小塚 嗣彦(こづか つぐひこ、1946年11月6日 - )は… 小塚 嗣彦(こづか つぐひこ、1946年11月6日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手で、1968年グルノーブルオリンピック男子シングル日本代表。小塚崇彦は実の息子。 愛知県出身。早稲田大学卒。父は満洲国のフィギュアスケート王者であった小塚光彦。息子は2010年バンクーバーオリンピック男子フィギュアスケート代表、2011年世界選手権銀メダリストの小塚崇彦。妻はアイスダンス元国内トップクラス選手で現在はフリーコーチの小塚幸子というフィギュアスケート一家である。 嗣彦自身は父・光彦、佐藤信夫の母親、佐藤信夫から指導を受けた。 1994年、佐藤信夫の娘の佐藤有香が世界選手権(千葉市:幕張メッセ)で優勝した際には日本代表チームの監督を務めた。
城田 憲子(しろた のりこ、旧姓:湯沢、1946年7月4日 … 城田 憲子(しろた のりこ、旧姓:湯沢、1946年7月4日 - )は、元フィギュアスケート選手(アイスダンス、女子シングル)。元日本スケート連盟フィギュアスケート強化部長、1990年代から2000年代にかけ、日本スケート連盟フィギュアスケート強化部長として日本フィギュアスケート界の発展に寄与した。 立教大学文学部心理学科卒業。パートナーは松本宣久。妹は元フィギュアスケート選手である湯沢恵子。 アイスダンスの選手として1966年3月、同年11月の全日本選手権を連覇。競技引退後は審判の道に進み、ISUジャッジとして多くの国際大会に参加。日本国内の競技会でもテクニカルコントローラーや演技審判を務めた。
佐藤 久美子(さとう くみこ、旧姓・大川、1946年2月22… 佐藤 久美子(さとう くみこ、旧姓・大川、1946年2月22日 - )は、大阪府出身の女性フィギュアスケート選手で、現在はフィギュアスケートコーチ。1964年インスブルックオリンピック、1968年グルノーブルオリンピックフィギュアスケート女子シングル日本代表。大阪女学院高等学校、関西大学卒業。夫の佐藤信夫はフィギュアスケートコーチ、娘の有香はプロフィギュアスケーター、振付師、コーチ。 中学、高校時代より数多くのフィギュアスケート大会で活躍していた。その後、関西大学商学部に入学。後に夫となる佐藤信夫と共に日本人初のユニバーシアード優勝、二度の冬季オリンピック出場を果たし、世界フィギュアスケート選手権5位(当時の日本人選手最高位)を記録するなど、日本のフィギュアスケートに歴史を刻んだ。
福原 美和(ふくはら みわ、1944年12月13日 - )は… 福原 美和(ふくはら みわ、1944年12月13日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピック女子シングル日本代表。祖父は資生堂創業者の福原有信。現在はフィギュアスケートコーチ、早稲田大学スケート部フィギュア部門監督。 東京都大田区出身。森村学園高等部を経て早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、小学校2年生の時からスケートを始めた。福原の弁によれば、「親は最初はテニスをさせようと思っていたが、身体が小さくてラケットを振り回せないため、スケートをやることになった」との事である 。稲田悦子に師事し、全日本フィギュアスケート選手権で6回優勝、第37回から第41回まで5連覇を達成。
平松 純子(ひらまつ じゅんこ、旧姓:上野、1942年11月… 平松 純子(ひらまつ じゅんこ、旧姓:上野、1942年11月1日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)、フィギュアスケート審判員。国際スケート連盟理事、神戸薬科大学体育学教授を務めた。兵庫県出身。甲南小学校、甲南女子中学校・高等学校、関西学院大学文学部卒業。母は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった上野衣子。 フィギュアスケート選手であった母の影響で10歳よりフィギュアスケートを始める。稲田悦子にも師事。全日本フィギュアスケート選手権女子シングルで5度優勝(1956年-1959年、1961年)。国際大会では1957年世界フィギュアスケート選手権、1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピックに出場。
佐藤 信夫(さとう のぶお、1942年1月3日 - )は、日… 佐藤 信夫(さとう のぶお、1942年1月3日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)、フィギュアスケートコーチ。1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピック日本代表。1965年世界選手権4位、全日本選手権通算10回(10年連続)優勝。妻の佐藤久美子(旧姓・大川)、娘の佐藤有香ともにフィギュアスケート選手である。 大阪市出身。関西大学第一高等学校から関西大学に進む。大学卒業とともに競技を引退するつもりだったが、国土計画(現・プリンスホテル)のスケート経験者に声をかけられて入社し、スケートを続けた。尼崎にできた西武のボウリング場に勤めていたため、ボウリングが得意だという。
