生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
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江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 … 江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 1989年〈平成元年〉3月28日)は、日本の化学工学者。工学博士、熱管理士。京都大学教授。 新潟県新潟市古町通10番町(現 新潟市中央区古町通10番町)の第四銀行本店出納課長・江口治作の五男として出生。 1945年(昭和20年)3月に新潟中学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に新潟高等学校を卒業、1952年(昭和27年)3月に京都大学工学部化学機械学科を卒業。 1955年(昭和30年)4月に京都大学工学部化学機械学科講師に就任、1957年(昭和32年)10月に助教授に就任、1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部化学工学科助教授に就任、7月に京都大学から工学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)7月に京都大学工学研究所原子核化学工学部門助教授に就任、1965年(昭和40年)12月に教授に就任、1971年(昭和46年)4月に京都大学原子エネルギー研究所原子核化学工学研究部門教授に就任、1982年(昭和57年)8月に京都大学工学部化学工学科装置工学講座教授に就任。
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内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990… 内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990年1月5日)は、日本の会計学者。元中央大学商学部長。日本簿記学会発起人。中央大学商学部教授在任中に死去し、死後内山力奨学基金が創設された。 新潟県柏崎市出身。1953年中央大学商学部卒業、1957年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官は飯野利夫。1979年中央大学監査部長。1985年中央大学商学部長、日本簿記学会発起人。指導学生に星野一郎広島大学教授など。中央大学商学部教授在任中の1990年に死去。死後、1991年に内山力奨学基金が設立された。
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荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、… 荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、日本の会計学者、立教大学名誉教授。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。立教大学経済学部卒、中央大学大学院商学研究科博士課程満期退学、71年「アメリカ「現代会計理論」の研究」で商学博士。西南学院大学講師、助教授、立教大学経済学部助教授、教授。94年定年、名誉教授、国士舘大学教授。2003年退任。
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小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 20… 小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 2015年3月9日)は、日本の教育学者。拓殖大学名誉教授、日本工業技術教育学会名誉会長。 新潟県柏崎市生まれ。1948年長岡工業高等専門学校工業化学科(のち新潟大学工学部)卒、立正大学文学部地理学科卒。1948年から中学校、高等学校で教える。1968年東京都教育庁指導部指導主事、1976年同主任指導主事、1981年東京都立工業技術教育センター指導部長、東京工業大学非常勤講師、1983年東京都立小石川工業高等学校校長。全国工業高等学校長協会理事長、顧問。1989年拓殖大学工学部教授、早稲田大学非常勤講師、1994年日本工業技術教育学会長。1999年拓殖大学名誉教授。
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木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月… 木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学の研究。中央大学名誉教授。 モーリス・メルロー=ポンティ、エドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。 新潟県新潟市生まれ、本籍地は山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。 3歳のとき一家で満洲・新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日、江田島で水泳の訓練中、原爆投下を広島市側の海岸で目撃。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが、満州出身であったため本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる(教官は兵学校での残務処理に残った)。
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茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日… 茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日 - 1985年(昭和60年)11月24日)は、日本の俳人、医師、法医学者。医学博士。第9代新潟大学学長、新潟大学医学部第12代学部長。本名は茂野 錄良(しげの ろくろう)。 新潟県新潟市出身。1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を繰り上げ卒業、1945年(昭和20年)10月に海軍兵学校を卒業、1950年(昭和25年)3月に新潟医科大学を卒業。 1951年(昭和26年)7月に新潟大学新潟医科大学法医学教室助手に就任、同年9月から同教室教授で俳人の高野素十から俳句の指導を受け、「六花」の俳号を授かった。 1953年(昭和28年)4月に新潟大学医学部法医学教室助手に就任、1954年(昭和29年)8月に新潟大学医学部法医学教室(担任:山内峻呉教授)講師に就任。
