有馬 洪(ありま こう、1917年8月22日 - )は、日本… 有馬 洪(ありま こう、1917年8月22日 - )は、日本の薬学研究者、経営者である。また、サッカー選手としてもプレーし、日本代表として1951年アジア競技大会など国際Aマッチ3試合に出場した。名前の読みを「ひろし」とする資料もある。 1941年3月、東京帝国大学医学部薬学科を卒業。 1947年3月、三共(現:第一三共)に入社。1969年12月に同社醗酵研究所の所長に就任。 1972年5月より同社取締役、1978年6月より同社常務取締役、1982年6月より同社監査役 をそれぞれ歴任した。なお、1990年を以て同社監査役を退任した。 東京帝国大学在学中はア式蹴球部に所属し、ハーフバックとしてプレー。
橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 199… 橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 1996年10月11日)は、滋賀県の民俗学者、地方史研究者。 滋賀県高島郡今津町(現高島市)生まれ。のち安曇川町(同)在住。1939年、関東局立旅順師範学校卒業。満洲・滋賀県で公立小・中学校の教諭、教頭、校長。滋賀県文化財保護審議会委員・副会長。 旅順師範学校在学中に柳田國男の著作に接し民俗学に開眼。戦後教職の傍ら県内での民俗調査を開始、再興直後の民間伝承の会や近畿民俗学会の会員となり成果を投稿、高島郡内の大将軍信仰の報告で柳田の激励を受ける。1959年、滋賀県臨時文化財専門員として木地屋の生活伝承の記録作成のため、「木地屋の本貫地」と称された永源寺町(現東近江市)蛭谷・君ヶ畑をはじめとして県内の木地屋伝承地の調査を実施、君ヶ畑では新たに「氏子狩帳」多数を確認した。
市川 正巳(いちかわ まさみ、1917年4月7日 - 199… 市川 正巳(いちかわ まさみ、1917年4月7日 - 1999年2月1日)は、日本の地理学者、水文学研究者、筑波大学名誉教授、兵庫教育大学名誉教授。位階は従四位。 秋田県に生まれ、秋田県師範学校から東京高等師範学校文科第4部に進み、1941年に卒業して滋賀県師範学校教諭となった。 1942年に二等兵として陸軍に召集され、終戦時には陸軍中尉となっていた。 戦後ただちに東京文理科大学理学部地学科地理学専攻に進んで、石川与吉に師事して自然地理学を学び、1949年に卒業し、大学院特別研究生として4年間在籍した後、1953年に東京教育大学理学部助手となった。 1961年5月には、「山地斜面の形態とその発達に関する地形学的研究」により、東京教育大学から理学博士を取得した。
青木 雄造(あおき ゆうぞう、1917年2月15日 - 19… 青木 雄造(あおき ゆうぞう、1917年2月15日 - 1982年7月4日)は、日本の英国小説研究者、東京大学名誉教授。 官吏であった父の赴任先の沖縄県で生まれる。旧姓は堀口。1939年に東京帝国大学英文科卒、翌年から四年間、軍隊生活を送る。その間、結婚し青木姓となった。43年、東亜研究所研究員を経て、1946年、東京産業大学予科講師、翌47年、一橋大学助教授、1953年に東大文学部英文科助教授、1965年に教授。1977年定年退官し名誉教授。明治学院大学教授になるも病気のため二年で退職。この間、文部省大学設置審議会専門委員、日本英文学会会長。 グレアム・グリーンやイヴリン・ウォーを中心とする現代イギリス小説に造詣が深い。
三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1… 三枝 康高(さいぐさ やすたか、1917年2月11日 - 1978年3月27日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家、元静岡大学教授。 神奈川県出身。静岡県立静岡中学校卒業。旧制姫路高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学文学部卒業。在学中に亀井勝一郎、太宰治と相知り、『日本浪漫派』に参加。創作・評論活動をおこない、戦後静岡大学教育学部助教授、のち教授。 1959年「日本浪曼派の運動」のほか、太宰、川端康成、三島由紀夫など昭和期作家、および国学の研究・評論に幅広く活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世… 森修(もり しゅう、1917年 - 1987年)は、日本近世文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1941年京都帝国大学国文科卒。大阪市立大学助教授、教授。1981年定年退官、光華女子大学教授。近松門左衛門を専門とした。
