山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は… 山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。専門は論理と数理の比較思想史。 京都府京都市出身。1953年京都大学文学部哲学科卒。1958年同大学院博士課程満期退学。1965年関西学院大学文学部助教授、1968年京都大学人文科学研究所助教授、1981年教授。1995年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授。
京都府:2,682人
山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は… 山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。専門は論理と数理の比較思想史。 京都府京都市出身。1953年京都大学文学部哲学科卒。1958年同大学院博士課程満期退学。1965年関西学院大学文学部助教授、1968年京都大学人文科学研究所助教授、1981年教授。1995年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授。
上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、… 上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、日本の社会学者。 京都市生まれ。1962年関西大学文学部卒。1964年立教大学大学院応用社会学研究科修士課程修了。日本専売公社(現JT)京都工場、本社勤務を経て、1977年小集団研究所を創立。小集団活動について国内外多くの企業で実践指導を行うとともに、1977-95年関西大学講師として小集団理論を講義。
紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は… 紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会代表理事。 1931年(昭和6年)6月7日、京都府京都市中京区で、代々「近江屋藤兵衛」の屋号で染物屋を営む家の5人きょうだいの末っ子として出生。1944年、旧制中学の京都市立第一工業学校電気科に入学。1948年の学制改革で京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)となる。同級生には大島渚がいた。1949年3月に卒業し、電気工事のアルバイトをして就職浪人しているときに級友の紹介で大映京都撮影所に臨時雇用され、同撮影所の録音課に配属された。1951年、吉村公三郎監督の『源氏物語』の撮影終了後に正社員となる。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
野中 一二三(のなか かずみ、1931年〈昭和6年〉5月8日… 野中 一二三(のなか かずみ、1931年〈昭和6年〉5月8日 - 2024年〈令和6年〉3月31日は、日本の政治家。京都府船井郡園部町長(7期)。 1931年(昭和6年)、京都府船井郡園部町大村(現・園部町城南町)の農家に野中北郎の次男として生まれた。園部小学校卒業。 船井郡連合青年団長、京都府社会教育委員、日本青年団協議会理事、京都府連合青年団長を経て、1971年(昭和46年)から1979年(昭和54年)まで園部町議会議員を2期務める。1979年(昭和54年)47歳の時、6代目となる園部町長に就任。 2006年(平成18年)の南丹市発足による園部町廃止まで、7期27年間町長を務めた。2024年(令和6年)3月31日、誤嚥性肺炎により死去。
南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - … 高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - 2012年7月15日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー。京都府京都市生まれ。父親は着物のデザイナー。 1955年、立命館大学法学部政治学科中退。1960年、銀座ヤマハホールで8m/mの自主映画の個人映写会を開き、若手実力派映画監督として注目される。同年の『石っころ』が評価された。1963年、16m/m第1作の「砂」がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。 1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1964年に発表した「ひなのかげ」はニューヨーク近代美術館所蔵作となり脚光を浴びる。
佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - … 佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家、技術者。ローム株式会社創業者。ローム ミュージック ファンデーション理事長。 東京都出身。父親は新交響楽団(現・NHK交響楽団)のバイオリニスト、母親も琴を趣味としていたことから、6歳からピアノを習い、プロのピアニストを目指していた。立命館高等学校、立命館大学理工学部卒業。 1954年(昭和29年)、立命館大学在学中に開発した超小型抵抗器の特許を元に、京都西陣に東洋電具製作所を創業。1958年(昭和33年)に株式会社に組織変更。1981年(昭和56年)、社名をローム株式会社に変更。一代でロームを世界的な電子部品メーカーに育て上げる。
