成田 晴風(なりた はるせ、2006年2月27日 - )は、… 成田 晴風(なりた はるせ、2006年2月27日 - )は、青森県南津軽郡大鰐町出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。 大鰐町立大鰐小学校3年生のときに『あじゃらベースボールクラブ』で野球を始め、大鰐町立大鰐中学校では軟式野球部に所属した。 弘前工業高校へ進学すると、1年春からベンチ入り。入学時は最速135km/hほどであったが、徹底的に下半身を鍛え、1年時から最速140km/hを超え、1年秋からは背番号1を付けた。3年夏の県大会では2回戦で八戸学院光星と対戦し、中澤恒貴に本塁打を打たれるなど敗れたものの、強力打線から9つの三振を奪う力投を見せた。高校時代の最速は150km/h。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた。
中澤 恒貴(なかざわ こうき、2005年7月3日 - )は、… 中澤 恒貴(なかざわ こうき、2005年7月3日 - )は、東京都江東区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年生で野球を始める。 中学校は埼玉県の春日部共栄中学校に進学。江戸川北リトルシニアで野球を行った。 卒業後は「高みを目指すならチャレンジしないと、成長できない」として、坂本勇人、北條史也、武岡龍世などを輩出した八戸学院光星高等学校に進学。1年次の秋から遊撃手のレギュラーとなった。2年次・3年次は夏の甲子園出場に貢献し、3年次は主将としてチームのベスト8入りに尽力した。自身の甲子園での通算成績は打率.286(21打数6安打)、5打点という成績であった。
中田 歩夢(なかた あゆむ、2004年6月27日 - )は、… 中田 歩夢(なかた あゆむ、2004年6月27日 - )は、青森県弘前市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小学校3年から福村ガッツで野球を始め、弘前市立東中学校では軟式野球部に所属。高校は東奥義塾高等学校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、甲子園に出場することはできなかった。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト4位指名を受け、11月13日、支度金290万円、年俸360万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は002。担当スカウトは円谷英俊。 2023年は主に三軍戦に出場。二軍のイースタン・リーグでは5試合の出場で3打数1安打の成績だった。
佐藤 航太(さとう こうた、2004年4月7日 - )は、東… 佐藤 航太(さとう こうた、2004年4月7日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 江戸川区立下鎌田西小学校時代から「大雲寺スターズ」で軟式野球を始め、江戸川区立瑞江第二中学校時代は「江東ライオンズ」でプレーする。 高校は青森県八戸市の八戸学院光星高校に進学。3年生の夏には第104回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たす。2回戦の対愛工大名電高校戦では、5回表に自身が左翼にランニング本塁打を放ち、一時はリードするが、5対6で敗れる。ランニング本塁打は、同大会では2018年の第100回大会以来の記録であり、同校では2011年の第93回大会において、川上竜平以来の記録だった。
黒田 将矢(くろだ まさや、2004年1月24日 - )は、… 黒田 将矢(くろだ まさや、2004年1月24日 - )は、青森県むつ市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 むつ市立大平小学校4年時に大平マリナーズで野球を始め、むつ市立大平中学校では軟式野球部に所属。 八戸工業大学第一高等学校では2年秋からエースとなり、秋の青森県大会は八戸西に敗れ県8強。3年春の県大会は準優勝を果たした。夏の県大会は準決勝で青森山田に敗れ県4強。甲子園出場経験は無し。 2021年10月11日に行われた2021年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから5位指名を受けた。11月6日、契約金2500万円、年俸650万円で入団に合意した(金額は推定)。背番号は57。