横道 萬里雄(横道 万里雄、よこみち まりお、1916年10… 横道 萬里雄(横道 万里雄、よこみち まりお、1916年10月12日 - 2012年6月20日)は、日本の能楽研究者、能作者、能演出家。東京芸術大学名誉教授。東京文化財研究所名誉研究員、文化功労者。 東京国立文化財研究所芸能部部長、東京芸術大学音楽学部教授、沖縄県立芸術大学附属研究所教授、沖縄県立芸術大学附属研究所所長などを歴任した。 東京府生まれ。暁星小学校・同中学校時代の同級生に柴田南雄がいる。東京高等学校を経て東京帝国大学理学部動物学科卒業後、1941年東京帝国大学文学部国文科卒業。 1953年東京文化財研究所芸能部文部技官となり、音楽舞踊研究室長、芸能部長。1964年表章との共編『謡曲集』により芸術選奨文部大臣賞受賞。
小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月2… 小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月20日 - 2000年(平成12年)5月24日) は、日本の文芸評論家、近代文学研究者。法政大学名誉教授。 1916年(大正5年)、東京都品川区生まれ。府立高等学校尋常科に入学する。1932年(昭和7年)、学内の共産党グループのキャップとして治安維持法違反で警視庁目黒署に逮捕され、15日間勾留された後、3ヶ月の停学処分を受ける。翌年、府立高等学校高等科に進学するも、再び治安維持法違反で逮捕され、75日間拘留される。「軽はずみでした、もうしません」と宣誓書を書いて転向し、起訴猶予処分で釈放され、高等学校から諭旨退学処分を受ける。1935年、学生運動に参加せず学業に専念することを条件として、法政大学予科に編入学を認められる。
小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(… 小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(大正5年)9月11日 - 2003年(平成15年)11月28日)は、日本の教育者、編集者、歴史研究者。東京都出身。 1916年(大正5年)9月11日、東京府北多摩郡東村山村(現:東京都東村山市)に小池喜八(東村山化成小学校の校長)とキク(または喜久)の長男として出生。1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校を卒業。小学校教師として東郷小学校に勤務する傍ら、法政大学高等師範部に通い、歴史や社会学の教科研究を続ける。太平洋戦争中は鷺宮国民学校(現:中野区立鷺宮小学校)に赴任し、福島県へ児童らと疎開した。 戦後は、東京都教育労働組合執行委員に選出され、書記局員を務めるが、1948年(昭和23年)にGHQから教職追放令が下ると公職追放となった。
宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年… 宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年11月27日)は、新潟県の地方史研究者。 新潟県長岡市出身。1939年東京帝国大学文学部国史学科卒。内務省、北方文化博物館、新潟県教育長などをへて、新潟大学講師。県文化財保護審議委員、良寛会常任委員長。
萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 19… 萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 1985年6月19日)は、日本の民俗学者、日本史研究者。 東京市深川区門前仲町生まれ。幼時受洗。1941年、東京文理科大学文学部国史学科卒業。1942年、国民精神文化研究所嘱託。1949年、東京学芸大学助教授を経て、1967年、明治大学文学部教授。1962年、博士論文「中世祭祀組織の研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 19… 太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 1999年7月6日)は、経営学者、寺田寅彦研究者。 静岡県生まれ。1938年名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)卒業。日立製作所に入社。1976年退社、日本大学経済学部教授。1986年定年、名古屋商科大学教授。1989年退任。1999年、くも膜下出血のため死去。 本業で多くの著書を著すかたわら、寺田寅彦などの科学者文学者の研究もおこなった。
大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 20… 大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 2003年2月19日)は、英語教育史の研究者、埼玉大学名誉教授。
