田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、… 田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、中国放送(RCC)の元アナウンサー、フリーパーソナリティ。広島県大竹市出身。 日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1971年RCCに入社。血液型はO型、星座はしし座。今までにレコードを三枚出しており、「大竹ひとり」「今が青春」はともに6,000枚以上の売上を記録した。「歌えるアナウンサー」というキャッチフレーズを持っている。2008年9月30日にRCCを定年退職したが、担当中の番組には引き続き出演していた。2008年10月1日から2012年9月30日まではRCC契約アナウンサー、2012年10月1日からはフリーパーソナリティ。2018年3月24日の放送をもって全てのRCCの番組から卒業した。
原田 治明(はらだ はるあき、1947年7月28日 - )は… 原田 治明(はらだ はるあき、1947年7月28日 - )は、東京都目黒区出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1973年〜1975年までの登録名は原田 俊治(はらだ としはる)。 父は大相撲武隈部屋の十両力士であった郷錦廣次である。 荏原高等学校では1965年、中堅手として、後に巨人で同僚となる萩原康弘と共に第37回選抜高等学校野球大会に出場。高校初の甲子園出場という栄誉を担う。2回戦(初戦)で、後にプロ入りする福嶋久晃、得津高宏、加藤秀司らがいた大阪府のPL学園と対戦し、4-2で敗れた。同年夏の甲子園都予選では準決勝で日大二高に敗れ、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は駒澤大学に進学するが腰の怪我のため野球部を退部。
近藤 郁夫(こんどう いくお、1947年7月28日-2008… 近藤 郁夫(こんどう いくお、1947年7月28日-2008年9月22日)は、日本の教育学者。 愛知県名古屋市生まれ。1971年京都大学教育学部教育指導卒、同大学院教育学研究科博士課程満期退学。京都芸術短期大学講師、助教授、愛知県立大学文学部児童教育学科助教授、愛知県立女子短期大学教授。妻は近藤直子。
廣瀬 良弘(ひろせ りょうこう、1947年7月28日 - )… 廣瀬 良弘(ひろせ りょうこう、1947年7月28日 - )は、日本の歴史学者、曹洞宗僧侶(横浜市寿徳寺住職)兼埼玉県杉戸町 源長寺 埼玉県宗教法人番号 4216。駒澤大学名誉教授。日本禅宗史専攻。 埼玉県杉戸町生まれ。駒澤大学文学部卒業、1975年駒澤大学大学院人文科学研究科日本史学専攻博士課程満期退学。1986年『禅宗地方展開史の研究 中世・近世の曹洞宗を中心として』で駒澤大学文学博士。1987年、駒澤大学文学部歴史学科専任講師就任、1989年助教授、1995年教授。2013年から2017年まで駒澤大学学長を務めた。2018年名誉教授。
田中 宏暁(たなか ひろあき、1947年7月28日 - 20… 田中 宏暁(たなか ひろあき、1947年7月28日 - 2018年4月23日)は、日本の生理学者。福岡大学名誉教授。 東京教育大学体育学部卒。1986年愛媛大学医学博士。福岡大学助教授、スポーツ科学部教授、2018年名誉教授。専門は運動生理学で、特に肥満・動脈硬化性疾患などの生活習慣病の治療と予防、健康増進・ 競技力向上に有効な運動処方に関する研究が主なテーマである。 日本体力医学会理事、日本体育学会理事、ランニング学会常務理事、健康支援学会理事、厚生労働省「運動所要量・運動指針」策定検討委員などを務めた。スロージョギングの提唱者であった。 2018年4月23日、悪性腫瘍のため死去。
タノン・ビダヤ(タノン・ピタヤ、ทนง พิทยะ、1947… タノン・ビダヤ(タノン・ピタヤ、ทนง พิทยะ、1947年7月28日 - )は、タイ王国の政治家、経営学博士。財務大臣や、商務大臣、タイ国際航空会長、タイ軍人銀行頭取、アサンプション大学経営大学院院長などを歴任した。旭日大綬章受章。 タイ王国スパンブリー県の貧しい家に生まれる。国費外国人留学生制度で日本に留学し、1970年横浜国立大学経済学部卒業。宮崎義一などに師事。その後フォード財団奨学金を得てノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院に留学し、1971年ノースウェスタン大学経済学修士。1973年世界銀行研究員。1978年ノースウェスタン大学経営学博士、国立発展行政大学院ビジネススクール准教授。
