釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月… 釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月15日 - 2025年〈令和7年〉8月10日)は、日本(京都府京都市右京区太秦出身)の元サッカー選手、元サッカー指導者、元政治家、実業家。位階は正五位。 自由民主党所属の元参議院議員(1期)。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せた。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコシティーオリンピックでは、アジア人初の得点王となった。
垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本… 垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本の実業家。西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)元代表取締役社長。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1969年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、日本国有鉄道入社。 2003年からJR西日本社長を務めていたが、2005年のJR福知山線脱線事故の責任を取り、2006年 取締役兼執行役員に降格。2007年から取締役を退任し顧問を務めていた。事故後は、遺族らとともに悲嘆についての聖トマス大学(当時、2015年閉学)の公開講座に参加するなど深く反省を示していた。2009年 山崎正夫社長(当時)が記者会見で、歴代社長の事故への責任を明確化するために顧問契約を解消し、南谷昌二郎顧問同様、8月1日付で嘱託となることを明らかにした。
坪川 禮巳(つぼかわ ひろみ 1943年4月15日 - )は… 坪川 禮巳(つぼかわ ひろみ 1943年4月15日 - )は、広島県議会議員(1991~2007年、2011~2015年)を5期務めた政治家。 学校法人清水ヶ丘学園 理事長。 明治大学 在学中、自由民主党学生部幹事長(学生部長は橋本龍太郎)に就任。
篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ、1942年〈昭和1… 篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ、1942年〈昭和17年〉4月15日 - )は、日本の芸術家、タレント。自らを「ゲージツ家」と称している。 愛称はクマさんで、「KUMA」名義でも活動する。 タモリやビートたけし、明石家さんまなど、人気芸人とも共演し、独特の話術で茶の間の人気者となるが、その後、テレビ番組から姿を消す。 血液型B型。趣味は剣道。KUMA's FACTORY(クマズファクトリー。1986年設立)所属。 北海道室蘭市出身(札幌市生まれ)。生後すぐにジフテリアにかかり、嗅覚と左耳の聴覚を失った。深沢七郎の『ラブミー農場』に住んでいたことがあり、嵐山光三郎の『桃仙人 小説深沢七郎』(メタローグ)にも「彫刻家のクマちゃん」として登場する。
高島 昭男 (たかしま あきお、1942年(昭和17年)4月… 高島 昭男 (たかしま あきお、1942年(昭和17年)4月15日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。
十田 敬三(とだ けいぞう、本名:山崎 皓、1942年4月1… 十田 敬三(とだ けいぞう、本名:山崎 皓、1942年4月15日 - )は、日本の歌手。 慶應義塾大学在学中から学生バンドのメンバーとしてボーカルとギターを担当。1960年5月にポス宮崎とコニー・アイランダースのメンバーとしてデビュー。その後、1964年にダニー飯田とパラダイス・キングに加入する。1968年に高橋圭三プロダクションに移籍し、根市タカオカルテットに加入する。 歌手としてはジャズや歌謡曲を中心に活動、またコマーシャルソング、アニメソングなどにも参加した。
油井義昭(ゆい よしあき、1942年4月15日-)は日本の牧… 油井義昭(ゆい よしあき、1942年4月15日-)は日本の牧師、神学校教師。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
田中 達美(たなか たつみ、1941年(昭和16年)4月15… 田中 達美(たなか たつみ、1941年(昭和16年)4月15日 - )は、日本の政治家。元広島県江田島市長(2期)、元江田島市議会議員(2期)、元大柿町議会議員(6期)。 広島県佐伯郡大柿町(現・江田島市)出身。広島県立大柿高等学校卒業。 1983年(昭和58年)6月19日、大柿町議会議員に就任。以後、町議を計6期務める。2003年(平成15年)6月24日に町議会議長に就任している。 2004年(平成16年)11月1日、安芸郡江田島町及び佐伯郡大柿町・沖美町・能美町が合併して江田島市に移行する。これに伴って同日、江田島市議会議員に就任。市議時代に議長を2回務める。 2008年(平成20年)11月16日公示、11月23日投票の江田島市長選挙において無投票で初当選。
