角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 20… 國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 2015年1月10日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。富山県富山市出身。 高岡高等商業学校を経て、1944年に九州帝国大学社会学科卒業。同年に日本放送協会に入社した。しかし、1950年に公職追放を受けたことにより解雇され、1952年に小嶋源作の紹介により、中部日本放送に入社した。 東京支社長、取締役、常務、専務を経て、1975年12月に社長に就任した。1987年6月から副会長に就任し、1989年6月から相談役に就任した。 1980年に藍綬褒章を受章し、1987年に勲二等瑞宝章を受章した。また、1979年にイタリア政府から「共和国有功勲章コンメダトーレ章」を受章し、1982年にオーストリア大使館からオーストリア大栄誉金章を受章し、1985年にフランス政府から国家功労章を受章した。
相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日 - 200… 相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日 - 2000年3月6日)は富山県出身の実業家、ゴルフ場の設計者。 富山県中新川郡水橋町(現富山市水橋町)で海産物商の8男として生まれた。富山県立滑川商業学校(現富山県立滑川高等学校)を経て、1939年東洋音楽専門学校(現東京音楽大学)卒業。 全国石油加工連合会、海軍燃料廠勤務を経て、1946年に石油製品の2次製品である潤滑油のメーカー、日興産業株式会社を設立。 1953年、日興産業の潤滑油工場施設の近隣にあった18ホールの河川敷ゴルフ場「六郷ゴルフ倶楽部」(現ゴルフ練習場)の経営を目的として、株式会社六郷ゴルフ倶楽部を設立、代表取締役就任を契機に、石油ビジネス以外に、ゴルフ場設計者、事業家としての道をも歩む。
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19… 若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19日 - 2005年〈平成17年〉12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。運輸事務次官、全日本空輸社長・会長・名誉会長を歴任した。親族に若狭和朋(甥)がいる。 富山県出身。富山県立砺波中学校、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学した。 1937年(昭和12年)9月、東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科に3500人中の32番目で合格した。官庁訪問に際し、若狭は同郷で内務省地方局に所属していた片岡清一に尋ねていた。片岡は若狭に対し、「内務省は、警保局(警察行政全般を指揮していた警察庁の前身)の連中が日ごとに軍人気取りで威張り出してきた。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2… 瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。
吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 199… 吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 1993年7月3日)は、日本の実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。YKK二代目社長・YKK AP創業者吉田忠裕は長男。 富山県下新川郡下中島村住吉(現在の魚津市住吉)で生まれる。魚津尋常高等小学校卒業後の1928年に上京。 古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始める。以降、YKKを世界的な企業に育て上げた。兄弟の吉田久松もYKKの設立に貢献した。 魚津町議会議員、魚津商工会議所初代会頭(1949年~)、富山地方裁判所魚津支部民事司法委員なども務めた。
金井 久兵衛(かない きゅうべえ、1906年9月4日 - 1… 金井 久兵衛(かない きゅうべえ、1906年9月4日 - 1996年11月5日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県富山市出身。 1930年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業、1932年に日本海電気に入社した。 1946年、北陸配電社長に就任し、1954年、北陸電力副社長を経て、1959年(昭和34年)9月9日、社長に就任。 1967年11月、北陸経済連合会の初代会長に就任した(1979年4月まで)。 1972年に会長に就任し、1979年には相談役に就任。 1964年11月19日、藍綬褒章を受章し、1976年に勲一等瑞宝章を受章。1968年(昭和43年)11月1日、中経産業功労賞(中部経済新聞社)を受賞。
