松井三雄(まつい みつお、1897年6月21日 - 1983… 松井三雄(まつい みつお、1897年6月21日 - 1983年3月19日)は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。 山口県美祢郡出身。1923年東京帝国大学文学部心理学科卒。体育研究所、東京文理科大学教授、東京大学教授、1961年定年退官、名誉教授、日本大学教授、鶴川女子短期大学学長。1983年退任。日本学術会議会員。 体育心理学、スポーツ心理学のほか、音楽教育についても研究した。
荻原 晃(おぎはら あきら, Aloysius Akira … 荻原 晃(おぎはら あきら, Aloysius Akira Ogihara, S. J.、1896年(明治29年)6月21日 - 1991年(平成3年)8月26日)、日本のカトリック聖職者でイエズス会士。洗礼名はアロイジオ。第3代広島使徒座代理を務めた。 1896年6月21日、山形県鶴岡市で生まれた。1921年に上智大学哲学科を卒業し、同年歩兵第32連隊に入隊した。1922年にオランダのイエズス会修練院に入り、1929年7月31日にスペインナバラ州のザビエル城内の教会で司祭に叙階された。1932年3月16日に日本に帰国。その後は広島教区の教会で働いた。 1940年にヨハネス・ロス司教を引き継いで第3代広島使徒座代理に就任した。
大神 善吉(おおがみ ぜんきち、1896年(明治29年)6月… 大神 善吉(おおがみ ぜんきち、1896年(明治29年)6月21日 - 1967年(昭和42年)10月27日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、福岡県筑紫郡春日村長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 福岡県福岡市中小路(現博多区上呉服町)で、大神鹿吉、イノの二男として生まれる。幼くして父が死去し、御供所小学校(現福岡市立博多小学校)在学中は野菜の行商を行う。小学校卒業後、石屋、大工として奉公したが、上京し苦学して、1923年(大正12年)中央大学経済科を卒業した。 品川区会議員、立憲政友会院外団などで活動した。1938年(昭和13年)兄・恒吉の死去に伴い福岡県筑紫郡春日村(春日町を経て現春日市)に戻り、大神組を継承し土木建築請負業を営んだ。
早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21… 早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21日 - 1970年(昭和45年)8月4日)は、日本の内務官僚。官選県知事、海軍司政長官。 長野県出身。早川繁夫の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部を卒業。1921年、貴族院に入り貴族院属となる。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。 1923年4月、内務省に転じ警視庁属となる。以後、警察署長、警視庁事務官、同消防部長、長崎県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長などを経て、1939年4月、熊本県総務部長に就任。 1941年1月、沖縄県知事に就任。標準語・国民礼法励行運動、南進政策、翼賛壮年団の結成、食糧増産などを推進した。
細川 鉅(ほそかわ つよし、1895年(明治28年)6月21… 細川 鉅(ほそかわ つよし、1895年(明治28年)6月21日 - 没年不明)は日本の実業家である。野村證券に務めた後、野村財閥直系・航空用ガソリンメーカーであった帝国潤滑油社長を務めた。広島県庄原市出身。 1895年(明治28年)広島県比婆郡東城町(現:庄原市)の細川平左衛門の次男として出生する。1908年(明治44年)地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1914年(大正3年)に同校を卒業する。その後、岡山市にある旧制第六高等学校へ進学する。1918年(大正6年)に同校を卒業する。同年、京都帝国大学法科大学政治経済学科へ進学。1921年(大正9年)京大を卒業する。
岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月… 岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月21日 - 1975年(昭和50年)3月10日)は、大正後期から昭和期の内務官僚、警察官僚、弁護士。陸軍司政長官、最後の官選福岡県知事。 山口県出身。岩重弥七の長男として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し長野県属兼警部となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、福岡県警察部保安課長、同警務課長、岡山県警察部特別高等課長、愛知県警察部特別高等課長、岡山県学務課長、同社寺課長、兵庫県商工課長、同水産課長、同地方課長、千葉県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、青森県書記官・経済部長、三重県書記官・総務部長などを歴任。
村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月2… 村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 - 1968年〈昭和43年〉10月25日)は、日本の翻訳家・児童文学者。 児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。基督教文筆家協会(現・日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長(在任、1952年〈昭和27年〉6月 - 1958年〈昭和33年〉10月)。 山梨県甲府市の安中逸平・てつ夫妻の長女として生まれる。本名:村岡 はな(むらおか はな)、旧姓:安中(あんなか)。 クリスチャンである父の希望により、2歳でカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受ける。
野田 哲造(のだ てつぞう、1891年6月21日 - 199… 野田 哲造(のだ てつぞう、1891年6月21日 - 1992年7月30日)は、日本の銀行家、経営者。住友銀行社長兼会長を務めた。 三重県津市出身。旧制津中学、旧制一高を経て1915年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、同年に住友銀行に入行。 常務、専務、副社長などを歴任し、1945年から財閥解体後に初めて社長兼会長に就任したが、公職追放の拡大により、その影響が出ることを恐れ、1947年2月に退任。 大阪銀行協会会長、大阪商工会議所監事、レンゴー相談役、武田薬品工業顧問なども歴任した。 1965年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1992年7月30日、急性心不全のために死去。101歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
水川 潔(みずかわ きよし、1891年(明治24年)6月21… 水川 潔(みずかわ きよし、1891年(明治24年)6月21日 - 1959年(昭和34年)2月8日)は、日本の農林官僚であり、全国穀類工業協同組合初代理事長、日本穀物検定協会理事長を務めた。岡山県出身。 1891年(明治24年)岡山県士族の父・水川龍太郎と母・與禰の長男として生れる。その後、旧制東京府立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)、旧制第二高等学校理科丙類を経て、1921年(大正10年)4月、東京帝国大学農学部を卒業する。卒業後、農商務省へ技師として就職する。 農商務省で技師として入省し、1925年(大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割さたのに伴い、農林省へ所属する。
橋浦 時雄(はしうら ときお、1891年(明治24年)6月2… 橋浦 時雄(はしうら ときお、1891年(明治24年)6月21日 - 1969年(昭和44年)2月10日)は、日本の社会運動家である。ペンネームは溟郎生。鳥取の左翼運動の先駆者と言われた。 鳥取県岩美郡大岩村(現在の岩美町)に生まれる。旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)に進み、同級生の由谷義治らと社会主義グループを結成し、平民新聞を愛読した。 早稲田大学中退後、社会主義を主張し幸徳秋水や堺利彦らと親交を持つ。後に彼らと共に社会主義研究会の設立時のメンバーとなり、1910年(明治43年)に発生した幸徳らが起こした大逆事件ではその事件に関する批判した日記を日本政府に提出した事により起訴され、さらにその日記の没収した事により不敬罪として計禁錮5年4ヶ月の有罪判決を受けた。
