伴 久美子(ばん くみこ、1942年〈昭和17年〉4月10日… 伴 久美子(ばん くみこ、1942年〈昭和17年〉4月10日 - 1986年〈昭和61年〉5月10日)は、童謡歌手。東京都荒川区出身。 幼少期よりアマリリス児童合唱団に入り、小学校三年生の時、NHK『子どものど自慢』に1位入賞。たまたま、その時の歌唱を聞いていた佐々木すぐるの目に留まり、コロムビア専属童謡歌手となる。佐々木の指導方法に無理があったため、半年後突然声が出なくなるという不幸に見舞われるが、コロムビアの当時の担当ディレクターが指導方法を改善した結果、歌えるまでに回復する。 サトウハチロー、中田喜直などが曲を提供し、「猫踏んじゃった」、「ナコちゃん」、「めんこい仔馬」、「べこの子うしの子」、「わらいかわせみに話すなよ」などたくさんのヒット曲を吹き込む。
垣添 忠生(かきぞえ ただお、1941年<昭和16年>4月1… 垣添 忠生(かきぞえ ただお、1941年<昭和16年>4月10日 - )は、日本の医学者、医師。専攻は泌尿器科学。学位は、医学博士(東京大学・1980年)。国立がんセンター名誉総長。大阪市住吉区出身。 ※『妻を看取る日』は実際、NHK-BShiにて放送された。放送日:2010年12月17日午後8時より午後9時30分の1時間30分間
杉原 高嶺(すぎはら たかね、1941年4月10日 - )は… 杉原 高嶺(すぎはら たかね、1941年4月10日 - )は、日本の法学者。専門は、国際法・海洋法・国際司法制度など。学位は、法学博士(東北大学、1976年)(学位論文「国際司法裁判所の研究」)。京都大学名誉教授、北海道大学名誉教授。静岡県出身。兄は憲法学者で一橋大学・駿河台大学名誉教授の杉原泰雄。
北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月… 北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月10日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長174cm。芸映所属。柔道二段。 長崎県生まれ、広島県広島市育ち。1945年5歳の夏、広島市の爆心地から1.9キロ南の自宅で被爆。軽い火傷だけで一命を取りとめる。被爆者手帳を持つ。広島大学附属高等学校から一橋大学を目指すが失敗し、一浪後、日本大学芸術学部演劇科に入り同大学卒。在学中の1966年、森繁久彌主演の東宝「駅前シリーズ」『喜劇 駅前競馬』でデビューした。以降、様々な映画やテレビで地味な役に徹した。役柄はサラリーマン、刑事、教師、酒場のマスターなどが多く、1980年代に"中年男の哀愁を演じる俳優"としてマスメディアに取り上げられた。
村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は… 村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は、日本の、元編集者、作家、エッセイスト(本来の表記は村松友視。「視」の字は「示」の右に「見」)。
岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、… 岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、日本の医学者、東北大学監事・名誉教授、医学博士(京都大学)。研究の中心は細胞の生死のメカニズムを解明することであり、特にインスリンを産出する膵臓細胞が壊れる仕組みを解明したことで知られる。瑞宝中綬章受章、日本学士院賞受賞。 古書の蒐集が趣味で、ニューヨークの古書店から約300万円で購入した種の起源の初版本を、東北大学附属図書館が百周年を迎えるのに合わせて寄贈した。
村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は… 村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 明治高校では2年生の時、エースとして1955年春季関東大会準々決勝に進むが、水戸商の生田目貢(明大)に完封を喫する。翌1956年夏の甲子園都予選準決勝に進出、早実高の王貞治と投げ合うが1-2で惜敗し、甲子園出場を逃した。 1957年に国鉄スワローズに入団。1958年には開幕2戦目から先発として起用されるも、開幕から3連敗を喫する。4月26日に大洋ホエールズを相手に先発、9三振を奪い中島執の1安打のみに抑え初勝利を完封で飾る。同年はリーグ最多の62試合に登板し、5連勝を含む15勝を記録した。1960年には18勝をマークするなど、金田正一に次ぐ第2エースとして長くスワローズの投手陣を支えた。
坂本 春生(さかもと はるみ、1938年(昭和13年)4月1… 坂本 春生(さかもと はるみ、1938年(昭和13年)4月10日 - )は、東京都大田区生まれの日本の官僚。女性通産官僚の草分け。
矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、… 矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、日本の神職、民俗学者、鮫研究家。矢野高陽は子息。 「サメ博士」のあだ名がある。 現在の三重県伊勢市に生まれる(矢野の生誕当時は「伊勢市」は存在しない)。國學院大學文学部国史学科を卒業し、1962年から神宮に奉職する。神宮禰宜、神宮司庁広報課長、奉賽部長、文化部長、総務部副部長、神宮徴古館農業館館長を歴任した。2002年に退職して、特定非営利活動法人の五十鈴塾塾長となる。[要出典] 1977年に『ぼくは小さなサメ博士』で毎日児童小説賞を、1979年に日本旅行記賞を受賞[要出典]。1980年に『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』『鮫 ものと人間の文化史』で樋口清之博士記念賞を受賞。