三浦 登(みうら のぼる、1941年4月15日 - )は、日… 三浦 登(みうら のぼる、1941年4月15日 - )は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。 1941年東京生まれ。東京都立戸山高等学校卒業。1964年東京大学工学部物理工学科を卒業。同大学院進学後、オックスフォード大学研究員を経て東京大学物性研究所教授。定年退官後、同大学名誉教授。2005年独ドレスデン・ライプニッツIFW研究所客員教授。2003年島津賞受賞。2004年フンボルト賞受賞。2006年大英帝国勲章OBE受勲。2022年瑞宝中綬章受章。工学博士。 歌舞伎、クラシック音楽、バドミントンなどの他、藤村富美男以降の長年に渡る阪神タイガースファン。
長尾 史郎(ながお しろう、1941年4月15日 - )は、… 長尾 史郎(ながお しろう、1941年4月15日 - )は、日本の経済学者、翻訳家。明治大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡笹神村(現・阿賀野市)出身。一橋大学経済学部卒、1976年同大学院修士課程修了。指導教官高須賀義博。1970-1971年カナダ・カールトン大学に学ぶ。大東文化大学助教授、明治大学経営学部助教授、教授、2012年定年退任、名誉教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )… 磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )は、高校野球の指導者、高校・大学教員。 1978年、浜松商業高校、2007年には、常葉菊川高校野球部を、それぞれ選抜高等学校野球大会全国優勝に導いた。 静岡県生まれ。1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。神戸大学卒業。 1965年、掛川西高校社会科教諭・野球部副部長、1972年、浜松商業高校社会科教諭・野球部監督に就任。1978年、センバツ大会優勝。1980年、選手権大会8強。1984年3月で浜松商業高校を退任後、浜松南高校社会科教諭を経て、磐田南高校社会科教諭・野球部監督を務めた。 その後は一時、野球部の指導から離れ、県教育研究所指導主事・浜名高校教頭、磐田北高校教頭など歴任した。
宮崎 揚弘(みやざき あきひろ、1940年4月15日- )は… 宮崎 揚弘(みやざき あきひろ、1940年4月15日- )は、西洋史学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。本名・宮崎洋。慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。北海道教育大学釧路分校講師、助教授、慶應義塾大学商学部助教授、教授、2006年定年、名誉教授、帝京大学文学部教授。2011年退職。近世フランス史専攻。
原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2… 原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2025年7月11日)は、日本の医師。医学博士(東京大学、1975年)。医療法人杏仁会大圃病院(きょうじんかい おおはたびょういん)会長。第18代日本医師会会長。 1940年、茨城県生まれ。福島県浪江町出身。『日本医師会 平成三十年の歩み』にある経歴中で茨城県生まれと記載されているが、『浪江町くらしのガイドブック』には郷土出身者の一人として掲載されている。 1966年に日本大学医学部卒業。1967年に東京大学医学部に入局。1980年に東京大学医科学研究所内科医局長、1990年に東京大学助教授に就任。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げる。
小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 201… 小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身。 大きなサングラスが特徴で、小出正子は実子。高橋健一は婿にあたる。 千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思いを断ち難く出奔。小出の語るところによると、「電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた」後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2… 今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2021年8月12日)は、日本の実業家。元北海道日本ハムファイターズ会長・社長。球団の北海道移転と道民ファンの獲得に尽力した。 長崎県長崎市出身、3人兄弟の次男として生まれる。小学1年時に長崎市への原子爆弾投下により被爆、その後長崎県立長崎東高等学校を経て、同志社大学商学部を卒業後、大学のゼミ講師に「食の仕事はこれから伸びる、食肉関係は必ず伸びる」とアドバイスされたことをきっかけに食肉業者を志し、1961年に徳島ハム(現在の日本ハム)入社。同社では営業畑を歩み1967年に姫路営業所長、1971年神戸営業所長、1977年量販部長、1988年九州販売部長、営業本部参与を経て、1997年常勤監査役。
小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - … 小檜山 博(こひやま はく、男性、1937年4月15日 - )は、日本の小説家。本名は「博」を「ひろし」と読む。神田日勝記念美術館館長。元北海道教育大学特任教授。札幌市在住。 北海道滝上町生まれ。北海道苫小牧工業高等学校電気科卒業。高校卒業後、北海道新聞社に勤務する傍ら執筆活動を開始。「文學界」、「新潮」、「すばる」等の文芸誌にて作品を発表するほか、「北方文芸」などで同人活動を行う。 1976年に発表した『出刃』が第1回北方文芸賞を受賞し、第75回芥川賞候補となったのを皮切りに、本格的な作家活動に乗り出す。 1983年、『光る女』が第17回北海道新聞文学賞・第11回泉鏡花文学賞を受賞。 1987年、『光る女』は相米慎二によって映画化され、キネマ旬報ベストテン第9位になった。