滝本 清八郎(たきもと せいはちろう、1906年4月5日 -… 滝本 清八郎(たきもと せいはちろう、1906年4月5日 - 1971年5月2日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。 富山県富山市出身。1933年に神戸商業大学を卒業し、1934年に日本板硝子に入社。1951年11月に取締役に就任し、1958年5月に常務、1967年2月に専務を経て、1968年11月に社長に就任した。 1971年5月2日、肺癌のために死去。65歳没。
青井 忠治(あおい ちゅうじ、1904年〈明治37年〉3月3… 青井 忠治(あおい ちゅうじ、1904年〈明治37年〉3月30日 - 1975年〈昭和50年〉8月18日)は、日本の実業家。株式会社丸井 (OIOI)の創業者。 丸井グループ名誉会長青井忠雄は長男。元NHKアナウンサーの青井実は孫。 生家は富山県小杉の旧家の分家で、一人息子として生まれる。1歳の時に父の事業破綻により母と引き離され、2歳ではしかのため左眼を失明。10歳で他家に嫁した母を、11歳で結核を病んで床に臥していた父を失う。 1922年(大正11年)富山県立工芸学校(現在の高岡工芸高校)を卒業して上京、月賦販売商・丸二商会に入社。瞬く間に頭角を現し、1924年(大正13年)大塚店長、1925年(大正14年)本店の集金部長、1928年(昭和3年)中野店長、1930年(昭和5年)1月浅草店長、7月九段店長を歴任。
内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 198… 内多 蔵人(うちた くらうと、1903年5月1日 - 1980年10月6日)は、日本の経営者。富山県高岡市出身。 1927年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒に入社。1949年に日本麦酒(のちのサッポロビール)に移り、東京支店長、理事、取締役を経て、1961年に常務に就任し、1967年2月に副社長に就任した。1971年2月に社長に昇格し、1973年2月には会長に就任した。 1980年10月6日台湾台北市で旅行中に脳溢血のために死去。77歳没。
川南 豊作(かわなみ とよさく、かわみなみ とよさく、190… 川南 豊作(かわなみ とよさく、かわみなみ とよさく、1902年〈明治35年〉7月28日 - 1968年〈昭和43年〉12月11日)は、日本の実業家、右翼活動家。 1902年(明治35年)富山県に生まれ、1919年(大正8年)県立富山水産講習所を卒業後、東洋製罐株式会社に入社。 1931年(昭和6年)結婚後、退職して、朝鮮に渡り、トマト・サージン工場を建設してイワシのトマト煮缶詰の製造を始める。 1934年(昭和9年)、佐賀県にて合名会社川南工業所を設立し、缶詰製造業から曹達・硝子事業に転換する。曹達原料である塩を安く輸入するためには船が必要であるという考えから、1936年(昭和11年)、長崎県西彼杵郡香焼村(現:長崎市香焼町)にある閉鎖中の松尾造船鉄工所を買収し、川南工業所とともに吸収合併し、川南工業株式会社を設立し、造船業に進出する。
伊藤 英夫(いとう ひでお、1902年3月7日 - 1977… 伊藤 英夫(いとう ひでお、1902年3月7日 - 1977年9月1日)は、日本の経営者。稲畑産業社長を務めた。 富山県高岡市出身。1925年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に稲畑産業に入社。 1941年に取締役に就任し、1944年に常務、1951年10月に専務、1963年4月に副社長を経て、1969年5月には社長に就任。1972年12月には会長に就任した。 1977年9月1日、脳血栓のために死去。75歳没。
佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日… 佐藤 久雄(さとう ひさお、1900年(明治33年)1月9日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・杉野。 富山県東礪波郡出町(砺波町を経て現砺波市)で、杉野久松の二男として生まれる。1918年(大正7年)砺波中学校(現富山県立砺波高等学校)を卒業。1924年(大正13年)早稲田大学商学部を卒業し佐藤組(現佐藤工業)に入社した。1925年(大正14年)佐藤與左衛門の養子となる。佐藤工業営業部長を経て、1940年(昭和15年)代表取締役、1945年(昭和20年)取締役社長を歴任。 また、柳瀬村会議員、大阪財務局(現近畿財務局)管内所得審査委員、富山県東礪波郡地方事務所参与などを務めた。
卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4… 卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4月8日 - 1945年(昭和20年)6月16日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、新湊町長。 富山県射水郡新湊町四十物町(現射水市八幡町)で、卯尾田兵次郎、やい夫妻の長男として大井清平宅で生まれる。文珠寺尋常高等小学校高等科を経て、1914年(大正3年)3月、富山県立高岡中学校を卒業。同年4月、早稲田大学商科に入学し、1918年(大正7年)7月に卒業した。 大学卒業後、神戸市の下里貿易商会に入社。1923年(大正12年)2月、新湊立憲青年党を結成し総理に就任。1927年(昭和2年)9月、富山県会議員に当選。以後、名誉職参事会員、新湊町長(6期)、新湊町職業紹介所長、都市計画富山地方委員会委員、新湊警防団長などを務めた。
