金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日… 金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日 - 1973年(昭和48年)10月20日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 茨城県新治郡真鍋町(土浦市大字真鍋を経て、現在は土浦市真鍋)で生まれる。1919年(大正8年)、茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 日神酒造社長、ニッシン興業社長、湖南通運専務取締役、アサヒ産業社長、土浦商工会議所会頭などを務めた。 1947年(昭和22年)、茨城県議会議員に当選。民主党に所属して同党茨城県支部総務に就任。1948年(昭和23年)に県議を辞職し、1949年(昭和24年)1月に実施された第24回衆議院議員総選挙で茨城県第3区に民主党公認で出馬して当選し、その後改進党に所属して衆議院議員に1期在任した。
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16… 郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。
北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - … 北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - 1981年7月19日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員、外務省参与、内閣官房副長官を務めた。 茨城県筑波郡大穂村大字長高野(現在のつくば市長高野)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から東京商科大学(現在の一橋大学)に進学し、1925年に卒業すると外務省に入る。入省して直ぐアメリカに赴任しプリンストン大学でM.A.の学位を取得(1927年)、斎藤博大使の下で対米交渉の一員として加わるが斎藤大使の死去に伴い帰国する。その後は香港で中華民国との和平工作に従事するが、1941年に在中華民国(汪兆銘政権)大使館一等書記官兼北京総領事となり、1943年にはビルマ大使館に参事官として赴任し、ビルマ首相のバー・モウが日本軍の敗走と共に亡命する際に案内役となった。
橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 … 橋本 登美三郎(はしもと とみさぶろう、1901年3月5日 - 1990年1月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、運輸大臣(第40代)、建設大臣(第19代、第26代)、内閣官房長官(第27代、第28代)、自由民主党幹事長(田中内閣)、自由民主党総務会長(佐藤内閣)などを歴任した。 茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)の回送問屋の家に生まれた。当初父は「三郎」という名を考えていたが、親戚が生まれた子供に三郎と名づけたので、母親の名前をつけて「登美三郎」と命名したという。旧制佐原中学(現:千葉県立佐原高等学校)から、早稲田大学政治経済学部に入学。在学中は雄弁会に所属し、「闘将」と称された。 1927年(昭和2年)に大学卒業後、朝日新聞社に入社する。
中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月… 中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月23日 – 1949年(昭和24年)11月3日)は、衆議院議員(立憲民政党)。厚生政務次官、陸軍参与官。ジャーナリスト。 茨城県に警察官の息子として生まれる。父の配属の都合で東京・茨城を転々としながら、水戸中学校に入学するも教師を批判したことで放校処分となり、日本中学校を卒業。日本大学専門部を中退し、やまと新聞に入社し水戸支局に入り、1922年(大正11年)に報知新聞へ移って土浦支局長になった。のち茨城民報を創刊するが、茨城民報はいはらき新聞に吸収合併され、そのままいはらき新聞社の取締役を務めた。 土浦町会議員、茨城県会議員に当選する一方で、茨城県出身の民政党代議士原脩次郎が拓務大臣に就任すると拓務省嘱託となり、ついで原が鉄道大臣に就任すると鉄道省嘱託となった。
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年… 小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日 - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。 次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
山本 敏雄(やままと としお、1899年(明治32年)4月2… 山本 敏雄(やままと としお、1899年(明治32年)4月27日 - 1971年(昭和46年)11月4日)は、日本の政治家。元茨城県水戸市長(5期)。 茨城県出身。1917年、茨城県立水戸中学校卒業。小学校代用教員を経て東京堂に勤務。水戸市会議員から水戸市助役となる。1947年、当時の水戸市長・風戸元愛が公職追放令により市長を辞職。市長選挙に立候補し、当選する。爾来5期20年に亘り市長の座にあった。水戸市から名誉市民を贈られた。
