石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - … 苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - 2010年10月20日)は、日本の実業家。三菱商事副社長、米国三菱商事社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長、ニューヨーク日本商工会議所会頭などを歴任した。 北海道小樽市出身。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業、三菱商事入社。大学在学中、日米学生会議に参加し、宮澤喜一(のちに内閣総理大臣)、奈良靖彦(のちに駐カナダ大使)、山室勇臣(のちに三菱銀行副頭取)らと交遊を持った。財閥解体後、奈良らとともに、野間省一講談社社長の協力を得て貿易会社・飛鳥(「奈良」から「飛鳥」を連想して命名)を設立し、宮澤の弟宮澤泰(のちに駐西ドイツ大使)なども参画したが、1年で倒産した。
富原 薫(とみはら かおる、1916年3月20日 - 201… 富原 薫(とみはら かおる、1916年3月20日 - 2015年5月15日)は、日本の経営者。北海道放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身。 1939年に早稲田大学専門部法科を中退し、同年に満蒙学校を卒業。1941年に小樽新聞社に入社後、全道の新聞社統合により1942年11月に北海道新聞社に移籍し、政経記者として活躍。1945年には内閣記者会詰めとして憲法審議を担当。1951年12月に北海道放送に転じ、1956年の日ソ和平交渉の際には民間放送代表特派員の一人として鳩山一郎首相の随行団に参加した。1967年に取締役、1970年に常務、1978年に専務、1979年に副社長を経て、1984年に社長に就任。
小田 豊四郎(おだ とよしろう、1916年3月13日 - 2… 小田 豊四郎(おだ とよしろう、1916年3月13日 - 2006年8月3日)は、日本の実業家。六花亭創業者。北海道函館市出身。 旧制野付牛中学校(現・北海道北見北斗高等学校)卒業。父の事業の失敗で進学を断念し、1933年に母方の叔父・岡部式二が経営する札幌千秋庵に入社。 1937年にもう一人の叔父・岡部勇吉が創業した帯広千秋庵(現在の六花亭の前身)の経営を引き継ぐ。当初は同業他社が多かったことから苦戦を強いられる。だが、1939年に価格等統制令が敷かれ、他の店が砂糖不足で思うように商品を作れなくなった際、知人の会社社長の薦めもあり、前もって砂糖を大量に購入していたため、小田の店は従来どおりに製品を作ることができ、次第に客足が増えるようになった。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 -… 諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを務めた。 小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。 1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、1964年(昭和39年)11月常務を歴任。1969年(昭和44年)11月28日社長に昇格、1977年(昭和52年)6月29日会長に退き、山西由之に社長を譲る。 1983年(昭和58年)相談役、1986年(昭和61年)山西が死去したため3月25日会長に復帰し、1989年(平成元年)6月29日特別顧問。
上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 20… 上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 2003年8月21日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 北海道出身。1946年に北海道庁立釧路中学校を卒業し、同年に北海タイムス社に入社。1942年に統合により、北海道新聞社に転じ、1964年12月に取締役に就任し、1966年に常務を経て、1968年に社長に就任。1979年1月に会長に就任し、1981年には相談役に就任。 1986年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年8月21日脳梗塞のために死去。88歳没。
竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - … 竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - 1998年4月20日)は、日本の中国文学者・教育者・学校経営者。専門は中国文学。北海道夕張市出身。 1939年大谷大学文学部専門部卒業。1944年北京大学研究院修了。北京大学研究員。1945年日本に引揚げ。 大阪商科大学高等商業部教諭。1951年大阪市立大学法文学部専任講師。1960年大谷大学文学部専任講師。1962年大谷大学学監・学校法人真宗大谷学園事務局長。1965年京都産業大学学監・学校法人京都産業大学事務局長。1968年京都産業大学常務理事・同副学長・同外国語学部教授。1973年学校法人札幌大谷学園理事長。1974年札幌大谷短期大学学長。