福島 蓮(ふくしま れん、2003年4月25日 - )は、青… 福島 蓮(ふくしま れん、2003年4月25日 - )は、青森県八戸市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 八戸市立青潮小学校4年時に青潮ファイターズで野球を始め、八戸市立湊中学校では軟式野球部に所属。 青森県立八戸西高等学校入学時は遊撃手だったが、監督やコーチに才能を見出され、投手の練習を本格的に始める。1年春からベンチ入り。外部コーチを務める同校OBの元プロ野球選手である中村渉の指導を受け成長。2年秋からエースとなり、創部以来初出場した東北大会では初戦の福島商戦を7回3失点完投でコールド勝ち。準々決勝で花巻東を相手に敗れはしたものの9回を4安打2失点と善戦し、東北大会ベスト8の原動力となった。
松山 晋也(まつやま しんや、2000年6月23日 - )は… 松山 晋也(まつやま しんや、2000年6月23日 - )は、青森県上北郡天間林村(現:七戸町)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 育成ドラフトで入団した選手として初めての最多セーブ受賞者。1シーズン46セーブのセ・リーグタイ記録保持者。 七戸町立天間西小学校2年時に天間西ジャイアンツで野球を始め、七戸町立天間舘中学校では軟式野球部に所属していた。 八戸学院野辺地西高等学校では、3年時夏の青森県大会2回戦で堀田賢慎擁する青森山田高等学校に対し、3回途中3失点で降板するなど目立った活躍はなく、甲子園出場歴もない。2学年上に中道佑哉がいる。 八戸学院大学ではリーグ戦デビューが3年時秋と遅く、4年時春もリリーフで4試合に登板したのみだったが、4年時秋の対岩手大学2戦目ではリリーフ登板し6回2/3を投げて11奪三振を記録するなど、ドラフト会議直前に頭角を表した。
工藤 環奈(くどう かんな、1999年4月3日 - )は、青… 工藤 環奈(くどう かんな、1999年4月3日 - )は、青森県平川市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ビックカメラ高崎ビークイーン所属。ソフトボール日本代表。2023年JDリーグ東地区・最高殊勲選手(MVP)。 青森県平川市出身。兄が野球をやっていた影響で8歳の時にソフトボールを始める。平川市立平賀東中学校を卒業後、岩手県の花巻東高等学校に進学。 2018年、日本リーグのビックカメラ高崎ビークイーンに入団。同年5月、第7回アジア女子ジュニアソフトボール選手権大会に出場し、4番バッターとして4ホームランを放ち、 大会MVP・ホームラン王・打点王・ベストスラッガー賞を獲得。 JDリーグ初年度となった2022年は、打率.356(東地区3位)、10本塁打(同2位タイ)、23打点(同4位)の成績を残し、ベストナイン(遊撃手)を初受賞した。
中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、… 中道 佑哉(なかみち ゆうや、1998年9月4日 - )は、青森県十和田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 小学校では軟式野球クラブの「十和田北園クラブ」に所属。十和田市立三本木中学校では同校の軟式野球部に所属し、3年生時に東北大会に進出する。 八戸学院野辺地西高等学校2年生の秋に、八戸学院大学硬式野球部の正村公弘監督から当時オーバースローだった投球フォームから腕を下げる様にアドバイスされ、それによりコントロールが良くなり球速も上がったことで、野球に対する情熱を取り戻し、大学でも野球を続けることを志す。 八戸学院大学に進学し、1年の春季リーグよりベンチ入りを果たす。
藤田 航生(ふじた こうき、1997年12月11日 - )は… 藤田 航生(ふじた こうき、1997年12月11日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)、理学療法士。左投左打。 中学生時代は硬式野球チーム「弘前シニア」に所属していた。青森県立弘前工業高等学校では甲子園出場経験は無い。高校通算奪三振率は11.65だった。 2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから9巡目で指名を受け、契約金1,000万円、年俸500万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「67」に決まった。 2016年は二軍で1試合の登板にとどまり、2017年も一軍登板はなく、二軍で3試合に登板し防御率は18.00だった。現役引退時に明かしたイップスの症状は1年目の段階から発症していたとされる。
