渡辺 恒雄(わたなべ つねお、1944年2月19日 - )は… 渡辺 恒雄(わたなべ つねお、1944年2月19日 - )は、日本の電気工学者。 研究テーマは、プラズマ、有毒ガス処理、電気集塵、電気化学、磁気分離工学。電気学会、静電気学会、日本エアロゾル学会、電気化学会に所属。
2月19日生まれ:318人
渡辺 恒雄(わたなべ つねお、1944年2月19日 - )は… 渡辺 恒雄(わたなべ つねお、1944年2月19日 - )は、日本の電気工学者。 研究テーマは、プラズマ、有毒ガス処理、電気集塵、電気化学、磁気分離工学。電気学会、静電気学会、日本エアロゾル学会、電気化学会に所属。
菅 木志雄(すが きしお、1944年2月19日 - )は静岡… 菅 木志雄(すが きしお、1944年2月19日 - )は静岡県伊東市在住の現代美術家で、作品は立体やインスタレーションなど多岐にわたっている。妻は作家の富岡多恵子。 1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーである。もの派の作家は、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた。自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。 菅木志雄は岩手県盛岡市で生まれ、1964年から1968年まで、東京の多摩美術大学絵画学科で学んだ。
降矢 美彌子(ふりや みやこ、1943年2月19日 - 20… 降矢 美彌子(ふりや みやこ、1943年2月19日 - 2018年12月16日)は、日本の音楽教育学者、ピアニスト、合唱指揮者。宮城教育大学名誉教授。 福島コダーイ合唱団を1987年に創立、ハンガリーに4回の演奏旅行の他、オランダ・フィンランド・アメリカ・フィリピン・マレーシアでも演奏会を行った。小学校から大学において多文化音楽教育の先進的実践研究を推進。1987年からハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュの研究を進め『クルターグ』を執筆中(2016年9月現在)。博士(学術)。2012年9月、ハンガリーの首都ブダペシュトのコダーイ記念博物館にてプロ・クルトゥーラ・フンガリカ賞受賞。福島コダーイ合唱団の音楽監督・常任指揮者。
園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月1… 園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月19日 - 2018年〈平成30年〉11月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。 内閣官房副長官(村山内閣・村山改造内閣)、厚生政務次官(宮澤内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(11期)、太陽の党党首、次世代の党顧問、日本維新の会副幹事長、たちあがれ日本幹事長、自由民主党幹事長代理、同政務調査会長代理、新党さきがけ幹事長、同副代表兼総務会長兼党務幹事、同代表幹事などを歴任。 父は内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣を務めた園田直、甥はアニメ監督の山崎理。 熊本県天草郡河浦町(現:天草市)生まれ。習志野市立習志野高等学校(野球部1期生)、日本大学経済学部卒業。
岡田 敬二(おかだ けいじ、1941年2月19日 - )は、… 岡田 敬二(おかだ けいじ、1941年2月19日 - )は、日本のレビュー演出家、宝塚歌劇団の演出家。東京市(現東京都港区)生まれ。 日本レビュー界の第一人者。宝塚歌劇団では近年『ロマンチック・レビュー』路線を提唱。『ロマンチック・レビュー』は最新作『GRAND MIRAGE!』を含め22本になる。 1959年、東京都立大森高等学校卒業。早稲田大学第一文学部入学。 1963年、早稲田大学第一文学部を卒業後、宝塚歌劇団演出部に就職。 1967年、『若者たちのバラード』で演出家デビュー。 1974年、文化庁海外研修員として、1年間の海外留学。 1977年、『ザ・レビュー』で文化庁芸術祭大衆芸能部門2部 優秀賞を受賞。
坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )… 坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。 同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父の坂口正二も元調教師でハマノパレード等を管理した。長男の坂口貴大は調教助手。元調教師の坂口正則は従兄弟に当たる。 1965年にアメリカのカリフォルニア競馬・グリーンステッド厩舎でエキササイズボーイ(調教助手)となった後、1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日、阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。
渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2… 渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2016年10月16日)は、日本の生物学者(分子生物学、生化学)。特にRNA研究において世界的なパイオニアの一人。東京大学名誉教授。 大阪府生まれ、三重県度会郡玉城町育ち。1967年3月、東京大学教養学部基礎科学科卒業、1972年3月、東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程修了、理学博士。 1972年4月、三菱化成生命科学研究所研究員となる。1975年9月から1977年12月まで西ドイツのマックス・プランク実験医学研究所で博士研究員を務める。 1980年7月から東京大学農学部農芸化学科助教授、1983年4月に東京大学工学部助教授、1988年3月に東京工業大学大学院総合理工学研究科生命化学専攻教授、1990年6月に東京工業大学生命理工学部生体機構学科教授、1991年9月に東京大学工学部工業化学科教授、1993年に東京大学工学部工業化学科学科長、工学部化学系の学科再編に尽力。
高見 浩(たかみ ひろし、1941年2月19日 - )は、日… 高見 浩(たかみ ひろし、1941年2月19日 - )は、日本の翻訳家。本名・高野紘一。 東京生まれ。1965年東京外国語大学マレー・オランダ語科卒。 1965年光文社入社。雑誌「宝石」編集部勤務を経て、1969年退社。フリーの翻訳家になりミステリーを中心に翻訳。スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールー夫妻のマルティン・ベックシリーズ、ビル・プロンジーニ、エルモア・レナード、トマス・ハリスなどのほか、ヘミングウェイの新訳も出し、ヘミングウェイについては著書が1冊ある。 角川春樹によるとテリー・サザーン『キャンディ』の翻訳者の「高杉麟」は、高見のペンネームである。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原田 慎太郎(はらだ しんたろう、1941年(昭和16年)2… 原田 慎太郎(はらだ しんたろう、1941年(昭和16年)2月19日 - 2006年(平成18年)4月4日)は、日本の政治家、教育者。福岡県宗像市長(在任:2000年5月29日 - 2003年3月31日、2003年4月27日 - 2006年4月4日)。 福岡教育大学卒。小学校教諭、宗像市教育長などを経て、2000年5月21日に宗像市長選挙で初当選。2003年4月1日に玄海町と合併し、新たに宗像市になった際の宗像市長選挙にも当選し、新・宗像市の初代市長となった。 2006年視察先の中国・南京で倒れ収容先の病院で死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日… 八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日 - )は、俳人で、元NHKアナウンサー。
淡河 弘(おごう ひろし、1940年2月19日 - )は、福… 淡河 弘(おごう ひろし、1940年2月19日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
小澤 渉(おざわ わたる、1940年2月19日 - 2023… 小澤 渉(おざわ わたる、1940年2月19日 - 2023年9月22日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に日本大学商学部を卒業し、同年に共栄火災海上保険に入社した。1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1999年6月には社長に就任。2005年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2023年9月22日、死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂本 眞一(さかもと しんいち、1940年(昭和15年)2月… 坂本 眞一(さかもと しんいち、1940年(昭和15年)2月19日 - 2014年(平成26年)1月14日)は、日本の鉄道実業家。北海道旅客鉄道(JR北海道)の社長や会長、北海道経済連合会副会長などを歴任したが、北海道観光振興機構初代会長在任中自殺した。 東京都出身。北海道大学工学部土木工学科を卒業後に1964年(昭和39年)、旧国鉄に入社。1979年2月東京第三工事局次長、1983年4月大阪鉄道管理局施設部長、1985年4月総裁室調査役、1985年7月経営計画室計画主幹、1987年3月北海道旅客鉄道株式会社設立準備室分室付となる。 1987年(昭和62年)4月、日本国有鉄道の分割民営化に伴う北海道旅客鉄道の発足にともない取締役鉄道事業本部営業部長に就任する。
三栗 崇(みつくり たかし、1939年2月19日 - )は、… 三栗 崇(みつくり たかし、1939年2月19日 - )は、富山県出身の体操選手。富山県立富山中部高等学校から東京教育大学に進む。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック体操男子団体金メダリスト。妻は同じ体操選手の中村多仁子。引退後は国際武道大学教授を務めた。
蝦名 純(えびな じゅん、1939年2月19日 - )は、日… 蝦名 純(えびな じゅん、1939年2月19日 - )は、日本の元陸上競技選手。ローマオリンピック日本代表。