今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 199… 今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 1990年9月4日)は、日本の実業家。丸井今井代表取締役社長、札幌商工会議所会頭、札幌証券取引所理事長等を務めた。 北海道札幌市生まれ。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業(同期に小泉明ら)。大阪の大丸百貨店で修業したのち、家業の丸井今井グループ入りし、1944年から丸井今井の三代目代表取締役社長を務めた。1973年から札幌商工会議所会頭を務め、北海道商工会議所連合会会頭、札幌観光協会会長、北海道百貨店協会会長、札幌証券取引所理事長なども歴任した。1974年北海道経済連合会設立発起人代表。1981年エフエム北海道発起人。1987年北海道立文学館建設期成会会長。
小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011… 小川 義男(おがわ よしお、1913年9月8日 - 2011年11月10日)は、日本の実業家。元住友軽金属工業(現・UACJ)社長・会長、名誉相談役、住軽アルミニウム工業社長、日本アルミニウム連盟会長。 北海道小樽市出身。1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友金属工業に入社。企画課長、商務部長、東京支社長などを経て、1961年取締役、1962年支配人、1964年常務、1967年専務、1971年副社長。日向方斎社長の有力な後継者候補と言われたが、1974年に経営危機に陥っていた住友軽金属工業社長に転出。同社の再建に尽くした。1977年に住軽アルミニウム工業社長を兼任。1980年に住友軽金属工業会長となり、1986年に相談役となった。
大内 格之助(おおうち かくのすけ、1912年12月15日 … 大内 格之助(おおうち かくのすけ、1912年12月15日 - 2001年3月2日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。北海道上川郡剣淵町出身。 1931年に旧制名寄中学校を卒業。旭川新聞社、小樽新聞社での勤務を経て、1964年に北海道新聞社取締役に就任し、1968年に代表専務を経て、1974年に顧問に就任。1971年には北海道文化放送初代社長に就任し、1978年から1980年までに会長を務めた。 2001年3月2日急性肺炎のために死去。88歳没。
田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 … 田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 - 1953年〈昭和28年〉8月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 北海道函館区(現函館市)で生まれる。北海道庁立函館中学校(現北海道函館中部高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業した。興亜院嘱託となり、同技手、在北京大使館技手、同技師を歴任した。 その後、日本興行取締役、函館ミツワ商会取締役会長、大洋貿易社長、函館ドック顧問などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で北海道第3区から民主自由党所属で出馬して初当選。第25回総選挙で自由党所属で出馬するも次点で落選。
鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - … 鹿内 信隆(しかない のぶたか、1911年11月17日 - 1990年10月28日)は、日本の実業家。フジサンケイグループ会議議長。 津軽藩の御蔵番だった祖父が、御維新で北海道樺太監獄の典獄長(刑務所長)に左遷され、北海道に渡る。 北海道の夕張郡の当時は人口6,000人程度の村だった由仁町に父・鹿内徹、母・モヨの長男として生まれた。母・モヨは写真館を経営していた。父・徹は撮影技師だったが由仁町に来てからは歯科医になった。 1924年、岩見沢中学に進むと弁論部に入って主将を務めていたが、鹿内は「小生意気な子供であった」という。通学用の革靴が買えなくて、母親の婦人靴をぱかぱかいわせながら穿いていた。
