佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018… 佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018年12月21日 )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。東洋大学経済学部卒業。東映俳優センターに所属していた。 大学卒業後、東映撮影所に入る。 趣味はゴルフ、麻雀、旅行。特技はアクション、歌。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
帆足 隆(ほあし たかし、1936年1月10日 - )は、日… 帆足 隆(ほあし たかし、1936年1月10日 - )は、日本の経営者。カネボウ社長を務めた。大分県出身。 1961年に松山商科大学商経済学部経営学科を卒業し、同年にカネボウ化粧品販売に入社。1992年6月に鐘紡取締役に就任し、1994年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年4月には社長に就任。1999年5月には会長も兼任し、2004年3月までに務めた。
大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日… 大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日本の実業家。森永乳業名誉会長。元日本乳業協会会長、初代日本オリエンテーリング協会会長。 北海道生まれ。1958年立教大学卒業、東京食品株式会社入社。1972年東和製機株式会社常務取締役。1973年東和製機株式会社代表取締役専務。1977年エムケーチーズ株式会社代表取締役専務。1979年森永乳業株式会社常務取締役。1981年森永乳業株式会社専務取締役。1982年森永乳業株式会社取締役副社長。1984年ゼリア新薬工業取締役。1985年森永乳業株式会社代表取締役社長。1990年には日本オリエンテーリング協会の会長に就任し、2001年5月まで務める。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10… 浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。 京都府京都市の出身。家庭の事情(両親が上海に渡った)から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は子供がいなかった母方の伯母夫妻にあたる養父母の苗字でもある。 京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。
塙 嘉彦(はなわ よしひこ、1935年1月10日 - 198… 塙 嘉彦(はなわ よしひこ、1935年1月10日 - 1980年1月25日)は、日本の編集者。
芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 20… 芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 2024年1月11日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。 大分県宇佐市出身。1958年京都大学文学部国史学科卒。1963年同大学院博士課程満期退学、1968年「明治維新の権力基盤」で京大文学博士。日本福祉大学講師、1969年名古屋市立大学助教授、1973年教授、1989年大阪大学文学部教授。1999年定年退官、名誉教授、岐阜聖徳学園大学教授。 1982年「日本近代化の世界史的位置」で日経・経済図書文化賞受賞。世界史の視点で明治維新、日本の近代化を研究した。 2024年1月11日、老衰のため死去。89歳没。
石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日… 石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日本の漫画評論家、映画評論家。本名は石河 糺(いしこ ただし)で、1960年代後半ごろから「石子順」のペンネームを使用する。 評論家の石子順造(本名:木村泰典、1929年 - 1977年)とはペンネームが似ている上に、主たる評論分野が同じ漫画及び映画であり、活動期間が1970年代において重なっていて、しかも両者ともに日本共産党との関係が深い(石子順造は離党している)ために混同されやすく、親子もしくは親戚とおもわれている場合もあるが全くの別人で血縁関係もない。 1935年、京都府京都市生まれ。1953年に中国より帰国。1961年、東洋大学文学部卒。
三迫 仁志(みさこ ひとし、男性、1934年1月10日 - … 三迫 仁志(みさこ ひとし、男性、1934年1月10日 - 2019年8月1日)は、日本の元プロボクサー、プロボクシング・プロモーター。現役時代は野口ボクシングジム所属で、引退後は三迫ボクシングジムを創設し会長、後に名誉会長を務めた。元日本プロボクシング協会会長、商学士。 愛媛県新居浜市で出生し、当時の新居浜市長と懇意だったライオン野口の知遇を得てボクシングを始め上京、西条高校から明治高校へ転校、高校時代にプロデビュー。高校時代の同級生には後の読売ジャイアンツ監督藤田元司、明治大学同級生に野口の長男でキックボクシング生みの親でもある野口修がいた。 明大在学中に日本フライ級王者となり、約2か月後にOBF東洋フライ級王者となった。
松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひ… 松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひでやす)、1934年1月10日 - 2015年2月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。 長野県長野北高等学校では2年生の時、捕手として1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。松商学園の控え捕手は吉沢岳男であった。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌年春の選抜の出場校には選出されなかった。高校同期に三塁手の町田行彦、1年下に控え捕手の山岸静馬がいた。 1952年に阪急ブレーブスに入団するが、翌1953年に国鉄スワローズに移籍。阪急から国鉄に移籍したのは、郷里に母を一人残した中、長野県から遠い西宮市でプレーするのを好まなかったからである。