池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、… 池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、日本の外交官。駐ヨルダン特命全権大使、北海道担当特命全権大使、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、外務省参与等を歴任した。 長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業、外務省入省。在カナダ日本国大使館外交官補、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官等を経て、1978年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。1980年外務省経済局国際機関第一課長。1982年在ホノルル日本国総領事館領事。 1983年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1985年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1989年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権公使。
竹内 勝彦(たけうち かつひこ、1938年2月19日-)は、… 竹内 勝彦(たけうち かつひこ、1938年2月19日-)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。1961年東京電機大学工学部卒。兼松江商勤務、聖教新聞記者を経て、公明党京都府本部書記長となり、1976年の総選挙で旧京都1区から立候補して初当選。6期務めた。1993年に引退。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
加藤 幸次(かとう ゆきつぐ、1937年2月19日- )は、… 加藤 幸次(かとう ゆきつぐ、1937年2月19日- )は、日本の教育学者、上智大学名誉教授。 愛知県生まれ。愛知県立半田高等学校を経て、愛知学芸大学教育学部卒、名古屋大学大学院修士課程修了、ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。国立教育研究所に入り、研究室長をへて上智大学教授、2004年定年退職、同名誉教授。同年名古屋女子大学教授。2007年退職。日本個性化教育学会会長、グローバル教育学会顧問、アメリカ教育学会会長、社会科教育研究センター会長。
杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、… 杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、奈良県大和高田市出身のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。元関西テレビアナウンサーで、長年、中央競馬の実況中継を担当したことで知られる。現在はアライバル所属。関西放送記者クラブ会友。血液型はB型。 少年時代の夢はプロ野球選手であった。奈良県立高田高等学校在学中は野球部に所属していたが、猛特訓を受けた反動でスポーツ性の腎機能障害を患ってしまい、このことがきっかけで運動制限がかかってしまい、野球を断念する。この頃からラジオのナイター中継を聴いているうちに、プレーをしている選手よりも実況しているアナウンサーに興味が移っていった。 高校卒業後は関西学院大学法学部へ進学し、在学中の1960年に知人のツテを頼って関西テレビにアルバイトとして入社。
岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、… 岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、日本のハンマー投選手。1950年代末から1960年代にかけて活躍、日本人選手として初めて60m台の記録を樹て、1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。 福岡県京都郡苅田町出身。福岡県立京都高等学校を卒業後、福岡大学に進む。 1958年(昭和33年)5月18日、九州学生陸上競技大会において、日本新記録(58m85)で優勝。9月4日には、日米交歓陸上競技横浜大会で60.0mを記録、これは日本人初の60m台であり、自己の持つ日本新記録を塗り替えた。1959年(昭和34年)、福岡大学を卒業し旭化成に入社。 1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。
江川 滉二(えがわ こうじ、1937年2月19日 - 200… 江川 滉二(えがわ こうじ、1937年2月19日 - 2009年8月3日)は、日本の医学者。学位は、医学博士(1962年)。東京大学名誉教授。 1937年、江川英文の次男として東京都に生まれる。新制成蹊高等学校を経て、1963年に東京大学医学部医学科卒業。1968年、東京大学生物系大学院博士課程修了、医学博士の学位を取得。東京大学医科学研究所で長年、基礎医学の面から、がん免疫研究に携わる。1984年、同研究所教授。1997年、東京大学名誉教授。1999年、がんの新しい治療法である免疫細胞治療の専門診療施設「瀬田クリニック(現医療法人社団滉志会瀬田クリニック東京)」を開設。2004年より、日本免疫治療学研究会会長。