大島 正満 (おおしま まさみつ、1884年6月21日 - … 大島 正満 (おおしま まさみつ、1884年6月21日 - 1965年6月26日) は 日本の生物学者 (動物学)。理学博士、農学博士。 シロアリの研究を行ったが、台湾勤務時代にスタンフォード大学に留学し、D.S.ジョーダンのもとで魚類研究を行った。特にサケ科の淡水魚類を中心に動物学の研究を行い、「サラマオマス」(サクラマスの亜種、現在はタイワンマスと呼ぶ) を命名した。2001年より台湾の2000元札にタイワンマスが印刷されている。台湾では、20数種類の淡水魚の新種を命名し、台湾淡水魚の父と呼ばれている。 妻・今子との間に8男2女に恵まれ、長男の大島正隆(1909年3月5日-1944年1月12日)は歴史学者として将来を嘱望されたが、1944年に34歳の若さで病死している。
大妻 コタカ(おおつま こたか、1884年〈明治17年〉6月… 大妻 コタカ(おおつま こたか、1884年〈明治17年〉6月21日 - 1970年〈昭和45年〉1月3日)は、日本の教育者。大妻学院創立者。広島県世羅郡甲山町(現在の世羅町)出身。旧姓は熊田。世羅町名誉町民。その功績から日本における女子教育の草分けとも言われている。 名前の由来は、6月の農繁期に6人兄弟の末っ子として生まれた女児であったため、「忙しい時に『困った子』」が訛ったものである。しかも農繁期であったため、出生届の提出が遅れ、入籍されたのは11月20日となった。生前「私には年に2回の誕生日がある」と話していた。現在、この11月20日が大妻学院の学校記念日とされている。3歳で父を、14歳で母を亡くす。
児玉 孝顕(こだま のりあき・こうけん、1879年(明治12… 児玉 孝顕(こだま のりあき・こうけん、1879年(明治12年)6月21日 - 1961年(昭和36年)1月10日)は、日本の内務官僚。検事。 東京府に貴族院議員児玉淳一郎の長男として生まれた。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。司法官試補、東京区裁判所検事、千葉区裁判所検事を務め、1912年(明治45年)に茨城県事務官に転じた。茨城県警察部長、徳島県警察部長、特許局審査官・事務官、埼玉県警察部長、青森県内務部長、大阪府産業部長、営林局事務官・大阪営林局長を歴任。 退官後は大阪市助役に就任し、その他に大阪府工芸会会長、大阪能率研究会会長、大阪商工会議所顧問、産業協会理事、日本能率聯合会副会長、大阪府方面委員銓衡委員などを務めた。
松下 禎二(まつした ていじ、1875年(明治8年)6月21… 松下 禎二(まつした ていじ、1875年(明治8年)6月21日 - 1932年(昭和7年)6月23日)は、日本の衆議院議員(庚申倶楽部)、医学者。 鹿児島県高城郡西方村(現在の薩摩川内市西方町)出身。1890年(明治23年)、第五高等中学校医学部に入学し、1894年(明治27年)に卒業した。 1897年(明治30年)よりドイツに留学し、フライブルク大学・ギーセン大学・ハレ大学・ブレスラウ大学で植物学・動物学・物理学・鉱物学・内科学・病理学・衛生学・細菌学・耳鼻咽喉科学・哲学・心理学・論理学などを学んだ。 1902年(明治35年)に帰国し、翌年3月17日に医学博士の学位を得た。同年、京都帝国大学医科大学教授となり、衛生学講座を担当した。
星名 ヒサ(ほしな ヒサ、1874年(明治7年)6月21日 … 星名 ヒサ(ほしな ヒサ、1874年(明治7年)6月21日 - 1954年(昭和29年))は、日本の教員。同志社女学校に学び、夫星名謙一郎とのハワイ、テキサスでの生活を経て英語、裁縫を身につけ、松山女学校、同志社女子専門学校で教えた。同志社では長く宣教師メアリー・フローレンス・デントンに仕えた。 1874年(明治7年)6月21日愛媛県宇和郡卯之町で酒や醤油の醸造を営む旧家末光家の三男五女の第4子・三女として生まれた。地元卯之町の開明学校を卒業し、吉田町の油商浅野家に嫁いだが、離婚した。 1895年(明治28年)京都同志社女学校普通科2年に編入し、1898年(明治31年)6月卒業し、専門部英文学科に進学したが、1899年(明治32年)長兄類太郎が死去し、両親も体調不良のため、7月退学して卯之町の実家に戻り、妹トモと家事を助けた。
