中澤 隆司(なかざわ りゅうじ、1939年 - )は、日本の… 中澤 隆司(なかざわ りゅうじ、1939年 - )は、日本の経営者。京都放送社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1964年に京都大学文学部を卒業し、同年に関西テレビ放送に入社した。1998年に取締役に就任し、2003年に専務を経て、2005年6月に京都放送社長に就任。2011年6月には会長に就任。 2013年4月に旭日小綬章を受章。
京都府:231人
中澤 隆司(なかざわ りゅうじ、1939年 - )は、日本の… 中澤 隆司(なかざわ りゅうじ、1939年 - )は、日本の経営者。京都放送社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1964年に京都大学文学部を卒業し、同年に関西テレビ放送に入社した。1998年に取締役に就任し、2003年に専務を経て、2005年6月に京都放送社長に就任。2011年6月には会長に就任。 2013年4月に旭日小綬章を受章。
稲畑 武雄(いなばた たけお、1938年11月9日 - 20… 稲畑 武雄(いなばた たけお、1938年11月9日 - 2005年12月1日)は、日本の経営者。稲畑産業社長を務めた。 京都府京都市出身。1961年に慶應義塾大学文学部を卒業。日本IBMでの勤務を経て、1970年に稲畑産業に転じ、1978年6月に取締役に就任し、1979年12月に常務、1989年10月に専務を経て、1992年7月に副社長に就任し、1998年6月には社長に昇格。住友製薬監査役も務めた。 2001年4月に藍綬褒章を受章。 2005年12月1日に肺ガンのために在任中に死去。67歳没。
布垣 豊(ぬのがき ゆたか、1938年7月22日 - 202… 布垣 豊(ぬのがき ゆたか、1938年7月22日 - 2021年1月12日)は、日本の経営者。京都中央信用金庫理事長を務めた。 京都府京都市出身。立命館中学校・高等学校を経て、1961年に立命館大学法学部を卒業。両親や親戚が京都中央信用金庫の原型である京都市中央市場組合で働いていたこともあり、同年に京都中央信用金庫に入社した。1989年に理事に就任し、1997年に副理事長を経て、2002年6月に理事長に就任。理事長就任の半年後に、京都中央信用金庫立てこもり事件を経験した。2015年11月に会長を経て、2018年6月には名誉会長に就任。 2021年1月12日に死去。79歳没。
民秋 史也(たみあき ふみや、1938年6月10日 - 20… 民秋 史也(たみあき ふみや、1938年6月10日 - 2010年8月17日)は、京都府出身の実業家。元・株式会社モルテン代表取締役社長。クリスチャン。 同志社高校、東京大学文学部および教育学部を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。1970年にアメリカ子会社マツダ・モータース・オブ・アメリカに出向。その間、南カリフォルニア大学大学院で経営学を専攻した。 帰国後の1976年、義父の弟でありモルテンゴム工業(現モルテン)創業者の増田秀雄が体調不良により退いたため、同年より同社代表取締役社長に就任した。1979年、アディダスと技術提携したことにより、モルテンを世界的メーカーに育て上げた。 モルテン社長職ともに様々な役職を歴任、広島経済大学および広島修道大学の特別客員教授や、1986年から1994年まで広島県教育委員会委員、1990年3月から1997年11月まで広島商工会議所副会頭、広島キリスト教青年会(YMCA)理事長などを務めた。
村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本… 村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本の経営者。関西国際空港株式会社(関空会社)の元代表取締役社長。 京都市出身。1961年に京都大学法学部を卒業し、松下電器産業(現 パナソニック)に入社。同社ではコンプレッサー部門を長年担当したのち、1994年には人事部長に、翌年には取締役となる。その後、常務、専務、副社長を歴任する。社長の中村邦夫とともに経営改革に取り組み、業績の「V字回復」を実現した。 松下での手腕を買われ2003年6月、関空会社の社長に就任。同社社長としては初めての民間企業出身者である。 コスト削減などを徹底した結果、2004年3月期決算(単体)は純利益が43億円となり、開港10年目にして初の黒字化を達成するなどの成果をあげた。
常見 和正(つねみ かずまさ、1937年〈昭和12年〉11月… 常見 和正(つねみ かずまさ、1937年〈昭和12年〉11月15日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の経営者。元宇部興産(現・UBE)社長・会長。 京都府舞鶴市出身。京都府立西舞鶴高等学校を経て、1960年(昭和35年)に京都大学工学部を卒業し、宇部興産に入社。一貫して宇部興産主流の化成品部門を歩み、樹脂・ゴム事業本部技術部長、宇部興産取締役等を経て、1999年(平成11年)より取締役社長( ‐ 2005年、2003年からは取締役会長も兼任)。自動車用のアルミホイールなど不採算事業の再構築を進めたほか高機能樹脂事業などを強化した。2006年(平成18年)、心不全により逝去。68歳没。
斑目 力曠(まだらめ りきひろ、1937年1月30日 - )… 斑目 力曠(まだらめ りきひろ、1937年1月30日 - )は、日本の実業家。ネミック・ラムダ(現デンセイ・ラムダ)創業者。真言宗大覚寺派僧侶。 京都府京都市出身。龍谷大学文学部仏教学科卒業後、高野山大学大学院密教学専攻に進んだ。 伊藤忠自動車、エンサイクロペディア・ブリタニカ日本支社、セキ製作所を経て、1970年、日本電子メモリ工業設立、1978年、同社の営業を引き継いでネミック・ラムダ(現デンセイ・ラムダ)設立、代表取締役社長に就任。 ネミックラムダは1991年店頭登録、1995年東証二部上場、1996年東証一部上場。1998年、英国系親会社と対立し代表取締役会長兼社長の座を追われた。 密教の僧侶でもあるため、その思想を経営哲学に取り入れた。
岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業… 岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業家。株式会社ノリタケカンパニーリミテド代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部経済同友会代表幹事などを務めた。 京都府立洛北高等学校を経て、1960年同志社大学経済学部卒業、日本陶器株式会社(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。1992年取締役に昇格。1994年常務取締役。1997年専務取締役。1998年取締役副社長。1999年から代表取締役社長を務め、2002年には社章を制定した。2004年代表取締役会長。2009年相談役。中部経済同友会代表幹事なども務めた。