草場 公邦(くさば としくに、1937年2月19日 - 20… 草場 公邦(くさば としくに、1937年2月19日 - 2008年10月31日)は、日本の数学者。 東京生まれ。1961年東京大学理学部数学科卒、同大学院修士課程修了。エコール・ノルマル・シュペリウールを経て東京都立大学 (1949-2011)助手、東海大学理学部助教授、教授。2008年定年、名誉教授。
柳澤 弘士(やなぎさわ ひろし、昭和11年(1936年)2月… 柳澤 弘士(やなぎさわ ひろし、昭和11年(1936年)2月19日 - 平成17年(2005年)1月17日)は、日本の法学者(民法)。元日本大学教授。弁護士。元日本大学法学部長。富山県出身。 日大法学部出身の中でも俊材中の俊材といわれ、優秀な成績であり司法試験に合格をして、その後司法修習生となり弁護士登録をした。卒業に際しては、日本大学より総長賞を授与された。その後、ドイツ・フライブルク大学に留学。民事法学の権威であったフォン・ケメラー博士に師事。帰国後は母校にて研究活動を行い、その業績は東北大学出身の幾代通教授など民事法学の権威から高く評価された。 日大法学部長時代には、日本大学の運営方針や金の流れなどについて日大総長を追及して総長選挙を巡って争いに巻き込まれた。
阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006… 阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は、日本の西洋史学者。専門はドイツ中世史。中世ドイツ・ヨーロッパの民衆史を専門とし、伝説や生活史を検証する分野を開拓した。一橋大学名誉教授。上原専禄門下生で、一橋大学学長、国立大学協会会長をつとめた。 1935年、東京都千代田区で生まれた。1941年に鎌倉第一国民学校(現・鎌倉市立第一小学校)に入学。1947年に中野区立第五中学校に入学。在学中の1949年に練馬区立石神井西中学校に転校。早くに父を亡くし、中学時代にカトリック修道生活を送った。1950年、東京都立石神井高等学校に入学。 卒業後は、一橋大学経済学部に進学。修道生活の経験から西洋中世史の研究を志し、一橋大学では上原専禄に師事した。
関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )… 関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )は、1950年代に大洋ホエールズに在籍した東京都中央区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 明治高校では控え投手。1952年春季関東大会決勝に進み、宇都宮高を相手に先発を任せられるが、初回に打ち込まれ降板している。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは3年生までに3回の優勝を経験。貴重な左腕として期待されるが、1年上の秋山登の陰に隠れ登板機会には恵まれなかった。しかし秋山が卒業した1956年春季リーグでは、中田昌宏、衆樹資宏ら強打者揃いの慶大を完封し、一躍脚光を浴びる。その後は投手陣の中軸として起用されるが、チームは春季3位、秋季4位に終わった。
難波 昭二郎(なんば しょうじろう、1935年2月19日 -… 難波 昭二郎(なんば しょうじろう、1935年2月19日 - 2009年8月14日)は、プロ野球選手(内野手)、実業家、音楽プロデューサー。 大阪府生まれ。高槻高等学校を経て、1954年に関西大学に入学。1年生の春季・秋季リーグとも規定打席不足ながら.444の高打率を挙げると、2年生から四番打者を務め、関西六大学野球リーグでは1956年春季リーグ、1957年春季リーグで優勝。1年下のエース村山実とともに投打の両輪として活躍し、1956年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝でエース島津四郎を擁する日大を降し、西日本の大学としては初の優勝を飾る。リーグ通算86試合出場、283打数73安打、打率.258、7本塁打。
野口 忠直(のぐち ただなお、1935年2月19日 - 20… 野口 忠直(のぐち ただなお、1935年2月19日 - 2017年3月27日)は、合名会社野口酒造店六代目当主。東京都府中市において第四代市長を12年間務めた。
鹿島 愛彦(かしま なるひこ、1935年2月19日 - 20… 鹿島 愛彦(かしま なるひこ、1935年2月19日 - 2015年8月3日)は、日本の地質学者・洞窟学者。愛媛大学名誉教授。日本ケイビング協会理事、日本地質学会関西支部幹事、日本洞穴学学会会長、日本洞穴学研究所所長等を務めた。 愛媛県温泉郡道後湯之町(現松山市)生まれ。1957年愛媛大学卒業後、愛媛県の公立中学校、高等学校で教鞭をとる。1964年愛媛大学理学部助手に奉職し、1969年”Stratigraphical Studied of the Chichibu Belt in Western Shikoku”で博士号を九州大学より授与。1979年より愛媛大学教養部教授となる。その後の大学改組に伴い農学部へ配置換となり、愛媛大学大学院農学研究科担当となる。