飯田 精一(いいだ せいいち / きよかず[要出典]、187… 飯田 精一(いいだ せいいち / きよかず[要出典]、1872年6月21日(明治5年5月16日) - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 山口県玖珂郡、現在の岩国市で旧岩国藩士・飯田文輔の長男として生まれた。1896年、東京帝国大学独法科卒。卒業後は郵便事業研究のためドイツに留学する。通信事務官、逓信書記官、一等郵便局長を歴任する。日本製樽、讃岐電気軌道、加富登麦酒、高野登山鉄道、電気信託、宮島瓦斯、小野田セメント各(株)取締役を務め、大阪商業会議所議員、大阪株式取引所理事となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において山口県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。
奥 太一郎(おく たいちろう、1870年6月21日又は20日… 奥 太一郎(おく たいちろう、1870年6月21日又は20日(明治3年5月23日又は22日) - 1928年(昭和3年)10月13日)は、戦前日本の教師。碓氷英学校教頭、北越学館教授、東北学院教授、岡山県津山尋常中学校教諭、第五高等学校教授、活水女学校教頭、日本女子大学校教授。五高時代に夏目漱石と同僚となり、生涯交流した。 明治3年(1870年)5月23日又は22日、京都に岩倉具視家臣奥輝太郎の次男として生まれた。原籍は東京府京橋区松屋町三丁目17番地。生地は水戸とする説もある。 1882年(明治15年)12月下京区公立永松小学校中等科全課を卒業し、1883年(明治16年)1月私立明倫館に入学して漢文学を学んだ。
生田 定之(いくた さだゆき、1870年(明治3年)6月21… 生田 定之(いくた さだゆき、1870年(明治3年)6月21日 - 1923年(大正12年)8月29日)は、明治・大正時代の日本銀行国庫局長。 高知市南新町(桜井町)の出身で、1886年(明治19年)に慶應義塾へ入るものの素行不良で土佐に退京を命ぜられる。1888年(明治21年)に免除され再び上京して慶應義塾に復学し、翌年卒業。一度は帰郷して教師となるも、明治24年に磯村豊太郎の薦めで、当時川田小一郎が総裁だった日本銀行に入る。1896年(明治29年)函館支店に転じ、その後大阪支店に移った際に本社より欧米留学を命ぜられる。その後は検査役、調査役と進み、1906年(明治39年)に小樽支店長を経て国庫局長就任。
宇佐美 勝夫(うさみ かつお、1869年6月21日〈明治2年… 宇佐美 勝夫(うさみ かつお、1869年6月21日〈明治2年5月12日〉 - 1942年〈昭和17年〉12月26日)は、日本の内務官僚、政治家。幼名は慎平。富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任した。 山形県士族宇佐美駿太郎の弟。 米沢藩士(馬廻組、100石。上杉斉憲〈戊辰戦争時の米沢藩主〉の御側役)で、戸長を務めていた宇佐美勝作の二男として生まれる。米沢中学、第一高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入り内務属として県治局に配属された。同年10月、文官高等試験に合格。 1897年4月26日、徳島県参事官に就任。以後、京都府参事官、内務書記官・宗教局、宗教局第一課長兼第二課長、大臣官房文書課長、兼内務省参事官などを歴任。
粟野 健次郎(あわの けんじろう、元治元年5月18日(186… 粟野 健次郎(あわの けんじろう、元治元年5月18日(1864年6月21日) - 昭和11年(1936年)8月23日)は、日本の教育者。 陸奥国一関(現在の岩手県一関市)出身。新潟英語学校、新潟中学校を経て、文検に合格し1886年(明治19年)に中学師範各学校英語科教員免許状を受け、東京府中学校一等助教諭となった。翌年から第一高等中学校英語教員嘱託、1889年(明治22年)から第一高等学校教諭、1890年(明治23年)から第一高等学校教授を歴任した。東京時代の教え子に、夏目漱石、若槻禮次郎、本多光太郎らがいる。1892年(明治25年)、仙台の第二高等学校教授に転じ、土井晩翠、作家高山樗牛らを教導。
柴 五郎(しば ごろう、1860年6月21日〈万延元年5月3… 柴 五郎(しば ごろう、1860年6月21日〈万延元年5月3日〉 - 1945年〈昭和20年〉12月13日)は、日本の陸軍軍人。第12師団長・東京衛戍総督・台湾軍司令官・軍事参議官を歴任した。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。陸士旧3期。柴四朗(東海散士)は兄。 1860年(万延元年)に会津藩の上士(280石)である柴佐多蔵の五男として生まれた。会津戦争の籠城戦前に祖母・母・兄嫁・姉妹は自刃した。自刃前に親戚に預けられた五郎は親戚の山荘で隠れていたが、兄たちや父親と再会する。戦後は会津藩の武士階級は旧会津藩から移住することが決まり、藩主と同じ陸奥国斗南(青森県むつ市)への移住を選ぶ。共に会津藩出身の森雅守少佐(イタリアにて自殺)は斗南時代から行動を共にした陸士旧3期同期生である。
