九代目 林家 正蔵(はやしや しょうぞう、1962年〈昭和3… 九代目 林家 正蔵(はやしや しょうぞう、1962年〈昭和37年〉12月1日 - )は、日本の落語家、落語協会副会長、俳優、タレント、声優、司会者、大学教員。東京都台東区根岸出身。本名は海老名 泰孝(えびな やすたか)。出囃子は「あやめ浴衣」。 血液型A型。東京都立竹台高等学校卒業。前名の林家こぶ平としても知られる。こぶ平時代の愛称はこぶちゃん。 落語家の林家たま平は長男、林家ぽん平は次男。 1984年6月に21歳で有希子夫人と結婚する。有希子夫人のあいだに一女二男をもうける。 1994年5月29日に夫妻の長男(第二子)の泰良(やすよし)が誕生する。2013年4月に泰良は、明治大学付属高校を卒業して父の正蔵に弟子入りした。
三遊亭 歌る多(さんゆうてい かるた、1962年10月9日 … 三遊亭 歌る多(さんゆうてい かるた、1962年10月9日 - )は、日本の落語家。落語協会所属。本名∶金井 ひとみ。出囃子は『正月娘』。東京都荒川区南千住出身。 小学校から大学中退まで松戸市で育つ。松戸市立小金中学校、國學院高等学校卒業。中学・高校はコーラス部に所属。「春風亭小朝の夜はともだち」がきっかけで足を運んだ落語に魅了される。 1981年9月、國學院大學経済学部を中退し、三代目三遊亭圓歌に入門、前座名は歌代。 1987年5月に二ツ目に昇進し、歌る多に改名。 1993年3月、古今亭菊千代と共に落語協会初の女真打に昇進。その後2002年2月に女真打の扱いがなくなり、通常の真打と同じ扱いになる。
二代 立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ、1960年11… 二代 立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ、1960年11月3日 - )は、東京都台東区浅草出身、落語協会所属の三味線漫談家。本名∶茂木 康子。 自称「日本(=世界)に2人しかいない女流三味線漫談家」。花柳流日本舞踊の名取りでもあり、芸名は花柳 鳳千佐。母は長唄の杵屋志津和。 和洋女子短期大学卒業のち女優を志す。1979年に三代目三遊亭圓歌にスカウトされ、翌年の3月に圓歌に正式入門。6月に国立演芸場で初高座。高座名は三遊亭あす歌で、演目は「三味線漫談(7分)」。 1992年、初代三遊亭小円歌を襲名。戦後の色物では初のこと。なお、このとき当時の落語協会会長であった五代目柳家小さんから「立花家橘之助」襲名の話が持ちかけられたこともあったが、当時は30代と若かったこともあり、襲名の話は実現しなかった。
三遊亭 小円歌(さんゆうてい こえんか、本名:茂木康子、19… 三遊亭 小円歌(さんゆうてい こえんか、本名:茂木康子、1960年11月3日 - )は、東京都台東区浅草出身、落語協会所属の三味線漫談家。
林家 うん平(はやしや うんぺい、1959年12月20日 -… 林家 うん平(はやしや うんぺい、1959年12月20日 - )は、落語協会に所属する落語家。本名∶佐取 康久。 声優・ナレータープロダクションのアクセントにも所属している。 1959年、東京都八王子市生まれ。東京都立忠生高等学校卒業。 1979年9月、林家こん平に入門、一番弟子となる。大師匠に当たる初代三平が存命時に、こん平に弟子入りした唯一の弟子。1980年12月に楽屋入り。前座名「うん平」。 1983年4月に二ツ目昇進。 1995年3月に柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、三遊亭吉窓、初音家左橋、古今亭菊輔、金原亭生駒、柳家一九、桂扇生とともに真打昇進。 師匠のこん平が監督・発起人を務めていた、らくご卓球クラブの会員でもある。
三遊亭 らん丈(さんゆうてい らんじょう、1959年2月28… 三遊亭 らん丈(さんゆうてい らんじょう、1959年2月28日 - )は、日本の落語家、政治家。町田市議会議員(6期)。本名は塩原 明(しおばら あきら)。落語協会所属。出囃子は『鳩ぽっぽ』、紋は「三ツ組橘」。 東京都町田市森野に生まれる。東京都立町田高等学校を経て、1981年3月に立教大学文学部キリスト教学科を卒業した(神学士)。 高座では三省堂の『新明解国語辞典』や蔭山英男の漢字ドリルを読み上げる新作を口演することが多い。 クリスチャン落語家でもあり、1997年の復活祭にカトリック浅草教会にて受洗(洗礼名はイサク・パウロ)。 社会人大学生として、下記の大学及び大学院を卒業・修了している。 2006年2月、町田市議会議員に当選。
柳家 亀太郎(やなぎや かめたろう、1959年1月8日 - … 柳家 亀太郎(やなぎや かめたろう、1959年1月8日 - )は、落語協会に所属する三味線漫談家。本名∶町田 時久。 1977年2月、父である三代目柳家亀松に入門。3月に城西大学附属城西高等学校を卒業。 1978年9月、師匠と共に初高座。1988年3月よりひとり高座になる。
