林 倬史(はやし たかぶみ、1944年10月23日 - ) … 林 倬史(はやし たかぶみ、1944年10月23日 - ) は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(立教大学・1991年)。立教大学名誉教授。 北京生まれ。青森県八戸市出身。 1968年慶應義塾大学商学部卒業。1970年同大学院商学研究科修士課程修了、1974年同博士課程単位取得満期退学。1991年「多国籍企業と知的所有権 特許と技術支配の経済学」で立教大学から経済学博士の学位を取得。 1982年福岡大学商学部専任講師、1985年助教授。1990年立教大学経済学部経営学科助教授、1992年同教授、2006年経営学部教授、2010年名誉教授。同年国士舘大学政経学部教授、2011年経営学部教授、2015-19年客員教授。
加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 201… 加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 2014年4月24日)は、日本の政治家。旧民主党に所属していた。 参議院議員(1期)、内閣府大臣政務官(野田第3次改造内閣)、総務大臣政務官(野田改造内閣)、千葉県議会議員(5期)などを歴任。 北海道苫小牧市生まれ。1962年に北海道苫小牧工業高等学校を卒業して東京電力千葉支店に入社。労働組合千葉支部書記長を務めた。その間に民社党入党。1987年には民社党より千葉県議会議員に初当選し、以後5期に渡って在任。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党公認候補として千葉県選挙区より立候補、初当選した。野田第1次改造内閣で総務大臣政務官、野田第3次改造内閣で内閣府大臣政務官を務めた。
浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2… 浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2014年12月18日)は、日本のアニメーション音響監督。東京都出身。 日本大学芸術学部卒。 1965年虫プロダクションに入社。1972年、独立して録音企画制作会社オーディオ・プランニングユー設立。1981年録音スタジオエーピーユースタジオ(後のエーピーユー目黒スタジオ)設立。映画版『ドラえもん』や高畑勲監督作品をはじめとして数々の名作アニメの音響監督を務め、長年活躍したアニメーション音響監督の第一人者。音響技師では松田昭彦、庄司雅弘、横山正和、柏原満との関係が深かった。 息子・娘は同じく音響監督の浦上靖之・浦上慶子。主な弟子に小林克良と井澤基の2人がいる。
白井 英男(しらい ひでお、1942年(昭和17年)10月2… 白井 英男(しらい ひでお、1942年(昭和17年)10月23日 - )は、日本の政治家。元喜多方市市長。無所属、自民党派。旭日中綬章受章。 福島県喜多方市出身。喜多方高等学校を経て東京大学卒。農林水産省入省、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、大臣官房審議官、水産庁漁政部長を経て退官。地方競馬全国協会常務理事から、1998年に福島県喜多方市長選に立候補し当選。2006年2月に合併後の新・喜多方市長に当選。2010年1月の市長選挙では旧喜多方市長の飯野陽一郎から受け継いだ選挙組織が飯野の長男の立候補により分裂、さらに旧市域と旧町村部との格差に対する不満もあり、民主党の支援を受けた旧熱塩加納村長の山口信也に敗れ落選。
尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 201… 尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 2011年3月6日)は、日本の高校野球元指導者で、高校野球の解説者を務めた。元和歌山県立箕島高等学校野球部監督。長男である尾藤強も同高校OBであり、現在同高校野球部監督を務めている[1]。
酒井 あきよし(さかい あきよし、本名:酒井 昭義(※読みは… 酒井 あきよし(さかい あきよし、本名:酒井 昭義(※読みは左記と同じ)、1942年10月23日 - )は、日本の脚本家。熊本県出身。最終学歴は明治大学文学部演劇科卒業。 生家は漢方薬の店。浪曲語りの一座と一緒に各地を回って旅芝居の幕間に店主の父が漢方薬を売って歩くということも家業の一つであり、幼少の頃はこれに付いて行ったこともあったが、その幼少の頃に漢方薬店は閉店。高校は最初商業高校だったが、算盤が苦手だったこともあって退学し改めて普通高校に入学。その高校生時代から演劇をやっていた。大学生時代から日活に自らの脚本の原稿を持ち込むなどしていた。 大学卒業後、竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)に入社。
鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 20… 鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 2020年)は、日本の経営者。札幌テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1960年に札幌北高等学校を卒業し、同年に札幌テレビ放送に入社。2002年に専務に就任し、2005年6月には社長に就任。2009年6月に会長に就任。
伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月… 伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年〈昭和16年〉10月23日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(9期)、国土庁長官(第29代)、衆議院国家基本政策委員長、外務委員長、法務委員長、文教委員長等を歴任した。三男は立憲民主党所属の衆議院議員である伊藤俊輔。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)生まれ。長野県伊那北高等学校、1964年法政大学法学部卒業。在学中は法政大学弁論部に所属した。オハイオ州立大学への語学留学を経て、神田外語学院講師を務める。その後、伊那毎日新聞創業者で自由民主党衆議院議員の向山一人の伝手で1969年、向山が経営する興亜電工に入社し、向山の個人秘書を務める。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で立候補したが、立候補者9人中得票数8位で落選。
小林 和夫(こばやし かずお、1941年10月23日 - 2… 小林 和夫(こばやし かずお、1941年10月23日 - 2015年)は、日本の土木工学者。大阪工業大学工学部土木工学科・都市デザイン工学科元教授。工学博士(京都大学)。日本コンクリート工学協会元理事。プレストレストコンクリート技術協会元理事。日本材料学会元理事。建設コンサルタンツ協会コンクリート構造物の高性能化研究委員会元委員長。 専門は、土木工学・構造工学(特に、コンクリート工学)・材料力学、建設工学・地震工学・防災工学。 1964年京都大学工学部土木工学科卒業。1966年同大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了、同大学助手。1973年工学博士(京都大学)。岐阜大学講師などを経て、1978年に京都大学助教授。
高橋 宏邦(たかはし ひろくに、1941年10月23日 - … 高橋 宏邦(たかはし ひろくに、1941年10月23日 - )は、実業家である。九州耐火煉瓦(現・黒崎播磨)元会長。 1941年福岡県生まれ。1965年、山口大学文理学部卒業。同年3月、九州耐火煉瓦株式会社に入社。1989年(平成元年)7月、同社研究部長。1991年(平成3年)6月、同社取締役。1997年(平成9年)6月、同社常務取締役。2001年(平成13年)6月、同社代表取締役及び専務取締役に就任。2003年(平成15年)3月、営口九州耐火材料有限公司副董事長。同年4月、同社代表取締役社長。2007年(平成19年)4月、同社取締役相談役に就任。耐火煉瓦業界に大きく貢献した人物である。 1980年(昭和55年)『熱間流し込み材の開発と実用化』で第13回市村産業賞貢献賞を受賞した。
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月… 三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日 - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。 熊本県体育協会顧問、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長、濟々黌上塚周平顕彰会会長、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長、九州・トルコ協会会長、熊本城顕彰会会長、熊本県神社庁総代会副会長を務めた。
ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )… ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )は、大分県大分市生まれの実業家。パラグアイ在住。日本の国政選挙に立候補した、初の在外日本人候補である。 「にっぽんよ!」万葉舎 (2004-05-12出版)。
上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) … 上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) 1938年10月23日(87歳)‐ )は、沖縄の放送人、フリープロデューサー。 沖縄県那覇市垣花出身。石川高等学校卒業後、琉球新報社入社。社会部勤務時代に1959年の宮森小学校米軍機墜落事故を森口豁とともに取材。同年琉球放送に移籍、当初3か月は報道部、その後はラジオ制作部。1961年から始まった「民謡で今日拝なびら」にプロデューサーとしてかかわり、のちにパーソナリティに。ラジオ局制作部専門職部長、ラジオ局次長を経て、役員待遇ラジオ局専任局長を最後に1998年退職後も現在に至るまでパーソナリティを続けている。元部下に宮城麻里子等がいる。民謡をはじめとする沖縄の芸能文化に造詣が深く、1960年代から70年代にかけて竹中労とともに嘉手苅林昌らの沖縄民謡を本土に紹介した。
