瀧澤 信秋(たきざわ のぶあき、1971年 - )は、日本の… 瀧澤 信秋(たきざわ のぶあき、1971年 - )は、日本のホテル評論家、旅行作家、経営コンサルタント。 長野県上田市出身。北海道大学(大学院)、埼玉大学(経済経営)大学院人文社会科学研究科博士前期課程。修士(経営学)。ホテル評論や批評を中心に、ホテルの予約や利用術・活用術等、宿泊者利用者の立場からホテル全般に関する調査・研究や提言を、また、ホテルや旅館のおもてなし(ホスピタリティ)・サービスへの評価やクレーム、ホテルに関する社会的な問題などについて、ホテル経営者やスタッフ、関係者などへ取材の上、マスコミへの情報提供を行う。観光のメディアリレーションズも専門領域とする。北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院(IMCTS)在籍。
なかざわ ひでゆき(1968年6月26日 - )は映画評論家… なかざわ ひでゆき(1968年6月26日 - )は映画評論家・音楽評論家、フリーライター。長野県佐久市出身。 3人きょうだいの長男として生まれる。生後4か月で父の仕事の関係によりモスクワに移住。4歳時に一旦帰国したものの小学校4年時に再度モスクワへ。ロシア共産党政権下の外国人として生活する。再帰国後、日本大学芸術学部映画学科、日本大学芸術学部大学院芸術学研究科卒業。 フリーライターとしては雑誌「イメージフォーラム」の1991年2月号特集「イタリア映画パラダイス」でデビュー。イタリア映画、カルト映画、ハリウッド・クラシックに造詣が深い。また、主にヨーロッパ、地中海近辺、アラブなど英語圏以外のポップスや60-80年代のポップスなどの知識も豊富。
安斎 昌幸(あんざい まさゆき、1964年6月8日 - )は… 安斎 昌幸(あんざい まさゆき、1964年6月8日 - )は、日本のテレビプロデューサー、構成作家、脚本家、メディアプロデューサー、メディア芸術評論家。元NHKエンタープライズエグゼクティブプロデューサー。クンストラボ トウキョウ代表、アフターワード代表。 早稲田大学大学院国際情報通信研究科・理工学術院非常勤講師、早稲田大学メディアデザイン研究所客員研究員。 NHKなどで科学・芸術・文学、アニメ・インターネットなどのサブカルチャー関係の放送番組を制作するほか、メディアアート関連の展覧会の企画・構成、インターネットコンテンツ開発に携わる。 長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。日本放送協会に入局し科学番組部を経て、NHKエンタープライズに出向。
横川 潤(よこかわ じゅん、1962年10月8日 - )は、… 横川 潤(よこかわ じゅん、1962年10月8日 - )は、日本の食評論家、エッセイスト。 亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科教授。外食産業マーケティング研究の第一人者。すかいらーくグループ創業者・横川端の長男。 長野県諏訪市生まれ、東京都国立市育ち。中央大学附属高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程を修了後、ニューヨーク大学経営大学院(スターン・スクール・オブ・ビジネス)でMBA取得。 1994年 『レストランで覗いたニューヨーク万華鏡』(柴田書店)でデビュー。 以後『FRaU』『Flash!』『週刊現代』『月刊現代』『日刊ゲンダイ』『Seven Seas』『kotoba』等の一般誌、『東京カレンダー』『Winart』『月刊食堂』『飲食店経営』『FoodBiz』等の 専門誌で連載を持ち、レストラン評やマーケティング論を展開。
和田 茂俊(わだ しげとし、1962年8月 - )は、日本の… 和田 茂俊(わだ しげとし、1962年8月 - )は、日本の文芸評論家。和歌山工業高等専門学校教授。長野県出身。
兵頭 二十八(ひょうどう にそはち、本名: 斉藤 浩、196… 兵頭 二十八(ひょうどう にそはち、本名: 斉藤 浩、1960年 - )は、日本の軍事評論家、軍学者、退職自衛官。最終階級は陸士長。学位は修士(工学)(東京工業大学)。 長野県長野市出身。1979年、長野県長野吉田高等学校普通科卒業。1982年、陸上自衛隊東部方面隊に任期制・二等陸士で入隊。北部方面隊第2師団第2戦車連隊本部管理中隊に配属。1984年3月、1任期満了除隊。除隊時階級陸士長。 同年4月、神奈川大学外国語学部英語英文科に入学。1988年3月、同卒業。神奈川大学在学中に江藤淳(当時東京工業大学教授)の著作に感動。江藤に手紙を書き、直々に電話を貰う。以後、幾度かの文通を経て江藤の元を訪ね知遇を得る。
白石 美雪(しらいし みゆき、1958年 - )は、日本の音… 白石 美雪(しらいし みゆき、1958年 - )は、日本の音楽学者、音楽評論家。 東京都に生まれ、長野県松本市に育つ。長野県松本深志高等学校卒業。1984年、東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽学専攻修了。 東京藝術大学講師、国立音楽大学講師などを経て1997年から武蔵野美術大学教授。音楽評議会会員。専門はジョン・ケージ。現代音楽や音楽家、コンサートなどに造詣が深い。 1990年代から音楽評論家として本格的に活動しはじめ、演奏会や現代音楽に関する評論を専門誌や、『讀賣新聞』や『朝日新聞』などに執筆した。『信濃毎日新聞』、『朝日新聞』には定期的に批評を寄稿している。1996年から2005年3月まで、NHK-FM放送の『現代の音楽』にレギュラー出演した。