大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日… 大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日 - 1969年(昭和44年)1月29日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)、茨城県多賀郡高萩町長。 茨城県出身。1917年(大正6年)茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業した。 高萩町会議員、高萩町長、同消防団長、茨城県会議員、同議長などを務めた。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙に茨城県第2区から改進党公認で出馬して初当選。第27回総選挙で再選されたが、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙は次点で落選。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙と第30回総選挙で再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月1… 宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月17日 - 1973年(昭和48年)12月6日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、茨城県久慈郡太田町長、常陸太田市長、同名誉市民。旧姓は立川。 茨城県久慈郡太田町(現常陸太田市)で、立川義之の三男として生まれる。茨城県立太田中学校(現茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)を経て、1921年(大正10年)早稲田大学政治経済科を卒業した。 1921年、明治屋に入社し、1926年(大正15年)に丸の内支店次長で退職して帰郷した。書籍・学用品販売業の宮田家の養子となった。茨城新聞社に入社し、営業局外交部長に就任。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙に大学の恩師五来欣造が茨城県第2区から立候補した際に、選挙事務長を務めたが五来は落選した。
河原田 巌(巖、かわらだ いわお、1898年(明治31年)2… 河原田 巌(巖、かわらだ いわお、1898年(明治31年)2月28日 - 1951年(昭和26年)2月28日)は、大正から昭和期の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 茨城県東茨城郡吉田村吉沢(現水戸市堀町 )で、河原田太三郎の三男として生まれる。東京世田谷自動車学校を卒業した。 福島自動車学校教授を経て、東洋自動車学校を設立して校長兼教員となる。1940年(昭和15年)自動車学校を廃校し貨物自動車運送業を営む。1944年(昭和19年)茨城県北部貨物自動車運送、茨城県南部自動車運送の各取締役社長に就任。1945年(昭和20年)平潟町定置網漁業の網元となる。1946年(昭和21年)茨城水産工業取締役社長に就任。
川嶋 虎之輔(かわしま とらのすけ、1897年(明治30年)… 川嶋 虎之輔(かわしま とらのすけ、1897年(明治30年)11月1日 - 1984年(昭和59年)7月2日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。八千代市議会議長。川島と表記される場合がある。 和歌山県出身。陸軍主計大尉・川嶋守太郎の息子として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し重砲兵第3連隊付となる。1922年(大正11年)12月、砲兵中尉に昇進。1925年(大正14年)12月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官し下志津陸軍飛行学校教官に就任。
菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月2… 菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月20日 - 1976年(昭和51年)11月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、茨城県議会議長。 茨城県新治郡真鍋町殿里(現在の土浦市殿里)で、旧家・菊田広恵の長男として生まれる。1912年(大正元年)茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 土浦商工会議所会頭、湖南通運社長、環産業社長、高津油機社長、霞ケ浦食品工業社長、日神酒造社長、丸果生果社長、関東銀行(現在の筑波銀行)取締役会長などを務めた。その他、茨城県農業会長、同県蚕種協同組合長、同県観光連盟会長、新治郡真壁町農会長、同町産業組合専務理事などに在任した。
