大石 修平(おおいし しゅうへい、1922年3月26日 - … 大石 修平(おおいし しゅうへい、1922年3月26日 - 1991年5月25日)は、日本の近代文学研究者。元東京都立大学人文学部教授。 富山県氷見郡氷見町(現氷見市)出身。父は農政家で氷見農業学校校長、衆議院議員の大石斎治。富山県立氷見中学校 (現・富山県立氷見高等学校)、富山高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部国文科に進学するが、文系学生に対する徴兵免除停止に伴い、1943年に繰上卒業して軍務に服する。 出征から帰還後、1947年に富山県立富山師範学校助教授となる。同年度に附属中学校国語担当講師も務めた。1949年東京都立高校(東京都立大学附属高等学校)教諭。高岡市在住の和田侃が自らの戦中戦後の体験から、作文をとおして「自分で見て自分でものを考えることができる人間に」育てるために発行した『中学作文』に、指針となる著作を多数寄稿。
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福永 安祥(ふくなが やすよし、1922年2月2日 - 20… 福永 安祥(ふくなが やすよし、1922年2月2日 - 2014年9月28日)は、日本を代表する教育社会学、東南アジアの地域研究者。 明治から昭和期の詩人・小説家・翻訳家の福永挽歌は伯父。長男は南アジア研究者の福永正明。 学校法人明星学苑明星大学、いわき明星大学において研究指導を続け、日本社会学会、日本教育社会学会など学会活動でも役職を歴任した。 教育社会学の分野において、「都市化の進展する社会状況をふまえた新しい研究の地平を開く研究であると位置づけることができる」とされる 戦時下の早稲田大学の学生時代に東南アジア諸国からの留学生と親しく付き合い、また海軍従軍期にも東南アジア諸国を訪問した。1960年代以降、かつての留学生たち交流を続けた。
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有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011… 有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011年4月11日)は、日本の哲学・語学研究者。 東京出身。1946年に早稲田大学文学部哲学科、1951年にアテネ・フランセを卒業、早稲田大学商学部助教授、教授(ドイツ語)を歴任し、1992年に定年退任、名誉教授。ギリシア哲学・ヘレニズム哲学、ドイツ語学、対照文法、ショーペンハウアーなどを研究し、翻訳も行なった。
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楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011… 楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011年10月30日)は、中国古典研究者、専門は老荘思想などの中国哲学。早稲田大学名誉教授。 1922年、東京で生まれた。父・楠山正雄は、大正・昭和前期に活躍した演劇評論家で、児童文学者。早稲田大学文学部東洋哲学科で学び、1943年に卒業。同大学大学院に進み、福井康順に師事した。 大学院修了後、早稲田大学文学部助教授に就任。1962年、教授に昇格。1977年、学位論文『老子伝説の研究』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得。1992年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。 学界では、1989年から1991年まで日本中国学会理事長をつとめた。
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宮下 章(みやした あきら、1922年 - 2002年)は、… 宮下 章(みやした あきら、1922年 - 2002年)は、食文化研究者。 長野県伊那谷生まれ。旧制大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒業。長年にわたり和紙、凍豆腐、海藻、鰹節、海苔などの研究をつづけ、全国を調査旅行。晩年は食物文化史の研究に専念。文学的な表現で書かれた著書の数々が有名[要出典]。古文書や海外の類似する伝統食にも着目した内容となっている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
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前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2… 前田 敬作(まえだ けいさく、1921年12月14日 - 2003年2月6日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 1921年、大阪府で生まれた。東京帝国大学文学部で学び、1944年に卒業。卒業後は兵役に就いた。 戦後は、関西大学予科講師となった。後に助教授昇格。1950年、京都大学教養部助教授に転じた。1967年に同教授昇格。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は摂南大学教授として教鞭をとった。晩年は『フロイデ独和辞典』監修 (白水社 2003)ほか辞書編纂に関わった。 2003年2月6日、肺癌のため死去。 専門はドイツ文学で、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンなどの多くの翻訳を行った。
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茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
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末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
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森田 俊男(もりたとしお、1921年6月25日 - 2010… 森田 俊男(もりたとしお、1921年6月25日 - 2010年8月29日)は、日本の教育研究者。平和・国際教育研究会代表。 戦後日本における平和教育をリードした。元国民教育研究所所長。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。