田中 良雄(たなか よしお、1890年1月24日 - 196… 田中 良雄(たなか よしお、1890年1月24日 - 1964年10月7日)は、日本の実業家。住友本社常務理事。住友家評議員会委員。 1890年(明治23年)、富山県射水郡浅井村(現射水市)に生まれる。高岡中学校、第四高等学校卒業。1915年(大正4年)、東京帝国大学法学部を卒業し、同年6月住友総本店(住友財閥)に入社。人事部人事課長、人事部長を経て、1937年(昭和12年)住友電線(現住友電気工業)専務、1941年(昭和16年)住友本社常務理事に就任。1947年(昭和22年)に退職した後、住友工業高等学校理事長や住友病院理事長、大阪市教育委員長などを務めた。
尾山 三郎(おやま さぶろう、1888年(明治21年)12月… 尾山 三郎(おやま さぶろう、1888年(明治21年)12月25日 - 1951年(昭和26年)10月3日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(1期)、富山市長。旧姓は大野。 富山県婦負郡富山手伝町(現富山市)で大野清兵衛の三男として生まれ、1899年、富山市千石町の尾山定次郎の養子となる。1905年3月、富山市立富山商業学校(現富山県立富山商業高等学校)を卒業した。 富山市蛯町の (株) 青物市場に入社。同支配人、同社長、帝国館社長、富山鉄道監査役、富山県食糧営団理事、富山県水産業会副会長、富山消防組組頭、富山警防団長、大日本警防協会理事などを務めた。 政界では、富山市会議員(6期)、富山県会議員(4期)に選出され、市会副議長、同議長も務めた。
河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月1… 河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日 - 昭和45年(1970年)5月14日)は、日本の農商務官僚、政治家、実業家。富山県高岡市名誉市民。
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年… 正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日)は、日本の警察官・内務官僚、実業家、政治家。読売新聞社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ放送会長、日本武道館会長などを歴任した。 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、読売中興の祖として大正力(だいしょうりき)と呼ばれている。 読売ジャイアンツ(巨人)の初代オーナーとして、戦後の日本のプロ野球の発展に貢献したためにプロ野球の父と呼ばれる。日本テレビを創立し、テレビの普及や発展に貢献したためにテレビ放送の父と呼ばれる。また、原子力発電の推進にも貢献したために原子力の父とも呼ばれる。
大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 -… 大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 - 1968年5月19日)は、日本の実業家、稲川部屋所属の元大相撲力士。四股名は鷲尾嶽。太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された。ホテルニューオータニ創業者。 富山県西礪波郡正得村(現・小矢部市)水落集落出身。 貧農の家庭に長男として生まれ、31歳になるまで一家を養うために農家の小作として使われる生活を送った。31歳の時、僅かな金(20銭)を親から借りて裸一貫で上京したが、保証人もいない単身田舎から出てきた男にまともな仕事は見つからず、日雇人夫となっていた。 やがて力自慢でならしていた米太郎に稲川部屋から声がかかり、大相撲力士となる。
綿貫 栄(榮、わたぬき さかえ、1880年〈明治13年〉4月… 綿貫 栄(榮、わたぬき さかえ、1880年〈明治13年〉4月 - 1965年〈昭和40年〉3月7日)は、日本の実業家、富山県東砺波郡井波町(現在の南砺市)長。勲五等瑞宝章。元衆議院議員の綿貫民輔の祖父。 1880年、富山県礪波郡井波町の井波八幡宮の神官の家に生まれる。地元井波小学校の代用教員や裁判所、富山県庁に勤める。30歳で富山県庁を退職し、砺波地方の鉄道事業に着手する。この後石川県に進出、事業を拡大し、新聞社や映画館などを経営した。 栄の長男が交通事故で死去したため、日本電力の社員であった南佐民を長女和子と結婚させ婿に迎えた。事業の傍ら、1931年から井波町長を務めた。 1947年、娘婿の佐民とともに公職追放となった。