蝦名 達夫(えびな たつお、1997年9月20日 - )は、… 蝦名 達夫(えびな たつお、1997年9月20日 - )は、青森県青森市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 青森市立野内小学校2年時から、野内ヤンキースで軟式野球をスタート。その後青森市立東中学校に進学し軟式野球部に所属、引退後高校入学までの間所属したクラブチームにてKWBボール東日本大会優勝を経験した。中学3年時には甲子園常連校である青森県外の私立高校から入学を誘われていたが、地元の青森県立青森商業高等学校へ進学した。 青森商業高校への進学後は、硬式野球部で1年時から遊撃手としてレギュラーに定着した。在学中には全国大会と無縁であったが、在学中の対外試合で通算31本塁打を記録。
佐々木 健(ささき たける、1996年5月13日 - )は、… 佐々木 健(ささき たける、1996年5月13日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現:つがる市)出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 つがる市立瑞穂小学校在学中の5年生の時に野球を始め、つがる市立木造中学校在学時には軟式野球部に所属していた。 青森県立木造高等学校では投手兼外野手として2年生から出場。最高成績は県大会ベスト16で、甲子園出場経験はない。 富士大学時代は、4年次にエースとして活躍。北東北大学野球連盟秋季リーグではベストナインに選出され、大学野球日本代表候補メンバーにも選出された。 大学卒業後はNTT東日本に所属し、1年目ながら先発に抜擢されると、都市対抗野球大会や日本選手権大会でも起用された。
齋藤 誠哉(さいとう せいや、1996年5月13日 - )は… 齋藤 誠哉(さいとう せいや、1996年5月13日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 羽田エキスパートエージェンシーとエージェント契約を結んでいる。 弘前市立和徳小学校4年生の時に野球を始め、5年生で投手になった。 青森市の青森山田中学校に進むと「青森山田シニア」でプレーした。 静岡県磐田市の磐田東高校では2年生の時、秋季静岡県大会・西部地区予選2回戦で12三振を奪ってのノーヒットノーランを達成した。3年生の時の第96回全国高等学校野球選手権大会では、静岡大会の2回戦で桐陽高校の前に敗退している。高校時代のチームメイトの同級生に鈴木博志がいて、2学年後輩には加藤脩平がいた。
齋藤 誠哉(さいとう せいや、1996年5月13日 - )は… 齋藤 誠哉(さいとう せいや、1996年5月13日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
内山 太嗣(うちやま たいし、1996年4月21日 - )は… 内山 太嗣(うちやま たいし、1996年4月21日 - )は、青森県平川市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアに選出された。八戸工大一高時代は、甲子園出場経験はなし。1年春からレギュラーでプレーし、捕手以外にも投手として最速140km/h以上をマークし、三塁手や遊撃手もこなした。3年次の2014年、春季青森大会の八戸地区予選で相手野手と交錯し腹部を強打し内臓損傷の大けがを負った。 高校卒業後は社会人野球のトヨタ自動車東日本へ入団。3年間の在籍で都市対抗野球大会および社会人野球日本選手権大会の2大大会への出場は果たせなかった。
木浪 聖也(きなみ せいや、1994年6月15日 - )は、… 木浪 聖也(きなみ せいや、1994年6月15日 - )は、青森県青森市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 青森市立篠田小学校1年時に、軟式野球チームの「安田ヤンヤン少年野球チーム」へ入団し野球を始めると、3年時まで主に二塁手、4年時以降は投手を務めた。青森山田中学校時代は同校の硬式野球部に所属。 青森山田高等学校では1年からベンチ入りし、主に二塁手と三塁手を務めた。甲子園出場はなし。1学年上に山崎晃大朗、同学年に京田陽太、1学年下に西村凌がいる。 亜細亜大学に進学すると、1年春からリーグ戦に出場し、3年春からは主力としてプレー。3年秋と4年春にはリーグ連覇を、1年時と3年時には明治神宮野球大会での優勝を経験した。