長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10… 長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉5月21日)は、日本の俳優。昭和時代の日活映画の「青春スター」。(今村昌平監督と組んだ)『にあんちゃん』で1959年(昭和34年)のブルーリボン男優主演賞受賞。『豚と軍艦』『秋津温泉』などで主演。テレビドラマなどでも活躍。俳優の津川雅彦は実弟。 歌舞伎俳優の沢村国太郎を父に、女優のマキノ智子を母に、本名 加藤 晃夫(かとう あきお)として、京都府京都市中京区で誕生。両親もそうだが、祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子がいるという演劇・映画などを本業とする芸能一家の一員として誕生。
神波 史男(こうなみ ふみお、1934年1月10日 - 20… 神波 史男(こうなみ ふみお、1934年1月10日 - 2012年3月4日)は、日本の脚本家。
田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月… 田村 善次郎(たむら ぜんじろう、1934年(昭和9年)1月10日 - )は、日本の民俗学者、武蔵野美術大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1957年に東京農業大学を卒業市、引き続き同大学院に進んで修士課程を修了した。武蔵野美術大学教授、同附属美術図書館館長を務めた。2005年に退職、名誉教授となる。宮本常一に師事し、その著作集を編纂した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
成田修身(なりた おさみ、1934年1月10日- )は、日本… 成田修身(なりた おさみ、1934年1月10日- )は、日本の会計学者、日本大学名誉教授。 愛媛県内子町出身。1956年明治大学商学部卒、58年同大学院会計学修士課程修了。1960年明治大学経理研究所研究員、1967年東京都立商科短期大学助教授、1976年日本大学商学部助教授、教授。2004年定年となり、名誉教授。93年「減価償却の史的展開」で日大商学博士。2013年11月瑞宝中綬章受章。
三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 201… 三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 2013年7月1日)は、日本の女優である。現役当時の公称サイズは身長162 cm, 体重52 kgであった。本名は藤原 正子(ふじわら まさこ)。 1933年(昭和8年)1月10日、岩手県盛岡市鉈屋町に生まれる。生家は毛皮商で、盛岡市立盛岡第一高等女学校(現在の盛岡市立高等学校)を卒業する。 1951年(昭和26年)10月、新東宝に「第一期スターレット」として入社する。翌1952年(昭和27年)、『風雲七化け峠』(並木鏡太郎監督)で銀幕デビュー。1957年(昭和32年)、石井輝男監督『肉体女優殺し 五人の犯罪者』でストリッパー役に起用され、その肉体美と演技で人気を博す。
三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013… 三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)は、日本の作曲家。位階は従四位。三善清達の弟。 東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少期より自由学園でピアノ演奏法、音楽基礎を学ぶ。小学校入学の頃から高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、のち池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て、東京大学に入学。文学部仏文科在学中の1955年から1958年にかけて、フランス政府給費学生としてパリ国立高等音楽院に留学、のち中退。在学中はアンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事した。 1960年、東大文学部仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 200… 由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 2008年4月4日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日本における軍部の成立や田中正造についての研究で知られる。 長野県南佐久郡出身。長野県野沢北高等学校を経て、1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1957年国立国会図書館職員、1963年国立国会図書館憲政資料室勤務、1968年国立国会図書館を退職し、駒澤大学文学部講師に着任。1971年同助教授。1973年早稲田大学文学部助教授。1978年同教授。2003年早稲田大学を定年退職、名誉教授。墓所は多磨霊園(10-2-10)。
岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月… 岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月10日 - )は、日本のアメリカ文学者、同志社大学名誉教授。元学長。 京都府出身。同志社中学校、高校卒、1955年同志社大学文学部英文科卒、58年同大学院修士課程修了、助手。 1960年代初頭にケニオン大学とアイオワ州立大学に留学。 1962年アイオワ大学英文科Master of Fine Arts(修士)修了、63年同志社大学文学部専任講師、65年助教授、71年文学部教授、86年文学部長、92年学長。2003年退任、名誉教授。 専門は19世紀アメリカ・リアリズム文学論、モダニズム以降のアメリカ詩、ユダヤ系作家の小説群。 修士論文の対象としてヘンリー・ジェイムズを選択。
