初島 住彦(はつしま すみひこ、1906年9月11日 - 2… 初島 住彦(はつしま すみひこ、1906年9月11日 - 2008年1月22日)は、日本の植物学者。鹿児島大学名誉教授。農学博士。 1906年、長崎県島原市に生まれた。鹿児島高等農林学校卒業後、九州帝国大学(現:九州大学)に進学。戦前に金平亮三とニューギニアやジャワ島の植物調査を実施した。1931年、農学部林学科卒業。 1942年に九州帝国大学で農学博士の学位を取得。学位論文は「亜細亜産黄楊属の検討」。 戦後は鹿児島大学で教鞭をとり、佐藤正己などを指導した。1972年の定年まで同大に勤務後、琉球大学理工学部(現理学部)へ教授として3年間赴任。その後も南日本の植物研究と教育に尽力した。 2008年1月22日、胆管癌のため鹿児島市の病院で死去。
梅澤 實(うめざわ みのる、1904年〈明治37年〉9月11… 梅澤 實(うめざわ みのる、1904年〈明治37年〉9月11日 - 1994年〈平成6年〉5月13日)は、日本の産婦人科医。横浜市立大学学長。 埼玉県比企郡小川町出身。1923年に旧制埼玉県立熊谷中学校を卒業。旧制浦和高校を経て、1930年東京帝国大学医学科を卒業。東京大学医学部付属病院産婦人科教室に入り医学博士を取得。 1939年に新潟医科大学助教授に新任。前橋医科大学教授を経て、1950年、群馬大学医学部産婦人科教室教授。1951年、群馬大学医学部附属病院長となる。1957年、附属病院長を辞任。 1958年、群馬大学教授を退官後、横浜市立大学医学部教授となる。1970年退官し、横浜市立大学学長を1974年まで務めた。
清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明… 清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。主に昭和初期から中期にかけて活躍した。 静岡県浜名郡伊佐見村(現在の浜松市中央区伊左地町)生まれ。少年期は水泳に熱中した。 旧制浜松中学(現・浜松北高校)を経て、京都の予備校へ数ヵ月通った後、山陽中学校(現・山陽高等学校)への編入を経て、立教大学文学部英文学科卒。立教大学では水泳部に入り、主将として、短距離自由形で全日本ベスト5に入る好記録をマークした。詩人のサトウハチローは立教の先輩であり、レースが始まると必ず神宮プールの玄関に来てみのるを呼び出したという。
大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年(明治36年)9月… 大蔵 栄一(おおくら えいいち、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。二・二六事件当時の革新派青年将校の中心的人物。 大分県日田市に生まれる。福岡県立中学修猷館に入学するが、修学半ばの1918年(大正7年)に、軍人の道を志して熊本陸軍地方幼年学校に進学(22期)。熊本幼年学校の同期には、後の同志となる菅波三郎・香田清貞・朝山小二郎がいる。1923年(大正12年)、陸軍士官学校予科を卒業。士官候補生として朝鮮羅南の歩兵第73連隊に配属され、同年9月に陸軍士官学校本科に入学。1925年(大正14年)7月、陸軍士官学校を卒業(37期)し、同年8月、歩兵少尉として歩兵第73連隊に復帰。
山之口 貘(やまのくち ばく、1903年〈明治36年〉9月1… 山之口 貘(やまのくち ばく、1903年〈明治36年〉9月11日 - 1963年〈昭和38年〉7月19日)は、沖縄県那覇区(那覇市)東町大門前出身の詩人である。本名は、山口 重三郎(やまぐち じゅうさぶろう)。197編の詩を書き4冊の詩集を出した。 上京後、職を転々としながら放浪生活を送る。金子光晴の知己を得て詩誌「歴程」に参加。生活苦を風刺的にユーモアを交えてうたった。第1詩集『思弁の苑』(1938年)のほか、『鮪に鰯』(1964年)など。 人生の様々な場面を純朴で澄んだ目線で描いた。『妹へおくる手紙』『生活の柄』『自己紹介』『結婚』『頭をかかえる宇宙人』『年越の詩』『思ひ出』では上京して金に苦労した時の自伝。