大西 伝一郎(おおにし でんいちろう、1935年2月19日 … 大西 伝一郎(おおにし でんいちろう、1935年2月19日 - 2022年3月29日)は、日本の児童文学作家。 愛媛県西条市出身。玉川大学卒業。1958年から愛媛県で小学校教員を務め、1995年新居浜市立中萩小学校長を最後に退職。1960年代から椋鳩十に師事し、児童向け図書、指導書などを数多く刊行した。 1961年『僻地教師の記録』で読売教育賞、1998年『お手玉』写真絵本で愛媛出版文化賞を受賞、厚生労働省・中央児童福祉審議会推薦文化財指定、2003年『目の見えない犬ダン』が映画のモデルになる。2004年『がんばれ! しろくまピース』がサンケイ児童出版文化賞推薦作に選ばれた。 2022年3月29日、急性肺炎のため西条市の病院で死去、87歳。
八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7… 八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7月7日[リンク切れ])は、社会学者。 大阪市生まれ。東北大学文学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学教養部講師、助教授、金沢大学教養部助教授、1993年に法文学部教授、名誉教授、大阪市立大学教授、1997年に広島国際大学医療福祉学部教授[要ページ番号]。2005年に退職。
堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月… 堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月19日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道歌志内市長。 北海道空知郡歌志内村(歌志内町を経て現歌志内市)に生まれる。北海道砂川北高等学校卒業。通算21年以上にわたり歌志内市議会議員を務めたのち、1988年(昭和63年)歌志内市長に当選し、1期務めた。
山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2… 山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2000年7月21日)は日本の自然保護活動家。長崎県出身。高知大学文理学部卒業。 長崎県長崎市出身。佐賀県水産試験場有明海分場(現・佐賀県有明水産振興センター)、長崎水族館勤務をへて、1973年長崎県諫早地区労事務局長。1989年エコロジカルプランニング研究所代表。1997年諫早干潟緊急救済本部代表。1991年日本湿地ネットワーク (JAWAN)代表。1998年ゴールドマン環境賞を受賞。 諫早湾干拓事業に反対するなど、干潟の保護活動に努めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江森 國友(えもり くにとも、1933年2月19日 -202… 江森 國友(えもり くにとも、1933年2月19日 -2022年4月9日)は、日本の詩人。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、慶應義塾大学文学部仏文科卒。村野四郎に師事。1954年水橋晋、堀川正美、三木卓らと『氾』を創刊。『三田詩人』『現代詩』に発表し、個人誌『南方』を創刊。のち『歴程』同人。
清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 20… 清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 2024年7月23日)は、日本の経営学者。日本ベンチャー学会特別顧問、人を大切にする経営学会顧問、地域活性学会会長、地域経済総合研究所評議員。専門は中小企業論。 法政大学総長・理事長、事業構想大学院大学学長を歴任した。東京都生まれ。
内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 20… 内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者(刑法)。法学博士(北海道大学、1963年)(学位論文「過失同時犯の正犯性」)。神奈川大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。ハンス・ヴェルツェルが提唱した目的的行為論をとるが、主観的違法要素を認めないので、結果無価値論に近い結論をとることがある。『過失と共犯』、『刑法における過失共働の理論』で、新過失論の立場に立ち、過失(過失犯)にも共犯がありうることを提唱した。 1966年(昭和41年)に日本刑法学会賞を受賞した。 公職として旧司法試験第二次試験考査委員(1979年1月~1981年12月)、学校法人神奈川大学常任監事(2005年~2008年)
久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012… 久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012年4月2日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授。マルクス経済学における金融論、貨幣論専攻。 1932年、兵庫県生まれ。父親は元法政大学教授でマルクス経済学者の久留間鮫造。1956年、横浜国立大学経済学部卒業。1959年、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1962年、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 立教大学経済学部助手(1962年4月-1964年3月)、専任講師(1964年4月-1968年3月)、助教授(1968年4月-1978年3月)を経て立教大学経済学部教授(1978年4月-1997年3月)。この間、1987年より2年間、経済学部長を務める。