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2… 西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。アフリカ諸語・文化研究が専門。 東京都出身。桑沢デザイン研究所ゼミマスター、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任。アフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者。23歳のとき日本で初めてスワヒリ語文法を発表した。東アフリカ、インド洋諸島、カリブ海領域の現地調査・研究に勤しんだ。著書に『ことばを追って』(1989年)、『異郷日記』(2008年)、『食べる』(2010年)など。 西江定(のち早稲田大学英語英文学科教授となる)の三男として東京市本郷区駒込林町(現:東京都文京区千駄木)に生まれる。
相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2… 相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2019年3月12日)は、日本の小説家、エッセイスト、コラムニスト。日本ペンクラブ会員、『九州文学』同人。鹿児島県を中心に活動し、地方文芸誌『小説春秋』や鹿児島ペンシルクラブを主宰した。 関東州(満洲国の日本租借地)大連市生まれ。父は南満洲鉄道勤務だった。奉天市で終戦をむかえ、1946年に父母の故郷鹿児島市に引き揚げ。1956年に鹿児島県甲南高等学校を卒業。家庭の事情で大学進学を断念し、九州電力に勤務した後、結婚して退職し3人の子を育てる。1973年に鹿児島の文芸同人誌『原色派』で小説を書き始める。1989年、短編小説集『みなみのポプラ』を出版。
星谷 勝(ほしや まさる、1937年10月23日 - 200… 星谷 勝(ほしや まさる、1937年10月23日 - 2008年4月20日)は、日本の工学者。専門は、構造工学・構造信頼性工学。学位は、工学博士(スタンフォード大学・1979年5月)(学位論文「Dynamic and eigenvalue analysis of stochastic structural systems.」)。
伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1… 伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1995年5月31日)は、日本のジャーナリスト、編集者。朝日ジャーナル編集長、朝日新聞編集委員。 福岡市に生まれる。福岡学芸大学附属福岡中学校、福岡県立修猷館高等学校を経て、1955年早稲田大学文学部に進学するが、中学・高校の同期で親友であった山崎拓が商学部に入学したこともあり、翌年転入。なお、2人は中学時代に同じ文芸部に所属し、山崎が部長で伊藤は副部長であった。卒業後、山崎がブリヂストンタイヤに就職したため一時同社に入社するが、1960年朝日新聞に転職。山崎との親交は終生続いた。朝日新聞では、鹿児島支局、福岡支局社会部、1969年、東京本社社会部、1970年、アフリカ特派員、1972年、東京本社政治部、1977年、ダルエスサラーム特派員、1980年、カイロ特派員などを務める。
中村 輝子(なかむら てるこ、1936年10月23日 - )… 中村 輝子(なかむら てるこ、1936年10月23日 - )は、日本の生物学者。日本女子大学名誉教授。学位は、理学博士。専門は植物生理学。 東京都生まれ。東京学芸大学学芸学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。 1965年、日本女子大学助手。講師、助教授を経て、1975年、教授。1997年、第13回植物化学調節学会賞受賞。シダレザクラが枝垂れるしくみを解明したことで知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2… 高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2019年1月27日)は、日本の小説家、文芸評論家。 東京府生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。博報堂、コスモ・ピーアール勤務を経て創作活動に入る。1973年「白蟻」で芥川賞候補、1974年「道化の背景」、1975年「藁のぬくもり」で同じく芥川賞候補、1977年『巷塵』で直木賞候補、1983年「町の秋」で芥川賞候補。第7次『三田文学』復刊に携わり、1985年から1986年にかけて編集長をつとめる。1997年『独楽の回転 甦る近代小説』で第25回平林たい子文学賞受賞。1998年5月~99年7月、日本経済新聞に小説「饗宴」を連載した。 