笠原 美智子(かさはら みちこ、1957年10月13日 - … 笠原 美智子(かさはら みちこ、1957年10月13日 - )は、美術評論家・写真評論家、学芸員、キュレーター。東京都写真美術館事業企画課長、(公財)石橋財団 ブリヂストン美術館 副館長を経て、長野県立美術館館長。また、明治学院大学非常勤講師でもある。 長野県茅野市生まれ。1979年長野県諏訪二葉高等学校卒業。1983年に明治学院大学社会学部社会学科を卒業。1987年にはシカゴのコロンビア大学修士課程を修了(写真専攻)。 1989年に東京都写真美術館学芸員、2002年に東京都現代美術館学芸員、2006年には写真美術館に戻る。極めて積極的に写真展の企画を継続しているほか、講演等もおこなっている。
南嶌 宏(みなみしま ひろし、1957年10月4日- 201… 南嶌 宏(みなみしま ひろし、1957年10月4日- 2016年1月10日)は、日本の美術評論家。専門は芸術学、現代美術思想研究、アートディレクション。本名は南島 宏。 長野県生まれ。長野県飯田高等学校、1983年筑波大学芸術専門学群芸術学専攻卒業。 いわき市立美術館、広島市現代美術館の運営に参画する。1993年にカルティエ現代美術財団奨学生としてパリへ留学。 2000年4月から熊本市現代美術館の運営に参画し熊本市学芸課長 兼 熊本市現代美術館副館長・館長を歴任。2008年3月に熊本市現代美術館長を退任。 2008年4月に女子美術大学芸術学部芸術学科教授に就任。2010年4月から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科アートプロデュース表現領域主任教授、武蔵野美術大学造形学部油絵学科客員教授。
武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷… 武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷市出身のジャーナリスト、評論家。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、明治大学政治経済学部卒業。大学在学中から週刊誌、月刊誌等にルポルタージュを発表。ビジネス、経済、先端技術分野の評論のほか、パソコン関連、インターネット関連の解説書を多数執筆。また雑誌等にエッセイ、コラムなどを多数発表している。 その他パソコン、ネットワーク関連の著書多数
荻原 博子(おぎわら ひろこ、1954年5月27日 - )は… 荻原 博子(おぎわら ひろこ、1954年5月27日 - )は、日本の経済評論家、ジャーナリスト。 長野県小諸市出身。長野県上田染谷丘高等学校、明治大学文学部卒業。大学卒業後は経済評論家の亀岡大郎に師事し、亀岡大郎取材班グループでビジネス誌の記事を担当。1982年、27歳の時にルポライター転身を目指し独立。 「満州・浅間開拓の記」という満州引揚者のルポを書くために、約1年間、長野県大日向村を取材。国が国民を棄て去る「棄民」を知り、戦争の酷さを精神的に受け止められず、本は完成し出版されたがルポライターの道を諦め、再びビジネスの世界で記事を書くようになったとしている。 テレビやネット番組のコメンテーター、解説者、パネリストとしても活動している。
富澤 一誠(とみさわ いっせい、1951年4月27日 - )… 富澤 一誠(とみさわ いっせい、1951年4月27日 - )は、日本の音楽評論家。 1951年、長野県須坂市生まれ。長野県長野高等学校を卒業後、東京大学文科三類に入学するが2か月で中退。歌手を志したが挫折し、1971年、20歳の時から音楽評論活動に専念するようになった。現在、学校法人尚美学園副学長に就任。 2023年8月、尚美学園大学の学内施設のメディアセンター(図書館)内に「富澤一誠 Jポップ・ライブラリー」が開設された。「富澤一誠 Jポップ・ライブラリー」は、吉田拓郎、井上陽水、松任谷由実、小田和正、中島みゆきなど、1970~1990年代を代表するアーティストの資料を閲覧できる。
伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は… 伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は、日本の経済評論家、エコノミスト、ジャーナリスト。 株式会社三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。CS-TBS番組審議委員。コメンテイターとしてテレビ番組やラジオ番組に出演することもある。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て1973年早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年 時事通信社入社。外国経済部の報道記者。1976年 ニューヨーク特派員として4年間を過ごすが、国内での記者経験はない。その後中途入社で1986年 住友信託銀行に為替営業室長として入社。資金為替部為替カスタマー調査役、市場金融部調査役、為替営業室長を歴任。
柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )… 柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )とは、長野県小諸市出身の競馬評論家である。 「集保」の名はペンネームであり、資料を集めて保つとの意味。身長が高く、同業者からは「ジャンボ」との愛称で呼ばれている。 長野県上田高等学校時代にはハンドボールでインターハイに出場。その後は早稲田大学政治経済学部に進学し、相撲部屋からスカウトされた経験も持つ。1973年に競馬新聞『日刊競馬』を発行する日刊競馬新聞社に入社し、以後同社にて長年にわたり中央競馬の競馬予想を担当。1979年に福島開催で大きな実績を挙げたことから、メイン馬柱に名前が載るようになった。また、1980年の第82回天皇賞で、プリテイキャストの大逃げ勝利をレース展開まで完璧に読み切って的中させ、テレビCMが作られるほどの注目を集める。