大木 雅夫(おおき まさお、1931年2月19日 - 201… 大木 雅夫(おおき まさお、1931年2月19日 - 2018年10月1日)は、日本の法学者。専門は比較法学・法思想史・法哲学。聖学院大学客員教授。上智大学名誉教授。学位は、法学博士(東京大学・1958年)(学位論文「比較法思想の歴史的展開 -比較法学の根本問題-」)。福島県会津出身。神学者で学校法人聖学院理事長の大木英夫は実兄。末延三次に師事。 2018年10月1日、拡張型心筋症のため死去。87歳没。 2004年、中央大学法学部教授の木下毅が自著の盗作をしていると指摘。その結果木下の著書は回収された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )… 宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。専門は、財政学・環境経済学。大阪市立大学名誉教授、滋賀大学名誉教授、大阪市立大学名誉博士、金沢大学名誉博士。元滋賀大学学長。日本学士院賞受賞。 1930年(昭和5年)に日本統治時代の台湾の台北市で生まれで外地で育った。父は台湾電力に勤務する経理課長。海軍兵学校予科在学中、佐世保沖の針尾島を経て、疎開先の山口県防府市で終戦を迎える。台湾の実家と連絡がとれなくなったため復員列車で本籍地の石川県の伯父の家に移り、県学務課長に交渉して金沢二中(石川県立金沢錦丘高等学校)に編入した。極貧の生活状況の中金沢市の引揚者住宅に住み、働きながら学校に通い留年しつつも、1950年第四高等学校文科卒業。
粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009… 粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。建築家の原広司とは1960年代に出会い、原は粟津潔邸の建築デザインを施した。 1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後、武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。
渡辺幸博(わたなべ ゆきひろ、1928年2月19日- )は、… 渡辺幸博(わたなべ ゆきひろ、1928年2月19日- )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。 熊本県阿蘇郡生まれ。1952年鹿児島大学農学部獣医専攻科卒業、大阪府家畜健康衛生所勤務。1963年関西大学大学院文学研究家哲学専攻博士課程満期退学。1967年関西大学文学部講師、助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 1993年「サルトルとポスト構造主義」で関西大学文学博士。
松前 達郎(まつまえ たつろう、1927年2月19日 - 2… 松前 達郎(まつまえ たつろう、1927年2月19日 - 2024年9月8日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(4期)。工学博士であり、東海大学総長を務めた。位階は従三位。 東海大学創立者の松前重義の長男として生まれる。東北大学工学部金属工学科卒業。首都大学野球連盟の会長ならびに日本高等学校野球連盟の最高顧問および全日本大学野球連盟の顧問を務める。また、文化面では日本対外文化協会および日本ブルガリア協会の会長を務め、実業面では、エフエム熊本の取締役も務める。
堀井 春一郎(ほりい しゅんいちろう、1927年2月19日 … 堀井 春一郎(ほりい しゅんいちろう、1927年2月19日 - 1976年5月15日)は、東京都出身の俳人。 麻布区(現港区)生まれ。1951年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。尾鷲高等学校で教員となり、杉野女子短期大学、戸板女子短期大学で教えた。 1936年、宗久月丈と長谷川かな女に師事する。1945年「水明」に投句。1950年、山口誓子の「天狼」に入会。1955年「氷海」に入会。1956年、天狼賞受賞。1957年「天狼」同人。秋元不死男の「氷海」、「琅玕」にも参加。1973年、総合誌『季刊俳句』を創刊するも4号で終刊。 「天狼」に傾倒してから、それ以前の句はすべて捨てたという。天狼調ながら、境涯的な情感のこもった句を作った。
石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 20… 石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 2025年8月9日)は、日本の法学者。専門は、憲法のほか、メディア法・プレス法・言論法・情報法。ジャーナリズム論。特に、大学にて「マス・メディア論」の開講した草分け的存在であった。福岡県福岡市出身。 福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。1947年旧制福岡高等学校卒業。1950年東京大学法学部政治学科卒業。1950年から5年間病気療養。1955年福岡商科大学短期大学助手。1956年福岡大学法経学部助手。1958年同法経学部専任講師。1959年同法学部専任講師。1961年同法学部助教授。
