鈴木 登(すずき みのる、1893年(明治26年)3月25日… 鈴木 登(すずき みのる、1893年(明治26年)3月25日 - 没年不明)は、日本の内務官僚。 静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)出身。1917年東京帝国大学独法科卒業、内務省に入省。長野県北安曇郡長、北佐久郡長、内務部農商課長を務めた後、長崎県理事官、千葉県書記官・学務部長、大阪府内務部長、高知県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、香川県書記官・内務部長、京都府書記官・経済部長、内務省警保局警察講習所長を歴任後、1939年に青森県知事、1940年に長野県知事に就任。その後は広島県呉市長などを務めた。 長野県知事としては戦時下での食糧の増産、満蒙開拓移民の送出、信濃銀行の再生、治山治水事業の財源基礎の確立などに実績を上げた。
正木 亮(まさき あきら、1892年3月25日 - 1971… 正木 亮(まさき あきら、1892年3月25日 - 1971年8月22日)は、昭和期(戦前〜戦後)の監獄学・刑事政策の実践的法学者。戦後は死刑廃止の提唱者として日本における死刑廃止運動の中心的役割を担った。 広島県佐伯郡玖波村(現・大竹市玖波)出身。旧制三次中学校(のち三次高等学校)から第二高等学校を経て1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(ドイツ法)卒。 大学在学中から牧野英一の教育刑論やトルストイの影響を受け、監獄の改善に強い関心を持つ。1916年(大正5年)1月1日、巣鴨監獄を参観。音羽の護国寺から田圃や雑木林を通り、はるか彼方に見える高い壁のそこに至るまでには一軒の農家さえなかったという。
佐藤 久喜(さとう ひさよし、1892年 <明治25年> 3… 佐藤 久喜(さとう ひさよし、1892年 <明治25年> 3月25日 - 1970年 <昭和45年> 8月11日)は、日本の経営者。三井金属鉱業元社長。位階は正五位。 熊本県出身。1917年に京都帝国大学採鉱冶金学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。 1945年に取締役に就任し、1947年に常務を経て、1950年には神岡鉱業(のちの三井金属鉱業)社長に就任し、1958年8月までに務めた。 1960年に藍綬褒章を受章し、1965年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1970年8月11日冠状動脈硬化症のために死去。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
御西山 政夫(おにしやま まさお、1892年3月25日 - … 御西山 政夫(おにしやま まさお、1892年3月25日 - 1978年8月30日)は、茨城県水戸市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 正夫。第19代横綱・常陸山谷右エ門の従弟(甥とも伝わる)。170cm、92kg。最高位は東前頭6枚目。 1910年6月初土俵、1917年5月十両昇進。1918年5月新入幕したが、この場所途中休場してからは成績不振に陥り、一度は幕下まで転落した。なお、御西山の四股名は常陸山谷右エ門が若い時分に名乗っていたものである。 1923年1月に廃業し剣道家に転向した。
清水 善造(しみず ぜんぞう、1891年(明治24年)3月2… 清水 善造(しみず ぜんぞう、1891年(明治24年)3月25日 - 1977年(昭和52年)4月12日)は、群馬県西群馬郡箕輪村(現・高崎市箕郷町)出身の男子テニス選手。 日本人初のウィンブルドン出場者でありベスト4に進出した。全米選手権でもベスト8入りしている。 元俳優の清水善三、関西学院大学教育学部教授の藤木大三らは、清水の孫にあたる。 群馬県立高崎中学校(現:群馬県立高崎高等学校)に進学。東京高等商業学校(現:一橋大学)を卒業後、1912年に三井物産に入社、カルカッタ(インド)、ニューヨーク(アメリカ合衆国)へに駐在員として在任した。テニス選手として国際大会に出場したのはこの期間である。
中村 拓(なかむら ひろし、1891年(明治24年)3月25… 中村 拓(なかむら ひろし、1891年(明治24年)3月25日- 1974年(昭和49年)2月7日)は、日本の医学者、生化学者、古地図学者。本業である生化学者としての業績のほか、古地図研究でも多くの業績を残している。 1891年、福島県伊達郡梁川町に生まれる(現在の伊達市)。1916年第一高等学校を卒業。1920年(大正9年)東京帝国大学医学部を卒業。 1921年、伝染病研究所(長与又郎研究室)に入り、パリのパスツール研究所に留学。1924年ガブリエル・ベルトラン(英語版)教授に師事し、ソルボンヌ大学から理学博士号を授与される。1925年、東京帝国大学から医学博士号を授与される。1926年にポール・ジャクレーの母で18歳上の未亡人ジャンヌ (1874-1940)と結婚。