小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は… 小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は、日本の文芸評論家。 長野県飯田市生まれ。明治大学卒業、同大学院博士課程中退。1981年「斎藤緑雨論」で群像新人文学賞評論部門受賞。中野重治、添田唖蝉坊、赤塚不二夫なども論じる。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022… 樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022年11月24日)は、日本の文芸評論家。2005年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 祖父の樋口長衛は開成学園で斎藤茂吉と、東京帝国大学で岩波茂雄と同級生だった信州の教育者で長野県立長野中学校長を務めており、祖母の樋口志保子は島木赤彦門下のアララギ歌人。父の樋口寛は国文学者で、安曇野に疎開して以降長野在住だった斎藤史と交流があり、幼少期の覚は史に可愛がられていた。 長野県長野市出身。長野で過ごしていた頃はバロック音楽に心酔していた。長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。大学時代には短歌に目覚め、斎藤史に歌を学んだ。株式会社医学書院編集部で編集者として活動するかたわら、歌人として活動を開始し、後に文芸評論の道に進む。
飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医… 飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医学ジャーナリスト、評論家。 長野県上田市生まれ。北海道大学水産学部卒業。信濃毎日新聞社入社後、報道部、整理部、文化部を経て1994年編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。専門は医学・医療・健康問題。
井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 -… 井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 - )は、日本の競馬評論家・コメンテーター。 東京都荒川区出身(長野県生まれ)。本名は「布目 健二」(ぬのめ けんじ)。 父は浪曲奇術師の布目貫一。 息子は芸能人キャスティング会社「クロスアイ」代表取締役の布目靖太郎。フジテレビ「めざましテレビ」にてディレクターを務めた後に、法人向けキャスティング部門の責任者を経て独立した。 葛飾野高校卒業後は明治大学商学部に進学するが、在学中に人に勧められて初めて買った馬券が的中したのがきっかけで競馬にのめり込み、学費を全額ぶち込んだという伝説まである。フジテレビの競馬中継のADのアルバイトをしていた時に、タニノムーティエの勝った日本ダービーを中継車で見ていて感動し、専門紙記者を志す。
木下 厚(きのした あつし、1944年8月16日 - )は、… 木下 厚(きのした あつし、1944年8月16日 - )は、日本の政治家、政治評論家。元民主党衆議院議員。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6… 中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6月5日)は、日本の医師、医療評論家。 長野県更埴市(現千曲市)生まれ。長野県上田高等学校を経て、1966年京都大学医学部卒業(医学士)。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。医師による延命治療の拒否を唱えている。 生前は 毎月第3土曜日に京都市内にて「自分の死を考える集い」を開催し講演をしていた。 また、1970年代にはクイズプレイヤーとして数々のクイズ番組に出場し、「クイズグランプリ」グランドチャンピョンなど数々の優勝経験を持ち、さらに日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の栄えある第1回で、機内800問(当時)ペーパーテストでは第1位で優勝者の松尾清三とわずか5点差の707点で第2位の成績を残すが、アメリカ本土上陸後のチェックポイント「サンディエゴ」で敗者となり、シャチにキスされるという罰ゲームを受けた。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月1… 栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月17日 - 2021年(令和3年)10月28日[要出典])は、日本の文芸評論家。本名は宇江 誠(うえ まこと)。 主として評伝、史伝を執筆。
