町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 20… 町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 2010年)は、日本の女優である。本名は橋本 博子(旧姓小町谷)。特技は日本舞踊、東北弁、ピアノ。 1924年(大正13年)10月25日、東京府南多摩郡町田町原町田に生まれる。 1939年(昭和14年)、町田尋常高等小学校(現在の東京都立町田高等学校)を卒業。同年4月、日活多摩川演技研究所に4期生として入所し、翌1940年(昭和15年)12月、日活多摩川撮影所が製作した山本弘之監督映画『生活の歓び』で映画初主演。1942年(昭和17年)、戦時統制に伴う企業統合で大映に移籍し、後に大映芸能挺身隊に加入して全国を慰問する。 第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)、伊賀山正徳監督映画『海の呼ぶ声』で復帰して以来、大映の専属女優として活躍。
東 恵美子(あずま えみこ、1924年10月19日 - 20… 東 恵美子(あずま えみこ、1924年10月19日 - 2010年1月8日)は、日本の女優。父は浪曲師の東武蔵。 東京府(現・東京都)出身。日本女子神学専門学校卒業。NHK東京放送劇団を経て、1948年、劇団俳優座に入団したが、1954年に山岡久乃、初井言榮らとともに俳優座を脱退して劇団青年座を結成。以後、青年座の中心メンバーとして活動するかたわら、テレビ、映画でも主に脇役として活躍。 1978年、『白い巨塔』で東貞蔵教授夫人・東政子に扮し、鼻持ちならない上流夫人を演じ切ったことで有名(2003年にリメイクされた『白い巨塔』では高畑淳子が演じた)。 夫は社会心理学者の南博。2人の夫婦関係は「夫婦別姓の草分け」「自由結婚」「別居結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」と呼ばれ、マスコミなどでも話題となった。
乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 199… 乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 1994年12月22日)は、日本の女優。本名:新藤信子(旧姓:加治)、愛称は「オカジ」(旧姓より)。 鳥取県西伯郡米子町(現:米子市)西倉吉町に生まれる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。 小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになる。 1937年(昭和12年)、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学。宝塚歌劇団27期生。同期生に越路吹雪、浦島千歌子、瑠璃豊美、東郷晴子、月丘夢路、大路三千緒らがいる。この芸名は養母が信仰する新興宗教の教師が命名した。
丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6… 丹阿弥 谷津子(たんあみ やつこ、1924年〈大正13年〉6月25日 - )は、日本の女優。東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)出身。本名:金子 谷津子、旧姓:丹阿弥。身長157cm、血液型はO型。村上事務所所属。父は日本画家の丹阿弥岩吉、妹はメゾチント作家の丹阿弥丹波子。夫は金子信雄(1995年、死別)。 1937年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。東京府立第十高等女学校卒業。1942年、文化学院文学部卒業。1942年文学座研究生となる。同年「富島松五郎伝」で初舞台。1945年新劇合同公演「桜の園」のアーニャ役で注目され、以後「シラノ」のロクサーヌ、「マリウス」のファニーなど美貌と演技をかね備えた女優としての地位を確立。
三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31… 三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 1986年〈昭和61年〉4月24日)は日本の女優。北海道夕張市出身。本名同じ。 日本大学芸術科(現・日本大学藝術学部)中退。太平洋戦争の戦時中当時は瑞穂劇団に参加し所属。 1971年に俳優座を退団。フリーとなって商業演劇、映画やテレビドラマに多く出演。脇役・老け役としての実力は高く評価された。1986年4月24日、胃癌のため死去。62歳没。 親類に作家の橘善男がおり、2001年に三戸部の半生を題材にした「小説俳優座―わざおぎ狂乱」(鳥影社)を出版している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