金城 清子(きんじょう きよこ、1938年4月10日 - )… 金城 清子(きんじょう きよこ、1938年4月10日 - )は、日本の弁護士、法学者、フェミニスト。津田塾大学教授、龍谷大学法科大学院教授を歴任。 東京出身。1961年東京大学法学部卒、東京大学法学部助手。1968年夫の金城睦(ちかし、1937-2014、1995年離婚)とともに沖縄で弁護士を開業。1983年東京家政大学教授となり、1989年津田塾大学教授、のち龍谷大学法科大学院教授。2011年退職。男女平等論の視点から法女性学を提唱。生命倫理の問題にもとりくむ。
田代 守彦(たしろ もりひこ、1938年4月10日 - )は… 田代 守彦(たしろ もりひこ、1938年4月10日 - )は、日本の経営者。トーメン社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1961年に名古屋大学経済学部を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2000年4月には社長に就任し、2004年6月までに務めた。2004年6月から2008年6月までに富士重工業監査役を務めた。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 201… 寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 2019年9月12日)は、日本の環境衛生工学者。大阪産業大学教授。京都大学名誉教授。 福井県小浜市出身。1960年京都大学工学部土木工学科卒業。 1976年工学部教授に就任。専門分野は環境衛生工学。2001年、定年により退職。 2017年、瑞宝中綬章を受章。
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月1… 松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。 1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。 中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
大久保 直彦(おおくぼ なおひこ、1936年(昭和11年)4… 大久保 直彦(おおくぼ なおひこ、1936年(昭和11年)4月10日 - 2014年(平成26年)5月25日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長、公明党書記長、参議院議員(1期)、公明党参議院議員団長、公明副代表などを歴任。 1936年4月10日、現在の東京都千代田区に生まれる。國學院大學久我山高等学校を経て、1959年(昭和34年)早稲田大学政治経済学部を卒業後、証券会社勤務を経て聖教新聞社に入社。民主音楽協会常務理事を歴任し、公明党員となる。 1969年(昭和44年)12月27日、第32回衆議院議員総選挙に旧東京4区から立候補して初当選した。以降、衆議院議員に連続7選。
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10… 加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日 - )は、日本の中国哲学者。 大阪大学名誉教授、Z会顧問。号は孤剣楼。筆名は二畳庵主人。『漢文法基礎』の著者としても知られる。 大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、1960年京都大学文学部卒業。卒業論文では『孝経』を扱う。1963年京都大学大学院修士課程修了。修士論文では『史記』を扱う。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける。 1963年、高野山大学文学部講師。1968年、同助教授。1969年、名古屋大学文学部助教授。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任。 1982年、大阪大学文学部助教授。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)。
山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月1… 山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月10日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の舞踊評論家。 東京都生まれ。日本のバレエ創生期のスターで、『白鳥の湖』全幕を最初に踊った松尾明美(1919~2013年)に憧れて舞踊の世界に入る[要出典]。慶應義塾大学法学部在学中から新聞や雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆するようになった。1959年、慶應義塾大学法学部卒業。1960年、他の批評家、舞踊家らと「二十世紀舞踊の会」を立ち上げる。この会では、うらわまこと、池宮信夫、市川雅などの若手批評家たち、小杉武久らのグループ音楽、そしてさまざまな分野の舞踊家が、新しい表現を追求していたモダンダンスの邦千谷のスタジオに集まって、舞踊やパフォーマンス、トーク、シンポジウムなどを行った。