吉田和生(よしだ かずお、1947年7月28日 - )は、愛… 吉田和生(よしだ かずお、1947年7月28日 - )は、愛媛県西予市野村町出身の文楽の人形遣い。本名は荻野 恒利。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、文化功労者、恩賜賞・日本芸術院賞受賞者でもある。 愛媛県西予市野村町に生まれる。1967年(昭和42年)7月、文楽協会人形部研究生となり、同年に吉田文雀に入門して吉田和生を名のった。翌1968年(昭和43年)4月、大阪毎日ホールで初舞台を踏んだ。 長年にわたり文楽の舞台で主要な役を勤め、2017年(平成29年)10月、重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽人形」の保持者(各個認定)に認定された。 2024年(令和6年)には文化功労者として顕彰され、文楽の人形遣いとしては5人目の顕彰となった。
梓 英子(あずさ えいこ、1947年7月28日 - )は、日… 梓 英子(あずさ えいこ、1947年7月28日 - )は、日本の女優。東京都千代田区出身。八雲学園高校中退。 1964年に森美佐および森美沙の芸名で小森白監督の映画に出演。その後1965年に出演した松竹映画での役名「梓英子」を以後の芸名とする。松竹の青春映画や東映「昭和残侠伝」などに出演。1967年に大映と専属契約し、清純派女優として多くの映画に出演した。1970年以降はテレビドラマで活躍した。 1977年に結婚すると同時に引退した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山内 幸夫(やまうち ゆきお、1946年7月28日 - )は… 山内 幸夫(やまうち ゆきお、1946年7月28日 - )は、日本の実業家。ニチレキ社長。栃木県出身。
竹山 洋(たけやま よう、1946年7月28日 - 2023… 竹山 洋(たけやま よう、1946年7月28日 - 2023年4月12日)は、日本の脚本家、小説家。株式会社Ami Filmの中心作家。本名:武田 淳一(たけだ じゅんいち)。 埼玉県所沢市生まれ。埼玉県立所沢高等学校卒業。大学時代はジャズ・ベース奏者として活動し、早稲田大学文学部演劇科を卒業。 旅行代理店(広告代理店とも)、制作会社、構成作家、雑誌記者を経て、1973年頃から脚本を書きはじめる。師匠は高岡尚平。妻帯者。 主な作品に、テレビ朝日『特捜最前線』(1977年)、テレビ朝日『鉄道公安官』(1979年)のほか、根岸吉太郎監督の『朝はダメよ!』(1980年)、東陽一監督『うれしはずかし物語』(1988年)といった日活ロマンポルノ映画などでも脚本を執筆。
小池 明夫(こいけ あきお、1946年(昭和21年)7月28… 小池 明夫(こいけ あきお、1946年(昭和21年)7月28日 - )は、日本の実業家、北海道旅客鉄道(JR北海道)第5代・第7代社長、第3代・第5代会長。現アークス社外取締役。岡山県高梁市出身。 1946年、岡山県高梁市に生まれる。1962年(昭和37年)、岡山県立高梁高等学校へ進学する。高校の同期には、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役を務める濱田俊郎や、画家の平松利昭がいた。また、同校の仲の良い後輩として2個下には、後に東芝の副社長となる田井一郎もいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、東京大学へ入学。1969年(昭和44年)には東京大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入社した。
松平 實胤(まつだいら じついん、1946年7月28日 - … 松平 實胤(まつだいら じついん、1946年7月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の真言宗智山派の僧侶で愛知県犬山市犬山寂光院の住職。
伊東 達広(いとう たつひろ、旧芸名:伊東 辰夫・伊藤 達広… 伊東 達広(いとう たつひろ、旧芸名:伊東 辰夫・伊藤 達広、1946年7月28日 - )は、日本の俳優。兵庫県伊丹市出身。 映画『人間の條件』の主演の仲代達矢の演技に感動し、以来ずっと仲代ファン。中学生の時から役者を志す。その一方でパイロットになりたいという気持ちもあったが、二浪を経て桐朋学園芸術短期大学演劇専攻入学、大学卒業後劇団俳優座に所属。その後、仲代達矢、田中邦衛、井川比佐志、新克利、山口果林らと共に、安部公房が主宰する演劇集団「安部公房スタジオ」発足にも参加した。 舞台で活躍する傍ら、映画やテレビドラマにも数多く出演している。
佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )… 佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )は、日本の歴史学者。フランク王国史を中心とする西洋中世史の研究で世界的に著名。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員、フランス学士院碑文・美文アカデミー外国人連携会員。 名古屋大学大学院教授、フランス社会科学高等研究院客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、パリ第1大学招聘教授、西洋中世学会会長などを歴任。日本学士院賞受賞。 山形県東田川郡余目町(現・庄内町)出身。1964年山形県立酒田東高等学校卒業、1968年中央大学法学部法律学科卒業。1973年早稲田大学大学院文学研究科西洋史専修修士課程修了、1976年同博士課程単位取得退学。1969年から1971年 カーン大学人文学部留学。
