辺見 聡(へんみ さとし、1966年〈昭和41年〉4月21日… 辺見 聡(へんみ さとし、1966年〈昭和41年〉4月21日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1990年(平成2年)3月、一橋大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、同年4月に厚生省入省。入省後、世界保健機関や在ジュネーヴ国際機関日本代表部、社会保険庁への出向を経て、健康局疾病対策課臓器移植対策室長、大臣官房総務課企画官、社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課地域移行・障害児支援室長、同部障害福祉課長、老健局高齢者支援課長、同局振興課長、医薬・生活衛生局総務課長、大臣官房人事課長、大臣官房審議官(社会、援護、人道調査、福祉連携担当)、総務省大臣官房審議官(情報流通行政局担当)、社会・援護局障害福祉部長などを務めた。
平形 雄策(ひらかた ゆうさく、1964年〈昭和39年〉4月… 平形 雄策(ひらかた ゆうさく、1964年〈昭和39年〉4月13日 - )は、日本の農林水産官僚。 群馬県吾妻郡高山村出身。群馬県立沼田高等学校を経て、1989年(平成元年)3月、慶應義塾大学法学部を卒業。首都圏への一極集中や環境コストを考えていない経済発展に疑問を抱き、農林水産省の業務が自身の課題意識と近いことから同年4月、農林水産省に入省。 入省後、食品流通局総務課総括係長時代に阪神・淡路大震災が発生し、食品会社の支援などの対応にあたった。その後は米の生産調整や土地利用計画制度などに携わり、農林水産省大臣官房参事官、経営局協同組織課長、同局経営政策課長、食料産業局総務課長、農林水産省大臣官房予算課長、生産局農産部長などを歴任。
堀地 徹(ほっち とおる、1963年7月 – )は、日本の防… 堀地 徹(ほっち とおる、1963年7月 – )は、日本の防衛官僚。 群馬県出身。群馬県立前橋高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1987年 防衛庁入庁 長官官房総務課 2004年 管理局装備企画課装備企画調整室長 2005年 防衛施設庁大阪防衛施設局施設部長 2007年 大臣官房参事官 2008年 装備施設本部原価管理課長 2009年 防衛政策局防衛計画課長 2011年 内閣官房内閣参事官(沖縄連絡室) 2013年 経理装備局装備政策課長 2015年 防衛装備庁装備政策部長 2016年 南関東防衛局長 2019年 財務省函館税関長 2021年 防衛省防衛医科大学校副校長 兼 事務局長
土屋 喜久(つちや よしひさ、1962年〈昭和37年〉11月… 土屋 喜久(つちや よしひさ、1962年〈昭和37年〉11月17日 - )は、日本の厚生労働官僚。厚生労働省大臣官房審議官や、厚生労働省職業安定局長を経て、厚生労働審議官。 群馬県前橋市出身。1981年群馬県立前橋高等学校卒業。1984年国家公務員採用上級甲種試験 (法律)合格。1985年東京大学法学部卒業、労働省入省、労働基準局労災管理課。1986年福岡県労働部職業安定課。1987年労働省職業安定局特別雇用対策課。1989年労働省職業安定局高齢・障害者対策部企画課。1991年労働省大臣官房総務課。 1993年労働省職業安定局高齢障害者対策部障害者雇用対策課長補佐。1994年長野県社会部職業安定課長。
田島 淳志(たじま あつし、1962年11月15日 - )は… 田島 淳志(たじま あつし、1962年11月15日 - )は、日本の官僚。財務省関税局長、内閣審議官兼TPP等政府対策本部国内調整統括官を経て、楽天グループ執行役員社長室秘書役兼戦略本部上級本部長。群馬県前橋市出身。 群馬県立前橋高等学校から東京大学文科一類に入学、東京大学法学部卒業後、1986年大蔵省に入省する。1991年 岩国税務署長。1992年 理財局国有財産第一課課長補佐。その後各課課長補佐を経て、1997年 主計官補佐(科学技術第二係主査)。その後も科学技術第一係主査や文部係主査など文教や科学技術の予算を長く担当する。2001年 熊本県に出向。2003年から2006年は金融庁に勤務。2008年 主税局調査課長。
斉藤 和重(さいとう かずしげ、1961年〈昭和36年〉6月… 斉藤 和重(さいとう かずしげ、1961年〈昭和36年〉6月 - )は、日本の防衛官僚。 群馬県出身。群馬県立前橋高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科卒業。 1988年 防衛庁入庁 防衛局防衛課 2003年 防衛施設庁総務部総務課企画室長 2005年 防衛施設庁札幌防衛施設局施設部長 2007年 経理装備局装備政策課開発・調達企画室長 2008年 大臣官房参事官 2009年 装備施設本部企画調整課長 2010年 情報本部画像・地理部 2011年 経済産業省中小企業庁経済支援部新事業促進課長 2013年 内閣官房内閣参事官 2015年 情報本部情報官 2016年 大臣官房米軍再編調整官 2018年 防衛装備庁プロジェクト管理部長 2020年 防衛大学校副校長(企画・管理担当)
月橋 晴信(つきはし はるのぶ、1955年4月 – )は、日… 月橋 晴信(つきはし はるのぶ、1955年4月 – )は、日本の防衛官僚。 群馬県出身。群馬県立前橋高等学校を経て、東京大学法学部卒業。同期に鎌田昭良、筒井和人、山内正和など。
今井 敏(いまい さとし、1955年 - )は、日本の農水官… 今井 敏(いまい さとし、1955年 - )は、日本の農水官僚。勲等は瑞宝重光章。林野庁長官を経て、独立行政法人農林漁業信用基金理事長。 群馬県北群馬郡吉岡町出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学法学部卒業。
櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月1… 櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月14日 - )は、日本の郵政・総務官僚、実業家。総務事務次官、株式会社電通グループ代表取締役副社長などを歴任し、マルチメディア振興センター理事長。 群馬県前橋市出身。父は上毛新聞元専務の櫻井三男。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋高等学校を経て、1977年(昭和52年)に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。新卒で旧郵政省に入省した。その後、電気通信局電気通信事業部事業政策課長などを歴任し、日本電信電話の再編などの通信事業の自由化を主導した。 2001年(平成13年)に総務省が発足したのち、情報通信政策局総合政策課長、大臣官房参事官、総合通信基盤局電気通信事業部長、総合通信基盤局長、情報通信国際戦略局長などを歴任。
谷津 龍太郎(やつ りゅうたろう、1952年11月2日 - … 谷津 龍太郎(やつ りゅうたろう、1952年11月2日 - )は、日本の環境官僚、環境事務次官、中間貯蔵・環境安全事業株式会社代表取締役社長等を歴任した。 1952年11月2日群馬県太田市生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1976年3月東北大学工学部土木工学科卒業、厚生省入省。 1999年3月東北大学大学院工学研究科土木工学博士課程修了、工学博士。 1976年4月厚生省入庁後、環境庁大気保全局、厚生省水道整備課等を経て、1993年環境庁水質保全局企画課調査官、1995年平成7年環境庁企画調整局環境計画課計画官。1996年国連大学高等研究所派遣。1998年環境庁企画調整局地球環境部環境保全対策課調整官。
関 有一(せき ゆういち、1951年 - )は、日本の総務官… 関 有一(せき ゆういち、1951年 - )は、日本の総務官僚。消防庁審議官や、総務省大臣官房審議官、総務省行政評価局長等を経て、中央大学総合政策学部教授。 群馬県出身。群馬県立渋川高等学校を経て、1975年東北大学法学部卒業、行政管理庁入庁。1979年コーネル大学大学院政治学研究科修士課程修了。行政管理庁行政監察局企画担当課長補佐、総務庁行政管理局行政手続法制定準備室長等を歴任し、行政手続法策定などにあたった。 1999年総務庁長官官房会計課長。2001年総務省中国四国管区行政評価局長。2002年総務省郵政企画管理局次長。2003年消防庁審議官。2004年総務省大臣官房審議官。2005年総務省関東管区行政評価局長。
深谷 憲一(ふかや けんいち、1947年5月29日 - )は… 深谷 憲一(ふかや けんいち、1947年5月29日 - )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1971年に京都大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年より在タイ日本国大使館書記官を務める。1997年に大臣官房審議官、2000年6月に航空局長を歴任し、2002年8月に海上保安庁長官に就任。2004年7月に日本政策投資銀行理事に就任。 2018年11月に瑞宝重光章を受章。
富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月2… 富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月20日 - )は、日本の政治家、文部官僚。群馬県高崎市長(3期)。国立教育研究所所長、日本国際教育協会理事長、群馬県立女子大学学長等を歴任した。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1969年、大学を卒業し文部省(現文部科学省)に入省した(日本ユネスコ国内委員会事務局文化課)。1970年4月、日本ユネスコ国内委員会事務局総務課。1976年4月、初等中等教育局中学校教育課生徒指導係長。1978年4月、岐阜県教育委員会学校指導課長。1981年、外務省へ出向し、駐フランス日本大使館で一等書記官を務める。
山口 晋(やまぐち すすむ、1944年〈昭和19年〉6月2日… 山口 晋(やまぐち すすむ、1944年〈昭和19年〉6月2日 - )は日本の自治官僚。群馬県立図書館長などを務めた。 群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)出身(父は群馬県、母は新潟県出身)。群馬県立前橋高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1968年 自治省入省(滋賀県総務部)。 在オーストラリア書記官、総理府人事局参事官補佐、埼玉県総務部地方課長、同県総務部財政課長などを務める。 1986年、自治大学校教務部長。同年10月1日 自治省大臣官房地域政策課企画室国際交流企画官(初代)。1987年7月21日 自治省大臣官房企画官。1988年3月31日 沖縄振興開発金融公庫総務部長。
高木 賢(たかぎ まさる、1943年〈昭和18年〉8月14日… 高木 賢(たかぎ まさる、1943年〈昭和18年〉8月14日 - 2024年〈令和6年〉11月24日)は、日本の農林官僚。第33代食糧庁長官。弁護士。
入沢 肇(入澤 肇、いりさわ はじむ、1940年〈昭和15年… 入沢 肇(入澤 肇、いりさわ はじむ、1940年〈昭和15年〉8月26日 - 2018年〈平成30年〉9月18日)は、日本の政治家、官僚。元帝京大学教授。農林水産省構造改善局長、林野庁長官、参議院議員を歴任。