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宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - … 宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - 2011年1月11日)は、日本の仏教学者・インド哲学研究者。名古屋大学名誉教授。真言宗智山派管長、総本山智積院化主。 1921年、長野県岡谷市で生まれた。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制智山専門学校(現・大正大学)を経て、東北大学法文学部印度科に進学。1948年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1954年、博士課程を中退。 1954年、高野山大学助教授に就いた。1957年、学位論文『インド仏教の認識論:とくにPramanavarttika(英語版)を中心として』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。1965年、高野山大学教授に昇格。
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塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - … 塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - 2009年3月20日)は、日本のマルクス主義経済学者、社会運動史・労働運動史研究者。学位は経済学博士(立命館大学、1987年)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、立命館大学名誉教授。 昭和34年労働運動史研究会を設立。40年日本科学者会議常任幹事。平和・大衆運動にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 19… 永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 1975年5月17日)は、日本の広告研究者、評論家。 山梨県塩山市郊外に生まれる。山梨県立日川中学校、多摩美術大学卒業。台糖株式会社宣伝課長、日本経済新聞社『日経広告手帖』編集長、中部日本放送「CBCレポート」編集長、「週刊明星」創刊にかかわり、市場調査機関・永田オペレーション・センターを設立、のち電通PRセンターとし、初代社長となる。1970年株式会社ジャパーク(JPRC)を創立。評論家として著書多数を著した。 1960年代、永田が電通PR(現電通パブリックリレーションズ)社長時代提唱したとされる。
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目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 200… 目崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 2000年6月13日)は、国文学者、王朝文化研究者、専攻は日本文化史、平安文学研究。 新潟県生まれ。1945年東京帝国大学文学部国史学科卒業、長岡工業高等専門学校助教授、文部省教科書調査官、聖心女子大学教授、のち同名誉教授。1980年に『西行の思想史的研究』で東京大学文学博士、第一回角川源義賞。1996年に『南城三余集私抄』で第三回(95年度)やまなし文学賞<研究評論部門>を受賞。また俳句同人誌「花守」を半世紀近く主宰し、若井新一などを輩出した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 20… 清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 2004年3月7日)は、日本の哲学研究者。神戸大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。東北帝国大学哲学科卒業。神戸大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、大阪学院大学教養部教授。マルクスの疎外論を研究。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。 2004年3月7日、病気のため京都市東山区の病院で死去。83歳没。
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山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982… 山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982年4月17日)は、日本の哲学研究者。 長野県下高井郡穂高村(現木島平村)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て東京文理科大学倫理学科卒。1967年「プラグマティズムにおける倫理探求の理論」で東京教育大学文学博士。秋田師範学校教授、新潟高等学校教諭、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年筑波大学教授。セイロン大学に留学。デューイ、ベンサムなどを研究した。
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山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 201… 山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 2014年6月13日)は、日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授を経て、田園調布学園大学名誉教授。 東京府生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所教授、定年前に1975年関東学院大学文学部教授、1989年退職、田園調布学園大学教授、のち名誉教授。1977年「平安朝文学の史的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。『栄花物語』を専門として、平安朝の歴史と文学を横断する研究をおこない、藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈を続けた。劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」平安行事監修。横須賀市史編さん委員会委員長として『新横須賀市史』作成に携わる。