森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月1… 森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月10日 - 1970年(昭和45年)2月13日)は、1964年東京オリンピック開催時の「東京オリンピック組織委員会」の職員。 そして1964年東京オリンピック開催準備の一貫として企画組織された「聖火リレーコース踏査隊」の一員であった。 1933年(昭和8年)1月10日、徳島県木屋平林(現:美馬市)に生まれた。 木屋平村立三ツ木小学校、三ツ木中学校、徳島県立城東高等学校と在学進学し卒業後上京し、タクシー会社「帝産オート」永田町営業所でタクシー運転手として働きながら、法政大学二部(夜間学部)法学部に通っていた。 ある日、森西が運転するタクシーに、1964年東京オリンピック開催準備に関わっていた亀倉雄策と丹下健三が乗り合わせた。
舩井幸雄(ふない ゆきお、1933年1月10日 - 2014… 舩井幸雄(ふない ゆきお、1933年1月10日 - 2014年1月19日)は、大阪府出身の経営コンサルタント。
大崎 仁(おおさき ひとし、1933年〈昭和8年〉1月10日… 大崎 仁(おおさき ひとし、1933年〈昭和8年〉1月10日 - )は、日本の文部官僚。 東京都出身(新潟県出身とする資料あり)。1955年京都大学法学部卒業後、文部省入省。文部省の中枢を歩み、筑波大学を作った学術行政の官僚。国が大学へ研究委託する道(通称未来開拓事業)を制度化し、科学立国への基礎を築いた。 教職員養成課長、大学課長、高等教育計画課長、官房総務課長、学術国際局の審議官、学術国際局長、高等教育局長、1988年まで文化庁長官、日本学術振興会理事長等を歴任。1988-90年東京国立近代美術館館長。2001年「戦後大学改革の研究」により京都大学博士(教育学)。現在、人間文化研究機構機構長特別顧問、IDE大学協会副会長(2011年当時)。
塩出 啓典(しおで けいすけ、1933年(昭和8年)1月10… 塩出 啓典(しおで けいすけ、1933年(昭和8年)1月10日 - 2009年(平成21年)2月9日)は、日本の政治家。公明党参議院議員(4期)。 愛媛県周桑郡小松町(現西条市)出身。1955年、京都大学工学部冶金学科卒業。同年、八幡製鉄所に勤務。1967年の第31回衆議院議員総選挙で広島3区から公明党公認で立候補したが落選。翌1968年の第8回参議院議員通常選挙で初当選。4期務めた。 この間、参議院科学技術振興対策特別委員長、同法務委員長、公明党副書記長などを歴任した。4期目途中の1990年の第39回総選挙で広島1区から立候補したが、落選した。2009年2月9日、間質性肺炎のため松江市の病院で死去。
阿南 惟正(あなみ これまさ、1933年1月10日 - 20… 阿南 惟正(あなみ これまさ、1933年1月10日 - 2019年3月3日)は、日本の実業家。新日本製鐵副社長、太平工業社長を歴任し、実業界を退いてから公立大学法人北九州市立大学理事長を務めた。 父は鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣を務めていた阿南惟幾大将で、惟正は6人兄弟の四男である。 兄弟のうち、長男は早逝した。兄に次男の惟敬(防衛大学校教授)、三男の惟晟(陸軍少尉、1943年戦死)、弟に五男の惟道(講談社のオーナー家である野間家に婿入りして野間惟道。講談社第5代社長)、六男の惟茂(外交官、中華人民共和国駐箚特命全権大使)がいる。 叔父に宮城事件の関係者である竹下正彦(陸軍中佐・陸将・参謀本部編制班長兼動員班長・陸軍省軍務局軍務課内政班長・第4師団長(陸自)・陸上自衛隊幹部学校長)、義妹に野間佐和子(講談社第6代社長)、甥に野間省伸(講談社第7代社長)がいる。
田宮 裕(たみや ひろし、1933年〈昭和8年〉1月10日 … 田宮 裕(たみや ひろし、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 1999年〈平成11年〉1月12日)は、日本の法学者。専門は刑事法。刑事訴訟法の第一人者として知られる。田宮の学説体系は「田宮刑訴」と言われ、刑事手続きの実務全般に大きな影響を与えた。1960年(昭和35年)日本刑法学会賞受賞。立教大学名誉教授。法学博士(東京大学・論文博士・1989年)。1998年(平成10年)紫綬褒章受章。 1955年、東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手(指導教官は団藤重光、平野龍一)。1958年、北海道大学助教授、1962年から1964年までミシガン大学留学。1968年、立教大学法学部法学科教授。1998年、亜細亜大学教授。
三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭… 三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2017年〈平成29年〉4月23日)は、日本の落語家、俳優、日蓮宗僧侶。本名は中澤 信夫であるが、出家後の資料では中澤 圓法(円法)としている場合がほとんどである。出囃子は「二ツ巴」。定紋は片喰。 生年については1932年説と1929年説があり、落語協会公式サイト では1932年1月10日となっている。これに対して1929年説は「空襲で役所が焼け、戸籍を再度届け出た際に家族が間違え、戸籍上3歳若くなったためである」としている。一般的には1929年説が通っているともされていたが、4代目圓歌によれば、3代目の通夜が終わった後、飲み屋で会った岩倉鉄道学校の卒業生が1931年生まれで圓歌のことを「1年後輩」と言ったこと、かつて手伝いに来ていた圓歌の母に1929年生まれが正しいのか聞いたところ「そんなに早く産んだ覚えはない」と言われたことに加え、1929年説は5代目春風亭柳朝との確執の末に出てきたものだという。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。
佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1932年〈昭和7年〉1月1… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2006年〈平成18年〉9月27日)は、新潮社相談役。東京府出身。 1954年に慶應義塾大学文学部を卒業と同時に大日本印刷に入社。その後、家族が経営する新潮社に移り、1974年に取締役、1983年に専務取締役、1987年に高畑勲監督の『火垂るの墓』をプロデュース、1998年に相談役に退く。 2006年9月27日に腎不全で死去。74歳没 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - … 佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - 2015年5月14日)は、日本の彫刻家 、国画会会員。 栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園、栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。 下野新聞「談話室」、栃木新聞「渡辺美智雄氏の胸像を作る彫刻家佐藤健次郎さんが来社」
小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022… 小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022年5月12日)は、ドイツ文学者。中央大学名誉教授。フェリス女学院理事長。妻・小塩トシ子(1931- 、フェリス女学院大学名誉教授)は英文学者。 長崎県佐世保市生まれ。父は牧師小塩力。旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京大学独文科卒、同大学院修了。 1958年、国際基督教大学専任講師、準教授、1967年からNHKの「ドイツ語講座」を1985年まで担当。 1970年、中央大学文学部教授、のち常任理事、在職のまま1985年から1988年まで駐西ドイツ・日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長。 1997年中央大学退職、名誉教授、フェリス女学院院長、2004年理事長。
井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 20… 井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 2014年1月2日[1])は、和歌山県[2]出身のプロ野球選手。
小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 201… 小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 2019年7月4日)は、日本の経営学者。専門は生産管理論、中小企業経営論。名古屋大学名誉教授、学校法人梅村学園名誉理事長。第6代中京大学学長、第5期日本中小企業学会会長等も務めた。日経・経済図書文化賞受賞、瑞宝重光章、豊田市市政功労章受章。 名古屋市出身。1953年旧制名古屋大学工学部機械学科卒、1955年名古屋大学経済学部経営学科卒業、1960年名古屋大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得満期退学。64年「生産計画論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。末松玄六研究室出身。 60年名大経済学部助手となり、62年生産管理論専任講師。
三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10… 三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉11月15日)は、日本の政治評論家、コメンテーター。元毎日新聞記者。 1930年(昭和5年)、現在の東京都杉並区阿佐谷南一丁目、杉並区役所のすぐ隣の家で生まれた。父は日立製作所の技術者。6歳のときに父が北九州工場に総務課長として転勤となり、福岡県戸畑市に引っ越し、私立小学校である明治学園に通った。 太平洋戦争が始まった翌年、東京府立十九中に入学。ゲートルを巻いた国民服のような制服を着て通った。三年生から昭島に通い、九七式艦上攻撃機などの海軍の飛行機をつくる会社で組み立て作業をした。 1949年(昭和24年)に早稲田大学第一文学部独文科に入学。
山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月1… 山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 1998年〈平成10年〉12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。愛称は同姓の軍人・山下奉文にちなんで「将軍」。両者に縁戚関係はない。長男は映画監督の山下耕一郎、次男はテレビドラマの監督でテレビ映画制作会社「京都組」代表取締役の山下智彦。 鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。京都大学卒業後、東映の入社試験を受け成績トップ。しかし当時の東映に入社する社員は何らかの縁故がなければ入れず、しかも山下は全学連くずれであることから東映の重役連中は不採用にしようとした。
牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年… 牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年5月31日)は日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。東京都出身。
