高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015… 高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は、日本の編集者・作家・随筆家。多くの著書がある。 京都市出身で石川県加賀市育ち。石川県立大聖寺高等学校、京都大学文学部仏文学科卒業。 1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる。 1963年エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)PR課に入社。 1964年からPR誌『エナジー』を編集者として創刊して、11年間、編集者をつとめる。大学時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価された。
辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年… 辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年11月1日)は、日本の合唱指揮者である。石川県江沼郡山中町出身。 石川県立大聖寺高等学校を経て武蔵野音楽大学声楽科卒業。同大学専攻科修了。NHK東京放送合唱団に所属したが65年にフリーの合唱指揮者として独立する。作曲家高田三郎との親交が深く、高田の代表作である「水のいのち」「心の四季」等のステージ初演を務めた。ほかにも多くの邦人作曲家の初演や紹介にも精力的に取り組んだ。 指揮・指導を務める傘下の合唱団をTCF(ツジ・コーラス・ファミリー)として組織化する。各合唱団を率いて全日本合唱コンクール全国大会で度々金賞に導いた。84年には合唱団の最優秀指揮者に送られる「コーラス・オブ・ザ・ワールド賞」を受賞する。
吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本… 吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本の陶芸家。2001年に人間国宝に認定された。本名は吉田 稔。 石川県小松市出身。生家は作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。 九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。
春田 博(はるた ひろし、1932年5月11日 - )は、元… 春田 博(はるた ひろし、1932年5月11日 - )は、元シチズン時計株式会社相談役。 1932年石川県金沢市生まれ。 金沢大学金沢高等師範学校附属高校(現・金沢大学附属高等学校)特別科学学級を経て、1956年に早稲田大学第一理工学部機械科卒業、同年シチズン時計入社。精機事業部次長、常務取締役精機事業本部長、代表取締役副社長などを経て、1997年6月から2002年6月まで社長を務める。取締役相談役を経て2005年6月から現職。 2004年4月、旭日中綬章受章。
塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 -… 塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 - 2016年9月21日)は、日本の洋画家(浦和画家)。2010年から日洋会理事長。石川県小松市生まれ。雪深い北国の風景画で知られた。陶芸家・塗師淡斉の長男。
嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 201… 嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 2019年12月19日)は、日本の陶磁器研究家。 石川県小松市生まれ。立教大学卒業、九州大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。1959年石川県美術館職員となる。資料課長、専業課長、1980年石川県立美術館開設準備室長、1983年石川県立美術館副館長、1991年館長。石川県七尾美術館館長、石川県文化財保存修復工房所長を兼任する。 2019年12月18日にホテル日航金沢で開かれていた「第60回美術家まつり」の席上で意識を失い、翌12月19日に虚血性心疾患のため石川県立中央病院で死去した。87歳没。 兄に嶋崎弘(雲井社長)、嶋崎均(参議院議員)、嶋崎譲(政治学者・衆議院議員)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)がいる。
萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - … 萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - 2015年10月13日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。伊吹派所属。 長男の萩山峰人は氷見市議会議員(2003年の富山県議選に立候補し落選)。 1932年、石川県羽咋郡北志雄村(現・宝達志水町)の寺院の次男として生まれる。1953年、石川県立羽咋高等学校卒業。1957年、立命館大学法学部を卒業し、衆議院議員・正力松太郎の秘書を1969年まで務めた。 1971年、富山県議会議員に初当選し、2期務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙で落選(富山2区)。1980年、第36回衆議院議員総選挙で落選。