鈴木 一司(すずき いちじ、1897年(明治30年)2月28… 鈴木 一司(すずき いちじ、1897年(明治30年)2月28日 - 1997年(平成9年)3月24日)は、大正から昭和期の獣医師、政治家。参議院議員(1期)。 茨城県多賀郡高萩村(松原町、高萩町大字高萩を経て現高萩市)で生まれる。1916年(大正5年)青森県畜産学校(現青森県立三本木農業高等学校)を卒業した。 高萩町会議員、茨城県獣医師協会長などを務めた。1947年(昭和22年)茨城県会議員に選出され5期在任。県議会では、農地委員長、議会運営委員長、副議長、議長(2期)、行政機構調査特別委員長、農業基本問題調査特別委員長、原子力開発特別委員長を歴任した。その他、茨城県教育委員、県監査委員なども務めた。
柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年… 柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年〈明治28年〉7月21日 - 1978年〈昭和53年〉11月8日)は、明治期から昭和期にかけての地主であり、醤油醸造家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 常陸国鹿島郡の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の孫(四代目)。 茨城県鹿島郡若松村大字柳川新田(現:神栖市柳川)に、農業や醤油醸造業を営む第三代・柳川宗左衛門の長男・謙一として生まれる。1911年(明治44年)家督を相続。1913年(大正2年)東京市の京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)を卒業した。 父が小作人のために設立した産業組合、柳川信用販売組合を継承し発展させた。
佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7… 佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7月9日 - 1984年(昭和59年)7月7日)は、日本の政治家、実業家。所属政党は戦前は立憲政友会→政友会革新同盟→日本進歩党、公職追放解除後は自由党→自由民主党。衆議院議員を通算10期務めた。 茨城県猿島郡古河町(現在の古河市)の旧家・佐藤長之助の長男として生まれる。慶応義塾大学中退。古河町会議員、茨城県会議員、同副議長を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙で茨城県3区(当時)から政友会公認で立候補して初当選。1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新派に参加。1942年の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
渡辺 覚造(わたなべ かくぞう、1891年(明治24年)6月… 渡辺 覚造(わたなべ かくぞう、1891年(明治24年)6月30日 - 1972年(昭和47年)3月1日)は、日本の医師、政治家。貴族院議員多額納税者、水戸市長、医学博士。 茨城県久慈郡世矢村(現・常陸太田市)出身。茨城県立太田中学校卒、1919年(大正8年)旧制愛知医科大学(現・名古屋大学医学部)卒。同大学付属病院に勤務。1929年(昭和4年)に水戸市で病院を開業する。1936年(昭和11年)大洗海岸に結核患者のサナトリウム大貫海岸病院を開設した。 1942年(昭和17年)1月、茨城県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税議員に互選され、同月23日に就任し同成会に所属。同年10月、水戸市会の推薦により水戸市長に就任した。
豊田 豊吉(とよた とよきち、1890年(明治23年)2月1… 豊田 豊吉(とよた とよきち、1890年(明治23年)2月13日 - 1943年11月11日)は、日本の政治家。衆議院議員4期、大蔵参与官、東京市助役を歴任した。
幡谷 仙次郎(はたや せんじろう、1889年8月20日 - … 幡谷 仙次郎(はたや せんじろう、1889年8月20日 - 1964年1月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県東茨城郡小川町(現小美玉市)で、豪商・幡谷仙之助の二男として生まれた。日本大学法律科に学ぶ。小川町長となる。小川繭糸市場社長、石岡地区通運(株)監査役、鹿島参宮通運(株)社長を務める。 1949年の第24回衆議院議員総選挙において茨城1区から民主自由党公認で立候補して当選した。衆議院議員は1期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1964年死去。
大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 … 大内 竹之助(おおうち たけのすけ、1888年12月12日 - 1965年11月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県多賀郡、のちの高鈴村(助川町を経て現日立市)出身。1907年茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。高鈴村議、助川町議、茨城県会議員、同農会議員、助川町長となる。 1937年の第20回衆議院議員総選挙において茨城2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務めた。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補せずに引退。終戦後、公職追放となった。 このほか常陸セメント(株)常務取締役、同社長、茨城いすゞ自動車(株)取締役、茨城相互銀行(現・筑波銀行)取締役会長を務めた。
飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月1… 飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月13日 - 1946年(昭和21年)5月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→昭和会)、弁護士。 茨城県筑波郡真瀬村(現在のつくば市)出身。飯野茂吉の二男として生まれ、1910年(明治43年)に茨城県会議長飯村忠七の婿養子となった。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学を卒業後、一年志願兵制度によって陸軍三等主計に任じられた。退役後は弁護士を開業した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。その間、米内内閣で厚生参与官を務めた。1935年(昭和10年)には昭和会を結党にも参加している。
天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉… 天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉2月18日 - 1974年〈昭和49年〉7月15日)は、日本の政治家。茨城県土浦市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 茨城県出身。旧制土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校)を経て、1909年に早稲田大学商学部を卒業する。1919年に茨城県会議員となり、この間、1927年から真鍋町長も務めた。1931年10月に第36代茨城県会議長となる。1935年10月に議長を退任する。1936年の第19回衆議院議員総選挙では原脩次郎の後継者として茨城3区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。 戦後の1947年、土浦市長選挙に立候補して当選した。
飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10… 飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10月20日 - 1964年(昭和39年)2月21日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、貴族院勅選議員、茨城県旧古河市長。 茨城県西葛飾郡古河町(現:古河市)で、製糸業・飯島政吉の長男として生まれる。1909年(明治42年)家業を継承した。 武州銀行相談役、飯島商店社長、日本特殊合金鋳工社長、長島製糸所代表、古河町農会長、日本赤十字社特別社員、済生会特別会員などを務めた。 1936年(昭和11年)4月、古河町長に就任し同年11月まで在任。1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1941年(昭和16年)10月2日に辞任した。
大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年… 大久保 留次郎(おおくぼ とめじろう、1887年(明治20年)5月12日 - 1966年(昭和41年)11月19日)は、日本の内務及び台湾総督府官僚、政治家。第18代東京市長。衆議院議員(4期)。 茨城県行方郡吉川村(津澄村、北浦村、北浦町を経て現行方市吉川)で大久保佐吉の次男として生まれる。生家は農家。1913年(大正2年)東京高等師範学校(筑波大学の前身)地歴科卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入省、警察畑を歩む。新橋、牛込、神楽坂各警察署長、警視庁特高課長、刑事部長、官房主事、台湾総督府警務局長を歴任。この間、堺利彦、徳田球一らが検挙された第1次共産党事件(1923年)、約1600人が検挙された三・一五事件(1928年)など、共産党員の大量検挙事件の指揮にあたる。
河盛 安之介(かわもり やすのすけ、1886年〈明治19年〉… 河盛 安之介(かわもり やすのすけ、1886年〈明治19年〉10月29日 - 1976年〈昭和51年〉7月24日)は、昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。大阪府堺市長(第9代〈官選〉、第13代〈公選〉)。堺市「100万都市(政令指定都市)」生みの親。 竹内権兵衛の三男として茨城県に生まれ、のち河盛又三郎の養子となる。1909年(明治42年)東京高等商業学校本科を卒業し、のち専攻部を修業する。1921年(大正10年)広島県呉市に合資会社河盛商店を創業し業務執行社員を務める。翌年の1922年(大正11年)には有限責任堺興業信用組合を創立し組合長理事となった。ほか、堺醤油製造合資会社業務担当社員などを経て、河又醤油社長、南海土地建物取締役、河盛商店監査役、大醤(河又醤油とイヅミイチ(大阪府貝塚市)が合同で設立)初代社長などを歴任した。