七代目 古今亭 志ん馬(ここんてい しんば、1958年〈昭和… 七代目 古今亭 志ん馬(ここんてい しんば、1958年〈昭和33年〉3月3日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、東京都板橋区出身の落語家。本名∶吉野 惠一。落語協会所属。出囃子は『芸者ワルツ』。 日本大学を中退して1981年4月に六代目古今亭志ん馬に入門、前座名は「古今亭志ん吉」。 1985年9月に二ツ目昇進、「志ん次」と改名。 1994年8月に師匠六代目古今亭志ん馬が死去したため三代目古今亭志ん朝門下に移る。 1996年にNHK新人演芸大賞落語部門大賞受賞。演題は「宮戸川」。 1997年9月に七代目柳亭燕路と共に真打昇進し、七代目古今亭志ん馬を襲名。 2013年10月7日、胃がんのため東京都台東区の病院で死去。
金原亭 世之介(きんげんてい よのすけ、1957年12月29… 金原亭 世之介(きんげんてい よのすけ、1957年12月29日 - )は、東京都清瀬市出身の落語家。落語協会所属。所属事務所は桃花舎 →ソルトアース→キングプロダクション。本名∶兒玉 亜津志。出囃子は『吉原雀(文のたより)』。 日本舞踊浅茅流の名取り「浅茅 与志寿朗」の名を持つ。俳人としては「かいぶつ句会」所属、俳号は「皀角子」。大正大学客員教授。 父はクラシック音楽の作曲家、兒玉四郎。最初は高校卒業後は医師になりたいと防衛医科大学校を受験するも不合格となり、その後進路を落語家に転換した。 東京都立清瀬高等学校を1976年4月卒業後、十代目金原亭馬生に入門、前座名は「駒平」。 1980年6月に古今亭菊之助、古今亭菊松、古今亭志ん八と共に二ツ目に昇進。
三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25… 三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25日 - 1994年4月30日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶塩谷 利次。 工学院大学工業化学科中退。 1978年12月、三笑亭夢楽に入門し三笑亭夢坊となる。1983年5月、三笑亭夢三四に改名して二ツ目昇進。 1991年9月に真打に昇進するも、わずか三年後の1994年4月30日に肺がんで死去。36歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - … 柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - )は、東京都杉並区出身の落語家。落語協会所属。本名は並木 治。出囃子は「二人椀久」。血液型はA型。 東京工業高等学校卒業。1996年に柳家小里んと出会ってから、落語を本格的に学び始める。当初はサラリーマンとして働きながら、素人落語会に参加したり、遊びでエキストラをやったりしていた。40歳を過ぎたあたりから、「もっと面白い人生」としての別の道を歩もうと考えるようになり、プロの落語家になることを決意する。 1999年4月、柳家小里んに入門。2000年4月に前座となり、り助を名乗る。前座時代の2003年7月21日海の日、東京の発展に尽力した勝海舟の功績を顕彰するため、有志らの手によって東京都墨田区役所前の広場に「勝海舟銅像(勝安芳像)」が建てられた。
古今亭 菊千代(ここんてい きくちよ、1956年7月24日 … 古今亭 菊千代(ここんてい きくちよ、1956年7月24日 - )は、女流落語家。本名:野口 泰代。東京都板橋区出身。 桜美林大学文学部卒業。大学で落語研究会に属し、広告代理店に勤めていた。偶然対談した柳家小さんの「(女性でも)要はうまけりゃいいんだ」の一言で退職願を出し、末広亭の楽屋口で二代目古今亭圓菊を待ち伏せ、弟子入りを直訴したという。 1984年7月に二代目古今亭圓菊に27歳で入門。同年10月古今亭菊乃を名乗り前座修行。1988年9月に二ツ目昇進。 1993年3月に三遊亭歌る多と共に落語四百年の歴史の中で初の女真打に昇進。菊千代を名乗る。同年、噺家修業の旅に出る。東京・日本橋から京都・三条大橋まで、東海道五十三次の辻々で落語を演じる。
春風亭 小朝(しゅんぷうてい こあさ、1955年(昭和30年… 春風亭 小朝(しゅんぷうてい こあさ、1955年(昭和30年)3月6日 - )は、落語協会に所属する落語家。出囃子は『三下りさわぎ』。 俳優・タレント・指揮者としても活動する。東京都北区出身。東京電機大学高等学校卒業。 芸能事務所・春々堂を経営して自らのマネジメントを行っている。以前はオフィスてるてる(師匠・5代目春風亭柳朝の会社)に所属していた。キャッチフレーズ∶「横丁の若様」。元妻はシンガーソングライターの泰葉。 1955年3月6日、作家の花岡太郎の息子として東京都北区に生まれた。2歳ごろまで祖父の静一郎が乃木坂に建設した芸能人や文化人が集ったアパート「テキサスハウス(花岡アパート)」で育つ。
柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )… 柳家 はん治(やなぎや はんじ、1954年7月24日 - )は、東京都八王子市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名∶荒井 良雄。出囃子は『雛鶴三番嫂』、紋は『変り羽団扇』。 日野高校を卒業。高校の3学年上に忌野清志郎がいる。國學院大學出身。 1977年5月、十代目柳家小三治に入門して「柳家小はぜ」を名乗る。初高座は10月、師匠の会で「道灌」。 1982年3月に柳家小勇、川流亭かっぱと共に二ツ目昇進し、「はん治」と改名。1992年3月、北とぴあ若手落語家競演会大賞受賞。 1993年9月に古今亭菊寿、入船亭扇海、三遊亭若圓歌、四代目柳亭市馬、柳家さん生、三代目入船亭扇蔵、柳家喜多八、全亭武生、古今亭志ん上と共に真打に昇進。
古今亭 志ん輔(ここんてい しんすけ、1953年9月25日 … 古今亭 志ん輔(ここんてい しんすけ、1953年9月25日 - )は、東京都品川区出身の落語家。落語協会所属、同協会相談役。出囃子∶『越後獅子』。本名:大塚 英夫。 中央大学附属高等学校出身。1972年3月に三代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。1977年3月に二ツ目に昇進。師匠志ん朝の前名古今亭朝太に改名。1978年から入船亭扇好と「朝太・扇好の会」を始める。志ん輔・扇遊の会を合わせ、30年におよぶ二人会である。 1985年9月、四代目桂三木助、林家かん平、七代目桂才賀、入船亭扇遊、林家らぶ平、柳家小ゑん、林家時蔵、柳家三寿、春風亭正朝と共に真打に昇進して志ん輔を襲名した。この年の落語協会の真打昇進は、試験制度による抜擢を受けた桂三木助の26人抜きが話題を集めたが、10人の昇進者中のトップとして三木助と共に9月下席から単独で披露興行を行った。
桂 伸乃介 (かつら しんのすけ、1953年5月16日 - … 桂 伸乃介 (かつら しんのすけ、1953年5月16日 - 2020年1月1日)は、落語家。落語芸術協会に所属していた。本名∶傳川 博。出囃子は『越後獅子前弾き』。紋は『丸に蔦』または『結三柏』。 東京都渋谷区出身。保谷市立青嵐中学校、東京都立小平高等学校を卒業。 ジャズピアニストの和田肇が親戚筋にあたり、その影響で幼少期よりピアノを始める。高校2年の時に将来ピアノ弾きか芸人になりたいと二代目桂伸治に相談したところ、「それならうちで落語家になって二ツ目になれば、あとから何にだってなれる」と言われて入門を決意した。 1970年(昭和45年)10月に二代目桂伸治に入門、一番弟子となる。 1972年(昭和47年)4月に前座となり、桂ひろ治と名乗る。
二代目 快楽亭 ブラック(かいらくてい ブラック、1952年… 二代目 快楽亭 ブラック(かいらくてい ブラック、1952年5月26日 - )は、日本の落語家。本名∶福田 秀文。日本国籍。出囃子∶『青い眼の人形』。 初妻は日活ロマンポルノ女優・川口朱里(1979年結婚)、東京都町田市出身、堀越高校中退。 好物は桃で、嫌いな物は乳製品。 立川談志の命により2代目快楽亭ブラックを襲名するまで、16回の改名をしたことでも知られている。しかし、借金が元で落語立川流Aコースを自主退会(破門は免れている)。2回の離婚を経験しており、娘と息子・孫が3人いる。 艶話や放送規制にかかるような不謹慎ネタを盛り込んだ新作を得意としている。そのため出入禁止になった寄席も数多い。だが決してキワモノ新作一辺倒という訳ではなく古典落語をきっちりと演じる技量も持ち合わせており、次の御用日では上方の船場言葉風の言葉を使っている。
三代目 桂 伸治(かつら しんじ、1952年5月14日 - … 三代目 桂 伸治(かつら しんじ、1952年5月14日 - )は、東京都渋谷区出身の落語家。本名∶板倉 克己。落語芸術協会所属。出囃子は「外記猿」。 東京都立東村山高等学校を経て、1974年4月に東洋大学を中退し二代目桂伸治に入門する。前座名は初代桂平治で初高座。 1979年4月に二ツ目昇進。 1989年4月に三遊亭笑遊、二代目雷門福助と共に真打昇進し、三代目桂伸治を襲名。
入船亭 扇海(いりふねてい せんかい、1952年〈昭和27年… 入船亭 扇海(いりふねてい せんかい、1952年〈昭和27年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉2月15日)は、落語家。本名∶関川 博之。落語協会会員。出囃子は『乗合船』。東京都足立区出身。 東京都立江北高等学校を卒業後ミュージシャンを志し、ベーシストとしてビッグバンドに所属。海外渡航後に落語に触れたことで落語家の道に入る。 1976年に九代目入船亭扇橋に入門。翌々年前座となる。前座名は扇たく。 1981年、古今亭菊枝と共に二ツ目昇進。扇海となる。 1993年に古今亭菊寿、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、三代目入船亭扇蔵、四代目柳亭市馬、柳家さん生、柳家はん治、全亭武笙、桂ひな太郎と共に真打昇進。