島袋 俊一(しまぶくろ しゅんいち、1902年9月11日 -… 島袋 俊一(しまぶくろ しゅんいち、1902年9月11日 - 1965年9月17日)は、日本の植物病理学者・菌学者・教育者。歌人としても活躍し、小林 寂鳥(こばやし じゃくちょう)と号した。 1902年、沖縄県国頭郡伊江村出身。 1924年に旧制鹿児島高等農林学校(現在の鹿児島大学農学部)を卒業後、名瀬実科高等女学校(鹿児島県立奄美高等学校の前身の一つ)、鹿児島県第二師範学校の教員を務める。1937年に帰郷して沖縄県立八重山農学校(現在の沖縄県立八重山農林高等学校)の初代校長を務め、1944年からは沖縄青年師範学校の校長を歴任した。 1950年に琉球大学が開学すると同大学の教授に就任、1959年に農学部長、学部改組により農家政学部長、農家政工学部長を歴任した。
河野 貞子(こうの さだこ、1899年9月11日 - 198… 河野 貞子(こうの さだこ、1899年9月11日 - 1984年2月12日)は、日本の料理研究家。 山口県熊毛郡田布施村(現田布施町)出身。広島県立広島高等女学校卒業。1919年から十数年にわたり商社勤務の夫とともにアメリカ合衆国に滞在、料理と家事を研究。1930年帰国後、西洋料理の知恵を日本料理に取り入れながら新しい家庭料理を創出、テレビ番組でも人気だった。1981年勲五等宝冠章受勲。
谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治… 谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治32年)9月11日 - 1954年(昭和29年)1月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 福岡県出身。測量業・谷川常吉の息子として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、騎兵少尉に任官し騎兵第5連隊付となる。1924年(大正13年)10月、騎兵中尉に昇進し、1926年(大正15年)2月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、下志津陸軍飛行学校教官に就任。
明石 潮 (あかし うしお、1898年9月11日 - 198… 明石 潮 (あかし うしお、1898年9月11日 - 1986年11月26日)は、日本の俳優。本名は明石 義仁。
森 銑三(もり せんぞう、1895年(明治28年)9月11日… 森 銑三(もり せんぞう、1895年(明治28年)9月11日 - 1985年(昭和60年)3月7日)は、昭和期日本の在野の歴史学者、書誌学者。愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身。 高等教育を経験しなかったにもかかわらず、図書館臨時職員、代用教員、雑誌社勤務など様々な職につきながら、独学で文学・国史の研究にいそしみ、図書館・資料館等に保管された資料の発掘と、それらを元に人物伝や典籍について精密に記した膨大な量の執筆活動を通じ、近世日本の文化・文芸関係の人物研究の分野で多大な業績を残した。 愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)に出生。生家は呉服商。沢山の小説本を買い与えられ、文学に親しむ。刈谷尋常小学校時代は利発で学業に秀でていたが、刈谷には旧制中学校が設立されておらず、中学校進学を希望するならば近隣の岡崎で下宿する以外になかった。
萱場 軍蔵(かやば ぐんぞう、1893年(明治26年)9月1… 萱場 軍蔵(かやば ぐんぞう、1893年(明治26年)9月11日 - 1979年(昭和54年)11月15日)は、日本の内務官僚。いわゆる内務三役(内務次官、内務省警保局長〈現在の警察庁長官に相当〉、警視総監)を全て経験した。 宮城県名取郡東多賀村(現・名取市)出身。私立東北中学校(現:東北高等学校)、第二高等学校、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験行政科に合格して内務省に入省。 1934年(昭和9年)、栃木県知事に就任。1936年(昭和11年)に二・二六事件が発生して警視庁上層部が更迭されると同年3月に警保局長に任じられた。1937年(昭和12年)、岡山県知事に就任。1939年(昭和14年)、警視総監に就任。