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磯部 欣三(いそべ きんぞう、1926年2月6日 - 200… 磯部 欣三(いそべ きんぞう、1926年2月6日 - 2006年1月4日)は、日本の郷土史家。本名は本間 寅雄。 新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)生まれ。中根速記学校卒。日本放送協会嘱託を経て、1952年毎日新聞に入り、佐渡通信部長。同社の地方記者に与えられる第一回やまなみ賞受賞。佐渡博物館歴史部長をへて、館長、理事。良寛や世阿弥らと佐渡との関連を研究。1981年、良寛の母親がそれまでの定説だった人物とは別人であるとの説を発表した。トキの保護についても全鳥捕獲に反対するなど積極的に発言した。
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原 宏(はら こう、1925年〈大正14年〉12月24日 -… 原 宏(はら こう、1925年〈大正14年〉12月24日 - 2010年〈平成22年〉11月)は、日本の通商産業技官、電磁気学者、計測工学者。工学博士。元通商産業省工業技術院電子技術総合研究所標準計測部量子計測研究室長。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市出身。1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1947年(昭和22年)10月に逓信省電気試験所に入所、1957年(昭和32年)11月からカナダ国立研究機構で研究、1959年(昭和34年)3月に帰国、通商産業省工業技術院電気試験所標準器部第一標準器課単本位研究室主任を経て、1962年(昭和37年)2月に第一標準器課長に就任、4月に第一標準器課の第一標準研究室への改称に伴い第一標準研究室長に就任、1965年(昭和40年)1月に第一標準研究室の計測基礎研究室への改組に伴い計測基礎研究室長に就任、1970年(昭和45年)7月に電気試験所の電子技術総合研究所への改称と標準器部計測基礎研究室の標準計測部量子計測研究室への改組に伴い電子技術総合研究所標準計測部量子計測研究室長に就任。
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布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7… 布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7日 - 2009年〈平成21年〉7月31日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座 初代教授、新潟大学医学部解剖学第二教室 第3代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。日本基督教団のクリスチャン。 新潟県刈羽郡鵜川村(現 柏崎市)の代々医者の家系に出生。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)に新潟大学医学部解剖学第二教室(担任:小池上春芳教授)研究生に就任、助手を経て1953年(昭和28年)4月に講師に就任、6月に新潟大学から医学博士号を取得、1956年(昭和31年)3月に助教授に就任、1966年(昭和41年)8月に新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座初代教授に就任、1972年(昭和47年)6月に新潟大学医学部解剖学第二教室第3代教授に就任、1980年(昭和55年)12月から新潟大学附属図書館旭町分館館長を兼任、1984年(昭和59年)11月から新潟大学附属図書館館長を兼任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、5月に新潟大学名誉教授の称号を受称、1995年(平成7年)に新潟リハビリテーション専門学校学校長に就任。
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片岡 信二(かたおか しんじ、1925年〈大正14年〉8月6… 片岡 信二(かたおか しんじ、1925年〈大正14年〉8月6日 - 2014年〈平成26年〉4月21日)は、日本の計算機科学者、応用数学者、統計物理学者。理学博士(九州大学・1962年)。一橋大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。 新潟県長岡市出生、新潟市出身。1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1949年(昭和24年)6月に東京商科大学助手に就任、1959年(昭和34年)7月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) Western Data Processing Center 研究助手に就任(期間1年)、1960年(昭和35年)7月にマサチューセッツ工科大学 (MIT) Operations Research Center 研究助手に就任(期間1年)、1962年(昭和37年)5月に一橋大学経済学部講師に就任、1963年(昭和38年)7月に一橋大学経済学部助教授に就任、1967年(昭和42年)4月に一橋大学経済学部教授に就任、1977年(昭和52年)4月に一橋大学評議員に就任、1984年(昭和59年)12月に一橋大学情報処理センター長に就任、1987年(昭和62年)4月に一橋大学名誉教授の称号を受称、フェリス女学院大学教授に就任。
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坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月… 坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月5日 - 2001年〈平成13年〉4月20日)は、日本の金属工学者。工学博士。東北大学名誉教授。専門は鉄鋼精錬学。 新潟県加茂市出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学第二工学部冶金学科を卒業、1953年(昭和28年)3月に大学院を修了。 1953年(昭和28年)4月に日曹製鋼に入社、1954年(昭和29年)9月に東京大学生産技術研究所に入所、1958年(昭和33年)7月に東北大学金属材料研究所講師に就任、1959年(昭和34年)5月に東北大学金属材料研究所助教授に就任、1961年(昭和36年)11月に東京大学から工学博士号を取得、1963年(昭和38年)6月から1964年(昭和39年)5月までドイツのマックス・プランク鉄鋼研究所(英語版)に留学、1983年(昭和58年)4月に東北大学金属材料研究所教授に就任、1989年(平成元年)3月に東北大学を定年退官、東北大学名誉教授の称号を受称。