上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月2… 上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月23日 - )は、日本の建設官僚、政治家。都市再生研究所理事長。参議院議員(2期)、通商産業政務次官、内閣官房副長官(政務担当)などを歴任した。 群馬県高崎市出身。父は医師・上野大成。1958年に群馬県立高崎高等学校を卒業後、1966年に東京大学工学部都市工学科の第1期生として卒業[要出典]。同年、建設省に入省。 建設省では住宅関連の業務に携わることが多かった。群馬県土木部住宅課長、建設省住宅局住環境整備室長、大臣官房政策企画官、住宅生産課長、住宅建設課長などを歴任した。1991年、建設省を退官。 1992年、第16回参議院議員通常選挙において、群馬県選挙区から福田宏一後継の新人として立候補し当選した。
堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日… 堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日 - )は、日本の官僚。通商産業事務次官、中小企業金融公庫総裁 三菱商事特別顧問、世界貿易センター(東京)理事長を歴任。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校卒業。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、通商産業省入省(入省時の配属先は繊維局繊政課)。 貿易局長、生活産業局長、立地公害局長を経て、1993年(平成5年)資源エネルギー庁長官、1994年(平成6年)2月産業政策局長、同年12月に通商産業事務次官に就任。1996年(平成8年)に退官。 退官後、1998年(平成10年)に中小企業金融公庫副総裁、1999年(平成11年)から2003年(平成15年)まで中小企業金融公庫総裁を務めた。
杉山 弘(すぎやま ひろし、1933年〈昭和8年〉3月2日 … 杉山 弘(すぎやま ひろし、1933年〈昭和8年〉3月2日 - )は、日本の通商産業官僚。通商産業事務次官や、電源開発代表取締役社長、日本原子力発電取締役等を務めた。 東京都江戸川区に生まれる。群馬県立渋川高等学校を経て、1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業。同年通商産業省入省。同期に尾身幸次(第6代財務大臣)、野々内隆(資源エネルギー庁長官)、川崎弘(経済企画審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。通商産業省貿易局長、通商産業省機械情報産業局長、通商産業省産業政策局長を経て、1988年から89年まで通商産業事務次官を務めた。退官後、電源開発代表取締役社長企業革新推進本部本部長・大間原子力推進本部本部長委嘱兼日本原子力発電取締役を務め、民営化に向け経営改革にあたった。
佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002… 佐藤 光夫(さとう みつお、1933年2月1日 - 2002年10月20日)は、大蔵官僚。アジア開発銀行総裁(第6代)、東京証券取引所副理事長などを歴任。 群馬県出身。渋川高校、東京大学法学部卒業後の1955年、大蔵省に入省。振り出しは大臣官房日本専売公社監理官室。 1965年ハーバード大学国際租税講座留学、1970年から1973年までIMF財政局租税政策課エコノミスト。国税庁長官官房事務管理課長、大阪国税局直税部長、主税局調査課長、証券局業務課長などを歴任し、1979年7月証券局総務課長、1980年6月福岡国税局長1981年6月に大臣官房審議官(関税局担当)。1983年6月に国際金融局次長。1984年6月に日銀政策委員会大蔵省代表委員。
須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1… 須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(2期)。 群馬県安中市の農家の出身で、両親は教員を勤めていた。群馬県立高崎高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京大学農学部農業工学科を卒業後、農林省に入省。新潟県農地部農地建設課長、農林省構造改善局建設部整備課長、同部設計課長、同部長を歴任し、構造改善局次長を歴任。農学博士号を取得した後、1987年(昭和62年)に農林省を退官。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙で自由民主党の後補として比例区から出馬し初当選。竹下派に属した。その後の竹下派分裂騒動では、小渕恵三側につき、小渕派に属した。
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日… 尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日 - 2022年〈令和4年〉4月14日)は、日本の政治家、通商産業・科学技術官僚。位階勲等は正三位旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第54代)、沖縄及び北方対策担当大臣(第2代)、科学技術政策担当大臣(第2代)、財務大臣(第6代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任。 群馬県沼田市に8人兄弟の長男として生まれる。家が困窮していたため、少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にも出た。群馬県立沼田高等学校在学中も家業に従事し、就職コースで簿記等を学んだ。高校2年から進学コースに変更し、1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより、1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。