鵜飼 節郎(うかい せつろう、1856年6月21日〈安政3年… 鵜飼 節郎(うかい せつろう、1856年6月21日〈安政3年5月19日〉 - 1931年〈昭和6年〉9月5日)は、日本の政治家、衆議院議員(立憲政友会)。 盛岡藩士の子として盛岡に生まれた。藩校で学んだ後、上京して法学・経済学を学んだ。1877年(明治10年)、西南戦争が起こると同志を率いて上京し、警部補・新撰旅団小隊長心得に任命された。その後自由民権運動に参加し、自由党東北常備委員として党勢の拡張に尽力した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に、自由党から岩手県第4区で立候補したが落選した。 1902年(明治35年)、第7回総選挙に立憲政友会から岩手県郡部選挙区で立候補し、当選。
加藤 正恵(正惠、かとう まさえ、1851年6月21日(嘉永… 加藤 正恵(正惠、かとう まさえ、1851年6月21日(嘉永4年5月22日)- 1931年(昭和6年)2月25日)は、明治から昭和初期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。 伊予国新居郡黒島村(愛媛県新居郡多喜浜村を経て現新居浜市)で、地主・加藤清吉の長男として生まれる。 1882年(明治15年)以降、多喜浜村黒島村戸長、多喜浜村郵便局長、多喜浜村会議員などを務めた。 1904年(明治37年)、貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。なお加藤の議員選出に際して、前2回の選挙において互選者の多い新居郡から選ばれていたため、他郡の互選者から不満の声が上がり、小西荘三郎らから要求されて額面4千6百円余の公債証書を互選者団体の愛媛親睦会に寄付することによって当選した。
加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(184… 加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(1849年6月21日) - 昭和10年(1935年)6月17日)は、幕末の会津藩士、明治時代の地方官吏、警察官、教育者、銀行家である。号は六石。 若松城下に生まれる。藩が戊辰戦争に敗れたのち、青森中学の助教となる。次いで警察官となり、千葉県警察署長に就任。明治9年(1876年)、同藩出身の永岡久茂らが萩の乱に呼応して挙兵を図り千葉へ向う途中で乱闘となり検挙された(思案橋事件)。これは千葉に加藤ら会津藩出身の警察官がいたため、永岡は加藤らの協力を期待して千葉での挙兵を計画したといわれる。 翌年生起した西南戦争において加藤は抜刀隊小隊長となり歴戦している。
山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天… 山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天保10年5月11日〈1839年6月21日〉 - 1894年〈明治27年〉6月12日)は、日本の士族(佐賀藩士)、官僚、政治家。父は山口尚澄。通称は範蔵(はんぞう)、範造、範三、繁蔵。 「尚芳」の読みは「なおよし」とされることが一般だった。しかし、当時の官僚たちの履歴資料が『勅奏任官履歴原書』(国立公文書館所属)として1995年に刊行され、そこに載っていた読みが「ますか」であった。同資料は掲載された人々自身の閲読を経ていることから信頼性は高く、「ますか」の読みが併記されることが増えている。 幼少のころから佐賀藩武雄領主・鍋島茂義に将来性を見込まれ、佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の命令により、他の藩士子弟らとともに長崎に遊学し、オランダ語や英語を学んだ。
寺島 宗則(てらしま むねのり、1832年6月21日〈天保3… 寺島 宗則(てらしま むねのり、1832年6月21日〈天保3年5月23日〉- 1893年〈明治26年〉6月6日)は、日本の外交官・政治家。元は松木 弘安(まつき こうあん)、別字に弘菴、弘庵、洪庵。通称は寺島改姓後に陶蔵と名乗った。日本の電気通信の父と呼ばれる。第4代外務卿として活躍した。 天保3年(1832年)、薩摩国出水郡出水郷脇本村字槝之浦(現:鹿児島県阿久根市脇本字槝之浦)の郷士・長野成宗の次男として生まれる(幼名徳太郎、後に藤太郎)。5歳のとき、跡継ぎがいなかった伯父で蘭方医の松木宗保の養嗣子となり、長崎で蘭学を学ぶ。 弘化2年(1845年)、江戸に赴き伊東玄朴、川本幸民より蘭学を学び、安政2年(1855年)より中津藩江戸藩邸の蘭学塾(慶應義塾の前身)に出講する。