小林 大誠(こばやし だいせい、1994年1月15日 - )… 小林 大誠(こばやし だいせい、1994年1月15日 - )は、青森県平川市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 5歳から野球を始める。平賀西中学校では「弘前シニア」でプレーした。野辺地西高校では3年時に故障したエースに代わって背番号「2」ながらも投手を務めた。夏の青森大会では6試合全てにおいて完投し、決勝で姉妹校の光星学院に敗れたものの準優勝に大きく貢献した。 2013年のBCリーグドラフトによって富山サンダーバーズに指名され入団。2013年、2014年は打撃面において結果が残せず、出場機会にも恵まれなかった。2014年シーズン終了後、選手分配ドラフトによって新球団である武蔵ヒートベアーズに移籍。
外崎 修汰(とのさき しゅうた、1992年〈平成4年〉12月… 外崎 修汰(とのさき しゅうた、1992年〈平成4年〉12月20日 - )は、青森県弘前市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 弘前市内でリンゴの農家を営んでいる家庭に生まれる。生まれる前年に台風19号(別名・りんご台風)による甚大な被害を受け、莫大な借金を負っていた。両親ともにバスケットボール経験者であり、母親は元社会人バスケットボール選手である。自宅の庭にバスケットのリングがある環境で育ったが、男子のミニバスチームが地域に無かった為本格的に競技を始めるには至らなかった。 弘前市立桔梗野小学校4年生の時に桔梗野ボンバーズで軟式野球を始める。弘前市立弘前第四中学校では1年生時に弘前地区で初めての中学硬式野球チームとして誕生した弘前シニアに1期生として入団。
大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - … 大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - )は、青森県つがる市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
荒道 好貴(あらみち よしたか、1992年2月28日 - )… 荒道 好貴(あらみち よしたか、1992年2月28日 - )は、青森県八戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 6歳から兄の影響で野球を始め、小学3年の時に野球部所属し、中学1年の時に外野手から内野手へ転向。 八戸工業高等学校に進学し、高校1年春にベンチ入りし、オープン戦では当時同学年の花巻東の菊池雄星と1年生対決。結果は、ピッチャーゴロ。 八戸工業大学に進学し、50m走6秒、遠投115mという俊足強肩として活躍。1年春の時からベンチ入りし、2年の北東北大学野球春季リーグ2部では、首位打者、打点王、盗塁王、最優秀選手とDHのベストナインを、獲得した。4年秋には打率.447をマークし、自身初の二塁手部門のベストナイン、に選出。
董 偉(とう い、ドン・ウェイ、1990年2月22日 - … 董 偉(とう い、ドン・ウェイ、1990年2月22日 - )は、中華人民共和国出身の元プロ野球選手(捕手)。 2013年にワールド・ベースボール・クラシック中国代表に選出される。
溝江 香澄(みぞえ かすみ、1985年7月11日 - )は、… 溝江 香澄(みぞえ かすみ、1985年7月11日 - )は、青森県弘前市(旧・相馬村)出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。戸田中央メディックス埼玉監督。2010年世界選手権・銀メダリスト。愛称は「みぞ」。 八戸聖ウルスラ学院高等学校卒業。 2004年に神奈川県の日立ソフトウェアに入団。内野手(二塁手)として活躍。2008年と2012年には日本リーグのベストナイン賞に輝いた。2010年からは主将も務める。2度目のベストナイン賞を受賞した2012年に現役引退。 2013年3月、地元東北に根差した活動をしている楽天イーグルスのソフトボールスクールのコーチに就任。デンソーの染谷美佳とともに、東北のソフトボール発展・普及のため、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