水藤 春夫(みずとう はるお、1916年4月1日 - 199… 水藤 春夫(みずとう はるお、1916年4月1日 - 1991年)は、日本の児童文学者、児童文学研究者。 岡山県生まれ。1939年早稲田大学文学部卒業、中央公論社に入社、児童出版研究課員。48年退社。早大在学中から早大童話会に属し、岡本良雄、町本広、鈴木隆らとともに児童文学の創作、研究を行う。坪田譲治に師事し、「びわの実学校」同人。赤い鳥文学賞選考委員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 20… 木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 2008年4月)は、日本の近世文学研究者。大阪樟蔭女子大学名誉教授。「餘二稿」「餘二庵」「佐保之不貞祢」と号した。 兵庫県姫路市生まれ。1933年、姫路高等学校入学。1939年、京都帝国大学国文科卒業、同大学院に進学。1945年、天理図書館司書研究員。天理図書館の名物司書として名声が高かった。1976年、天理図書館を停年退職し、同年大阪樟蔭女子大学教授に就任。同大学図書館長を勤め、1986年定年退職、同大学名誉教授。 若い頃は俳諧関係の研究を中心に行い、晩年は曲亭馬琴を中心に研究した。『木村三四吾著作集』全4巻がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月… 大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月19日 - 1997年(平成9年)7月17日)は、日本の建築行政指導者、都市計画家、都市計画研究者、教育者。東京都首都整備局技監や東京理科大学教授を歴任した。 石川県金沢市に生まれる。旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学工学部建築学科に進学し、1938年(昭和13年)に優秀な成績で卒業する。当時の都市計画講座は内田祥三(のちに総長)の担当だった。卒業後は警視庁保安部建築課に就職し、都市計画の実務に入る。この就職には、都市計画講座に注力していた内田の薦めがあったともされる。 当時建築行政は警察業務として扱われており、東京府では警視庁が所管して市街地建築物法を執行していた。
恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年… 恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年8月24日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院(旧制)修了。明治薬科大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。没後宮沢賢治研究の業績に対して日本児童文学学会賞受賞。弟は画家の恩田秋夫。義兄は医学者の武重千冬。
川合 道雄(かわい みちお、1916年- )は、日本近代文学… 川合 道雄(かわい みちお、1916年- )は、日本近代文学・文化研究者、編集者。 京都府生まれ。川合信水(山月)の次男。早稲田大学文学部国文学科卒。博文館編集局、高校等に勤務の後、早稲田大学文学部非常勤講師。1977年国士舘短期大学教授、国士舘大学文学部教授、89年退職。早稲田大学国文学会名誉会員。
喜安 善市(きやす ぜんいち、1915年12月11日 - 2… 喜安 善市(きやす ぜんいち、1915年12月11日 - 2006年12月7日)は、日本の電子工学研究者。日本のコンピュータ研究における先駆者の一人とされる。日本電信電話公社電気通信研究所次長や、東北大学電気通信研究所教授、電子通信学会副会長、電子通信学会編集長などを歴任。 1939年、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後に逓信省電気試験所(のち、日本電信電話公社電気通信研究所、現・NTT武蔵野研究開発センタ)に入所。搬送用濾波器の研究に従事した。後年手がける自動ディジタル計算機は、この当時膨大な量の数値計算に苦労した経験がその発端となった。戦時研究員として飛行機の無線操縦の研究に携わった際にアナログ計算機に関心を抱いた。
楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 200… 楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 2000年4月8日)は、浄土真宗の僧、仏教研究者。 富山県小矢部市出身。1942年大谷大学宗教学科卒。寺僧を務めながら妙好人について研究。東京本願寺学院教授。1999年仏教伝道文化賞受賞。
浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 199… 浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 1990年7月17日)は、日本の音楽学者、民謡・歌謡研究者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1962年)(学位論文(「日本歌謡の研究」)。山形大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1941年東京文理科大学国文科卒、群馬県師範学校教諭、1943年群馬師範学校助教授、1947年教授、宮城県第二高等女学校教諭、1950年山形大学山形師範学校教授、山形大学教育学部助教授、1962年「日本歌謡の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1963年山形大学教授、1977年附属図書館長・評議員、1981年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 199… 草野 文男(くさの ふみお、1915年5月24日 - 1996年8月21日)は、中国研究者。 1915年、福島県いわき市で生まれた。法政大学に進学するが、1939年に中退。中央大学に移るが、1941年に中退。北京大学で学ぶが、中退。 その後、外務省に入省し、情報部、調査部、調査局で勤務。その後、拓殖大学政経学部助教授に転じた。1960年、学位論文『中共計画経済の実証的研究』を拓殖大学に提出して経済学博士号を取得。後に教授昇格。1987年に拓殖大学を退任し、名誉教授。となった。1996年8月21日、肺癌のため死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
瓜生 忠夫(うりゅう ただお、1915年(大正4年)5月6日… 瓜生 忠夫(うりゅう ただお、1915年(大正4年)5月6日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は日本の映画評論家とマスコミの研究者。東京帝国大学ドイツ文学科を卒業した後、日本映画社に入社。在学中は帝国大学新聞編集長を務めた。戦後は、映画評論やマスコミ研究に専念しながら、法政大学、明治大学、中央大学、専修大学の講師を務めた。共産党員であったため1950年にレッドパージを受ける。駅弁の研究者としても知られていた。
近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 19… 近藤 典生(こんどう のりお、1915年4月28日 - 1997年1月21日)は、日本の環境共生学者・研究者・指導者。探検家。専門は植物遺伝育種学などで、種無しスイカの生みの親でもある。三重県松阪市生まれ。 1915年、小津茂右衛門の次男として生まれる。は旧制津中学(現・三重県立津高等学校)を経て1939年、東京農業大学農学部農学科卒業。京都帝国大学農学部遺伝子研究室副手。1941年、財団法人木原生物学研究所所員。1944年同研究所主任。1948年、同研究所主任・京都大学副手を辞任、東京農業大学助教授就任。1950年、東京農業大学育種学研究所創設。1954年に農学博士。1957年、東京農業大学教授就任。
増田 冨寿(ますだ とみじゅ、1915年3月1日 - 198… 増田 冨寿(ますだ とみじゅ、1915年3月1日 - 1989年8月5日)は、近代ロシア経済史の研究者。早稲田大学名誉教授。 増田冨寿は、1915年(大正4年)に東京府東京市下谷区(現東京都台東区)に生まれ、早稲田大学文学部史学科に入学した。一年生の時に煙山専太郎の講義、二年生の時には浮田和民の「フランス革命史」の講義を聴き、両者から影響を受けた。「フランス大革命」のロシアへの影響を扱った卒業論文を提出し、主査を煙山、副査を浮田が務めた。さらに研究を進めたいと考えた増田は、政治経済学部に学士入学した。学士入学した増田は、講義よりも図書館で時間を過ごすことが多かったという。この頃に増田は、煙山専太郎の研究室において個人的に指導を受けたと記している。
楠瀬 正太郎(くすのせ まさたろう、1915年 <大正4年>… 楠瀬 正太郎(くすのせ まさたろう、1915年 <大正4年> 3月 - 1992年 <平成4年> 2月13日)は、日本の都市計画研究者。位階は従四位。 高知県出身。旧制第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)から第三高等学校を経て1940年に東京帝国大学工学部卒業。1961年工学博士(東京大学)。 建設省計画局、首都圏整備委員会事務局計画第一部第一調整官、新都市センター開発顧問、日本都市計画学会会長等を歴任し、戦災復興都市計画や筑波研究学園都市、多摩ニュータウンなどの計画に携わる。1992年死去。死没日付をもって従七位から従四位に進階。