三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年… 三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年11月17日)は、日本の歴史学者。鹿児島国際大学短期大学部名誉教授。専門は中世城郭史。 東京出身。1965年に早稲田大学大学院文学研究科修了。鹿児島短期大学学長を経て、鹿児島国際大学との統合により、同大学短期大学部教授・学部長を務める。また、鹿児島国際大学生涯学習センター長、鹿児島県文化財保護審議会会長、音楽療法士養成協議会顧問を歴任する。研究では日本古文書学会、九州史学会、南島史学会で活動した。南九州における中世城郭史のほか薩摩島津氏の研究において第一人者である。 2013年4月に、瑞宝中綬章を受章。 2020年には、第71回南日本文化賞(学術部門)を受賞。
淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022… 淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022年7月31日)は、新聞記者、イベントプロデューサー、作家。 京都府出身。父は文芸同人誌「青空」同人、フランス文学者淀野隆三。京都府立桃山高等学校から慶應義塾大学文学部に進学し社会学専攻(1961年卒業)。産業経済新聞社社会部勤務。1964年東京オリンピックの取材、川端康成ノーベル賞受賞特派員などに従事した後1969年同社退社。1970年から万国博覧会等のプロデューサーとして活動。元電通総研客員研究員。NPO法人亜州友好協会の理事であり、上海万博開幕1000日まえの発行雑誌(2007年8月創刊)として、2か月刊日本PR雑誌の編集、執筆を担当。
佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょ… 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。 両親とも広島県出身で、父親は農家。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、良三は朝鮮で生まれる。1941年(昭和16年)、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引き揚げた。
和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年… 和田 明(わだ あきら、1937年4月15日 - 1992年3月21日)は、元早稲田実業学校高等部(早実)硬式野球部監督。
吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、… 吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、歴史家。 京都市生まれ。1963年同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。1964年朝日新聞大阪本社入社。入社後も大学院時代の師田畑忍に師事し、日本近現代史研究を継続。1997年定年退職、名城大学非常勤講師となり外交史、政治史の講義を担当。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。
平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 202… 平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 2020年2月12日)は、日本の分子生物学者。熊本大学名誉博士。大腸菌の染色体とプラスミドの分配機構の研究について一貫して取り組み、この分野において長らく世界的なリーダーであった。趣味は昆虫研究と油絵である。
坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 20… 坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 2022年1月29日)は、日本の編集者。 月刊文芸誌『新潮』編集長を長年務めた。三田文学新人賞選考委員、開高健記念会会長。こども読書推進賞表彰選考委員。山口県下関市生まれ。
田中 正之(たなか まさゆき、1935年4月15日 - 20… 田中 正之(たなか まさゆき、1935年4月15日 - 2025年12月21日) は、日本の地球物理学者。大気科学・海洋科学分野を代表する研究者であり、特に大気放射学の分野と二酸化炭素などの観測により地球温暖化の研究に多く貢献した。 学位は、理学博士(1971年)。東北大学名誉教授。元総合地球環境学研究所評議員会長。紫綬褒章受章。 山梨県出身。1959年東北大学理学部天文及び地球物理科第二卒業。1961年東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻修士課程修了、東北大学理学部教務技官。1962年東北大学理学部助手。1971年東北大学理学部助教授、理学博士。山本義一に師事。 1973年東北大学理学部教授。