田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月1… 田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月11日 - 1983年(昭和58年)11月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡村松町(現五泉市)で素封家・田代兼次の三男として生まれる。新潟県立新潟中学校を経て、1915年、農林省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業した。 その後、佐渡島で漁業に従事。1916年、青森県技手に就任。1919年、日魯漁業の平塚常次郎に見いだされ同社に入社。函館製網船具 (株) に転じて新川工場長に就任し漁網の改良に従事。1931年に独立して漁網漁具製造販売業を営んだ。また、函館産業社長、函館青果卸売市場社長、北海道方面委員、函館地方裁判所調停委員、函館調停協会理事などを務めた。
千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 195… 千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 1956年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県会議員(3期)、岡崎市会議員(4期)などを歴任した。横に大きく伸びた口ひげから「おひげさん」の愛称で親しまれた。 愛知県額田郡岡崎町連尺(現・岡崎市)で木綿問屋を営む千賀伝三郎の五男として生まれる。愛知県第二師範学校附属小学校、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。木綿織物業に従事する。 1928年(昭和3年)10月5日に行われた岡崎市会議員選挙に立候補し初当選。千賀は立憲民政党の岡崎支部である岡崎民政倶楽部に属していたが、当選の翌月、他の若手の民政党員と共に分派し岡崎民政青年団を結成した。
金 道泰(キム・ドテ、김도태、きん どうたい、1891年9月… 金 道泰(キム・ドテ、김도태、きん どうたい、1891年9月11日 - 1956年12月26日)は、大韓民国の教育者。 朝鮮の日本統治時代初期において三・一運動に関わるなど独立運動に一定の功績があったが、末期には親日的な論説の寄稿や行動も行なった。本貫は慶州。 平安北道定州郡(後の定州市)生まれ。 定州の五山学校(朝鮮語版)(後の五山高等学校)を経て、日本に留学し、正則英語学校(後の正則学園高等学校)を卒業した。 その後、地理と歴史を教える教師となり、1912年に満州の新興武官学校(朝鮮語版)、その後は載寧郡にあったキリスト教系の明神女学校に勤めた。 1919年の三・一運動には、民族代表48人のひとりとして参加した。
倉橋 尚(くらはし ひさし、1890年(明治23年)9月11… 倉橋 尚(くらはし ひさし、1890年(明治23年)9月11日 - 1976年(昭和51年)9月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1890年(明治23年)に富山市で生まれた。陸軍士官学校第24期卒業。区隊長は大島浩で、仁保進とは同じ区隊。原隊の歩兵第7連隊での勤務を経て、陸軍士官学校にて33期生の区隊長を担当。教え子に鈴木善康(のち陸軍大佐)がいる。その後は各地の配属将校を転々とし、1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第22師団兵器部長に着任。1940年(昭和15年)3月に歩兵第60連隊長(第13軍・第15師団・第15歩兵団)に就任し、南京の警備に任じた。
加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月1… 加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月11日 - 1944年(昭和19年)8月23日)は、昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県会議長。 静岡県、のちの浜松市上池川町(現・浜松市中央区布橋一丁目)出身。旧制浜松中学校中退。 浜松市会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、浜松市茶業組合長、静岡県茶業組合連合常議員、全国茶業組合中央会議員、日本紅茶、東亜製茶各監査役、東海精機重工業社長、遠州鉱物工業組合理事長を歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選。在任中に死去した。