小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は… 小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は、日本の革命家。元赤軍派幹部。よど号グループのメンバー。 東京都立小石川高等学校から東京大学理科三類に進学。一時野球部に在籍し捕手としてプレーしていたが、後に退部して東大全共闘、医学部共闘会議議長となる。1969年に赤軍派が起こした東京戦争で警視庁本富士警察署火炎瓶投擲事件に関与。1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。よど号グループではリーダー田宮高麿に次ぐサブリーダー格であった。 1976年によど号事件の前から恋人だった女性と結婚。1995年に田宮が死亡した後はリーダー格となる。 現在も平壌に在住しているが、警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年〈昭和19年〉7月2… 渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年〈昭和19年〉7月28日 - 2017年〈平成29年〉3月14日)は、日本の俳優、歌手。本名同じ。 島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ、兵庫県淡路島育ち。東映マネージメント最終所属。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。 幼少期はガキ大将だった。同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ。生誕した島根県から兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)に移り、三田学園中学校・高等学校卒業(6年間の寮生活)。中学の入学試験で「あの野郎2番の成績で入って来た」と兄・渡哲也が回想していたが中学三年で柔道黒帯。
赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日… 赤木 攻(あかぎ おさむ、1944年(昭和19年)7月28日 - )は、日本の東南アジア地域研究者。大阪外国語大学名誉教授、大阪外国語大学第9代学長、前大阪観光大学学長、元泉佐野市教育委員長。元アース製薬社外取締役、専門は、タイ政治・社会論。 1944年、岡山県阿哲郡草間村(現・新見市足見姫原)に生まれる。岡山県新見市立井倉中学校、岡山県立高梁高等学校を経て、1967年に大阪外国語大学外国語学部タイ語学科(現・大阪大学外国語学部)を卒業後、タイ王国立チュラーロンコーン大学文学部に留学した。 1969年から大阪外国語大学に助手として奉職する。1975年タイのチュラーロンコーン大学、タムマサート大学で客員講師を勤め、1985年には、在タイ日本国大使館の専門調査員となった。
小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は… 小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は、日本のアナウンサー、報道記者、テレビディレクター。 大阪府出身、早稲田大学文学部卒業。 早稲田大学文学部卒業後、1967年4月にTBSにアナウンサー12期生として入社(同期アナウンサーには青木靖雄、石森勝之、河野通太郎、久米宏、林美雄、宮内鎮雄、米沢光規)。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。主にニュース・報道系を担当。 映画が好きで、ラジオ『朝のひととき』では日本映画を紹介。試写会にデンスケを持ち込んで音声をテープ録音したものを映画音楽・内容を紹介した。 その後、報道局ラジオニュース部に所属後、アナウンス職を離れディレクターに転身する。
勝山 泰佑(かつやま ひろすけ、1944年7月28日 - 2… 勝山 泰佑(かつやま ひろすけ、1944年7月28日 - 2018年12月29日)は日本の写真家。 早稲田大学在学中、写真家・濱谷浩の助手になる。1968年、大学卒業後、フリーランスの写真家に。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」「中央公論」「文芸春秋」「太陽」などの雑誌のグラビア欄に写真を発表しつづける。1978年、ボブ・ディランがはじめての日本公演をおこなった際には、その全記録を撮影し、写真はライブ版『武道館』を飾った。多くの作家や、ミュージシャンのコンサートを撮影したことで知られる。 特定の場における一日を太陽の軌跡を撮影することで「ある日、その日」を表現している。ニューヨークのワールドトレードセンター跡や広島の原爆ドーム、3.11のシンボルとなった陸前高田市の「奇跡の一本松」などで撮影。