田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4… 田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。 滋賀県彦根市出身。田原節子は2番目の妻、その妹に古賀さと子がいる。田原は2人の妻をいずれも癌で亡くしている。 近江商人の末裔。第二次世界大戦中は人並みな軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。
久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 20… 久保山 誠(くぼやま まこと、1934年4月15日 - 2022年7月17日)は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(捕手)・監督。 鳥栖工業高校卒業後の1953年に西鉄ライオンズへ入団し、2年目の1954年に初出場。リーグ優勝した1956年には自己最多の59試合出場で4本塁打を放ち、巨人との日本シリーズでは7戦中2戦に3番手としてマスクを被る。三原脩監督のポスト日比野強化の構想により、和田博実・田辺義三と正捕手の座を競い合ったが、結局は同年がキャリアハイとなった。1960年には阪急ブレーブスへ移籍するが、1年で退団。 退団後は阪急のチームメイトであった藤木孝二と共に電気化学工業へ入社し、引退後は監督に就任。
平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )… 平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )は、日本の弁護士、元日本弁護士連合会会長(2006年4月1日 - 2008年3月31日)。一般財団法人防災教育推進協会監事 2006年4月1日から日本弁護士連合会会長に就任した(任期2年)。会長選挙では、高山俊吉・久保利英明の両候補を破って当選している。 早稲田大学年金をめぐって、大学理事会に対して独立性が求められる大学監事でありながら、年金減額をめぐる裁判で一時、大学側代理人弁護士をつとめていたこと、また大学年金基金に関する監査責任はないと主張していることについて強い批判を受けている。(出所:早稲田大学の年金を知る会)
菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 202… 菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 2020年8月15日)は、日本の経営者。タイガー魔法瓶社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に甲南大学経済学部を卒業し、同年にタイガー魔法瓶に入社。専務、副社長を経て、1968年4月に社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。1999年4月に相談役に就任。 1989年11月に藍綬褒章を受章。 2020年8月15日に多臓器不全のために死去。86歳没。
大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、… 大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、日本の日本史学者。 埼玉県生まれ。弟は大舘勝治。國學院大學文学部史学科卒。1996年「近世社会の支配と構造」で國學院大學から博士(歴史学)を授与される。帝京大学文学部教授。2004年定年。
中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年… 中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年不明)は、日本の古典古代文学者。古代ラテン文学を専攻。 長野県松本市生まれ。1956年東京大学教養学部教養学科卒。1958年同文学部言語学科卒業。1965年同大学院西洋古典学専攻博士課程満期退学、順天堂大学助教授、1970年教授。1975年「ホラティウスと民衆」で文学博士。1978年大阪大学言語文化部教授。1990年筑波大学教授。1997年定年退官、共立女子大学教授。2004年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 20… 黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 2023年5月17日)は、宮崎県児湯郡高鍋町出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 大洋ホエールズで活躍した黒木基康は実弟に当たり、1960年には大洋でチームメイトとして所属した。 高鍋高校在学中は甲子園出場なし(弟の基康は1954年、3年生の時に一塁手として夏の甲子園に出場している)。1951年夏の甲子園予選東九州大会に進むが、1回戦で大分上野丘高に惜敗。高校同期に大学、プロ野球と行動を共にする岩岡保宏がいた。 高校時代、たまたま宮崎に来ていた明大の原勝彦らの指導を受けた縁で、岩岡とともに明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年… 高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年4月15日 - 2022年5月15日)は、日本の女子陸上競技選手(走幅跳)。メルボルンオリンピック代表。元中央大学女子陸上競技部監督・元日本陸上競技連盟女子委員長。 群馬県群馬郡東村(現在の前橋市)出身。