古今亭 八朝(ここんてい はっちょう、本名:丸山 美治〈まる… 古今亭 八朝(ここんてい はっちょう、本名:丸山 美治〈まるやま みはる〉、1951年〈昭和26年〉7月19日 - 2023年〈令和5年〉6月26日)は、東京都豊島区出身の元落語家。落語協会所属。出囃子は『雛鶴三番叟』。 東京都立明正高等学校卒業後1970年4月に三代目古今亭志ん朝に入門。1973年5月に志ん吉の名で前座になり、浅草演芸ホールにて初高座を務める。 1975年11月、林家らぶ平、柳家さん光と共に二ツ目昇進、八朝に改名。 1984年9月に林家種平、桂藤兵衛と共に真打昇進。 2003年4月、黒門亭運営委員長に就任。2005年に黒門亭運営実行委員会実行委員長に就任。2006年と2007年の二年連続で落語協会「円朝まつり」実行委員長を務める。
四代目 春雨や 雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月2… 四代目 春雨や 雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月27日 - )は落語家。東京都葛飾区出身。本名∶山田 良平。落語芸術協会所属。出囃子は「本調子かっこ」。 古典落語、五代目古今亭今輔作の新作落語両方演じる。
春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月1… 春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月10日 - )は、日本の落語家。落語協会所属。本名:浮ヶ谷 克美。 出囃子は『菖蒲浴衣』。東京都足立区出身。 東京都立化学工業高等学校在学中の1968年3月、五代目春風亭柳朝に入門。1970年4月に前座になる。前座名:朝太郎。 1973年9月に三遊亭勝馬、柳家せん八と共に二ツ目昇進、一朝に改名。大師匠彦六が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「三遊一朝」の名を貰っている。1980年3月、弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打に昇進する。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、三代目三遊亭小金馬(勝馬改め)、柳家せん八、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬とともに真打に昇進する。
立川 左談次(たてかわ さだんじ、1950年12月2日 - … 立川 左談次(たてかわ さだんじ、1950年12月2日 - 2018年3月19日)は、落語家。本名∶山岡 通之。東京都調布市出身。落語立川流に所属。出囃子は『あの町この町』。「駄句駄句会」同人で、俳号は「斜断鬼」。 1968年4月、七代目立川談志に入門し、前座名「談奈」を名乗る。当時は落語協会に所属していた。同年、談志出演の映画『昭和元禄ハレンチ節』にワンシーンながら出演。 1973年9月、二ツ目昇進し「立川左談次」に改名。 1982年12月に初代古今亭志ん五、六代目古今亭志ん橋、春風亭一朝、柳家せん八、三代目三遊亭小金馬、四代目吉原朝馬、七代目三遊亭圓好、六代目立川ぜん馬、立川談生と共に真打昇進。
七代目 桂 才賀(かつら さいが、1950年〈昭和25年〉7… 七代目 桂 才賀(かつら さいが、1950年〈昭和25年〉7月12日 - 2025年〈令和7年〉2月21日)は、東京都大田区出身の落語家。落語協会所属。本名∶谷 富夫。出囃子は「野毛山」、紋は「鬼蔦」。 1969年3月、自由ヶ丘学園高校卒業後九代目桂文治に入門を申し込んだところ、「入門したければ自衛隊に3年入隊なさい」と言われ海上自衛隊へ入隊(舞鶴101期)し、3年の任期(一般隊員としての1任期)を満了まで勤め上げた後、再度文治の門を叩いた。3年前、文治は断り文句のつもりで自衛隊に入れとの発言をしており、完全に忘れていたという。1972年3月、九代目桂文治に入門。前座名は兄弟子・桂文七の前座名でもある「文太」を名乗る。
金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年… 金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年〉10月29日 - )は、落語協会所属の落語家。佐賀県嬉野市塩田町出身。本名∶広橋 明洋。出囃子∶井出の山吹、定紋∶裏梅。 東京都立葛飾野高等学校卒業後1967年2月、十代目金原亭馬生に入門。翌々年1月、前座となり「駒三」と名乗る。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目昇進。 1982年4月に三遊亭小歌、初代月の家小圓鏡、柳家さん枝、林家えび蔵、林家ばん平と共に真打昇進。
