森澤 清(もりさわ きよし、1901年(明治34年)8月11… 森澤 清(もりさわ きよし、1901年(明治34年)8月11日 - 1992年(平成4年)8月3日)は、日本の放送人、実業家である。朝日新聞社に勤めたのち、東京放送テレビ(通称:TBSテレビ)常務取締役や子会社のラジオ東京サービス社長を務める。中央放送広告社長も務めた。岡山県高梁市出身。姓は常用漢字体で「森沢」とも表記される。 1901年(明治34年)岡山県上房郡豊野村(現:高梁市)の父・森澤清六と母・ひさの七男として出生する(出生地は東京、誕生後すぐに地元へ帰省)。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高校)卒業を経て、1920年(大正9年)に旧制第六高等学校文科甲類へ進学する。 その後、1922年(大正12年)3月、同校を卒業し、京都帝国大学法学部へ進学する。
松崎 一雄(まつざき かずお、1901年(明治34年)8月1… 松崎 一雄(まつざき かずお、1901年(明治34年)8月11日 - 2000年(平成12年)4月14日)は、日本の実業家。森永商事代表取締役社長、森永製菓代表取締役副社長、森永乳業取締役、学校法人立教学院理事長を務めた。子に松崎昭雄がいる。 1901年、松崎半三郎の長男として生まれる。 立教大学に入学。予科2年の時に、バスケットボール部に入る。部ではアメリカから帰ってきた志賀直哉の弟がコーチを務めた。1926年、立教大学商学部(現・経済学部、経営学部)卒業。 1927年、森永製菓に入社する。1942年、森永製菓取締役に就任し、1943年、森永製菓常務、1952年、森永製菓専務、1966年、森永製菓副社長と歴任。
山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9… 山下 春江(やました はるえ、1901年(明治34年)8月9日 – 1985年(昭和60年)3月19日)は、昭和期の政治家。日本初の女性国会議員の一人で、元自由民主党衆議院議員・参議院議員。 山口県阿武郡の出身。 1921年二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)を卒業(1期生)。体操講習会で見た塾長・二階堂トクヨの脚が憧れのアンナ・パヴロワ(バレリーナ)のようにすんなりとしていたことが入塾理由である。柔道2段のほか、空手・薙刀術の心得もあった。広島県の呉高等女学校で教師となるが、当時の校長と不正入試問題で対立し辞職、大阪毎日新聞記者に転職する。その後山下悌三と結婚、病弱の夫に代わり東京で「富士アスベスト工業所」の経営にあたる。
杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
寺本 斎(齋、てらもと いつき、1901年(明治34年)8月… 寺本 斎(齋、てらもと いつき、1901年(明治34年)8月9日 - 1981年(昭和56年)6月2日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 熊本県出身。1937年(昭和12年)中央大学専門部法律科を卒業した。 熊本県属、台湾総督府属、中央食糧営団主事、逓信省事務官兼国務大臣秘書官、中央食糧営団総務部文書課長、全国食糧営団連合会庶務課長などを歴任した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に熊本県第1区から民主党所属で出馬して当選。第24回総選挙でも当選し、自由党に所属して衆議院議員を連続2期務めた。この間、第3次吉田内閣・郵政政務次官、民主党政調会労働委員長、党会計監督などを務めた。
佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 … 佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年(明治34年)8月8日 - 1990年(平成2年)3月14日)は、日本の海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海兵50期・海大32期。帝国海軍での最終階級は海軍大佐。自衛隊での最終階級は航空幕僚長たる空将。 現在の愛媛県新居浜市で出生。父は教員・佐薙喜志太。1919年(大正8年)3月、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校卒業(50期。卒業席次は19位)。 1923年(大正12年)9月、海軍少尉に任官。1925年(大正14年)12月、海軍中尉。1926年(大正15年)3月、第4期偵察学生。