荒勝 文策(あらかつ ぶんさく、1890年3月25日 - 1… 荒勝 文策(あらかつ ぶんさく、1890年3月25日 - 1973年6月25日)は、日本の物理学者。専門は原子核物理学。京都大学名誉教授。理化学研究所の仁科芳雄、大阪帝国大学の菊池正士と共に、日本を代表する原子核物理学者であった。戦時下には大日本帝国海軍のF研究の主要人物として日本の原子爆弾開発に関わった。紫綬褒章、従三位勲二等旭日重光章受章。兵庫県印南郡的形村(現姫路市的形町)出身。 御影師範学校(神戸大学国際人間科学部の前身)を経て東京高等師範学校を卒業し、いったん佐賀県で教職に就いたのちに京都帝国大学理科大学物理学科に入学。1918年に卒業した後はそのまま講師・助教授を務め、1926年に台北帝国大学教授に内定。
泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日… 泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日 - 1953年(昭和28年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事。陸軍司政長官。 石川県出身。泊宗平の五男として生まれる。第四高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 三井鉱山を経て、1916年、内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、警視庁警視、同理事官、島根県書記官・警察部長、徳島県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、和歌山県書記官・内務部長、京都府書記官・警察部長、同内務部長、大阪府内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年〈明治20年〉3月… 南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年〈明治20年〉3月25日 - 1944年〈昭和19年〉7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊(南雲機動部隊)司令長官を務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将。正三位勲一等功一級。 1887年3月25日、山形県南置賜郡米沢信夫町(現在の米沢市)で、郡役所書記の父・南雲周蔵と母・志んの次男として生まれる。6人兄弟姉の末子であった。父の周蔵は旧米沢藩士であり、藩では御扶持方(中士階級)でもあった。 米沢尋常中学興譲館を経て、1905年(明治38年)海軍兵学校36期に入校。
深川 繁治(ふかがわ しげはる、1887年〈明治20年〉3月… 深川 繁治(ふかがわ しげはる、1887年〈明治20年〉3月25日 - 1976年〈昭和51年〉9月6日)は、日本の逓信官僚。台湾総督府官僚。 佐賀県出身。1911年(明治44年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業した。逓信管理局書記、逓信局事務官、通信副事務官・税関副事務官、東京中央郵便局長などを歴任。1920年(大正9年)、台湾総督府事務官に転じ、逓信局庶務課長・海事課長を経て、交通局参事・逓信部長、台北州内務部長などを務めた。1932年(昭和7年)に交通局理事・逓信部長に就任し、1935年(昭和10年)には文教局長に転じた。 1937年(昭和12年)に退官した後は、台湾放送協会常務理事を1943年(昭和18年)まで務めた。
都賀 淸司(つが せいじ、1885年3月25日 - 1946… 都賀 淸司(つが せいじ、1885年3月25日 - 1946年6月17日)は、日本の俳優、元子役である。新漢字表記都賀 清司。津賀 清司、都賀 静司と表記に揺れがある。本名須永 淸三郎(すなが せいざぶろう)。 1885年(明治18年)3月25日、埼玉県大里郡西島村(のちの同郡深谷町大字西島、現在の深谷市西島町)に生まれる。『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』には本名も芸名に同じとあるが、『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』では改まっている。 幼少時から子役として舞台に上がっていた。時期は不明であるが結婚し、東京府東京市本郷区駒込坂下町(現在の東京都文京区千駄木2丁目あるいは3丁目)に在住した満27歳のとき、1912年(明治45年)5月18日に長女・都賀静子が生まれ、その後、生年月日は不明であるが長男・都賀一司が生まれている。