西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)… 西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)9月9日 - )は、日本の実業家。西大路家の第23代当主。父は西大路隆敏。同志社大学卒業。京都府京都市出身。 1936年(昭和11年)に京都府京都市で子爵・西大路隆敏とその妻で日本電力社長・池尾芳蔵の次女である正子の長男として生まれる。同志社大学卒業。 1953年(昭和28年)に父の隆敏が亡くなり家督を相続し、西大路家の当主となる。私生活では矢嶋新兵衛の娘である洋子と結婚し、1男1女を儲けた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 202… 立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 2022年4月12日)は、日本の実業家。オムロンの会長などを務めた。 1936年、立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真の二男として大阪市に生まれる。第二次世界大戦中の小学校時代には山でマムシや食用ガエルを捕まえるなど、活発な少年だった。1945年6月の大阪大空襲で立石電機の工場が焼けたため、会社とともに京都市に転居した。この頃に姉に連れられて日曜学校に行き、聖歌隊に入った事がきっかけで英語に興味を持ったという。 市立中学に入ったものの、自身の希望で英語教育が充実していた同志社中学校の編入試験を受け、中学1年の2学期から同校に編入した。英語への関心は根強く、同志社高校を経て、1955年に同志社大学文学部英文科に進学した。
小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、… 小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、日本の経営者。住友重機械工業社長を務めた。京都府京都市出身。 1958年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に住友重機械工業に入社。1986年6月に取締役を就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年4月に社長に就任。1999年4月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。
大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )… 大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )は、日本の実業家。日本漢字能力検定協会の創立者。日本漢字教育振興会元理事長。日本語文章能力検定協会元理事長。特定非営利活動法人ジャパンウェイ元理事長。財団法人日本国際連合協会元理事。社団法人全国日本学士会元理事。社団法人全国珠算教育連盟元理事。社団法人日本ペンクラブ元会員。国際ロータリー第2650地区元ガバナー(2005-2006)。長男は日本漢字能力検定元副理事長の大久保浩(2022年8月死去)。 京都府京都市出身。1958年、同志社大学経済学部を卒業後、松下電工に就職。父の死を機に1970年に実家の新聞販売店を継ぐ。西京区の阪急桂駅西口にビルを建て、のちの協会の母体株式会社オークを1971年に創業した。
宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月… 宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月5日 - 2026年〈令和8年〉1月5日)は、日本の実業家。第7代住友商事社長・現相談役、日本電気取締役、日立製作所社外取締役。社団法人日本貿易会会長。元日本経団連副会長。21世紀政策研究所理事長。日本機械輸出組合理事長。財団法人国際民商事法センター会長。 ニューヨークに通算9年間(1966年 - 1972年、1990年 - 1993年)駐在した米国通。在米期間中の米国の金融機関との付き合いから学んだ、リスク・リターンをベースにした「改革パッケージ」のモデルを1998年に作成。全社のビジネスラインを約250に分解し、徹底した不採算事業の整理と、不良債権処理によって、財務体質を改善した。
村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - … 村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - )は、日本の実業家。村田機械会長、京都商工会議所名誉会頭、京都文化交流コンベンションビューロー理事長、国立京都国際会館副理事長を務めている。 京都府京都市出身。1958年に慶應義塾大学法学部を卒業し、アメリカのバブソン大学大学院での修了を経て、1960年に村田機械に入社した。 1970年に社長に就任し、2003年から会長に就任した。この間、1999年から2004年まで日本繊維機械協会会長を務めた。 2001年から2007年までに京都商工会議所会頭や日本商工会議所副会頭を務め、「古典の日」の制定を宣言するなど古典の普及にも力を入れ、退任後、京都商工会議所名誉会頭。
井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 200… 井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 2006年2月15日)は、日本の経営者。京都信用金庫理事長を務めた。 京都府京都市出身。1956年に同志社大学法学部を卒業し、同年に京都信用金庫に入社。1975年に理事に就任し、1977年に常務、1984年に専務を経て、1986年7月に副理事長に就任し、1989年1月には理事長に昇格。2004年6月に会長に就任。 2006年2月15日に肺炎のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )… 井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )は、日本の実業家。ダイキン工業代表取締役会長兼社長を経て、同社取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員、関西フィルハーモニー管弦楽団理事長。ダイキン工業で1994年の社長就任時に3千億円台だった売上高を4兆円超に育てた。 京都市生まれ。同志社中学校・高等学校を経て、1957年同志社大学経済学部卒業、大阪金属工業(現ダイキン工業)入社、淀川製作所総務部配属。人事部長等を経て、1979年取締役に昇格。1985年常務取締役。1989年専務取締役。 1994年から代表取締役社長を務め、経営危機にあったダイキン工業を世界トップクラスの空調機メーカーに成長させ、同社中興の祖とされる。
尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、… 尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、日本の放送技術者、実業家。元フジ・メディア・ホールディングス取締役(常勤監査等委員)、元フジテレビジョン監査役。 京都府宮津市出身。京都府立宮津高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科卒業。フジテレビジョン開局前の1958年12月に同社に入社。 入社後は映画部写真室を皮切りに、報道部外信班、放送部主事、放送技術局部長(技術管理)、総務局人事部長などを経て1987年6月、技術局長。 1989年6月、取締役技術局長。1991年6月、取締役 総務・人事担当兼人事局長、1992年6月、常務取締役。1994年7月、常務取締役 総合調整担当、1997年6月、専務取締役 管理業務本部長。
安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )… 安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )は、日本の実業家。帝人元会長・社長。日本政策金融公庫元総裁。 京都府京都市出身。京都大学経済学部卒業後の1957年に帝国人造絹絲入社。1981年海外事業第2部長、1982年フイルム販売部長、1986年に帝人商事物資本部長、1988年にテイジン・インドネシア・ファイバー・コーポレーション社長を歴任。1992年に帝人に戻り取締役、1993年に常務取締役、1994年に専務取締役を経て1997年に同代表取締役社長に就任。1999年にCEO同兼社長、2001年に同取締役会長を務め、2005年に相談役へ退く。 2007年に中小企業金融公庫総裁を務め、国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫と国際協力銀行の国際金融部門が統合に伴ない、2008年10月日本政策金融公庫の発足と同時に同総裁となる。
田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2… 田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2017年7月26日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。京都府京都市出身。 1961年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、1993年5月に常務を経て、1996年7月に社長に就任。2001年3月から相談役を務めた。 2017年7月26日に呼吸不全のために死去。82歳没。
森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3… 森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本の実業家。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任。森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる。 1934年(昭和9年)、京都高等蚕業学校教授・森泰吉郎の次男として京都府に生まれる。実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた。 湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て、1959年(昭和34年)に東京大学教育学部社会教育学科を卒業。ジャーナリスト・アメリカ学者の鈴木健次は中学・高校・大学の同級生。 大学卒業後、取締役として森ビルに入社する。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は… 市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。初代社長を務めた市野瀬潜の孫でもある。 京都府京都市出身。1950年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本新薬に入社。1991年に取締役に就任し、1996年6月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松下 治夫(まつした はるお、1931年(昭和6年)12月 … 松下 治夫(まつした はるお、1931年(昭和6年)12月 - 2014年(平成26年)10月)は、日本の実業家、芸能プロモーター。芸能事務所の草分け的存在である渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者の一人。 京都府出身。京都府立洛北高等学校卒業。従来、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握り、不明朗なことが少なくなかった、そこで、タレントを抱えるプロダクションが自らの手で興行を行い、利益と権利を確保しようという狙いのもとに、1955年、当時人気ベーシストであった渡辺晋とその妻美佐と組んで渡辺プロダクションを設立した。 それまでレコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入。