金子 恵以子(かねこ えいこ、1942年 -)は、日本の元フ… 金子 恵以子(かねこ えいこ、1942年 -)は、日本の元フィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは竹内己喜男。 1957年から1964年まで全日本選手権8連覇。1962年世界フィギュアスケート選手権日本代表。東京生まれ。日本体育大学卒。 スケートを始める前は、5歳からタップダンスを荻野幸久から学び、東宝のショーに出演していた。小学2年からスケートを始め、10歳から稲田悦子に師事する。 1957年、全日本ジュニア選手権女子シングルで優勝。同年、竹内己喜男とカップルを組み全日本選手権に出場し優勝。アイスダンスの初代全日本チャンピオンとなる。その後、1964年まで全日本選手権で8連覇を達成する。
別所 純子(べっしょ じゅんこ、旧姓:出光、1938年5月2… 別所 純子(べっしょ じゅんこ、旧姓:出光、1938年5月28日 - 2019年5月22日)は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは夫の別所敬之。1964年全日本フィギュアスケート選手権優勝。お茶の水女子大学附属小学校、お茶の水女子大学附属中学校、お茶の水女子大学附属高等学校、お茶の水女子大学出身。 父は出光興産創業者の出光佐三。兄は出光興産第5代社長の出光昭介。出光興産第2代社長の出光計助は叔父。出光興産第4代社長の大和勝、出光興産第6代社長の出光裕治、出光豊、出光昭、出光芳秀は従兄。 1959年、別所敬之とカップルを組み、全日本選手権に出場し金子恵以子/竹内己喜男組に次いで2位に入る。
都築 章一郎(つづき しょういちろう、1938年 1月5日 … 都築 章一郎(つづき しょういちろう、1938年 1月5日 - )は、日本の男性フィギュアスケート選手。現在はフィギュアスケートコーチ。愛知県名古屋市出身。日本大学卒業。娘は元アイスダンス選手の都築奈加子。 1958-1959年シーズンの全日本ジュニア選手権で初の表彰台となる3位、翌1959-1960年シーズンの全日本ジュニア選手権で優勝を果たした。1963年の大学を卒業とともに引退し、のちに指導者の道へ進んだ。 指導者に転進後は、1964年に稲田悦子や片山敏一らとともに日本フィギュアスケーティングインストラクター協会を設立した。日本オリンピック委員会指定コーチやプリンスホテルの専任コーチとなり、大学の後輩でもある佐野稔や五十嵐文男、渡辺しのぶ、岡部由紀子、娘の都築奈加子、在日朝鮮人である金妙実、川崎由紀子&アレクセイ・ティホノフペアらを指導した。
小林 正水(こばやし まさみ、1936年2月18日 - 没年… 小林 正水(こばやし まさみ、1936年2月18日 - 没年不明)は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル、ペアスケーティング-)。パートナーは下平澄子。現在の東京都中央区月島出身。明治大学卒業。 1947年、全日本ジュニア選手権に出場し優勝する。1949年、全日本選手権に出場し、酒井克己に続き2位に入る。その後、1950年の全日本選手権では有坂隆祐、塩田直重に続き3位、1952年の全日本選手権でもジャック・B・ジョスト、塩田に続いて3位に留まった。 1953年、全日本選手権で念願の初優勝を果たす。1954年、国民体育大会に親の出身地である長野県代表として出場し、一般男子で優勝。同大会で長野県が優勝するのは初の快挙である。
徳江 京子(とくえ きょうこ、1935年 - )は日本の元フ… 徳江 京子(とくえ きょうこ、1935年 - )は日本の元フィギュアスケート選手。ローラースケート選手。専修大学卒。兄はフィギュアスケート選手の徳江洋。 満洲新京生まれ。スケートは家の庭でリンクを作り練習した。戦後の昭和21年10月に満州より引き揚げてきた。一家は栃木県日光市に住む。 フィギュアスケート競技では、小学生6年の12歳のとき1947年の第15回全日本選手権兼第1回国体に宮城県代表で出場し、3位となる。 1954年(昭和29年)、ローラースケート競技に転向する。1956年の第4回の全日本フィギュア選手権大会から5年連続で1位となる。1956年の全日本選手権では、女子1名の参加であったが、総得点は男子1位を上回った。
竹内 己喜男(たけうち みきお、1934年2月22日 - 2… 竹内 己喜男(たけうち みきお、1934年2月22日 - 2013年5月)は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは金子恵以子。アイスダンスのフィギュアスケート審判員。 1957年から1964年まで全日本選手権アイスダンス8連覇。1962年世界フィギュアスケート選手権で17位。息子にはフィギュアスケート選手の竹内光明、竹内義明がいる。明治大学卒業。 1954年、全日本ジュニア選手権男子シングルに出場し、大橋和夫に次いで2位となる。 1957年、金子恵以子とカップルを組み全日本選手権に出場し優勝。アイスダンスの初代全日本チャンピオンとなる。その後、1964年まで全日本選手権で8連覇を達成する。