林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は… 林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は、日本の経済学者・心理学研究者・評論家。日本ユング研究会会長。 1937年、長野県飯田市生まれ。東京大学法学部に進み、在学中は1958年から1961年まで学生運動に加わり、全学連組織部長として60年安保闘争に参加した。1962年に東京大学を卒業し、同大学大学院経済学研究科に進んだ。指導教官は大塚久雄であった。1968年に博士課程単位取得満期退学。 1970年、東京女子大学専任講師となった。1971年にマックス・ウェーバーについて論じた学位論文『ウェーバー社会学の方法と構想』で経済学博士号を取得。1975年から1976年までドイツ・テュービンゲン大学に留学し、帰国後にカール・グスタフ・ユングの研究に転じてユングの著作の翻訳を手がける。
桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日… 桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日 - 没年不明)は、日本の詩人・評論家。 長野県小諸市生まれ。1952年東京都立上野高等学校卒業、1957年日本大学法学部法律学科卒業。「かつしか幼稚園」を姉弟で経営し、1972年から92年まで理事長。93年から99年まで東京学芸大学非常勤講師。1979年から個人通信誌『空席通信』を発行、戦時中の文学者の動向などを研究・調査してきた。2020年9月『空席通信』休載。「空席通信・余話」のSeesaaブログのみ継続。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - … 桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - 2016年3月31日)は日本の教育者・教育評論家。学力偏差値を用いた進路指導を行ったことで知られる。 長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月)。 東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)、別の学校の先生から偏差値について聞き、進路指導のために学力偏差値を使用し始めた。 1963年にテスト業者の進学研究会に転職。1976年の自著には「私は偏差値の生みの親とされている」と記しており、1981年の自著のタイトルでは「ミスター偏差値(Mr.HENSACHI)」と名乗っている。
徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年… 徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年不明)は、日本の教育評論家、平和運動家。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1946年から1959年まで出版社勤務、1965年大連外語外賓教授として渡中。1967年から歴史教育者協議会副委員長に就く。1975年高知大学、1981年和光大学、1982年法政大学で非常勤講師を務める。家永三郎の教科書検定訴訟を30年以上支援し、支援する全国連絡会常任委員。
久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2… 久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2001年6月6日)は、文芸評論家、小説家、文学博士。 長野県下伊那郡山本村(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)、松本高等学校文科甲類、東京帝国大学文学部美学科卒。福井県の旧制北陸中学(現北陸中学校・高等学校)に教師として赴任したが、『信州文学』に掲載した小説「残夢」が治安維持法違反に問われた。 日本大学藝術学部教授を経て、大正大学文学部教授。戦前から文学活動を始め、1946年、上京、短歌雑誌『八雲』を編集、1947年、新日本文学会に入会、『近代文学』に発表した「しづかな甍」でデビュー、以後、民主主義文学者として小説や評論を発表。
田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月1… 田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月11日 - 平成18年(2006年)1月8日)は、日本の歴史研究家、政治思想家、近現代史評論家、著述家、新聞編集者。戦前・戦時中は松井石根の私設秘書としてアジア解放運動に従事した。 大亜細亜協会編集責任者、戦後は、拓殖大学講師、世界連邦建設同盟事務局長、財団法人国際平和協会専務理事を務めるほか、近現代史評論家として著述活動を活発に行った。 長野県下伊那郡喬木村出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)卒業。1933年、興亜学塾卒業。松井石根の元私設秘書、松井が設立発起人となった大亜細亜協会編集責任者となる。応召し、無錫で終戦を迎える[要出典]。
成田 理助(なりた りすけ、1909年(明治42年)8月18… 成田 理助(なりた りすけ、1909年(明治42年)8月18日 - 1988年(昭和63年)4月1日)は、日本の野球評論家。成田は旧姓。本姓は西田。息子は中日ドラゴンズに所属した西田暢。 長野県上水内郡三輪村(現長野市)で生まれる。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て、1934年(昭和9年)に法政大学法文学部法律学科を卒業する。大学在学中は、野球部選手として活躍し、2回の優勝に貢献する。 1934年東京鉄道局に入局。1940年応召。復員後の1949年に退職し、東鉄野球部監督、東京六大学野球審判員。1951年、明治座入社とともに野球部監督、全日本軟式野球連盟常任理事。1979年日本社会人野球関東連盟副会長。