山崎 猛(やまざき たけし、1886年(明治19年)6月15… 山崎 猛(やまざき たけし、1886年(明治19年)6月15日 - 1957年(昭和32年)12月27日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議長(第38代)、運輸大臣、衆議院議員などを務めた。 茨城県水戸市出身。長倉松平家家老の家筋である山崎直の四男。11歳で家族と共に上京し、麻布中学、旧制第一高等学校を呼吸器の病気で中退した後、静岡県の代用教員から徳富蘇峰の招きで京城日報の記者に。さらに大連へ移って満洲日報社長を務める。東洋拓殖の副総裁であった、立憲政友会の政治家野田卯太郎の知遇を得、姪婿となるなど政治の基礎を作った。 原内閣で中橋徳五郎文部大臣の秘書官を務めた後、1920年(大正9年)の総選挙で立憲政友会公認で埼玉県第4区から総選挙に立候補し初当選、以後衆院議員を10期務め、廣田内閣では農林政務次官に就任。
風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日… 風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日 - 1961年〈昭和36年〉12月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。立憲民政党、国民同盟、日本社会党に所属し、衆議院議員を9期務めた。第1次近衛内閣で内閣書記官長、第2次近衛内閣で司法大臣を歴任。茨城県豊田郡水海道町(現在の常総市)出身。水海道市名誉市民。 茨城県豊田郡水海道町高野の農家に、二男三女の末子として生まれる。1898年、旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)に入学(風見は入学者中最年少であり、周囲は年上ばかりだったという)。その後、家からの距離が遠かったため旧制下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に転入する。
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月… 黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月28日 - 1982年(昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業、現在の雪印メグミルク)創業者、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の父、北海道開発の父と呼ばれる。 1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現:常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父による過度の飲酒がもとで負債をつくり、家計は常に苦しかった。
大和田 健三郎(おおわだ けんざぶろう、1884年(明治17… 大和田 健三郎(おおわだ けんざぶろう、1884年(明治17年)12月 - 1943年(昭和18年)8月4日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 茨城県新治郡石岡(現・石岡市)出身。渡邊盛作の三男として生まれ、大和田三郎左衛門の養子となる。慶應義塾大学部理財科で学んだ。 1917年(大正6年)より石岡町会議員のほか、新筑酒造、新筑醤油醸造各組合長、鹿島参宮鉄道、北総電気、茨城電気の各取締役などを歴任する。 のち茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、1932年(昭和7年)9月29日から1939年(昭和14年)9月28日まで1期在任し、同成会に所属した。
宮原 庄助(みやはら しょうすけ、1884年(明治17年)5… 宮原 庄助(みやはら しょうすけ、1884年(明治17年)5月18日 - 1963年(昭和38年)5月8日)は、明治末から昭和期の漁業家、政治家。衆議院議員、茨城県会議長、茨城県那珂郡那珂湊町長、初代那珂湊市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。幼名・長松。 茨城県那珂郡湊村牛久保(湊町牛久保、那珂湊町、那珂湊市を経て現ひたちなか市牛久保)で、漁業家・宮原卯之松の長男として生まれる。湊尋常高等小学校を卒業。横須賀海兵団に入団し日露戦争に従軍して除隊した。 1908年(明治41年)12月に家業を継承した。漁業の全般の改良に務め、1920年(大正9年)2月、茨城製網常務取締役に就任。その他、湊漁業組合長、湊水難救済会長、那珂郡水産会長、茨城県漁業組合連合会長、同漁船保険組合長、同水産業会長、同信用漁業協同組合連合会長、水戸魚市場取締役、日本油脂販売監査役、宮庄漁業社長などを務めた。
来栖 七郎(くるす しちろう、1883年(明治16年)7月2… 来栖 七郎(くるす しちろう、1883年(明治16年)7月20日 - 1928年(昭和3年)5月24日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 茨城県北相馬郡北文間村(現在の龍ケ崎市)出身。日本法律学校を経て、東京政治学校を卒業。二六新報記者、同理事、帝国通信記者、自由通信社理事などを歴任。さらに殖民協会理事長を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。次の第16回衆議院議員総選挙でも再選された。