山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明… 山田 少年(やまだ しょうねん / せいねん、1879年(明治12年)4月3日 - 1961年(昭和36年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、富山県東礪波郡福野町長。福野町豪農・山田家8代。 石川県礪波郡福野村(現:富山県南砺市)で、山田家7代・山田正景(初代福野町長、石川県会議員)の長男として生まれる。福野農学校(現富山県立南砺福野高等学校)で学んだ。 酒造業を営む。福野町会議員、富山県会議員を務めた。1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲同志会所属で出馬して当選。第13回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続二期務めた。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属して、県支部の幹部を務めた。
黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年(明治12年)2… 黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年(明治12年)2月7日 - 1966年(昭和41年)3月27日)は、日本の実業家。コクヨの創業者。 長男は黒田暲之助、三男は黒田靖之助。孫に黒田章裕、曽孫に黒田英邦、黒田卓也。義子に原信太郎。 20歳の時、故郷を離れて大阪市へ出て紙店につとめる。1905年、27歳で「黒田表紙店」を創業。表紙の質の良さなどで販売を伸ばし、基礎を築く。 1917年、「(越中)国の誉れとなるように」と「国誉(現在のコクヨ)」と商標を定める。1961年、社名を「コクヨ株式会社」に変更。和式帳簿を主体として出発したが、洋式帳簿を手始めに、現在オフィス全般の製品販売をこなしている。
木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9… 木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9日 - 1956年〈昭和31年〉12月10日)は、明治末から昭和期の内務官僚、実業家。官選富山県知事。 千葉県出身。従五位勲五等の官吏木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学。第一高等学校を卒業。1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる。 以後、三重県事務官、愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長、茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任。
6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)1… 6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)12月14日 - 1950年(昭和25年)7月8日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。富山県高岡市長。富山県多額納税者。幼名は清太郎。号・蒼石、杉雨。 新川県射水郡高岡上川原町(石川県、富山県射水郡高岡上川原町を経て現・高岡市川原本町)で、先代・太郎平の長男として生れ、1903年(明治36年)3月に家督を相続し、幼名を改め、6代太郎平を襲名した。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業後、志願兵として従軍し陸軍歩兵中尉に任官する。日露戦争の功により功五級金鵄勲章および日独戦争の功により勲四等を叙勲される。
荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15… 荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15日 - 1956年〈昭和31年〉7月22日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・正村。 新川県射水郡高岡町源平町(現富山県高岡市)で、実業家・正村義平の三男として生まれ、1887年(明治20年)実業家・荒井荘蔵の養子となる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1897年(明治30年)専修大学卒。高岡市参事会員、富山県議、同議長、高岡商業会議所会頭、高岡紡績(株)常務取締役、高岡銀行、高岡商業銀行、高岡電燈、山又機業、オリエンタル写真工業各(株)取締役、北陸信託(株)、高岡信用組合各社長、日本米穀(株)高岡市場参与となる。
伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1… 伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1月23日〉- 1945年〈昭和20年〉1月25日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、富山県下新川郡泊町長。幼名・柳太郎。 越中国新川郡沼保村(富山県下新川郡泊町沼保を経て現朝日町沼保)で、温泉業・伊東次郎左衛門祐明の長男として生まれる。祐明の養子・祐寛の相続人となり1891年(明治24年)家督を相続した。岡田信之に師事し漢籍を修めた。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業し、上京して専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ。 家業の小川温泉の経営を行う。1912年(明治45年)の大洪水で小川温泉が多大な損害を受けたため、移転も検討されたが泊町での再建が決定され、1913年(大正2年)7月、小川温泉株式会社が設立され社長に就任した。