鹿賀 ミツル(かが みつる、6月21日 - )は、日本の漫画… 鹿賀 ミツル(かが みつる、6月21日 - )は、日本の漫画家・漫画原作者。女性。奈良県橿原市出身。成安造形大学イラストレーションクラス卒。 『ギャンブルッ!』の連載中に実家のある奈良県から京都府に仕事場を引っ越した。京都は昔から好きな場所でいつか住みたいと決めていた。京都への引っ越しが決まった当日の2時間前、48時間寝ずに仕事をしていたために「死ぬかと思った」と表現している。『ギャンブルッ!』の単行本1・2巻同時発売が決まった際、担当編集者から依頼された単行本カバー表紙を何度か描き直さされた。 『ギャンブルッ!』4巻の発売時、「肉を三口食べると気持ち悪くなり、食べられなくなった」という。『ギャンブルッ!』5巻発売の当時、コンタクトレンズをつけたまま寝ていた。
野長瀬 美慧(のながせ みえ、6月21日 - )は、日本の… 野長瀬 美慧(のながせ みえ、6月21日 - )は、日本の声優、女優、MC、 経営者。 マレーシアのクアラルンプール出身。アクロス エンタテインメント所属。株式会社LORETTA MARTIN代表取締役。 日本人の父とマレーシア人の母との間に生まれ、マレーシア育ち。日本語の他、英語、マレー語が話せる。 高校生の時に日本に帰国し、大学は法政大学グローバル教養学部を卒業。大学在学時に友人に誘われ声優の養成所の体験授業に参加したのをきっかけに声優を目指す。 以前はぷろだくしょん★A組、アル・シェアに所属していた。 2019年にアクロスエンタテインメントに所属することを報告。 2022年に音響制作会社、株式会社LORETTA MARTINを設立。
鹿野 未涼(かの みすず、6月21日 - )は、福岡県を拠点… 鹿野 未涼(かの みすず、6月21日 - )は、福岡県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。 福岡県福岡市出身。明治大学卒業。大学在学時にはテレビ朝日アスクにも通っていた。 2017年4月に鹿児島放送に入社し、同期の小田都由、柏野仁弥とともに同局のアナウンサーになる。同局在籍中に防災士の資格を取得した。 2022年3月に鹿児島放送を退社し、フリーアナウンサーに転身。同時にNHK福岡放送局の契約キャスターになり、同年4月から『はっけんTV』と『はっけんラジオ』に隔週出演している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
ChouCho(ちょうちょ、6月21日 - )は、日本の女性… ChouCho(ちょうちょ、6月21日 - )は、日本の女性歌手。大阪府吹田市出身。所属レーベルはLantis、所属事務所はHIGHWAY STAR。血液型はA型。 2007年、アニソンバンド「ロータス★ロータス」のボーカルとして活動を始める。 2008年6月20日、ちょうちょ名義で動画投稿サイト「ニコニコ動画」に歌ってみた動画を初投稿する。 2011年7月27日、1stシングル「カワルミライ」をランティスより発売しメジャーデビュー。 2012年5月2日、ChouChoへ改名し、4thシングル「優しさの理由」を発売。 2012年8月8日、1stアルバム『flyleaf』を発売。 2013年12月25日、2ndアルバム『secretgarden』を発売。
彩音 星凪(あやおと せな、6月21日 - )は元宝塚歌劇団… 彩音 星凪(あやおと せな、6月21日 - )は元宝塚歌劇団月組の男役。 北海道雨竜郡出身。身長173cm、愛称はせな、かのん。 所属事務所はACT JP エンターテイメント。 北海道深川市の高橋千悦子バレエスタジオに通った経験あり。札幌市の久富淑子バレエ研究所でバレエを学ぶ。2013年4月、宝塚音楽学校入学。 2015年4月、宝塚歌劇団に101期生として入団。入団時成績は14番。月組公演『1789-バスティーユの恋人たち-』で初舞台。同年6月2日、月組に配属。 2024年7月7日、月城かなと・海乃美月トップコンビ退団公演となる「Eternal Voice/Grande TAKARAZUKA 110!」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。