高柳 淳之助(たかやなぎ じゅんのすけ、1882年〈明治15… 高柳 淳之助(たかやなぎ じゅんのすけ、1882年〈明治15年〉10月16日 - 1964年〈昭和39年〉11月17日)は、日本の実業家、政治家、著述家、詐欺師。筆名に高柳 曲水(-きょくすい)、翠崖(-すいがい)、鬼外(-きがい)などがある。 実業家としては「鉄道に賭けた男」、「通販史上に輝く巨星」、「今でいう企業再生ファンドのような・・・」などと、その創造力や先見性が注目された。その一方で、蓄財書を出版して投資家を集めるなか池上電気鉄道事業で詐欺・横領などの容疑で逮捕され、「貯金魔」「虚業家」などと呼ばれた。 1882年(明治15年)、茨城県行方郡要村(現在の行方市小幡)に生まれる。同村の旧制要小学校(後の行方市立要小学校)を卒業し、茨城県立尋常中学校(旧制茨城県立水戸中学校→茨城県立水戸第一高等学校)に入学。
浜 平右衛門(濱、はま へいえもん、1882年(明治15年)… 浜 平右衛門(濱、はま へいえもん、1882年(明治15年)7月27日 - 1949年(昭和24年)4月25日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。幼名は小太郎。 浜佐太郎の長男として、茨城県新治郡石岡町(現在の石岡市)に生まれる。1898年(明治31年)1月、家督を相続し、改名する。実業界にて石岡電気、鹿島参宮鉄道、北浦電気、太田製糸、常南電気、北総電気の各社長、常磐銀行、石岡銀行、水戸電気鉄道の各取締役など重役を歴任。ほか、茨城県醤油醸造組合、同信用組合の各組合長を務めた。 地方政界においては、石岡町会議員、同消防組頭、産業組合中央金庫評議員などを歴任した。
石橋 茂(いしばし しげる、1882年(明治15年)5月1日… 石橋 茂(いしばし しげる、1882年(明治15年)5月1日 - 1946年(昭和21年)9月15日)は、日本の衆議院議員(立憲同志会→憲政会→立憲民政党)。弁護士。 茨城県行方郡要村(現:行方市小幡)出身。茨城県立水戸中学校、第一高等学校を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。卒業後は貴族院事務局に勤務し、立教大学講師を務めた。1912年(明治45年)、水戸市に弁護士事務所を開業。その後、水戸市議会議員を務めた。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 1917年(大正6年)、台北市に事務所を移し、台北弁護士会副会長、同会会長を歴任した。
内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治… 内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治13年)12月6日 - 1971年(昭和46年)1月7日)は日本の実業家、政治家。
石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月2… 石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月25日)は、大正から昭和前期の剣道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。 茨城県久慈郡、のちの久米村(金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で生まれる。1911(明治44年)に分家した。 中央大学で学び、銀行業に従事。大蔵省嘱託となり、狩猟調査委員を務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に茨城県第4区から出馬して初当選。以後、第15回、第16回、第18回、第19回総選挙で再選され、衆議院議員に通算5期在任した。この間、齋藤内閣と岡田内閣の陸軍参与官などを務めた。1935年(昭和10年)には、昭和会の結党にも参加した。
小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月… 小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月21日 - 1959年(昭和34年)2月11日)は、日本の船員、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 茨城県久慈郡馬場村(後の誉田村大字馬場、現在の常陸太田市馬場町)で、鋳物業・小泉長介、とみ夫妻の六男として生まれた。太田尋常小学校、太田町立太田高等小学校を経て、1893年4月、茨城県尋常中学校に入学。1896年3月、中学第3学年を修了後退学し、同年7月、官立商船学校(現在の東京海洋大学海洋工学部)航海科に入学。1902年1月、同校を卒業した。 大阪商船の貸費生であったので、卒業後直ちに同社に入社し監督課技士となる。1903年夏過ぎ、大阪商船を退職し、同年9月、三井物産船舶部に入社して阿蘇山丸に二等運転士として配属された。
河野 正義(こうの まさよし、1879年(明治12年)7月1… 河野 正義(こうの まさよし、1879年(明治12年)7月12日 - 1944年(昭和19年)11月18日)は、明治から昭和前期の著述家、実業家、政治家。衆議院議員、大日本国民中学会創立者。 茨城県行方郡、のちの武田村(北浦村、北浦町を経て現行方市)で、農業・河野清次の二男として生れた。小学校卒業後、家庭の事情で進学できず独学で学んだが、当時は適当な講義録がなかったため相当な困難を覚えていた。 1900(明治33年)に上京して出版社に勤務。商用で長野県から東北地方に向かい、秋田県のある寒村で一夜を酒屋で過ごした際に、隣の部屋で高等小学校卒の少年たちが中学講義録で独習をしていたが「此の講義録は非常に六ケ敷くて到底自分等には解しかねる。