堀尾 真紀子(ほりお まきこ、1943年〈昭和18年〉7月2… 堀尾 真紀子(ほりお まきこ、1943年〈昭和18年〉7月28日 - )は、日本の美術史学者。文化学園大学名誉教授。女性画家を論じる。 東京都出身。東京都立富士高等学校を経て、1968年東京藝術大学美術学部卒業、1972年同大学院修士課程修了。1969年から1970年までパリのフランス国立美術工芸大学に留学。1987年『画家たちの原風景』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。東京クラフトデザイン研究所講師、文化女子大学助教授、教授、2011年校名変更で文化学園大学教授・造形学部長。2019年退任。 万葉文化館建設委員、運営委員などを経て万葉古代学客員研究員、万葉文化館評議員、調布市政策策定委員、調布市文化コミュニティセンター理事など。
藤本 勝司(ふじもと かつじ、1943年(昭和18年)7月2… 藤本 勝司(ふじもと かつじ、1943年(昭和18年)7月28日 - )は、日本の実業家。日本板硝子社長を務めた。 兵庫県出身。甲陽学院高等学校、京都大学工学部工業化学科を経て、同大大学院工学研究科を修了。1968年(昭和43年)4月、日本板硝子に入社。 2004年(平成16年)に社長に昇格し、後ろ盾となった出原洋三会長とともに最大手の旭硝子(現・AGC)に対抗してグローバル化を推し進めたが、後任に据えた外国人社長が相次いで辞任するなどの人事上の混乱を招き、またリーマンショックなどの影響で巨額の赤字を計上する事態となり、12年にはムーディーズ・ジャパンからグループ全体の信用格付けがBa3に引き下げられた。
佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月2… 佐藤 洋輔(さとう ようすけ、1943年(昭和18年)7月28日 - 2005年(平成17年)7月16日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。 秋田県出身。1962年、秋田県立花輪高等学校卒。鹿角市議会議員、同議長を経て、2000年、鹿角市長に当選する。2004年に再選。翌2005年、病気のため辞任、同年7月に死去した。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
大隅 多一郎(おおすみ たいちろう、1942年〈昭和17年〉… 大隅 多一郎(おおすみ たいちろう、1942年〈昭和17年〉7月28日 - 2021年〈令和3年〉6月28日)は、日本の実業家。元日鉄海運(現・NSユナイテッド海運)社長。リオデジャネイロ商工会議所第19代会頭。日本ボート協会顧問、隅田川ボート記念碑建設委員会理事長を務めた。静岡県出身。 1961年(昭和36年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年(昭和37年)、東京大学入学。東大では漕艇部に所属し、1964年東京オリンピック代表候補に挙げられた。1966年(昭和41年)、東京大学法学部卒業。同年4月、八幡製鐵入社。原料業務部原料調整室長、原料企画部部長代理、八幡製鐵所総務部長、1992年4月、理事、1993年(平成5年)6月、南米事務所長。
飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )… 飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )は、日本の実業家。山崎製パン株式会社代表取締役社長(第3代)として、同社を売上高1,000億円台から、1兆円規模の食品コンツェルンに成長させた。 一般社団法人日本パン工業会会長を20年以上務めているほか、株式会社東ハト代表取締役会長、株式会社不二家取締役相談役、ヤマザキナビスコ株式会社会長、株式会社デイリーヤマザキ会長などを歴任した。 千葉県市川市生まれ。都立両国高校を経て、1964年3月一橋大学経済学部卒業。1964年4月山崎製パンに入社。1966年ボロー・ポリテクニック(現・ロンドン・サウス・バンク大学(英語版))卒業。1993年ロンドン・サウス・バンク大学名誉理学博士。
林 紀昭(はやし のりあき、1941年7月28日 - )は、… 林 紀昭(はやし のりあき、1941年7月28日 - )は、日本の法制史学者。専門は日本法制史。関西学院大学名誉教授。大阪府八尾市出身。
来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28… 来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28日 - )は、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授。