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 -… 長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。 1944年に応召し、陸軍に入営。華北で終戦を迎え、1946年に復員。
浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月1… 浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月19日 - 2025年〈令和7年〉)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。元武蔵野音楽大学教授。 長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。長野県須坂高等女学校(現: 長野県須坂東高等学校)卒業。しばらく音楽講師として教壇に立ったが、27歳の時、恩師の勧めで東京藝術大学声楽科に入学した。1956年(昭和31年)卒業。岡部多喜子に師事。平井康三郎、信時潔、松本民之助にも指導を受けた。1961年(昭和36年) - 1965年(昭和40年)ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院に留学。ジョルジョ・ファヴァレット、イルデブランド・ピツェッティ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、ダンジェロ、A・レオーネ、V・マリーニに師事。
砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月… 砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月19日 - 1987年〈昭和62年〉8月27日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。 広島県呉市出身。呉市立吾妻小学校(現・呉市立明立小学校)在学中の1930年(昭和5年)、音楽を学ぶために一家で東京移住。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業。1942年(昭和17年)東京音楽学校入学。1944年(昭和19年)東京音楽学校本科声楽科卒業(戦時中のため、卒業時期短縮で9月卒業)。平原寿恵子に師事。1947年(昭和22年)藤原歌劇団公演のプッチーニ『ラ・ボエーム』ムゼッタでデビュー。翌年にかけてビゼー『カルメン』のミカエラ、ロッシーニ『セビリアの理髪師』のロジーナ、プッチーニ『蝶々夫人』などを演じて一躍同劇団のプリマドンナになる。
西田 誠(にしだ まこと、1923年〈大正12年〉2月19日… 西田 誠(にしだ まこと、1923年〈大正12年〉2月19日 - 2008年〈平成20年〉11月19日)は、日本の政治家。熊本県宇土市長(2期)。 熊本県宇土郡不知火村(のち不知火町、現在の宇城市)出身。1942年(昭和17年)熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)卒業。卒業後は東京製綱に勤務し、その後帰郷し、西田鉄鋼所を開く。のちに株式会社に改組し、社長となる。 1990年(平成2年)宇土市長選挙に無所属で立候補し、現職の田代捨己を僅差で破って当選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:86.54%(前回比:-pts) 同年4月に第3代市長に就任した。 1994年(平成6年)の市長選は元市議会議長との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 20… 小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歴史学者、北海道教育大学名誉教授。フランス近代史専攻。兄はドイツ文学者の小栗浩。 北海道函館市生まれ。1949年東北大学文学部西洋史学科卒業。北海道教育大学講師、助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授。1999年秋、勲三等旭日中綬章受勲。 2004年7月31日、多臓器不全のため死去。
石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 199… 石丸 寛(いしまる ひろし、1922年2月19日 - 1998年3月23日)は、日本の指揮者、作曲家である。 中華民国山東省青島に生まれる。六朝文化を愛した父の傍で、幼児期より音楽(ピアノ、ヴァイオリンなど)、美術(油絵)と親しむ。青島旧制中学時代には、ブラスバンド部のほか、中村八大らとバンドも結成する。1938年に帰国、東京・玉川学園中学部に転入する。コーラス部長、彫刻も学ぶ。1944年、文化学院大学部芸術科を卒業する。美術を今泉篤男、脇田和、岡鹿之助に師事した。一方で、管弦楽法と指揮法を山田一雄に師事した。第二次世界大戦のため出征、1945年に終戦で帰国(福岡市に復員)、画家としての活動を再開する。