久永 勝一郎(ひさなが かついちろう、1931年 - )は、… 久永 勝一郎(ひさなが かついちろう、1931年 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。フィギュアスケート審判員。実業家。元日本スケート連盟会長。元国際スケート連盟副会長。元日本メディセル社長。元日本レダリー社会長。 鹿児島県鹿児島市出身。選手時代は1952年の全日本ジュニア選手権で3位に入る等の成績を残した。1955年、明治大学商学部卒業。 選手引退後は、外資系製薬会社に就職するとともに日本スケート連盟に所属し、フィギュアスケートの国際審判員を務める傍ら1988年のカルガリーオリンピック日本選手団監督、1992年のアルベールビルオリンピック日本選手団本部役員などを歴任した。
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19… 山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19日 - 2021年2月12日)は、日本のフィギュアスケート選手、コーチ。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)、関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表の山下一美(現姓・大西)。 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。
加藤 礼子(かとう れいこ、1925年 - )は、日本の元フ… 加藤 礼子(かとう れいこ、1925年 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会名誉会員。大東文化大学名誉教授。早稲田大学文学部卒業。大阪府出身。 大阪府出身。早稲田大学文学部卒業。 1948年の第16回全日本選手権で丹羽芳子、生田艶子に続き3位に入った。1951年の第19回全日本選手権で4位となり、このシーズンで引退し、プロフィギュアスケータとなった。1953年11月には、現在も欧米を中心に人気を博しているプロフィギュアスケートショー「ホリデー・オン・アイス」に入団し、東洋人としてはじめてプリンシパルとして参加した。 1954年1月からはアイスショーの欧米巡業に参加し、1955年1月に帰国。
稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003… 稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003年7月8日)は、日本の女性フィギュアスケート選手、コーチ。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックのフィギュアスケート競技女子シングル日本代表。戦前、戦後合わせて全日本選手権7回優勝。日本の女子フィギュアスケートの先駆者でもあった。大阪府大阪市出身。梅花高等女学校卒業。 1924年(大正13年)、大阪の稲田時計店の末娘として生まれた。1932年(昭和7年)、8歳のときから永井康三にスケートの指導を受け、才能を開花させた。1933=1934年、全日本ジュニア選手権優勝。1934~1935年、全日本選手権優勝した。1935年11月の日本代表選考会で、総得点1745.3点で2位の東郷球子を300ポイント以上引き離して優勝した。
瀧澤 甲子彦(たきざわ かしお、1924年(大正13年) -… 瀧澤 甲子彦(たきざわ かしお、1924年(大正13年) - ?)は、日本のフィギュアスケート選手(ペアスケーティング・男子シングル)。パートナーは西邑二三子。元日本スケート連盟理事。1995年全日本フィギュアスケート選手権優勝。新潟県出身。慶應義塾大学卒業。 新潟県出身。1935年、小学校5年生のときにスケートを始める。1945年9月、慶應義塾大学卒業。1947年、全日本ジュニア選手権の男子シングルで小林正水に続いて2位に入る。1955年には西邑二三子とカップルを組み、全日本選手権のペア競技に出場し全日本初代チャンピオンに輝いた。1956年に選手を引退する。 引退後は東京とスケート連盟のフィギュア部長、日本スケート連盟のフィギュア普及部長、理事などを歴任。
上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日… 上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日 - 2013年12月5日)は、日本のフィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公式審判員、日本スケート連盟審判部長。大阪市出身。神戸女学院大学卒。長女は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった平松純子(旧姓:上野)である。 稲田悦子、山下艶子と同じく永井康三に師事した。1934-1935年シーズンに行なわれた第6回全日本ジュニア選手権で優勝。1936-1937年シーズンの第8回全日本選手権と1937-1938年シーズンの第9回全日本選手権でともに稲田悦子、月岡芳子に次ぐ3位、1938-1939年シーズンの第10回全日本選手権で2位となった。