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渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日… 渋谷 武(しぶや たけし、1925年(大正14年)5月27日 - 2016年(平成28年)11月26日)は、日本の政治学者。新潟大学名誉教授、新潟薬科大学名誉教授、中華人民共和国黒龍江省社会科学院名誉教授、北東アジア学会初代会長・名誉会員。 長野県長野市に出生、新潟県上越市に転居、新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、4月に新潟高等学校に入学、1944年(昭和19年)8月に三重海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学法学部政治学科を卒業。 1948年(昭和23年)4月に新潟第一師範学校講師に就任、1951年(昭和26年)3月に新潟大学人文学部助手に就任、1952年(昭和27年)1月に新潟大学人文学部講師に就任、1959年(昭和34年)5月に新潟大学人文学部助教授に就任、1964年(昭和39年)4月に新潟大学教養部助教授に就任、1965年(昭和40年)4月に新潟大学教養部教授に就任、1969年(昭和44年)7月に新潟大学教養部長事務取扱に就任、8月に新潟大学教養部長に就任、1975年(昭和50年)4月から新潟大学大学院法学研究科を担当、1982年(昭和57年)4月に新潟大学法学部教授に就任、1984年(昭和59年)4月に新潟大学法学部長・大学院法学研究科長に就任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、4月に新潟薬科大学教授に就任、1994年(平成6年)3月に新潟薬科大学を退職、新潟薬科大学名誉教授の称号を受称。
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中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925… 中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925年〈大正14年〉5月16日 - 2012年〈平成24年〉5月24日)は、日本の生理学者、医史学者、医師、浄土真宗本願寺派僧侶。医学博士。岡山大学名誉教授。名塩御坊教行寺第15世住職。 新潟県新潟市西堀通10番町(現 新潟市中央区西堀通10番町)の浄土真宗本願寺派・蒲原浄光寺の第25世住職・蒲原霊英の次男として出生。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1949年(昭和24年)3月に米子医科大学生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1951年(昭和26年)4月に鳥取大学医学部生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1953年(昭和28年)6月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第一講座(担任:福原武教授)講師に就任、1954年(昭和29年)7月に医学博士号を取得、11月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:西田勇教授)助教授に就任、1957年(昭和32年)1月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:福原武教授)助教授に就任、1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)5月まで文部省在外研究員として西ドイツのゲッティンゲン大学生理学教室に留学、1970年(昭和45年)4月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座第2代教授に就任、1986年(昭和61年)4月に中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)の称号を受称、1991年(平成3年)3月に岡山大学を定年退官、4月に岡山大学名誉教授の称号を受称。
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五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月1… 五十嵐 清(いがらし きよし、1925年(大正14年)5月12日 -2015年(平成25年)9月12日 )は、日本の法学者。専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。北海道大学名誉教授。新潟県新潟市出身。比較法学の第一人者。[要出典] 専門は、比較法学・民法総則・不法行為法。個人研究としてヨーロッパ近代法史・国際私法・法社会学も研究対象としている。また、各大学または法科大学院では、民法を担当し民法に関する学術書も出しているが、基幹の研究は、あくまで比較法である。 民法総則・比較法分野 不法行為法・医事法・法哲学・法社会学分野
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清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日… 清水 洋(しみず ひろし、1925年〈大正14年〉4月17日 - 1991年〈平成3年〉12月13日)は、日本の音響工学者。工学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本音響学会名誉会員。専門は電気音響工学、超音波工学。 新潟県新潟市白山浦(現 新潟市中央区白山浦)出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東北大学工学部電気工学科を卒業。 1948年(昭和23年)3月に東北大学電気通信研究所助手に就任、菊池喜充のもとで研究、1955年(昭和30年)11月に同研究所助教授に就任、1962年(昭和37年)12月に東北大学工学部通信工学科第四講座教授に就任。
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清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日… 清水 司(しみず つかさ、1925年(大正14年)1月22日 - 2017年(平成29年)10月21日)は、日本の工学者。早稲田大学第11代総長。早稲田大学名誉教授。学校法人渡辺学園名誉理事長。専門は電波工学。1997年文化功労者。新潟県新潟市出身。位階は従三位。 1948年早稲田大学理工学部電気通信学科を卒業、1953年から同大にて大学院文部省特別研究生(1958年3月まで)。1960年工学博士(博士論文「フェライトを用いたマイクロ波回路素子の設計に関する研究」)。1953年同大助手に採用。専任講師、助教授を経て1965年から同大教授(1984年3月まで)。この間、1970年から常任理事(8年間)、1978年11月から第11代総長(4年間)を歴任。