気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 … 気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 - 1958年(昭和33年)3月24日)は、日本のキリスト教神学者、牧師、青山学院大学学長。 1901年8月8日、静岡県引佐郡気賀町に、気賀定吉・すみ子の長男として生まれた。気賀小学校、静岡県立浜松第一中学校で学んだ。1916年1月7日に日本基督教団浜松教会にて鵜飼捨吉牧師より洗礼を受け、1919年4月、青山学院神学部に入学。1923年5月、第1回全国学生英語演説大会に青山学院代表として出場し、第1位となった。 1924年3月に青山学院を卒業し、同年4月から本郷中央教会の副牧師となる。1925年4月から日本メソヂスト小樽教会の牧師、1927年4月から日本メソヂスト浅草教会の牧師、1928年4月から日本メソヂスト銀座教会の副牧師を務めた後、同年同月より青山学院神学部の講師となった。
笠原 貞造(かさはら ていぞう、1901年(明治34年)8月… 笠原 貞造(かさはら ていぞう、1901年(明治34年)8月8日 - 1985年(昭和60年)3月19日)は、昭和期の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県出身。1928年(昭和3年)早稲田大学専門部政経科を卒業した。 卒業後は東京市牛込区役所に勤務し、書記、社会課、福利課各主任となり、1935年(昭和10年)に退職し、弁護士の業務に従事。社会大衆党新潟県連合会執行委員、全国農民組合新潟県連合会執行委員、日本農民組合新潟県支部連合会書記長などを務めた。その他、新潟県地方通貨安定推進委員会長、新潟県地方労働委員会長、新潟市教育委員、新潟県弁護士会長、日本弁護士連合会理事、同副会長、新潟県市町村教育委員連合会長などを務めた。
本庄 季郎(ほんじょう きろう、1901年8月6日 - 19… 本庄 季郎(ほんじょう きろう、1901年8月6日 - 1990年4月21日)は、日本の航空技術者。三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に所属し、一式陸上攻撃機をはじめ第二次世界大戦期の航空機設計に携わった。 戦後、GHQにより航空機の開発、製造を禁じられた三菱が航空機設計の技術を使用して民間用に販売した自転車、三菱十字号や、讀賣テレビの「鳥人間コンテスト選手権大会」第一回大会(1977年)で82.44mを飛んで優勝した岡良樹パイロット操縦のハンググライダーは、本庄の設計であった。1990年、前立腺癌のため死去。 2013年公開のアニメーション映画『風立ちぬ』においては、主人公である堀越二郎の帝大時代からの親友かつ三菱での同僚として描かれた(声:西島秀俊)。
5代 上野 喜左衛門(うえの きざえもん、1901年(明治3… 5代 上野 喜左衛門(うえの きざえもん、1901年(明治34年)8月6日 - 1971年(昭和46年)8月9日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員、参議院議員。南国殖産、南国交通、長崎自動車などの創業者。 豪商・先代上野喜左衛門の長男として鹿児島県薩摩郡隈之城村大字東手の向田(のちの川内市(現薩摩川内市)向田町)に生まれ、父の死去に伴い1921年(大正10年)家督を相続し、前名次郎七を改め襲名する。 1920年(大正9年)東京商科大学(現一橋大学)予科に入学し、1927年(昭和2年)に同大学を卒業する。キッコーマンの茂木啓三郎とは大学時代からの親友。 1925年(大正14年)川内電気社長となる。
大森 久司(おおもり ひさじ、1901年8月5日 - 197… 大森 久司(おおもり ひさじ、1901年8月5日 - 1976年8月13日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。奈良県議会議長。奈良県議会議員(6期)。奈良市議会議員(3期)。 奈良県桜井市初瀬町生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校、関西学院大学卒業。 1930年、奈良市で大徳電気商会を設立。1944年、軍需省軍需監理部から発せられた「電気工事業整備要綱」に基づいて近畿地方の電気工事業者が統合し、設立された近畿電気工事株式会社の取締役に就任。 1961年、きんでん取締役社長。 1965年の第7回参議院議員通常選挙奈良地方区から自由民主党公認で立候補し、初当選。1971年、第9回参議院議員通常選挙再選。
宮崎 市定(みやざき いちさだ、1901年〈明治34年〉8月… 宮崎 市定(みやざき いちさだ、1901年〈明治34年〉8月4日 - 1995年〈平成7年〉5月24日)は、日本の東洋史家。京都大学名誉教授。 1901年、長野県下水内郡秋津村(現在の飯山市)静間で宮崎市蔵・悦の次男として生まれた。父の市蔵は、飯山小学校の教師であった。 その後、秋津小学校、県立飯山中学校(現:長野県飯山北高等学校)を卒業し、1919年に新設まもない松本高校(現:信州大学)文科甲類に入学する。同校の後輩には、後の東洋史学者、曽我部静雄と仁井田陞がいた。 1922年に京都帝国大学文学部史学科に入学、東洋史を専攻し、内藤湖南・桑原隲蔵・羽田亨・狩野直喜らに師事する。卒業論文は、南宋滅亡期の中国社会と北方民族との交渉の一場面を題目とした。