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德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月… 德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月18日 - 1949年(昭和24年)12月12日)は、日本の美術研究者、装幀家。 尾張徳川家の分家の当主である男爵・徳川義恕の四男。母方の祖父・津軽承昭は弘前藩主。長兄・徳川義寛は昭和天皇の侍従・侍従長。姉・祥子の夫は北白川宮永久王。次兄・義孝(津軽英麿の養子となる)の娘は、常陸宮正仁親王妃華子で、義恭の姪にあたる。 夫人・雅子(のりこ)は田安徳川家の徳川達成の長女。 1942年(昭和17年)、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。同年7月1日、三島由紀夫や東文彦と共に同人誌『赤絵』を創刊した。同誌および、1944年(昭和19年)10月発行の三島の処女作品集『花ざかりの森』(七丈書院)の装幀を担当した。
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中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2… 中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。 奈良県出身。生家は寺院であり、その長男として誕生した。早熟であり、中学生にして習作を手がけるなど、幼いころから創作活動に取り組んでいた。その結果、18歳にして自らの作品で原稿料を得ていた。1949年、龍谷大学文学部国文学科を卒業した。 1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。
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小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月… 小沢 俊郎(おざわ としろう、1921年 - 1982年3月14日)は、日本の日本近代文学研究者。 埼玉県生まれ。東京帝国大学文学部国文科を卒業後、東京都立高校の教諭をへて、1972年京都教育大学助教授に転じ、1976年教授に昇任。 宮沢賢治の研究において多くの著作を残し、『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973 - 1977年)の編纂委員も務めている。研究内容は多岐にわたるが、賢治が盛岡高等農林学校時代の親友だった保阪嘉内に宛てた70通を超える書簡を、1968年に(嘉内の子息との共著として)公表したことは、伝記研究上特筆される業績である。
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中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 -… 中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 - 2013年7月11日)は、日本の経済学者、経済心理学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 「生活」をキーワードに、心理学・生態学の視点を加えて人間の経済行動を学際的に研究し、「生活構造論」の方法を確立する傍ら、行政の各種諮問委員として幅広くフィールドワークを行い、日本の社会政策、社会保障の充実に寄与した。元(財)地域開発研究所所長。第4回今和次郎賞受賞。 (「回想・林試の森」(1995)P.203~205より作成) 趣味は、動物生態・能面鑑賞。 カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)の教会員であり、自身の洗礼名もアンセルモ(アンセルムス)。
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藤井 澄二(ふじい すみじ、1920年(大正9年)12月14… 藤井 澄二(ふじい すみじ、1920年(大正9年)12月14日 - 2004年(平成16年)1月30日)は、機械工学を専門とする日本の研究者、教育者。工学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、東京電機大学名誉教授。振動工学、車両工学、人間工学、安全工学、制御工学、ロボット工学など、多岐にわたる実績があり、富山県立大学では初代学長を務めた。紫綬褒章、従三位勲二等瑞宝章。 東京帝国大学助教授、東京大学教授、工学部長、東京電機大学教授、理事、理工学部長、富山県立大学学長を務めると共に、日本機械学会会長、日本ロボット学会会長、日本IFToMM会議実行委員長も歴任した。1960年代半ばから1970年代の東京大学藤井研究室におけるロボット研究は、その後のロボット制御のほとんどの基がここにあるとも言われている。
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中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
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佐藤 隆一(さとう りゅういち、1920年10月31日 - … 佐藤 隆一(さとう りゅういち、1920年10月31日 - 1984年12月11日)は日本の外科医、医学研究者、医学博士。群馬県邑楽郡小泉町(現大泉町)生まれ。慶応義塾大学卒業。吉田肉腫に非常に感受性の高いDONRYU-RAT(吉田富三博士提唱)の開発。佐藤の肺がんの樹立(ラットに肺がんを作出し)。受託試験業務の他ゲルマニュウム誘導体「バイオジトン8」(半導体の有機化合物)の薬効研究開発、バイオジトン研究グループ代表としてバイオジトンを世に出した。B型慢性肝炎治療薬セロシオンの開発者。 出典:旧制太田中学卒業後、1946年慶応義塾大学医学部卒業、1946年 第一回医師国家試験合格。1947年群馬県太田市所在の富士重工㈱付属太田医院勤務(外科医)。
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飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - … 飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - 1987年4月19日)は、日本の哲学研究者。 東京大学文学部哲学科卒、東洋大学講師、助教授、教授。キェルケゴール、シェーラーなどの実存哲学を研究、翻訳した。