名越 時正(なごや ときまさ、1915年(大正4年)1月 -… 名越 時正(なごや ときまさ、1915年(大正4年)1月 - 2005年(平成17年)10月11日)は、日本の近世思想研究者。専門は水戸学(徳川光圀の唱えた日本学)。彰考館総裁の名越克敏(南渓)の子孫である名越時孝(漠然)の孫であり、父は名越時中(陸軍少将)。 東京帝国大学で平泉澄に学び、その高弟として知られている。水戸市文化財審議会委員・茨城県文化財審議会委員。水戸史学会会長。日本学協会の設立準備委員会の理事。
井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1… 井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1994年)は、日本の国文学者・演劇研究者。専門は、日本近世文学・近世演劇。中世に興った地方芸能の調査研究も行った。 福岡市地行西町(現・地行)にある浄土真宗本願寺派浄満寺の住職井浦領順の二男として生まれる。1932年福岡県中学修猷館、1935年旧制福岡高等学校文科甲類、1938年東京帝国大学文学部国文学科卒業、同大学大学院に進学し、1939年3月、同大学文学部副手となり国文学研究室に勤務する。 1945年10月旧制弘前高等学校教授となり、1950年3月同校が弘前大学となると、同大学文理学部の教授に就任。1953年8月から1959年4月まで同大学評議員も務めた。
伊東 一夫(いとう かずお、1914年11月3日 - 200… 伊東 一夫(いとう かずお、1914年11月3日 - 2004年9月17日)は、日本近代文学研究者。主として島崎藤村や島木赤彦を研究し、島崎藤村学会会長、同名誉会長、島木赤彦研究会長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年、東洋大学文学部国文学科卒業、東洋大学文学部研究科に入学する。1941年、同文学部研究科を退学し、東洋大学文学部副手、冨山房の事務手伝い、日本文化協会研究員、旧制松本高等女学校(現・長野県松本蟻ヶ崎高等学校)教諭を兼職する。 1945年、長野県立諏訪中学校に転任。1956年、東洋大学文学部専任講師、1959年助教授、1969年教授。
井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 199… 井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年… 三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年4月7日)は教師、研究者。小学校、中学校の教員をしながら、1948年から始まった京都大学の宮崎県串間市幸島(発音は本により、コウシマと、コージマがある)のサルの研究に加勢した。三戸はサル全数の個体識別を行い、戸籍を作り、サルがイモを洗って食べる習慣の発生と伝達など発見し、サル学の発展に貢献した。1970年から1984年にかけて、京都大学霊長類研究所研究員になった。著書の名義では三戸サツエの表記も使われる。
杉本 尚雄(すぎもと ひさお 1914年4月16日 – 1… 杉本 尚雄(すぎもと ひさお 1914年4月16日 – 1970年8月10日 )は、日本の歴史研究者。 熊本県鹿本郡出身。1934年熊本師範学校を卒業し、1935年東京高等師範学校文科に入学。1938年に同校を卒業し、東京文理科大学国史学専攻に入学。1941年に同学を卒業。東京高等師範学校助教授などを経て、1944年東京第二師範学校教授。その後、熊本師範学校教授となり、1949年に熊本大学助教授、1960年に同教授。 専門は日本中世史で、武士団の祭祀組織や九州地方の宮座組織、肥後菊地氏の研究を進め、1961年「中世の神社と社領」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
嘉門 安雄(かもん やすお、1913年12月1日 - 200… 嘉門 安雄(かもん やすお、1913年12月1日 - 2007年1月5日)は、日本の西洋美術研究者、美術評論家。ブリヂストン美術館館長、東京都現代美術館長、全国美術館会議議長を務めた。 1913年、石川県生まれ。1937年、東京帝国大学文学部美術史学科を卒業。西洋美術史を専攻し、児島喜久雄の助手を務めた。 1947年より東京国立博物館で勤務。表慶館で開催されたマチス展、ブラック展、ルオー展などを担当した。1959年に国立西洋美術館が開館したことに伴い、異動。事業課長としてコレクションの収集、各種の展覧会開催に関わった。1964年には、第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展のコミッショナーを務めた。