種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987… 種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987年9月19日)は、日本の憲法学者。とりわけ、幸福追求権や基本的人権の歴史研究で知られる。 1931年、京都市に生まれる。京都府立山城高等学校を卒業後、京都大学文学部に入学。その後、法学部に転じ、1954年3月に同学部を卒業。同年、京都大学大学院法学研究科に進学し、公法学を専攻。杉村敏正に師事する。1956年、岡山大学法文学部に赴任し、助手、講師、助教授を歴任。1968年、大阪市立大学法学部に教授として就任(憲法)。1987年、心不全のため死去。享年56。 種谷は日本で初めて、日本国憲法13条の「幸福追求権」を、包括的な基本権(主観的権利)として捉え、独自の意味を見出す学説を提唱した。
中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 201… 中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 2015年10月29日)は、日本のノンフィクション作家。本名、高橋 道(たかはし みち)。旧姓、中島(なかじま)。 京都府京都市出身。1948年、東京都立武蔵高等女学校卒業。東京女子大学英文科卒業。1953年2月に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)にアナウンサー2期生として入社。1958年12月にラジオ東京を退社。1959年1月、ラジオ東京と嘱託契約しタレントアナ第二号に(中島道名義)。1970年に中央大学大学院法学研究科(刑事法専攻)修士課程修了。同年乳がん手術を機に医療の質や安全について関心を持って作家活動を始め、一貫して患者の立場から医療改革を訴え、医療に法律が関わる問題とその接点となる諸問題、医療制度、安楽死、がんの告知、臓器移植、尊厳死など生命倫理の問題医療に関する問題をテーマした作品の執筆、訳書、評論活動が多く、脳死の状態を「見えない死」と紹介するなど、医療現場が直面する課題を社会に投げかけたり、看護の日を発案し制定を呼びかけた。
田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井… 田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井県福井市の俳優。本名は田村 正義。 京都府立東舞鶴高等学校卒業。東京映画俳優協会研究所出身。松竹、劇団三期会を経て、1966年9月、劇団青年座に入団。 1950年代から1970年代にかけ、映画・テレビドラマに端役として出演。
飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995… 飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995年7月18日)は、日本の経営学者。経済学博士(京都大学・1980年)(学位論文「バーナード研究」)。関西大学教授・京都大学教授・大阪学院大学教授を歴任。 京都市生まれ。1953年京都大学経済学部卒、1958年同大学院博士課程退学、関西大学商学部講師、1961年助教授、1969年教授、1978年商学部長、1980年「バーナード研究」で経済学博士(京都大学)の学位を取得。1985年京都大学経済学部教授。1994年定年退官、大阪学院大学教授。
種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 201… 種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 2014年1月14日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)。 1949年、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高校)卒業後に南海ホークスにテスト生として入団。高校時代のチームメイトに、後に南海でもチームメイトとなる岡本伊三美がいる。1951年は、南海土建に出向し社会人野球でもプレーした。 1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮﨑祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった)。
遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 200… 遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 2003年6月18日)は、昭和から平成時代の行政学者。立命館大学名誉教授。専門は地方行政学。 京都市生まれ。1948年京都府立第三中学校(現京都府立福知山高等学校)卒業。1948~1970年京都市役所に勤務。この間、1949年京都府立山城高等学校定時制卒業。1953年立命館大学二部経済学部卒業。1954~1967年京都市職員労働組合専従。1970年立命館大学産業社会学部助教授。1976年同産業社会学部教授。1996年退職、名誉教授。2003年6月18日、肺炎のため京都市東山区の病院で死去。72歳。 自治体問題の研究者。1963年の設立以来、自治体問題研究所の研究活動に参加。
大村 高史(おおむら たかし、1931年1月29日 - )は… 大村 高史(おおむら たかし、1931年1月29日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道株式会社(JR東海)参与。同社初代代表取締役社長。第7代鉄道友の会会長。名は寛と表記されることが多いが、正表記は寬(儿部の右側に点が入る)。 職責以上に鉄道営業制度に精通し、フルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナーの生みの親と言われる。エル特急の誕生にも関与した。 京都市中京区で洋画家の須田国太郎の長男として生まれる。国太郎は写生旅行のため時刻表を毎月のように購入しており、読み方を教えられて幼稚園の頃から読み出した。少年時代は体が弱く、時刻表を見ながら病床で遠方への旅行を想像していたという。
杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 -… 杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。 京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。 1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 197… 小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 1971年11月21日)は日本の数学者。 京都府生まれ。京都府立山城高等学校を経て京都大学理学部卒業。在学中は広中平祐らと共に機関紙『EOUS』の編集に携わる。『数学セミナー』、『大学への数学』等に投稿を重ねた。1960年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、同大学教養部助教授。在任中の1971年没。 京大全共闘の支持者で、以下のような詩を書き残している。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節である。 ―ある自由の女神の独白―教養部は大学の下半身ね。
増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024… 増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024年4月18日)は、日本生まれでカナダ国籍の細胞生物学者。トロント大学名誉教授、王立協会フェロー。 1971年、カエル卵の卵母細胞から卵成熟を引き起こす卵成熟促進因子(英語版)(maturation promoting factor, MPF)を発見。MPF は後に普遍的かつ中心的な細胞周期の制御因子であることが判明し、1980年代後半からのこの分野の爆発的な発展に大きく貢献した。
玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 -… 玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 - )は、日本の言語学者・日本語学者。同志社大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1951年大阪外事専門学校フランス科卒業、1953年大阪外国語大学フランス語科卒業、1957年京都大学大学院言語学専攻修了。1955年京都府立高等学校教諭、1968年大阪外国語大学講師、71年同助教授、1974年同志社大学文学部助教授、82年同教授。この間、京都大学、大阪大学・同大学院、京都府立大学、龍谷大学、仏教大学、国立国語研究所等に出講。2001年定年、同志社大学名誉教授。2002年「日本語語彙の研究」で龍谷大学博士(文学)。 日本語教育学会理事・編集委員長・副会長、新村出記念財団代表理事、京都国際文化協会理事などを歴任した。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月2… 河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月24日)は、京都府出身の元アマチュア野球選手(投手)。 西京高等学校では、1949年夏の甲子園府予選準々決勝で桃山高からノーヒットノーラン(7回コールド参考記録)を達成。決勝に進むが、杉山真治郎のいた平安高に2-3で惜敗、京津大会には出場できなかった。1年上には甲子園で活躍した北本重二がいる。 1950年、慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグ戦では1951年、主将平古場昭二投手を中心に春は早稲田に次ぐ2位と留まるも、秋に優勝し早稲田の4連覇を止め、翌1952年春までリーグ戦2連覇(2季連続優勝)を達成した。同年秋は早稲田に次ぐ2位に留まる。
杉山 真治郎(すぎやま しんじろう、1930年12月9日 -… 杉山 真治郎(すぎやま しんじろう、1930年12月9日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは内野手(二塁手、三塁手、遊撃手)。
橋谷 博(はしたに ひろし、1930年12月7日 - )は日… 橋谷 博(はしたに ひろし、1930年12月7日 - )は日本の化学者。島根大学名誉教授。理学博士(京都大学)。 京都府京都市生まれ。1953年に立命館大学理工学部化学科卒業、同年助手。1958年、日本原子力研究所研究員。1982年、公募に応じ、島根大学理学部化学科(現・総合理工学部物質科学科)教授。「地方の人も物もない大学で教鞭をとりたい」のだったという。分析化学教室において、フィールドワークを旨とし、自ら潜水士免許を取得し宍道湖・中海の水質調査を行い、「源五郎」の愛称で呼ばれ、本人も名刺に「潜水士 源五郎」と記していたという。 1964年、理学博士(京都大学)。学位論文の題は「Analysis of various kinds of uranium base alloys using extraction-photometric method 」。
有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - … 有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - )は、日本の俳優。京都市出身。東映京都撮影所所属。本名同じ。 京都府京都市北区紫竹生まれ。出生前に父親が死去し、養家の「有川」姓を名乗る。1949年、京都府立機械工業学校を卒業。1951年に立命館大学経済学部を中退した後は養父経営の牧場で働いていたが、俳優志望だった甥のマネージャーになるつもりで29歳の時に東映京都撮影所へ入社。甥は外交官を目指して先に俳優を辞めたものの、有川は入社3年目頃から台詞つきの役を与えられるようになり、以降、大柄な体格と強面の風貌を活かして悪役を中心に東映京都制作の時代劇映画や任侠映画、テレビ時代劇などで50年近くに渡って活躍した。