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古守 豊甫(こもり とよすけ、1920年8月25日 - 20… 古守 豊甫(こもり とよすけ、1920年8月25日 - 2008年1月8日)は、日本の医学者で長寿研究者。 山梨県北都留郡上野原町棡原(現・上野原市)で60年間の食生活と死因の変化を調査研究し、伝統的な食生活が長寿の要因であると結論づけた。 1920年、山梨県甲府市に生まれる。 1938年(昭和13年)、棡原小学校に代用教員として赴任した。 1943年に、東京医学専門学校(現・東京医科大学)を卒業し、軍医少尉に任官する。翌年、ラバウルに赴任した。 1946年に復員すると、母校の東京医科大学で肺結核の臨床研究を手がける。1947年より国立甲府病院内科勤務となる。 1954年に古守病院を創設した。1959年に東京医科大学より医学博士号を取得する。
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内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 199… 内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 1992年5月1日)は、日本の声楽家、民俗音楽研究者。 東京生まれ。1942年東京音楽学校声楽科卒。1952年山形大学助教授、1954年日本女子体育短期大学助教授、1956年国立音楽大学助教授、教授。1962年ウィーン大学哲学科中退。83年『奄美民謡とその周辺』で第1回志田延義賞受賞。91年国立音大名誉教授。91年「奄美民謡とその周辺」で國學院大學文学博士。門下にペギー葉山がいる。
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越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014… 越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014年1月10日)は、日本の将棋史研究者。古川柳研究会会員。「将棋博士」と呼ばれた。 東京都中央区築地生まれ。1938年、東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒業。住友金属工業に勤務。戦中、陸軍に応召して満洲へ。戦後は住金物産に勤務して、総務部長から「氷川会館支配人」を経て退職。 日本将棋連盟嘱託として、棋譜や対戦成績のデータベース整備を担当。『将棋昭和史』『将棋名人戦全集』『将棋年鑑』等の刊行に協力。 また、長年に渡り、将棋史の調査、将棋文献の収集を行ってきた。収集した文献は生前に、大阪商業大学・アミューズメント産業研究所に寄贈された。
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佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 200… 佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 2002年7月18日)は、がんの基礎研究者。専門は、病理学、実験腫瘍学。東北大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 東京都生まれ。旧制仙台二中、旧制二高卒業後、1945年(昭和20年)、東北帝国大学医学部卒。同大学院特別研究生となり、吉田富三教授の指導を受ける。1950年(昭和25年)、同医学部助教授。1951年10月、東北大学医学博士、論文の題は「On the chromosomes of Yoshida sarcoma : studies with tumor cells proliferated in the peritoneal cavity of the rat trausplated with a single cell」。
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西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2… 西郷 竹彦(さいごう たけひこ、1920年3月15日 - 2017年6月12日)は、日本の文芸学者、児童文学研究者、ロシア文学翻訳家。 鹿児島市生まれ。幼くして両親に死なれ孤児として育つ。上京後、土方などをして苦学、東京帝国大学理学部応用物理学科に学ぶ。 第四航空師団に召集され朝鮮平壌航空隊に配属。敗戦時、ソ連の捕虜となり、のちモスクワ東洋大学日本学部講師として日本文化・文学を教え、1949年帰国。 ロシア児童文学の翻訳を多数行い、のち文学教育を中心として多数の翻訳、創作、論考、著書を著した。文芸教育研究協議会(文芸研)の理論的支柱であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 19… 廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、日本の近世文学研究者、演劇評論家。法政大学教授。主に松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴、弘瀬金蔵(絵金)、鶴屋南北などを研究した。 高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部国文学科卒。1948年、法政大学第一教養部教授。戦後、日本文学協会で活動し、1955年の最初の著書『元禄文学研究』で注目された。1967年、法政大学文学部教授。1976年に文学部教授を務めた。 柳田國男、折口信夫の民俗学的方法に学び、「悪場所」と呼ばれた芝居と遊廓を、民衆のエネルギーの源泉として近世文化を捉えなおした『悪場所の発想』は、その後の近世論に大きな影響を与えた。
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本林 勝夫(もとばやし かつお、1919年9月18日 - 2… 本林 勝夫(もとばやし かつお、1919年9月18日 - 2008年11月17日)は、日本近代文学研究者、共立女子大学名誉教授。 石川県生まれ。東北大学大学院博士課程中退。1989年「斎藤茂吉の研究 -その生と表現」で文学博士の学位を取得。同著で第2回斎藤茂吉短歌文学賞を受賞する。共立女子大学教授を務め、近代短歌を研究した。 2008年11月17日午後0時40分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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伊藤 喜久蔵(いとう きくぞう、1919年7月24日 - 2… 伊藤 喜久蔵(いとう きくぞう、1919年7月24日 - 2008年2月27日)は日本のジャーナリスト、中国研究者、中日新聞東京支社記者・論説委員。旧姓は中山。 京都府生まれ。戦前の上海にあった東亜同文書院大学を卒業。 その後中日新聞社に入社し、中日新聞記者として文化大革命当時の中国に駐在し、中国の内情を報道した。1967年2月、1966年度ボーン国際記者賞(現・ボーン・上田記念国際記者賞)を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 200… 松山 納(まつやま おさむ、1919年7月13日 - 2002年10月2日)は、日本のタイ語学研究者。東京外国語大学名誉教授。 1919年、広島県広島市生まれ。東京帝国大学を卒業。 太平洋戦争後の1950年、東京外国語大学インドシナ語学科助教授に就任。後に教授昇進。1983年に定年退官し、名誉教授となった。門下に岩城雄次郎がいる。 2002年10月2日、急性肺炎のため死去。