2019年1月27日午後5時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月2… 桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月23日 - 2012年3月19日)は、日本の作曲家である。日本作曲家協会会員、日本レコード大賞制定委員会委員でもある。青森県平川市(旧南津軽郡尾上町)出身。 1957年(昭和32年)三船浩の「恋なんて捨てっちまえ」で作曲家デビュー。当時桜田はまだ18歳であった。 1986年(昭和61年)第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、北島三郎の「北の漁場」が受賞(作詞:新條カオル、編曲:斉藤恒夫)。1987年(昭和62年)第29回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、大月みやこの「女の駅」が受賞(作詞:石本美由起、編曲:丸山雅仁)。 2012年3月19日、急性白血病により死去。
堀越 孝一(ほりこし こういち、1933年10月23日 - … 堀越 孝一(ほりこし こういち、1933年10月23日 - 2018年9月8日)は、日本の西洋史学者。学習院大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 1933年、東京市滝野川区(現東京都北区)生まれ。東京都立北園高等学校を経て、1956年東京大学文学部西洋史学科を卒業。卒業後は高校非常勤講師を務めた。1959年には堀一孝の筆名で柴田翔らの同人誌『犀』に参加。 1960年に東京大学大学院に入学し、堀米庸三に師事した。1966年、博士課程満期退学し、茨城大学講師となった。1968年に助教授昇進。1971年から一年間、文部省在外研究員としてパリに滞在。1974年、学習院大学助教授となり、1976年より教授。2001年より人文科学研究所長。
井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23… 井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23日 - 2023年(令和5年)12月25日)は、日本の銀行家。元青森銀行頭取。青森県経営者協会会長。 青森県出身。東北大学卒業後、青森銀入行。 営業、人事と行内業務に幅広く精通し、副頭取就任後は、当時の梅内敏浩頭取とともに行内改革を進めた。 1997年(平成9年)、頭取に昇格する。トップ在任時においては、リテール強化に取り組んだほか秋田銀行、岩手銀行との提携を実現させた。また、県内企業の育成や地域貢献にも取組んだ。 2007年(平成19年)に、会長に退いた。 2023年(令和5年)12月25日午前8時7分、老衰のため青森市内の施設で死去した。
渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月… 渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月23日 - )は、日本の女優。東京市麻布区(現・東京都港区西麻布)出身。
森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日… 森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉2月7日)は、日本の政治評論家。株式会社森田総合研究所代表取締役。 妻の甥に医師で民主党に在籍していた、元衆議院議員の石森久嗣がいる。 静岡県伊東市出身。伊東西小、伊東北中、相洋高校を経て東京大学工学部鉱山学科卒業。在学中に日本共産党に入党し、香山健一、島成郎、生田浩二、青木昌彦らとともに全日本学生自治会総連合の指導部を形成した。破壊活動防止法反対闘争(1952年)、原水爆禁止運動(1955年)、砂川闘争(1957年)、安保闘争(1958年〜1960年)などに携わる。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じて共産党を除名されると、1958年、多くの学生党員らと共に共産主義者同盟(ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。
可児 弘明(かに ひろあき、1932年10月23日 - 20… 可児 弘明(かに ひろあき、1932年10月23日 - 2026年5月)は、日本の歴史学者、文化人類学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は、東洋史、社会史、華僑華人研究。 1932年、千葉県で生まれた。慶應義塾大学文学部で学び、同大学大学院文学研究科を修了。 修了後は、香港中文大学の教員となった。帰国後、母校の慶應義塾大学助手に採用された。後に助教授、教授昇格。在任中には、同大学地域研究センター副所長も務めた。慶應義塾大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は敬愛大学国際学部教授として教鞭を執った。 上記の在任中には、1965年〜1973年にかけて香港中文大学にて調査活動。また、1979年〜1980年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校ほかにてアメリカ華僑を調査。
