新井 寿枝(あらい ひさえ〉、1986年11月22日 - )… 新井 寿枝(あらい ひさえ〉、1986年11月22日 - )は、日本の画家(公式ホームページでは「アートメッセンジャー」、ミス日本公式サイトでは「絵手紙師見習い」と紹介)、元ファッションモデル。大阪府出身。大阪信愛女学院短期大学卒業。シンガポール在住。 元プロ野球選手の新井宏昌と客室乗務員をしていた母(2010年にがんで死去)の第1子として出生。妹が2人おり、うち下の妹が2012年ミス日本グランプリを受賞した世界的モデル・元アルティメット選手の稲垣貴子(いながききこ 旧姓・新井貴子)である。このため、貴子の夫(自身の義弟)はラグビー選手の稲垣啓太。 2009年よりシンガポール・香港などのアジア諸国で、絵手紙を外国人向けにアレンジした「アートメッセージ」を通して日本文化の普及活動を行う。
トリゴエ ユイ(1984年 - )は、大阪府池田市の出身、ペ… トリゴエ ユイ(1984年 - )は、大阪府池田市の出身、ペン画中心の細密画家である。その他色鉛筆や水彩、アクリルを使っての多彩なカラーと取り入れた作品も多数制作。 東京・下北沢のアパレル雑貨ショップ「RIGOE」のデザイナーとして活動後、2014年11月に閉鎖。2017年、AtelierKarasu発足。ハンドメイド作家として活動中。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
ミロコマチコ(みろこまちこ、1981年 - )は、日本の画家… ミロコマチコ(みろこまちこ、1981年 - )は、日本の画家・絵本作家。 大阪府枚方市出身。京都精華大学在学時に児童文学を学び、アートスクール梅田(現、アートスクール大阪)に進学後、2年間本格的に絵本の制作を開始する。愛猫家として知られ、動物や植物を題材とした絵を得意としている。近年、カウニステとのコラボレートなど海外からの評価も高い。2013年、絵本「オオカミがとぶひ」が第18回日本絵本賞大賞を受賞する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大宮 エリー(おおみや エリー、本名:大宮 恵里子〈おおみや… 大宮 エリー(おおみや エリー、本名:大宮 恵里子〈おおみや えりこ〉、1975年〈昭和50年〉11月21日 - 2025年〈令和7年〉4月23日)は、日本の画家、脚本家、CMディレクター、映画監督、作家、エッセイスト、コピーライター、演出家、ラジオパーソナリティ。 大阪府出身。血液型はA型。東京大学薬学部卒業。 大阪府生まれ。小学生の時に翻訳者だった父の転勤に伴い東京都に引っ越した。品川区立延山小学校卒業。 元々植物が好きであり、将来は「砂漠でも育つ植物」の研究をし地球を砂漠化から救いたかったという。しかし、理系科目が苦手だったため、学校の先生から「お前は理系の大学に受からない」と言われた。その言葉に疑問を感じ、「数学が0点でも受かるところはないですか?」と質問したところ、「一つだけある。
太井 潤一(たい じゅんいち、1974年11月22日 - )… 太井 潤一(たい じゅんいち、1974年11月22日 - )は日本の洋画家。大阪府堺市出身・在住。関西大学工学部建築学科卒業。 8歳の時に洋画家・本田年男に師事し洋画の道へ。現在は地元の堺市を中心に水彩画や油彩画の個展を開いたり、地元の百貨店で似顔絵のイベントを開催している。 その一方で、1990年ごろから週刊プロレスに選手の似顔絵を投稿、それが縁でJWP女子プロレスのTシャツ等のグッズに似顔絵を提供するようになる。 また、週刊プロレスの編集長だった濱部良典が編集長を務めるボウリング・マガジンで「ボウリング革命 P★League」に出場する選手を紹介する連載企画「P★FILE」にも選手の似顔絵を提供している。
こうぶん こうぞう(1971年7月12日 - )は、大阪府阪… こうぶん こうぞう(1971年7月12日 - )は、大阪府阪南市出身の美術家・画家。 本名は、公文 晃蔵(読み同じ)。 当初は主に子どもそのものをモチーフにした作品を中心に発表していたが、2009年より現代社会が抱える様々な問題を独自の視点で表現。2003年に、関西のローカルニュース番組の特集企画でトランスジェンダー(性同一性障害)である事をカミングアウトした。 1971年、大阪府阪南市生まれ。阪南市立鳥取中学校、大阪府立泉南高等学校卒業。 幼い頃から「自分は女の子」と信じ、ほかの男の子との違いを感じていた。好きになるのは男性ばかり。声変わりやひげが生え始めると違和感は強まったが、その理由が分からず「自分は何者なのか」と思い悩んだ末、17歳の時に農薬を口にして自殺未遂を図った。