淡島 千景(あわしま ちかげ、本名:中川 慶子、1924年〈… 淡島 千景(あわしま ちかげ、本名:中川 慶子、1924年〈大正13年〉2月24日 - 2012年〈平成24年〉2月16日)は、日本の元女優。愛称は「おけいちゃん」「けいちゃん」(本名の慶子から)。 宝塚歌劇団出身で在籍時は娘役スターとして活躍した。宝塚歌劇団29期生。芸名は百人一首の源兼昌の「淡路島 かよふ千鳥の なく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」から。 弟はSteve Nakagawa名義でアメリカのハンナ・バーベラ・プロダクションやランキン・バス・プロダクションで活躍したアニメーターの中川雄策。 東京府出身。実家はラシャを扱うお店で日本橋に出店、自宅は大森にあった。自宅近くには蒲田撮影所があった。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日… 荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日本の女優。本名は荒木美代子。旧芸名、忍 美代子。京都府京都市出身。父親は荒木忍。血液型はA型。松竹芸能所属。元新春座座員。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ… 沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子
井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 20… 井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 2012年10月4日)は、日本の女優。一ツ橋家政女学校卒業。本名は野中 敏子(のなか としこ)。 1940年、松竹に入り、同年、河野敏子の芸名で『絹代の初恋』で映画デビュー。戦後、井川邦子と改名し、木下惠介、小津安二郎など巨匠の作品に数多く出演。中でも『わが恋せし乙女』『結婚』『肖像』『カルメン故郷に帰る』など木下作品に次々と出演し、木下学校の優等生としてスターの道を歩んだ。1960年の『笛吹川』を最後に映画界を離れ、その後はテレビドラマに出演していたが、1977年に女優業を引退。引退後は神奈川県鎌倉市で喫茶店を経営し、悠々自適の生活を送っていた。
南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013… 南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013年3月2日)は、女優、元宝塚歌劇団団員(月組・星組主演男役)。本名は上野悠子(うえのゆうこ)。東京府出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は161cm。宝塚歌劇団時代の愛称はユーコさん(本名の悠子から)。 宝塚歌劇団29期生。宝塚歌劇団では淡島千景、久慈あさみと共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。頌栄高等女学校(現・頌栄女子学院中学校・高等学校)出身。 1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学。 1941年、宝塚歌劇団に入団。初舞台公演演目は『正行出陣』である。宝塚入団時の成績は17人中7位。 また、宝塚在籍時においても南は映画やテレビドラマに数多く出演していた。
藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24… 藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名:喜熨斗 綾子(旧姓:河野→藤間)。 日本医科大学元学長で理事長、日本私立大学協会会長も務めた河野勝斎の長女(9人兄弟のうち、4人が芸能、2人が医師)。12歳の時、六世藤間勘十郎に入門した。 夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁、二代目藤間紫)。三世藤間勘祖(藤間高子)と俳優藤間文彦は、前夫六代目藤間勘十郎(二世藤間勘祖)との子。二代目中村藤太郎(前夫の養子となり3代目藤間大助を襲名後、六代目中村歌右衛門の芸養子になり中村藤太郎を襲名)、六代目中村東蔵は弟。
吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 19… 吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 1991年12月17日)は日本の女優。本名は吉川美代子(旧姓:林田)。大阪府大阪市出身。旧芸名=仁保海(にほみ)月子。宝塚歌劇団在団中の愛称はオバァちゃん。特技は三味線、日舞。
浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息… 浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息不明)は日本の女優。佐賀県佐賀市生まれ、東京育ち。プロデューサーの本木荘二郎は元夫。日本映画学校卒業。 1945年に東宝入社。1946年の『民衆の敵』でデビューする。1958年に引退。引退して以降、現在までに70年近くも経っているため、生死も含めて消息不明である。