森内 壽春(もりうち としはる、1985年1月2日 - )は… 森内 壽春(もりうち としはる、1985年1月2日 - )は、青森県青森市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 油川小学校で2年生の時にリトルリーグで野球を始めている。油川中学ではシニアリーグに所属して内野手と投手を兼任していた。八戸工大一高では3年時にダブルエースの一人となり、春季東北大会ではベスト8に進出。3年夏の県大会では準々決勝で先発し、同点の9回二死で2ストライクまで追い込んだ状況から決勝適時打を打たれて光星学院に敗れた。 2003年に青森大学へ進学し、時にはブルペンで400球以上投げ込むなどの練習を積み精神面も鍛えられた。野球部(北東北大学野球連盟加盟)では2年春のリーグ戦からベンチ入りして同年秋に初勝利を挙げている。
根市 寛貴(ねいち ひろたか、1982年10月21日 - )… 根市 寛貴(ねいち ひろたか、1982年10月21日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手(投手)。 高校2年夏の県大会決勝で先発したが2回を投げて降板し、敗退。秋の東北大会では初戦で完封、準々決勝では後藤伸也-渡辺雅弘のバッテリーを擁した東北高と対戦して救援登板したが延長11回サヨナラ負け。3年時の2000年、夏の甲子園に出場。大会最速の146km/hを記録した。2回戦10-8丹原高、3回戦4-3九州学院、準々決勝戦2-1樟南高戦では先発して青野毅と投げ合うと完投勝利で勝ち進み、青森県勢として1969年三沢高校以来のベスト4に進出。準決勝で、優勝した智弁和歌山高に5-7と敗退、惜しくも決勝戦進出はならなかった。
工藤 隆人(くどう たかひと、1981年3月30日 - )は… 工藤 隆人(くどう たかひと、1981年3月30日 - )は、青森県黒石市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。左投左打。 弘前実業高校時代は1年の夏に外野手のレギュラーを獲得し、夏の甲子園に出場。2年の秋からはエースとしても活躍、秋季東北大会でベスト8、3年夏は県大会ベスト4。 青森大学では細川亨の1学年下で、2年からレギュラーとして大学選手権ベスト8、秋はリーグ首位打者。4年生次には竹原直隆(城西大学)や鞘師智也(東海大学)らとともに外野手として2002年の第1回世界大学野球選手権日本代表に選ばれている。ベストナイン5回。JR東日本(JR東日本硬式野球部)では同い年で同期入社の小山良男と共に都市対抗などに出場した。
細川 亨(ほそかわ とおる、1980年1月4日 - )は、青… 細川 亨(ほそかわ とおる、1980年1月4日 - )は、青森県東津軽郡平内町出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・コーチ。 右投右打。モデル・女優の細川愛倫は実娘。また子息の細川旺輝は独立リーグに所属する野球選手である。 青森県東津軽郡平内町生まれ。平内町立浅所小学校から平内町立小湊中学校へ進学。青森県立青森北高等学校では主将を務め、県大会では1年次から出場。2年時に内野手から捕手へ転向し、強肩強打の捕手として活躍したが、1年夏の県大会ベスト4止まりで甲子園出場はなかった。 青森大学では捕手として異例の1番打者として活躍し、先頭打者本塁打も記録。一塁手、遊撃手にも挑戦し、2年春は遊撃手でレギュラー、3年春から正捕手となり3年春・4年春には北東北大学リーグのベストナインに選ばれた。
中村 渉(なかむら わたる、1979年8月19日 - )は、… 中村 渉(なかむら わたる、1979年8月19日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球指導者。 従兄弟に元サッカー選手の石亀晃がいる。 五戸町出身。青森県立八戸西高等学校では県大会2回戦が最高成績で、全国的には無名だった。 青森大学では細川亨と同級生だったが、中村は大学進学直後に肘を痛め、また人間関係が合わなかったこともあり、公式戦に1度も登板することなく3年生の春に退部した。その後は同好会で野球を楽しみながら、アメリカンフットボール部に入部した変り種であった。 大学卒業時には肘の痛みは完治しており、実家の畳屋「中村畳工店」を手伝いながら地元のクラブチーム・三菱製紙八戸クラブに入部し、引き続き野球を楽しんでいた。
兜森 崇朗(かぶともり たかあき、1979年7月26日 - … 兜森 崇朗(かぶともり たかあき、1979年7月26日 - )は、青森県青森市出身の日本の高校野球指導者。社会科・ 地理歴史科・公民科教諭。 筒井中学校では3年時にエースとして全国大会に出場。高校は現在指導している青森山田高等学校に進学。同校のエースとして活躍した。2年時の秋季東北大会準優勝、3年時の夏は、県予選決勝まで勝ち進んだがいずれも光星学院(現八戸学院光星)に阻まれ選手としての甲子園出場歴はない。 青森大学卒業後、青森山田中学校教員の傍ら、2003年に設立した青森山田リトルシニアの初代監督に就任する。2015年に青森山田高校の野球部監督に就任。これまで春夏合わせて4度の甲子園出場を果たしている。
洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は… 洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は米とニンニクを栽培する農家で、六戸町立六戸小学校3年生から野球を始める。中学生時代までは軟式野球でのプレーを経験していたが、光星学院高校(現在の八戸学院光星高校)への進学を機に硬式野球部へ入ると、1年時の1994年夏からエースとして活躍。3年間でストレートの球速を20 km/h上げた末に、サイドスローから最速142 km/hのストレートを投げ込む速球派の左投手として、NPB球団のスカウトから注目されるまでに成長した。もっとも、夏の県大会では3年生だった1996年まで3年連続で決勝戦で敗れるなど、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であり、「悲運のサウスポー」とも呼ばれた。
佐々木 明義(ささき あきよし、1971年7月20日 - )… 佐々木 明義(ささき あきよし、1971年7月20日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。 三沢商業高では高校通算35本塁打を記録。2年夏は県大会ベスト8まで進出した。 1989年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブレーブスから6位指名を受け入団。 プロ5年目の1994年に一軍初出場を果たすが、1995年シーズン開幕直後に四條稔とのトレードで読売ジャイアンツへ移籍。移籍後は徐々に出場機会を増やし、2000年にプロ初本塁打を放っている。 二軍では3割前後の打率を残すことも多く、1998年には俊足を生かしイースタン盗塁王を獲得するなど活躍していたものの、一軍の厚い選手層に阻まれ定着できなかった。
斎藤 春香(さいとう はるか、1970年3月14日 - )は… 斎藤 春香(さいとう はるか、1970年3月14日 - )は、青森県弘前市出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。元日立ソフトウェア所属。元ソフトボール日本代表監督。2008年北京オリンピック優勝監督。 弘前市立第一中学校に入学してソフトボール部に入部し、青森県立弘前中央高等学校に進学後もソフトボールを続けた。 高校を卒業して1部リーグの実業団・日立ソフトウェアで活躍。二塁手として、1部リーグのベストナイン賞に3回、打者としては2回選ばれた非常に優秀な選手であった。選手生活の後半〜終わり頃には、特に打者として活躍し、チームでは1番、左打者を任されチームをリーグ戦の上位に幾度となく導いた。また、アトランタ、シドニー、アテネと3大会連続で五輪に出場し、日本の主砲としてその実力を発揮した。
葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森… 葛西 稔(かさい みのる、1967年5月5日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・スカウト。 実家は弘前城の近くで鮮魚店を営んでいた。弘前市立城西小学校時代に軟式野球の全国大会へ出場し、チームはベスト4の成績を残す。その後、弘前市立第二中学校(弘前二中)を経て、宮城県の東北高等学校へ進学。 東北高校では佐々木主浩の控え投手兼一塁手及び三塁手として活躍、2年次の秋季東北大会では不調の佐々木に代わり主戦投手として準優勝、春の選抜高校野球大会出場の原動力となる。3年次には主に6番・一塁手として夏の甲子園でチームのベスト8入りに貢献。県大会は4番をつとめたが、甲子園では佐々木に4番を譲り、自身は6番打者だった。
長利 礼治(おさり れいじ、1965年10月15日 - )は… 長利 礼治(おさり れいじ、1965年10月15日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手(内野手)。 青森商業高から、1983年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受け入団。 青森県出身のプロ野球選手が少ない時代にスラッガーとして期待されたが、一軍出場機会がないまま、1989年限りで現役を引退。 退団後は郷里に戻り、旅行代理店に勤めた。