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年… 内田祥文(うちだ よしふみ、1913年10月 - 1946年3月26日)は、日本の建築家、建築研究者、都市計画家、都市研究者。工学博士。戦時下で木造建築の防災などに、戦後は戦災都市復興に取り組んだが、急逝した。 東京市麻布区(現・東京都港区)にて建築家内田祥三(後に東京帝国大学総長)・みね子の長男として生まれる。 |旧制開成中学から日本大学予科を経て、1938年に日本大学工学部(現・日本大学理工学部・大学院理工学研究科)建築学科を卒業する。同1938年、東京帝国大学大学院に進学し、高山英華らと都市の研究を続ける。大学院在学中、東京帝国大学で助手をしていた経済学者•難波田春夫の思想に強い影響を受け国民住宅や労働者住宅などを計画した。
松浪 信三郎(まつなみ しんざぶろう、1913年8月18日 … 松浪 信三郎(まつなみ しんざぶろう、1913年8月18日 - 1989年9月2日)は、フランス哲学の研究・翻訳者。サルトル『存在と無』の翻訳で知られる。
横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日… 横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日 - 2005年10月15日)は、日本の近代中国思想研究者・教育学者。元八幡大学(現九州国際大学)学長。大分県中津市生まれ。魯迅、同郷の福沢諭吉研究の第一人者。 学外の役職として、中津市教育委員長、北九州市家庭教育調査委員長、福岡市中国研究センター理事長、福沢諭吉協会会長、九州大学講師、ケンジントン大学(日本校)客員教授等を務めた。 横松は研究対象である福沢諭吉と魯迅に「近代国家主義思想」と「近代的科学精神」という2つの共通の自己確認があると述べている。これは魯迅が東京に留学した経験等から、ある意味魯迅が福沢に影響され啓発された現れとも論じている。
猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年… 猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代日本文学研究者。 宮城県仙台市生まれ。東京府立第六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部国文科卒。在学中に立原道造らと『未成年』を創刊。戦後日本文学協会に属し、歴史社会学派の立場から日本近代文学の研究・評論を行った。1954年神戸大学助教授、1975年学習院大学教授。1984年定年退職。
横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 198… 横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 1989年11月29日)は、日本の芸能・演劇史研究者。 広島県福山市生まれ。1938年九州帝国大学文学部国文科卒、1944年京都帝国大学大学院退学。大阪学芸大学助教授、大阪教育大学教授。1962年「近世的性格に焦点をおいた浄瑠璃の史的研究」で大阪大学文学博士。78年定年退官、名誉教授。
和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月2… 和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月16日)は、日本近代文学研究者、歌人。 京都府京都市生まれ。立命館大学法文学部国文学科卒。立命館中学校教諭、立命館大学予科教授、1949年(昭和24年)立命館大学助教授、1956年(昭和31年)同大学教授。1976年「近代文学創成期の研究 リアリズムの生成」で立命館大文学博士。1979年退任、名誉教授、大谷女子大学教授。1983年退職。1985年、勲三等瑞宝章受章。1999年、肝臓癌のため死去。 歌誌『ポトナム』同人。筆名・周三。小泉苳三に師事。門下に上田博など。
北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - … 北御門 二郎(きたみかど じろう、1913年2月16日 - 2004年7月17日)は日本のレフ・トルストイ専門の翻訳家・文学研究者、農場経営者、平和主義者。トルストイの平和思想に共鳴し、農業を営みながら彼の作品を翻訳した。良心的兵役拒否をしたことでも知られる。