田村 道美(たむら みちよし、1901年8月4日 - 199… 田村 道美(たむら みちよし、1901年8月4日 - 1990年代)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。戦前の無声映画時代に活躍し、当時の人気女優の入江たか子と結婚した。長女はおなじく女優の入江若葉である。 1901年8月4日、東京市京橋区新富町(現中央区新富)に生まれる。祖父の田村成義は、「田村将軍」の異名を持つ歌舞伎興行の大御所であった。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、1931年、30歳にして京都の日活太秦撮影所に入社、同年11月13日公開の村田実監督の無声映画『白い姉 前篇』でデビューした。翌1932年、三枝源次郎監督の『海に散る花』では早くも主役の座を獲得する。 同年、当時人気絶頂、新興キネマと提携し映画製作会社「入江ぷろだくしょん」を設立したばかりの入江たか子(1911年 - 1995年)と交際、自らの人気を考え籍を入れず別居結婚とする。
二神 武(ふたがみ たけし、1901年8月2日 - 1985… 二神 武(ふたがみ たけし、1901年8月2日 - 1985年11月27日)は、大正から昭和時代の野球選手、野球指導者。立教大学野球部の黎明期に活躍し、飛田穂洲の指導の下で野球部の四大学野球連盟(現・東京六大学野球連盟)への加入を提案し、実現した立役者。第1回都市対抗野球でも優勝チームのメンバーとして活躍した。東京出身。 1901年(明治34年)8月2日、二神駿吉(衆議院議員、実業家)の次男として生まれる。愛知県名古屋市の明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)出身。中学時代から俊足であった。 立教大学に入学し、野球部に所属。立教大学野球部は早稲田大学野球部監督だった飛田穂洲の指導を受けながらチーム力をつける。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
牛島 憲之(うしじま のりゆき、1900年8月29日 - 1… 牛島 憲之(うしじま のりゆき、1900年8月29日 - 1997年9月16日)は、洋画家。熊本県熊本市二本木町生まれ。 世田谷区在住であったが、多摩川近郊、特に府中によくスケッチに出かけた縁から、東京都府中市の府中市美術館に遺族が寄贈した作品100点が収蔵されている。 風景画の作品が多く、柔らかな線と穏やかな色彩を特徴とする。牛島の描くモティーフの種類はある程度限定され、同じ風景が数多く繰り返し描かれる。 熊本の裕福な地主の息子に生まれ、東京芸大の講師になるまで勤め人になったことが無かったという。日展に入選後も絵を売らず、また華やかな場に参列することも少なく、画家とは名誉ではなく描き続けることであるという立場を貫いた。
田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979… 田口 寛(たぐち ゆたか、1900年8月29日 - 1979年)は、昭和時代後期の日本で活動した作曲家、教育者。 1900年(明治33年)、岡山県に生まれる。1928年(昭和3年)に東京音楽学校甲種師範科を卒業した後、1931年(昭和6年)から1949年(昭和24年)まで兵庫県の尼崎市立高等女学校(現在の尼崎市立尼崎高等学校)で音楽教諭を務める。学制改革に伴い兵庫県立尼崎高等学校へ転籍し、同校の校歌を作曲した。 1952年(昭和27年)11月、香川大学学芸学部(のち教育学部)教授に着任。在職中は1954年(昭和29年)1月に制定された「香川県民歌」並びに、岡山・香川両県内の小中学校の校歌を作曲する。
成田 米蔵(なりた よねぞう、1900年8月29日 - 19… 成田 米蔵(なりた よねぞう、1900年8月29日 - 1975年4月4日)は日本の実業家、教育者。 名古屋市出身。1923年東京商科大学(現一橋大学)卒業する。同年に愛知銀行へ入行する。1941年に東海銀行へ勤務する。1946年に東海銀行監査役となる。その後、1956年王子製鉄取締役会長、東京化工取締役、東海製線代表取締役、東京溶接棒取締役、大同不動産取締役、名古屋臨海鉄道取締役、大同製鋼取締役副社長などを歴任する。1969年-1971年には、大同工業大学(現大同大学)学長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月2… 臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉3月8日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。 1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月2… 村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月27日 - 1944年(昭和19年)5月22日)は、日本の海軍軍人。 山形県鶴岡市で誕生、荘内中学校出身。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校50期を卒業、任官。1937年(昭和12年)12月1日駐満海軍部副官着任後、1938年(昭和13年)駐満海軍部が解散した後も、1940年(昭和15年)11/15帰任までの期間、満州国中枢における海軍諜報機関として日華事変の情報収集に当たった。1944年5月22日、砲艦橋立の艦長として南シナ海東沙島南方海域で損傷輸送船の救助中に、米潜水艦の雷撃を受け沈没、戦死した。
錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日… 錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日 - 1967年10月21日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身の元大相撲力士。本名は濱野 平蔵(はまの へいぞう)。 1900年8月26日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。当初は小野川部屋(大坂相撲)に入門して幕下まで昇進したが、1927年の東西合併興行によって東京相撲の三段目に編入された。四股名を捩った「喧嘩山」の愛称のように上突っ張りが得意だったが四つに組まれると力を発揮できず、それが出世を遅くした。 1929年5月場所で新十両昇進、1931年5月場所で新入幕を果たした。この時は連合側に所属していたが、1932年1月場所の番付では出羽海方へ移動した。
石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 -… 石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 - 1990年10月30日)は、日本の歴史学者。 宮崎県日向市生まれ。宮崎県立延岡中学校、専修大学卒業。「日州新聞」「大阪毎日新聞」などの記者を経て1940年、宮崎県立上代日向研究所特別委員となる。戦後は宮崎県文化財専門委員として考古学や地方史研究に携わる。歴史研究のかたわらラジオ番組で郷土史の講義を行う。1960年宮崎県文化賞を受賞。
金丸 徳重(金丸 德重、かなまる とくしげ、1900年8月2… 金丸 徳重(金丸 德重、かなまる とくしげ、1900年8月24日 - 1997年8月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)。 山梨県出身。1928年東北帝国大学法文学部卒。逓信省に入り、満洲国に渡る。満洲国では交通部事務官、総務庁参事官を務め帰国した。その後熊本逓信局長、郵政省簡易保険局長を務める。1951年、山梨県知事天野久のもとで副知事に就任。1955年に副知事を辞職し、山梨県知事選挙に立候補したが、現職の天野に敗れた。1958年の第28回衆議院議員総選挙で山梨県から日本社会党公認で立候補して当選。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選。落選中の1963年の山梨県知事選挙に再び立候補したが敗れた。
三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23… 三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23日 - 1964年(昭和39年)4月5日)は、日本の詩人、翻訳家、文芸評論家。室生犀星や萩原朔太郎など先達詩人からの影響を出立点とし、フランス近代詩と東洋の伝統詩の手法をそれぞれに取り入れ、現代詩における叙情性を知的かつ純粋に表現し独自の世界を開いた。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市西区で印刷業を営む家に、10人兄弟の長男として生まれた。幼少期より病弱で、読書に没頭。中学時代、句誌「ホトトギス」を愛読し、句作に没頭した。父の意向で陸軍士官学校に進んだが、脱走して放校となった。旧制三高から東大仏文科へ進んだ。三高時代から詩作を始め、梶井基次郎らと知己を得、のちに同人誌「青空」にも参加した。
田中 寬次(たなか かんじ、1900年8月23日 - 197… 田中 寬次(たなか かんじ、1900年8月23日 - 1972年7月26日)は、日本の経営者。神戸新聞社、サンテレビジョン各社長を務めた。 島根県出身。1924年に神戸高等商業学校を卒業。朝日新聞東京本社、満州通信社、満州弘報協会での勤務を経て、1941年に神戸新聞社取締役に就任し、常務、専務を経て、1949年に社長に就任した。1958年3月に関西テレビ放送の創立に携わり、副社長に就任し、1968年3月にはサンテレビジョン社長に就任。 1970年秋に勲二等瑞宝章を受章した。 1972年7月26日、心不全のために死去。71歳没。