堀越 叡(ほりこし えい、1932年10月23日 - 200… 堀越 叡(ほりこし えい、1932年10月23日 - 2009年10月16日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京都出身。父は地質調査所などで活躍した鉱床地質学者の堀越義一である。 1956年、東京大学理学部地学科卒業。指導教官渡辺武男教授の薫陶を受け、1958年、東京大学大学院修士課程修了。四国の佐々連鉱山を初めとする含銅硫化鉄鉱鉱床(キースラーガー鉱床)の研究を行った。 1958年 - 1964年、同和鉱業に就職し、秋田県北鹿地域の黒鉱鉱床の胚胎層準について調査する。その結果、黒鉱鉱床はキースラーガー鉱床などと同じく、周囲の岩石(母岩)の堆積時に、海底面上で形成された同成鉱床であることを立証した。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - … 上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - 2002年8月14日)は、脚本家・作家。長野県上水内郡中条村(現長野市)出身。長野県長野北高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒。 『サインはV』『アテンションプリーズ』『積木くずし』といった高視聴率のテレビ番組や、日本テレビの『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『われら青春!』といった一連の青春学園シリーズを執筆。他、数多くの人気テレビドラマの脚本を書く。晩年は舞台の脚本も手がける。(新橋演舞場『都おどり』など) 叔父の阿木翁助の影響で大学時代からラジオドラマを書き始める。大学の同級生に監督の高瀬昌弘がおり、彼がメイン監督となった『これが青春だ』の折に「君の青春を提供してくれ」と依頼を受け、その後も一連のシリーズに執筆しつづけた。
野﨑 健輔(のざき けんすけ、1931年10月23日 - 2… 野﨑 健輔(のざき けんすけ、1931年10月23日 - 2020年9月25日 )は、日本の記録映像作家。 島根県安来市伯太町出身。 1952年より新理研映画で劇場用ニュース映画「毎日世界ニュース」、1956年には中日映画社に移り「中日ニュース」のそれぞれ企画、取材に従事する。 1960年、『泥海の悲劇 - 伊勢湾台風の記録』を初演出。中日映画社ではニュース部長、短編部長をつとめながら監督、その後三和映画社の代表取締役を経て、1975年よりフリー。 フリーとなってからはRKB映画社、山陽映画などと契約して秀作を生み、受賞も数多い。『鬼すべ』(1983年)と『架ける』(1987年)でキネマ旬報文化映画ベスト・ワン、前者は芸術祭大賞を受賞。
大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2… 大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2019年3月12日)は日本の作曲家。 1931年(昭和6年)大阪府に生まれる。1953年(昭和28年)大阪音楽大学短期学部作曲学科を卒業。後に日本ビクターの専属作曲家となる。 戦後復興期の歌謡曲を多数作曲したほか、朝日放送・テレビ朝日系列ほかの長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』のテーマソングの作曲など大衆的なもの知られているが、交響曲『大阪』、交声曲『蔵王絶唱』、協奏曲などを手掛けるなど、幅広いジャンルに携わった。 2019年(平成31年)3月12日、肺炎のため死去、87歳没。
水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )… 水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。熊本県出身。 1955年に熊本大学理学部を卒業し、同年4月に井関農機に入社。1976年2月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年2月には社長に就任。1992年12月から相談役を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。
河越 重任(かわごえ しげとう、1931年10月23日 - … 河越 重任(かわごえ しげとう、1931年10月23日 - 2008年12月10日)は、日本の労働法学者。専門は労働法・社会保障法。岩手大学名誉教授。港湾労働や労災補償制度の研究で知られる。 東京府荏原郡目黒町上目黒に生まれる。 1951年、早稲田大学第二政治政経学部経済学科に入学し、1955年卒業。 在学中より国立国会図書館調査及び立法考査局に勤務し、労働課主査を務めた。 1968年、中央大学商学部非常勤講師。 1976年、岩手大学人文社会学部教授。1997年5月、岩手大学名誉教授。 日本社会保障法学会理事、社会政策学会幹事を務めた。 労働開発研究会『季刊労働法』誌に名誉教授として数多く寄稿し、また日本交通学会『創立60年のあゆみ』でも研究者として言及されている。
杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日… 杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日本の元俳優、華道家。東京市小石川区春日町(現:東京都文京区)出身。本名は杉田 康恕(すぎた やすのり)。 旧制浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学卒業。 大学で演劇と出会い、卒業と同時に俳優として大映東京撮影所に入社し、15年間映画やテレビドラマで活躍した。1972年、華道家である父・先代六世香翠より七世を継承。俳優から華道家に転身、桂古流・桂流の家元となる。日本いけばな芸術協会参与、さいたま市いけばな芸術協会会長、埼玉県いけばな連合会理事長を務める。 ※『ブルークリスマス』、『THWAY 血の絆』以外大映作品。
小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、… 小野 信爾(おの しんじ、1930年10月23日 - )は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授。専攻は中国近代史。 1930年、大分県竹田市で生まれた。生家は豊後岡藩主中川家の菩提寺として知られる寺院・碧雲寺。山門には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して略奪してきたという「碧雲寺」の扁額が掲げられていた。父親は旧制中学の国語教師であった。 大分県立竹田高等学校を経て、1949年に京都大学文学部入学。1951年2月22日、下鴨警察署近くで「アメリカの朝鮮戦争に協力するな」という趣旨のビラを撒いたことで、GHQの占領政策違反に問われて軍事裁判を受け、重労働3年・罰金1000ドルの判決を受けた。文学部の同級生、教授らの減刑嘆願署名などによって刑期は2年に減刑された。
志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 201… 志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 2012年10月29日)は、日本の放送評論家。 福島県生まれ。1953年(昭和28年)早稲田大学大学院修士課程修了。飯島正に師事。早大講師、多摩大学非常勤講師なども務めた。 羽佐間重彰(フジテレビ社長、産経新聞会長)は、大学と大学院の同級生。羽佐間によると志賀は、録画機器のない当時、月給の10倍以上の値がしたテレビを数台所有し、各局の番組を同時に鑑賞していたという。 1960年(昭和35年)、内村直也らとともに放送批評懇談会を設立し、78年理事長、08年名誉会長。10年には創設メンバーである志賀の功績を記念して、ギャラクシー賞に「志賀信夫賞」が創設された。
佐和 誠(さわ まこと、1928年10月23日 - 2012… 佐和 誠(さわ まこと、1928年10月23日 - 2012年1月4日)は、日本の翻訳家、字幕翻訳家。本名・塩沢誠治。 東京生まれ。青山学院専攻科卒業。 字幕翻訳家などを経て、外国映画の原作、推理小説、冒険小説などの英語からの翻訳を業とする。『卒業』『ペーパームーン』『イージー・ライダー』などのほか、「デストロイヤー」などシリーズものも多い。 「デストロイヤー」シリーズ(R・サピア&W・マーフィー、創元推理文庫) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
三佳 令二(みよし れいじ、1928年(昭和3年)10月23… 三佳 令二(みよし れいじ、1928年(昭和3年)10月23日 - 2009年(平成21年)3月10日)は、日本の作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、有限会社ドーム音楽出版社代表取締役。慶應義塾大学経済学部卒。東京都出身。本名は名和 治良(なわ はるよし)。別名義に三田 恭次、嵯峨 士郎、名和 治郎(なわ じろう)がある。 ファン・ソヌ(黄善雨)の作詞作曲した韓国の歌謡曲『釜山港へ帰れ』を日本語で作詞し、渥美二郎、ジェロなどのさまざまな歌手によって歌われてきた。他にも『離別』、『大田ブルース』などの曲の歌詞日本語訳や、八代亜紀の『舟唄』、水原弘の『君こそわが命』の制作にも携わった。 2009年3月10日、原発不明癌により、80歳で大田区内の病院にて死去した。
鈴木 瑞穂(すずき みずほ、1927年〈昭和2年〉10月23… 鈴木 瑞穂(すずき みずほ、1927年〈昭和2年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉11月19日)は、日本の男性俳優・声優。オフィスODA所属。劇団銅鑼団友。以前は其田事務所に所属していた。 満洲出身。安東中学校卒業。1943年に海軍兵学校に入学し、在学中に終戦を迎える。戦後は京都大学経済学部に入学。劇団民藝の公演『かもめ』を観て感動したことで、京都大学を中退して日本大学芸術学部に転じる。 1952年、劇団民藝の研究生となり、「五稜郭血書」で初舞台を踏んだ。 1962年に『るつぼ』での演技で文化庁芸術祭奨励賞を受賞。 1971年に民藝を退団。1972年、劇団銅鑼を結成し、10年間代表を務めた後、フリーとなる。