有坂 隆祐(ありさか りゅうすけ 「たかひろ」とも、1917… 有坂 隆祐(ありさか りゅうすけ 「たかひろ」とも、1917年9月15日 - 1986年11月27日)は、東京府出身の男性フィギュアスケート選手、指導者。戦前から戦後にかけて全日本選手権を5度優勝した。明治大学卒。 幼時に北海道札幌市に移る。小学校4年の時にスケートを始め、札幌商業学校入学後に、アイスホッケーからフィギュアに転向。その後北海中学に移り、有望選手として注目される。1935年明治大学に入学し、1935-1936年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝するが、翌年右足首を骨折する。その後再起し、1939-1940年シーズンに全日本選手権で初優勝。以後、戦時中止を挟みながらも、全日本選手権で4連覇し、1950-1951年シーズンの全日本選手権では5度目の優勝を果たした。
小塚 光彦(こづか みつひこ、1916年(大正5年) - 2… 小塚 光彦(こづか みつひこ、1916年(大正5年) - 2011年(平成23年)7月26日)は、日本のフィギュアスケート選手。 「フィギュア王国」愛知県の基礎を築いた。長男はグルノーブルオリンピック男子フィギュアスケート代表の小塚嗣彦、孫はバンクーバーオリンピック男子フィギュアスケート代表、2011年世界選手権銀メダリストの小塚崇彦。 愛知県名古屋市生まれ。学業を終え満州に渡り、満州国協和会の保安部警務司のカメラマンとなる。撮影に訪れた新京の児玉公園(いまの勝利公園)で撮影モデルに頼んだ少女スケーターと出逢ったことがきっかけでフィギュアスケートを知り、自らもスケートを始める。その後、フィギュアスケート選手中村公正と知己となったことで練習に励み、満州では中村とともに優れた成績を収めるほどになった。
渡邊 善次郎(わたなべ ぜんじろう、1914年5月11日 -… 渡邊 善次郎(わたなべ ぜんじろう、1914年5月11日 - 1998年6月22日)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学経済学部卒業。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没… 長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没年不詳)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学法学部卒業。 1932-1933年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権と翌1933-1934年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権で3位、第6回大会では2位となった。 1935-1936年シーズン、ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック日本代表に選出され、同じく代表となった片山敏一、老松一吉、渡辺善次郎、稲田悦子ら4人とともに欧州遠征を行った。ベルリンで行われた1936年ヨーロッパフィギュアスケート選手権には片山、老松、稲田とともにエントリーをしたが棄権。
片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年… 片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年不明)は、元フィギュアスケート選手でのちにコーチ。関西学院大学出身。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
老松 一吉(おいまつ かずよし、おいまつ かずきち、1911… 老松 一吉(おいまつ かずよし、おいまつ かずきち、1911年(明治44年)10月30日 - 2001年(平成13年)3月24日)は、日本の男性フィギュアスケート選手。富山県東礪波郡出町(現・砺波市)出身。1932年レークプラシッドオリンピック、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは日本選手団の旗手。日本初のフィギュアスケートのオリンピック代表選手の一人。 中学2年の時、大阪でスケートを始める。1930年(昭和5年)、第1回全日本選手権に最年少で出場し5位に入る。翌1931年、第2回全日本選手権では優勝する。1932年(昭和7年)には北米に遠征し、1932年レークプラシッドオリンピックで9位、世界選手権で7位となった。
北川 静二(きたがわ せいじ、男性、1910年2月9日 - … 北川 静二(きたがわ せいじ、男性、1910年2月9日 - 1997年4月19日)は、日本のフィギュアスケート選手(シングル)。指導者。滋賀県出身。1935年全日本フィギュアスケート選手権優勝。 八幡商業学校卒。銀行勤務の傍らフィギュアを始め、1933年関西フィギュアスケート選手権大会で優勝。 1935年度の第7回全日本選手権では、前回王者・片山敏一のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック参加による欠場はあったものの、見事優勝を果たす。 また、妻の政子をパートナーに、日本アイスダンスの草分けとしても知られた。 戦後は京都府スケート連盟初代会長・日本スケート連盟理事・国際公認審判員などを務める傍ら、政子とともに後進育成に尽力する。