日本海 忠藏(にほんかい ちゅうぞう、1885年3月25日 … 日本海 忠藏(にほんかい ちゅうぞう、1885年3月25日 - 1953年9月19日)は、現在の秋田県横手市出身で立田川部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は最上 忠五郎。身長178cm、体重83kg。最高位は西前頭16枚目。清ノ森政夫の大叔父。 1904年1月初土俵、1910年6月十両昇進。1914年1月新入幕を果たした。左四つからの寄り、櫓投げを得意としたが、幕内では全く通用せず、初日から5連敗で途中休場。1914年5月十両に、1915年5月には幕下まで陥落したが、中々勝てず、1917年1月廃業した。その後は名古屋市で会社勤めののち、手打ちうどんの製造販売業に従事した。 上の名前は改名歴なし。
獅子内 謹一郎(ししうち きんいちろう、1884年(明治17… 獅子内 謹一郎(ししうち きんいちろう、1884年(明治17年)3月25日 - 1941年(昭和16年)10月29日)は、日本のアマチュア野球選手。早稲田大学野球部の中心選手であり、早大草創期の主力でもあった。また、岩手県や満州で後進の育成に努め、「岩手野球の父」とも呼ばれる。守備位置は外野手、三塁手、投手。 岩手県盛岡加賀野村(現・盛岡市)出身。1897年(明治30年)、盛岡尋常中学(現・岩手県立盛岡第一高校)に入学する。一学年下に歌人の石川啄木がいたが、獅子内が落第して同級生となったこともあって親しかった(当時の盛岡中学は成績に厳しく、一度も落第せずに卒業できる生徒は学年全体の4分の1程度であった)。
松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月… 松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月25日 - 1960年(昭和35年)1月5日)は、日本の司法官僚・政治家。 検事総長、および太平洋戦争時の司法大臣を歴任した。 京都府久世郡宇治町(現在の宇治市)の地主で製茶業の家に生まれた。京都二中、東京神田中学校、一高を経て、1910年(明治43年)、東京帝国大学法科を卒業。1912年(大正元年)、検事となる。 名古屋裁判所の検事だった1925年3月に定型犯として賭博に関する調査を命じられた。7月に東京へ転出した後も高木常七により継続され12月に完成。あくまで事務処理の利便目的だったが結果が優れていたため、司法資料に取り上げられた。
藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - … 藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - 1958年7月9日)は、大正・昭和期の日本史学者。法政大学文学部名誉教授。明治維新史の実証主義的研究の先駆者として活躍した。
荻野 久作(おぎの きゅうさく、1882年〈明治15年〉3月… 荻野 久作(おぎの きゅうさく、1882年〈明治15年〉3月25日 - 1975年〈昭和50年〉1月1日)は産婦人科医、医学博士である。女性の月経周期と妊娠との関連性を研究した先駆的業績で知られる。 愛知県八名郡下川村(のち豊橋市下条(げじょう)東町)出身。父の姓は中村だが、1901年(明治34年)に西尾藩士で漢学者の荻野忍の養子となり、荻野姓となる。 旧制愛知県第四中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、日本中学、一高などを経て1909年(明治42年)に東京帝国大学医科大学を卒業。しばらく同大病院で勤務した後、1912年(明治45年/大正元年)に新潟市の竹山病院産婦人科部長に就任するとともに新潟大学で研究を続ける。
丸茂 藤平(まるも とうへい、1882年(明治15年)3月2… 丸茂 藤平(まるも とうへい、1882年(明治15年)3月25日 - 1956年(昭和31年))は、日本の内務官僚、官選岩手県知事。旧姓・両角。 長野県諏訪郡玉川村(現:茅野市)出身。両角彦五郎の二男として生まれ、丸茂米作の養子となり、のち養父の長女「まつよ」と結婚した。 諏訪郡立実科中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、[要出典]第一高等学校を卒業。1908年7月、京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年1月、内務省に入省し、拓殖制度取調事務嘱託となり大臣官房台湾課及び地方局拓殖事務取扱を嘱託。同年5月、内務属となり鹿児島県揖宿郡長に就任。