水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 … 水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 - 2014年〈平成26年〉9月17日)は、日本の官僚、実業家。大蔵官僚として国税庁長官などを務め、日本たばこ産業社長、整理回収銀行社長、東京経済大学理事長などを歴任した。 群馬県桐生市に、桐生警察署長だった水野栄・タヨの三男として生まれる。群馬師範附属小学校から前橋中学校に進学。戦闘機乗りを志して仙台陸軍幼年学校に学び、終戦後に前橋中学校に復学し1947年卒業。旧制浦和高等学校文科甲類から東京大学へ進む。 1953年に東京大学法学部法律学科を卒業して大蔵省に入省。入省同期に吉野良彦、大場智満、宮下創平、津島雄二、楢崎泰昌らがいる。銀行局検査部管理課に配属。
石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月… 石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月24日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本の官僚。内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。位階は正三位。財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。 自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。 1993年に出された、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)に官房副長官として関与。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月… 大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年〈大正8年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉3月29日)は、日本の外交官、外務省官僚。駐米大使、駐豪大使、世界平和研究所理事長などの重職を歴任した。位階は正三位。勲一等瑞宝章、紺綬褒章受章者。 群馬県安中市中宿に生まれる。埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)、台中州立台中第二中学校[要出典]、第一高等学校を経て、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。 1942年(昭和17年)に外務省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第8根拠地隊司令部付兼ラバウル民政部庶務主任となる。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14… 福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14日 - 1995年〈平成7年〉7月5日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵省主計局長、衆議院議員(14期)、農林大臣(第2次岸改造内閣)、大蔵大臣(第1次佐藤第1次改造内閣・第1次佐藤第2次内閣・第2次佐藤第2次改造内閣・第3次佐藤内閣・第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣(第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官(第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官(三木内閣)、自由民主党総裁(第8代)、内閣総理大臣(福田赳夫内閣)を歴任した。 東京帝国大学法学部から大蔵省入り。1947年主計局長となるが、翌年昭電疑獄に連座して退官。
細谷 喜一(ほそや きいち、1904年〈明治37年〉4月23… 細谷 喜一(ほそや きいち、1904年〈明治37年〉4月23日 - 1980年〈昭和55年〉11月3日)は、日本の内務官僚。内閣官房副長官。 群馬県山田郡桐生町横山(現・桐生市横山町)出身。細谷信次郎の長男として生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、第一高等学校を卒業。1931年10月、高等試験行政科試験に合格。1932年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、内務省に入省し警視庁警部補となる。 以後、警視庁警務課教養係長、大塚警察署長、渋谷警察署長、地方警視・静岡県警察部刑事課長、岡山県警察部特別高等警察課長、興亜院事務官・政務部第三課勤務、警視庁警視・労働課長、兼警視庁事務官・調停官、地方警視・京都府警察部特別高等警察課長、千葉県官房長、四国地方総監府副参事官、香川県部長・警察部長などを歴任。
竹内 徳治(たけうち とくじ、1899年(明治32年)11月… 竹内 徳治(たけうち とくじ、1899年(明治32年)11月1日 - 1991年(平成3年)5月10日)は、日本の大蔵官僚。官選香川県知事。 群馬県前橋市出身。竹内清次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省し主計局属となる。 以後、財務書記(英仏駐在)、司税官、主計官を歴任。1935年、対満事務局経済課長に就任。さらに、企画院第五部長、拓務省殖産局長、内務省管理局長、東北興業副総裁を務める。 1946年1月、香川県知事に就任し四国地方行政事務局長官を兼務した。県下の治安維持に尽力。同年6月に知事を辞任。
伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12… 伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12日 - 1988年〈昭和63年〉10月2日)は、日本の内務官僚、政治家。長野県知事(官選第31代)、群馬県知事(公選第2代)、参議院議員(1期)。 1898年(明治31年)、群馬県吾妻郡中之条町に、伊能八平の三男として生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業後、東北帝国大学農科大学予科へ進学。1923年(大正12年)東北帝国大学理学部地質学科を卒業。1924年(大正13年)高等文官試験行政科に合格、1925年(大正14年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省入省。警視庁警部補からキャリアを積み、警視庁警衛課長を務めた。
青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月1… 青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月12日 - 1986年〈昭和61年〉5月31日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事(官選第39代、公選初代)、参議院議員(3期)。 群馬県前橋市に富樫竹次の五男として生まれる。青柳新米の養子となり、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て旧制第二高等学校へ進学。1922年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、横浜正金銀行に入行し、後安田銀行に移った。1926年、高等文官試験に合格。1927年、内務省に入省。北海道、大阪府、福岡県(部長・経済部長)、長野県などで勤務した。 1947年3月5日、愛知県知事の桑原幹根が初の公選愛知県知事選挙に立候補するために辞職。
山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2… 山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2月9日 - 1963年〈昭和38年〉8月8日)は、日本の官僚、土木工学者、教育行政家。鉄道院技師、東京帝国大学教授、日本学術振興会理事長、文部次官、東京都教育委員長、日本放送協会常務理事、東海大学第2代学長、成城大学学長。工学博士。土木学会名誉会員。第12回(昭和35年度)NHK放送文化賞受賞。 群馬県桐生市に、吾妻郡長をつとめた山崎金四郎の長男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第一高等学校理科を経て、1915年東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。鉄道院技師をつとめたのち、1920年東京帝国大学助教授を経て1939年同教授となる。 1945年文部省科学教育局長となり、1946年文部次官に就任。
膳 桂之助(ぜん けいのすけ、1887年〈明治20年〉7月2… 膳 桂之助(ぜん けいのすけ、1887年〈明治20年〉7月21日 - 1951年〈昭和26年〉11月25日)は、日本の農商務官僚、実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲三等。日本工業倶楽部理事、日本団体生命保険社長、経済安定本部総務長官(初代)、物価庁長官(初代)、貴族院議員を歴任した。 1887年(明治20年)、群馬県佐波郡伊勢崎町(現・伊勢崎市)で、薬商・膳浅次郎(好孝)の三男として生まれる。伊勢崎尋常小学校に学んだ。1896年(明治29年)に父が脳溢血で死去。1900年(明治33年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学するが、同盟休校(ストアイキ)の首謀者として退学となり、1903年(明治36年)に上京した。
鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日… 鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年〈明治8年〉1月3日 - 1973年〈昭和48年〉11月1日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本の官僚、政治家、著述家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、厚生大臣。 英語を得意とし、第二次世界大戦にかけて米国の対日世論が厳しくなる時期に、現地での講演や出版などを通じて民間外交に尽力した。 1885年(明治8年)1月3日、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)で、官営新町紡績所の工場長をしていた父・良憲と、母・琴子の次男、10人きょうだいの第四子として生まれる。一家は1895(明治28年)年9月に東京市赤坂へ、翌1896(明治29年)年1月に父の郷里である岡山県へ転居した。
小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年〈明治7年〉1… 小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年〈明治7年〉11月15日 - 1934年〈昭和9年〉5月19日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選秋田県知事、静岡市長。 群馬県勢多郡駒形町(現・前橋市)出身。小島彦右衛門の二男として生まれる。群馬県尋常中学校、私立日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し総務局属となる。 以後、広島県参事官、内務省参事官、関東州民政署事務官・旅順支署長、関東都督府民政署長、長崎県事務官・第四部長、静岡県事務官・内務部長などを経て、1913年6月、兵庫県内務部長となる。