久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 202… 久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 2025年11月22日[要出典])は、日本の医学者・産婦人科医。筑波大学名誉教授。 専門は産婦人科学。医学博士(東京大学・1968年)。 東京大学附属病院助手・筑波大学臨床医学系産婦人科教授・筑波大学臨床医学系長・龍ケ崎済生会病院初代院長を歴任した。 香川県善通寺市生まれ。善通寺第一高校卒業。 専門は産婦人科学であり、周産期医学、産婦人科ME、新生児・産婦人科疫学、計量診断学などの研究に従事。筑波大学教授として産科医療に従事する他、茨城県周産期医療体制の構築にあたり、母胎搬送等の基準の作成や運用に関する中心的役割を果たした。 1992年から2000年まで日本産婦人科学会茨城地方部会会長を務め茨城県の産科学、婦人科学の進歩・発展に寄与。
瀬古 茂男(せこ しげお、1935年4月10日 - 2015… 瀬古 茂男(せこ しげお、1935年4月10日 - 2015年6月13日)は、日本の経営者。明電舎社長、会長を務めた。 東京都出身。1959年に早稲田大学工学部電気工学科を卒業し、同年に明電舎に入社した。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1998年6月に社長に就任。2002年6月に会長に就任し、2006年6月から相談役を務めた。 2015年6月13日、心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月1… 小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月10日 - 1991年(平成3年)2月19日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞編集委員、ニュースステーションコメンテーター。栃木県出身。 ニュースステーションのスタートに際し、小林にコメンテーターの白羽の矢を立てたのはテレビ朝日の小田久栄門だった。コメンテーター役を選ぶにあたって、まず朝日新聞社長の中江利忠から経歴や写真、当人の書いたものなどを見せてもらい、数十人の候補者のなかから5人に絞ったが、そこから先がなかなか進まなかった。そこで、小田は中江に本物の人物を見せてくださいと頼んで、論説室や編集委員室にさりげなく足を運び、狙いをつけたのが小林だった。
川並 弘昭(かわなみ ひろあき、1933年4月10日 - 2… 川並 弘昭(かわなみ ひろあき、1933年4月10日 - 2011年5月30日)は、日本の教育者。学校法人東京聖徳学園理事長・学園長、聖徳大学・聖徳大学短期大学部学長などを務めた。 東京聖徳学園の創立者である川並香順・孝子夫妻の子として生まれる。誕生日は聖徳学園として最初の学校である聖徳家政学院・新井宿幼稚園が開校した日である。 東京都立大森高等学校を経て早稲田大学第一文学部哲学科を卒業した。 1966年、香順の後を受けて理事長に就任した。1973年、聖徳大学短期大学部の前身である聖徳学園短期大学の学長だった孝子の後を受けて学長に就任した。1990年、聖徳大学の初代学長に就任した。 この他に日本私立短期大学協会会長、財団法人短期大学基準協会理事長、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会委員など多くの役職を務めた。
永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016… 永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016年7月7日)は、日本の放送作家、作詞家。本名:永 孝雄(えい たかお)。 テレビやラジオなどを中心に活躍。軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めた。1961年7月に坂本九により初演され、その後世界中でヒットしたポップソング『上を向いて歩こう』の作詞者として知られる。また短く簡単な言葉で物事の本質を突く、短文の名人としても知られ、著作も多い。『大往生』は200万部を超える大ベストセラーとなった。 “旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”などを自称。晩年の所属事務所は「オフィス六丁目」だった。角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。
西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2… 西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2006年10月21日)は、日本の弁護士である。渉外弁護士として知られ、設立した弁護士事務所は現在、四大法律事務所のひとつである西村あさひ法律事務所となっている。