中村 京太郎(なかむら きょうたろう、1880年3月25日 … 中村 京太郎(なかむら きょうたろう、1880年3月25日 - 1964年12月24日)は、日本の週刊点字新聞『点字毎日』の初代編集長、日本初の普通科盲人教員。 1880年に静岡県浜名郡和地村(現・浜松市中央区)で生まれた。生来の弱視で、小学校に入ることもできなかった。13歳になって、東京盲唖学校の存在を知る。反対する両親を説得して、1894年に14歳で同校に入学する。卒業と同時に東京盲唖学校の普通科教員になったが、これは、視覚障害者が同校の普通科教員になったケースとしては第1号であった。台湾慈恵院盲部の主任教諭などを務めて、1922年に『点字毎日』の編集主任になり、同紙の刊行に尽くすとともに、視覚障害者のための数々の事業をも始めた。
栗原 彦三郎(くりはら ひこさぶろう、1879年(明治12年… 栗原 彦三郎(くりはら ひこさぶろう、1879年(明治12年)3月25日 - 1954年(昭和29年)5月5日)は、明治から昭和前期の雑誌編集者、政治家、刀匠。衆議院議員。号・昭秀、晃南。 栃木県安蘇郡閑馬村(新合村、田沼町を経て現佐野市 閑馬町)で、大百姓・栗原喜蔵の二男として生まれる。田中正造から薫陶を受けた。1891年(明治24年)正造に伴われて上京。青山学院中学部で学び、在学中の1896年(明治29年)12月、津田仙を足尾銅山に案内したり、東京で演説会を開催するなど足尾鉱毒事件の解決に尽力した。その後、早稲田大学、日本大学で学んだ。 1917年(大正6年)中外新論社の経営に参画して社長に就任し、『中外新論』を刊行。
井野 次郎(いの じろう、1877年〈明治10年〉3月25日… 井野 次郎(いの じろう、1877年〈明治10年〉3月25日 - 1952年〈昭和27年〉10月25日)は、日本の内務官僚、政治家。官選沖縄・宮城県知事、東京市助役、長崎市長。正四位勲三等。 群馬県群馬郡徳丸村(後東群馬郡、勢多郡下川淵村を経て現・前橋市徳丸町)に、井野寿平の次男として生まれる。東京高等師範学校を経て、1913年(大正2年)、東京帝国大学英法科を卒業。1912年(大正元年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[要出典]。内務省に入省し群馬県属となる[要出典]。 以後、東京府郡長、熊本県理事官、神奈川県理事官、長崎県警察部長、広島県警察部長、佐賀県内務部長、和歌山県内務部長、宮城県内務部長、北海道庁土木部長を歴任した。
玉水 弘(たまみず ひろし、1876年(明治年9年)3月25… 玉水 弘(たまみず ひろし、1876年(明治年9年)3月25日 - 没年不詳)は、日本の技術者、実業家。関西ペイントの創業者。旧姓・花山。 三重県員弁郡中上村(久米村中上、東員村を経て現東員町中上)の花山家に生まれる。のち兵庫県の玉水庄太郎の養子となる。 第三高等学校を経て、1904年(明治37年)東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。先発メーカーの日本ペイント、東亜ペイントを経て独立。1917年(大正6年)に関西ペイント工業所を創業した。研究施設や工場拡大のための資金調達に窮し、岩井勝次郎を紹介され1918年、岩井商店の援助により関西ペイントを設立する事となる。 援助の代償として経営権を岩井商店に譲渡。
前田 政八(まえだ まさはち、1874年〈明治7年〉3月25… 前田 政八(まえだ まさはち、1874年〈明治7年〉3月25日 - 1965年〈昭和40年〉1月21日)は、日本の実業家、政治家。立憲民政党(のち立憲政友会)衆議院議員、佐賀県藤津郡塩田町(現・嬉野市)長。 佐賀県藤津郡塩田村で生まれる。代々武士の家系で、先祖には塩田津出身で治水の神様と評される前田伸右衛門がいる。1898年3月、東京の工手学校土木科を卒業し、さらに達英舎で英学を修める。 1900年5月、北海道庁技手に任じられ室蘭支庁に勤務。その後、道庁属・札幌支庁第二課長に転じ、1908年に退職。その後、札幌区外五郡産牛馬組合副組長、前田一歩園管理人を経て、前田倉庫、材木商を経営。釧路木材商組合長、北海道会議員、釧路区会議員、釧路市会議員、同議長、釧路商業会議所議員、賓江木材倉庫社長(満州国哈爾賓市)などを務めた。