福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 … 福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 - 1960年(昭和35年)10月10日行方不明、17日認定死亡)は日本の地球物理学者。理化学研究所研究員(宇宙線研究室所属)、南極地域観測隊員。第4次南極越冬隊に参加中、ブリザードのため遭難し、日本の南極観測において初めての死者となった。南極大陸のやまと山脈の最高峰「福島岳」は、その名にちなんでつけられたものである。 1930年(昭和5年)9月24日、京都に生まれる。父は、法学者で関西大学法学部教授の福島四郎。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部に入学。1954年(昭和29年)卒業、同大学院自然科学研究課程修士課程に進学、1956年(昭和31年)修了し同博士課程に進学、1959年(昭和34年)退学。
四方 修(しかた おさむ、1930年9月24日 - )は、1… 四方 修(しかた おさむ、1930年9月24日 - )は、1984年3月の江崎グリコ社長誘拐事件に端を発する、グリコ・森永事件で捜査の指揮を当たった当時の大阪府警本部長。
中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年… 中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年8月13日 )は、日本の経営者。日立物流社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日立製作所に入社した。1979年8月に日立運輸東京モノレールに転じ、理事、取締役を経て、1982年6月に日立物流常務に就任し、専務、副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任。 2009年8月13日、死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15… 出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15日 - 2002年(平成14年)6月19日)は、日本の作家、宗教家。大本教祖・出口王仁三郎の孫。 代表作『大地の母』全12巻(出口なお・王仁三郎の伝記であり、大本初期の歴史を描いた小説)。本名以外に「野上竜」「十和田龍」というペンネームで書いた著作もある。 昭和50年代から大本の宗教改革運動に取り組み、仲間たちと共に「いづとみづの会」を設立。昭和60年代には宗教法人「愛善苑」として独立した。 綾部の大本の聖地の中で生まれる。母親は出口王仁三郎の第三女・八重野で、亀岡に住んでいたが、出産の時だけ綾部に滞在していた。生まれた場所は大本の御神体山の頂上(一番の聖域)に建つ穹天閣(きゅうてんかく)という建物で、綾部における王仁三郎の居館だった。
恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2… 恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2010年4月14日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は法哲学者の恒藤恭。祖父は地質学者の恒藤規隆。兄弟に同志社大学法学部教授を務めた恒藤武二がいる。1953年京都大学理学部物理学科卒、1958年京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士(京都大学)。 1963年大阪大学理学部講師、1967年京都大学理学部助教授、1971年京都大学理学部教授。1994年京大定年退官、名誉教授、龍谷大学理工学部教授。
亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010… 亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010年10月23日)は京都市出身の編集者。 父亀井三郎(化学者、京都帝国大学教授)と叔父亀井奎介(内科医、岐阜医大教授)は共に高知県出身で第三高等学校 (旧制)OB。旧制京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)のころから文学作品に魅せられ太宰治に私淑していた。第三高等学校 (旧制)を経て、1954年、東京大学文学部仏文科卒業。同年、古山高麗雄の後任として河出書房に入社。主に文芸出版を担当した。『知性』編集部での同僚に山口瞳がいる。 1957年に河出書房倒産に伴い退社し、フリーライターとなる。テレビ関連の仕事もこなした。 1957年11月、新潮社に入社し三高の先輩の野平健一と仕事をするようになる。
藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2… 藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2001年5月5日)は京都府出身の検察官。 1945年8月15日の敗戦を大阪陸軍幼年学校で過ごし、1946年旧制京都府立桃山中学校に復学。旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学法学部卒業。司法修習8期を経て、東京地方検察庁検事に任官。海外のロースクールへ留学。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁刑事部長、次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。退官後帝京大学法学部教授。 2001年5月5日、急性多臓器不全のため死去。71歳没。叙正三位、叙勲一等授瑞宝章。 1990年代後半の司法試験制度について、あまりにも単純に法律知識に偏り過ぎており、経済や歴史、文学、一般社会を幅広く知る人間を司法界は求めるべきだとの考えを持っていた。