帯谷 竜一(おびたに りゅういち、古い資料では「帶谷龍一」。… 帯谷 竜一(おびたに りゅういち、古い資料では「帶谷龍一」。1908年9月4日 -没年不明 )は、日本の男性フィギュアスケート選手。1932年レークプラシッドオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学経済学部卒業。兵庫県出身。 オリンピック出場のため1932年の全日本選手権には出場していない。
久保 信(くぼ まこと、1903年8月19日 - 1991年… 久保 信(くぼ まこと、1903年8月19日 - 1991年6月29日)は、日本の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。北海道出身。明治大学政治経済学部卒。 第1回全日本選手権(1929年度)の優勝者である。 札幌商工会議所会頭を務めた久保兵太郎の三男として北海道に生まれる。札幌商業学校時代の1923年、日本スケート会(日本スケート連盟の前身の一つ)主催のフィギュアスケート選手権に出場。明治大学に入学し、1926年から1930年(1927年は中止)まで日本学生氷上競技選手権(インカレ)で4大会連続2位となる。同大会の1928年から1930年までの優勝者は、金子諭吉(慶大)であった。 1929年のフィギュアスケート選手権(日本スケート会主催)では、金子を抑えて優勝する。
荒川 静香 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)… 荒川 静香 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。神奈川県鎌倉市出身。マネジメントはユニバーサルスポーツマーケティング「USM」在籍。
村主 千香 は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル… 村主 千香 は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)、プロフィギュアスケーター、フィギュアスケートコーチ、解説者。
小笠原 牧子(おがさわら まきこ)は、日本の元フィギュアスケ… 小笠原 牧子(おがさわら まきこ)は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティング)。青森県八戸市出身。八戸工業大学第一高等学校、八戸大学卒業。元パートナーは兄の小笠原健雄。 1998年全日本フィギュアスケートジュニア選手権優勝。1999年、2000年全日本フィギュアスケート選手権優勝。 青森県八戸市出身。八戸GOLD FSCに所属していた。八戸工業大学第一高等学校、八戸大学卒業。 1998年、全日本ジュニア選手権で初優勝。1999年、初出場となった全日本選手権で優勝。2000年、全日本選手権で二連覇を果たす。 2001年、全日本選手権で川口悠子/A・マルクンツォフに次いで2位。2002年も同大会で2位となった。
廣谷 帆香(ひろたに ほのか、英語: Honoka Hiro… 廣谷 帆香(ひろたに ほのか、英語: Honoka Hirotani )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。青森県出身。岩手大学 人文社会科学部在学中。
竹田 正徳(たけだ まさのり)は、日本のフィギュアスケート選… 竹田 正徳(たけだ まさのり)は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは鹿毛みさ。全日本フィギュアスケート選手権優勝3回(1974年、1975年、1976年)。1977年世界選手権代表。岩手県出身。 岩手県出身。岩手県立盛岡第三高等学校卒業。 1973年、鹿毛みさとカップルを組み全日本ジュニア選手権で2位に入る。1974年、全日本選手権で初優勝し、それ以降も1976年まで、同大会で3連覇を果たす。1977年、日本で開催された世界選手権に出場。
種田 久美子(たねだ くみこ)は、日本のフィギュアスケート選… 種田 久美子(たねだ くみこ)は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。宮城県出身。東北高等学校、東北福祉大学卒業。選手時代は勝山フィギュアクラブに所属。 1995-96シーズン、全日本ジュニア選手権で荒川静香、村主章枝に続いて3位に入る。1996-97シーズン、ネーベルホルン杯で8位、サンジェルヴェ国際で9位となる。トリグラフトロフィーではジュニアクラスで優勝する。 1997-98シーズン、JSウクライナ記念に出場し3位に入る。1998-99シーズン、初出場となった全日本選手権で6位と健闘した。また国民体育大会においては1996年と1997年に少年女子で優勝、1999年に成年女子で優勝を果たす。
いしだ あゆみ は、日本の歌手・俳優・フィギュアスケート選手… いしだ あゆみ は、日本の歌手・俳優・フィギュアスケート選手。イザワオフィス所属。大阪府池田市出身。本名・旧芸名:石田 良子。
浅田 真央 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)… 浅田 真央 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)、プロフィギュアスケーター、フィギュアスケートコーチ。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。世界選手権3度優勝、グランプリファイナル4度優勝、四大陸選手権3度優勝、全日本選手権6度優勝。