久留島 秀三郎(くるしま ひでさぶろう、1888年9月11日… 久留島 秀三郎(くるしま ひでさぶろう、1888年9月11日 - 1970年9月22日)は京都府出身の日本の実業家、作家。鉱山技師で工学博士でもある。同和鉱業社長、日本科学技術連盟第5代理事長、ボーイスカウト日本連盟第5代総長など多くの要職を務めた。義父は児童文学者の久留島武彦。従三位。 1888年(明治21年)9月11日、京都で薬種商を営んでいた父(六代)中野忠八と母みねの間に生まれた。次男ではあったが、曾祖父の幼名であった秀三郎の名を受け継いだという。京都修道小学校、第三高等小学校を卒業。 京都第二中学校に進学するも5年半をかけて卒業できず、1905年(明治38年)に上京し日本中学校に転校した。
三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉… 三宅 哲一郎(みやけ てついちろう、1888年〈明治21年〉9月11日 - 1979年〈昭和54年〉1月23日)は、日本の外交官。駐チリ公使。 和歌山県出身。神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を経て、1911年(明治44年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1914年(大正3年)、外交官及領事官試験に合格。領事官補・関東都督府事務官、領事、公使館三等書記官、外務事務官・参事官、外務書記官・条約局第三課長、公使館二等書記官、同一等書記官などを歴任し、その間、スウェーデン、オランダに勤務した。バタヴィア総領事時代には、横浜正金銀行に学校設立を働きかけたり、シムラ会商に政府代表として参加し、イギリス、インドと通商問題の交渉を行うなどした。
加藤 保太郎(かとう やすたろう、明治19年(1886年)9… 加藤 保太郎(かとう やすたろう、明治19年(1886年)9月11日 - 昭和43年(1968年)8月19日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 滋賀県犬上郡豊郷村四十九院の農家、加藤甚弥・ふさの次男に生まれ、苦学して彦根中学卒業後、陸軍軍人となる。陸士同期に石原莞爾、飯村穣、陸大同期に井出宣時、町尻量基、後宮淳、牟田口廉也らがいる。「先入主に陥らぬこと」を旨とし、一貫して英米との協調路線を説いた。
仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 19… 仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。 1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として、石川県に生まれる。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する。 1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した。読売新聞社に入社、同新聞の記者をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している。その後、芸術座に入るが、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった。
籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1… 籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1957年11月26日)は、日本海軍の軍人。 最終階級は海軍大佐。
川村 麟也(かわむら りんや、1879年〈明治12年〉9月1… 川村 麟也(かわむら りんや、1879年〈明治12年〉9月11日 - 1947年〈昭和22年〉10月31日)は、日本の医師、病理学者。著名なツツガムシ病の研究の他、日本住血吸虫症の研究や脂肪染色法など一般病理学面での業績も残している 。 東京大学医科学研究所名誉教授の川村明義は三男。 1879年(明治12年)川村将徳の四男として山梨県北巨摩郡志田村(現・甲斐市)に生まれる。 中学校卒業後東京の独逸語学校にてドイツ語を学んだ後、第一高等学校を経て東京帝国大学医科大学に入り病理学教室の山極勝三郎に師事。1906年同大を卒業しすぐに病理学教室に入る。 1908年(明治41年)に奨学金を受けてイギリスとドイツに渡り、特にベルリンのヨハネス・オルト (Johannes Orth) とフライブルクのルードヴィッヒ・アショフ (Ludwig Aschoff) に師事した。