中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月2… 中田 乙一(なかた おとかず、1910年(明治43年)8月29日 - 1999年(平成11年)12月28日)は、日本の実業家。元三菱地所社長。位階は正四位。 北海道小樽市出身。庁立小樽商業学校を経て、1932年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。 大蔵省勤務を経て、1939年三菱地所に転じる。総務部長・取締役・常務・副社長などを経て、1969年に社長に就任。在任中は、数多くのニュータウン事業を手がけた他、横浜市の「みなとみらい21」構想を策定するなど、宅地開発・都市再開発事業を積極に推し進め、それまで東京・丸の内の貸ビル事業が主体であった同社を、総合デベロッパーとして発展させる基を築いた。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <… 四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <明治41年> 9月4日 - 1996年 <平成8年> 3月20日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。北海道函館市出身。長男は化学工学者で東北大学名誉教授の四ツ柳隆夫。 函館の資産家、四ツ柳亮策・イシの長男として生まれる。 函館市住吉小学校(現・青柳小学校)、旧制函館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。東京での生命保険会社勤務の後、肺結核に罹り故郷の函館に戻った後、1936年に帝国電力に入社、翌年には米屋を営んでいたヤエと結婚、5人の男児をもうける。1944年には乙種合格で徴兵され旭川通信隊を経て千島方面に配属が予定されるも五十音順で後の方になっていたことから配属漏れとなった。
山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2… 山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2003年1月27日)は、日本の経営者。日本製粉社長を務めた。北海道出身。 1929年に北海道帝国大学農学部農業実科を卒業し、同年に日本製粉に入社した。1938年に取締役に就任し、1961年に常務、1970年に専務、1972年に副社長を経て、1974年から1979年までに社長を務めた。 2003年1月27日肺炎のために死去。95歳没。
加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 199… 加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 1998年6月22日)は、日本の実業家。加森観光創業者。北海道帯広市出身。 北海中学校卒業、日本大学専門部法科中退。1930年に釧路市内の雑穀商に勤務し経営を学び、1933年釧路で製薬会社・星製薬の東北海道販売代理店を始めて成功をおさめる。その後1939年には星製薬の道内全域の事業を統一した星製薬北海道配給株式会社を創立する。 その後は大谷重工業社長の大谷米太郎が星製薬を買収した事をきっかけに医薬品事業から手を引き、1952年札幌で貸ビル業を開業し翌1953年に加森産業を設立。十分な資産を築いたこともあり昭和20年代末には実業界から手を引くことを考えたものの、知人から登別でのロープウェイ建設事業に熱心に誘われたことをきっかけに、1956年に登別温泉ケーブルを設立して観光業に事業を拡大し、1958年には登別クマ牧場を開設した。
三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、… 三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、日本の実業家、学校経営者。元学校法人旭川大学理事長。北海道旭川市出身。 この他、公職として旭川経営者協会会長や、旭川ロータリークラブ会長、旭川信用金庫理事などを歴任。 髙木正雄『北海道建設人物事典』(北海道建設新聞、2008年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
倉増 新八郎(くらます しんぱちろう、1906年 <明治39… 倉増 新八郎(くらます しんぱちろう、1906年 <明治39年> 11月20日 - 1985年 <昭和60年> 9月22日)は、日本の実業家・政治家だった人物。位階は正五位。 北海道岩見沢市出身。岩見沢尋常高等小学校(現・岩見沢市立岩見沢小学校)卒業。合資会社を起業して社長業を営む。1942年岩見沢町議会議員に初当選。1943年岩見沢市に移行したのに伴い岩見沢市議会議員。以後、岩見沢市消防団長、岩見沢市議会議長や1973年北海道消防協会5代会長(~1982年)、1974年空知管内体育協会連絡協議会初代会長などを経て、1963年まで5期務めた。1963年北海道議会議員選挙に岩見沢市選出の無所属として初当選。