宮幡 靖(みやはた やすし、1900年(明治33年)8月22… 宮幡 靖(みやはた やすし、1900年(明治33年)8月22日 - 1959年(昭和34年)5月13日)は、日本の政治家、計理士。 静岡県生まれ。1918年(大正7年)、静岡県立静岡中学校卒業。中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)に在籍した。1923年(大正12年)に明治大学商学部卒業後、富士身延鉄道(現・身延線)に入社後、1929年(昭和4年)に計理士・税理士となり、静岡県計理士会長、名古屋地方税務代理士会長等を歴任。 鷹岡町(現・富士市)議、同町長を経て、1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で静岡県から立候補したが次点で落選。1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙で静岡2区から衆議院議員に当選して以降、3回連続当選。
清水 亘(しみず わたる、1900年8月20日 - 1986… 清水 亘(しみず わたる、1900年8月20日 - 1986年9月20日)は、水産学者。愛媛県出身。 1927年京都帝国大学農学部卒。1947年より京都大学農学部教授。1963年の京大退官以降は日本大学農獣医学部教授となった。 魚肉ハムや魚肉ソーセージの考案者である。1960年には魚肉冷凍すり身を考案するなど水産加工品の発展に大きく寄与し、初代かまぼこ博士として知られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
辛 鳳祚(シン・ボンジョ、신봉조、創氏名:辛島 純、1900… 辛 鳳祚(シン・ボンジョ、신봉조、創氏名:辛島 純、1900年8月20日 - 1992年12月27日)は、日本統治時代の朝鮮で活動した大韓民国の教育者。号は和巖(ファアム、화암)。 本貫は霊山辛氏で、江原道旌善郡に生まれた。1919年に培材高等普通学校(朝鮮語版)を卒業したが、在学中に起きた三・一運動に関わり、懲役6ヶ月を宣告された。1920年には、朝鮮エスペラント協会(朝鮮語版)の設立に参加した。1924年に延禧專門学校(朝鮮語版)文科を卒業した。後に日本に留学し、1927年に東北帝国大学法文学部に、特別入学扱いで入学し、1930年に卒業して文学士となった。 延禧專門学校を卒業した後、母校である培材高等普通学校に教師としてしばらく勤務した際に、女子教育に関心をもち、以後生涯を女性の中等教育に捧げた。
大日向 蔦次(おおひなた つたじ、1900年8月20日 - … 大日向 蔦次(おおひなた つたじ、1900年8月20日 - 1975年2月23日)は日本の政治家。東京都議(6期)、第21代都議会議長を歴任した。 1900年8月20日、千葉県に生まれる。1924年に日本大学商学部を卒業。1947年、東京都議会議員選挙に江戸川区選挙区から立候補し、初当選する。その後、総務委員会委員長(1952年から1953年)、厚生委員会委員長(1956年)、社会党都議団幹事長(1960年)を歴任した。1960年10月28日に衆議院選挙に立候補するため都議を辞職した。第29回衆議院議員選挙に旧東京6区から立候補したが、次点で落選した。その後は、東京都選挙管理委員会委員(1960年から1963年)を務めた。
清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20… 清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20日 - 1999年〈平成11年〉1月6日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県飯田市長。男性。位階は従六位。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で、清水宗一、あき の長男として生まれた。1916年(大正5年)3月、長野県組合立竜東農学校卒業。1919年(大正8年)公立実業学校教師となる。1939年(昭和14年)長野県技師に転じ、県立農業講習副所長を務め、1952年(昭和27年)長野県経済部農業改良課長、1954年(昭和29年)南佐久地方事務所長を歴任。1955年(昭和30年)飯田市助役に就任し、13年間在任した。 松井卓治市長の後継者として1968年(昭和43年)10月、飯田市長選挙に当選し、1972年(昭和47年)10月まで1期務めた。
高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年8月19日 - 19… 高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年8月19日 - 1987年6月17日)は、第二次世界大戦前に芸術を学ぶためにフランスに渡り、新聞記者としても戦後までフランスに滞在していた彫刻家。思想家、文筆家、翻訳家としても活躍した。 少年時代から文学・哲学・芸術に目覚め、18歳で上京し、高村光太郎の勧めで彫刻や翻訳に従事。31歳でフランスに渡り、ロマン・ロラン(作家)やアラン(哲学者)、ポール・シニャック(画家)、ジョルジュ・ルオー(画家)をはじめとするヨーロッパの知識階層と交流した。在欧日本人向け日刊紙『日仏通信』を刊行し、第二次世界大戦中も日本に戻らず新聞記者として活動し、パリ外国人記者協会副会長を務めた。