児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23… 児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23日 - 1987年(昭和62年)1月12日)は、日本の映画監督。 東京府東京市(現・東京都)出身。児玉氏の末裔で、曽祖父は台湾総督や陸軍参謀総長などを務めた児玉源太郎陸軍大将、祖父は貴族院議員、内閣書記官長を務めた兒玉秀雄である。父は秀雄の婿養子児玉忠康、母は秀雄の長女貞子。 1939年(昭和14年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1944年(昭和19年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、黒澤洋(元日本興業銀行会長)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。
田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日… 田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。学位は、法学博士(名古屋大学)。専攻はヨーロッパ政治思想史。トマス・ホッブズ、カール・シュミット、長谷川如是閑の思想史的研究を柱として、現代政治史や福祉国家論などにも業績を持つ。 佐賀県生まれ。旧制佐賀中学校、陸軍経理学校予科、旧制佐賀高等学校文科乙類を経て、東京文理科大学哲学科卒業。 東京教育大学文学部助手、助教授を経て教授となる。同大学の閉学以降、静岡大学人文学部教授を経て、1983年から90年まで一橋大学社会学部教授。定年退官後、大東文化大学法学部教授、立命館大学客員教授、聖学院大学大学院客員教授を歴任し、聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科教授に着任する。
廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2… 廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2014年2月24日)は、日本の法学者。広島県広島市出身。東北大学名誉教授。専門は民法、法社会学。ほか財産法、契約法。日本の公安警察も研究した。
田村 一郎(たむら いちろう、1926年10月23日 - 1… 田村 一郎(たむら いちろう、1926年10月23日 - 1991年2月21日)は、日本の数学者、東京大学名誉教授。専門は位相幾何学。 東京出身。1953年に東京大学理学部数学科卒業、大学院に進み、1957年、理学部助手。1960年、「M空間の特性類」で理学博士。1961年、教養学部助教授。1962年に理学部助教授、1967年に理学部教授、1987年、定年退官、名誉教授、東京電機大学教授。1991年2月21日、肝不全のため死去。
浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 201… 浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 2010年12月20日)は、日本の精神科医。分裂病者と球遊びに関しての論文が注目された。市井の精神科医として評価され、著作も複数ある。
木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23… 木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23日 - 2017年(平成29年)11月23日)は、日本の政治家。東京都千代田区長(3期)、東京都議会議員(4期)、都議会自民党政調会長、都議会自民党幹事長を歴任した。東京府出身。 東京市麹町区生まれ。麹町小学校、早稲田実業学校卒業。1944年に熊谷陸軍飛行学校に第3期生として入学。1年後輩には、後の内閣総理大臣竹下登がいた。陸軍少尉として終戦までタイ、マレーシア、スマトラを転戦。1950年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。卒業後は、25年間にわたり国会議員秘書を務めた。当時の同僚秘書には海部俊樹や森喜朗がいる。 その後、1973年に東京都議会議員に当選。
長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)1… 長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)10月23日 - )は、日本の経済学者。統計学者。経済学博士。元小樽商科大学学長・小樽商科大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。 北海道野付郡別海村字オダイトウ生まれ。1941年(昭和16年)12月、根室商業学校(現北海道根室高等学校)を卒業。1944年(昭和19年)9月、小樽高等商業学校を卒業。1948年(昭和23年)3月、東京商科大学(現一橋大学)商学部を卒業。1948年(昭和23年)小樽経済専門学校講師に採用、1954年(昭和29年)小樽商科大学商学部助教授。その後、立正大学経済学部教授、北海道大学経済学部教授、北海道総合経済研究所長を経て、1972年(昭和47年)小樽商科大学商学部教授、1976年(昭和51年)、第5代小樽商科大学附属図書館長に就任。