田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5… 田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5日 - 1993年〈平成5年〉12月10日)は、日本の実業家、政治活動家、CIA協力者。フィクサーともいわれる。 戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設工業株式会社社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中と南方哲也(元長崎県立大学教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年12月10日、脳梗塞で死去した。 資金を得た田中は、党の武装化を進め、川崎武装メーデー、東京市電争議の際における幹部暗殺計画、車庫放火事件、中央メーデー暴動化、小銃弾薬類の略奪計画など数多くの暴動を既遂未遂した。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1… 遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1998年12月14日)は、日本の経営者、電気技術者。 東京エレクトロン研究所(現・東京エレクトロン)初代社長をつとめた。 北海道小樽市出身。1930年に東京帝国大学工学部電気科を卒業。電通での勤務を経て、1952年にラジオ東京に入社し、取締役を経て、1956年1月に常務取締役テレビ技術局長に就任。 1963年にラジオ東京などの出資により東京エレクトロン研究所が設立されると、同社の初代社長に就任。1974年には会長に就任。 1980年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月14日老衰のために死去。93歳没。
伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年… 伴 素彦(ばん もとひこ、1905年1月1日 - 1998年9月3日)は、1920年代に活躍した元スキージャンプ選手、実業家。後に全日本スキー連盟の会長を務めた。京都府出身。 父親の伴房次郎は小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)第二代校長(在職期間1921年11月28日-1935年4月2日) 京都府生まれで小学3年生の時父親の転勤に伴い小樽へ移り住んだ。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校) - 北海道帝国大学農学部 - 日本製粉(現・ニップン)株式会社。 1926年の第4回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。 1928年のサンモリッツオリンピックにスキージャンプ日本代表として出場するが、コーチも通訳もいない孤独な参戦を強いられたことに加え、台の規模や技術、道具など何もかもが自分たちがやってきたことと違うことに戸惑い本来のジャンプが全く出来ず、転倒もあって(元々、伴は着地は得意な選手であった)最下位に終わった。
増田 吉郎(ますだ よしろう、1904年6月3日 - 200… 増田 吉郎(ますだ よしろう、1904年6月3日 - 2005年1月22日 )は、日本の経営者。宮崎銀行頭取を務めた。 青森県出身。1922年に函館商業学校を卒業し、同年に日本銀行に入行。1950年6月から1952年6月までに日本信用調査常務を務め、1952年8月には日向興業銀行(のちの宮崎銀行)専務に就任し、1961年10月から1975年12月までに頭取を務めた。 1974年11月には勲四等旭日小綬章を受章。 2005年1月22日、誤嚥性肺炎のために死去。100歳没。
江守 栄作(えもり えいさく、1903年5月7日 - 198… 江守 栄作(えもり えいさく、1903年5月7日 - 1987年4月2日)は、北海道札幌市生まれの実業家、スケート選手。 明治36年(1903年)札幌生まれで豊水小学校卒。大正7年(1918年)にスケートを始め、大正13年(1924年)ロシアのフィギュアスケートの極東大会で優勝。その後アイスホッケーを始める。 1928年ウラジオストックロシア語学校高等科を卒業した後、貿易会社の清水貿易に就職、ウラジオストック支社長を務めた。 昭和14年(1939年)にトレーニング中のアクシデントから敗血症にかかり左足切断。その後は後進の育成に力を注ぎ、昭和58年(1983年)東京都アイスホッケー連盟会長に就任。
数納 清(かずのう きよし、1903年 <明治36年> 3月… 数納 清(かずのう きよし、1903年 <明治36年> 3月7日 - 1991年 <平成3年> 12月1日)は、日本の実業家。朝日生命保険社長をつとめた。位階は正四位。 北海道札幌市出身。1926年に東京帝国大学経済学部を卒業し、帝国生命保険(現・朝日生命保険)に入社。台北支店長などを経て、1947年朝日生命保険取締役、1965年に社長に就任。1975年会長、1979年相談役。 この間古河三水会理事長をつとめるなど、財界人としても活躍した。 1969年藍綬褒章、1975年勲二等旭日重光章。1991年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)