当間 重民(とうま じゅうみん、1900年8月19日 - 1… 当間 重民(とうま じゅうみん、1900年8月19日 - 1952年2月8日)は、戦前の沖縄県、沖縄諮詢会、及び沖縄民政府時代の政治家で那覇市長。
近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 -… 近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 - 1932年7月13日)は、日本のピアニスト。大正から昭和初期にかけて活躍したが、30代で芸妓と情死した。 浅野石油技師長近藤会次郎の次男として生まれる。暁星中学4年のときに府立一中に転校、一高を首席で卒業した。中学時代からピアノを学び、杉山長谷夫らに師事、山田耕筰の推薦で、来日中のデンマーク人ピアニストのジョージ・ロランジの伴奏を行い、一躍楽壇に知られた。友人の藤原義江によると、近藤は中学時代ピアノばかり弾いて学校にはあまり行かず、一高時代は「勉強は嫌いだが母親のために卒業だけはしてやる」が口癖だったという。 東京帝国大学法学部を卒業後日仏銀行に勤務の傍ら、藤原義江の伴奏をよく務めた。
町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月1… 町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月16日 - 1992年(平成4年)12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。
七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33… 七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33年)8月15日 - 1964年(昭和39年)11月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・烏丸。 伯爵・烏丸光亨の三男として生まれ、先代七条信義の死跡を継承し、1924年(大正13年)6月16日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を修了。1935年(昭和10年)豊島区役所嘱託に就任。以後、関東電気工業社員、同社農場主任、浅野カーリツト会社員などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月1… 今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月14日 - 1982年〈昭和57年〉10月6日)は、日本の郷土史家、歌人である。本名は今井 すみ江(いまい すみえ)。 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市宮川茅野)に生まれ、諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高等学校)へ入学。女学校一年の時に『アララギ』へ入会し島木赤彦と森山汀川に師事。大正7年(1918年)に卒業し小学校の代用教員となり、その翌年(当時19歳)寒天問屋「地紙世(ちがみせ)」(現・地紙世商店)の今井平左衛門に嫁ぐ。池坊華道の教授でもあり、地元の人々が敬意を込めて「地紙世の先生」と呼んでいた。戦後、『旧宮川村誌(史)』の編纂に奮闘する傍ら諏訪大社及び諏訪地域の在地信仰(ミシャグジ、千鹿頭神、天白神 等)の研究を行い、踏査集成を広範囲に渡って行った。
山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 197… 山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 1975年7月6日)は日本の藻類学者である。
山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 197… 山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 1975年7月6日)は日本の藻類学者である。 京都に生まれた。家族と東京に移り、東京府立一中、第一高等学校から東京帝国大学植物科で学んだ。早田文蔵に藻類の研究をすることを薦められ、海草の研究に取り組み、岡村金太郎の指導を受けた。1928年から2年間欧米留学の後、1930年に北海道大学に新たに設立された理学部の教授となった。日本における藻類研究のパイオニアとして働いた。1952年に設立された日本藻類学会の初代会長となり1965年まで会長を務めた。1962年に北海道大学理学部長も務めた。 1960年に北海道新聞文化賞、1964年に北海道文化賞を受賞した。