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工藤 弘安(くどう ひろやす、1924年〈大正13年〉11月… 工藤 弘安(くどう ひろやす、1924年〈大正13年〉11月10日 - 2012年〈平成24年〉2月9日)は、日本の総理府技官、統計学者。元行政管理庁行政管理局統計主幹、元成城大学経済学部教授。 新潟県新潟市旭町通2番町(現 新潟市中央区旭町通2番町)の新潟医科大学解剖学第一教室初代教授・工藤得安の長男として出生。 1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、10月に東京帝国大学第一工学部航空学科に入学、1946年(昭和21年)3月に応用数学科に転科、1948年(昭和23年)6月に卒業。 1948年(昭和23年)7月から東京大学第一工学部応用数学科森口研究室で研究、美濃部亮吉に見込まれ、11月から内閣統計委員会事務局に勤務、1949年(昭和24年)5月に統計官に就任、1955年(昭和30年)5月から総理府統計局に勤務、1959年(昭和34年)5月から行政管理庁統計基準局に勤務、1971年(昭和46年)4月に行政管理庁行政管理局国際統計管理官に就任、1972年(昭和47年)3月に同局統計企画課長に就任、1977年(昭和52年)9月に同局統計主幹に就任。
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斎藤 直輔(さいとう なおすけ、1923年〈大正12年〉7月… 斎藤 直輔(さいとう なおすけ、1923年〈大正12年〉7月24日 - 没年月日不詳)は、日本の運輸技官、気象学者。理学博士、技術士(応用理学部門)。元気象庁気象研究所予報研究部長、元上智大学理工学部教授。 新潟県新潟市南浜通1番町(現 新潟市中央区南浜通1番町)出身。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東北帝国大学理学部物理学科を卒業。 仙台管区気象台、新潟工業学校教官、新潟地方気象台、東京管区気象台、気象庁予報部電子計算室予報官、気象庁予報部予報課主任予報官を経て、1974年(昭和49年)4月に気象庁気象研究所予報研究部長に就任。
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柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月1… 柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月13日 - 1989年〈平成元年〉9月25日)は、日本の腎臓学者、内科医。医学博士。元国立病院医療センター臨床研究部長、帝京大学生物工学センター教授。 新潟県新潟市南大畑町(現 新潟市中央区南大畑町)の新潟医科大学内科学第二教室助教授・柴田経一郎の長男として出生。 1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)秋に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)に入局、1954年(昭和29年)6月に東京大学から医学博士の学位を取得、1956年(昭和31年)7月に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)助手に就任、1971年(昭和46年)2月に東京大学医学部第三内科(教授:中尾喜久)講師に就任、1977年(昭和52年)8月に東京大学医学部第三内科(教授:小坂樹徳)助教授に就任、1980年(昭和55年)1月に国立病院医療センター臨床研究部長に就任、1989年(平成元年)3月に定年退官、4月に帝京大学生物工学センター教授に就任。
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石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6… 石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6日 - 2009年〈平成21年〉12月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。元東北大学学長。仙台市名誉市民。二男は分子生物学者の石田直理雄。 新潟県上越市生まれ。旧制仙台一中、旧制二高、東北帝国大学医学部卒業。ウイルスベクターとして知られるセンダイウイルス、また、制癌抗生物質ネオカルチノスタチンを発見した。野口英世記念医学賞、日本学士院賞などを受賞。お酒が好きなことで知られており、利酒が趣味だった。学生に抜群の人気があった。 ミシガン大学ウイルス研究所留学
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高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月… 高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月3日 - 平成11年(1999年)12月31日)は、日本の法律学者。短期大学基準協会会長、東横学園女子短期大学学長等を歴任。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 新潟県長岡市生まれ。 昭和22年(1947年)に慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、助手、助教授を経て、1957年(昭和32年)から1986年(昭和61年)まで教授。専攻は商法だが、証券取引法及び経済法など研究業績の幅が広い。津田利治が創設した慶應義塾大学商法研究会を継承した。 法務省法制審議会商法部会委員、大蔵省公認会計士審査会委員、大蔵省企業会計審議会委員などを歴任し、昭和57年まで慶應義塾図書館長、慶應義塾研究・教育情報研究センターの立ち上げを主導した。
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佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月… 佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月3日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の法学者。中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県新潟市古町通2番町(現 新潟市中央区古町通2番町)の製綿・布団製造業者の佐藤由太郎の三男として出生。 新潟市白山尋常小学校、新潟中学校を経て、中央大学第一予科に入学、1943年(昭和18年)12月に海軍に入隊、1944年(昭和19年)9月に中央大学法学部法律学科を卒業。 1944年(昭和19年)12月に海軍予備少尉に任官、在ビルマ第17警備隊付、1945年(昭和20年)に海軍予備中尉に任官、1946年(昭和21年)に復員。 1947年(昭和22年)に中央大学大学院に入学、1948年(昭和23年)に中央大学大学院特選研究生となり、1953年(昭和28年)4月に中央大学法学部助教授に就任、1962年(昭和37年)4月に中央大学法学部教授に就任。