鈴々舎 馬桜(れいれいしゃ ばおう、1949年10月23日 … 鈴々舎 馬桜(れいれいしゃ ばおう、1949年10月23日 - )は、東京都台東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶木村 高男。出囃子は『将門』。紋は『折鶴』。 1969年3月に七代目立川談志に入門、前座名談吾。1972年11月より金原亭小駒と共に楽屋入りし前座修行を開始。 1975年5月に六代目古今亭志ん橋、蝶花楼花蝶、林家源平、立川小談志と共に二ツ目昇進、談生と改名。1981年にNHK新人落語コンクール優秀賞を受賞。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬で真打昇進。
林家 ばん平(はやしや ばんぺい、1948年11月18日 -… 林家 ばん平(はやしや ばんぺい、1948年11月18日 - )は、元落語家。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は… 桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は、東京都江東区深川出身、落語芸術協会所属の落語家。出囃子は『深川くづし(お富さん)』。本名∶松井 正夫。 1970年12月、四代目桂米丸に入門、前座名・桂麦夫を名乗る。 1976年4月、二ツ目に昇進し、桂富丸と改名。 1985年5月、桂伸乃介と共に真打に昇進。 米丸の弟子らしく、一貫して新作落語中心の高座を務めている。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
桂 南喬(かつら なんきょう、1947年8月7日 - )は、… 桂 南喬(かつら なんきょう、1947年8月7日 - )は、東京都中野区出身の落語家。落語協会所属。出囃子∶『吉原雀』。紋∶「丸に剣かたばみ」。本名:末吉 豊比古。 1963年1月、三代目三遊亭金馬に入門。前座名は三遊亭ゆたか。翌年1月21日、東京有楽町の東宝名人会にて初高座。演目は「寿限無」。1965年2月に三代目金馬が死去したため、兄弟子の二代目桂小南門下に移籍、桂ゆたかに改名。同時に、落語芸術協会に加入 する。 1967年10月に二ツ目昇進、南笑に改名。 1977年3月に真打昇進し、南喬と改名。1984年に桂文朝、桂文生、文生の弟子桂きん治と共に落語協会の五代目柳家小さん門下へ移る。 年に2回行われる独演会「桂南喬ひとりっきり会」を行っている。
三代目 柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1947年1月2… 三代目 柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1947年1月24日 - )は、東京都北区出身の落語家である。本名:梅原 健治。落語協会所属、同協会相談役。出囃子は『金比羅船々』。 現在の落語界を代表する爆笑派。十八番の『代書屋』で知られる。 明治学院大学落語研究会で活躍。大学卒業後の1970年4月1日、五代目柳家つばめに弟子入り。前座名柳家ほたるを名乗る。前座時代には立川寸志、林家種平、林家公平の4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。1974年9月に師匠つばめが死去したため、大師匠である五代目柳家小さん門下に直る。 1975年11月、古今亭八朝、林家らぶ平と共に二ツ目昇進。
三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 -… 三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお))は、落語家。円楽一門会の会長。
柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - … 柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫。落語協会所属。出囃子は「三社祭」。 東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。 1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。 1970年4月、柳家小団治、三遊亭旭生、むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。
六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8… 六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8月17日 - 2023年10月8日)は、東京都墨田区江東橋出身の落語家。本名∶小椋 幸彦。落語協会所属。出囃子は「大拍子」。 東京都立第四商業高等学校卒業後ガソリンスタンドに勤務。 1969年1月、三代目古今亭志ん朝に入門。1972年10月に前座となる、前座名「古今亭志ん太」。 1975年5月、蝶花楼花蝶、立川談生、林家源平、立川小談志と共に二ツ目昇進。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬と共に真打昇進。六代目古今亭志ん橋を襲名。
桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22… 桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22日 - 2004年(平成16年)1月2日)は、東京都墨田区出身の落語家。本名∶小林 光久。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『串本節』。 1958年3月、二代目桂枝太郎に入門し、前座名「桂小枝」を名乗る。 1963年3月、二ツ目昇進し「桂枝松」に改名。 1974年4月、三遊亭圓輔と三遊亭若馬と共に真打昇進し「枝助」と改名。 2000年6月、落語芸術協会監事に就任。2004年1月2日に膵臓がんのため死去。60歳没。 血液型はO型。二ツ目時代、二代目桂小文治の家の掃除を命じられ、小文治が大切に育てていた庭の石灯籠のコケを落としてピカピカに磨き上げ、大激怒されたというしくじり話がある。
三笑亭 茶楽(さんしょうてい ちゃらく、1942年〈昭和17… 三笑亭 茶楽(さんしょうてい ちゃらく、1942年〈昭和17年〉7月3日 - )は、落語芸術協会所属の落語家。本名∶鈴木 健治。出囃子は『岸の柳』。 1942年(昭和17年)7月3日、東京都品川区に生まれる。 1961年3月、東京都立戸山高等学校卒業。東大受験に2度失敗し、以前から好きだった落語家になることを決意。1963年5月に八代目三笑亭可楽に入門し、三笑亭可六を名乗るが、翌年(昭和39年)8月に師匠可楽が亡くなったため兄弟子の三笑亭夢楽門下に移籍。 1966年10月、二ツ目に昇進し「茶楽」と改名。 1976年4月、三代目三遊亭若圓遊と共に真打昇進。
三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4… 三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4月6日)は、落語家。本名∶平田 昭宏。出囃子∶『梅の栄』。 東京都立一橋高等学校卒業。 1959年5月、二代目三遊亭歌奴に入門。前座名は「どん栗」。 1963年5月に柳家小きんと共に二ツ目昇進、「歌雀」に改名。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、柳家さん弥、金原亭桂太と共に真打昇進。1975年5月に大師匠・師匠が名乗った名跡である三遊亭歌奴を三代目として襲名。 2004年4月6日、肝臓がんのため死去。62歳没。
六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭… 六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉9月15日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。 東京都立文京高等学校卒業。 1959年3月、八代目春風亭柳枝に入門。「枝女吉」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生」と改名。 1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。 1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点の大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた。
東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2… 東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2018年3月31日)は函館市在住の落語家。東京生まれ。本名∶田中 誠。道南落語倶楽部所属。 1940年、東京都中央区の聖路加国際病院で田中誠として産声を上げる。 1947年、東京都港区立白金小学校に入学、幼いころから落語好きだった。 1953年、明治学院中学校に入学。高校時代は上野にある寄席、鈴本演芸場に通った。高校2年のとき落語家を志す。 1959年、明治学院高等学校を卒業。五代目柳家小さんに弟子入り。7年余り修行する。前座名は師匠初の芸名でもある「栗の助」、4月21日に初高座。 1963年、二ツ目に昇進、柳家小三太に改名。 1966年、芸に行き詰まり苦悩。