西田 安逸(にしだ やすいつ、1900年 <明治33年> 8… 西田 安逸(にしだ やすいつ、1900年 <明治33年> 8月13日 - 1970年 <昭和45年> 3月10日)は、日本の経営者。青森銀行頭取を務めた。 青森県出身。1925年に早稲田大学商学部を卒業し、1929年に日本勧業銀行に入行。1954年5月に常任監査役に就任し、同年11月に青森銀行副頭取を経て、1955年2月から1968年11月までに頭取を務めた。 1965年9月に藍綬褒章を受章。 1970年3月10日急性心不全のために死去。69歳没。
大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 -… 大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、福岡県三潴郡(現在の大川市)出身で陸奥部屋に所属した大相撲力士。本名は石橋 清治郎(いしばし せいじろう)。現役時代の体格は身長184cm、体重116kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇。二枚鑑札で年寄・陸奥を襲名。 陸奥部屋に入門、1919年1月場所に初土俵を踏む。入門も遅かったこともあって、昇進もゆっくりで、新十両が1928年3月、新入幕は1932年1月場所で、すでに30歳を超えていた。その新入幕の場所に春秋園事件が起こり、多くの力士が脱退したが、彼は残留し、その結果いきなり東前頭2枚目と幕内上位に進出することになった(事件前の番付は東前頭12枚目だった)。
李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8… 李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8月7日 - 1968年12月9日または12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の計理士、弁理士、教育者、政治家、実業家。朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、制憲・第2代韓国国会議員。本貫は徳山李氏(朝鮮語版)。 咸鏡南道利原郡出身。北青公立普通学校、京城オソン中学校、日本大学専門部工科専修科、同大商科経済学科卒。京都帝国大学(現・京都大学)経済学・社会学修了。世和堂製薬株式会社代表取締役、世和産業・世和商事・世和土建株式会社代表取締役、朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、韓国民族代表者大会代議員、総選挙対策委員会委員、財団法人世和学院理事長、ソウル薬学大学理事長、朝鮮雄弁会副会長、国会文教厚生・産業労働分科委員、独立政治経済問題研究所代表者、李儁先生記念事業協会理事、大韓労農党党員、大韓国民党党員、大韓労総委員長、自由党幹部、東洋水産株式会社代表、咸南人会総務部長を務めた。
安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月… 安東 玉彦(あんどう たまひこ、1900年(明治33年)8月7日 - 1990年(平成2年)9月19日)は、日本の政治家。大分県大分市長。 大分師範学校、法政大学高等師範部を卒業後、大分師範学校教諭、大分県視学、大分県立竹田高等女学校(現大分県立竹田高等学校)校長、大分県立別府高等女学校(現大分県立別府鶴見丘高等学校)校長を歴任。1947年(昭和22年)に大分市助役となる。 1963年(昭和38年)3月、周辺市町村との合併により新設された新・大分市長に当選。以後、1975年(昭和50年)まで、3期12年にわたり大分市長を務めた。 任期中の12年間は、ちょうど日本の高度成長期にあたった。大分市も、1964年(昭和39年)1月に新産業都市の指定を受けると、沿岸の埋立地に新日本製鐵大分製鐵所や昭和電工大分事業所などの企業が次々に立地して大分臨海工業地帯が形成されるなど、経済的に大きく発展し、人口が急増した時期であった。
青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6… 青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6日 - 1982年〈昭和57年〉4月21日)は、日本の内務・警察官僚、公選初代愛媛県知事(1期)。 長野県更級郡牧郷村(現:長野市)に青木善蔵の三男として生まれる。第二高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県警部となる。 以後、麻布警察署長、六本木警察署長、深川警察署長、西平野警察署長、関東局警務課長、同特別高等警察課長、同警察官教習所長、満州国治安部特務科長、福井県書記官・警察部長、内務事務官、厚生省監理課長、情報局第一部第二課長、首相秘書官、内務省監査官、千葉県書記官・警察部長などを経て、福島県内政部長に就任。
