三井 富美子(みつい ふみこ、1940年3月28日 - )は… 三井 富美子(みつい ふみこ、1940年3月28日 - )は、幼児教育家。 1986年より若葉会幼稚園の園長を務め、2009年からは理事長に就任。 夫三井之乗と共に若葉会幼稚園の門戸を広く開放すると共に、同園の発展に努めた。 1940年、旧伯爵林友春(学習院名誉教授)、貞子(松濤幼稚園創設者)夫妻の元に東京で生まれる。学習院女子高等科を卒業。東京教育専門学校及び玉川大学通信教育部にて幼稚園教諭二種、一種を取得。三井財閥創業家の本家出身の三井之乗(三井物産勤務)に嫁ぎ、ロンドン、メルボルン、ノースカロライナに滞在し、1980年より若葉会幼稚園の運営に携わる。 2023年現在、同園の園長は長女の大林和子(大林組創業家の大林剛郎の妻)が務めている。
上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 20… 上原 春男(うえはら はるお、1940年3月28日 - 2017年8月11日)は、日本の教育者、工学者。特定非営利活動法人海洋温度差発電推進機構理事長。専門は海洋温度差発電(OTEC)、凝縮熱伝達。効率的な海洋温度差発電システムであるウエハラサイクルの発明者。福島第一原子力発電所・3号機の設計者でプレート式冷却装置の開発者でもある。工学博士を取得。
雲英 末雄(きら すえお、1940年3月28日 - 2008… 雲英 末雄(きら すえお、1940年3月28日 - 2008年10月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1986年)(学位論文『元禄京都俳壇研究』)。早稲田大学名誉教授。 1940年3月、愛知県幡豆郡一色町(現西尾市)生まれ。1964年、早稲田大学文学部国文科卒。1972年、同大学院博士課程退学。同年、窪田空穂賞受賞。 愛知淑徳短期大学専任講師、大阪女子大学助教授を経て、早稲田大学文学部教授、早稲田大学文学学術院教授。1985年芸術選奨文部大臣賞受賞。1986年『元禄京都俳壇研究』で、早稲田大学より文学博士の学位を取得。2008年、急性骨髄性白血病のため、68歳で逝去。
豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - … 豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - )は、大分県宇佐郡長洲町(現役当時、現・同県宇佐市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 義美(にしお よしみ)。最高位は西前頭18枚目(1958年11月場所)。現役時代の体格は178cm、83kg。得意手は左四つ、寄り、内掛け、切り返しなど。 地元の中学校を卒業後上京し、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋へ入門。1954年5月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でともに好成績を挙げたため、同年9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。なお、当初より四股名は、「豊ノ海」であった(由来は、大分県北部と福岡県東部地域の旧称「豊前」と「瀬戸内海」から)。
朝比奈秀夫(あさひな ひでお、1938年3月28日 - )は… 朝比奈秀夫(あさひな ひでお、1938年3月28日 - )は、日本の大蔵官僚。 岐阜県出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年 大蔵省に入省(主税局税関部調査統計課)。1979年7月 関税局国際第二課長。その後は国際金融局投資第二課長、同局投資第一課長、銀行局中小金融課長などを経て、1984年6月に大臣官房会計課長。1985年6月25日 神戸税関長となり、1986年6月10日より大臣官房審議官(国際金融局担当)。1988年10月1日に公営企業金融公庫理事。1991年6月27日 大阪証券金融代表取締役社長(1996年6月27日まで)。1996年7月8日 日本万国博覧会記念協会理事長(2003年6月まで)。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
石井 敏(いしい さとし、1936年3月28日 - 2017… 石井 敏(いしい さとし、1936年3月28日 - 2017年1月30日)は、日本のコミュニケーション学者。獨協大学名誉教授。日本におけるスピーチ・コミュニケーション学の先駆者。専門は異文化コミュニケーション論、対人コミュニケーション論、非言語コミュニケーション論、英語教育。 1936年埼玉県春日部市生まれ。1959年千葉大学教育学部英語科卒業。英語教育における視聴覚的方法論の第一人者である天野一夫に師事。1959年から1971年までは公立校の教員として、千葉県立茂原高等学校英語教諭などを勤めた。1969年フルブライト奨学生として米国ノースウェスタン大学大学院スピーチ学研究科修士課程修了(M.A.)。
安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - … 安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - )は、大相撲の元幕内呼出。本名は高沢 安雄。東京都荒川区出身。二所ノ関部屋所属。 番付制度が導入されてから、後輩呼出にどんどん抜かれた。番付では秀男に抜かれ、呼び上げでは秀男、拓郎、琴二、次郎、克之、志朗、重夫に抜かれていった。停年直前の2001年3月場所の時点では、順席は幕内呼出2番手でありながら、呼び上げは十両取組担当であった。
羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - … 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 地元の高校を卒業後、農業に従事していたが、安念山(後の羽黒山。引退後、年寄・追手風→同・立浪を襲名)の親戚に大相撲入りを勧められて上京。1955年9月場所にて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「千葉」。 初土俵の場所では番付外と新序でいずれも好成績を収めたため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。
絵沢 萠子(えざわ もえこ、1935年〈昭和10年〉3月28… 絵沢 萠子(えざわ もえこ、1935年〈昭和10年〉3月28日 - 2022年〈令和4年〉12月26日)は、日本の女優。本名:楠 智江、旧姓:松田。旧芸名:松田 友絵。 兵庫県神戸市出身。特技は日舞、バレエ、三味線。夫は1971年に結婚した楠年明。 兵庫県立西宮高等学校、関西学院大学文学部英文科卒業。中学生の頃から女優を志し、高校の文化祭では『修禅寺物語』の楓役を演じた。大学の卒業論文はテネシー・ウィリアムズであった。 大学卒業後は関西で会社勤めをしながら、劇団くるみ座の演劇教室に入る。1963年、『リチャード三世』で初舞台を踏む。 1968年に仕事を辞め、くるみ座も退団。劇団四季に合格したが、上京に備えて発声練習に通っていた頃に新藤兼人の監督映画『強虫女と弱虫男』でデビュー。
高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月2… 高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月28日 - )は、日本の女優である。旧芸名は出生名の和田 道子(わだ みちこ)、結婚後の本名は東 道子。 1934年(昭和9年)3月28日、千葉県銚子市に生まれる。 銚子市立銚子高等学校卒業後の1953年(昭和28年)、東宝に入社し、大部屋女優となった。1955年(昭和30年)、東映京都撮影所に入社、本名の和田道子で映画『紅孔雀』や『百面童子・四部作』などに出演した。 1957年(昭和32年)、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、同年7月、新東宝に入社した。同年、『戦雲アジアの女王』(野村浩将監督)の川島芳子役で初主演を果たす(公開は1958年1月15日)。
増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 20… 増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 2025年6月3日)は、日本の実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、日本防衛装備工業会会長等を務めた。 長崎県または静岡県出身。佐賀高校を経て、1957年九州大学工学部卒業、三菱造船(現三菱重工業)入社。1987年三菱重工業広島製作所副所長。1989年三菱重工業下関造船所長。1991年三菱重工業取締役下関造船所長。1992年三菱重工業常務取締役機械事業本部長。1994年三菱重工業取締役副社長機械事業本部長。1995年三菱重工業取締役社長。1999年三菱重工業取締役会長、日本原子力発電取締役。2000年日本防衛装備工業会会長。2001年経済産業省産業構造審議会航空機宇宙産業分科会航空機委員会委員長。
飯倉 照平(いいくら しょうへい、1934年3月28日 - … 飯倉 照平(いいくら しょうへい、1934年3月28日 - 2019年7月24日)は、中国文学者。旧・東京都立大学名誉教授。南方熊楠研究で著名。 千葉県生まれ。東京都立大学中国文学科卒業。出版社勤務を経て、神戸大学文学部講師、東京都立大助教授・教授、1998年定年退官。『南方熊楠全集』、『同選集』(平凡社)の校訂、中国民話の会世話人、南方熊楠邸保存顕彰会で資料整理・刊行に当たった。2004年に南方熊楠賞特別賞受賞。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鶴田 俊正(つるた としまさ、1934年3月28日 - )は… 鶴田 俊正(つるた としまさ、1934年3月28日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(論文博士・1986年)(学位論文「戦後日本の産業政策」)。専修大学名誉教授。 東京府(現東京都中野区)出身。早稲田大学政治経済学部卒、1962年同大学院経済学研究科修士課程修了。1986年「戦後日本の産業政策」で経済学博士。国民経済研究協会主任研究員、研究部長を経て、専修大学経済学部教授。2004年定年、名誉教授。1998年『規制緩和』で石橋湛山賞受賞。
ばば こういち(1933年(昭和8年)3月28日 - 201… ばば こういち(1933年(昭和8年)3月28日 - 2010年(平成22年)4月9日)は、日本のジャーナリスト。本名・馬場 康一。 1977年(昭和52年)、中山千夏らと革新自由連合を結成し、参議院選に出馬するが落選した。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めた。 モデルガンが趣味で、『コンバットマガジン』などの専門誌に記事を寄稿した。 結婚歴は3回。長女は一般女性。次女はジャーナリストの堤未果、その夫は川田龍平。長男はアニメーション作家の堤大介。
渡貫 博孝(わたぬき ひろたか、1933年(昭和8年)3月2… 渡貫 博孝(わたぬき ひろたか、1933年(昭和8年)3月28日 - )は、日本の元政治家。元千葉県佐倉市長。千葉県千葉市稲毛区出身。
森友 重憲(もりとも しげのり、1933年〈昭和8年〉3月2… 森友 重憲(もりとも しげのり、1933年〈昭和8年〉3月28日 - 2015年〈平成27年〉12月16日)は、福岡県出身の日本の教育者である。農林官僚であった森友政勝の長男である。 福岡学芸大学(現・福岡教育大学)を卒業後、田川市立伊田小学校を始めとして田川地区の小学校で教鞭を執り、イランの日本人学校、田川市立大浦小学校校長を務めた。その後、国際協力機構(JICA)からの依頼でブラジルのトメアス(ポルトガル語版)日本語学校にて教鞭を執る傍ら、学校経営の基本方針や組織運営を決定していくなど、日本語学校の経営に貢献した。 2013年(平成25年)春の叙勲にて瑞宝双光章受章。
鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 200… 鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 2006年3月27日)は、日本の経営者。アキレス社長を務めた。群馬県出身。 1950年に群馬県立太田高校を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1978年1月に取締役に就任し、1980年1月に常務、1985年12月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1994年9月には社長に昇格。1997年1月に取締役相談役を経て、1998年6月から顧問を務めた。 2006年3月27日心不全のために死去。73歳没。
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年… 関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。 大阪市出身。旧姓:富永。1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )… 三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )は、日本の指揮者。 東京出身。幼少よりピアノを学び、ピアニストをめざすが、手の故障で断念。下総皖一のもと作曲を学ぶ。但しコンサート・ピアニスト以外の伴奏などの活動は続けている。 1950年の東京藝術大学受験前に、金子登に指揮者の道を勧められ、同校指揮科の一期生として入学。ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄などに師事。 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進学。翌年修了し、芸大指揮科と同大学附属高校にて教鞭をとる。当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒュッシュ、木琴の平岡養一らの伴奏者として活動する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
辻田克巳(つじた かつみ、1931年〈昭和6年〉3月28日 … 辻田克巳(つじた かつみ、1931年〈昭和6年〉3月28日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、俳人。日本文藝家協会会員。俳人協会副会長、朝日新聞京都俳壇選者を務めた。 京都市生、京都大学文学部卒、中学校教員を経て高校教員となる。 1957年(昭和32年)、「天狼」「氷海」に同時に入会し、山口誓子、秋元不死男に師事。 1960年(昭和35年)「氷海」同人。 1974年(昭和49年)「天狼」同人。 1978年(昭和53年)「氷海」終刊、「狩」創刊同人。 1989年(平成元年)に教職を辞し、1990年(平成2年)「幡」を創刊・主宰。 句集に『明眸』『オペ記』『頬杖』『昼寝』『焦螟』『稗史』『ナルキソス』『春のこゑ』など。
岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025… 岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025年3月14日)は、日本の精神科医。 福島県生まれ。1955年東京大学医学部卒業、翌年医師となる。東京都立松沢病院、東京大学医学部、荒川生協病院に勤務した。青柿舎(精神科医療史資料室)運営。「ハンセン病問題検証会議」の委員も務めた。精神科医療史研究会世話人。日本医史学会名誉会員。 2025年3月14日、肺炎のため死去。93歳没。
瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 200… 瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 2009年10月6日)は、脚本家・作家。本名は上條孝之。 長野県松本市出身。同志社大学文学部卒。1955年から1966年まで長野県立高校の英語教師を務め、1962年劇団「炎」を旗揚げし、全国や海外で民話劇や朗読劇を上演する一方、NHKラジオの劇作家として約300本のラジオドラマを書き下ろす。1982年にはNHKニュースワイドのリポーターとして活躍。「推理ロマン〜望郷〜」で1992年度日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。またタイ国立芸術大学客員講師を務め、1997年にタイ王国政府から文化功労賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
今道 仙次(いまみち せんじ、1931年(昭和6年)3月28… 今道 仙次(いまみち せんじ、1931年(昭和6年)3月28日 - 2014年(平成26年)3月26日)は、昭和から平成時代の政治家。京都府城陽市長。 京都府久世郡富野荘村(城陽町を経て、現城陽市)出身。生家は農業を営む。1953年(昭和28年)日本大学法学部卒業。 京都府連合青年団団長を経て、1963年(昭和38年)京都府議会議員選挙に立候補し、1967年(昭和42年)から3期務めた。1977年(昭和52年)から城陽市長に5選した。市長在任中は、JR奈良線複線電化促進協議会会長を歴任した。ほか、市政の基本方針として「国際交流の推進」を初めて掲げ、1991年(平成3年)1月の大韓民国の慶山市との姉妹都市盟約締結へ道筋を開いた。
寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年3月28日 - 20… 寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年3月28日 - 2024年2月25日)は、1963年(昭和38年)5月に行方不明になり、1987年(昭和62年)1月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生存していることが判明した寺越武志の母親。 1963年(昭和38年)5月11日土曜日、中学校に入学して間もない長男、寺越武志(当時13歳)が叔父の寺越昭二(当時36歳)、寺越外雄(当時24歳)とともに小型漁船「清丸」で能登半島沖へメバル漁に出たまま行方不明になった。「清丸」は5月11日午後1時ころに高浜港を出港し、北よりの富来町(現、志賀町)福浦港に立ち寄った後、午後4時ころ福浦の沖400メートルに刺し網を入れた。
丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016… 丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016年12月24日)は、日本の経済学者。大阪学院大学経済学部名誉教授。専門は比較経済体制論と経済政策論[要出典]。 兵庫県芦屋市出身。1953年関西学院大学経済学部を卒業。1958年、同大学院経済学研究科博士課程満期退学。1960年関西学院大学社会学部専任講師に就く。1964年同社会学部助教授。1965年「ソ連計画経済の能率」で関西学院大経済学博士。1971年関西学院大学社会学部教授。1975年筑波大学大学院地域研究科教授。1977年京都産業大学経済学部教授。1994年大阪学院大学経済学部教授。1997年同大学院経済研究科長。2005年大阪学院大学退職、名誉教授。
雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 20… 雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日)は、日本の歌人。日本文藝家協会、現代歌人協会会員。 東京市麹町区永田町生まれ。番町小学校、東京家政学院高等女学校を経て、昭和女子大学に入学。大学在学中、川上小夜子に師事。1949年、川上にともなわれ、「女人短歌」の創刊に参加。1950年、「林間」の創刊に参加するが、1961年ころから作歌を中断。 1970年、作歌を再開し、「林間」に復帰。1972年、夫である竹田善四郎とともに「鴟尾」を創刊し、22号まで発行する。同年、香川進に師事し、短歌結社「地中海」に参加した。現在は短歌結社誌「雅歌」の発行人をつとめている。 キリスト教の洗礼を受け、50年に亘って日本基督教団に所属したクリスチャンであったことが、短歌創作に大きく反映されてきた。
蓬萊 泰三(ほうらい たいぞう、1929年3月28日 - 2… 蓬萊 泰三(ほうらい たいぞう、1929年3月28日 - 2018年11月5日)は、日本のテレビドラマ脚本家。児童合唱をメインとした作詞家。
色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1… 色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。筆名として色川 武大(いろかわ ぶだい)、阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子を名乗った。阿佐田哲也名義では麻雀小説作家として知られる。
上山 保彦(うえやま やすひこ、1929年3月28日 - 2… 上山 保彦(うえやま やすひこ、1929年3月28日 - 2024年7月10日)は、日本の経営者。住友生命保険社長、会長を務めた。福井県出身。 ペルーのリマで生まれる。旧制四高を経て1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に住友生命保険に入社。 1977年7月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1986年7月に社長に就任。1992年7月に会長に就任し、1999年10月から2003年9月までに名誉顧問を務めた。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2024年7月10日、老衰のため、死去した。95歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
片山 正樹(かたやま まさき、1929年3月28日 - 20… 片山 正樹(かたやま まさき、1929年3月28日 - 2017年3月6日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。関西学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1952年京都大学文学部仏文科卒業、1955年同大学院博士課程中退。1957年関西学院大学文学部仏文科講師、1961年助教授、1969年教授。1997年定年退任、名誉教授。バタイユ、セリーヌなどの翻訳を行った。また、多田智満子や矢川澄子、澁澤龍彦、生田耕作らとともに『未定』誌の同人だった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2… 宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2001年3月19日)は、日本の俳優、声優。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校卒業、早稲田工手学校中退。 緑ヶ丘音楽舞踊学校、劇団言葉座、劇団新作座、衣笠プロ、テレビ8プロ、グループりんどうを経て、1964年、劇団東芸に入団。その後は演劇舎燦、エー・アンド・イーなどに所属していた。 洋画の吹き替えで知られ、ウィルフォード・ブリムリーやリチャード・アッテンボローなどを担当したほか、『ウルトラセブン』のマナベ参謀役など特撮ドラマの実写作品にも出演。東宝や石原プロモーション製作の刑事ドラマへの出演も数多い。 2001年3月19日死去。72歳没。
稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928… 稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928年〈昭和3年〉3月28日 - 2009年〈平成21年〉3月5日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国務大臣北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官などを歴任。 愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)の仕出し料理屋「新黒」に生まれる。愛知県立西尾実業学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)、愛知県岡崎中学校特設科(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に中垣国雄が旧愛知4区から立候補。このとき一色町出身の池田駒平県議から頼まれ、中垣の選挙を手伝う。「新生日本を築くのはこの人だ」と確信を深めた稲垣は1948年春に上京。
野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 201… 野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 2013年7月20日 )は脚本家。東京都出身。
田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日… 田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日 - 2020年(令和2年) 5月11日[要出典]、武道家(明治神宮武道場至誠館 名誉館長)。 1949年、拓殖大学卒業。年少の頃より柔剣道を修行。戦後、合気道開祖植芝盛平翁、植芝吉祥丸二代目道主、塩田剛三より合気道を、鹿島神流第18世宗家国井道之師範より鹿島神流を学ぶ。 1954年、東京大学合気道部を創設し、師範となるほか、中央大学、専修大学、富山大学、金沢大学、日本国有鉄道本社、ならびに中央鉄道学園にて合気道の師範となる。 1961年、全日本学生合気道連盟発足に携わり、講師に就任する。 1973年、合気道八段位。明治神宮武道場至誠館設立に尽力し、同武道場に奉職。
前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 20… 前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 2025年2月10日)は、長崎原爆を体験した被爆者、歌人。長崎県長崎市出身・在住。2025年2月死去。享年96。 短歌会「未来」「幻桃」に所属。「幻桃」では顧問を務める。長崎県文芸協会常任委員。長崎歌人会相談役。長崎原爆忌文芸大会選者。歌集『褐色山脈』は長崎県文学奨励賞、『空間』は第18回長崎県文学賞を受賞した。 1928年、長崎市に生まれる。山里国民学校を卒業後長崎逓信講習所(長崎市麹屋町)に入学。1944年4月、長崎本博多郵便局に勤務。1945年6月、通信書記補に任官。空襲警報が鳴ると夜中でも鉄かぶとを頭にかぶり、足にはゲートルを巻いて、大浦・日の出町の自宅から同局まで走った。
井上 洋治(いのうえ ようじ、1927年3月28日 - 20… 井上 洋治(いのうえ ようじ、1927年3月28日 - 2014年3月8日)は、日本のカトリック教会の司祭。神奈川県出身。 1927年(昭和2)3月28日父重明と母アキの次男として神奈川県津久井郡串川村の母の実家で生まれる。7歳年上の姉、5歳年上の兄、2歳年下の弟の4人兄弟だった。その後、父親の転勤により大阪・天王寺に移る。 1933年(昭和8)大阪天王寺第六尋常小学校入学。同年9月、父の転勤で東京・市ヶ谷に移り、愛日尋常小学校に転校。 1939年(昭和14)4月、府立四中(現在の東京都立戸山高校)に進学。 1943年(昭和18)4月、旧制東京高等学校(理科甲類)に進学し、入寮。 1944年(昭和19)高等学校2年からは勤労動員で亀有の工場に駆り出される。
利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 20… 利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 2024年1月29日)は、日本の作家である。テレビ朝日系の深夜番組「トゥナイト」の司会を長く務めた。 新潟県糸魚川市出身。日本ペンクラブ会員。代表作は『宴』(ISBN 978-4122007079)、『十一世市川団十郎』(ISBN 978-4480802002)。 新潟県立糸魚川中学校、新潟高等学校を経て、1950年東京大学文学部哲学科卒業、同大学院中退。東京都立上野高等学校教員ののち、1959年中央公論社に入り、『婦人公論』副編集長など、1966年編集局次長で退職し、作家となる。1968年「糸魚川心中」で直木賞候補、1969年「B少年の弁明」で直木賞候補。
松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2… 松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2014年9月30日)は、日本の物理学者。福井大学名誉教授。兵庫県出身。 1927年(昭和2年)兵庫県神戸市生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)を経て、1950年(昭和27年)京都大学理学部卒業。 和歌山大学教授、福井大学工学部教授を務めた後、1990年(平成2年)定年退官。福井大学名誉教授。 専門は電子物性物理学。
