシリーズタイトルを獲得している。