橋本 武広(はしもと たけひろ、1964年9月18日 - )… 橋本 武広(はしもと たけひろ、1964年9月18日 - )は、青森県上北郡七戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 七戸高時代は甲子園出場こそないものの、その非凡なセンスは青森県内で知れ渡っていた。3年次の1982年、春季東北大会県予選準々決勝では八戸西高を相手に延長10回まで無走者無失点、延長18回まで零封(0-0で再試合の末に敗退)という記録を作った。同年県大会はノーヒットノーランも達成して準決勝に進むが、木造高に敗退。 高校卒業後、東京農業大学へ進学。東都大学リーグでは長く二部に低迷していたが、4年次の1986年春季で二部優勝、入替戦で日大を降し一部昇格に貢献した。秋は専修大の関清和に2戦連続で投げ勝ち2勝5敗、防御率1.95の成績を残すも、チームは最下位となって入替戦でも敗れた。
長内 孝(おさない たかし、1957年8月30日 - )は、… 長内 孝(おさない たかし、1957年8月30日 - )は、青森県青森市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者、解説者。
柿崎 幸男(かきざき ゆきお、1956年11月28日 - )… 柿崎 幸男(かきざき ゆきお、1956年11月28日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 三沢高校から1974年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名され入団した。1978年に1軍初出場し、18試合に出場。1980年も28試合に出場するが、守備や代走での出場に留まり打席に立つ事は無かった。この年を最後に現役を引退した。 あぶさんに張本勲と共に登場人物として描かれたことがある。
太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日 - )は、… 太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、スポーツキャスター、日本女子プロ野球機構スーパーバイザー。 アメリカ軍人男性と青森市の日本人女性との間に生まれたといわれる。3歳のとき三沢基地の軍属をしていた日本人男性と白系ロシア人女性の夫妻の養子となり、一人っ子として育つ。養母に関しては、ラジオ番組の中でスラヴ人ではなくフランス人の子孫だと明かしている(一方で、満州で通訳をしていた日本人男性が満州で出会った白系ロシア人女性と結婚し、生まれた子が太田であるとの本人の回想もある)。 小学4年の時に野球を始める。当時は野手だったが、三沢一中2年の時に投手に転向した。
八重沢 憲一(やえざわ けんいち、1951年9月30日 - … 八重沢 憲一(やえざわ けんいち、1951年9月30日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。 三沢高では遊撃手として、同学年でエースの太田幸司とともに3季連続で甲子園に出場。1968年夏の選手権は2回戦に進むが、海星高に敗退。翌1969年春の選抜は1回戦で楠城徹のいた小倉高を降すが、2回戦で浪商に敗れる。同年夏の選手権では一番打者としてチームを牽引し、準決勝では玉島商のエース松枝克幸(法大-西川物産)の好投に苦しむが3-2で辛勝。決勝は太田と松山商の井上明との投げ合いとなり、延長18回0-0で引き分け。翌日の再試合の末2-4で敗退したものの、三沢高の準優勝に大きく貢献した。他の高校同期に捕手の小比類巻英秋(三和銀行)、四番打者、三塁手の桃井久雄(日大)がいる。
石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、… 石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。 青森商業高校から1963年に西鉄ライオンズへ入団。シュートボールを武器とした。1967年に引退。
渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は… 渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - … 中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 八戸高校では、3年生の時にエースとして1956年春の選抜に出場。選抜初出場で準決勝まで勝ち進むが、岐阜商の清沢忠彦に抑えられ敗退。同年夏の甲子園予選奥羽大会でも決勝に進むが、秋田高に惜敗、甲子園出場を逸する。高校同期に一塁手の福島孟男(近鉄)がいた。 1957年に西鉄ライオンズへ入団。1959年に一軍に上がり、翌1960年には先発陣の一角として8勝をあげる。しかしその後は故障もあって伸び悩み、1963年限りで引退した。 スライダー、カーブを武器とした。