美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は… 美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は、日本の昭和の戦前期の女優である。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区日暮里地域)生まれ。本名:高城富久子(結婚後、山本富久子)。松竹少女歌劇学校第5回卒業生として1938年に松竹歌劇団に入団。美空ひばりという芸名はこの入団のときからのもの。先輩に類似した名前の「御空ひばり」がいるが別人。同歌劇団では、小月冴子や並木路子、加藤治子(御舟京子)の一期後輩。幾野道子の一期先輩。初舞台は浅草・国際劇場。 1940年に大都映画に入社し、複数の映画に主演または準主演で出演した。代表的な出演映画は、『大陸は微笑む』(弥刀研二監督、1940年)、『時代の狼火』(大伴龍三監督、1941年)、『太閤への使者』(益田晴夫監督、1941年)。
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よし… 内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1923年〈大正12年〉1月12日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。
相馬 千恵子(そうま ちえこ、1922年12月24日 - )… 相馬 千恵子(そうま ちえこ、1922年12月24日 - )は、日本の女優。相馬千惠子の表記もある。本名は相馬キクエ。愛称は「お通(つう)さん」。身長165cm。 青森県弘前市出身。上京して、日本橋タイピスト女学院を卒業後、逓信省に勤務。1940年、新興キネマ東京撮影所に入り、1941年、映画『鉄の花嫁』の主役でデビュー。ちなみに、デビューしたこの年に太平洋戦争が始まっている。 デビューの翌年の1942年、戦時統合で新興キネマは大都映画と日活と合併し大映となり消滅するが、そのまま、大映に移籍し、映画出演を続けた。1943年、吉川英治原作の「宮本武蔵」の映画化『二刀流開眼』『決闘般若坂』の2作でヒロインの「お通」を演じ、以後、相馬の愛称も「お通さん」になった。
織賀 邦江(おりが くにえ、1922年11月6日 - 197… 織賀 邦江(おりが くにえ、1922年11月6日 - 1972年11月28日)は、日本の女優。本名は石橋ウララ。東京都出身。父は歌人の大賀知周。夫は劇作家の石崎一正。 東京府荏原郡馬込村で生まれる。立正高等女学校(現・東京立正高等学校)卒業。芸名はオリガ・クニッペルに因んでいる。 女学校在学中に滝沢修の舞台『どん底』を見たことがきっかけで芸術小劇場の研究生となる。1941年に第一生命に入社し社長秘書を務める。1943年に第一生命を退社し、瑞穂劇団に入団。1948年に大映に入社。『土曜夫人』が映画デビュー作となる。1951年、戯曲座に入団し、活動の中心を舞台に戻す。1953年に炎座に移籍。その後は銀座プロに所属。
朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月… 朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月6日 - )は日本の女優。本名、玉木愛子。 1922年、神奈川県横浜市に生まれる。宝塚音楽歌劇学校を卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団(25期生)の初舞台を踏む。1940年に退団。 杉狂児と共演した大映映画「青空交響楽」(1943年)や「赤胴鈴之助」シリーズなどに出演したことで知られる。 「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」は当初、杉狂児とのデュエットでレコーディングしたが、杉狂児の歌い方が「ふざけている」と当局から指摘を受け、発売禁止処分となった。代理で歌ったのは藤山一郎と奈良光枝。 1949年に東横映画に移籍し、1951年の合併により東映に所属。
森下 彰子(もりした あやこ、1922年6月1日 - 194… 森下 彰子(もりした あやこ、1922年6月1日 - 1945年8月6日)は日本の女優。
鮎川 十糸子(あゆかわ としこ、1922年5月28日 - 2… 鮎川 十糸子(あゆかわ としこ、1922年5月28日 - 2007年4月6日)は、大阪府大阪市出身の日本の女優。本名・西川寿美(にしかわ としみ)。 大阪市東区(当時。現・中央区)生。四条畷高等女学院女学校を卒業後、東宝京都撮影所に俳優養成所の生徒として入社。1941年東宝東京撮影所に移籍し、石田民三監督作品「をり鶴七変化」の主演に抜擢。以後も石田、並びにマキノ正博監督の作品を中心に活躍し、1943年に松竹京都撮影所に移籍。中でも1950年に上映された『七つの宝石』では大坂志郎とのベッドシーンで話題となった。 1958年松竹を退社した後は、テレビのドラマやアニメ『じゃりン子チエ』の竹本菊(おバァ)役などで活躍。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 19… 大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 1942年7月)は、日本の女優である。父は大都映画創立者の河合徳三郎、姉は女優の琴路美津子、異母姉も女優の三城輝子である。満20歳で早世した。 1922年(大正11年)1月4日、東京府東京市(現在の東京都区部)に、のちに河合映画製作社、大都映画を設立する河合徳三郎を父とし、「大川世喜子」として生まれた。 東京高等音楽学院大塚分教場(現在の東邦音楽大学)に学び、1934年(昭和9年)に父の経営する大都映画に12歳で入社する。同年、隼秀人(のちのハヤフサヒデト)主演、大江秀夫監督のサイレント映画『俺は日本人だ』に出演して、映画界にデビューする。
