徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉… 徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉11月7日)は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 「有恒」は「ゆうこう」とも読む。本名及び旧筆名は、杉江 博愛(すぎえ ひろよし)。 代表作となる「間違いだらけのクルマ選び」を出版する前は、本名で活動していた。「徳大寺有恒」の名前は、「できるだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームである。この筆名の姓に関しては、堂上家で清華家7家のうちの一つである公家の徳大寺家と姻戚関係は一切無い。 「NAVI」(二玄社)や「ベストカー」(三推社)、「ENGINE」(新潮社)などの自動車専門誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、テレビ、新聞、各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍していた。
いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛… いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛評論家。 東京府東京市(現東京都墨田区)生まれ。本名:山口栄一。関東高校中退、緑ヶ丘音楽舞踊学校卒。幾多の職業を経て25歳で文筆業に就く。主に性産業を旗艦テーマに、スポーツ紙、週刊誌、雑誌等に寄稿を続ける。一方で日本テレビ「11PM」のコーディネーター兼レポーターとして18年間関わる。「いそのえいたろう」とナカグロのない表記もある。
安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003… 安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003年1月20日)は日本の編集者、評論家。本名の読みは「あきら」。名前を簡略体で「安原顕」と表記することもある。 自称「天才ヤスケン」「スーパーエディター」。主に『海』『マリ・クレール』の編集者として活躍した。チリチリパーマの髪に、サングラスと髭という独特の容貌をもつ。 妻・筑土まゆみの父は、僧侶、宗教民俗学者の筑土鈴寛(つくどれいかん)。娘の安原眞琴は日本文学研究者で、2013年にドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者四代目みな子姐さん - 吉原最後の証言記録」を制作した。 東京市目黒区緑が丘に生まれ育つ。父親はサラリーマンだったが、切手やレコードのコレクションも行っている「趣味人」だった。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、… 片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世 である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県の岩国で女学校の講師をしていた。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった。
前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典]… 前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典] - 2014年11月17日)は、カーデザイナーであり、日本の自動車評論家である。元・日産自動車チーフデザイナーとして、おもに自動車のデザインについての評論を行っていた。 東京都青梅市出身。1965年3月東京藝術大学美術学部を卒業後、同年4月プリンス自動車工業(現・日産自動車)に入社。1980年10月から1984年3月までの日産ディーゼル工業(当時)への出向期間を含め、1992年12月に日産自動車を退社するまでの長期間にわたって数々の日産車のデザインに携わった。 1993年1月、フリーランスの自動車評論家、デザインコンサルタントとして独立し、自動車関連メディア等において活動していた。
中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 201… 中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 2015年9月1日)は、日本の写真家、写真評論家。 東京の原宿に生まれる。父は、書道家の中平南谿(本名:恵)。 東京都立小山台高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。 『現代の眼』編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』までは森山大道とともに「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」の作風で知られたが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した。 作家の辺見庸は、2002年に出版した「永遠の不服従のために」で、「私の長く敬愛する写真家」と述べ、中平の『来たるべき言葉のために』について「その比類ない映像はほぼ三十年近くも私の胸の中に着床したままだ」と書き、自作品への影響を認めた。
津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は… 津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は、日本の演出家・編集者・評論家。元晶文社取締役、和光大学名誉教授。NPO法人共同保存図書館・多摩、顧問。 福岡県生まれで、川崎に育つ。本姓・鈴木。東京都新宿区立落合中学校から東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文科卒。 大学時代は「演劇研究会」に所属していた。在学中の1961年に、中学時代からの仲間の草間暉雄の劇団「独立劇場」に参加する。だが、草間は設立後に持病を悪化させて25歳で亡くなる。 大学卒業後の1962年に、アルバイト生活を経て、『新日本文学』編集部員に補欠で採用される編集者となる。その直前、新日本文学会を支配していた共産党との関係が崩れメディアも大きく報じた時代だった。
寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )… 寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )は、日本のジャズ評論家。吉祥寺のジャズ喫茶「Meg(メグ)」のオーナー兼マスターとして知られる人物であるが、ジャズとオーディオに関する著書も多数ある。 東京都中野区出身。東京都立杉並高等学校を経て早稲田大学文学部独文科卒。1970年にジャズ喫茶「Meg」を開店。その後ジャズに関する著述業を初め、処女作「辛口! JAZZノート」を発表して以来、印税収入を元にオーディオ探求にも取り組み、ジャズ雑誌やオーディオ雑誌などに評論やエッセイを発表している。 2007年に自身のプロデュースによるレーベル「寺島レコード」を発足。第1弾『アローン・トゥゲザー / 松尾明トリオ』は「曲は哀愁、演奏はガッツ」「三分間芸術」「ニュー・レトロ・フィデリティ・サウンド」をテーマに録音やジャケットにもこだわっている。
黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 20… 黒田 恭一(くろだ きょういち、1938年1月1日 - 2009年5月29日)は、日本の音楽評論家。 1938年、東京市神田区(現在の東京都千代田区)生まれ。東京都立西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。 在学中からクラシック音楽評を雑誌などに書き、以後、音楽評論一筋を歩んだ。新聞、雑誌への執筆が多くあり、特にコンサートやオペラ、レコードなどの評論で活躍した。 かつては隔月刊誌「暮しの手帖」の花森安治に依頼され、同誌の『レコード・ショップ』というコーナーを担当していた時期もあった。 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』では編集長を務めたが、半年で休刊に追い込まれた。 1999年には東京の東急Bunkamuraオーチャードホールのプロデューサーに就任。
門野 晴子(かどの はるこ、1937年10月12日 - )は… 門野 晴子(かどの はるこ、1937年10月12日 - )は、日本の教育評論家、ノンフィクション作家。 旧姓:太田。東京・浅草出身。東京都立竹台高等学校卒業。商社勤め、専業主婦を経て、様々な市民運動に参加。奈良県に転居後は話し方教室の講師を務め、フェミニストセラピィ「いかるが」を開設。 1982年に『わが家の思春記』を執筆。 軽薄で刺激的な物言いが特徴的。 1989年には「ちきゅうクラブ」から参議院比例区に立候補するも、落選となった。
尾高 修也(おだか しゅうや、1937年10月7日 - )は… 尾高 修也(おだか しゅうや、1937年10月7日 - )は、日本の作家・文芸評論家。本名尾上潤一。 東京府生まれ。都立日比谷高校を経て、1961年早稲田大学政経学部卒。1972年、「危うい歳月」で文藝賞受賞。谷崎潤一郎論をライフワークとする。日比谷高校時代の同級生に、塩野七生、庄司薫、古井由吉などがいた。日本大学芸術学部助教授、教授を務め、2008年定年退任。
小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12… 小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12年〉5月4日 - )は、日本の政治家、評論家。 地方議員時代には浦和市議会議員を3期、埼玉県議会議員を1期務めた。 東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、療養生活を経た後に法政大学社会学部心理学科卒。学生時代は学生運動に明け暮れていた。後の平凡パンチのインタビュー[要文献特定詳細情報]で法政大学に入学した理由を「病み上がりだったので入学しやすく、卒業しやすいところを選んだ。」と語っている。卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を! 埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 199… 市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 1997年2月10日)は、舞踊評論家。 東京出身。本名・雅章。東京都立駒場高等学校卒、1960年早稲田大学第一法学部卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学。 この間渡米、1980年には大野一雄の欧米公演に同行、日本の現代舞踊などを海外に紹介する。アジア国際舞踊フェスティバルなどの開催にも尽した。ヴァーツラフ・ニジンスキーについての訳業がある。 93年早大客員教授。
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 20… 加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。助川 明(すけがわ あきら)も使用。自由社社長、日本会議監事兼日本会議東京会長、日本教育再生機構代表委員、世界平和教授アカデミー常任理事などを務めた。 東京府出身。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。 慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月… 小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月20日 - 2025年10月7日[要出典])は、日本の著作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。
蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月2… 蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。 専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介される際に中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。 1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた。
西田 善夫(にしだ よしお、1936年2月8日 - 2016… 西田 善夫(にしだ よしお、1936年2月8日 - 2016年2月27日)は、日本のスポーツ評論家。元NHKアナウンサー。
吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は… 吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は、日本の国際問題評論家、元埼玉大学教授。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員教授。
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20… 西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - 2024年(令和6年)11月1日)は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会名誉会長。 東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校を経て、1958年(昭和33年)東京大学文学部独文科卒。1961年(昭和36年)同大学院修士課程を修了。指導教官は手塚富雄であった。 1961年静岡大学人文学部講師、1964年電気通信大学助教授、1975年教授。1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士の学位を授与された。電通大助教授時代の1965年に「私の『戦後』観」で『自由』新人賞を、1994年正論大賞をそれぞれ受賞。
副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 20… 副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 2021年10月8日)は、日本の社会学者・漫画評論家。筑波大学名誉教授。 東京生まれ。父は牧師・副田正義(1906年-2004年、青山学院神学部卒業)。 1953年、東京都立新宿高等学校卒業。1957年、東京大学文学部社会学科卒業。1959年、同大学院社会科学研究科修士課程修了。1995年、「生活保護制度の社会史」で東京大学より博士(社会学)の学位を取得。1959-1966 日本社会事業大学 嘱託・助手・講師・助教授。1966-1977 東京女子大学助教授・教授。1977-1998 筑波大学 教授 1995年、副学長。1998-2010 金城学院大学教授。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 200… 杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 2009年1月16日)は東京府出身の文芸評論家、編集者。本名読みは、まさき。
萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、… 萩野 弘巳(はぎの ひろみ、1933年8月18日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2… 高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2001年8月19日)は、日本の政治家、経済評論家。
宮川 淳(みやかわ あつし、1933年3月13日 - 197… 宮川 淳(みやかわ あつし、1933年3月13日 - 1977年10月21日)は、日本の美術評論家、西洋美術史研究者。成城大学文学部助教授、東京大学教養学部非常勤講師などを務めた。戦後日本における前衛美術批評の重要な書き手の一人であり、とくに1960年代の「反芸術」をめぐる批評や、マルセル・デュシャン、シュルレアリスム、フランス現代思想の受容において大きな足跡を残した。 東京市大森区に生まれる。幼少期には、外交官であった父の赴任に伴って海外と日本を往復した。戦後、東京都立大学付属高校を経て、1955年に東京大学文学部美学美術史学科を卒業した。 1953年から、種村季弘、吉田喜重らと同人誌『望楼』を刊行した。
森 清(もり きよし、1933年3月11日 - )は、日本の… 森 清(もり きよし、1933年3月11日 - )は、日本の評論家、山野美容芸術短期大学名誉教授。 東京府東京市(現東京都江戸川区)出身。1952年東京都立江戸川高等学校卒、法政大学第二文学部中退。自動車工場などで働く。羽生田鉄工場に勤務、東京工場製造課長。そのかたわら文筆家として活動し、のち山野美容芸術短期大学教授、副学長を務める。働くこと、生きることをテーマに文筆活動を展開。
野口 冬人(のぐち ふゆと、1933年2月27日 - 201… 野口 冬人(のぐち ふゆと、1933年2月27日 - 2016年12月13日)は、日本の旅行作家、温泉評論家。民俗研究家(山村民俗)。本名は野口 邁(のぐち つとむ)。 東京都出身。東京都立石神井高等学校卒業。山の雑誌・旅のガイドブック編集を経て、現代旅行研究所代表取締役。 温泉関連の著作が多く、『読売旅行』などに温泉関連の連載を多く抱える。1965年から旅行作家として活躍し、離島を含め、国内のほとんどという約3300の温泉を踏破し、「全国露天風呂番付」を制作した。 1973年(昭和48年)に設立した株式会社現代旅行研究所代表のほかに、旅行作家の会代表、日本山書の会、山村民俗の会会員、NPO法人健康と温泉フォーラムへも参加している。
近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )… 近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )は、日本の英文学者、写真評論家、明治大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。1962年戯曲「風」で文芸賞佳作入選。明治大学教授を経て名誉教授。多摩芸術学園、多摩美術大学などで英語、文学、映像論等を教える。 甥はクリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリ(1971 - )。
佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16… 佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16日 - 1987年、昭和62年〉5月9日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名は暠俊(あきとし)。 東京府東京市浅草区生れ。1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で両親を失い、孤児となる。東京都立蔵前工業高等学校卒。大学中退。 古田足日ら児童文学研究誌の「小さな仲間」に参加。25歳から児童文学を中心とした文筆活動に入り、1970年「児童図書館」創刊に参加。 1977年相模女子短期大学教授に就任。相模女子大学短期大学部教授在職中に急死。
江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10… 江川 三郎(えがわ さぶろう、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2015年〈平成27年〉1月18日)は、オーディオ評論家。 東京生まれ。上智大学経済学部商学科卒業。 当初はコンサートマネージメントなどの音楽関係者だったが、学生時代にオーディオ誌のライターをしており、後にオーディオ評論家になる。40代に入ってから自身でも機器の開発を始めるようになり、『レコード芸術』や『オーディオアクセサリー』などで研究発表を開始する。同じオーディオ評論家の菅野沖彦は学生時代からの友人で、菅野は「江川からオーディオを習った」と季刊アナログ誌などに記している。音楽関連の職についていた経験から、一般的なオーディオ評論家とは音楽に対するスタンスが異なる。
斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 20… 斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - 2017年4月14日)は、日本の科学評論家、SF作家、超古代文明研究家。 1960年代、自分では前衛科学評論家を名乗った。日本考古学会会員、日本天文学会会員。超歴史学研究会理事。 東京府北豊島郡三河島町(現・東京都荒川区)出身。父は九州帝国大学(現・九州大学)農学部助手、母方の一族は三河島の大地主。第一峡田小学校(現・荒川区立峡田小学校)5年生の時、福島県伊達郡梁川町(現・伊達市)に疎開。中学校1年生の時に敗戦を迎えて東京に戻り、東京都立上野中学校(現・東京都立上野高等学校)に入る。当時、アメリカへの復讐として原子破壊機の発明を誓い、物理学の本を読みあさっていた。
桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3… 桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - 2025年(令和7年)3月27日)は、日本の文芸評論家。東洋大学名誉教授。 紫綬褒章受章。芸術選奨文部大臣賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、他受賞。 1950年に一橋大学商学部に入学するも、在学時に一橋大学社会学部に転部。同・社会学部を卒業後は、研究社(出版社)に勤務する一方、村上一郎(文芸評論家)とともに同人誌「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。 後に東洋大学文学部教授を務めた。東洋大学退職後は名誉教授の称号を受け、東洋大学兼任研究員を務めた。他に多摩美術大学、大妻女子大学講師、日本近代文学館理事等も務めた。 1990年に毎日出版文化賞を受賞。
相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2… 相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2015年7月8日)は、東京府出身の音楽評論家、ジャズ司会者。 サウンド自体の評論ではなく、演奏者と聴衆の関係性、あるいはある音楽がその時代に生まれた意味合いを社会的なデータと絡めながら論じるなど、一種の社会論的な評論をするのが特徴。2007年に出版した『新書で入門 ジャズの歴史』では、自分がジャズから離れた(後述)後の時代のジャズをポスト・モダンの一言で片付ける荒業を見せた。 東京大森・馬込(現・東京都大田区)生まれ。東京陸軍幼年学校在学中に終戦を迎える。第49期生で同期に西村京太郎。 東京大学(文学部美学美術史学科、のちに中退)在学中からジャズ喫茶「コンボ」に入り浸り、ジャズ評論を書き始め、『ミュージック・ライフ』誌でデビュー。
中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 19… 中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 1998年4月3日)は、朝日新聞記者、音楽評論家。 作家・中河与一の次男として東京都に生まれる。 旧制成蹊高等学校卒業。 東京大学英文科卒業、同修士課程修了、朝日新聞社に入社、音楽評論家として活動した。 平明で的確なクラシック音楽評で知られた。 1998年4月3日、心筋梗塞のため66歳で亡くなった。
曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025… 曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025年2月28日)は、日本の小説家、政治評論家。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。 「曾野 綾子」とも表記される。本名は三浦 知壽子(旧姓:町田)。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。 聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。有吉佐和子と共に「才女」として注目された。晩年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、保守的論者としても有名だった。