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黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月1… 黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月17日 - 2010年〈平成22年〉4月16日)は、日本の泌尿器科学者、泌尿器科医。医学博士。徳島大学名誉教授、日本泌尿器科学会名誉会員、協立病院名誉院長。 新潟県新潟市礎町通上一ノ町(現 新潟市中央区礎町通上一ノ町)の黒川栄一郎の長男として出生。 新潟市礎尋常小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1950年(昭和25年)3月に東京大学医学部助手に就任、1956年(昭和31年)5月に東京大学医学部講師に就任、同年8月に東京大学から医学博士の学位を取得、東京大学医学部附属病院分院外来診療所医長に就任、1961年(昭和36年)4月に東京大学医学部助教授に就任、東京大学医学部附属病院分院泌尿器科医長に就任、1963年(昭和38年)11月に徳島大学医学部泌尿器科学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第13代学校長に就任、1978年(昭和53年)1月に徳島大学医学部附属病院第14代病院長に就任、同月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1988年(昭和63年)3月に徳島大学を定年退官、4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、徳島県徳島市八万町橋本の協立病院の院長に就任。
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谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 20… 谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 2023年7月16日)は、日本の物理化学者。工学博士。東京工業大学、長岡技術科学大学名誉教授。新潟県長岡市出身。 延伸高分子膜法による偏光吸収スペクトルの測定技術の確立およびその結果の理論的解析のパイオニア。 主な著書に化学の話シリーズ4「気体の話」など。 1950年、東京工業大学理学部化学科卒業。 1959年、東京工業大学助手。 1961年、東京工業大学工学博士。 1963年、東京工業大学助教授。 1969年、東京工業大学教授。 1978年、長岡技術科学大学教授。 1988年、長岡技術科学大学名誉教授。 1991年、東京工業大学名誉教授。
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伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015… 伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015年3月19日)は、国文学者、新潟大学名誉教授。叙正四位。
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茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
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小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日… 小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日 - 1995年〈平成7年〉9月22日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。福島県立医科大学名誉教授、日本血液学会名誉会員。 新潟県新潟市出生、新潟県佐渡郡金沢村大字泉(現 佐渡市泉)出身。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校文科乙類を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟医科大学を半年繰り上げ卒業。 1945年(昭和20年)1月に横浜市戸塚区原宿町の海軍軍医学校戸塚分校を卒業、海軍軍医中尉に任官、山口県光市光井の第一特別基地隊附、3月に山口県平生町佐賀の平生突撃隊附、8月に終戦、1946年(昭和21年)1月に復員。
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坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日… 坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学・1957年)。第4代東京大学原子核研究所所長。東京大学名誉教授。専門は原子核物理学。 新潟県新潟市西堀通6番町(現 新潟市中央区西堀通6番町)の新潟高等女学校教諭・坂井仲太郎の次男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を半年繰り上げ卒業、10月に海軍技術見習尉官として中国の青島に向かった。 1945年(昭和20年)10月に復員、副手として東京帝国大学理学部の嵯峨根遼吉の研究室で研究、1951年(昭和26年)9月から1954年(昭和29年)12月までフランス、スウェーデン、アメリカに留学。
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高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年… 高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年)8月2日 - 2013年(平成25年)4月18日)は、昭和から平成時代の土木工学者。内務技師、建設技監。建設事務次官。日本道路公団総裁。 新潟県柏崎市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学工学部土木科を卒業後、内務省(土木局)に入る。 1945年(昭和20年)秋に復員し関東土木出張所に勤務。1950年(昭和25年)五十里ダム出張所長、1956年(昭和31年)関東地建4号国道、1958年(昭和33年)東京国道の両工事事務所長、1964年(昭和39年)高速道路課高速道路調査室長、1966年(昭和41年)地方道課長、国道第一課長、1970年(昭和45年)道路局長、1972年(昭和47年)建設技監、1974年(昭和49年)建設事務次官、1976年(昭和51年)日本道路公団副総裁、1978年(昭和53年)総裁を経て、1986年(昭和61年)辞任した。