伊藤 公象(いとう こうしょう、英語: Kosho Ito、… 伊藤 公象(いとう こうしょう、英語: Kosho Ito、本名: 伊藤 一成、1932年1月26日 - 2024年7月6日)は、土を素材とした陶造形で知られる日本の美術家。金沢美術工芸大学名誉客員教授。 1932年石川県金沢市生まれ。1972年より茨城県笠間市を制作の拠点としている。1970年代より国内外の美術館や国際展において作品を発表している。息子はアーティストの伊藤遠平。 1932年に象嵌の名手として知られた彫金家だった伊藤勝典の長男として石川県金沢市に生まれる。戦時中に若くして父を亡くし、14歳から加賀九谷焼の名工である中村翠恒の門下に入る。弟子の少ない少数精鋭の工房だったこともあり、粘土作りから、窯場の仕事、釉薬の調合などの技術をわずか数年で学ぶことになる。
宮地 惟友(みやじ よしとも、1932年1月18日 - )は… 宮地 惟友(みやじ よしとも、1932年1月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。
鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2… 鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2002年12月8日)は、日本の翻訳家・文芸評論家。本姓は斎藤(さいとう)。 石川県金沢市生まれ。石川県立金沢第二高等女学校在学中の1945年5月に、東京から疎開転校してきた曽野綾子と出会う。1954年金沢大学法文学部卒業。大学の同級生に、後に金沢女子短期大学教授となる森井道男がいる。1957年から1967年まで、金沢アメリカ文化センター図書主任を務める。 曽野綾子の評伝を表し、曽野や夫の三浦朱門とともに翻訳を手がけるが、1981年には曽野に対し「もう付き合わない」と通告し絶縁状態となった。晩年には癌に冒され、聖路加国際病院の緩和ケアー病棟に入院した1999年に、曽野と連絡を取り復縁する。
乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の… 乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の作曲家・歌手。石川県白山市出身。日本作曲家協会会員、石川県歌謡文化協会理事長。 乙田修三歌謡研究所を主宰し、門下生の中にはプロデビューした者も多い。また、公民館などのカラオケ教室でも講師を務める。 北陸放送ラジオで1993年10月から2025年12月まで『乙田修三勝ち抜き歌謡道場』というリスナー参加ののど自慢番組に出演していた。 毎年6月に開催される金沢市の百万石まつりでは前田利家役の俳優が金沢駅前を出発する際に乙田が自作の『あゝ前田利家公』を歌うのが恒例となっている。 鶴来町(現白山市)に生まれる。4歳の時、事故で目を怪我しそれがもとで弱視となる(30代で右目の視力を失い、左目もコンタクトレンズを入れて0.3程度しか見えない)。
山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日… 山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の政治家。石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章。 山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。 山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた。
古畑 和孝(ふるはた かずたか、1931年(昭和6年)6月9… 古畑 和孝(ふるはた かずたか、1931年(昭和6年)6月9日 - )は、日本の社会心理学者、東京大学名誉教授。父は、法医学者・医学博士・東京大学名誉教授・日本学士院会員の古畑種基。 石川県金沢市出身。三重県人・古畑種基の四男。金沢医科大学教授を務めていた父・種基は1936年、東京帝国大学教授に任ぜられ医学部に勤務した。 1954年、東京大学教育学部教育心理学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程、同博士課程を経て、1960年~64年米国イリノイ大学留学。国際基督教大学、東京大学文学部、帝京大学文学部の各教授を歴任。
角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 -… 角 光雄(かど みつお、1931年(昭和6年)5月29日 - 2010年(平成22年)10月24日)は、日本の政治家。石川県白山市長(2期)。石川県議会議員(自由民主党、4期)、松任市長(2期)、松任市議会議員を歴任した。 石川県松任町出身。1948年石川県立松任高等学校(旧・石川県農学校、現・石川県立翠星高等学校)中退。1973年松任市議に当選同議長を経て、1983年石川県議に当選。4期務め、議長を務めた。1998年松任市長に当選。2期務め、2005年に松任市は合併で白山市となり、合併後の白山市長に就任した。2009年に再選、翌2010年10月24日午前3時頃、自宅の浴槽で心肺停止状態で倒れているのを家族が発見、同3時46分に公立松任石川中央病院で急性心臓死のため現職のまま死去、79歳。