片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本… 片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本の経済学者。滋賀大学名誉教授。瑞宝中綬章受章者。 1930年7月京都市生まれ。1948年3月大阪府立生野中学校卒業、同年4月彦根経済専門学校入学。1949年4月学制改革によって滋賀大学経済学部発足にともない同学部に入学し、1953年3月第一期生として卒業。その後神戸大学大学院経済学研究科に進学、1958年3月同研究科博士課程単位取得退学。 1958年滋賀大学経済短期大学部講師、1961年同助教授、1964年1月経済学部助教授、1972年5月同教授。1976年フルブライト上級研究員として米国ジョージア大学にて研究。1986年4月からは経済学部長・経済学研究科長を務めた。
阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日… 阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日 - )は、日本の農学者、京都大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1954年(昭和29年)京都大学農学部農林生物学科卒業、1965年(昭和40年)農学博士。1962年(昭和37年)アメリカ・ミネソタ州立大学修士課程修了。1954年(昭和29年)国立遺伝学研究所研究員、1974年(昭和49年)京都大学農学部助教授、1984年(昭和59年)教授となる。1994年(平成6年)定年退官、名誉教授、龍谷大学教授を務め、2011年(平成23年)退職。
佐野 武治(さの たけじ、1930年5月11日 - 2011… 佐野 武治(さの たけじ、1930年5月11日 - 2011年3月4日)は、日本の照明技師。倉敷芸術科学大学メディア映像学科非常勤講師。日本映画テレビ照明協会会長。 1930年5月11日、京都府京都市に生まれる。 1948年、京都府尋常中学校(現在の京都府立洛北高等学校)卒業後、松竹京都撮影所に入社。 1957年(昭和32年)、同撮影所の契約技師となる。 1964年、松竹京都撮影所閉所にともないフリーランスの照明技師となり、約5,000本の映画作品の照明を手がける[要出典]。 晩年も現役の照明技師で、照明歴は実に60年、照明の神様である。 その傍ら、日本映画テレビ照明協会会長である。 2008年より倉敷芸術科学大学メディア映像学科非常勤講師に就任。
飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2… 飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2006年12月3日)は、日本の経営学者・会計学者。 京都市出身。大阪市立大学卒。1961年同大学院博士課程満期退学。79年「生産性分析論」で大阪市大商学博士。1961年富山大学経営短期大学部講師、助教授、龍谷大学経済学部助教授、教授、1981年岡山大学経済学部教授、94年定年退官、名誉教授 追手門学院大学教授、兵庫大学教授、大阪人間科学大学副学長。管理会計論。
竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23… 竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23日 - 1998年(平成10年)11月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 堀川高校卒業。京都新報社社長や京都原水禁議長を歴任。 現在の京都府第2区に含まれる東山区選出の京都市議を経て1972年第33回衆議院議員総選挙に、旧京都1区から日本社会党公認で初当選(同じ自治体議員出身の社会党新人代議士に村山富市)。しかし任期満了で迎えた1976年第34回衆議院議員総選挙で落選。35回、36回、38回の総選挙にも京都1区から立候補するも全て落選している。 その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙で京都府選挙区から立候補するが落選。
大谷 暢顯(おおたに ちょうけん、1930年3月27日 - … 大谷 暢顯(おおたに ちょうけん、1930年3月27日 - )は、浄土真宗の僧である。法名は「淨如」。真宗大谷派第25代門首。元全日本仏教会会長。上皇明仁の従兄弟に当たる。兄は大谷光紹、大谷暢順、弟は大谷光道。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 20… 二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。京都府立東舞鶴高等学校卒業、同志社大学文学部英文学科中退。妻は白川由美。長女は二谷友里恵。 8人兄弟の5番目の三男として生まれる。兄が3人、弟が1人、姉妹が4人いる。父の吉秀は運送業や港湾業、倉庫管理などを営み、海軍舞鶴鎮守府に物を納めるなどしていたが、1937年に亡くなったため母が女手一つで育てた。カトリックの幼稚園に通い、1936年に東舞鶴小学校に入学。1942年、東舞鶴中学校に入学。同志社予科から1947年同志社大学文学部英文学科に入学し、アーモスト館に入寮したが、2年生の時に家計が傾いたため、後に大学を中退した。
阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、… 阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、京都府京都市上京区出身の日本の女優。宝塚歌劇団出身。旧芸名は百 ちとせ(もも ちとせ)、阿井 三千子(あい みちこ)。本名は渡辺 千歳。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1… 安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1990年3月17日)は、日本の児童文学作家・文芸評論家。日本女子大学家政学部教授。本名は安藤 一郎。 京都府京都市出身。1954年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、北海道で高校教師を務める。その傍ら、1957年頃よりイタリア児童文学の翻訳の刊行を始め、自ら創作を始めて、1961年『白いりす』でデビューし、産経児童文化賞を受賞。1962年、評論「ピノッキオとクォーレ」で高山賞(日本児童文学者協会主催)受賞。 1972年、北海道から東京都東大和市に移り、日本女子大学家政学部児童学科の非常勤講師となる。1973年『でんでんむしの競馬』で国際アンデルセン賞作品賞・野間児童文芸賞・日本児童文学者協会賞・赤い鳥文学賞・サンケイ児童出版文化賞受賞。
東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 … 東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - )は、京都府京丹後市出身の郷土史家。 京都府竹野郡間人町(現・京丹後市丹後町間人)に1930年(昭和5年)1月8日に生まれた。生家は、戦前、間人に3軒あった傘屋のひとつ「清水傘店」で、屋号を宮津屋という。祖父の代までは隣接する竹野村(たかのむら)で造り酒屋を営んでいたが、あるとき蔵をたたんで間人の岡成地区に転居し、世津子の父が宮津市内の傘屋で修業し、和傘や提灯の製造販売を始めた。 1944年(昭和19年)に14才で舞鶴女学院に入学。当時は太平洋戦争中であったため、授業は行われず、学徒動員により軍服縫工所で働いた。おもにポケットの型板にそって縫代を折りまげ、はりつけやすいようアイロンをかける仕事だった。
栗田 修(くりた おさむ、1930年 - )は、日本の教育学… 栗田 修(くりた おさむ、1930年 - )は、日本の教育学者。京都教育大学・滋賀県立大学名誉教授。 京都市生まれ。1953年京都学芸大学教育学科卒、京都市立上桂中学校教諭。1954年フルブライト奨学金によりシカゴ大学教育学部大学院に学び修士課程修了。1958年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、京都学芸大学教育学部助手、1965年京都教育大学(校名変更)助教授、77年教授。1972年「デューイ教育学の起源 彼の生長としての教育観はいかなる過程をへて成立したか」で京大教育学博士。79年京都教育大学附属桃山中学校校長、89年京都教育大学附属図書館長、1994年定年退官、名誉教授、宇治市生涯学習センター所長、1995年滋賀県立大学人間文化学部教授、同交流センター長、2011年退任、名誉教授。
木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 199… 木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 1996年9月10日 京都市)は、日本の漫画家。のちに剪紙作家となり木村 祥刀(きむら しょうとう)を名乗る。本名:木村 祥一(きむら しょういち)、漫画家としてのペンネームはほかに木村 ただし(きむら ただし)、京 さゆり(きょう さゆり)などがあり、近年再評価の気運にある劇画作家木村 仁(きむら じん)と同一人物である。 以下に筆名を整理する。 1930年(昭和5年)、京都市東山区五条坂に生まれる。祖父は陶芸家6代目木村清山(木村仙之助)、父は同7代目木村清山であり歌人の木村二瓶子、母は華道家であり茶道家の木村宗良、同志社大学教授の稲本健二は従弟、映画プロデューサーでエッセイストの木村立哉は甥である。
北本 重二(きたもと しげじ、1929年12月14日 - )… 北本 重二(きたもと しげじ、1929年12月14日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)… 川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)、1929年12月11日 - 2013年9月7日)は、日本の腹話術師、声帯模写師。 寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。 京都市出身。日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹)。 芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという。 旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。
羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11… 羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11月23日 - 2019年 <平成31年> 2月18日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府綾部市出身。1952年に京都大学農学部農林経済科を卒業し、同年4月に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1981年2月に取締役に就任し、1987年2月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1996年6月に会長に就任。 2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年2月18日、死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。