岩本 政一(いわもと まさいち、1903年 - 1979年1… 岩本 政一(いわもと まさいち、1903年 - 1979年1月12日)は、日本の政治家、実業家。元参議院議員(自由民主党・1期)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)出身。札幌市立石山小学校卒。1929年に貨物自動車運送業を開業。豊平自動車運輸専務、北海道自動車運輸専務を経て、1956年社団法人北海道トラック協会初代会長(~1975年)や、北海道議会議員(札幌市選出)を6期務め、自民党道連幹事長、同党道連副会長、全国都道府県議会議長会副会長、北海道議会議長(1963年5月から1977年7月)、北海道開発審議会委員などを歴任。1971年の第9回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から立候補し当選。
萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年… 萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年12月12日)は、日本のジャーナリスト、新聞社経営者。元日本経済新聞社社長。北海道小樽市出身。 1926年に早稲田大学政経学部を卒業し、中外商業新報社(現日本経済新聞社)に入社。政治部記者・編集局次長・工務局長などを歴任し、1945年に取締役となる。その後常務・専務を経て、1956年社長に就任。就任後は積極的な経営政策をとり、設備の近代化・通信網の拡大・マーケティング活動の拡張などを推進した他、1964年には東京・大手町に新社屋を建設した。経済専門紙としての同紙の飛躍的な発展の基を築き、後任社長の圓城寺次郎とともに「中興の祖」と呼ばれる。
野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月2… 野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月23日 - 1976年(昭和51年)10月15日)は、日本の商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。
八反田 角一郎(はったんだ かくいちろう、1901年11月6… 八反田 角一郎(はったんだ かくいちろう、1901年11月6日 - 1979年12月28日)は日本の新聞・放送経営者。讀賣テレビ放送代表取締役、日本テレビ・読売新聞社取締役、読売新聞大阪本社取締役最高顧問を歴任。大阪府吹田市に在住していた。 北海道虻田郡倶知安町出身。父・角太郎(1866年(慶應2年)生まれ)は石川県能美郡長野村(現・能美市)の大農家に生まれ、手取川水害の影響により、1896年(明治29年)に倶知安町へ加賀団体の総代として入植した。倶知安では農業と雑貨商で成功を収め、村会議員を8期務めた。角一郎は後に、加賀団体入墾開拓者崇徳碑建立の発起人代表となった。 北海中学校を卒業し、1933年に読売新聞に入社。
酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974… 酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974年7月1日)は、日本の官僚・実業家。 帝国石油総裁・社長を務めた。 北海道札幌市出身。1924年に東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。商工事務官、商工省鉱山局燃料課長、燃料局第一部油政課長兼資源課長兼商工書記官、燃料局石油部長、札幌鉱山局長などを歴任。商工事務官時代に旧石油業法の起案に携わり、1934年の同法の成立に尽力した。1941年10月鉄鋼局長、1943年鉄鋼統制販売株式会社社長。戦後も商工省燃料局長を務めたが、1947年に退官。同年の第23回衆議院議員総選挙において北海道1区から立候補したが落選した。1948年に帝国石油総裁となり、1950年の民営化後も引き続き1952年まで社長を務めた。
福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - … 福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - 1977年6月13日)は、日本の出版実業家、作家。 北海道小樽市生まれ。松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学社会学科卒。 報知新聞記者などを経て、1943年3月に『日本読書新聞』の発行元であった日本出版文化協会から改組された出版統制組織「日本出版会」の総務部次長兼編集室長となる。同紙は敗戦を待つまでもなく物資の不足と編集部員の応召などにより、1945年5月に休刊した。同年3月には出版用紙の確保のために一括して用紙を荷受する機関として「日本出版助成株式会社」が設立され、同社専務に就任。1946年、同社を日本出版協同株式会社に改組した後に社長に就任した。