喜多 又蔵(きた またぞう、1877年(明治10年)9月11… 喜多 又蔵(きた またぞう、1877年(明治10年)9月11日 - 1932年(昭和7年)1月31日)は、日本の実業家。日本綿花(現双日)社長や、鈴政式織機社長を務めた。 奈良県南葛城郡葛城村(現御所市)字鳥井戸で、金剛山下の酒屋喜多長七郎の三男として生まれる。1894年に市立大阪商業学校(現大阪市立大学)を卒業し、成瀬隆蔵校長の紹介で日本綿花(現双日)に入社。田中市兵衛の知遇を得て、ムンバイ支店長、本店支配人、常務取締役を経て、1917年から社長を務め、東洋棉花(現豊田通商)の児玉一造と仕手で争いを繰り広げた。1919年には第一次世界大戦のパリ講和会議全権大使隨員を務め勲三等に叙された。1920年鈴政式織機(現エンシュウ)社長。
片山 正夫(かたやま まさお、1877年9月11日 - 19… 片山 正夫(かたやま まさお、1877年9月11日 - 1961年6月11日)は、日本の物理化学者。東北帝国大学理科大学教授。開成中学校校長(第9代)。 岡山県都窪郡茶屋町(現・倉敷市茶屋)に生まれる。一高を経て、1900年(明治33年)、東京帝国大学理科大学化学科を卒業。1902年東京高等工業学校(現・東京工業大学)電気化学科教授となる。1905年秋から1909年初めにかけてスイスとドイツに留学。チューリッヒ工科大学のリヒャルト・ローレンツ(英語版)のもとで電気化学を研究し、可逆電池の起電力がギブスの自由エネルギーであることを明らかにした。ついでベルリン大学のW. ネルンストのもとでボーデンシュタイン(英語版)とともに二酸化窒素および硫酸の解離平衡を研究した。
亀井 喜一郎(かめい きいちろう、1877年(明治10年)9… 亀井 喜一郎(かめい きいちろう、1877年(明治10年)9月11日 - 1935年(昭和10年)8月2日)は、日本の銀行家。函館製綿監査役。函館貯蓄銀行支配人・同行取締役。族籍は北海道平民。評論家亀井勝一郎の父。 北海道・工藤嘉七の叔父。1906年、先代亀井ミヤの入夫となり、家督を相続した。東京専門学校(現・早稲田大学)邦語行政科卒業。函館貯蓄銀行支配人をつとめ、1919年に辞任する。北海道函館市元町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
亀田 次郎(かめだ じろう、1876年〈明治9年〉9月11日… 亀田 次郎(かめだ じろう、1876年〈明治9年〉9月11日 - 1944年〈昭和19年〉2月8日)は、日本の国語学者、書誌学者。 兵庫県印南郡曽根村(現・高砂市曽根町)に生まれる。父・猪之介、母・チヨ。母方の祖父は亀田五一郎といい、幕末に塩田開拓などで成功し、南画家の田能村直入などの文人と交流のあった素封家であった。 大阪尋常中学校から熊本の第五高等学校を経て東京帝国大学文学部に進学。友人に新村出がいる。大学を卒業後は恩師・上田萬年が主事を務めていた国語調査委員会嘱託として実務にあたった。1908年に七高へ赴任(同僚に山田準・武藤長平・伊波普猷らがいた)。その後、大阪外国語学校・大谷大学に教授として勤務した。
岡村 勇二(おかむら ゆうじ、1872年〈明治5年〉9月11… 岡村 勇二(おかむら ゆうじ、1872年〈明治5年〉9月11日 - 没年不明)は、日本の地方官吏。 明治から大正にかけて、山口県の地方官吏として活躍し、熊毛郡や阿武郡、都濃郡の郡長を務めた。阿武郡長在任時には長門峡の発見・開発に尽力したことで知られる。 1872年〈明治5年〉9月11日、山口県吉敷郡大内村(現在の山口市)で、森重勇雄の四男として生まれる。のちに岡村家に養子に入る。 1898年(明治31年)に山口県属となる。庶務課、山口県教育会などの業務を担当したのち、1913年(大正2年)5月に熊毛郡の郡長に着任。1915年(大正4年)7月に阿武郡の郡長に転任する。 阿武郡長時代の1918年(大正7年)9月には、当時郡制の廃止が議論されていたことから、阿武郡の歴史をまとめた「阿武郡志」の編纂を計画。