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宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年… 宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年7月7日)は、新潟県寺泊(現長岡市)出身の医史学者。 1941年(旧制)官立金沢医科大学薬学専門部(現在の金沢大学医薬保健学域薬学類)を卒業。薬学史、医史学の硏究。日本医史学会常任理事、野間科学医学研究資料館理事。 国際日本文化研究センター所蔵の宗田文庫は、宗田一が収集した、医学史・薬学史に関する書籍、図版資料などを中心とする日本医療文化史の資料コレクションで、目録が作成されており、国際日本文化研究センターサイトでも検索できる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日… 中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日 - 2004年〈平成16年〉4月26日)は、日本の体育学者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新潟鐵工所新潟工場技師・中山礼吉の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京高等師範学校体育科を卒業。 1942年(昭和17年)に埼玉県立熊谷中学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に応召、南方各地を転戦し、1946年(昭和21年)6月に帰還、同年に新潟高等学校教授に就任、1949年(昭和24年)に新潟大学教育学部助教授に就任、1971年(昭和46年)に新潟大学教育学部教授に就任、1986年(昭和61年)に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、関東学園大学教授に就任、1994年(平成6年)に退職。
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金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日… 金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日 - 2003年〈平成15年〉5月26日)は、日本の船舶工学者、溶接工学者、構造力学者、材料力学者、破壊力学者、材料強度学者。工学博士。東京大学名誉教授、日本造船学会名誉員。 福井県福井市清川上町80番地(現 福井市松本1丁目)の福井中学校の博物教師・金澤祿郞の次男として出生。1923年(大正12年)9月の父の新潟中学校への異動に伴って新潟県新潟市学校町通3番町(現 新潟市中央区)に転居。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学第一工学部船舶工学科を半年繰り上げ卒業、東京帝国大学第一工学部大学院に入学。
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内山 尚三(うちやま しょうぞう、1920年7月5日 - 2… 内山 尚三(うちやま しょうぞう、1920年7月5日 - 2002年12月14日)は、日本の法学者。専門は、民法・労働法。法学博士(1960年)。法政大学名誉教授、札幌大学名誉教授。建設業の労働関係、請負契約などに関する国の各種審議会の役員を歴任。栄典は、正五位勲三等瑞宝章。 妻・章子は政治家・鶴見祐輔の次女。政治家の後藤新平は義祖父(章子の祖父)、社会学者の鶴見和子は義姉(章子の姉)、哲学者の鶴見俊輔は義兄(章子の兄)。新潟県柏崎市出身。
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川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2… 川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2日 - 2006年〈平成18年〉6月9日)は、日本の免疫学者、医師。医学博士(東京大学・1957年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の新潟医学専門学校病理学教室教授・川村麟也の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1945年(昭和20年)9月に千葉医科大学を卒業。 1945年(昭和20年)10月に東京帝国大学伝染病研究所第二研究部(部長:田宮猛雄教授)に嘱託として入所、1948年(昭和23年)に東京大学伝染病研究所第五研究部(部長:田宮猛雄教授)副手に就任、1949年(昭和24年)に助手に就任、1959年(昭和34年)7月に東京大学伝染病研究所第二細菌研究部(部長:山本郁夫教授)助教授に就任、1971年(昭和46年)4月に東京大学医科学研究所免疫学研究部長・教授に就任、1980年(昭和55年)4月に東京大学を定年退官、5月に東京大学名誉教授の称号を受称。
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高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、19… 高桑 栄松(高桑 榮松、たかくわ えいまつ、旧姓:桜井、1919年2月8日 - 2016年5月4日)は、日本の政治家、医学者。北海道大学名誉教授、参議院議員(2期)。医学博士。位階は従三位、勲等は勲一等。 長兄は熊本県知事、参議院議員の桜井三郎。 新潟県西蒲原郡地蔵堂町(現燕市)に10人兄弟の8番目として生まれる。新潟県立巻中学校を経て北海道帝国大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。1945年札幌在住の親戚である高桑家の養子となる。1956年より北海道大学へ赴任。医学部長・大学院環境科学研究科長を経て、1980年より公害研究所(現国立環境研究所)所長として筑波研究学園都市で過ごす。同年、紺綬褒章受章。