境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日… 境 一雄(さかい かずお、1900年(明治33年)11月8日 - 1983年(昭和58年)9月17日)は、大正・昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 北海道小樽区(現小樽市)で生まれる。1920年(大正9年)小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業。その後、早稲田大学政経科で学んだが中退した。割箸製造販売業を営む。その後、岸鉄工所庶務課長、小樽物産取締役、北海道配電小樽支店経営協議会委員などを務めた。 1926年(大正15年)日本労働組合評議会北海道地方評議会議長に就任。同年5月1日、北海道初のメーデー実行委員長を務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962… 岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。 大阪府大阪市に生まれ、北海道小樽市で育つ。小樽中学校から三浪を経て、第一高等学校に入学。5年間在籍し、その間全寮委員長として、関東大震災後の同校移転問題などに関係する。その後東京帝国大学工学部鉱山学科に入学。在学中はボート部で活躍し、1929年(昭和4年)の卒業後も後輩の指導に当たった。 東京帝大学生課嘱託などを経て、1931年(昭和6年)に名古屋合板支配人として財界に入る。以後明治製革常務、満鉄調査部嘱託、興中公司広東事務所長などを歴任する一方、昭和研究会に所属し、各界に広く人脈を持つようになる。
滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5… 滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5月10日 - 1973年(昭和48年)1月13日)は、日本の政治家・実業家。北海道旭川市出身。北海道北見市長(1963年 - 1967年、1期)。 北海道庁立上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業。1916年(大正5年)野付牛町(現・北見市)に移住、家業である菓子問屋を継いで1940年(昭和15年)北海道菓子卸売協同組合常務、1948年(昭和23年)同組合理事長。1950年(昭和25年)北宝食品代表取締役社長。1953年(昭和28年)北見信用金庫理事長。1955年(昭和30年)北見商工会議所会頭に就任。伊谷半次郎の後継候補として、1963年(昭和38年)北見市長選挙に出馬し対立候補の宇佐美福生を僅差で破って初当選するも1967年(昭和42年)に前回と同じ対立候補の宇佐美福生に敗れ落選した。
佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日… 佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日 - 1999年〈平成11年〉9月26日)は、大正時代から昭和時代の北海道の経営者・教育者。位階は正四位。 北海道興農公社の設立に関わり、後身の雪印乳業の初代社長を務めた。また、長らく学校法人酪農学園の理事長を務めた。 札幌市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校・ 北海道帝國大學農学部卒業。アメリカのオハイオ州立大学農科大学で細菌学と乳業を学び、1922年(大正11年)に帰国。家業である農業を継ぐ。 1925年(大正14年)、父・善七が設立者の一人であった有限会社北海道製酪販売組合の技師となり、雪印の名で「北海道バター」を製造販売。1940年(昭和15年)から有限会社北海道興農公社の専務を務め、1946年(昭和21年)には経済安定本部勤務。
栗林 友二(くりばやし ともじ、1898年1月3日 - 19… 栗林 友二(くりばやし ともじ、1898年1月3日 - 1977年8月8日)は、日本の実業家・篤志家・馬主。 実業家・政治家の栗林五朔の息子として北海道に生まれる。札幌中学を経て東京帝国大学農学部獣医学科を卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は父が興した栗林商船に入社し、後に会長を務めた。本業の傍らで競走馬の馬主としても著名であり「ミスター・ケイバ」と呼ばれ、全日本馬主協会連合会(現・日本馬主協会連合会)会長などを歴任した(後述)。1977年8月8日、肺炎により79歳で死去。 兄は栗林商船や栗林商会社長、政治家などを務めた栗林徳一。弟には南方林業の社長を務めた栗林定四朗がいる。長男・定友は栗林商船、三男・英雄は栗林運輸の社長を務めた。