小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23… 小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23日 - 1945年(昭和20年)5月11日)は、大日本帝国海軍軍人。 1922年に群馬県高崎市で生まれる。群馬県立高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1942年秋に早稲田大学政治経済学部へ進学するが、大日本帝国海軍に憧れて1943年12月10日に横須賀第二海兵団に海軍二等水兵として入団する。1944年2月1日に海軍予備学生(14期飛行専修)となり、土浦海軍航空隊に入団すると、学問や飛行訓練などで頭角を現し、同年5月25日に基礎教程を修了、同日付で谷田部海軍航空隊に配属された。谷田部航空隊でも練習機を用いて飛行訓練を行い、同年9月28日に修了、同日付で神ノ池海軍航空隊に入隊した。
西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - … 西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - 1988年6月9日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家・詩人である。本名は伊奈 文喜(いな ふみき)、別名は鶴巻 次郎(つるまき じろう)。詩人としては本名を名乗った。 1921年(大正10年)10月23日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に生まれる。伯父に作詞家の西條八十(1892年 – 1970年)、叔父に映画監督の伊奈精一(1898年 – 1962年)がいる。 旧制・駒込中学校(現在の駒込高等学校)に進学、叔父・伊奈精一の影響により幼少より映画に親しみ、1940年(昭和15年)3月、同校を卒業するとともに、叔父の紹介を得て、同年4月、新興キネマに入社する。
寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2… 寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2007年3月4日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。 和歌山県出身。1945年に九州帝国大学法学部経済学科を卒業し、同年に運輸省に入省し、1947年に高文行政科に合格。1973年9月に航空局長、1974年6月に海上保安庁長官を歴任し、1975年7月に運輸省顧問に就任。その後は、1979年9月に日本アジア航空副社長、1983年10月に日本貨物航空副社長、1990年7月に航空振興財団理事長を歴任。 1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2007年3月4日に腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日… 石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の法学者。 専門は労働法。東京大学名誉教授。末弘厳太郎門下。「労働法の権威」と呼ばれた。 労働行政の場においても、公共企業体等労働委員会会長や中央労働委員会会長を歴任するなど活躍。中央労働委員会会長在任中(1984年11月~1992年10月)には、パンアメリカン航空の労働争議仲裁や、いわゆるJR不採用問題でJRと国鉄労働組合の両者に対し和解を促す「最終解決案」の提示などを行った。 千葉県木更津市にて誕生。1937年、東京府立第四中學校卒業。1940年、第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学法学部卒業。
谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 -… 谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 - 2008年10月28日)は、日本の宗教家。生長の家第2代総裁。生長の家創始者・谷口雅春の娘婿。実父はかつて裁判官をしていた荒地清介、実母は荒地多加代。 広島県広島市出身。東京帝国大学文学部心理学科卒業後、戦争の激化で軍役に就くものの、すぐ肺を病み療養のため病院に入院。そこで相部屋の上等兵より谷口雅春の『生命の實相』を見せられ、その教えに感動する。 終戦後、「万教帰一」を唱える雅春は、GHQの厳しい思想統制に対して西洋の光明思想を翻訳・紹介する文筆活動を開始、その翻訳助手を募集する広告を新聞に掲載。それを見た荒地清超はすぐに上京し、谷口宅を訪問。