御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - … 御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - 2002年8月5日)は、石川県金沢市出身の日本の俳優。本名は鈴木 脩一(すずき しゅういち)。 石川県生まれ。出生地については、羽咋郡押水町とするものと、金沢市高岡町とするものがある。 一男一女の長男で、日舞藤間流名取の姉がいる。父方の鈴木家は、代々加賀前田家の御殿医を務めた家柄。父の武も医師だったが、太平洋戦争末期には、海軍に徴用されていた日本郵船所有の貨客船筥崎丸に機関士として乗船していた。1945年3月19日、筥崎丸はアメリカ海軍の潜水艦による雷撃を受けて沈没し、父は戦死。長唄の師匠だった母・喜美の稽古料が遺された家族の生活の支えとなるが、1950年には母も病死し、祖母と姉との生活になった 。
寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年3月28日 - 20… 寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年3月28日 - 2024年2月25日)は、1963年(昭和38年)5月に行方不明になり、1987年(昭和62年)1月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生存していることが判明した寺越武志の母親。 1963年(昭和38年)5月11日土曜日、中学校に入学して間もない長男、寺越武志(当時13歳)が叔父の寺越昭二(当時36歳)、寺越外雄(当時24歳)とともに小型漁船「清丸」で能登半島沖へメバル漁に出たまま行方不明になった。「清丸」は5月11日午後1時ころに高浜港を出港し、北よりの富来町(現、志賀町)福浦港に立ち寄った後、午後4時ころ福浦の沖400メートルに刺し網を入れた。
井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月2… 井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月20日)は、日本の作家、随筆家、俳人。 石川県金沢市出身。本名・幸子。金沢女子専門学校文科(現・金沢学院大学)卒。金沢市の浄土真宗本願寺派の光徳寺の住職の妻(堂守)。1981年「廓のおんな」で大宅壮一ノンフィクション賞佳作となり、その他多くの著作をなした。俳人としては俳誌『雪垣』に拠った。
中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 200… 中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 2009年2月3日)は、石川県出身の弁護士である。元茨城大学・関東学院大学教授。
道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1… 道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1月3日 - )は、日本料理の料理人。勲等は旭日小綬章。 赤坂常盤家チーフ、銀座ろくさん亭店主、懐食みちば店主などを歴任した。 石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身の日本料理の料理人である。「赤坂常盤家」のチーフなどを経て「銀座ろくさん亭」の主人となる。その後、銀座に「懐食みちば」も新たに出店した。身長168cm。 1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。
杉浦 貞(すぎうら ただし、1931年〈昭和6年〉 - )は… 杉浦 貞(すぎうら ただし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の紙芝居師。石川県羽咋市出身、石川県立羽咋高等学校卒業。1952年(昭和27年)からは大阪府大阪市に在住。 もとは大阪府内の染色工場に染色技師として勤めており、仕事の合間にボランティアグループに参加して紙芝居に触れたことで、職場の休日に紙芝居を行なっていた。1980年(昭和55年)、工場の倒産を機にプロの紙芝居師となり、大阪市内の公園などで興業を行なう。紙芝居師が激減している21世紀以降においては、兼業で活動する紙芝居師はいるものの、専業の紙芝居師は大阪では杉浦が唯一と見られており、テレビでも「最後の紙芝居師」と紹介されて話題を呼んでいる。
野村 庄吾(のむら しょうご、1931年 - 2019年)は… 野村 庄吾(のむら しょうご、1931年 - 2019年)は、発達心理学を専門とする日本の心理学者。京都教育大学、奈良女子大学、花園大学の教授を歴任した。 金沢市生まれ。京都大学教育学部に学び、1954年に卒業した。 発達心理学を専門とし、「発達障害」という用語が一般化する以前から障害の問題について研究に取り組んだ。また、「笑い」の心理学的研究にも取り組んだ。