月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2… 月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2017年5月3日)は、日本の女優で、元宝塚歌劇団娘役の宝塚歌劇団卒業生である。本名:井上 明子、旧姓:旭爪(ひのつめ)。愛称は「ツメ」(旧姓から)。夫は井上梅次、娘は井上絵美。実妹は月丘千秋、月丘洋子。 広島県広島市大手町(現:中区大手町)に、薬局の長女として生まれる。 袋町尋常小学校(現:広島市立袋町小学校)を経て、県立広島高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)在学中に小夜福子の宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)の舞台を観劇し、宝塚少女歌劇団へ入団を決意する。反対する親を説得して女学校を中退した。 1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学。
橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本… 橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本名は豊田喜三子。旧姓・川村)は、日本の女優。
矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 198… 矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 1985年2月1日)は、日本の女優。戸籍上の本名は黒澤喜代(旧姓:加藤)だが、実生活では「喜代子」と名乗っていた。夫は映画監督の黒澤明。 香港生まれ。昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退。1937年に若園照美の芸名で松竹少女歌劇団入団。 1940年に東宝映画に移籍。島津保次郎監督の『嫁ぐ日まで』でデビュー。1944年に黒澤の2本目の監督作品『一番美しく』に主演する。1945年に黒澤と結婚(挙式は明治神宮、媒酌人は山本嘉次郎夫妻)して女優を引退した。 引退後は家庭に入り、黒澤が気持ちよく映画を撮れるように、内助の功を発揮した。
風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23… 風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23日 - 2016年〈平成28年〉9月28日)は、日本の女優。群馬県富岡市出身。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社。 1921年、群馬県富岡市七日市に生まれる。 富岡高等女学校(現・群馬県立富岡高等学校)を中退し、父が芸事を好んでいたことからエノケン一座に入団。 1937年に日活のオーディションに合格。 1939年に公開された内田吐夢監督映画『土』で主役に抜擢された。 1940年代後半からは松竹・新東宝・東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。 2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。
白光 (はく こう、バイ・クァン、Bai Kwong、192… 白光 (はく こう、バイ・クァン、Bai Kwong、1921年〈民国10年〉6月27日 - 1999年8月27日)は、1940年代から1950年代にかけて活躍した中国の歌手・女優。七大歌后の1人。本名は史永芬。 一筋の白い光がスクリーンに映像を映し出す姿に強い印象を受けたことから芸名を白光とした。女優として『蕩婦心』『一代妖姫』『玫瑰花開』といった映画がヒット。1950年代末に芸能界を引退の後、マレーシアの首都クアラルンプールに移り住み、1999年8月27日に結腸癌で病死。 白光は本名を史永芬といい、1921年に京都市(現:北京市)で生まれた。女学校時代に史永芬は北平沙龍劇団という劇団で、端役ながら新劇女優として曹禺の『日出』などの作品の舞台に立っていた。
楠田 薫(くすだ かおる、1921年3月25日 - 2012… 楠田 薫(くすだ かおる、1921年3月25日 - 2012年6月1日)は、日本の女優。本名は内野 薫。福岡県出身。夫は大学教授の内野和夫。 十文字高等学校卒業。 1938年、日活に入社し。 1939年に『女性の力』でデビュー。 興亜映画、瑞穂劇団を経て、1946年に俳優座に入団。 1971年、劇団内でベテランの域にあったが、中村敦夫、原田芳雄ら若手らの動きに同調して退団。 2012年6月1日、死去。