小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1… 小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1999年12月10日)は、日本の実業家。マイカルの創業者の一人。京都府京都市出身。位階は正五位。 1950年に洛陽高等学校を卒業。1954年1月にヤマト小林商店代表取締役に就任し、1963年11月にはニチイ(のちのマイカル)副社長に就任し、1982年11月には社長に昇格。1996年5月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1999年12月10日心不全のために死去。68歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - … 佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家、技術者。ローム株式会社創業者。ローム ミュージック ファンデーション理事長。 東京都出身。父親は新交響楽団(現・NHK交響楽団)のバイオリニスト、母親も琴を趣味としていたことから、6歳からピアノを習い、プロのピアニストを目指していた。立命館高等学校、立命館大学理工学部卒業。 1954年(昭和29年)、立命館大学在学中に開発した超小型抵抗器の特許を元に、京都西陣に東洋電具製作所を創業。1958年(昭和33年)に株式会社に組織変更。1981年(昭和56年)、社名をローム株式会社に変更。一代でロームを世界的な電子部品メーカーに育て上げる。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道株式会社(JR東海)参与。同社初代代表取締役社長。第7代鉄道友の会会長。名は寛と表記されることが多いが、正表記は寬(儿部の右側に点が入る)。 職責以上に鉄道営業制度に精通し、フルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナーの生みの親と言われる。エル特急の誕生にも関与した。 京都市中京区で洋画家の須田国太郎の長男として生まれる。国太郎は写生旅行のため時刻表を毎月のように購入しており、読み方を教えられて幼稚園の頃から読み出した。少年時代は体が弱く、時刻表を見ながら病床で遠方への旅行を想像していたという。
中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年… 中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年8月13日 )は、日本の経営者。日立物流社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日立製作所に入社した。1979年8月に日立運輸東京モノレールに転じ、理事、取締役を経て、1982年6月に日立物流常務に就任し、専務、副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任。 2009年8月13日、死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11… 羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11月23日 - 2019年 <平成31年> 2月18日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府綾部市出身。1952年に京都大学農学部農林経済科を卒業し、同年4月に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1981年2月に取締役に就任し、1987年2月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1996年6月に会長に就任。 2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年2月18日、死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
金井 務(かない つとむ、1929年(昭和4年)2月26日 … 金井 務(かない つとむ、1929年(昭和4年)2月26日 - 2013年3月19日)は、日本の経営者。元日立製作所社長、会長。京都府出身。
野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - … 野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - 2012年4月29日)は、日本の経営者。京都新聞社社長を務めた。京都府京都市出身。 1951年に同志社大学商学部を卒業し、同年に京都新聞社に入社した。 1981年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1983年3月に専務を経て、1987年6月には副社長に就任した。 1999年6月には社長に昇格し、2003年には会長も兼任し、2004年を以って、退任。 2012年4月29日脳出血のために死去。83歳没。
12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭… 12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭和2年)11月20日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の実業家。大丸社長・会長。 京都府出身。大丸の創業家12代目当主。府立一中を経て、大阪大学経済学部を卒業。 1951年、大丸の主力行である三菱銀行に入行。ニューヨーク支店などに勤務。1965年に大丸に転じ、取締役となり、常務、専務を経て、1984年に社長に就いた。 梅田店出店のため、社長就任直前の1984年2月期に大丸は赤字決算に転落した。しかし、就任直後の1984年上半期(3~8月)の売上高は前年同期の7%増となった。このまま業績を回復軌道に乗せるため、1万人の労使あげて、サービス向上の「スクラム10,000運動」を始めた。
井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2… 井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2006年5月11日)は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。 愛媛県出身。1945年に立命館第一中学校を中退し、同年8月に井関農機に入社。1955年1月に監査役に就任し、1956年1月に取締役、1957年11月に常務、1960年11月に専務、1976年3月に副社長を経て、1977年12月には社長に就任。1988年2月に会長に就任し、1992年12月から相談役を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2006年5月11日食道がんのために死去。78歳没。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 201… 柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 2015年6月27日)は、日本の経営者。淀川製鋼所社長を務めた。 京都府京都市出身。1951年に京都大学工学部冶金学科を卒業し、同年に淀川製鋼所に入社。1981年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役に就任。 2015年6月27日に死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日… 田口 圭太(たぐち けいた、1926年(大正15年)5月1日 - 2017年(平成29年)2月16日)は、昭和から平成時代の実業家。ユニチカ社長、同会長。 京都府宇治市出身。田口寛・露子の長男。1948年(昭和23年)京都大学工学部繊維化学科を卒業後、日本レイヨンに入社。1973年(昭和48年)5月、ユニチカ取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年(平成元年)6月、社長に就任した。 この間、ユニチカテキスタイル常務、ユニチカレーヨン社長、同会長を歴任した。1991年(平成3年)4月、藍綬褒章を受章した。2017年(平成29年)2月16日、老衰により死去した。90歳没。