横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、… 横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。 石川県金沢市出身。金沢三中時代は、1948年春の甲子園に出場(初戦で、北野中に3-5で惜敗)。夏は投手・三塁手・右翼手など、色々な守備についたが県大会予選でライバルの金沢一中に敗退し、甲子園に行けなかった。 卒業後は、社会人野球の強豪・日鉄鉱業二瀬に入団。ここで真野春美監督と出会い、真野監督が同じ大学(明治大学)の後輩に当たる松木謙治郎に三船正俊投手と共に紹介したことが縁で、1951年に大阪タイガースに入団した。石川県出身者としては初のプロ野球選手かつ初のタイガース選手でもあったが、翌1952年に選手登録(1952年は内野手、1953年は捕手として登録)されるも三船とは違い、一軍出場を果たすことなく1953年に退団した。
室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 201… 室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 2019年3月23日)は、日本の中距離走選手。石川県羽咋郡中甘田村(現・志賀町)出身。 塩田を営む室矢家の7人兄弟の次男として出生する。幼少より塩田の仕事の手伝いや船の櫓漕ぎ、素潜りでの貝採りなどで足腰を鍛えた。時代が軍国主義に向かう中で室矢も旧制中学校の半ばで志願兵となった。実際に戦地へ送られることなく終戦を迎え、新制石川県立羽咋高等学校の1回生として復学した。羽咋高では1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した広橋百合子より陸上競技の指導を受けた。元々走ることに自信を持っていた室矢は旧制中学最後の大会となる1947年(昭和22年)の全国中学陸上に800mで出場、2位に入賞した。
芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - … 芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - 2001年3月14日)は、日本の哲学者・社会学者。広島大学名誉教授。 石川県金沢市出身。金沢一中、第四高等学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業、法政大学助教授、1967年教授、1976年広島大学教授、1986年唯物論研究協会委員長。1993年定年退官、名誉教授、聖泉短期大学教授。 2001年、胆管癌により死去。
井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、… 井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1947年石川県立金沢高等女学校卒業。1950年津田塾大学教養課程修了、慶應義塾大学3年に編入学。1952年慶應義塾大学経済学部卒業。1955年慶應義塾大学経済学部副手。1958年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程退学。慶應義塾大学経済学部助手、1961年専任講師、1963年助教授、1972年教授。1979年「恐慌・産業循環の理論」で経済学博士(慶應義塾大学)。1986年4月~1992年3月経済理論学会代表幹事。1995年慶應義塾大学を定年退職。 父は井村徳二(金沢のデパート「大和」創業者、勁草書房創業者、政治家)、兄は井村寿二(大和社長・会長、勁草書房社長)。
金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月1… 金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月16日 - 2020年 <令和2年> 9月30日)は、日本の政治家。階は正五位。 石川県議会議員(12期)、石川県議会議長、金沢市議会議員(1期)、新進石川会長(初代)、江蘇省栄誉公民などを務め、石川県議会における非自民の中心勢力である新進石川を長らく率いた。元北陸放送アナウンサーで、2019年の石川県議会議員選挙で当選した長田哲也は次女ゆかり (元北陸放送アナウンサー、現フリー)の夫。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校卒業。1967年より金沢市議会議員を1期務め、1971年、41歳で石川県議会議員に自由民主党公認で初当選。以後当選を続け県議会議長や自民党県連幹事長などを歴任。
千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 20… 千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 2022年7月4日)は、日本の俳人。 石川県珠洲市生まれ。本名・一郎。「風港」名誉主宰。珠洲市役所に勤め、観光・広報・社会教育行政に携わり、福祉事務所長。1954年に俳句結社「風」に入会し、沢木欣一に師事。「風」同人、「白山」顧問を経て、「風港」を主宰。公益社団法人俳人協会評議員、公益社団法人俳人協会石川支部顧問、珠洲並びに石川県俳文学協会顧問、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。 2022年7月4日、病気のため死去。92歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