矢口 新(やぐち はじめ、1913年2月7日 - 1990年… 矢口 新(やぐち はじめ、1913年2月7日 - 1990年3月13日)は日本の教育研究者。 東京帝国大学文学部教育学科卒。中央教育研究所、国立教育研究所研究調査部第二研究室長を経て、1968年に財団法人能力開発工学センター設立。以後20数年に渡り、行動を通して行動能力を育てる独自の行動形成システムを実践的に研究。学校教育、産業教育の現場で、学習プログラム、構案教材、訓練シミュレータの開発とその教育実践を指導した。1990年現職(常務理事・所長)で、77歳にて逝去。 1913年、父の任地である朝鮮咸鏡北道新阿山にて出生。 1921年、父の死去により帰国し愛知県名古屋市に住む。東海中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部教育学科で学び、海後宗臣(当時、教育学科助教授)に師事する。
石塚 経雄(いしづか つねお、1913年1月12日 - 19… 石塚 経雄(いしづか つねお、1913年1月12日 - 1992年11月25日)は、日本の哲学研究者。 徳島県生まれ。1938年東京文理科大学哲学科卒。1975年「実存的人格主義と弁証法的自己否定の倫理 N・ベルジャーエフを巡って」で東京教育大学文学博士。静岡大学教養部助教授、65年教授。71年同附属図書館長、76年定年退官、名誉教授、浜松短期大学教授、学長。
宮武 正道(みやたけせいどう、1912年9月6日 - 19… 宮武 正道(みやたけせいどう、1912年9月6日 - 1944年8月16日)は、日本の言語研究者である。マレー語の専門家として知られる。大学の職は求めなかったものの、生家の経済力に支えられて一生を学問に費やし、自費出版を含む30冊以上の著書を出版した。正道(まさみち)と命名されたが、文筆活動に入る頃に同じ漢字で「せいどう」と名乗るようになった。 1912年、奈良県奈良市西御門町にて、製墨業を営む佐十郎、てるのもとに生まれる。奈良県師範学校附属の幼稚園、小学校を卒業したのち、1925年に奈良県立奈良中学校に入学。中学時代には、切手蒐集とエスペラントに熱中した。エスペラントは1年でマスターし、友人にも勧めていたという。
盛田 嘉徳(もりた よしのり、1912年7月30日 - 19… 盛田 嘉徳(もりた よしのり、1912年7月30日 - 1981年7月2日)は、芸能研究者、同和教育者・運動家。 富山県出身。1937年早稲田大学文学部国文科卒。大阪学芸大学助教授、1959年大阪教育大学教授。1976年「中世賤民と雜芸能の研究」で早大文学博士。1978年大阪教育大を定年退官、名誉教授。中世芸能史が専門。部落解放同盟の前身、解放委員会に創立当初から参画し、大阪府をはじめ各地方自治体の同和対策審議会委員を務める。同和教育の研究と実践を進め、1953年全国同和教育研究協議会幹事。1968年部落解放研究所(現部落解放・人権研究所)副理事長。1980年松本治一郎賞受賞。
茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1… 茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1998年6月25日)は、日本の古代哲学研究者。 山梨県甲府市出身。1938年東京帝国大学文学部哲学科卒。東洋高等学校講師、横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、校名変更で横浜市立大学教授となり、1978年定年退官、名誉教授、大正大学教授を務めた。アリストテレスやルキウス・セネカを専門とする。
牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) -… 牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) - 2011年(平成23年))は、日本の僧侶、中国仏教史研究者。 1912年、滋賀県岩根村(現・湖南市)で生まれた。生家は野洲市の浄土宗念仏寺。小学1年の時、京都の寺町乗願寺・岩井真亮の弟子となった。 佛教専門学校(現佛教大学)を卒業後、大谷大学文学部東洋史学科に進学し、1936年に卒業。京都帝国大学文学部東洋史選科に進み、1939年に修了した。 1942年、中国に渡り、上海東亜同文書院大学助手に就いた。戦後の1946年、東方文化学院京都研究所助手に採用された。同研究所が1949年に改組された後は後継の京都大学人文科学研究所教授となった。
清水 武夫(しみず たけお、1912年 - 2011年2月1… 清水 武夫(しみず たけお、1912年 - 2011年2月14日)は、日本の花火研究者。詩人の清水哲男・清水昶兄弟の父であり、また自身でも詩集を出した。