牧野 平五郎(まきの へいごろう、1864年9月1日(元治元… 牧野 平五郎(まきの へいごろう、1864年9月1日(元治元年8月1日)- 1928年(昭和3年)5月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、富山市長。 越中国新川郡富山風呂屋町(現富山県富山市堤町通り)で、町年寄・牧野正貫(まさつら)の長男として生まれる。漢学、数学を修めた。家業の呉服業を営む。その他、十二銀行取締役、北陸商業銀行取締役、第四十七国立銀行取締役、富山電灯取締役、中越鉄道取締役、北陸生命保険取締役、富山鉄道取締役、富山米穀肥料取引所監査役、富山商業会議所副会頭などを務めた。また、富山実業新聞を創刊した。 政界では、1892年5月、富山市会議員に選出され、18年間在職し、同議長、富山県会議員、同議長も務めた。
広瀬 鎮之(廣瀬 鎭之、ひろせ ちんし、1864年7月11日… 広瀬 鎮之(廣瀬 鎭之、ひろせ ちんし、1864年7月11日(元治元年6月8日)- 1930年(昭和5年)10月21日)は、日本の実業家、漁業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国射水郡藪田村(のち富山県氷見郡藪田村、現:氷見市)で、素封家・広瀬義太郎の長男として生まれる。小学校を卒業し、金沢で漢学を、東京で禅学、語学を学んだ。 1885年頃、同郷の浅野総一郎が経営する秋田の鉱山で支配人に就任。日清戦争後、浅野らと台湾で事業を展開し、台北電燈取締役、台北米穀市場理事などを務めた。1910年、氷見に三漁組を設立して漁業経営を行った。その他、光針製造取締役、日本電気興業取締役、東方公司取締役、樺太炭礦取締役などを歴任した。
初代 金岡 又左衛門(かなおか またざえもん、1864年2月… 初代 金岡 又左衛門(かなおか またざえもん、1864年2月29日(元治元年1月22日)- 1929年(昭和4年)6月10日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。幼名・米太郎。 越中国新川郡新庄新町村(富山県上新川郡新庄町を経て現富山市新庄町)で、薬種業・金剛寺屋又右衛門、たみ夫妻の長男として生まれる。1879年(明治12年)9月20日、16歳で父が死去して又左衛門に改名し家業を継いだ。1879年(明治12年)富山医学所に入学したが、1881年(明治14年)4月同校の廃校により退学を余儀なくされた。その後、林周平から3年ほど漢学を学んだ。 密田孝吉との出会いで電気事業に関心を持ち、1897年(明治30年)11月に富山電灯(のち日本海電気)を設立して社長に就任した。
南嶋 間作(みなみじま まさく、1863年7月31日(文久3… 南嶋 間作(みなみじま まさく、1863年7月31日(文久3年9月13日)- 1899年(明治32年)2月9日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 越中国射水郡新湊放生津町(石川県射水郡新湊放生津町、富山県射水郡新湊放生津町、新湊町、新湊市を経て現射水市放生津町)で、徳三の長男として生まれた。岡田呉陽に漢学を学んだ。高岡(現高岡市)の商家で奉公し、その後、大阪・渋谷塾で数学を学び、東京・豊国校で簿記学を慶應義塾で政治学・経済学を学んだ。1886年(明治19年)父の病のため帰郷した。 新湊町立卓立小学校長、同廉貞小学校長に就任。1888年(明治21年)四日曽根小学校長、荒屋小学校長を兼務。1889年(明治22年)小学校長を辞職し、上海で海運事情を視察して帰国した。
漆間 民夫(うるま たみお、1863年7月31日(文久3年6… 漆間 民夫(うるま たみお、1863年7月31日(文久3年6月16日)- 1926年(大正15年)7月26日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・守太郎。号・履堂、千畝。生地銀行創立者。 越中国新川郡生地村(石川県新川郡生地村、下新川郡生地村、富山県下新川郡生地村、生地町を経て現黒部市生地)で、素封家、酒造業・漆間次郎右衛門の長男として生まれた。1877年(明治10年)岡田呉陽の塾に入門。1883年(明治16年)上京して明治義塾で学び馬場辰猪から薫陶を受けた。 島田孝之、田村惟昌らと自由民権運動に尽力。富山県奨学委員、生地村外4ケ村奨学委員、富山県免囚保護会評議員を務めた。
西能 源四郎(さいのう げんしろう、1859年12月4日(安… 西能 源四郎(さいのう げんしろう、1859年12月4日(安政6年11月11日)- 1916年(大正5年)12月6日)は、日本の実業家、政治家。富山県会議員や衆議院議員を務め、両砺銀行を設立し頭取となった。幼名・源之助、本名・義彰、通称・源四郎。号・五州、士強、耕萬里。 越中国礪波郡広安村(のち富山県東礪波郡福野町を経て、現南砺市)で、先代・西能源四郎の長男として生まれる。11歳で父が死去したため、母の実家で養育され、祖父・天富鼎太郎の薫陶を受けた。その後、富山藩儒・岡田呉陽の家塾で漢文、詩文を修めた。 自由民権運動に加わり、島田孝之らの越中改進党に参加した。富山県会議員を3期務めた(明治19年9月〜同12年2月、同21年3月〜同25年6月、同29年8月〜同年10月)。