牧 よし子(まき よしこ、本名;大木 よし子、1921年3月… 牧 よし子(まき よしこ、本名;大木 よし子、1921年3月17日 - )は、東京都出身の女優。山脇学園高等女学校卒。趣味は朗読。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、… 三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年(大正9年)9月5日 ‐ 2012年(平成24年)2月13日)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身の女優。東洋高等女学校卒業。夫は宮阪将嘉(1997年に死別)。 家業は青果問屋であった。 東洋高等女学校卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社。そこのコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年に松竹演芸部に歌手として所属。 その後、ムーランルージュなどを経て、1954年に劇団民藝へ入団(新藤兼人監督の『どぶ』でスクリーンデビューも果たす)。 1967年に劇団を退団。 1969年から始まった『男はつらいよ』シリーズに車寅次郎のおばちゃん・車つね役として計49作で起用され、これが当たり役となる。
原 節子(はら せつこ、1920年〈大正9年〉6月17日 -… 原 節子(はら せつこ、1920年〈大正9年〉6月17日 - 2015年〈平成27年〉9月5日)は、日本の女優。神奈川県橘樹郡保土ヶ谷町帷子(現在の横浜市保土ケ谷区月見台)出身。本名は會田 昌江(あいだ まさえ)。 戦前から戦後にかけての日本映画を代表する女優のひとりで、「永遠の処女」と呼ばれた。『晩春』(1949年)や『東京物語』(1953年)などの小津安二郎監督作品の出演で知られ、ほか『わが青春に悔なし』(1946年)、『青い山脈』(1949年)、『めし』(1951年)などに出演した。 1963年に女優業を引退し、2015年9月5日に死去するまで隠遁生活を送った。 神奈川県橘樹郡保土ヶ谷町帷子(現在の横浜市保土ケ谷区月見台)で、尾上町で生糸商を営む父・藤之助、母・ナミの間に末っ子として生まれた。
北原 文枝(きたはら ふみえ、1920年5月28日 - 19… 北原 文枝(きたはら ふみえ、1920年5月28日 - 1980年10月6日)は、日本の女優、声優である。本名、阿部 房枝。夫は俳優の安部徹。 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)出身。日本大学芸術学部卒業。北村喜八と村瀬幸子が1937年に結成した芸術小劇場で活動を始めた。1944年2月に劇団俳優座が設立されると、村瀬とともに参加。俳優座が御殿場に疎開すると、1945年に離脱し、独立した。 戦後しばらくはラジオを中心に活動した。NHKのクイズ番組や、文化放送の「冗談音楽」にレギュラーとして出演した。1953年、田中絹代監督『恋文』に端役で初出演した。1955年9月、当時所属していたプレーヤーズ・センターの事務員が北原や三木鶏郎など複数のタレントのギャラを何度も横領し、キャバレー代に使っていたと報道される。
森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - … 森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本の女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。 1920年、京都府京都市出身。京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく「寛寿郎の姪で1923年生まれ」としていたが、1984年の紫綬褒章受章にあたり事実を公表し、訂正している。芸名は嵐の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」とつけられたことによる。
東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15… 東郷 晴子(とうごう はるこ、1920年〈大正9年〉3月15日 - 2011年〈平成23年〉3月3日)は、日本の女優。元宝塚歌劇団雪組組長。東京都出身。本名は森治子。 桜蔭高等女学校(現:桜蔭中学校・高等学校)卒業。宝塚歌劇団時代の愛称はハコちゃん。 1937年、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入る。宝塚入団時の成績は93人中2位。同期生に越路吹雪、乙羽信子、月丘夢路、大路三千緒らがいた。1955年、宝塚歌劇団を退団。 その後は、映画、舞台、テレビドラマに出演した。 2011年3月3日、呼吸不全のため横浜市の病院で死去。90歳没。 社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019… 明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019年7月14日)は岩手県釜石出身の女優で、ムーラン・ルージュ 新宿座の看板スターとして人気を博す。後半生は日本舞踊家として過ごし、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗った。 1920年(大正9年)3月、警察署長を務める父・小野寺円之助と母・とらえの娘、小野寺とし子として岩手県釜石に生まれる。尺八を嗜む父と義太夫を嗜む母の影響で5歳から三味線と日本舞踊を習う。9歳で父を亡くした後は母が税関通りで東洋軒という店を始め生活を支えた。13歳のとき釜石市において地方巡業中だったムーラン・ルージュの俳優、有馬是馬にスカウトされたことが舞台人生へのきっかけとなる。