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山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 19… 山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。 滋賀県甲賀郡甲南町(現甲賀市)生まれ。本名、山本幹二。日本随筆協会、日本釣振興会、日本渓流釣連盟、各会員。 各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。 昭和40年代のツチノコブームの火付役で、田辺聖子の小説「すべってころんで」のモデルにもなった。天理教滋京分教会会長、ノータリンクラブ会長。
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重松 明久(しげまつ あきひさ、1919年4月26日 - 1… 重松 明久(しげまつ あきひさ、1919年4月26日 - 1989年4月4日)は、日本文化史の研究者。 大分県出身。1943年広島文理科大学国史学専攻卒業、1962年名古屋大学大学院博士課程修了、「日本浄土教成立過程の研究」で名大文学博士。福井大学教授、広島大学教授を経て、福山市立女子短期大学学長。主として浄土真宗の歴史を研究した。 1972年、丹羽文雄が連載中の『蓮如』に、重松の『覚如』からの盗用があるとして問題になったが、和解した。 息子はウォシュレット開発者の重松俊文。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2… 鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2010年9月1日)は、日本の近世文学・美術の研究者。白百合女子大学教授を歴任。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒。国立国会図書館司書監、白百合女子大学教授を歴任。浮世絵研究に始まり、晩年は曲亭馬琴の中期読本を編纂していた。1989年、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
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原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年… 原 二郎(はら じろう、1919年3月25日 - 2000年8月21日)は、日本の哲学研究者。 宮城県亘理郡生まれ。第二高等学校卒、1941年京都帝国大学経済学部卒、大阪商船入社。1942年応召、1944年召集解除、大阪商船退社、宮城県築館中学校嘱託、1949年東北大学法文学部哲学科卒、同大学院中退、東北大学教養部講師、1961年助教授、1965年教授。1982年定年退官、名誉教授となる。没する直前に、師の河野与一の新訂再刊も行った。
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小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
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細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
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池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日… 池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日本のギリシア哲学研究者。 東京市下谷区黒門町(現東京都台東区上野)出身。津田英学塾(現在の津田塾大学前身)、東京文理科大学哲学科選科を修了。田中美知太郎に師事。津田塾大学講師、筑波大学助教授をつとめた。筑波大学を定年退官後は、法政大学文学部哲学科及び人文科学研究科哲学専攻兼任講師をつとめた。 主な論文に「エウクレイデスの無理量について」、「ソポクレスの宗教性」がある。
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入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、… 入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、日本の都市計画および都市防災研究者。建設省建築研究所第1研究部長などを経て横浜国立大学工学部教授、日本都市計画学会会長、財団法人都市防災研究所理事長を歴任した。 1943年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。卒業論文は武藤清の指導による「耐弾床版に関する研究」で、卒業後は1941年に設立された内務省防空研究所に勤務した。この組織は1945年8月に内務省国土局分室に改組されたのち、1946年4月に大蔵省官房営繕課建築研究室、陸軍技術研究所等とともに新設の戦災復興院総裁官房技術研究所(所長:藤田金一郎)に統合された。 技術研究所では防火研究に従事していたが、技術研究所内に東大の同級生で陸軍に籍を置いていた日笠端らが組織した都市計画研究科に志願して移籍し、都市計画の研究に従事していく。
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鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9… 鈴木 照雄(すずき てるお、1919年 - 2008年5月9日)は、日本の哲学研究者、大阪市立大学名誉教授。ギリシア哲学専攻。プラトン「饗宴」の訳者である。 静岡県生まれ。1942年、京都帝国大学卒業、大学院修了。関西大学教授。大阪市立大学教授。1981年、定年退官、名誉教授、神戸学院大学教授。1988年、『ギリシア思想論攷』で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。1991年、神戸学院大特任教授。