室谷 邦夷(むろや くにい、1897年 <明治30年> 12… 室谷 邦夷(むろや くにい、1897年 <明治30年> 12月15日 - 1972年 <昭和47年> 4月30日)は、日本の経営者。北海道放送社長を務めた。位階は正五位。 北海道江差町出身、1905年より新潟県巻町(現・新潟市西蒲区)に住む伯母に養育された。このため新潟県出身と表記する資料も存在する。新潟県立巻中学校(現・新潟県立巻高等学校)を経て、1917年に東京薬学校を中退。 1917年3月に網走の回漕店に入社するも、同年9月に親戚が務める樺太の新聞社・樺太日日新聞社に転職し編集局社会部に配属される。 1918年に札幌で泊まっていた宿で記者募集の広告を見たことをきっかけに、北海タイムス社(現・北海道新聞社)に入社。
瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 19… 瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 1980年9月17日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。 北海道札幌市出身。札幌第一中学校(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1922年に早稲田大学商学部を卒業。東海林太郎とは大学時代に同じ下宿にいた親友。 名古屋銀行での勤務を経て、1926年に北海道酪農販売組合連合会主事に就任し、1938年に専務、1950年6月に雪印乳業専務、1957年5月に副社長を経て、1963年5月に社長に就任。1971年5月に会長を経て、1973年5月には相談役に就任した。 1963年に藍綬褒章を受章し、1967年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1980年9月17日、急性肺炎のために死去。
徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 198… 徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 1980年10月12日)は、日本の経営者。日本セメント社長を務めた。 北海道函館市出身。1914年に九州帝国大学応用化学科を卒業し、同年に浅野セメント(のちの日本セメント)に入社。1942年に取締役に就任し、常務を経て、1946年から1947年までと1948年から1949年9月までに社長を務めた。1949年9月には会長に就任した。 1970年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1980年10月12日、心筋梗塞のために死去。84歳没。
岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 19… 岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 1982年2月20日)は、日本の実業家、政治家。岩田建設の創業者。北海道議会議員(4期)。 札幌村(現在の札幌市東区)出身。岩田家は富山県で江戸時代から続く瓦工場であったが、徳治の両親は西南戦争後の不況により土地家屋を手放し、1890年(明治23年)北海道に渡り現在の丘珠町に入植した。丘珠尋常小学校(現・札幌市立丘珠小学校)卒業後、家業の農業の手伝いに励む。14歳のときに苗穂町(現在の本町)に居を移し、長兄が早逝したため18歳で家督を相続する。北海中学校(現・北海高等学校)卒業。 大星組などを経て1912年から義兄・村上六松が営む合資会社村上組で帳場を担当。
阿部 謙夫(あべ しずお、1894年〈明治27年〉4月13日… 阿部 謙夫(あべ しずお、1894年〈明治27年〉4月13日 - 1972年〈昭和47年〉1月2日)は、日本の技術官、実業家。 逓信省、東京市、鉄道省に勤務した後、北海道新聞社社長となり、北海道放送を設立して初代社長を務めた。 阿部宇之八の三男として札幌区に生まれる。札幌区創成尋常小学校、札幌区創成高等小学校、北海道庁立札幌中学校を経て、1911年(明治44年)第一高等学校第二部甲類に無試験検定で入学、1914年(大正3年)同校第二部工科卒業。1917年(大正6年)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。 同年逓信省に入省。翌1918年(大正7年)に九州逓信局水力課長となり、九州各地の河川水を発電に利用するための水量調査を行った。
岩倉 巻次(いわくら まきじ、1894年1月15日 - 19… 岩倉 巻次(いわくら まきじ、1894年1月15日 - 1970年5月5日)は、日本の実業家。岩倉組創業者。孫に苫小牧市長の岩倉博文がいる。 北海道倶知安町出身。1906年に倶知安尋常小学校を卒業した。1913年(大正2年)、造材薪炭業を開業する。当時の拠点は白老村(現・白老町)であった。 1928年に一時的に王子製紙山林部に所属。 1932年(昭和7年)に車両部を設け、木材運搬業を併業。1932年に業務拡張により本店を苫小牧市に移設する、1937年に長野県の林道工事を受注し竣工させた。 1941年(昭和16年)新冠村(現・新冠町)の国有林特売権を得たのを機に、地元の製材会社を買収し、製材事業を開始した。