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村山 登(むらやま のぼる、1918年〈大正7年〉12月1日… 村山 登(むらやま のぼる、1918年〈大正7年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の農林技官、植物栄養・肥料学者。農学博士。元農林省農業技術研究所化学部作物栄養科長、元東京農工大学農学部長。東京農工大学名誉教授。 新潟県新潟市出身。1935年(昭和10年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に農林省農事試験場助手に就任、1943年(昭和18年)7月に応召、1945年(昭和20年)9月に復員、農事試験場に勤務、1950年(昭和25年)4月に農林省農業技術研究所化学部作物栄養科作物栄養第2研究室長に就任、1961年(昭和36年)3月に東京大学から農学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)5月に農林省農業技術研究所化学部作物栄養科長に就任。
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廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 … 廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 - 2011年〈平成23年〉1月5日)は、日本の通商産業技官、地質学者。元通商産業省工業技術院地質調査所地質部主任研究官、元JICA(国際協力機構)特別顧問。 新潟県中蒲原郡大江山村大字直り山(現 新潟市江南区直り山)出身。1935年(昭和10年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学理学部地質学科を繰上卒業。 1942年(昭和17年)1月に商工省地質調査所に技手として入所、2月に太平洋戦争に応召、陸軍に入隊、1945年(昭和20年)8月に終戦、最終階級は陸軍中尉。
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塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30… 塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30日 - 2005年〈平成17年〉9月15日)は、日本の運輸技官、気象学者。理学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長、元日本大学生産工学部教授。日本風工学会名誉会員。 新潟県新潟市古町通12番町(現 新潟市中央区)出身。1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1937年(昭和12年)3月に新潟高等学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 逓信省中央航空研究所技手に就任、1944年(昭和19年)に応召、1945年(昭和20年)に復員、12月に運輸省鉄道技術研究所技師に就任、交通気象研究室に勤務、1949年(昭和24年)から日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室に勤務、1950年(昭和25年)5月に東北大学から理学博士の学位を取得、1954年(昭和29年)10月からアメリカのテキサス農工大学海洋学部で微気象について研究、1955年(昭和30年)11月からアメリカ各地の研究機関を視察、12月に帰国、1958年(昭和33年)5月に日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長に就任。
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中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16… 中村 亦夫(なかむら またお、1917年〈大正6年〉1月16日 - 1994年〈平成6年〉11月24日)は、日本の工業化学者、高分子化学者。工学博士(東京大学・1964年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)の新潟医学専門学校精神病学教室初代教授・中村隆治の三男として出生。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1942年(昭和17年)1月に東京帝国大学工学部講師に就任、太平洋戦争で陸軍に入隊、最終階級は陸軍大尉、戦後、東京帝国大学第二工学部応用化学科主任教授・友田冝孝の指導下で研究。
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井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年〈大正6年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉3月3日)は、日本の農林技官、気象学者、農業気象学者、微気象学者。理学博士。元農林省農業技術研究所物理統計部気象科長。日本農業気象学会名誉会員。 新潟県新潟市出身。新潟尋常小学校を経て、1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に第一高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学工学部航空学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に陸軍航空技術学校に入校、軍曹に任官、6月に見習士官に任官、8月に陸軍技術中尉に任官、陸軍航空本部に配属。 航空技術将校として、太平洋戦争の戦地や大日本帝国軍の占領地に出向き、そこに残された戦闘機スーパーマリン スピットファイアや戦闘機P-40 キティホークなどの敵国の航空機や文書などを調査した。
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佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2… 佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2017年11月9日)は、日本の歴史家。専門は、日本中世史・中世法制史・古文書学。学位は、文学博士(1961年)(学位論文(学位論文「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」)。中央大学名誉教授。東京大学教授・名古屋大学教授を歴任。 新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)生まれ。旧制新潟県立三条中学校4年修了後、1936年3月に旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部入学。1939年3月に東京帝国大学文学部卒業。卒業論文は「鎌倉幕府訴訟制度の分化」であった。 同年4月に東京帝国大学史料編纂所第十編部に採用される。