小野田 元熈(おのだ もとひろ、1848年3月15日(弘化5… 小野田 元熈(おのだ もとひろ、1848年3月15日(弘化5年2月11日) - 1919年(大正8年)6月12日)は、幕末の館林藩士、明治から大正期の警察・内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。旧姓・藤野、幼名・貞治。 館林藩下士・藤野逸平の二男として生まれ、同藩の小野田安兵衛の養子となる。館林藩では、徒士格大納戸役、家老付日記役心得、藩内監察、少属などを歴任。 明治4年11月(1871年末頃)、東京府取締組羅卒小頭となり、さらに司法省少警部となり1873年2月に退官。1874年1月、警視庁少警部として再度、警察官となる。1877年2月、内務省警視局三等大警部兼陸軍歩兵中尉として、別働第3旅団第1大隊副官として西南戦争に従軍した。
杉本 重遠(すぎもと しげとお、弘化3年11月14日〈184… 杉本 重遠(すぎもと しげとお、弘化3年11月14日〈1846年12月31日〉 - 1921年〈大正10年〉2月24日)は、幕末の館林藩士、明治期の内務官僚・実業家。大分県知事。従四位勲四等。幼名、太郎吉。 弘化3年(1846年)、江戸浜町の館林藩中屋敷に生まれる。父は杉本重好。3歳の時に父とともに館林へ移った。館林藩主・秋元志朝が創設した藩校・求道館(のち造士書院)に学び、表小姓として出仕した。また藩外交官補助、国事外交係を務める。 明治維新後は鎮将府に召し出された。明治2年(1869年)館林藩権少参事となり、権少検事、大警部などを歴任する。1884年(明治17年)には欧米を歴訪。徳島県書記官、警視庁警務局長、新潟県書記官などを歴任する。
中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834… 中島 行孝(なかじま ゆきたか、天保5年8月28日〈1834年9月30日〉 - 1914年〈大正3年〉5月1日)は、明治から大正初期の大蔵官僚、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・桐生。 上野国佐位郡、のちの群馬県佐波郡赤堀村(赤堀町を経て現伊勢崎市)で、桐生儀兵衛の長男として生まれ、その後、中島家の養子となる。 1869年(明治2年)大蔵省に入省し、大蔵省一等属となる。牛込で私塾を開き、塾生には郷誠之助らがいた。1882年(明治15年)に退官し実業界に転じた。東京株式取引所理事、前橋電気軌道社長、東京府農工銀行取締役、同農工貯蓄銀行頭取、帝国商業銀行監査役などを務めた。 政界では、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員に在任。
金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年… 金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は文八郎。字は子誠。号は金洞(きんどう)・錦鶏など。変名に金井五郎・桑原梧楼などがある。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。錦鶏間祗候。 1833年9月、上野国佐位郡島村(現在の群馬県伊勢崎市)に画家で勤皇家の父・烏洲の四男として生まれる。金井氏は新田氏支族岩松氏の流れを汲むとされる。幼少の頃から文学を好み、また書もよくした。1867年、新田義貞の末裔とされる新田満次郎を擁し倒幕の挙兵を企てるが、事が露顕して投獄される。1868年9月、東京府市政局に出仕。
金井 昭彦(かない あきひこ)は、日本の国土交通官僚。国土交… 金井 昭彦(かない あきひこ)は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房審議官や、観光庁審議官、国土交通省近畿運輸局長などを歴任した。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、京都大学経済学部卒業。1989年運輸省入省、国際運輸・観光局観光部企画課。1993年運輸省関東運輸局自動車第一部旅客第一課長。1996年運輸省運輸政策局複合貨物流通課補佐官。1999年外務省在大韓民国日本国大使館一等書記官。2003年国土交通省総合政策局政策課企画専門官。2005年国土交通省中部運輸局自動車交通部長。 2007年国土交通省大臣官房総務課企画官(自動車交通局併任)。2008年鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業管理部担当部長。
矢島 敬雅(やじま よしのり)は、日本の経産官僚。中小企業庁… 矢島 敬雅(やじま よしのり)は、日本の経産官僚。中小企業庁経営支援部長、東北大学イノベーション戦略推進センター長等を経て、日本鉱業協会副会長、資源・素材学会監事。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校を経て、1986年に北海道大学工学部資源開発工学科卒業後、通商産業省に入省し、基礎産業局、環境立地局、生活産業局、JETROヒューストンセンター、原子力安全・保安院などで勤務した。資源エネルギー庁資源・燃料部鉱物資源課長兼内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)、内閣官房大陸棚調査対策室参事官等を経て、2009年経済産業省経済産業政策局調査統計部参事官。 2010年経済産業省商務情報政策局商務流通グループ製品安全課長。