尾崎 麟太郎(おざき りんたろう、1864年9月11日(元治… 尾崎 麟太郎(おざき りんたろう、1864年9月11日(元治元年8月11日)- 1917年(大正6年)3月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。従四位勲四等。貴族院男爵議員。 土佐藩士・尾崎忠治の長男として生まれる。父の死去に伴い、1905年(明治38年)10月、家督を継承し、同年11月6日、男爵を襲爵した。 東京帝国大学法科大学を修了。1883年(明治16年)前橋始審裁判所書記に就任。ほどなく退官して、日本銀行文書局書記、同検査役、都銀行取締役などを務めた。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、死去するまで在任した。 1917年3月、神奈川県鎌倉郡鎌倉町長谷の私邸で療養中に死去した。
北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈… 北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈文久3年7月29日〉- 1918年〈大正7年〉11月9日)は、日本の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家76代、貴族院男爵議員。旧名・殿若丸。 出雲国出雲郡(現島根県出雲市大社町)で北島国造家75代・北島脩孝の長男として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)4月7日、男爵を襲爵した。 1882年(明治15年)出雲大社権宮司に就任。同禰宜、大教正、神道出雲教(現出雲教)大教主を務めた。 1908年(明治41年)7月1日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した。
大橋 新太郎(おおはし しんたろう、文久3年7月29日(18… 大橋 新太郎(おおはし しんたろう、文久3年7月29日(1863年9月11日) - 1944年(昭和19年)5月5日)は、明治時代から昭和時代にかけての実業家・政治家。父の大橋佐平とともに博文館を創業し、明治・大正時代の出版界の王者となり、印刷から販売まで手がける出版コンツェルンを構築した。また。衆議院議員・貴族院議員にも選ばれたほか、日本工業倶楽部会長を務めた。 父の大橋佐平は越後長岡の開明的な商人で、出版・新聞などの情報産業にいち早く着目し、新潟県から東京に進出して近代出版業の先駆者となった。 博文館は、佐平と新太郎の父子が協力して創立した出版社で、日清戦争・日露戦争などの報道によって爆発的な利益を得るとともに、尾崎紅葉を盟主とする硯友社の文学運動に「文芸倶楽部」などの発表の場を提供することによって当時の文壇の首脳部を手中に収めた。
山田 順一(やまだ じゅんいち、1856年9月11日(安政3… 山田 順一(やまだ じゅんいち、1856年9月11日(安政3年8月13日) - 1919年(大正8年)10月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。名は篤敬、字は子信、号は忠焉齋、旧姓飯塚。 越後国刈羽郡新道村(のち新潟県刈羽郡日高村→高田村、現・柏崎市)生まれ。神奈川県立修文館で英語を学び、東京湯島共貫義塾を経て、麻布学農社で農学を学ぶ。新潟県会議員、刈羽郡連合会議員、同議長、郡教育会議員、同議長、学務委員、両田尻村(現・柏崎市)外七ヶ村戸長、郡所得税調査委員、徴兵参事員、田尻村会議員、刈羽郡会議員、同議長代理となる。第百三十九国立銀行取締役、柏崎物産(株)社長、越後セメント取締役、柏崎米穀取引所理事長、宝(株)石油、日東石油(株)各取締役、七十七銀行、石地銀行各監査役を務めた。
八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2… 八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2年8月10日〉 - 1918年)は、日本の実業家、政治家。神戸市会議員。兵庫運河社長。駒ヶ林魚類定市場取締役。族籍は兵庫県平民。兵庫運河を完成させた人物として知られる。 淡路津名郡岩屋村(現・淡路市)の長谷川八右衛門の次男として生まれ、5歳のときに兵庫西尻池の旧家八尾家の養子となる。船頭から身を起こして魚問屋として成功を収め、和歌山や四国まで事業を拡大させた。 1894年に安田善次郎、武井守正、谷勘兵衛らの出資の下、兵庫運河株式会社を設立し、新川運河を完成させたまま中断していた兵庫運河の建設工事を引き継ぎ、1898年に完成させた。1898年4月19日から1904年4月18日まで神戸市会議員をつとめた。