鈴木 達夫(すずき たつお、1940年〈昭和15年〉7月28… 鈴木 達夫(すずき たつお、1940年〈昭和15年〉7月28日 - 2020年〈令和2年〉1月14日)は、昭和から平成時代の弁護士、労働運動家。元NHK職員、日弁連刑事弁護センター委員。選挙では鈴木たつおの表記も用いる。 東京都中央区出身。1959年、東京都立新宿高等学校卒業、東京大学理科Ⅰ類入学。フロントの構革派論客だったとされ、1961年に日本共産党東大細胞から離党・除名された。1964年、同大学工学部土木工学科都市計画コース卒業。日本放送協会(NHK)に番組制作担当ディレクターとして入局し、長崎局に赴任。1967年、日本放送労働組合(日放労)長崎分会委員長に就任し、1968年の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争の先頭に立った。
平子 義雄(ひらこ よしお、1940年7月28日 - 201… 平子 義雄(ひらこ よしお、1940年7月28日 - 2011年)は、ドイツ文学者、哲学者、環境問題評論家。兵庫県立大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立小山台高等学校卒、1963年東京外国語大学ドイツ語科卒、1967年東京大学大学院独文専攻修士課程修了。その後マールブルク大学、ハンブルク大学に学ぶ。 帰国後、大阪教育大学助教授、大阪大学言語文化部助教授、88年東大教養学部助教授、89年教授、1998年姫路工業大学環境人間学部教授、兵庫県立大学環境人間学部教授、名誉教授。 夫人は歌人、教育学者の平子恭子。
別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、… 別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、捕手。
マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997… 佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997年)は、日本の映画監督である。 1939年(昭和14年)7月28日、長崎県北高来郡小野村大字小野島(現在の同県諫早市小野島町)に生まれる。本名は不明であるが、姓は「春野」(はるの)であるという。 1955年(昭和30年)4月、長崎県立諫早高等学校に進学する。2学年下の後輩に、のちに脚本家となる市川森一がいた。1958年(昭和33年)3月、同校を卒業して東京に移り、早稲田大学政治経済学部に進学するも、満23歳を迎える1962年(昭和37年)には同学を中途退学する。その後は、織田良一郎の芸術映画社、大映テレビ室(現在の大映テレビ)等の記録映画、テレビ映画の製作会社で製作部や演出部の助手を務めた。
滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月… 滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月28日 - )は、広島県出身の官僚。気象庁長官(第17代)を務めた。
毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月2… 毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月28日 - 2010年(平成22年)5月2日)は、徳山毛利家第13代当主、実業家。 日本大学理工学部を卒業。 1992年4月に東京都目黒区で、映像・音楽編集スタジオを運営するモウリアートワークススタジオ株式会社(前身は1960年代に設立のモウリスタジオ)を設立する。 かつての根拠地の徳山藩に当たる、山口県周南市と東京を毎月往復し、「参勤交代」を江戸時代から約400年近く続けていた。また、周南市のゴルフ場「徳山カントリークラブ」の代表取締役も務めた。 2010年5月2日、脳梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。
小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)… 小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)7月28日 - 2025年(令和7年)10月9日)は、日本の銀行家。三菱東京UFJ銀行名誉顧問、東海銀行頭取、名城大学理事長などを務めた。 高知県高知市出身。東京大学経済学部卒業。1962年に東海銀行入行。営業畑を中心に、企画、融資、資金証券など行内の幅広い分野を経験。1998年頭取に就任し、旧あさひ銀行(現りそな銀行)との統合を模索し、関西地区で強固な経営基盤を持っていた三和銀行をグループに迎え入れることを決めたが、統合の交渉は難航し、最終的にあさひ銀行が離脱。三和銀行との経営統合を実現させ、合併によるUFJ銀行の誕生では、会長を務めた。
伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 -… 伊藤 光四郎 (いとう こうしろう、1937年7月28日 - 2011年11月30日)は、島根県簸川郡大社町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