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上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5… 上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5月29日 - 2009年〈平成21年〉3月25日)は、日本の生化学者、薬学者(生物系薬学)。理学博士。大阪大学名誉教授、日本薬学会有功会員。 新潟県新潟市新島町通4ノ町(現 新潟市中央区新島町通4ノ町)の実業家・上原有三の八男として出生、1922年(大正11年)3月に新潟県新潟市旭町通2番町(現 新潟市中央区旭町通2番町)に転居。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に第四高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に大阪帝国大学理学部化学科を卒業。 1942年(昭和17年)に大阪帝国大学理学部化学教室助手に就任、赤堀四郎のもとで研究、1943年(昭和18年)に大阪帝国大学理学部大学院に特別研究生として入学、1947年(昭和22年)に大阪帝国大学理学部化学教室講師に就任、1951年(昭和26年)2月に大阪大学理学部化学教室助教授に就任、1952年(昭和27年)7月に大阪大学から理学博士号を取得、大阪大学医学部薬学科生化学教室助教授に就任、1955年(昭和30年)に大阪大学薬学部生化学教室助教授に就任、1958年(昭和33年)11月に大阪大学薬学部生物薬品化学講座初代教授に就任、1977年(昭和52年)6月に大阪大学薬学部第12代学部長に就任、1980年(昭和55年)4月に大阪大学を定年退官、大阪大学名誉教授の称号を受称、同月に摂南大学教養科教授に就任、1981年(昭和56年)9月に退職。
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大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日… 大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日 - 1986年(昭和61年)5月18日)は、日本の政治学者、翻訳家。専門は日本政治、国際政治。在日カナダ大使館顧問、聖徳学園岐阜教育大学教授を務めた。 1915年、秋田県生まれ。1926年、新潟市に転居。1933年に新潟県立新潟中学校を卒業し、青山学院文学部に入学。英語師範科で学び、1937年に卒業。1938年、太平洋問題調査会(通称IPR)就職する。以後、2度の従軍経験をはさんで1949年までIPRや世界経済調査会などのシンクタンクに勤務する。 1938年に、日本生まれのカナダの歴史家E・H・ノーマンとIPRのオフィスで出会い、交際が始まる。
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猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 -… 猪 初男(いの はつお、1914年〈大正3年〉10月9日 - 1999年〈平成11年〉9月11日)は、日本の耳鼻咽喉科学者、耳鼻咽喉科医。医学博士。第8代新潟大学学長。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡上条村大字両郷(現 阿賀町両郷)出身。 新潟師範学校附属小学校を経て、1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1939年(昭和14年)7月に海軍軍医中尉に任官、海軍軍医学校の教官として全国各地出身の軍医の養成に努め、海軍省に勤務していた時に太平洋戦争が終戦、最終階級は海軍軍医少佐、戦後、復員省に勤務。
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相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は… 相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は、日本の歴史家、歌舞伎研究家。 詩人・相馬御風の三男として東京に生まれる。祖父は衆議院議員の藤田茂吉。妹は日本文学研究者の相馬文子。糸魚川中学校(現・新潟県立糸魚川高等学校)卒業後、安田靫彦に日本画を学ぶ。また河竹繁俊に師事して歌舞伎を学ぶ。 NHK大河ドラマ『新・平家物語』『国盗り物語』『元禄太平記』『花神』の時代考証を手掛けた。
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澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
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横山 正松(よこやま しょうまつ、1913年11月19日 -… 横山 正松(よこやま しょうまつ、1913年11月19日 - 1992年8月14日)は、日本の生理学者。医学博士。新潟県北魚沼郡小千谷町(現・小千谷市)出身。旧制新潟医科大学卒業。同大学助手、米子医学専門学校助教授、福島県立医科大学教授を歴任した。この間、結核により数度療養したが、その度に復帰してのロヨラ大学とパリ大学での在外研究にも取り組んだ。
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松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 20… 松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 2001年4月8日)は、日本の政治評論家、歴史家。 新潟県新潟市生まれ。1938年東京帝国大学卒業、東京日日新聞社に入社、戦後、毎日新聞政治部長、論説委員、編集局次長を経て、政治評論家に。1971年から『サンデー毎日』の「サンデー時評」を担当、幕末史の研究者でもあり、1979年『大久保一翁』で毎日出版文化賞受賞。1983年の東京都知事選に、革新統一候補として立候補し、148万2169票を獲得したが、鈴木俊一に敗れた。2001年、肺炎のため88歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - … 大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - 1983年3月11日)は、日本の統計学者・僧侶。京都大学名誉教授。 新潟県加茂市生まれ。旧名・栄俊。1935年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1940年京都帝国大学経済学部卒、同助手、1942年日本鋼管入社、1949年京都大学経済学部助教授、1965年教授。1963年 経済学博士の学位を取得。1966-1967年経済学部長、1975年定年退官、名誉教授となり、日本福祉大学教授、1982年花園大学教授を務めた。
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