両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 … 両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 - 1949年1月11日)は、長崎県北高来郡(現:長崎県諫早市)出身の元大相撲力士。本名は古川 九八(ふるかわ きゅうはち)。 1874年(明治7年)3月25日に長崎県北高来郡(現・諫早市)で農家を営む家に生まれる。家業に従事しながら土地相撲では「若木野」という四股名で活躍したが、顔役の楠という人物に才能を見出されて不知火部屋(大坂相撲)へ連れて行かれた。しかし、ここでは入門を快諾してもらえなかったことから時津風部屋(大坂相撲)へ入門したが、入門後は順調に出世したことで不知火に懇望され、不知火部屋に転属した。四股名は本名から取った「九(いちじく)」で、後に「一軸(読みは同じ)」、「國岩」と改めて活躍した。
島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5… 島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5年2月17日〉 - 1943年8月22日)は、日本の詩人・小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。筑摩県木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。帝国芸術院会員。次男は画家の島崎鶏二、三男は同じく画家の島崎蓊助。 『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父である島崎正樹をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などが存在する。
朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日〈1… 朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日〈1871年3月25日〉 - 1951年〈昭和26年〉9月18日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授(西洋哲学)、文学博士、日本学士院会員。京都学派を代表する人物の一人。 兄は工学者で京都帝国大学工科大学教授の朝永正三、長男は物理学者で東京教育大学教授の朝永振一郎。 大村藩士・朝長甚次郎の三男として長崎県東彼杵郡川棚町石木郷で生まれる。私立大村中学校(旧制中学校、第一回入学者・現長崎県立大村高等学校)2年修了後に上京して共立学校、東京英語学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学で学ぶ。丁酉倫理会会員となり、哲学館事件においては意見書に名を連ねた。
米岡 規雄(よねおか のりお、明治4年2月5日(1871年3… 米岡 規雄(よねおか のりお、明治4年2月5日(1871年3月25日) - 没年不詳)は、日本の弁護士。旅順市長。 鳥取県鳥取市に谷口卯三郎の二男として生まれ、米岡勘十郎の養子となった。鳥取中学校を卒業し、1892年(明治25年)より鳥取県属、西伯郡書記となり、さらに鳥取県内務部、大蔵省専売局、大蔵省主税局に勤務した。1901年(明治34年)、和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業。1903年(明治36年)、弁護士試験に合格した。1906年(明治39年)、関東州民政署属となり、旅順民政署財務課長を務めた。翌年に退官した後は、旅順で弁護士事務所を開き、さらに大連市にも事務所を設けた。旅順市会議員に選ばれ、1932年(昭和7年)には同市会議長に就任した。
稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応… 稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応2年2月9日)- 1936年(昭和11年)3月1日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。旧姓・木暮。 上野国群馬郡、のちの群馬県西群馬郡伊香保町(現渋川市伊香保町)で木暮武禄の三男として生まれ、1898年(明治31年)東京市神田区の稲茂登カネの入夫となり家督を相続した。 群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。東京市会議員、同参事会員、東京商業会議所議員のほか、帝国火災保険株式会社取締役他数社の重役となった。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙において東京市選挙区から無所属で立候補して当選した。1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙でも再選した。
棟居 喜九馬(むねすえ きくま、1866年3月25日(慶応2… 棟居 喜九馬(むねすえ きくま、1866年3月25日(慶応2年2月9日) - 1932年(昭和7年)9月2日)は日本の逓信省参事官また、長老派の日本基督教会富士見町教会の長老である。 1866年に棟居義彦、房子の子として周防国徳山に生まれる。 上京して、第一高等中学校に入学する。入学後に、一番町教会(富士見町教会)に行き、同教会の牧師であった植村正久の説教を聞いて、キリスト教に入信する。1887年(明治20年)7月に植村より洗礼を受けクリスチャンになる。 第一高等中学卒業後、東京帝国大学に入学する。 1893年(明治26年)に東京帝国大学法科を卒業し、農商務省に務める。その後、熊本県参事官、大阪府参事官、逓信省の通信事務官、書記官などを歴任する。
杉森 此馬(すぎもり このま、1858年(安政5年)3月25… 杉森 此馬(すぎもり このま、1858年(安政5年)3月25日 - 1936年)は、日本の教育者。 柳河藩納戸役杉森憲正の長男として、柳川奥州町に生まれる。妹のシカは杉森女紅会(現・福岡キャリアi高等学校)の創立者、日本郵船社長を務めた白仁武は従兄弟。 1874年熊本洋学校に入学、在学中はL.L.ジェーンズから英語を学んでいる。1877年柳河師範学校を経て、1884年東京一致英和学校(後の明治学院)高等普通学科を卒業し、英和予備校英文解釈教員となる。 1885年明治学院助教授、1890年同教授となり、1894年福岡県立尋常中学修猷館教諭、1896年茨城県尋常中学校教諭、1897年山口高等学校教授、1898年第四高等学校教授を経て、1902年新設された広島高等師範学校教授に就任。
陸 鉞巌(りく えつがん、1855年3月25日 - 1937… 陸 鉞巌(りく えつがん、1855年3月25日 - 1937年2月24日)は、日本の僧侶。名古屋市円通寺第28世、両本山布教師、曹洞宗大学林総監などを歴任。別名、鉞巌沙門。号は仙雄。 安政2年2月8日、尾張国名古屋生まれ。1886年(明治19年)曹洞宗大学林(現: 駒澤大学)卒業。研究生に特選され、1887年から1890年まで哲学館に在学。1885年(明治18年)9月、曹洞宗大学林寮監。明治23年11月より曹洞宗東京中学林教授。曹洞宗台湾布教師。1900年(明治33年)9月、曹洞宗大学林総監。 著書に「修道用心偈六百首布皷」「正法眼蔵布皷」「永平正法眼蔵知津布皷」など。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。
田 健治郎(でん けんじろう、1855年3月25日〈安政2年… 田 健治郎(でん けんじろう、1855年3月25日〈安政2年2月8日〉- 1930年〈昭和5年〉11月16日)は、日本の官僚、政治家、華族(男爵)。幼名は梅之助、号は譲山。衆議院議員・貴族院議員(勅選)・逓信大臣・司法大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官等を歴任。田艇吉(衆議院議員)は兄。田英夫(参議院議員)は孫。また先祖に元禄時代の女流俳人田捨女がいる。 丹波国氷上郡柏原藩領の下小倉村(現在の兵庫県丹波市柏原町下小倉)に田文平の子として生まれる。健治郎の家は代々大庄屋を務めた豪農であった。幼時には強健・腕白で、虚弱だった兄・艇吉がケンカに負けるとその仕返しに出向いたという逸話が残っている。 1874年(明治7年)に上京し、同郷の先輩の紹介で熊谷県の下級吏員に採用、翌年に愛知県に移り、名古屋裁判所安濃津支庁(現三重県津市)の糺問係に就いた。
小野田 又蔵(おのだ またぞう、安政2年2月8日(1855年… 小野田 又蔵(おのだ またぞう、安政2年2月8日(1855年3月25日) - 1939年(昭和14年)6月13日)は、三河国加茂郡明知村(現・愛知県みよし市明知町)出身の堂宮大工(棟梁)。 明治期から大正期にかけて、愛知県を中心に滋賀県も含めて60か所以上の寺院や神社の建築を手掛けた。温和で忍耐強い性格だった。 安政2年(1855年)2月8日、三河国加茂郡明知村(現・愛知県みよし市明知町)に生まれた。父は小野田菊蔵であり、又蔵は二男だった。 18歳だった1873年(明治6年)3月に棟梁の石川貞助(貞蔵)に弟子入りした。石川貞助は知多郡前山村(現・常滑市)出身の堂宮大工であり、三好の石川家に養子に入ったとされる。
寺内 正毅(てらうち まさたけ、旧字体: 寺內 正毅、185… 寺内 正毅(てらうち まさたけ、旧字体: 寺內 正毅、1852年3月25日〈嘉永5年閏2月5日〉 - 1919年〈大正8年〉11月3日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての階級は元帥陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は伯爵。 書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。 陸軍大臣(第7代)、外務大臣臨時兼任(第2次桂内閣・寺内内閣)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第19代)などを歴任した。 明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。以来、第1次西園寺内閣や第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。