4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年… 4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年3月26日 - )は、東京都品川区出身、京都市北区在住(2025年現在)の落語家。本名:鈴木 義男。出囃子『駕屋』。 上方落語協会所属であるが、江戸弁による江戸落語を高座にかけている。2025年時点で上方落語協会で最年長の会員である。芸能事務所には所属していない。 小学校の頃から落語に興味を持ち後にアマチュア落語で名をはせる。この頃に同学年の柳家小三治と出会っている。[要出典]攻玉社高等学校を卒業した。 卒業後は、6代目三遊亭圓生への弟子入りを家族から反対される。家出同然で家を出て、アマチュア落語家を続けながら生計を立てるためにサラリーマンや板前などの職に就いていたが、諦めきれず30代半ばで大阪府大阪市に移住する[要出典]。
春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年〈昭和1… 春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年〈昭和14年〉3月5日 - 2010年〈平成22年〉1月12日)は、東京都秋川市(現:あきる野市)出身の落語家。落語芸術協会真打。本名∶山田 昌男。出囃子は『喜撰』。 1957年3月に東京都立国立高等学校卒業後、三代目桂三木助に入門。前座名は桂木久夫。1960年、三木助が日本芸術協会を脱会したため大師匠六代目春風亭柳橋門下に移籍し、春風亭柳夫に改名。 1961年10月、二ツ目昇進し、栄橋に改名。1967年に『笑点』の第1回若手大喜利に出演。1969年4月から11月にかけて『笑点』の大喜利に出演。若手大喜利メンバーからの昇格は初である。 1973年10月、三遊亭圓太と共に真打昇進。
三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3… 三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家。本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ)。出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。 五代目古今亭志ん生の次男。十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。 なお、後述の通り、「古今亭志ん朝」を名乗った人物は他に2人いるが、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため、単に「古今亭志ん朝」とした場合、三代目(真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた)を指すことがほとんどである。
橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - … 橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - 1997年2月3日)は落語家。本名∶佐野 行男。生前は落語協会所属。 1937年11月東京市浅草区生まれ。東京都立忍岡高等学校卒業。 1957年3月、七代目橘家圓蔵に入門し「三蔵」を名乗る。 1962年5月、三遊亭生之助と共に二ツ目昇進。 1973年9月、林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。 1997年2月3日死去、59歳没。 『長短』『出来心』などを好く演じていた。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、19… 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。血液型AB型[要出典]。
春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和1… 春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和10年〉10月12日 - 1981年〈昭和56年〉7月9日)は、東京都出身の落語家。生前は落語協会所属。 六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭 好生と名乗った。師の圓生を神のように崇拝し、「圓生の影法師」と揶揄されるほど芸風も似ていたが、圓生に疎まれて冷遇された。落語協会分裂騒動の際に圓生一門を離れて八代目林家正蔵(後の林家彦六)の弟子となり、春風亭一柳へと改名した。圓生の没後に暴露本を出版して物議を醸し、精神を病んで自殺した。 東京都立西高校への入学に前後して同居していた母と祖母を相次いで亡くし、本人も病弱のため高校を長期休学することとなった。