村上 佳菜子 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル… 村上 佳菜子 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)、プロスケーター、解説者、タレント。2014年ソチオリンピック日本代表(12位)。愛知県名古屋市出身。中京大学卒業。
澤田 亜紀 は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル… 澤田 亜紀 は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2005年ISUジュニアグランプリファイナル2位。2007年四大陸フィギュアスケート選手権4位。現在は関西大学アイススケート部で長光歌子のアシスタントコーチを務める。
三浦 璃来 は、日本のフィギュアスケート選手(ペア、女子シン… 三浦 璃来 は、日本のフィギュアスケート選手(ペア、女子シングル)。2026年ミラノ・コルティナオリンピックペア日本人初金メダリスト。2022年北京オリンピック日本代表。パートナーは木原龍一。元パートナーは市橋翔哉。
坂本 花織 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)… 坂本 花織 は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2022年北京オリンピック個人戦銅メダリスト、団体戦銀メダリスト。2026年ミラノ・コルティナオリンピック個人戦、団体戦銀メダリスト。世界選手権3連覇を含む優勝4回(2022年、2023年、2024年、2026年)、2023年グランプリファイナル優勝、2018年四大陸選手権優勝。
小川 勝 は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手。198… 小川 勝 は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手。1984年サラエボオリンピック男子シングル日本代表。歯科医師。
柏木 深幸(かしわぎ みさち、英語: Misachi Kas… 柏木 深幸(かしわぎ みさち、英語: Misachi Kashiwagi)は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。関西大学卒業。1989年ピルエッテン3位。コーチは石田治子。大阪府出身。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
河合 雅子(かわい まさこ)は、日本のフィギュアスケート選手… 河合 雅子(かわい まさこ)は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。現在はフィギュアスケートのテクニカルスペシャリスト。千葉県松戸市出身。清泉女子大学卒業。1986年世界ジュニア選手権代表。 1980年、全日本ジュニア選手権で3位に入る。その後、同大会では1984年に青谷いずみ、柏原由起子に続き3位、1985年は浅沼まりに続いて2位に入る。初出場となった1986年の世界ジュニア選手権では9位となった。1987年、国民体育大会に千葉県代表で出場し、少年女子で優勝する。 引退後はISUテクニカル・スペシャリスト(2003-2004シーズンから採用された新採点システムで設けられた国際スケート連盟公認の技術審判)を務めている。
浅沼 まり(あさぬま まり)は日本の元フィギュアスケート選手… 浅沼 まり(あさぬま まり)は日本の元フィギュアスケート選手。同志社大学卒業。 1982年の第50回全日本ジュニア選手権で1位。翌年の第51回全日本ジュニア選手権でも1位となる。その後国際大会では1986年の世界ジュニア選手権で5位、1988年のNHK杯で9位。 1990年-1991年シーズンのNHK杯で7位、第59回全日本選手権で2位となる。1991年3月の世界選手権では伊藤みどり、八木沼純子と共に出場し、14位に入った。 1992年のアルベールビルオリンピック、1994年のリレハンメルオリンピック代表選出を目指したが叶わず、1993年-1994年のシーズン限りに現役引退した。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。
小林 真理(こばやし まり)は、日本のフィギュアスケート選手… 小林 真理(こばやし まり)は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。東京都出身。同志社大学卒業。1989年、1990年、1991年世界ジュニア選手権代表。 1987年、全日本ジュニア選手権に出場し柏原由起子、八木沼純子に続いて3位に入る。1998年の全日本ジュニア選手権でも佐藤有香、八木沼に続いて2年連続で3位となる。 1989年、全日本ジュニア選手権で佐藤に続き2位となり、1989年世界ジュニア選手権代表に選出される。初出場となった世界ジュニア選手権では16位に終わる。1990年、全日本ジュニア選手権で井上怜奈、川崎由紀子に続いて3位となるも、2年連続で世界ジュニア選手権に選出が決まる。