2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安… 2代 高広 次平(たかひろ じへい、1859年2月19日(安政6年1月17日) - 1920年(大正9年)8月26日)は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 越中国礪波郡福岡町(富山県西礪波郡福岡町を経て現高岡市)に生まれ、高広彦八の長男彦造の婿養子となり、のち襲名する。福岡町会議員を経て、1889年(明治22年)初代福岡町長に就任する。1895年(明治28年)福岡同盟銀行を創業し頭取に就任。ほか、北陸海上保険社長、広通、高岡共立銀行、中越鉄道各取締役などを歴任した。 1900年(明治33年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年6月13日から1903年(明治36年)2月6日まで在任した。
6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6… 6代 菅野 伝右衛門(すがの でんえもん、1859年(安政6年3月) - 1900年(明治33年)10月10日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。本名は友次郎。 のちの富山県高岡市木舟町に生まれる。1889年(明治22年)、正村五平と共に高岡銀行を設立。1893年(明治26年)には高岡紡績を創立した。さらに翌年、高岡経済会を組織し、1896年(明治29年)高岡商業会議所初代会頭に就任した。ほか、高岡市参事会員、同学務委員、富山県会議員などを歴任した。 1897年(明治30年)には富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1900年(明治33年)3月19日まで在任した。
大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年… 大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年4月14日(安政5年3月1日)- 1940年(昭和15年)2月2日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、漢詩人。衆議院議員、富山県会議長。号・二水(にすい)、鹿陽(ろくよう)。 越中国射水郡掛開発村(富山県射水郡掛開発村大字掛開発村を経て現高岡市)で、町年寄・鷲塚屋七右衛門の息子として生まれた。1879年(明治12年)京都の草場船山に師事し漢文学を修めた。その後、東京で英学を学び、犬養毅らと交友した。 1881年(明治14年)帰郷して海内果から示唆を受け、高岡町片原横町に中等教育塾・越中義塾を設立して教育を行うが、1883年(明治16年)旧制富山中学校(現富山県立富山高等学校)が開校して生徒数が減少し、1884年(明治17年)に塾を閉じた。
大矢 四郎兵衛(おおや しろべえ、1858年2月2日(安政4… 大矢 四郎兵衛(おおや しろべえ、1858年2月2日(安政4年12月19日) - 1930年(昭和5年)9月25日)は、日本の富山県出身の実業家、政治家。衆議院議員。 礪波郡鷹栖村(現・砺波市)の大地主の家庭に次男として生まれる。父と兄を早くに失い、14歳で家督を相続する。金沢の私塾「竹下塾」に遊学ののち、帰郷して1885年(明治18年)、富山県会議員に当選した。1892年に落選後、1894年に鷹栖村長となり、1895年に県会議員に再度当選し、議長に就任している。 1898年(明治31年)の第6回衆議院議員総選挙に憲政本党より富山県第4区から立候補して当選し、1903年まで3期務めた(選挙区は、第7回総選挙では富山県郡部第5区、第8回総選挙では富山県郡部第2区)。
安念 次左衛門(あんねん じざえもん、1855年10月31日… 安念 次左衛門(あんねん じざえもん、1855年10月31日(安政2年9月21日) - 1934年(昭和9年)1月23日)は、日本の実業家。政治家、衆議院議員(2期)。子に安念精一。 越中国礪波郡、のちの富山県東礪波郡太田村(砺波町を経て現砺波市)出身。安念次郎左衛門の次男として生まれ、先代の安念次左衛門の養子となる。1876年、石川県師範学校卒。町村連合会議員、石川県会議員、富山県会議員、中越鉄道(株)、中越銀行、富山日報を創立し、重役となる。 1903年の第8回衆議院議員総選挙において富山県郡部から憲政本党公認で立候補して初当選する。1904年の第9回衆議院議員総選挙で再選した。衆議院議員を2期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙は不出馬。