鎌田 梢(かまだ こずえ、9月11日 - )は、日本の女性声… 鎌田 梢(かまだ こずえ、9月11日 - )は、日本の女性声優。青二プロダクション所属。宮城県出身。 宮城県宮城野高等学校、青二塾東京校2部3期生卒業。 方言は東北弁(仙台)。 声優としては、多数のアニメ、洋画、ゲームなどに出演している。 資格・免許は普通自動車免許、仏検5級。 イラストレーターのえいひは妹。 太字はメインキャラクター。
芝尾 よしこ(しばお よしこ、9月11日)は、日本の女性声優… 芝尾 よしこ(しばお よしこ、9月11日)は、日本の女性声優。山口県出身。山口県立宇部高等学校卒業。青二プロダクション附属俳優養成所青二塾東京校第30期生。
中屋 藍(なかや あい、9月11日 - )は、元RSK山陽放… 中屋 藍(なかや あい、9月11日 - )は、元RSK山陽放送のアナウンサー。 和歌山県出身。関西学院大学文学部文学言語学科卒業。大学在学時には、オープンキャンパスの企画運営サークルで活動しながら和歌山県の観光大使も務めていた。観光PRのために岡山県を訪れた際、RSKの現地での愛されぶりなどを知り、それをきっかけに入社を熱望するようになる。以後は、学業と並行して大阪のアナウンススクール声光塾にも通っていた。 大学を卒業後、2020年4月にRSK山陽放送に入社。報道局アナウンス部に配属され、同期の新田真子、谷口笑子とともに同局のアナウンサーになる。 2024年10月現在、日本骨髄バンク 広報渉外部に転職。
中村 かさね(なかむら かさね、9月11日 - )は、青森朝… 中村 かさね(なかむら かさね、9月11日 - )は、青森朝日放送のアナウンサー。 宮城県出身。東北学院大学教養学部地域構想学科在学中に「せんだい・杜の都親善大使」に選ばれ、2015年5月から1年間仙台市の広報活動に従事した。また、在学中にはテレビ朝日アスクにも通っていた。 2017年4月に青森朝日放送に入社し、同期の服部未佳とともに同局のアナウンサーになる。入社から4年後(入社5年目)の2021年には、ANNアナウンサー賞の「ナレーション部門」で新人賞を受賞した。 Category:青森朝日放送のアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
出口超(でぐち わたる、9月11日 -)は京都府舞鶴市生まれ… 出口超(でぐち わたる、9月11日 -)は京都府舞鶴市生まれのスノーボードプロコーチ、ダイビングインストラクター。
野木 奏 (のぎ かな、9月11日- )は、日本の女性声優。… 野木 奏 (のぎ かな、9月11日- )は、日本の女性声優。東京俳優生活協同組合所属。北海道帯広市出身。 幼少期、『イナズマイレブン』を観ていた際、複数のキャラクターを同じ声優が担当しているのを見つけ、興味を持ち声優を目指すようになった。 声優になっていなかったら猫カフェの店員になりたかったと語る。 2022年、俳協ボイス62期を経て、2023年に東京俳優生活協同組合に所属。 2024年8月、X(旧Twitter)アカウントを開設。 2025年10月、アパレルブランド『LIVERTINE AGE』とのコラボレーションアイテムを期間限定で販売。 2026年1月、SEASIDE NexT Girl's Siteにて冠番組『野木奏の”ゆめかな”』を開始。
桜舞 しおん(おうま しおん、9月11日生)は、元宝塚歌劇団… 桜舞 しおん(おうま しおん、9月11日生)は、元宝塚歌劇団花組男役。 福岡県北九州市、西南女学院高校出身。公称身長169cm。愛称は「おーま」「りり」。 2008年、宝塚音楽学校入学。同期には夢華あみ、蘭舞ゆう、咲妃みゆ、紫藤りゅう、和希そららがいる。 2010年4月、宝塚歌劇団に第96期生として入団。入団時の成績は28番。月組公演『THE SCARLET PIMPERNEL』で初舞台。その後、花組に配属。 2018年10月14日、『MESSIAH -異聞・天草四郎-/BEAUTIFUL GARDEN −百花繚乱−』の千秋楽をもって宝塚を退団。