山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)1… 山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)12月15日 - 2000年(平成12年)3月23日)は、日本の詩人・文芸評論家・翻訳家。 教師であった父茂次郎、母いまの第5子として、赴任先の鳥取県鳥取市に生まれる。兄に中部日本新聞社社長となった山室次郎、九州大学教授・中国哲学者の山室三良がいる。母も断続的に教師として勤務していた。7歳から父母の郷里である長野県北佐久郡岩村田町(現佐久市)で育ち、旧制野沢中学(現在の長野県野沢北高等学校)卒業後、代用教員などを務め) 1927年に岩波書店に入社、東洋大学夜間部、日本大学夜間部に通い、1930年に労働争議により岩波書店を退社、アンドリュウス商会に勤めたが、1937年に同社の解散により失業している。
須山 計一(すやま けいいち、男性、1905年7月17日 -… 須山 計一(すやま けいいち、男性、1905年7月17日 - 1975年4月17日)は、漫画家、洋画家、美術評論家、漫画評論家、社会運動家。昭和初期のプロレタリア美術運動に参加。生前、日本における漫画評論の第一人者として知られた。生前は一水会、草炎会および日本美術会会員。別名義は宇野圭。 明治38年(1905年)、長野県下伊那郡鼎村(鼎町を経て、現・飯田市)に生まれる。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、昭和5年(1930年)、東京美術学校西洋画科卒業。『文章倶楽部』(新潮社)、『戦旗』(戦旗社)などに漫画を執筆。『無産者新聞』に漫画「アジ太プロ吉」を連載。 昭和6年、日本プロレタリア美術家同盟の中央委員および書記長に就任。
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17… 臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校(現・信州大学)文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学での同級生に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平がいる。 旧制伊那中学(現・長野県伊那北高等学校)、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに1946年に創刊した筑摩書房の総合雑誌『展望』編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
青柳 優(あおやぎ ゆたか、1904年2月1日 - 1944… 青柳 優(あおやぎ ゆたか、1904年2月1日 - 1944年7月30日)は日本の詩人、文芸評論家。 長野県南安曇郡烏川村(現・安曇野市)に医師の三男として生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)では同級に唐木順三がいた。早稲田大学英文科在学中からアナーキズム文学雑誌『世紀文学』を創刊する。その後、文芸雑誌『黒色戦線』を創刊し、「丹沢明」の筆名で、同人誌にダダイズム的な評論や詩を発表した。1930年(昭和5年)『黒色戦線』を廃刊し、『黒戦』1932年『アナーキズム文学』を創刊する。1931年(昭和6年)京都帝国大学の青柳栄司の世話で、四条畷女子学校の英語教師となるが、2ヶ月ほどで退職し、千住税務署に勤務しながら文芸評論を続ける。
丸岡 秀子(まるおか ひでこ、1903年5月5日 - 199… 丸岡 秀子(まるおか ひでこ、1903年5月5日 - 1990年5月25日)は、日本の社会評論家。婦人問題評論家。 生年については、1904年説があるが、没後の集いで井出孫六が「1903年に生まれ」と言っている。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。生まれ。本名・石井ひで。政治家の井出一太郎、医学者の井出源四郎、作家の井出孫六、共同通信社論説委員長の井出武三郎は異母弟。生母が幼くして死去したため養女に出され、のち生母の実家で祖父母に育てられた。 長野高等女学校を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)を卒業、教師として2年勤めたあと、1929年から産業組合中央会調査部に勤務、組織拡充のため全国の農村を回り、1937年、『日本農村婦人問題』を刊行。
宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 19… 宮下 正美(みやした まさみ、1901年5月15日 - 1982年12月17日)は、日本の教育評論家、児童文学作家。男性。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、慶應義塾大学文学部心理学科卒。同幼稚舎教師を経て、戦後は小原國芳の湘南学園設立に参加し初代園長、杉野女子大学短期大学部教授。 自ら児童読物を多く書いたほか、教育指南書を著し、旧文部省の「幼稚園指導要綱」作成委員なども歴任した。 子に演劇評論家・「朝日ジャーナル」編集長の宮下展夫、ドイツ文学者・慶應義塾大学名誉教授の宮下啓三。