別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 20… 別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 2025年3月21日[要出典])は、日本の英文学者・翻訳家。元上智大学文学部教授。 1927年、東京府で生まれた。兵庫県立第一神戸中学校、第一高等学校理科を経て、東京大学理学部動物学科に入学。しかし在学中に聖職者を志し、東京カトリック神学院に入学。健康上の問題で休学し、上智大学ラテン哲学科を経て、同大学英文学科を卒業。同大学大学院修士課程を修了。 1972年から1992年まで上智大学教授。 同僚であったピーター・ミルワード、チェスタトンなどの多くの翻訳のほか、誤訳批評・批判でも知られる。また、クラシック音楽にも造詣が深く、数多くの著書がある。
永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 201… 永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 2016年5月13日)は、日本の音楽評論家、訳詞家。妻はタンゴ歌手の前田はるみ。 大阪府大阪市出身。1948年京都大学工学部卒業。翌1949年上京、シャンソン社を設立、月刊誌『シャンソン』を刊行した。その後シャンソンを中心とする洋楽の訳詞をはじめ、並行して音楽評論家としても活動。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 20… 瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 2000年12月2日)は日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、5期)などを務めた。元三田木材工業企業組合理事長。 大阪府大阪市出身。東京大学工学部電気工学科を卒業後、旧石部町(現・湖南市)議、瀬崎林業取締役を経て、1972年の衆議院議員選挙(滋賀県全県区)に日本共産党から立候補。定数5のうち4位に滑り込み初当選を果たす。 連続5期務めるが、1986年の衆議院議員選挙にて落選。その後、日本共産党名誉幹部会顧問などを歴任するが、2000年12月2日、滋賀県内の病院で気管支喘息により死去。73歳。 瀬崎の落選以降、共産党は滋賀県全県区から当選者を出していない。
金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉… 金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉3月28日 - 1999年〈平成11年〉12月22日)は、日本の経営者。サカタのタネ社長を務めた。福島県白河市出身。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1951年に東北大学農学部農学科を卒業し、同年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に入社。 1966年に取締役に就任し、1974年7月に専務を経て、1979年7月には社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1999年12月22日肺炎のために在任中に死去。73歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。
松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 19… 松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 1983年1月28日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。社会保険労務士。 埼玉県入間郡三ヶ島村(現・所沢市)出身。1940年、三ヶ島村立三ヶ島尋常高等小学校卒。陸軍特別幹部候補生を経て、戦後、豊岡町(現・入間市)にあったジョンソン基地に入り、労働運動に参加。全駐労埼玉地連書記長、同副委員長となる。その後所沢市議会議員を経て、日本社会党から埼玉県議会議員選挙に立候補し当選。1979年4月の県議選で落選、同年10月の第35回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から日本社会党公認で立候補するも次点落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙で初当選した。
杵渕 やすお(本名:杵渕 康雄(きねぶち やすお)、1925… 杵渕 やすお(本名:杵渕 康雄(きねぶち やすお)、1925年3月28日 - 2014年8月13日)は、東京府東京市浅草区西鳥越町(現・東京都台東区鳥越)出身の画家(童画、挿絵、洋画)、漫画家、元・出版美術家連盟常任理事、日本児童出版美術家連盟(童美連)会員、元・現代童画会審査委員、元・現代パステル協会委員、麻生区美術家協会会員、元・文部省(現・文部科学省)教科書作成委員、元・東京都交通安全ノート作成委員。 初期の作品には、「杵淵康雄」、「杵淵やすお」、「きねぶちやすお」のペンネームで発表されたものが存在する。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月2… 麻生 文雄(あそう ぶんのう、1925年(大正14年)3月28日 - 2012年(平成24年)11月26日)は、広島県因島市生まれ[疑問点 – ノート]の真言宗の僧侶。尾道市の大本山西国寺住職、醍醐寺座主、真言宗醍醐派管長、大本山三宝院門跡。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。