柚木 学(ゆのき まなぶ、1929年6月22日 - 2000… 柚木 学(ゆのき まなぶ、1929年6月22日 - 2000年4月21日)は、日本の史学者。専門は日本海運史。関西学院大学教授、同大学学長(1994年4月から1997年3月)を歴任した。石川県金沢市生まれ。 1953年3月関西学院大学経済学部卒業。 1959年3月関西学院大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1954年4月から1957年3月まで関西学院大学経済学部助手補。 1957年4月から1960年3月まで関西学院大学経済学部助手。 1960年4月から1964年3月まで関西学院大学経済学部専任講師。 1964年3月、経済学博士(関西学院大学)の学位を取得。論文の題は「近世灘酒造業の経済構造」。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - )は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - 2018年(平成30年)7月14日)は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。 2013年(平成25年)に石川県立美術館で開催された『村田省蔵展 -画業60年の歩み-』では「卓抜な描写力と師・小絲に鍛えられた深い色彩を両輪」「美しい自然を賛美して描くものと、近景をクローズアップし、自己の感興や思いを述べるものとがある」「多彩かつ濃厚な色彩と緊密な構図は村田様式」 と評されている。 1929年(昭和4年)6月15日、石川県金沢市にて生糸問屋を営む生家の五男として生まれる。1942年(昭和17年)、石川県立金沢第二中学校へ入学。1944年(昭和19年)海軍飛行予科練習生として滋賀航空隊に入隊する。
渋谷 亮治(しぶや りょうじ、1929年5月17日 - 20… 渋谷 亮治(しぶや りょうじ、1929年5月17日 - 2014年2月5日)は、日本の経営者。 石川県金沢市出身。1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に渋谷工業に入社。 1954年に専務に就任し、1973年には社長に昇格し、1983年4月に会長に就任。 1991年6月にはテレビ金沢社長に就任。 2014年2月5日肺炎のために死去。84歳没。
秀ノ花 宗市(ひでのはな そういち、1929年5月3日 - … 秀ノ花 宗市(ひでのはな そういち、1929年5月3日 - 没年不明)は、出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小門 宗一(こかど そういち)。現在の石川県輪島市出身。175cm、90kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、寄り。 1950年1月場所に初土俵、1953年5月場所に十両昇進。十両を12場所務め、好成績を挙げることもあったが、膝などの負傷が多く、1956年9月場所に27歳で廃業した。肩幅が広く首も太い堅固な体格をしており、左四つからの攻めは強かったが、押し相撲でも強かった。
大河 直躬(おおかわ なおみ、1929年4月24日 - 20… 大河 直躬(おおかわ なおみ、1929年4月24日 - 2015年9月13日)は、日本の建築学者、千葉大学名誉教授。専攻は日本建築史。日本中世大工の生産・組織生活を明らかにし、民家の形式美を研究した。 金沢市生まれ。東京大学工学部建築学科卒、1958年同大学院数物系研究科建築学博士課程満期退学、1962年「中世建築の制作組織に関する研究」で工学博士。千葉大学工学部教授、1995年定年退官、名誉教授。
大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月1… 大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月15日 - 2015年(平成27年)3月2日)は、日本の囲碁棋士。石川県出身、増淵辰子八段門下、日本棋院所属、九段。王座戦準優勝など。旧名幸雄。1999年現役引退。 石川県小松市に生まれる。1939年(昭和14年)増淵辰子に入門し、翌年院生。1944年初段。1946年に若手棋士の研究会「金曜会」参加。1948年大手合秋期2部優勝、同年藤沢庫之助を中心とした研究会「黎明会」参加。1949年五段。1950年大手合春期2部優勝。1953年青年棋士選手権戦2部優勝。1958年首相杯争奪高段者トーナメント優勝、七段。1963年十段戦敗者組決勝進出。
新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 20… 新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 2020年3月15日)は、日本の哲学研究者、東洋大学名誉教授。専攻は、現象学・解釈学。 1929年、石川県生まれ。東北大学文学部を卒業。卒業後は、東洋大学助教授となり、教授となった。2000年に定年退任し、名誉教授となった。 新田義貞の末裔[要出典]。 (古田光、廣川洋一、中野幸次、竹田篤司、上妻精、飯島宗享、城塚登、岩永達郎、新田義弘、市倉宏祐による共編著)