角田 秀松(つのだ ひでまつ、1850年3月25日(嘉永3年… 角田 秀松(つのだ ひでまつ、1850年3月25日(嘉永3年2月12日) - 1905年(明治38年)12月13日)は、日本の武士(会津藩士)、海軍軍人。最終階級は海軍中将。戊辰戦争において「朝敵」とされた会津藩出身者として最初の海軍将官となった人物である。 会津藩医、角田良智の二男として生まれる。父の蝦夷地赴任に同行し、南摩綱紀に学んだ。秋月悌次郎に従って上洛し、林権助に洋式訓練を受ける。鳥羽・伏見の戦い、会津戦争と歴戦したが、藩の降伏を迎えた。古川庄八らに学んだ後、商船の水夫となり船長代理に昇る。征台の役に運送船に乗組んだ際に西郷従道の知遇を得て、1874年10月、長崎海軍出張所雇となる。
日比谷 平左衛門(ひびや へいざえもん、弘化5年2月21日(… 日比谷 平左衛門(ひびや へいざえもん、弘化5年2月21日(1848年3月25日) - 大正10年(1921年)1月9日)は、明治期の紡績実業家。東京富士瓦斯紡績や日清紡績など紡績業に深く関わり、東京商業会議所副会頭を務めた。鐘淵紡績、東京毛織物各社長。 越後国蒲原郡裏館村(現・三条市)の旅宿営業者・大島栄造の3男として生まれる。万延元年(1860年)より江戸日本橋堀留の綿糸棉花問屋松本屋・斎藤弥助のもとで奉公し、のち日比谷家の養子となる。明治11年(1878年)に独立して浅草区茅町に綿糸染糸店を開くが、松本屋廃業によりそれを受け継ぎ、事務所を堀留に移して 綿糸・綿花を扱う卸商・日比谷商店を設立。
石原 半右衛門(半右衞門、いしはら はんうえもん、1847年… 石原 半右衛門(半右衞門、いしはら はんうえもん、1847年3月25日(弘化4年2月9日)- 1930年(昭和5年)2月20日)は、明治期の文部官僚・政治家。衆議院議員。 丹波国船井郡大戸村(京都府船井郡川辺村字大戸、園部町を経て現南丹市園部町大戸)で、江戸幕府旗本滝川氏家臣、地役人・石原三左衛門の二男として生まれた。 明治維新後、文部属、大阪専門学校雇、岩手県尋常師範学校長、京都師範学校幹事、京都府船井郡長などを歴任。 また、川辺村会議員、京都府会議員、同常置委員、平安遷都千百年記念祭協賛会評議員、第4回内国勧業博覧会評議員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙(京都府第5区、1890年7月、大成会)で初当選し、その後、第6回総選挙まで4回再選され、最後は三四倶楽部に所属して衆議院議員に通算5期在任した。
星空 美咲(ほしぞら みさき、3月25日 - )は、宝塚歌劇… 星空 美咲(ほしぞら みさき、3月25日 - )は、宝塚歌劇団花組に所属する娘役。花組トップ娘役。 神奈川県鎌倉市、横浜雙葉高等学校出身。身長164cm。愛称は「みさき」。 2017年、宝塚音楽学校入学。 2019年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に105期生として入団。入団時の成績は5番。宙組公演「オーシャンズ11」で初舞台。その後、花組に配属。 元月組トップ娘役・愛希れいか似の雰囲気で注目を集め、2021年の「PRINCE OF ROSES」でバウホール公演初ヒロイン。入団2年目、105期から初のヒロイン誕生となった。同年の「銀ちゃんの恋」(KAAT神奈川芸術劇場・ドラマシティ公演)で、東上公演初ヒロイン。
松田 モトキ(まつだ モトキ、3月25日 - )は、日本の作… 松田 モトキ(まつだ モトキ、3月25日 - )は、日本の作詞家。大阪府出身。血液型はA型。本名は松田元気。
初音 夢(はつね ゆめ、3月25日 - )は、宝塚歌劇団花組… 初音 夢(はつね ゆめ、3月25日 - )は、宝塚歌劇団花組に所属する娘役。 大阪府豊中市、関西学院中学部出身。身長158cm。愛称は「ゆうゆ」。 2017年、宝塚音楽学校入学。 2019年、宝塚歌劇団105期生として入団。入団時の成績は15番。宙組公演「オーシャンズ11」で初舞台。その後、花組に配属。 2024年、永久輝せあ・星空美咲トップコンビ大劇場お披露目公演「エンジェリックライ」で新人公演初ヒロイン。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)