森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7… 森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7月24日)は、日本の数学者、評論家、エッセイスト。京都大学名誉教授。専攻は、関数空間の解析の位相的研究。「一刀斎」と号した。 東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区)生まれ、大阪府豊中市育ち。大学教授時代より亡くなるまで京都府八幡市に在住した。 小学生の頃から塾へ通うなどしていたが、「戦時中、ぼくはというと、自他共に許す非国民少年で、迫害のかぎりを受けた不良優等生、要領と度胸だけは抜群の受験名人、それに極端に運がよくって、すべての入試をチョロマカシでくぐりぬけた」という(本人著『数学受験術指南』より)。 大阪府立北野中学校(旧制)(現:北野高校)在学中から数学が得意であった。
川崎 健(かわさき つよし、1928年1月10日- 2016… 川崎 健(かわさき つよし、1928年1月10日- 2016年9月12日)は、日本の水産資源学者。東北大学名誉教授。専門は水産海洋学。農学博士(東北大学、1961年3月)。(社)東北建設協会漁業調査アドバイザー、気候影響・利用研究会顧問、日本科学者会議代表幹事、那珂川関係漁業協同組合協議会の設置した「那珂川の魚類・生態系影響評価委員会」委員長などを歴任。レジーム・シフト理論を発見、展開したことから「レジーム・シフトの父」と呼ばれる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 201… 細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 2014年3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任した。 秋田県仙北郡神岡町(現大仙市)出身。旧制秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)を経て、秋田大学学芸学部(現在の秋田大学教育文化学部)卒。卒業後は小中学校教員になり、秋田県教職員組合仙北支部書記長、同支部長、大曲仙北郡労事務局長、同議長、日本社会党大曲仙北総支部執行委員長などを経て、1971年秋田県議に当選し2期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙で秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選し、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
田村 恵(たむら めぐむ、1927年1月10日 - 1986… 田村 恵(たむら めぐむ、1927年1月10日 - 1986年10月8日)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。 附属鎌倉小学校出身。旧制湘南中学時代からサッカーを始め、第一早稲田高等学院を経て早稲田大学に入学。ア式蹴球部に所属して大学リーグの優勝に貢献した。大学卒業後は日本油脂に入社。1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場した。また、1951年アジア競技大会の日本代表にも選出されて3試合全てに出場。国際Aマッチ3試合出場を記録した。 現役引退後は社業に専念する傍ら、地元の鎌倉で少年サッカーのコーチを務めていた。1986年10月8日、国立がんセンターにおいて癌により死去した。
飯島 俊郎(いいじま としろう、1927年1月10日 - 2… 飯島 俊郎(いいじま としろう、1927年1月10日 - 2014年5月9日)は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元実践女子大学学長。元繊維学会会長。 東京出身。1950年東京工業大学有機合成化学コース卒業。1961年東京工業大学工学博士。1967年東京工業大学助教授。1972年教授。1987年名誉教授、実践女子大学家政学部教授。1988年繊維学会会長。1990年繊維学会功績賞受賞。1993年繊維学会名誉会員。1997年実践女子大学学長、実践女子短期大学学長。2002年勲三等旭日中綬章受章。指導学生に濱田州博元信州大学学長、関隆広名古屋大学教授など。 2014年5月9日、肺炎のため死去。
玉田 泰太郎(たまだ やすたろう、1927年1月10日 - … 玉田 泰太郎(たまだ やすたろう、1927年1月10日 - 2002年)は、日本の著作家、小学校理科教師。 愛媛県出身。東京理科大学数学科卒。渋谷区立長谷戸小学校など公立小学校の教員。科学教育研究協議会会員。
宮崎 雅好(みやざき まさよし、1927年(昭和2年)1月1… 宮崎 雅好(みやざき まさよし、1927年(昭和2年)1月10日 - 2021年(令和3年)1月26日)は、昭和から平成時代の政治家。埼玉県坂戸市長。坂戸市名誉市民。 埼玉県入間郡坂戸町(現坂戸市)出身。海軍兵学校卒業。1955年(昭和30年)1月、坂戸町議会議員に当選し、以来坂戸町および坂戸市収入役を経て、1980年(昭和55年)5月、坂戸市長に当選した。2000年(平成12年)5月、政界から引退した。2002年(平成14年)7月、坂戸市名誉市民に推挙された。 2021年1月26日、盲腸がんのため死去。94歳没。死没日をもって従四位に叙される。
いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈… いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉3月31日)は、東京府東京市出身の作家、社会批評・文化批評家。 多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。 現在の東京都港区出身。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て、1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部入学。同期に三島由紀夫がいたが、互いに面識はなかった(後に対談を行っており、1969年の『文化防衛論』に収録されている)。戦後まもなく、一高生を中心に全国の大学や高校をつなぐ同人誌『世代』の創刊に参加。
竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月… 竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2023年〈令和5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、東京都議会議員(1期)、文京区議会議員(1期)を歴任。位階は正三位。 1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った(竹入メモ)。 のちに、創価学会から除名された。詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ。 陸軍航空士官学校在校中に敗戦を迎えた。旧制伊那中学を経て、国鉄(現:JR東日本)に勤務。
北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2… 北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2012年7月13日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士。東京大学名誉教授。 現在の高知県南国市久礼田に生まれる。旧制高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)を経て、1950年、東京大学理学部天文学科卒業。東京大学附属東京天文台助手、講師、助教授を経て1971年教授に就任。1986年定年退官し東京大学名誉教授となった。 北村は古畑正秋とズデネク・コパルの弟子であり、門下生には山崎篤磨、中村泰久、岡崎彰、西城恵一らがいる。 戦後、日本では早期に光電測光を古畑正秋と共に開始。ツアイス製65cm屈折望遠鏡に光電測光装置を取付けて天体の測光を行った。
森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4… 森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。86歳没。叙従三位
織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10… 織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 1996年〈平成8年〉1月23日)は、日本の歌手。本名は伊東 茂子(いとう しげこ)。東京都目黒区出身。 10代の頃は、童謡歌手として、リーガル(コロムビアの廉価盤)の専属として活躍。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、歌謡曲歌手となるべく当時有名であった大村能章歌謡学院の門下となり、大村の紹介により「都 能子(みやこ よしこ)」の芸名で、1947年(昭和22年)にキングレコードからデビュー。芸名の「能子」は、師である大村能章の「能」をいただいたものである。ヒット曲には恵まれなかったものの、木下惠介監督の松竹映画『女』にレビュー歌手として出演し、劇中で『紅バラルンバ』を歌っている。
野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1… 野田 哲(のだ てつ、本名の読み:のだ さとし、1926年1月10日 - 2017年10月21日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 現在の岡山県笠岡市出身。1942年岡山県立笠岡商業学校卒業。福山市役所に入り、労働組合で活動し、自治労広島県委員長、自治労中央本部組織部長、副委員長などを経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では決算、地方行政の各委員長を歴任、党内では参議院国会対策委員長などを務めた。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。 1996年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。 2017年10月21日、肺癌のため広島県福山市の病院で死去、91歳。
宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - … 宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手。 旧制福島中学、全福島日東紡、法政大学を経て1950年に創設された近鉄パールスへ入団。同年9月17日に大阪球場で初めて開催されたプロ野球公式戦(対阪急戦)で球場第1号となるホームランを打っている。 1951年は開幕戦(対南海戦)に9番ショートで先発出場した。同年に退団し、日石カルテックスでプレー。その後は日本石油仙台支店で総務部長を務めていた。 現役時代はメガネがトレードマークの選手だった。
西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月1… 西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月10日 - 2006年(平成18年)8月29日)は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年(明治32年) - 1986年(昭和61年))。 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。 1985年(昭和60年)、社会党・公明党・民社党から誘いを受け、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。