野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 201… 野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 2015年12月5日)は、児童文学・文芸評論家。父は野口雨情。文芸誌「群系」創刊同人。 東京府北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)生まれ。父・雨情の病気療養と疎開のため栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市)に引っ越し、栃木県立宇都宮高等学校卒業後、1954年早稲田大学第一文学部仏文科卒。55年金の星社に入り、57年財団法人大蔵財務協会に勤務。のち武蔵野女子大学客員教授。同人誌「群系」創刊同人。2012年12月、長年の執筆活動により、第一回群系賞を受賞。墓所は小平霊園。
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )… 平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽… 鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽評論家。祖父は鈴木貫太郎。 東京府出身。自由学園ピアノ学校に学び、林光は同級生であった。東京女子高等師範学校附属高等学校から東京女子大学文学部英米文学科に進む。高校の頃からNHKやTBSのラジオ放送に出演していた。大学卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社したが、レコード室を経て、音楽番組を手がけるプロデューサーとなり、『モダン・ジャズを分析する』で『スイングジャーナル』誌のプロデューサー・オブ・ジ・イヤーを受賞した。 1960年にアメリカ合衆国へ渡り、1年半ほどで帰国して以降は、フリーランスとしてラジオ番組のプロデューサーやディスクジョッキー、音楽評論家として活動した。
諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日… 諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日 - 2013年〈平成25年〉9月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家。東京府(現・東京都)出身。イタリア語めかした変名マコトニオ・モンロイ名義による著作もある。 秩父セメント(現・太平洋セメント)の創業者一族であり、祖父は秩父セメント創業者の諸井恒平、父は作曲家諸井三郎、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井虔である。作曲家・指揮者の尾高尚忠・惇忠・忠明一家とも縁戚関係にある。 二十世紀音楽研究所に参加し、十二音技法、ミュジーク・コンクレートなどの新技法を早い時期に日本で実践した作曲家のひとりである。評論やNHKのクラシック音楽番組への出演でも知られる。
東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 20… 東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 2005年11月19日)は、東京都出身の美術評論家。
五十嵐 良雄(いがらし よしお、1930年5月20日 - 2… 五十嵐 良雄(いがらし よしお、1930年5月20日 - 2011年6月8日)は、日本の教育評論家、政治活動家。 東京府南葛飾郡小松川(のち東京都江戸川区小松川)生まれ。1948年に日本共産党員となる。早稲田専門学校卒、東京都立江戸川高等学校卒、1949年中央労働学園大学に入学、全学連書記局で働く。1955年東京学芸大学英語専修課程修了、清水書院編集部に入社、1958-1963年東京大学教育学部研究生、1963年世界経済研究所(英語版、ロシア語版)アジア=アフリカ研究所員。インド、ベオグラード、モスクワなどアジア・アフリカ諸国の大学などに留学。1966-1967年和光大学教務学生課職員。大学闘争に際して日本教育学会を退会し、「反教育シリーズ」を主催。
近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )… 近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )は、日本のスポーツライター、コラムニスト、ノンフィクション作家、野球評論家。 左官職人の長男として東京都の本郷に出生、6歳から野球を始めた。旧制明治中学校では硬式野球部に所属し島岡吉郎監督の指導を受けるも、右肺の弱さから試合出場経験はなし。その後、明治大学法学部へ進学。島岡の薦めにより野球のプレーは諦め、書く方にまわろうとグラウンドに顔を出して野球観戦をした。卒業後の1953年4月に報知新聞社に入社し、同新聞(現:スポーツ報知)のスポーツ記者となる。1956年に朝刊の発行を始めた東京新聞にスカウトされて移籍。毎日の戦評と野球コラム「金曜放談」を署名入りで執筆。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日… 秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日 - 2013年〈平成25年〉10月2日)は、日本の文芸評論家、日本藝術院会員。位階は従四位。本名は駿(すすむ)。 東京府池袋出身。旧制東京都立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て、1948年に旧制第二早稲田高等学院入学、翌年学制改革により新制早稲田大学第一文学部仏文科に移り、1953年に卒業する。1956年6月、報知新聞社に入社。1960年「小林秀雄」で『群像』第3回新人文学賞評論部門受賞。評論「内部の人間」「想像する自由」(いずれも1963年発表)などを、久保田正文や三島由紀夫に激賞された。1979年から1993年まで東京農工大学教授、1997年から武蔵野女子短期大学・武蔵野女子大学教授。