旧制前橋高等女学校(現在の群馬県立前橋女子高等学校)入学後に本格的に陸上競技に取り組む。 女子の4年制大学進学率が2%という時代に中央大学からのスカウトを受けて入学。大学3年の第37回日本陸上競技選手権大会(1953年)で5m53をマークして選手権初優勝を飾ると、翌年の1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)では5m68をマークして優勝した。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は… 川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は、日本の山岳写真家。 東京府東京市(現東京都大田区)出身。1951年東京都立京橋化学高等学校卒。小学生の頃より昆虫採集や植物採集などを通じて自然と親しむ。登山は高校卒業後、同窓生を中心に山岳会を結成。1950年代より作家としてカメラ誌、山岳誌に山岳写真を発表、1964年、写真家として独立。1967年4月、日本山岳写真集団を、初のプロ写真作家集団として結成。参加作家は、三宅修(代表)、白簱史朗、山下喜一郎、小森康行、内田良平、横山宏、竹之原陽一郎、大塚大、川口の9名。日本山岳写真協会理事長。
石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2… 石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2021年)は、日本の政治家。元狛江市長(3期)。 東京都狛江市出身。1971年には狛江市議会議員に初当選し、以降4期16年務めた。その間には市議会議長も務めている。そして1984年、吉岡金四郎の後を引き継ぎ、市長となった。 市長時代には小田急電鉄複々線事業によって高架駅舎となるため、当時の市議(後の市長となる)矢野裕は議会で「車椅子利用者のためにエレベーターの設置すべき」という主張に対して、それに賛同して当時エスカレーターの設置で十分という考えだった小田急に対してエレベーター設置を要請した。そのほかの取り組みは狛江駅北口整備、北口地下駐車場整備、災害対策、あいとぴあセンター建設などを積極的に推進した。
杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15… 杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。1973年から日本公法学会理事、1987年から1989年まで全国憲法研究会代表。田上穣治門下。 静岡県田方郡大仁町(現在の伊豆の国市)生まれ。樋口陽一などと国民主権論争を繰り広げた。田上穰治ゼミ出身で、一橋大学大学院法学研究科修了後、一橋大学憲法学講座第3代教授を務めた。一橋大学より法学博士の学位を取得。 大学院の指導学生に、浦田一郎(一橋大学名誉教授、元民科法律部会理事長)、辻村みよ子(東北大学名誉教授、学術会議会員)、成嶋隆(新潟大学名誉教授、教育法学会会長)、大津浩(明治大学教授)、糠塚康江(東北大学名誉教授)、只野雅人(一橋大学教授)、酒井明(法務官僚、千葉科学大学教授)、村田尚紀(関西大学教授)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授、元民科法律部会副理事長)、毛塚勝利(中央大学名誉教授、元労働法学会代表理事)、彦惣弘(元立命館大学教授、元京都弁護士会長)等。
白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本… 白井 厚(しらい あつし、1930年4月15日 - )は日本の大学人、社会思想史家。慶應義塾大学名誉教授。経済学博士。妻の白井尭子も社会思想史家。
須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 19… 須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 1995年9月4日)は、日本の医師、医学者。 埼玉県川越市出身。東京医科歯科大学卒。1979年より佐賀医科大学内科学教授に就任し、同医大付属病院総合診療部長、救急部長などを歴任した。 専門は、高脂血症、高血圧、高齢者の慢性期疾患であり、メタボリックシンドロームの臨床及び基礎的研究を行ったが、大学内で原稿を執筆中に心筋梗塞で倒れ、現職のまま死亡した。死後、従四位勲三等旭日中綬章が贈られている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
近藤 耕三(こんどう こうぞう、1929年〈昭和4年〉4月1… 近藤 耕三(こんどう こうぞう、1929年〈昭和4年〉4月15日 - 2013年〈平成25年〉5月9日)は、日本の実業家。元四国電力社長・会長。元四国経済連合会会長。京都大学工学部卒業。徳島県海部郡海陽町(旧・海南町)出身。位階は従三位。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。 この項目は、原子力に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:原子力発電所/Portal:原子力)。