守随 武雄(しゅずい たけお、1937年7月28日 - )は… 守随 武雄(しゅずい たけお、1937年7月28日 - )は、日本の経営者。日本ビクター社長を務めた。 東京都出身。1961年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に松下電器産業に入社。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月には日本ビクター社長に就任。2001年6月に顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩田 順介(いわた じゅんすけ、1937年7月28日 - 2… 岩田 順介(いわた じゅんすけ、1937年7月28日 - 2006年5月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 飯塚商業高等学校(現在廃校)を経て、西日本短期大学法学部を卒業後に福岡県職員となり、飯塚土木事務所に勤務する。その後、自治労福岡県本部委員長や福岡県評副議長などを経て、1990年2月に行われた第39回衆議院議員総選挙で日本社会党の多賀谷真稔(衆議院副議長)の後継として、旧福岡2区から立候補し初当選。 社会党シャドーキャビネットにおいて田辺誠時代は自治政務次官、山花貞夫時代は官房副長官の任に就いた。そして、社会民主党を経て、1996年の旧民主党結党に参画。民主党福岡県連初代代表(松本龍は民主党九州比例代表)に就任。
三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 20… 三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - 2019年2月13日)は、日本の英文学者・英語学者・歌人。東洋大学名誉教授。 父の任地東京府(現・稲城市)生まれ。徳島県阿波市出身。1961年東洋大学文学部英米文学科卒業。67年同大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学工学部助教授、教授、文学部教授。2007年定年退任、名誉教授。R・L・スティーヴンスンの研究、日本文体論学会、日本英語学会、国際異文化学会。湖笛会会員。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
阿岸 鉄三(あぎし てつぞう、1934年7月28日 - )は… 阿岸 鉄三(あぎし てつぞう、1934年7月28日 - )は、外科医学者、東京女子医科大学名誉教授。 北海道生まれ。1959年北海道大学医学部卒業、1964年同大学院外科系博士課程修了、「保存肝組織による体外代謝の研究」で医学博士。米国エモリー大学外科研究員、神戸大学泌尿器科講師、米国クリーブランドクリニック外科研究員、1974年東京女子医科大学腎臓病綜合医療センター外科助教授、1981年教授、所長、2000年定年、名誉教授、桐蔭横浜大学客員教授、ふれあい町田ホスピタル血液浄化センター長。専門は人工臓器・医工学治療・統合医療。
比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022… 比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。専門は、消化器、外科学。医学博士。北里大学名誉教授。慶應連合三田会会長、慶應交詢社理事、慶應義塾理事・評議員を歴任。 父は国立がんセンター総長を務めた医師の比企能達。 妻は九州大学名誉教授三宅博の長女である比企寿美子(ノンフィクション作家・エッセイスト、フェリス女学院短期大学卒業)。 1933年東京都生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、1958年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学院医学研究科外科学専攻博士課程修了、医学博士。1966年から1968年まで旧西ドイツ・キール大学医学部外科に留学。1984年より北里大学医学部教授。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
荒木 不二洋(あらき ふじひろ、1932年7月28日 - 2… 荒木 不二洋(あらき ふじひろ、1932年7月28日 - 2022年12月16日)は、日本の数学者・数理物理学者。京都大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。専門は場の量子論・量子統計力学の代数的構造論、作用素環論。父は京都大学名誉教授荒木源太郎。 湯川秀樹の研究室で場の量子論を学ぶ。その後、京都大学工学部助手・講師、京都大学数理解析研究所助教授・教授を歴任し、場の量子論・量子統計力学の代数的構造論、ならびに作用素環論などにおいて研究を行っている。 作用素環の構造とその数理物理学への応用において顕著な業績がある。特に、作用素環論を用いた代数的場の量子論の定式化 (Araki-Haag-Kastler formulation) やIII型フォン・ノイマン環と場の量子論の関係、荒木-Woods不変量の導入など、数理物理学とフォン・ノイマン環の深い結び付きを解明した。