三浦 方義(みうら まさよし、1933年8月23日 - )は… 三浦 方義(みうら まさよし、1933年8月23日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年… 広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原町(現:五所川原市)出身の元プロ野球選手(投手)。 青森県立五所川原農林高等学校から1942年に大和軍へ入団。8試合に登板し、完投を2度したものの0勝4敗に終わった。 翌1943年まで在籍し、この年は3試合の登板に留まった。5月23日の朝日軍戦では3回から4点ビハインドの場面で登板し5イニング2失点だったが、味方が7回に一挙7点を挙げ(広島自身も1打点をマーク)最後は片山栄次のリリーフを受けて唯一の勝利を記録した。 2025年時点において、五所川原出身で唯一のプロ野球選手である。
福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944… 福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944年)は、日本のプロ野球選手(投手)。青森県青森市出身。 1938年(昭和13年)に青森県立商業学校を卒業後、青森林友倶楽部野球部(青森営林局の社会人野球チーム)へ入団。6月に行われた函館太洋倶楽部(北海道の強豪チーム)との試合で勝利投手となり、7月に行われた都市対抗野球大会県予選では3試合に登板・好投する活躍を見せた。秋にライオン軍へ入団しプロ入り。 入団時は捕手であったが、チームに投手が4人しかいない事情もあり、投手へ転向した。球団名が「朝日軍」となった1941年(昭和16年)はシーズンの敗戦数が28敗となり、これは現在も日本プロ野球(NPB)歴代2位の記録となっている。
成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - … 成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - 1989年10月17日)は、青森県青森市出身のプロ野球選手、政治家。 青森中学校から専修大学へ進学も中退。仙台鉄道局から青森林友を経て1936年に東京巨人軍へ入団。選手としての才能はなかったが、何となく好感のもてる選手だった。1938年秋季頃に体調を崩し、療養に努めたが同年で退団。 1974年に青森市議会へ自由民主党から出馬し当選。4期議員を務めた。
久慈 次郎(くじ じろう、1898年〈明治31年〉10月1日… 久慈 次郎(くじ じろう、1898年〈明治31年〉10月1日 - 1939年〈昭和14年〉8月21日)は、昭和初期にアマチュア野球で活躍した日本の野球選手(捕手)。 函館のクラブチーム・函館太洋倶楽部で活躍したが、試合中に送球を頭に受け死亡した。 岩手県盛岡市出身(青森県青森市生まれ)。盛岡中学を卒業後、早稲田大学商科に進学。身長5尺9寸(約179cm)の恵まれた体格と強肩の持ち主で、在学中からリーダーシップを発揮。また、野球部監督の飛田穂洲に心酔し、「一球入魂」を座右の銘としていた。既に大学時代にはまだプロ入りすらしていなかった段階にも拘らず「捕手の神様」と評された。 1922年(大正11年)大学卒業後は北海道函館市の函館水電に入社、同社に勤めながら函館太洋倶楽部(函館オーシャン)でプレーした。
種市 篤暉 は、青森県三沢市出身のプロ野球選手(投手)。右投… 種市 篤暉 は、青森県三沢市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
山内 健治(やまうち けんじ)は、日本の元アマチュア野球選手… 山内 健治(やまうち けんじ)は、日本の元アマチュア野球選手(捕手)。 青森高校から関東学院大学に進学する。1965年の第14回全日本大学野球選手権大会に出場したが、2回戦で松山商大に敗れた。翌年のドラフト会議で東京オリオンズから3位指名を受けたが、入団を拒否した。神奈川大学野球リーグベストナイン2回。 大学卒業後は川崎トキコに入るがチーム解散により1967年からいすゞ自動車に移籍し、1968年の都市対抗野球から補強選手もあわせて4年連続出場を果たした。インサイドワークも抜群であった。