中村 恵子(なかむら けいこ、1929年4月15日 - )は… 中村 恵子(なかむら けいこ、1929年4月15日 - )は、日本の女性声優。 長崎県で生まれ、税務官吏の仕事をしていた父親の都合で九州各地を転々として育つ。熊本女子専門学校家政科在学中から舞台で活動し、福岡放送劇団を経て、東京放送劇団に5期生とし入団。テレビ番組『ジェスチャー』のカゲの声を1954年から10年以上に渡り担当した。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日 - )は… 小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。自由民主党時代は田中派に所属していたが、新自由クラブの結党に参加した。父・小林絹治は自由党、自由民主党所属で衆議院議員を3期務めており、2世議員であった。 兵庫県生まれ。1951年、慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。政治部副部長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙兵庫3区から自由民主党から出馬し、初当選。 1976年、河野洋平、田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、有田一寿と自民党を離党、新自由クラブを結成し政策委員長に就任。 1979年7月、新自由クラブ訪朝団長として、北朝鮮を訪問。近畿大学法学部非常勤講師。
加藤 常昭(かとう つねあき、1929年4月15日 - 20… 加藤 常昭(かとう つねあき、1929年4月15日 - 2024年4月26日)は、日本の神学者・説教家。 ハルピン出身。東京大学文学部哲学科卒業。1956年、東京神学大学大学院神学研究科修士課程修了。1986年まで東京神学大学教授(実践神学)。日本基督教団若草教会、牛込払方町教会、日本基督教団鎌倉雪ノ下教会牧師を経て、1997年から日本基督教団隠退教師。現在は説教塾を全国に展開し、後進の説教者を育てている。 日本プロテスタント宣教150周年記念大会の基調講演は「神の言葉に生かされるキリストのからだ・教会」。 2011年にキリスト教功労者を受賞。 2024年4月26日に死去。95歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
阪口 豊(さかぐち ゆたか、1929年4月15日 - 201… 阪口 豊(さかぐち ゆたか、1929年4月15日 - 2019年7月9日)は、日本の地理学者・第四紀学者。東京大学名誉教授。 東京大学理学部地理学科を卒業し、東京大学大学院を経て地理学教室の助手となった。当時の地理学教室のスタッフは、多田文男教授、佐藤久助教授、吉川虎雄助教授、小堀巌講師、岩塚守公助手といった面々であった。 学生時代から陸水に関心を寄せ、大学院生のころから泥炭地の研究に取り組んだ。1960年代には,地表面の高度分布の統計分析に基づいて、山地における地形発達史を論じ、また、全国の河川の流域面積と高度比分布曲線を解析して、地域ごとの地形発達の多様性を検討した。 日本地理学会では様々な役職を務めて名誉会員となり、日本第四紀学会でも1965年から1985年まで評議員を務め、名誉会員となった。
真柄 栄吉(眞柄 栄吉、まがら えいきち、1929年4月15… 真柄 栄吉(眞柄 栄吉、まがら えいきち、1929年4月15日 - )は、日本の労働運動家。日本労働組合総評議会(総評)最後の事務局長。 新潟県生まれ。1953年早稲田大学法学部卒業、新潟県庁に入庁。1954年新潟県職員労働組合長岡支部執行委員。1955年全日本自治団体労働組合(自治労)新潟県本部書記長。1958年自治労中央執行委員。組織部員、調査部長、賃金部長を歴任し、1964年書記次長、1966年財政局長。1975年自治労書記長。1983年富塚三夫の後を受けて日本労働組合総評議会(総評)事務局長。就任直後、「ヨーロッパ各国を歴訪し、西欧型労働組合をめざす立場を表明」した。総評・官公労の側から民間連合と交渉し、官民統一の日本労働組合総連合会(連合)結成に貢献。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
家入 昭(いえいり あきら、1928年4月15日 - 201… 家入 昭(いえいり あきら、1928年4月15日 - 2011年4月21日)は、日本の経営者。ブリヂストン社長を務めた。東京都出身。 1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年にブリヂストンタイヤに入社。1974年2月に取締役に就任し、1977年1月に常務、1980年3月に専務を経て、1984年4月に副社長に就任し、1985年2月に社長に昇格。社長在任時には、1988年にアメリカのファイアストン社を買収し、ブリヂストンの海外展開を進めていった。1993年3月に特別顧問に就任。 1990年5月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2011年4月21日肺炎のために死去。
兵藤 申一(ひょうどう しんいち、1927年〈昭和2年〉4月… 兵藤 申一(ひょうどう しんいち、1927年〈昭和2年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉9月22日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。応用物理学会会長(1980-1981年度)。理学博士。 1927年4月15日に愛知県豊橋市で生まれた。1945年に旧制聖学院中学校を卒業。1952年に東京大学理学部物理学科を卒業し、大学院在学中の1954年に同大学理学部の助手に着任した。学生および助教時代の指導教官は平田森三であるため、兵藤は寺田寅彦の孫弟子にあたる。1959年に東京大学工学部の講師に異動した。1961年にブラウン大学で客員研究員を務めた後、翌1962年に東京大学工学部助教授に着任し、1973年に教授に昇任した。