金成 通(かねなり とおる、1879年(明治12年)6月20… 金成 通(かねなり とおる、1879年(明治12年)6月20日 - 1951年(昭和26年)8月10日)は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・蛭田。 茨城県多賀郡、のちの南中郷村(現北茨城市中郷町)で農業・蛭田源三郎の二男として生まれる。上京して商業を学んだ。福島県石城郡錦村(錦町、勿来市を経て現いわき市錦町)の農業・金成竹太郎の養嗣子となる。再度上京して経済学などを学んだ。 1905年(明治38年)に帰郷して磐東銀行(現東邦銀行)の創立に尽力した。1911年(明治44年)福島県会議員に当選したのを皮切りに、同参事会員、錦村長を歴任する。ほか、鮫南中堅農民学校長、東部電力顧問、植田水力電気社長、磐東銀行、福島県農工銀行各取締役などを務める。
高崎 三重郎(たかさき さんじゅうろう、1877年〈明治10… 高崎 三重郎(たかさき さんじゅうろう、1877年〈明治10年〉9月4日 - 1958年〈昭和33年〉11月11日)は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 茨城県行方郡、のちの麻生町(現行方市)出身。高崎新蔵の長男として生まれ、1894年(明治27年)7月に祖父三郎右衛門の後を受け家督を相続する。農業を営む。 麻生町会議員、行方郡会議員、同郡教育会副会長、麻生町労務委員、茨城県農工銀行監査役、佐原興業銀行取締役を歴任した。 1911年(明治44年)には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで1期務めた。
西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 … 西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 - 1950年(昭和25年)8月3日)は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた。 茨城県出身。西野元聿の長男として生まれる。水戸中学校、第一高等学校を経て、1902年(明治35年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。同年11月、文官高等試験行政科試験に首席合格。同年12月、臨時秩禄処分調査局属兼大蔵属に任官。一時期、上京してきた同郷の荒川敬を寄寓させていた。
竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10… 竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10月7日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は幸太郎。 茨城県久慈郡、のちの太田町(現常陸太田市)出身。先代権兵衛の長男として生まれ、1913年(大正2年)家督を相続と共に幼名を改める。 1914年(大正3年)以降、茨城県農工銀行監査役、日本製鋼取締役、日本赤十字社茨城支部商会議員などを歴任した。ほか、水浜電車社長、茨城土木工業、鹿島軌道、日立電気各取締役を務めた。 1918年(大正7年)9月29日には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、1921年(大正10年)5月17日に除名されるまで務めた。
小山田 信蔵(おやまだ しんぞう、1870年10月25日(明… 小山田 信蔵(おやまだ しんぞう、1870年10月25日(明治3年10月1日) - 1924年(大正13年)9月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 常陸国茨城郡水戸(現茨城県水戸市)で、水戸藩士・小山田勝貞の長男として生まれた。太田鉄道、豆相鉄道、隅田川倉庫各(株)社長、水戸商業銀行頭取、北海道炭礦鉄道(株)監査役となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において水戸市選挙区から立候補して当選する。1908年の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して再選し、1912年の第11回衆議院議員総選挙でも三選した。1915年の第12回衆議院議員総選挙は不出馬。1917年の第13回衆議院議員総選挙で復帰。
平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3… 平山 午介(ひらやま うますけ、1870年5月26日(明治3年4月26日)- 1959年(昭和34年)7月11日)は、明治から昭和期の逓信官僚、実業家、政治家。衆議院議員。 常陸国茨城郡、のちの茨城県水戸市赤沼町で平山貞吉の三男として生まれた。1891年(明治24年)6月に家督を相続した。青弘塾で漢籍を修め、経済学者塩澤昌貞と同門で共に将来を嘱望された。1886年(明治19年)に上京して苦学しながら普通学を修めた。 逓信省に入省し、通信事務官補、通信事務官、大阪郵便為替貯金管理支所長、郵便貯金局事務官、大阪貯金支局長などを歴任。この間、記帳の様式にルーズリーフ式を採用するなど貯金事務の改善に貢献した。