岩成 達也(いわなり たつや、1933年(昭和8年)4月10… 岩成 達也(いわなり たつや、1933年(昭和8年)4月10日 - 2022年(令和4年)12月9日)は、日本の詩人。大和銀行常務取締役・同社常任監査役を歴任。 京都市生まれ。東京大学理学部数学科卒業。大和銀行に入行し、後に常務取締役や常任監査役を務めた。1958年、入沢康夫らと詩誌「あもるふ」を創刊。1981年、詩集『中型製氷機についての連続するメモ』で第19回藤村記念歴程賞受賞。1990年『フレベヴリィ・ヒツポポウタムスの唄』で第20回高見順賞受賞、2003年「(ひかり)、…擦過。』で第11回萩原朔太郎賞候補、2009年『みどり、その日々を過ぎて。』で第27回現代詩花椿賞受賞。宝塚市在住。 2022年12月9日、心不全のため死去。
茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月… 茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月10日 - 2021年(令和3年)9月2日)は日本の実業家。元八十二銀行頭取。位階は正五位。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校、東京大学法学部卒業後、1956年入行、東京事務所長、資金証券部長を経て、1986年・取締役上田支店長、1987年・同本店営業部長、1989年・常務本店営業部長、1990年・同国際部長、1991年・副頭取、1994年・頭取就任。2001年6月・頭取任期を1年残し会長、2003年〜2005年顧問。1998年〜1999年・全国地方銀行協会副会長。このほか、2015年に成立した安全保障関連法に反対する市民集会の呼び掛け人も務めた。
内司 正弘(ないじ まさひろ、1933年4月10日 - 19… 内司 正弘(ないじ まさひろ、1933年4月10日 - 1992年4月21日)は鹿児島県川辺郡万世町(現:南さつま市)出身の元プロ野球選手。 薩南工業高校から1952年に大阪タイガースに投手としてテスト入団。翌1953年に一軍初登板とドロップ、シュートを武器に初勝利を果たした。1954年からは野手に転向し内野手登録になり、1956年からは外野手に登録を変更した。1956年は自己最多の59試合に出場し、ウエスタン・リーグで本塁打王を獲得した。1957年に現役を引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 -… 古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 - )は日本の大蔵・総務官僚。総務事務次官、 石油公団副総裁、国家公務員共済組合連合会理事長、ソルト・サイエンス研究財団理事長などを務めた。東京都新宿区市谷田町3丁目在住。 愛知県出身。東京大学法学部卒業。1955年4月 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。主計局主査(農林係)、主計局主計官(農林水産担当)などを務める。1978年8月1日 関税局企画課長。1979年7月10日 関税局総務課長兼関税局企画課長。同年8月7日 関税局総務課長。1980年6月17日 関東信越国税局長。1981年5月20日 行政管理庁長官官房審議官(行政管理局担当)。1982年4月6日 行政管理庁長官官房審議官(長官官房担当)。
堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 201… 堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 2013年7月)は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。 長野県小県郡真田町(現上田市)生まれ。長野県上田高等学校、東京大学教育学部卒業。同大学院社会学研究科(教育学)博士課程満期退学。1971年「コメニウス研究」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。1964年旧・東京都立大学講師、1968年名古屋大学教育学部助教授、1980年教授(教育原論)。名古屋大学大学院多元数理科学研究科教授(社会構造数理)。1996年定年退官、名誉教授、日本福祉大学知多半島総合研究所所長(地域総合研究)。 1982年から遡って約10年前に東京から名古屋に引っ越した際、当時小学生だった自身の息子が読売ジャイアンツ(巨人)の堀内恒夫と同姓であるという理由から学校でいじめを受けたことがあると語っており、その理由については息子が巨人のライバル球団であり、名古屋を本拠地とするプロ野球チームである中日ドラゴンズのファンが多い土地柄ゆえ、「ドラゴンズファンのヤリ玉に上げられたような気がする」と語っている。
杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 202… 杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 2025年4月10日)は、長野県下高井郡野沢温泉村出身の元アルペンスキー選手、指導者。 「杉山スキー&スノースポーツスクール」代表。日本職業スキー教師協会(SIA)第5代会長。 幼少期からスキーに親しみ、旧制飯山中学・飯山北高ではスキー部で活躍。高校1年の時、従兄の片桐匡(元全日本スキー連盟副会長、長野県スキー連盟会長)の紹介で、猪谷六合雄・千春父子と知り合う。北アルプス・涸沢での猪谷父子の合宿にも参加し、大きな影響を受ける。高校卒業後、長野電鉄に入社。1954年の第32回全日本スキー選手権大会では、滑降・回転の2冠となり、次世代の有力選手として注目されるようになる。