三遊亭 生之助(さんゆうてい しょうのすけ、1935年8月2… 三遊亭 生之助(さんゆうてい しょうのすけ、1935年8月22日 - 2009年5月22日)は、落語家。東京都足立区出身。本名∶布施 吉英。落語協会所属。出囃子は『いやとび』。 元兄弟子春風亭一柳と同い年である(一柳は10月12日生まれ)。 蓮田中学校を卒業する。 1959年2月、六代目三遊亭圓生に入門。前座名は六生。前座名にちなみあだ名は「六ちゃん」で、晩年までこのあだ名で通った。 1962年5月 橘家三蔵と共に二ツ目に昇進。生之助に改名する。 1973年9月 林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。
8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9… 8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9年〉4月3日 - 2015年〈平成27年〉10月7日)は、日本の落語家。本名:大山 武雄(おおやま たけお)。生前は落語協会所属。出囃子は『虎退治』。 前名の5代目 月の家圓鏡としても広く知られていた。 東京府東京市(現在の東京都江戸川区)平井に生まれる。生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった。 家業の紙芝居屋を経て、1952年12月14日、4代目月の家圓鏡(のちの7代目橘家圓蔵)に入門。橘家竹蔵との前座名を与えられる。 1955年3月に金原亭馬太郎とともに二ツ目に昇進し、橘家舛蔵と改名。1965年3月に真打に昇進し、5代目 月の家圓鏡を襲名。
三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭… 三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2017年〈平成29年〉4月23日)は、日本の落語家、俳優、日蓮宗僧侶。本名は中澤 信夫であるが、出家後の資料では中澤 圓法(円法)としている場合がほとんどである。出囃子は「二ツ巴」。定紋は片喰。 生年については1932年説と1929年説があり、落語協会公式サイト では1932年1月10日となっている。これに対して1929年説は「空襲で役所が焼け、戸籍を再度届け出た際に家族が間違え、戸籍上3歳若くなったためである」としている。一般的には1929年説が通っているともされていたが、4代目圓歌によれば、3代目の通夜が終わった後、飲み屋で会った岩倉鉄道学校の卒業生が1931年生まれで圓歌のことを「1年後輩」と言ったこと、かつて手伝いに来ていた圓歌の母に1929年生まれが正しいのか聞いたところ「そんなに早く産んだ覚えはない」と言われたことに加え、1929年説は5代目春風亭柳朝との確執の末に出てきたものだという。
五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929… 五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929年10月29日 - 1991年2月7日)は、東京市芝区(現:東京都港区)新橋出身の落語家。本名:大野 和照。生前は落語協会所属。出囃子は『さつまさ』。 旧制正則中学在学中に、志願して海軍に衛生兵として入隊。 その後は職を転々とし、1950年3月、五代目蝶花楼馬楽(後の八代目林家正蔵、林家彦六)に入門し小照を名乗る。翌1951年に一旦は転職するも、翌1952年に再入門。林家正太を名乗る。翌1953年5月、二ツ目に昇進し、照蔵に改名。1962年5月、真打に昇進し、五代目春風亭柳朝を襲名する。 亭号が「春風亭」になったのは、師匠が「林家正蔵」の名跡を七代目正蔵の遺族である初代林家三平より一代限りの条件で借り受けていたことから、三平に配慮して自分の弟子が真打に昇進したときは他の亭号に変えさせていたためである。
三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)… 三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)3月19日 - 2022年(令和4年)8月27日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会顧問、日本演芸家連合5代目会長、日本芸能実演家団体協議会顧問。本名は松本 龍典。出囃子は『翁千歳三番叟』。前名の三遊亭金馬としては4代目。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通、令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家であった。 子供の頃は兵隊に憧れ予科練を夢見たが、柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳のとき、寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門。