内野 信二(うちの しんじ、1900年(明治33年)8月6日… 内野 信二(うちの しんじ、1900年(明治33年)8月6日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争中に第二次遣独潜水艦作戦を完遂した伊号第八潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。 鹿児島県出身。鹿児島二中を経て海軍兵学校49期を卒業。皇族2名を除いた席次は174名中29番。同期に原為一、長澤浩、鹿岡円平などがいる。1922年(大正13年)5月海軍少尉に任官した。中尉時代に5艦の呂号潜水艦に乗艦し、大尉進級。水雷学校高等科へ進み、さらに同専攻科を卒業。伊号潜水艦水雷長、潜水学校教官を務め、1933年(昭和8年)11月、少佐へ進級。以後潜水学校甲種学生(潜水艦長養成過程)をはさみ5艦の潜水艦長を歴任。
平井 蒼太(ひらい そうた、1900年8月5日 - 1971… 平井 蒼太(ひらい そうた、1900年8月5日 - 1971年7月2日)は愛知県出身のミステリー作家、豆本作家、性風俗文献蒐集家。薔薇蒼太郎、牡丹耽八、書鬼海二等、多数の変名を持つ。 平井太郎(江戸川乱歩)の次弟として名古屋市に生まれる。本名:平井通。 1917年11月、長兄太郎の鳥羽造船所入社に伴い、末弟敏男と共に鳥羽へ移住。1919年に兄弟で上京。東京市本郷区団子坂にて、長兄太郎や末弟敏男と共に古書店「三人書房」を経営。のち大阪へ移り関西大学専門部経済科を修業。1921年から電気部試験係として大阪電気局に勤務。1931年にカリエスを病み、休職して滋賀県甲賀郡寺庄村(現在の甲賀市)なる妻の実家で静養。
田島 ナビ(たじま ナビ、1900年〈明治33年〉8月4日 … 田島 ナビ(たじま ナビ、1900年〈明治33年〉8月4日 - 2018年〈平成30年〉4月21日)は、日本のスーパーセンテナリアン。鹿児島県喜界町在住の長寿の女性。2017年9月15日以降死去するまで長寿世界一となっていた。また、生年月日に確証のある人物としては世界最後の19世紀生まれの人物となった。 1900年8月4日に鹿児島県大島郡荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。喜界島に在住し、尋常小学校を卒業後、織工場で働く。1919年に富二子を婿として迎え、共にサトウキビ農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年(平成3年)に94歳で亡くなった。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた。2002年(平成14年)2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した。
石見 元秀(いわみ もとひで、1900年(明治33年)8月2… 石見 元秀(いわみ もとひで、1900年(明治33年)8月2日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(5期)。位階は従四位。 子に元姫路市長の石見利勝。 兵庫県飾磨郡余部村(現・姫路市)生まれ。旧制姫路中学校卒業後、城陽尋常高等小学校代用教員を務め、富山県立山の土木工事現場で働いたのち、26歳のときに東京で建設業の会社を設立し、ダム・鉄道工事を請け負った。1933年(昭和8年)、満州に渡り砂利会社の経営を始めるも1936年(昭和11年)に撤退、1938年(昭和13年)に再度満州で森林伐採事業を展開するも戦況の悪化により1943年(昭和18年)に引き揚げを余儀なくされる。
細井 徳次郎(ほそい とくじろう、1900年 <明治33年>… 細井 徳次郎(ほそい とくじろう、1900年 <明治33年> 8月1日 - 1975年 <昭和50年> 6月5日)は、日本の経営者。明治製菓社長を務めた。位階は従四位。 埼玉県出身。1925年に東京商科大学本科を卒業し、同年に明糖産業に入社。1929年に明治製菓に転じ、取締役、常務、専務、副社長を経て、1964年11月に社長に就任。1970年11月に相談役に就任。 1966年5月に藍綬褒章を受章し、1972年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1975年6月5日心臓衰弱のために死去。74歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
多川 静志(たがわ せいし、1900年〈明治33年〉8月 -… 多川 静志(たがわ せいし、1900年〈明治33年〉8月 - 没年不明)は、日本の実業家。 広島県賀茂郡阿賀町(現呉市)出身。多川熊次郎の三男。多川一治の弟。1923年、長崎高商を卒業する。1940年、分家する。桜井大二郎商店支配人、同参事、桜井化学興業専務、桜井本部専務理事、桜井加工紙、朝鮮、満州、台湾各桜井興業取締役を歴任。 趣味は読書、運動。宗教は仏教。住所は東京都文京区原町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。