大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま … 大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま みちこ)、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日) は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組・雪組組長で宝塚歌劇団卒業生。東京都出身。愛称は「ミッちゃん」(本名から)。 1937年、立教高等女学校を卒業。 卒業後、宝塚少女歌劇団に宝塚歌劇団27期生として入団(同期生は越路吹雪、乙羽信子、東郷晴子、月丘夢路など)。宝塚入団時の成績は93人中70位。 1939年、初舞台を踏む。宝塚時代は男役を多く演じているが、娘役(とりわけ中年女性役)も初舞台当時より演じることが多かった。 終戦を経て、宝塚再興後の1951年 - 1952年に花組組長、1961年 - 1975年に雪組組長を歴任。
近江 輝子(おうみ てるこ、1920年2月1日 - 2008… 近江 輝子(おうみ てるこ、1920年2月1日 - 2008年)は、日本の女優。 淑徳高等女学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校に進学。同期に日高澄子、宮城千賀子がいた(宝塚歌劇団25期生を参照)。1938年、宝塚少女歌劇団・雪組に配属。最初は大宮輝子と名乗ったが大美輝子に改名。1945年に宝塚を退団すると、霧立のぼるのロマン座、希望座に加入。1948年12月、大映京都撮影所に入社。同年の『三十三の足跡』で映画デビュー。以後、1971年の大映倒産まで脇役として多くの映画に出演。多い時は年間14、5本に出て、時代劇では中老け役・老女役を得意とした。1972年から松竹芸能に所属し、テレビを中心に活躍。1959年に近江輝子に改名。
江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 194… 江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 1947年)は日本の女優である。福岡県久留米市出身。女優の江波杏子は娘。
加藤 道子(かとう みちこ、1919年10月31日 - 20… 加藤 道子(かとう みちこ、1919年10月31日 - 2004年1月31日)は、日本の女優、声優。東京府東京市(現・東京都)出身。俳優・加藤精一の長女。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒業。 1941年、東京放送劇団第1期生として入団。 1957年から森繁久彌と共に『日曜名作座』に出演していた。 2004年1月31日、膵臓がんのため、東京都港区の病院で死去。84歳没。
不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - … 不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - 2008年5月23日[要出典])は、日本の女優である。戦後、不忍 郷子(しのばず きょうこ)とクレジットされた時期もあり、末期には本名の進藤 幸(しんどう こう)を名乗った。本名の読みを「さち」とするのは誤り。 1919年(大正8年)10月29日、北海道夕張郡夕張町(現在の夕張市)に生まれる。父の進藤誠三郎が鉄道省の技師であり、小学校時代だけでも、道内の釧路市、樺太庁豊原支庁豊栄郡落合町(現在のロシア連邦サハリン州ドリンスク)、東京府豊多摩郡大久保町(現在の東京都新宿区)と転校を繰り返した。1932年(昭和7年)3月、同町の大久保尋常高等小学校(現在の新宿区立大久保小学校)を卒業し、同年4月、当時角筈(現在の新宿区西新宿1丁目6番)にあった精華高等女学校(現在の東海大学付属市原望洋高等学校)に進学する。
萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28… 萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28日。 - 没年不明)は、日本の女優。本名は、石川貴美。(石川貴美子とも。福岡県福岡市出身。芸名は萬代峯子、万代峰子、万代峯子とも表記される。愛称は「イシカワさん」。趣味は読書で、体重は11貫200匁。 福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)を卒業後、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団25期生。宝塚一番の泣き虫とされた宝塚歌劇団を退団後は東宝劇団や新春座に所属。主に映画、舞台、テレビドラマなどで脇役として活躍する。第9回芸術祭賞奨励賞受賞。芸名は古今集から父がつけた。 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年… 高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年不詳)は、日本の女優である。新漢字表記高山 広子、旧芸名仲上 八洲子(なかがみ やすこ)、君千代(きみちよ)、藤原 八洲子(ふじわら やすこ)、のちに高山 裕子とも名乗った。出生名仲上 ヤスエ(なかがみ やすえ)、結婚後本名上田 ヤスエ(うえだ やすえ)。『阿波狸合戦』、『歌ふ狸御殿』等の主演女優として知られる。 1919年(大正8年)3月25日、福岡県嘉穂郡飯塚町(現在の同県飯塚市)に生まれる。 1927年(昭和2年)、子役として、妹の仲上萩江とともに「仲上 八洲子」の名で、京都の阪東妻三郎プロダクションに入社、映画界にデビューした。
水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 … 水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 - 1981年〈昭和56年〉4月5日)は、日本の女優。本名は関場 ミツ子。 福島県大沼郡新鶴村(現・会津美里町)境野出身。 愛知県岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を中退した翌1934年(昭和9年)、名古屋万平ホテルから熱海の万平ホテルへ移って働いていたところ、たまたま宿泊していた松竹の井上伊三郎取締役にスカウトされ、松竹蒲田撮影所に入社。 同年大晦日封切りの正月映画『大学の若旦那・日本晴れ』端役にてデビュー。いわゆる「大部屋」の無名女優として3年間の下積みを重ね、1938年(昭和14年)1月に準幹部へと昇進。その後はB級作品ながら主役をつとめるようにもなった。
高峰 三枝子(たかみね みえこ、本名:鈴木 三枝子、1918… 高峰 三枝子(たかみね みえこ、本名:鈴木 三枝子、1918年12月2日 - 1990年5月27日)は、日本の女優、歌手。歌う映画スターの草分け的存在。父は筑前琵琶演奏者の高峰筑風。妹は女優で歌手の高峰麻梨子。孫は元女優の高峰陽(ひなた)。 1918年(大正7年)12月2日(月曜日)、東京府東京市芝区露月町(現在の東京都港区新橋5丁目)に生まれる。実父・高峰筑風は、独立して高峰流筑前琵琶の宗家となった。東洋英和女学校(高等女学校。東洋英和女学院中学部・高等部の前身)を卒業した1936年(昭和11年)に、筑風が急死。一家を養うために、周囲の勧めもあり映画界入りを決意。帝国劇場の専務の紹介で松竹に入社し、同年に公開された大船映画『母を尋ねて』で女優としてデビューした。
大内 照子(おおうち てるこ、1918年11月15日 - 没… 大内 照子(おおうち てるこ、1918年11月15日 - 没年不詳)は、日本の女優である。本名、大内 幸香(おおうち ゆきこ)。 1918年(大正7年)11月15日、愛媛県伊予郡砥部町大字原町に生まれる。4歳上の兄に俳優の大内弘(本名・大内一郎)がいる。 1936年(昭和11年)3月、愛媛県立松山高等女学校(現在の愛媛県立松山南高等学校)を卒業すると同時に、兄の在籍するマキノ正博の新会社マキノトーキー製作所に入社する(第二期入社)。同年4月29日に公開された根岸東一郎・マキノ正博共同監督による『加賀見山』に出演して、満17歳で映画界にデビューした。同社は1937年(昭和12年)4月末には解散しており、葉山純之輔や兄の大内弘ら大半の俳優は新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)に移籍、マキノ正博、澤村國太郎、光岡龍三郎、照子と同期の水原洋一、田村邦男、團徳麿、志村喬、大倉千代子、大久保清子らは日活京都撮影所に移籍していくが、照子は、同社跡地に、甲陽映画から独立して今井理輔が設立した「今井映画製作所」に移籍した。
櫻町 公子(さくらまち きみこ、1918年10月10日 - … 櫻町 公子(さくらまち きみこ、1918年10月10日 - 2005年4月14日)は、宝塚歌劇団雪組トップ娘役の元女優である。東京都芝区(現・港区)出身。本名は犬伏幸子、旧姓は千野。宝塚歌劇団時代の愛称は、ちんない(顎が無いことから。)、チフちゃん。 1932年に東洋英和女学校(現・東洋英和女学院中学部・高等部)を2年次で中退して、宝塚歌劇団22期生として、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学し、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団する。当時は入学=入団で学校と劇団は一体であった。同期生に美吉左久子、春江ふかみ、照国佐智子、山部志賀子、櫻野里子らがいる。入団時の成績は39人中の首席。芸名は詩人・北原白秋によって命名された。