高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(185… 高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(1854年12月22日) - 大正11年(1922年)7月22日)は、日本の化学者、実業家。工学博士号と薬学博士号を受ける。タカジアスターゼ、アドレナリンを発見し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した。日本人による開発型ベンチャー企業やスタートアップの先駆者とされる。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。 現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒、応用化学を専攻し、社会人となってから3年間、官費で留学。 1854年に越中国高岡(現:富山県高岡市)の山町筋と呼ばれる御馬出町(おんまだしまち)の漢方医高峰精一の長男として生まれる。
内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4… 内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4年6月2日)- 1911年(明治44年)1月8日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国婦負郡石坂村(富山県婦負郡石坂村、桜谷村を経て現富山市)で、十村役を務めた内山吉治の息子として生まれた。1864年(元治元年)富山藩の高島流兵式練修を命じられ、さらに仏式兵法を修めた。農業を営む。 1876年(明治9年)石川県越中第11大区戸長に就任。石坂村外11カ村戸長、田刈屋外23カ村戸長を歴任。その他、学務委員、村会議員、町村組合会議員、所得税調査委員、用水組合会議員なども務めた。 1888年(明治21年)富山県会議員に選出され、1892年(明治25年)まで在任。
橘 清治郎(たちばな せいじろう、1850年6月29日(嘉永… 橘 清治郎(たちばな せいじろう、1850年6月29日(嘉永3年9月25日)- 1928年(昭和3年)5月30日)は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・吉田。 越中国礪波郡中田町(富山県東礪波郡中田町を経て現高岡市)で吉田要蔵の二男として生まれる。射水郡、のちの守山村(現:高岡市)の米穀商・砂紋四郎家に住み込みで奉公し、同村の農業・安右衛門の養子となり、文久2年3月(1862年3-4月)家督を相続。1872年(明治5年)橘姓で戸籍の届け出を行った。 米の仲買人として成功して一代で財産を築いた。越中物産取締役、北越人造肥料取締役、高岡銀行取締役、高田共立銀行監査役なども務めた。
島田 孝之(しまだ たかゆき、嘉永3年5月3日(1850年6… 島田 孝之(しまだ たかゆき、嘉永3年5月3日(1850年6月12日) - 明治40年(1907年)1月15日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党)、実業家。字は維則、号は克堂・湘洲・鴎東など。 越中国礪波郡島新村(現在の富山県高岡市)出身。明治8年(1875年)に新川県教務監督となるが、翌年に新川県が石川県に吸収されて廃県になると、県令山田秀典の新たな赴任先の青森県に随行し、野辺地警察署長に就任した。明治14年(1881年)に辞任して郷里に帰り、自由民権運動に参加し、北辰社を結成した。翌年、北辰社は他の結社と合同して越中改進党となり、幹事の島田は石川県会議員に選出された。明治16年(1883年)に富山県が置かれると、富山県会議員となり、3期務めた。
10代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1847年7月29… 10代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1847年7月29日(弘化4年6月18日)- 1904年(明治37年)10月20日)は、日本の実業家・慈善家。総合建設会社(ゼネコン)の佐藤工業株式会社創業者。富山県砺波郡柳瀬(現砺波市)生まれ。多くの橋の架設に私費を投じ、又、本願寺富山別院が焼失した際、2ヵ月後に「蓮如上人400回忌法要」という大行事を控えていた本願寺の為に結果的に無償で昼夜突貫で再建した。 1500年代の佐藤家の祖佐藤助左衛門から数えて9代目佐藤助九郎の子で、名は10代目貞次であるが、佐藤工業の創業者、初代助九郎と称している。 貞次は近郷に並ぶ者のない豪力と胆力の優れた父の資質を受け継ぎ、相撲・盤持ちなどを得意とし“力持ち貞次”といわれた。
2代 馬場 道久(ばば みちひさ/どうきゅう、1847年1月… 2代 馬場 道久(ばば みちひさ/どうきゅう、1847年1月8日(弘化3年11月22日) - 1916年(大正5年)5月20日)は、明治から大正時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は吉次郎。 北前船主馬場九兵衛の二男として越中国新川郡東岩瀬村(富山県上新川郡東岩瀬村、東岩瀬町を経て現富山市)に生まれる。長男大次郎の病死により7代九兵衛(初代道久)の跡を継いだ。1881年(明治14年)北陸通船会社創設に資金援助し、北陸における小蒸気船、貨物蒸気船の導入を進めた。1885年(明治18年)上野から直江津間の鉄道が開通すると翌年、伏木の二上兵吉とともに直江津までの小蒸気船業の経営に当たる。