服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 20… 服部 幸雄(はっとり ゆきお、1932年7月28日 - 2007年12月28日)は、歌舞伎研究家、芸能研究家、日本文化史家。千葉大学名誉教授。 愛知県海部郡弥富町(現・弥富市)に生まれる。1955年に名古屋大学大学文学部卒業。 高校教師を経て、1967年より国立劇場芸能調査室主任専門員。1969年芸術選奨新人賞受賞。1984年より千葉大学教授、1999年退職して千葉大学名誉教授となるとともに、日本女子大学教授となり、2001年まで務めた。視野の広い歌舞伎研究と日本文化史の研究で知られる。 国立劇場における復活狂言を監修し、『歌舞伎俳優名跡便覧』を編纂して歌舞伎の史料的保存に努めた。研究者としても、『歌舞伎成立の研究』において、阿国かぶきを歌舞伎の始まりとする俗説を排した。
諸橋 廷蔵(もろはし ていぞう、1932年(昭和7年)7月2… 諸橋 廷蔵(もろはし ていぞう、1932年(昭和7年)7月28日 - 2003年(平成15年)2月24日)は、福島県出身の日本の実業家。ゼビオホールディングスの創業者。ゼビオホールディングス代表取締役社長の諸橋友良は娘婿。 福島県にて出生。明治大学商学部卒業後の1962年、現在のいわき市に紳士服小売業サンキョウ(現ゼビオホールディングス)を創業。大型スポーツ店を中心に全国に100店舗以上を展開。子会社には、ゴルフパートナーやヴィクトリアなど。一代で、東証1部上場を果たした。また、上場益により、世界的なサルバドール・ダリのコレクションで知られる諸橋近代美術館を設立した。 諸橋友良ゼビオホールディングス代表取締役社長は娘婿。
横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28… 横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28日 - 2019年(令和元年))は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。元徳島文理大学音楽学部学部長。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。香川県出身。夫はバリトン歌手で大阪音楽大学名誉教授の横井輝男。 香川県出身。1955年(昭和30年)、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。大学を卒業後は四国を中心に活動を行い、1968年(昭和43年)に夫である横井輝男と共にジョイントコンサートを開催。また同年に香川県芸術祭賞を受賞する。 1973年(昭和48年)と1976年(昭和56年)には自身のソプラノリサイタルを開催し、シューベルト、シューマン、レーヴェ、ブラームスなどの歌曲を演奏。
髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28… 髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年〈昭和5年〉7月28日 - 2022年〈令和4年〉1月8日)は、山形県の政治家。山形県知事(在任期間・1993年〈平成5年〉2月14日 - 2005年〈平成17年〉2月14日)。山形県山形市出身。 旧制山形中学(現:山形県立山形東高等学校)、東北大学法学部を経て同大学院を修了。山形銀行頭取を務めた丹羽厚悦は、旧制山形中学で同学年で親しき仲だった。 1953年(昭和28年)に山形県庁に入庁。 東京事務所長、 農林水産部長、 教育長等を歴任後、1986年(昭和61年)副知事に就任し、1988年(昭和63年)秋、病に倒れた板垣清一郎知事が東京・虎の門病院に2ヶ月余り入院した際には板垣に代わり県政の指揮を執った。
八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は… 八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手、高校野球指導者、政治家。ポジションは外野手。
石井 陽一(いしい よういち、1930年7月28日 - )は… 石井 陽一(いしい よういち、1930年7月28日 - )は、日本の国際政治学者、神奈川大学名誉教授。専門はラテンアメリカ地域研究。NPO法人トランスペアレンシー・ジャパン事務局長。 東京生まれ。1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒、1955年同経済学部卒業。海外移住事業団(のち国際協力事業団=JICA)に17年勤務。スペイン留学、サンパウロ、リオデジャネイロ、サンフランシスコ勤務を経て、1973年神奈川大学外国語学部教授、2001年定年退任、名誉教授。