井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月… 井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日)- 1949年(昭和24年)6月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市)で水戸藩士・井坂幹の三男として生まれる。茨城県尋常中学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業し、東洋汽船会社に入社。 以後、東洋汽船会社取締役兼営業部長、横浜海上火災保険 (株) 専務取締役、同社長を務めた。経営破綻した七十四銀行の整理を行い、受け皿となる横浜興信銀行を設立し、副頭取、頭取を務めた。1921年(大正10年)4月、横浜商業会議所会頭に就任し関東大震災の復興に尽力した。
尾見 浜五郎(おみ はまごろう、1865年6月18日(慶応元… 尾見 浜五郎(おみ はまごろう、1865年6月18日(慶応元年5月25日)- 1932年(昭和7年)1月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 常陸国真壁郡吉間村(茨城県真壁郡村田村、明野町を経て現筑西市)出身。尾見家は代々吉間外15郷の割元名主を務め、農業を営む。村田村会議員、同村長、真壁郡会議員、同郡農会長となる。 1904年(明治37年)第9回衆議院議員総選挙において茨城県郡部から無所属で立候補して当選した。1908年(明治41年)第10回総選挙と1912年(明治45年)第11回総選挙は不出馬。1915年(大正4年)第12回総選挙では立憲政友会公認で立候補したが落選。1917年(大正6年)第13回総選挙で再選。
小久保 喜七(こくぼ きしち、1865年4月17日(慶応元年… 小久保 喜七(こくぼ きしち、1865年4月17日(慶応元年3月22日) - 1939年(昭和14年)12月14日)は、日本の政治家、自由民権家。従四位勲二等。中田文武館館長。号は城南。族籍は茨城県平民。 下総国猿島郡(のちの茨城県猿島郡新郷村中田、現在の茨城県古河市)出身。小久保藤吉の長男。幼い頃に母を失い、祖母に養われた。栃木県佐野町で先生に就いて漢学を学んだ。 1879年(明治12年)、郷里に帰り民権自由の説を唱え、自由民権運動に投じる。1883年(明治16年)春に有終会を組織し、又五州志士舟遊会を起し推されて幹事となる。さらに自由党結成大会に出席した。中田文武館を設立し自ら館長となり大に壮士を養う。
五十野 譲(讓、いその ゆずる、1864年5月15日(元治元… 五十野 譲(讓、いその ゆずる、1864年5月15日(元治元年4月10日)- 1912年(明治45年)1月1日)は、明治期の酒造家・政治家。衆議院議員。 常陸国行方郡次木村(新治県行方郡次木村、茨城県行方郡次木村、武田村次木、北浦村次木、北浦町を経て現行方市次木)で酒造家の家に生まれた。漢学を修めた。幼くして父を失い家業を継承した。 武田村会議員に就任。1892年(明治25年)自由党に所属して茨城県会議員に選出され、1895年(明治28年)まで在任した。 1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(茨城県第1区、憲政党)で当選し、衆議院議員に1期在任。1904年(明治37年)3月、第9回総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)では落選した
高倉 虎(たかくら とら、1862年12月21日(文久2年1… 高倉 虎(たかくら とら、1862年12月21日(文久2年11月1日) - 1924年(大正13年)1月27日)は、明治から大正時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 常陸国多賀郡(現茨城県高萩市)出身。所得税調査委員などを歴任した。 1921年(大正10年)茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され同年8月30日に就任したが、在任中に水戸市赤十字病院で胃癌のため死去した。
初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年… 初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年3月5日) - 1930年(昭和5年)5月31日)は、仏語教授、日本の政治家、ジャーナリスト。国会議員衆議院議員。自由民権運動の中心人物。 常陸国猿島郡東山田村(現在の茨城県古河市)出身。東山田村名主の豪農、茨城県多額納税者である初見吉左衛門の四男で土浦五十銀行の頭取を務めた初見敬二郎の長男。明治維新前初見家は代々北山田(きたやまた)の名主でした。農業を中心に大規模な土地経営を行い、地域の有力な地主として知られていました。東山田村は藍の生産地であり、利根川水運を通じて深谷や江戸方面に送られる流通ルート上にあったため、渋沢栄一の藍染業務時代から直接関わっていました。
平井 万太郎(萬太郎、ひらい まんたろう、1861年3月1日… 平井 万太郎(萬太郎、ひらい まんたろう、1861年3月1日(文久元年1月20日)- 1929年(昭和4年)8月20日)は、明治から大正期の酒造家、政治家。衆議院議員、茨城県稲敷郡根本村長。 常陸国河内郡上根本村(新治県河内郡上根本村、茨城県河内郡上根本村、根本村、稲敷郡根本村、新利根村上根本、新利根町を経て現稲敷市上根本)で酒造家の家に生まれた。漢学、詩文、簿記を修め、酒造業を営む。 1886年(明治19年)大同団結運動に加わり、のち立憲改進党に入党して自由民権運動を推進。根本村会議員、郡徴兵参事員、根本村長に在任。1890年(明治23年)茨城県会議員に選出され1895年(明治28年)まで在任した。