井上 清治(いのうえ せいじ / きよはる[要出典]、184… 井上 清治(いのうえ せいじ / きよはる[要出典]、1844年11月5日〈弘化元年9月25日〉 - 1913年〈大正2年〉1月12日)は、明治から大正初期の大地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。号・松龍、勲等は勲四等。 越中国婦負郡御門村(富山県婦負郡速星村、婦中町を経て現富山市婦中町速星)で、井上清六の二男として生まれ、豪農の井上家26代・井上清治の養子となり、家督を相続して清治を襲名し27代当主となる。 1884年(明治17年)婦負郡中名村ほか37ヵ村戸長に就任し、以後、同郡学務委員、速星村会議員、婦負郡会議員などを務めた。 1903年(明治36年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、同年5月5日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
岩城 隆常(いわき たかつね、1838年10月10日(天保9… 岩城 隆常(いわき たかつね、1838年10月10日(天保9年8月22日)- 1893年(明治26年)10月18日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国新川郡大村(石川県新川郡大村、富山県上新川郡大広田村を経て現富山市海岸通)で、加賀藩十村役・重右衛門の息子として生まれた。 1873年(明治6年)新川県第7大区長、1876年(明治9年)石川県第2大区副区長に就任。その後、上新川郡首席書記、大村外16カ村戸長、大村外7カ村戸長を務めた。1890年(明治23年)3月、富山県会議員に選出され、1892年(明治25年)2月まで在任した。 1892年2月、第2回衆議院議員総選挙(富山県第2区、独立倶楽部)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
谷 順平(たに じゅんぺい、1836年12月21日(天保7年… 谷 順平(たに じゅんぺい、1836年12月21日(天保7年11月14日)- 1921年(大正10年)8月3日)は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、富山県会議長、富山県下新川郡道下村長。幼名・義之助。 越中国新川郡仏田村(石川県新川郡仏田村、富山県下新川郡道下村を経て現魚津市)で、豪農・谷平兵衛の長男として生まれた。加賀藩士・沢田六左衛門、馬場春鴎に師事し漢学を修めた。1856年(安政3年)家督を相続し新川郡縄張役、仏田の肝煎役に就任。1872年(明治5年2月)金沢県新川郡第8区租税調役、1873年(明治6年)9月、第3大区副区長となる。その後、戸長、下新川郡書記を務めた。
水上 善治(みずかみ ぜんじ、1828年8月11日(文政11… 水上 善治(みずかみ ぜんじ、1828年8月11日(文政11年7月1日)- 1898年(明治31年)4月28日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての、富山県東礪波郡平村(現・南砺市)の実業家、政治家。当初は水上善三郎と名のっていたが、1888年(明治21年)に善治と改めた。本稿では便宜上「水上善治」と統一して表記する。 明治維新後に五箇山地域を取り巻く環境が激変する中で、五箇山の殖産興業・交通路の開拓・文化教育の振興に私費を投じて尽力したことで知られる。『平村史』では「五箇山開発・開化の偉大なる先覚者で、その名と業績は不朽である」と評されている。 水上善治は文政11年(1828年)7月1日に高草嶺集落の藤井家に生れ育った後、安政3年(1856年)5月に下梨集落の水上家を継いだ人物である。
田作 健一 (たさく けんいち) は日本の実業家。クリエイテ… 田作 健一 (たさく けんいち) は日本の実業家。クリエイティブフィナンシャルマーケティング株式会社(Creative Financial Marketing Co.,ltd.)の取締役マネジング・ディレクター。データベース・マーケティングの専門家。空間ディスプレイ・クリエイター。地域物産店舗「越中國富山縣陣屋」統括運営者。 富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)で事業金融やベンチャー企業の発掘などに携わった後、アメリカのPOSレジ・マーケティング会社であるカタリナマーケティングコーポレーション(Catalina Marketing Co.,ltd.)の日本法人のスタートアップに加わり、日本におけるビッグデータ解析の草創期において小売業・外食産業などの購買POSデータを独自の数理モデルと分析手法を用いて体系化した。
三浦 健人(みうら けんと)は、日本の実業家。トムソン・ロイ… 三浦 健人(みうら けんと)は、日本の実業家。トムソン・ロイター株式会社にて、代表取締役社長を務める。 トムソン・ロイター参画前は、Apple Japanにて、iPhone、Apple Payなど日本国内でのサービスや製品の立ち上げに長く携わった後、パーセフォニ(脱炭素ソリューション関連の米企業)のジャパン・カントリーマネージャーに就任していた。 富山県高岡市出身。富山県立高岡高等学校、東京大学工学部卒業。 トムソン・ロイター株式会社の代表取締役社長に2024年7月に就任。 トムソン・ロイター参画前は、パーセフォニにて日本法人代表を務め、AIなどのテクノロジーを活用し、企業や金融機関の脱炭素を促進した。