山浦 貫一(やまうら かんいち、1893年(明治26年)3月… 山浦 貫一(やまうら かんいち、1893年(明治26年)3月20日 - 1967年(昭和42年)9月26日)は新聞記者、政治評論家。 長野県小県郡川辺村(上田市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)から早稲田大学政治経済学部卒業。1919年時事新報記者となり、1924年東京日日新聞に転じ、1927年新愛知東京支社、ついで国民新聞、読売新聞各論説委員を務め、1948年読売新聞を定年退社。1946年には憲法普及会理事を務めた。 その後、東京新聞編集顧問、NHK中央番組審議委員、中央選挙管理委員会委員などを務めた。晩年は東京新聞のコラム「放射線」に池上五六のペンネームで反共評論を書いた。森恪、鳩山一郎らと親交があった。
清沢 洌(きよさわ きよし、旧字体: 淸澤 洌、1890年〈… 清沢 洌(きよさわ きよし、旧字体: 淸澤 洌、1890年〈明治23年〉2月8日 - 1945年〈昭和20年〉5月21日)は、日本のジャーナリスト、評論家。外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたことでも名高い。 なお名前は「冽(にすい)」でなく「洌(さんずい)」。存命中から「れつ」と呼ばれることも多く、本人もしばしばそのような署名を行っていた。パスポート名はRETSU KIYOSAWAとなっていた。 長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)の比較的裕福な農家の三男として生まれた。井口喜源治の主宰する研成義塾で学んだ。1907年(明治40年)、17歳のとき当時の同地での渡米熱をうけて、研学移民(学生となるための立場での移民)としてアメリカ合衆国ワシントン州に渡航し、塾生たちとともに「シアトル穂高倶楽部」を結成した。
吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 194… 吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 1940年3月26日)は、フランス文学者、詩人、作家、評論家、早稲田大学教授。号は孤雁。
中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10… 中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。 長野県伊那郡大草村(現・中川村)出身。生家である塩沢家は養命酒の製造元であり、地元の名家であった。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)に入学し、2年上の窪田空穂(後に歌人)、1年下の吉江喬松(後に作家)らの影響で文学に興味を持つようになる。中学卒業後、第二高等学校(現・東北大学)に入学。ここで次第に西洋文学に興味を持つようになり、特にヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に熱中した。1899年(明治32年)、南安曇郡梓村の中沢良作の養嗣子に入ると同時に結婚し、中沢姓となる。
中島 孤島(なかじま ことう、1878年10月27日 - 1… 中島 孤島(なかじま ことう、1878年10月27日 - 1946年4月9日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。本名は茂一。 長野県北佐久郡三井村(現佐久市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1899年東京専門学校(現早稲田大学)卒業。坪内逍遥の門下生としてシェイクスピアを研究し、文学評論や海外文学の紹介などを新聞や雑誌に執筆した。『明星』『新小説』『読売新聞』等に文学評論を書き、1904年小説「新気運」を発表。1909年後藤宙外らと文芸革新会を組織して反自然主義をとなえ、島村抱月と対立。のち児童もの・歴史ものに移った。 グリム童話『赤ずきん』において「赤ずきん」という邦題を初めてつけたのは中島孤島であろうと言われている。
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - … 樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。
金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年… 金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年2月10日〉 - 1937年〈昭和12年〉6月1日)は、日本の哲学者・思想・文芸評論家。 本名は金子 馬治(うまじ)。 1870年、長野県小県郡赤坂村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)を経て、1893年東京専門学校(現早稲田大学)卒業後、]母校講師となる。 『早稲田文学』1898年2月に評論「所謂社会小説」を発表した。1903年ドイツに留学し、ライプツィヒ大学、ベルリン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。帰国後の1907年より早稲田大学教授となり、哲学、心理学、美学を講義した。同大学文学部長、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館長、常務理事を務めた。