森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月… 森井 清二(もりい きよじ、1926年 <大正15年> 3月31日 - 2019年 <平成31年> 3月2日)は、日本の実業家。関西電力元社長、会長。京都府京都市出身。第2代社長を務めた芦原義重の娘婿でもある。位階は従三位。 1949年に京都大学工学部を卒業し、関西配電(のちの関西電力)に入社した。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務、1983年6月に副社長を経て、1985年11月からは社長を務め、大飯原発3、4号機の建設を推進した。1987年の関電二・二六事件の際には、動議の議決を棄権した。1991年2月に美浜原発2号機における蒸気発生器細管破断事故を受けて、事故原因をほぼ解明してから、同年11月に社長を辞任した。
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1… 樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は、日本の実業家。アサヒビール中興の祖。位階は従三位。 京都市出身。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)、彦根経済専門学校(現:滋賀大学経済学部)を経て野村證券に就職。京都支店から祇園支店に転勤後、上司の紹介で野村銀行(後の大和銀行、現:りそな銀行)に転職。同行では大阪本店(現・りそな銀行大阪営業部)に配属されたが数日で退社し、1946年(昭和21年)に京都大学経済学部に再入学。同大学卒業後、1949年(昭和24年)4月に住友銀行(現:三井住友銀行)に入行。代表取締役副頭取まで昇進したが、当時の磯田一郎頭取と対立し、大阪建物社長職や新大阪ホテル(現・ロイヤルホテル)社長職への出向を打診されるも断り、辞職を決意する。
稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 20… 稲畑 勝雄(いなばた かつお、1926年1月14日 - 2021年4月19日)は、日本の経営者。稲畑産業社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に京都大学法学部を卒業。住友商事での勤務を経て、1955年に稲畑産業に転じ、1958年4月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年4月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年12月には社長に就任。1998年6月から2009年6月までに会長を務めた。1984年10月から1986年2月までに住友製薬会長も務めた。 1973年からポルトガル大阪駐在名誉領事を務めた。 2021年4月19日、誤嚥性肺炎のために死去。95歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 20… 中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 2012年6月4日 )は、日本の経営者、工学博士。三菱自動車社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社した。1970年に三菱自動車工業に転じ、1983年6月に取締役に就任し、常務を経て、1988年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1995年6月から会長を務め、1997年に総会屋への利益給与事件における責任を取る形で辞任し、同年6月からは相談役に転じた。社長在任時には、2代目「パジェロ」、初代「パジェロミニ」などをヒットさせ、国内市場において、多目的レジャー車ブームの立役者となった。
舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3… 舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3月29日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務め、日本化学会会長、化学工学会会長、化学教育協議会議長を歴任した。 京都府京都市出身。1950年に京都大学農学部農林学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1971年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1989年6月に社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2007年3月29日、肺炎のために死去。81歳没。かつて舘が特別顧問を務めていた国際教育学会では、舘の功績を称え、2007年度より学会賞として「国際教育学会・舘糾賞」を設立し、2014年度の第6回まで授賞が行われた。
山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 200… 山口 開生(やまぐち はるお、1925年6月8日 - 2008年12月30日)は、日本の実業家。第2代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。同社元会長。
奥村 光林(おくむら こうりん、1925年1月20日 - 1… 奥村 光林(おくむら こうりん、1925年1月20日 - 1994年4月27日)は、日本の経営者。京都放送社長を務めた。京都府京都市出身。 1950年に上智大学文学部を卒業し、同年に京都銀行に入行。 1971年11月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1978年11月に専務を経て、1991年6月に京都放送社長に就任。 1994年4月27日急性心不全のために在任中に死去。69歳没。
奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 200… 奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 2009年11月7日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。元松竹株式会社社長。創業家である白井家、大谷家以外からは永山武臣以来2人目の社長であった。父は元松竹専務の奥山市三、次男は元松竹専務でチームオクヤマ代表の奥山和由。 京都市出身。京都府立京都第一中学校、第五高等学校を経て、1947年京都帝国大学法学部政治学科卒業。同年大和証券入社。1951年松竹入社。主に映画興行部門、国際部門を歩き、1955年プロデューサー、国際部長を経て1968年取締役、1971年常務、1974年専務、1978年副社長。1986年、松竹大船撮影所50周年を期して「ニュー大船調」を打ち出す。
川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 20… 川勝 堅二(かわかつ けんじ、1924年1月16日 - 2010年7月4日)は、日本の実業家。三和銀行会長兼頭取や、UFJ銀行名誉顧問を務めたほか、経団連副会長等の公職も務めた。1987年ベルギー王冠勲章コマンドール章受章、1991年エセックス大学名誉博士、1992年大英帝国勲章受章、1994年勲一等瑞宝章受章。 京都府亀岡盆地の八木町出身。実家は呉服店。旧制京都府立園部中学校(京都府立園部高等学校の前身)を経て、1942年4月、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)予科入学。クラスの同級生には速水優(元日本銀行総裁)や本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)、岡稔(元一橋大学教授)が、他クラスの同期に俳優の久米明がいる。
中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2… 中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2008年6月25日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。京都府京都市出身。 第三高等学校を経て、1948年に京都大学経済学部を卒業し、1950年に同大学院を修了し、同年にクラレに入社した。 1972年11月に取締役に就任し、1976年6月には常務に就任し、1981年6月には副社長に就任した。 1985年6月には社長に昇格し、1993年6月には会長に就任した。2000年6月から相談役に就任した。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2008年6月25日急性冠症候群のために兵庫県宝塚市の病院で死去。
巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日… 巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日 - 2021年(令和3年)1月31日)は、日本の実業家。住友銀行頭取を歴任したほか、マツダ再建に尽力したことでも知られる。福井県出身。旧姓は中野。 旧制京都府立桃山中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年京都大学法学部を卒業後、住友銀行入行。 1963年平野支店長、本店営業部次長、一宮支店長、1968年審査第二部長、1971年審査第一部長、融資部長を経て、1972年取締役。1975年常務取締役。1979年代表取締役専務。1982年副頭取。 1975年に東洋工業(現:マツダ)の再建を担当。同社とフォード・モーターの資本提携交渉では橋渡しを務め、米国の独占禁止法の審査では英語で証言に臨むなど奔走した。
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1… 増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年〈大正12年〉 - 2000年〈平成12年〉6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。 京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。 戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。
日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - … 日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - 1992年11月16日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。 京都府京都市出身。1947年に神戸経済大学を卒業し、同年に日綿実業(のちのニチメンに入社。1972年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年に副社長に就任し、1985年には社長に昇格。1989年から会長を務めた。 1984年に藍綬褒章を受章。 1992年11月16日、肝不全のために死去。69歳没。
西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日-… 西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日- 2015年2月1日 )は、日本の経営者、工学博士。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1945年に京都帝国大学工学部を卒業し、京大大学院に進学したが、1947年7月に中退し、島津製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1992年6月から会長を務め、1998年6月から相談役を務めた。 1986年11月には藍綬褒章を受章し、1993年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 1996年1月から1999年5月まで関西経済連合会の副会長。 2015年2月1日、老衰のために死去。