小笠原 健雄(おがさわら たけお)は、日本の元フィギュアスケ… 小笠原 健雄(おがさわら たけお)は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティング・男子シングル)。青森県八戸市出身。日本大学卒業。元パートナーは妹の小笠原牧子。 1998年全日本フィギュアスケートジュニア選手権優勝。1999年、2000年全日本フィギュアスケート選手権優勝。 青森県八戸市出身。八戸GOLD FSCに所属していた。日本大学卒業。 1995年から1999年までは全日本フィギュアスケート選手権で男子シングルに出場していた。 1998年、小笠原牧子とのペアで出場した全日本ジュニア選手権で初優勝。1999年、全日本選手権をペアで優勝。2000年、全日本選手権で二連覇を果たす。 2001年、全日本選手権で川口悠子/A・マルクンツォフに次いで2位。
萩原 恭子(はぎわら きょうこ)は、日本の元フィギュアスケー… 萩原 恭子(はぎわら きょうこ)は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティング)、フィギュアスケートコーチ。パートナーは尾崎久郎、村田澄夫。 1975年から1978年まで全日本フィギュアスケート選手権4連覇。1976年ネーベルホルン杯3位。1977-1979年世界フィギュアスケート選手権日本代表。日本大学卒業。 1975年、全日本ジュニア選手権の女子シングルで3位、村田澄夫と組んだペアで優勝した。また、1977年まで全日本選手権で3年連続優勝する。 1976年に出場したネーベルホルン杯では3位に入り、同大会のペアスケーティングでは日本人として初めて表彰台に立った。1977年に東京で開催された世界選手権に出場し13位となった。
湯沢 恵子(ゆざわ けいこ)は、日本の元フィギュアスケート選… 湯沢 恵子(ゆざわ けいこ)は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。東京都出身。法政大学卒業。元日本スケート連盟フィギュア強化部長城田憲子は実姉である。 1968年に東京都で行われた第37回全日本選手権で山下一美、宮川恵子に続き3位となる。その3年後の1971年に北海道札幌市で行われた第40回全日本選手権でも山下一美、武山修子に続き3位。 1972年、ユニバーシアード大会で6位。1972年、大阪府で行われた第41回全日本選手権でも渡部絵美、大橋美和子に続き3位。結局、全日本選手権で3位以上に入ることなく引退する。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
相吉 学(あいよし がく)は、日本のフィギュアスケート選手(… 相吉 学(あいよし がく)は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。千葉県出身。明治大学卒業。1992年全日本ジュニア選手権優勝。世界ジュニア選手権代表(1991年、1992年、1993年)。 1989年、全日本ジュニア選手権で小山朋昭、及川史弘に続いて3位に入る。1990年、全日本ジュニア選手権で及川に続いて2位に入り、世界ジュニア選手権に選出される。初出場となった世界ジュニア選手権では12位に終わる。 1991年、全日本ジュニア選手権で及川、天野真に続き3位に入り、2度目の出場となった世界ジュニア選手権では昨年と同じ12位となった。国民体育大会では千葉県代表で出場し、少年男子で優勝する。
青谷 いずみ(あおたに いずみ)は、日本の元フィギュアスケー… 青谷 いずみ(あおたに いずみ)は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。佐賀県出身。姉は元フィギュアスケート選手で全日本選手権でもメダルを獲得したことのある青谷めぐみ。明治大学卒業。 1980年3月、第48回全日本ジュニア選手権で伊藤みどり、結城幸枝に続き3位に入る。1984年、第52回全日本ジュニア選手権でも昨年と同様に伊藤、結城に続き3位だった。 1984年、第53回全日本ジュニア選手権で初優勝を果たす(2位は柏原由起子、3位は河合雅子)。同年、初出場となった世界ジュニア選手権では6位と健闘する。 1989年、1990年の全日本選手権では、ともに4位となり3位入賞はできなかった。
佐野 裕見(さの ひろみ)は、日本のフィギュアスケート選手(… 佐野 裕見(さの ひろみ)は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。埼玉県出身。明治大学卒業。選手時代は新松戸DLLアカデミーに所属していた。1996年全日本フィギュアスケート選手権3位。現在は2014年にオープンした埼玉アイスアリーナでフィギュアスケート教室のコーチをしている。 1996-97シーズン、全日本選手権に出場し伊藤みどり、横谷花絵に続き3位に入る。1997年の国民体育大会では埼玉県代表として出場し、成年女子で優勝する。 1997-98シーズン、スパルカッセン杯で11位、全日本選手権では5位となる。ユニバーシアードでは4位に入った。 この項目は、フィギュアスケートに関連した書きかけの項目です。