石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日… 石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日 - 1999年(平成11年)8月2日)は、日本の農林官僚、政治家。農林水産事務次官、参議院議員。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制第四高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。1954年、農林省に入省。静岡県経済部水産課長、経済局企業流通部市場課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、食糧庁管理部長などを経て、1981年1月、食糧庁次長。同年7月21日、畜産局長。1984年7月6日、食糧庁長官。1986年6月10日、事務次官。 1989年、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補して初当選。
能登ノ山 竜三(のとのやま りゅうぞう、1928年5月5日 … 能登ノ山 竜三(のとのやま りゅうぞう、1928年5月5日 - 1971年7月20日)は、石川県珠洲郡(現在の珠洲市)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は出村 竜三(でむら りゅうぞう)。身長193cm、体重129kg。最高位は東十両13枚目(1950年1月場所)。得意技は左四つ、割り出し。引退後は世話人となり、立浪部屋で後進の育成に務めた。 1946年11月場所に18歳で初土俵。順調に出世して1950年1月場所に21歳で十両に昇進。しかし、2場所続けて5勝10敗と負け越して幕下に陥落。幕下陥落後は長い間低迷していたが、1956年頃から調子を戻し始めて、1957年3月場所に7年ぶりに十両に復帰した。
山田 孝一郎(やまだ こういちろう、1928年3月12日 -… 山田 孝一郎(やまだ こういちろう、1928年3月12日 - )は、日本の建築工学者。福井大学名誉教授。工学博士(東京工業大学、1962年)。専門は建築学・構造力学。 石川県出身。1945年、石川県立大聖寺中学校卒業。1950年、東京工業大学建築学科卒業。1954年、福井大学講師。1958年、福井大学助教授。1964年、福井大学教授。1993年、福井大学名誉教授。2004年、日本建築学会名誉会員。2008年、瑞宝中綬章受章。
鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 198… 鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 1985年9月7日)は、日本の洋画家である。社会や人間の闇を描いた画家であった。 下着デザイナーの鴨居羊子は姉。 石川県金沢市生まれ。1941年、旧制金沢中学校(現在の金沢高等学校)に入学。1946年、金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。宮本三郎に師事する。1950年、金沢市立金沢美術工芸専門学校洋画科専攻を卒業。二紀会同人に推挙される。1952年、芦屋・田中千代服装学園の講師となる。 1959年、31歳で初渡欧。1961年に帰国し、二紀会を退会。1964年、創作活動に行き詰まり、南米、フランスの首都パリ、イタリアの首都ローマを渡り歩く。
上田 和夫(うえだ かずお、1928年 - )は、日本の英文… 上田 和夫(うえだ かずお、1928年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部卒。出版社勤務ののち、明星大学教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26… 奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の政治家。位階は正三位。 石川県議会議員(1期)、衆議院議員(10期)、郵政大臣(第44代)、自治大臣(第40代)、国家公安委員会委員長(第50代)、運輸大臣(第65代)を歴任。自由民主党所属時代は「竹下派七奉行」の1人。 石川県石川郡美川町(現・白山市)出身。 旧制石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)で学ぶ。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、高沢寅男らと同期。旧制第四高等学校卒業。1948年、早稲田大学政治経済学部に入学。早大時代はレスリング部に所属し、小柄ながら戦闘的な性格と行動力を培った。
片口 安史(かたぐち やすふみ、1927年11月3日 - 1… 片口 安史(かたぐち やすふみ、1927年11月3日 - 1995年4月4日)は、日本の心理学者。中京大学名誉教授。 金沢市生まれ。1951年東京大学文学部心理学科卒。1961年「ロールシャッハ・テストの研究」で東京大学文学博士、「ロールシャッハ・スキゾフレニー・スコア」で順天堂大学医学博士。国立精神衛生研究所心理室長、中京大学文学部助教授、教授、名誉教授。 1961年、佐藤春夫、三島由紀夫、森茉莉、円地文子、丹羽文雄、武田泰淳、舟橋聖一、金子光晴、武者小路実篤、椎名麟三、平林たい子、草野心平、小林秀雄、井伏鱒二、中村真一郎、伊藤整、江戸川乱歩、高見順、井上靖、野間宏、中野重治にロールシャッハ・テストを行った。