伊藤 豊次(いとう とよじ、1893年(明治26年)6月27… 伊藤 豊次(いとう とよじ、1893年(明治26年)6月27日 - 1962年(昭和37年)11月2日)は、日本の実業家・政治家。北海道札幌市出身。伊藤組土建初代代表取締役社長。北海道庁立札幌中学校卒。 病弱だったため、進学を断念。伊藤組に入社し、同社・支配人田中銀次郎が教育。1920年に外遊し、近代的な土木建築経営を身近に見て翌年帰国。1923年父より家督を相続し、組報第一号刊行。設計部門を置き、鉄筋コンクリート造建築に脱皮を図る。組織も建築部・設計部・木材部・造材部と部制を敷き、さらに、伊藤組土建・伊藤組木材・伊藤組鉄工・伊藤組農林に発展させ設立させる。1946年、北海道多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年10月2日に就任し、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任。
安達 悦二郎(あだち えつじろう、1889年(明治22年) … 安達 悦二郎(あだち えつじろう、1889年(明治22年) - 1987年(昭和62年))は、日本の政治家・実業家。北海道三笠市出身。1916年(大正5年)札幌師範学校(現・北海道教育大学札幌分校)卒業。北海道遠軽町長(1951年 - 1955年)。 学校卒業後、旧制中学校教諭、北見市教育委員会、遠軽営林署署長などを経て、1951年に営林署を辞職して、遠軽町長選挙に出馬し初当選。しかし、1955年(昭和30年)の遠軽町長選挙では落選。同年、北海林業代表取締役社長に就任。1956年より遠軽森林組合長や遠軽観光協会長、遠軽職業訓練校校長などを務めた。1960年(昭和35年)から遠軽商工会議所会頭( - 1978年)や北見工業短期大学客員教授( - 1966年)、旭川女子短期大学非常勤講師(1967年 - 1969年)も務めた。
阿部 良夫(あべ よしお、1888年〈明治21年〉1月6日 … 阿部 良夫(あべ よしお、1888年〈明治21年〉1月6日 - 1945年〈昭和20年〉4月15日)は日本の物理学者、新聞社社長。 阿部宇之八の長男として北海道札幌区に生まれる。北海道庁立札幌中学校から第一高等学校を経て、1912年(明治45年)7月東京帝国大学理科大学理論物理学科を卒業。1913年(大正2年)4月から8月までシーメンス・シュッケルト社(現・シーメンス)技師、1916年(大正5年)4月から早稲田大学高等師範部講師、1920年(大正9年)4月から早稲田大学高等学院教授となり、科学哲学と科学史の研究に精励する。1923年(大正11年)10月辞職。父の死去に伴い、1925年(大正14年)に北海タイムス社理事、1927年(昭和2年)に同社社長となる。
野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9… 野口 喜一郎(のぐち きいちろう、1887年〈明治20年〉9月18日 - 1972年〈昭和47年〉2月11日)は、日本の実業家。2015年(平成27年)まで北海道小樽市に存在した酒造会社・北の誉酒造の2代目社長であり、同社創業者である野口吉次郎の次男。北海道小樽市出身。 小樽中学校(後の北海道小樽潮陵高等学校)卒業後、間もなく旭川市の第7師団に入隊した。除隊後の1908年(明治41年)、父の経営する野口吉次郎商店(後の北の誉酒造)を継ぎ、社長として酒造部門を拡張させた。 1924年(大正13年)、アルコール4社合併の合同酒精に相談役で迎えられ、1929年(昭和4年)から1958年(昭和33年)まで同社社長、1964年(昭和39年)まで会長を務めた。
堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 -… 堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 - 1976年(昭和51年)10月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。北海道庁立小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業した。 小樽市の醸造業者で経験を積んだ。1924年(大正13年)不況のため経営不振となった北海道内4酒造業者を救済する合併事業に参画し、合同酒精が設立され専務に就任。1945年(昭和20年)同社長となる。1946年(昭和21年)旭川商工会議所会頭に就任した。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区から出馬して当選。以後、第3回、第5回通常選挙でも当選し、参議院議員を連続3期務めた。