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堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)… 堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)、1918年(大正7年)12月8日 - 2001年(平成13年)8月31日)は、東大寺の僧、職員、仏教学者、古文書研究者、大学講師・教授。東大寺史研究所長。 1918年(大正7年)12月8日、東大寺修二会の三役の一つの会計職などの「小綱」(しょうこう)を代々、務めてきた堀池家に長男として生まれる。1936年(昭和11年)3月、旧制奈良県立奈良中学校(現・奈良県立奈良高等学校)を卒業。同年4月6日、雲井春海東大寺管長のもと得度し、僧名を春峰とする。翌年2月に東大寺小綱職となり、1980年までほぼ毎年、同寺二月堂の修二会(お水取り)に42回参籠する。
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塚田 満江(つかだ みつえ、1918年11月19日 - 20… 塚田 満江(つかだ みつえ、1918年11月19日 - 2020年5月4日)は、日本の日本近代文学研究者。京都女子大学名誉教授。筆名・黒田しのぶ。 日本領朝鮮(現・北朝鮮)生まれ。立命館大学大学院日本文学専攻修了。朝鮮京城梨花女子高等女学校教諭、帰国後は京都女子大学教授、1989年定年、名誉教授となる。樋口一葉、半井桃水を研究した。
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福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 20… 福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 2001年12月20日)は、日本の中国学者・中国思想史研究者。京都大学名誉教授。老荘思想・道教研究の第一人者として知られる。 1918年、大分県下毛郡鶴居村大字高瀬(現:中津市)の農家に生まれた。大分県立中津中学校(現:大分県立中津南高等学校)を卒業し、広島高等師範学校(現:広島大学)文科第一部で学んだ。1940年、京都帝国大学文学部哲学科に入学し、支那哲学史を専攻した。1942年9月に卒業し、同大学大学院に入学。しかし、同年10月には大学院を休学し、現役兵として野砲兵第6連隊補充隊(熊本)に入隊。1944年に陸軍砲兵少尉、1945年に陸軍砲兵中尉。
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唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
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小泉 袈裟勝(こいずみ けさかつ、1918年3月10日 - … 小泉 袈裟勝(こいずみ けさかつ、1918年3月10日 - 1998年)は、日本の計量史研究者。度量衡、計測の研究に尽力した。 長野県北佐久郡浅科村(現佐久市)生まれ。1938年東京物理学校卒業。1939年商工省中央度量衡検定所に入所し、光波干渉式標準気圧計を開発、1968年工業技術院計量研究所第4部長となる。1971年退官とともに日本計量機器工業連合会常務に就任し、1976年同専務理事。1988年春、勲四等瑞宝章受勲。1992年「ものさし」で経済学博士(京都大学)。日本計量史学会副会長も務めた。
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室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、… 室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、日本の日本演劇・芸能研究者。金沢大学名誉教授、金沢女子大学名誉教授。1969年日本演劇学会河竹賞受賞、1992年勲三等旭日中綬章受章。 石川県金沢市育ち。1940年東京帝国大学文学部国文学科卒。金沢大学助教授、教授、Ⅰ975-76年大阪大学文学部教授を併任。1983年金沢大学名誉教授、金沢女子大学教授、1999年退任、名誉教授。1969年『金平浄瑠璃正本集』全3巻で日本演劇学会河竹賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
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佐藤 泰正(さとう やすまさ、1917年11月26日 - 2… 佐藤 泰正(さとう やすまさ、1917年11月26日 - 2015年11月30日)は、山口県出身の日本近代文学研究者・文芸評論家。学位は、文学博士(早稲田大学)。元梅光学院大学学長。 山口県生まれ。1934年(昭和9年)に山口県立豊浦中学校4年修了、第一早稲田高等学院を経て、1940年(昭和15年)に早稲田大学文学部卒業。早稲田大学より文学博士の学位を取得。 梅光女学院大学教授、副学長、学長を歴任。磯田光一を専任教員に迎えて大学院の設置に尽力し、詩人の北川透を客員教授に迎えるなどして、西日本における日本近代文学研究の拠点を作り、学長に就任した1972年から梅光女学院大学公開講座を行い、毎年論集を刊行した。
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宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2… 宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2005年4月1日)は、日本史学者、新井白石の研究者。 三重県尾鷲市出身。1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業、文学部大学院、文学部副手・助手を経て、1945年、弘前高等学校教授。1949年、弘前大学文理学部助教授。1961年、文学博士。1965年、弘前大学人文学部教授、1972年、岡山大学法文学部教授。1978年、國學院大學教授。1988年、定年退任、講師となる。1991年退任。1997年春、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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