那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、… 那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、日本の児童文学作家。
多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 199… 多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 1991年3月8日〈60歳没〉)は、日本のヨットマン。新潟県出身。 史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンド・アローン(BOCレース(英語版))」クラスIIの優勝者。 1930年、新潟県長岡市生まれ。 新潟県立長岡中学校時代、グライダー部に所属、3級滑空士の資格を得た。3年生のとき、志願して予科練に入るが、戦争は末期、飛行機も壊滅状態で飛行訓練もできなかった。戦後、解体中の焼夷弾の不発弾が爆発し、右手などを負傷。 旧制新潟高等学校に入学。絵画や陶器に親しむ。卒業後、実家の商売を手伝い、衣類の行商を行う。 上京し、世田谷交通のタクシー運転手を経て、個人タクシー運転手となる。
石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2… 石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2025年12月9日)は、日本の演劇評論家、演出家。石沢秀二とも表記する。本名は石澤秀男。妻は劇作家の石沢富子。 東京都出身。早稲田大学卒、同大学院演劇専攻修士課程修了。1964年、フランス政府招へい芸術留学生として渡仏し、1967年に青年座に入団。雑誌「新劇」編集長を経て、1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に参加し、教授。同退職後、青年座文芸部長を経て、日本演出者協会副理事長、国際演劇評論家協会日本センター会長、日韓演劇交流センター会長を歴任。2005年「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞。1974―1981年岸田国士戯曲賞選考委員を務めた。
藤田 栄(ふじた さかえ、1930年(昭和5年)4月10日 … 藤田 栄(ふじた さかえ、1930年(昭和5年)4月10日 – 2012年(平成24年)11月10日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。静岡新聞社取締役、伊豆新聞会長。 静岡県出身。1949年(昭和24年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。早稲田大学商学部卒業。静岡新聞社に入り、取材、地方各部長、出版、編集各局長、論説委員などを歴任。1983年(昭和58年)12月、熊谷弘の衆院選立候補に伴う参議院補欠選挙で静岡県選挙区から自由民主党公認で立候補して当選。1986年(昭和61年)の第14回参議院議員通常選挙で落選した。静岡新聞社取締役。静岡県社会教育委員、伊豆新聞会長なども務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - … 木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - )は、日本の彫刻家。石彫による作品を多く手がけている。東京都出身。1952年、東京美術学校卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2… 松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2016年6月13日)は、日本の作家。 佐賀県生まれ。日本大学法文学部史学科卒。歴史小説を数多く書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 -… 高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 - 2007年1月31日)は、北海道出身の日本の小説家。本名、良雄(よしお)。歌志内市名誉市民。 歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を卒業。 卒業後、母校の歌志内小学校で代用教員を2年間勤め退職、北海道第一師範学校(現・北海道教育大学札幌校)に進学するも中退し、住友石炭鉱業上歌志内砿に入社。1970年に退社した後、時事漫画を中心としたイラストレーターの傍ら「くりま」で小説の同人活動を続け、1971年「3年間だけ小説を書かせてくれ」と妻に頼み込み、執筆活動に集中。
矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10… 矢代 静一(やしろ せいいち、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。日本文芸家協会、日本演劇協会の各会員。 東京市京橋区尾張町二丁目(現:中央区銀座六丁目)のヨシノヤ靴店(銀座ヨシノヤ)の2階で、父・矢代乙吉、母・園子の長男として誕生。祖父はヨシノヤ靴店の創業者であった。日比谷幼稚園・泰明小学校・東京府立第五中学校から第二早稲田高等学院を経て、1950年に早稲田大学文学部仏文科を卒業。 早稲田高等学院在学中の1944年(昭和19年)に診断書を偽造して大学を休学し、俳優座研究生となる。のち、戦時下の移動劇団に加わる。移動演劇隊の『父帰る』(菊池寛原作)などで主役を張ったが、東野英治郎の薦めで演出部に転向する。
伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 19… 伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 1995年7月16日)は、日本の化学者。専門は、量子化学。旧姓は、宮坂。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1953年名古屋大学理学部物理科卒業。同大学大学院、小林理学研究所勤務を経て、1957年東京農工大学助手。1961年理学博士学位取得。1962年同大学助教授。1966年早稲田大学理工学部(現・早稲田大学先進理工学部)助教授、化学科設立要員として赴任し同学科設立へ向けて尽力。1970年同大学理工学部教授。チューリッヒ工科大学留学を経て、1973年早稲田大学理工学部化学科(現・早稲田大学先進理工学部化学・生命化学科)設立し、以後の教育・研究に尽力。
山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2… 山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2013年12月31日)は、社会学者、広告研究者。 京都市出身。京都大学卒。立教大学大学院社会学修了、成城大学文芸学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4… 髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 2016年〈平成28年〉3月5日)は、日本の実業家。三菱地所取締役社長・取締役会長、日本空手道松濤會理事長などを歴任した。 東京生まれ。1950年中央大学経済学部卒業後、三菱地所入社。三菱重工本社ビル爆破事件では管理部長として、事態収拾の指揮を執った。1987年取締役社長、1994年取締役会長、1997年相談役、2015年名誉顧問。 1993年に藍綬褒章を受章、2003年に旭日重光章を受章。 この間、1994年から2014年まで日本ビルヂング協会連合会会長(のち名誉会長)、1994年から2015年まで東京ビルヂング協会会長(のち名誉会長)を歴任した。
玉置 正和(たまき まさかず、1927年〈昭和2年〉4月10… 玉置 正和(たまき まさかず、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 2023年〈令和5年〉3月2日)は、日本の実業家。元千代田化工建設社長、同会長。 橋爪立一・登志子の三男として和歌山県に生まれ、1951年(昭和26年)玉置明善の養子となる。同年3月、日本大学法学部新聞学科を卒業。1959年(昭和34年)4月、千代田化工建設に入社する。1971年(昭和46年)11月、同社取締役・事業本部工務担当、1976年(昭和51年)12月、常務取締役・人事担当、1979年(昭和54年)12月、代表取締役専務取締役を経て、1981年(昭和56年)6月、代表取締役社長に就任した。その後、1992年(平成4年)6月、同会長に就任した。
二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2… 二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2023年11月15日)は、日本の紙飛行機の設計者、日本紙飛行機協会会長、日本インダストリアルデザイナー協会会員、工学博士、自家用飛行機操縦士。ハードSF研究所客員研究員。 紙飛行機設計歴50年の世界的権威、設計したオリジナル機は、競技機から軽飛行機、プロフィール機まで2,600機を超え、素材には紙だけでなくバルサ材やスチレンペーパーも使用して紙飛行機の可能性を追求している。1967年、第1回国際紙飛行機サンフランシスコ大会でグランプリを獲得。1985年シアトルでの第2回大会では元宇宙飛行士マイケル・コリンズらとともに審査委員を務めた。 1967年から、月刊『子供の科学』で紙飛行機の付録を連載。
大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - … 大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - 1992年2月19日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)。国産ロケット、人工衛星の開発と打ち上げに尽力した。 東京大学理学部卒業後、郵政省電波研究所に入る。1961年京都大学工学部教授、1966年東京大学教授、1981年文部省宇宙科学研究所教授。1990年退官し、東京大学名誉教授、宇宙科学研究所名誉教授。1976年東レ科学技術賞受賞。 1992年2月19日、急性心不全により65歳で死去。
槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010… 槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010年)は、心理学者、筆跡学者、慶應義塾大学名誉教授。 山梨県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻卒業。52年同大学院修士課程修了、東京少年鑑別所技官、1954年中京大学講師、1955年精神医学研究所心理室所員、主任。1964年「パースナリティに於ける指向性の研究 生活態度乃至興味の基礎的一側面について そのdimensionの設定並びにテスト化」で慶大文学博士。1969年慶應義塾大学文学部助教授、71年教授。92年定年退任、名誉教授。槇田パーソナリティ研究所理事長・所長。専攻、パーソナリティ、人事・組織心理学、臨床心理学。
江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4… 江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年〈大正14年〉4月10日 - 2007年〈平成19年〉11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。自由民主党の衆議院議員として建設大臣、運輸大臣、総務庁長官を歴任した。 宮崎県日向市梶木の小作農の家に生まれる。福治の二男。世界恐慌の影響もあって家計は苦しく、小学5年生で出稼ぎに出され、1日55銭の肉体労働をした。 旧制富高実業学校(現在の宮崎県立門川高等学校)を経て、1947年に旧制宮崎農林専門学校(現在の宮崎大学)を卒業。同年には宮崎県富島町農業会技手となり、翌年6月には宮崎県南臼杵畜産農業協同組合参事に就任した。 1955年、宮崎県議会議員選挙に出馬し当選。
中山 義崇(なかやま よしたか、1924年(大正13年)4月… 中山 義崇(なかやま よしたか、1924年(大正13年)4月10日 - 2003年(平成15年)11月24日)は、日本の教育者。崇城大学元学長、君が淵学園理事長。娘婿は崇城大学現学長の中山峰男(旧姓:佐々、長女・郷子の夫)。1981年(昭和56年)11月藍綬褒章受章。 熊本県下益城郡小川町に生まれる。1945年(昭和20年)、官立熊本工業専門学校教員養成電気工学科(現・熊本大学)を卒業する。1949年(昭和24年)、私塾君が淵電波塾を創立。1961年(昭和36年)、学校法人君が淵学園を設立し理事長に。同年君が淵電波工業高等学校を開校し、初代校長に就任する。以降同校を発展させ、1967年(昭和42年)、熊本工業大学を設立、学長に就任する。
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10… 仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 1923年(大正12年)4月10日に滋賀県大津市で生まれる。その後大阪府へ転居し、大阪府女子師範附属小学校を卒業後に大阪府立天王寺中学校を四年で修了し、海軍兵学校(71期)へ入学する。地理学や各訓練などに才能を如何なく発揮し、1942年(昭和17年)11月14日に優秀な成績で卒業。当時の海軍兵学校校長は井上成美海軍中将。卒業式には高松宮宣仁親王(軍令部大佐、昭和天皇弟宮)が出席した。
平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年〈大正12年… 平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年〈大正12年〉4月10日 - 2017年〈平成29年〉3月17日 )は、フリーアナウンサーで、元NHKアナウンサー。本名同じ。 東京府出身。旧制青山学院高等部卒業、青山学院大学文学部英米文学科出身。三菱商事、リーダーズ・ダイジェスト社を経て1951年にNHK入局。秋田放送局、仙台放送局を経て1954年から東京勤務。1959年には皇太子明仁親王と美智子妃の御成婚パレードの実況放送を担当。1960年からワシントンVOA局に日本語放送アナウンサーとして派遣、1962年に帰国。1981年にNHK退職後はテレビ東京(1981年9月まで「東京12チャンネル」)の局契約を経てフリー。
榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2… 榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2022年1月21日)は、日本の書家。本名は弘(ひろむ)。書道香瓔会を主宰。日展参事、日本書芸院名誉顧問。 兵庫県西脇市出身。兵庫師範学校卒。安東聖空にまなび、1956年日展初入選、1966年、1975年特選。1985年兵庫県文化賞受賞。1996年日展出品の「流翳」で日本芸術院賞受賞。古筆を研究して現代的な感覚で「かなの美」を追求した。若山牧水の短歌をモチーフにした書をライフワークとした。 2022年1月21日午前7時2分、肺炎のため兵庫県加東市の病院で死去。98歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。