嵯峨 逸平(さが いっぺい、1927年10月29日 - 20… 嵯峨 逸平(さが いっぺい、1927年10月29日 - 2007年12月28日)は、石川県金沢市出身の実業家。北陸放送の元社長・会長で、世界連邦運動協会石川県連合会の会長も務めていた。金沢工業専門学校(金沢大学工学部の前身校)卒業。 父は北國新聞社第5代目社長で、北陸放送と金沢工業大学の創設者でもある嵯峨保二。兄は北國新聞社第6代社長を務めた嵯峨喬。長男は北陸放送代表取締役社長を務めた嵯峨春平。孫はTBSテレビプロデューサーの嵯峨祥平と、元ミス日本のさがゆりこ。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭… 十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭和2年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月17日)は、日本の陶芸家で、大樋焼の本家十代当主。日展・日本現代工芸美術展・その他の個展などで大樋焼にとらわれない自由なかたちでの発表を行う際には大樋 年朗(おおひ としろう)を名乗る。2016年(平成28年)には「長左衛門」の名跡を長男・大樋年雄に譲って、以後は大樋 陶冶斎(おおひ とうやさい)を名乗る。本名は奈良 年郞(なら としろう)。文化勲章受章者。金沢市出身。
星野 命(ほしの あきら、1927年8月24日- 2015年… 星野 命(ほしの あきら、1927年8月24日- 2015年11月7日)は、日本の心理学者。国際基督教大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1952年東京大学文学部心理学科卒業、名古屋大学医学部精神医学教室臨床心理学研修生入局。54年同研究生。55年米国アイオワ州立大学大学院臨床心理学研究科にフルブライト奨学生として留学。56年ミシガン大学心理学クリニック研究員。1957年国際基督教大学教養学部専任講師。60年助教授、準教授、72年教授、90年定年、名誉教授、京都女子大学教授。2015年11月7日没。日本社会心理学会名誉会員。
中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 20… 中山純子(なかやま じゅんこ、1927年7月15日 - 2014年7月28日)は、石川県出身の俳人。本姓木村。金沢市生。旧制金沢第一高等女学校(現金沢二水高等学校)卒。生家の経王寺の法燈を継ぐ。1948年、「風」入会、沢木欣一、細見綾子に師事。代表句「念佛のさまよひおつる雪解川」など。具象を超えその奥にあるものを追求。1975年、『沙羅』により第15回俳人協会賞受賞。1989年、泉鏡花市民文学賞受賞。「風」系の「万象」名誉主宰も務めた。句集に『茜』『沙羅』『瓔珞』『華鬘』『晩晴』がある。急性汎発性腹膜炎により死去。87歳。
高林 秀雄(たかばやし ひでお、1927年(昭和2年)7月1… 高林 秀雄(たかばやし ひでお、1927年(昭和2年)7月11日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の法学者(国際法)。九州大学名誉教授。法学博士(京都大学・論文博士・1966年)。石川県金沢市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
能川 昭二(のがわ しょうじ、1927年3月6日 - 201… 能川 昭二(のがわ しょうじ、1927年3月6日 - 2017年6月6日)は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。石川県金沢市出身。 旧制四高を経て1950年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に小松製作所に入社した。1973年に取締役に就任し、1978年に常務、1982年3月に専務を経て、同年9月に社長に就任。1987年6月に取締役相談役に就任し、1988年から顧問を務めた。 2017年6月6日老衰のために死去。90歳没。
手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務… 手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務官僚、外交官。外務省経済局長、外務審議官(経済担当)などを歴任し、GATT35条援用(GATT協定不適用)問題等に関わった。 1927年、石川県金沢市生まれ。父は手島治雄(元日本陸軍情報将校)で、戦後は出光興産専務を務め日章丸事件に関わった。東京府立一中、一高、陸軍士官学校を経て、東大法学部入学。東大在学中の1950年3月に外交官領事官採用試験に合格し外務省入省。一高では英語・独語クラスに入ったが独語は理解能力を超えると自覚し、アテネ・フランセに通い、陸士では語学の授業は全く無かったが英文法の本を持参し、空襲退避中に自習した。大学も外務省もフランス語で受験し、入省後は「フレンチスクール」とされたが、外務省研修所ではフランス語の授業はなく、在外研修制度もなく仏留学の機会も無かった。