大薮 義章(おおやぶ よしあき、1970年8月 - )は日本… 大薮 義章(おおやぶ よしあき、1970年8月 - )は日本の建築家、都市計画家。一級建築士。 大阪府生まれ。1989年(平成元年)大阪府立高津高等学校卒業。1996年に関西大学工学部を卒業後、歌一洋建築研究所に入所した。2002年に大薮義章建築計画所設立。
嘉名 光市(かな こういち、1968年5月3日 - )は日本… 嘉名 光市(かな こういち、1968年5月3日 - )は日本の都市計画家、アーバンデザイナー、都市計画研究者、景観研究者である。 一級建築士、技術士建設部門(都市及び地方計画)、博士(工学)。大阪公立大学大学院工学研究科都市系専攻教授(都市計画研究室)。都市計画、都市デザイン、景観論、都市計画・デザイン史、都市再生論、エリアマネジメント。京阪神を中心に多くの都市再生プロジェクトに携わる。 大阪府河内長野市に生まれる。大阪府立生野高等学校を経て、1992年3月に東京工業大学工学部社会工学科を卒業(在学中は中村良夫の研究室に所属)。卒業後の1992年4月より、三和総合研究所研究開発本部の研究員となる。
梶原 誠(かじわら まこと、1967年7月19日 - )は、… 梶原 誠(かじわら まこと、1967年7月19日 - )は、日本の画家。大阪府豊中市出身。本名は桜井誠。鉛筆画による細密表現で知られる。 鉛筆画によるリアリズム(細密画)を中心に制作活動を行う日本の画家。挿絵制作、広告関連作品、講演、絵画指導など幅広く活動している。 1967年、大阪府豊中市に生まれる。両親の転勤により宮城県、奈良県、東京都で育つ。 小学生時代より漫画制作に親しみ、中学3年時には小学館に応募した作品が『週刊少年サンデー』に掲載された経験を持つ。 その後、料理の道へ進み、1988年に調理師免許を取得。プリンスホテルの料理人として勤務する傍ら創作活動も行ったが、結婚を機に一時的に創作活動から離れる。
ジミー大西(ジミーおおにし、1964年〈昭和39年〉1月1日… ジミー大西(ジミーおおにし、1964年〈昭和39年〉1月1日 - )は、日本のお笑いタレント、画家。大阪府八尾市出身。吉本興業所属。愛称は、ジミーちゃん。 本名は大西 秀明(おおにし ひであき)。血液型A型。既婚。名前の由来は豊臣秀吉から「秀」と、元日に産まれたことから明けましておめでとうの「明」を組み合わせたもの。 幼少期、八尾市長(第5代)・柴谷光謹の隣に住んでいた。言葉を覚えるのが極めて遅く、小学2年まで喋れなかった。勉強は苦手だったが運動神経に優れ、八尾市立安中小学校時代はボーイズリーグの強豪である八尾フレンドに所属。八尾フレンドの4年後輩には桑田真澄がいた(桑田は八尾市立成法中学校の後輩でもある)。
佳山 隆生(かやま りゅうせい、1963年5月31日 - )… 佳山 隆生(かやま りゅうせい、1963年5月31日 - )は、日本のペン画家・水彩画家、ネームポエム作家、ラジオパーソナリティ。大阪府守口市出身。血液型はAB型。 大阪府立八尾高等学校(高校34期生)卒業。関西大学経済学部卒業。
長谷川 義史(はせがわ よしふみ、1961年2月25日 - … 長谷川 義史(はせがわ よしふみ、1961年2月25日 - )は、日本の画家、イラストレーター、絵本作家。
井上 裕義(いのうえ ひろよし、1958年〈昭和33年〉1月… 井上 裕義(いのうえ ひろよし、1958年〈昭和33年〉1月1日[要出典] - )は、大阪府大阪市出身の日本の画家。公益社団法人二科会 会員・審査員、日本美術家連盟会員。
宝永 たかこ(ほうえい たかこ、1958年 - )は、日本の… 宝永 たかこ(ほうえい たかこ、1958年 - )は、日本の画家、イラストレーター、絵本作家。幻想的で夢のある世界を独自のマチエールと色彩で表現。占い師・ステラ薫子のために描きおろしたタロットカードは、TBSの金曜ドラマ『魔王 (2008年のテレビドラマ)』にも使用され、スイスのAGM社より販売されている。 絵画、イラスト、絵本制作ほのかにも、成安造形大学でイラストレーション領域の准教授を務めている。 1958年大阪府に生まれる。1975年、大阪府立春日丘高等学校を卒業。同校の美術教師を務めていた井上直久に卒業後も師事。イラストレーター、絵本作家としてキャリアをスタートさせる。 1981年、サンリオ『詩とメルヘン』イラストコンクール佳作1987年、偕成社「MOE イラストコンテスト」入賞1988年、絵本『魔王』(岩崎書店)を出版。
磯江 毅(いそえ つよし、1954年 - 2007年9月23… 磯江 毅(いそえ つよし、1954年 - 2007年9月23日)は、日本の画家。「Gustavo ISOE」の名で活躍し、徹底した写実表現で知られる。 大阪府出身。1973年、大阪市立工芸高等学校図案科卒業。1974年、シベリア経由にてスペインに渡り、マドリッド留学。アカデミア・ペーニャやシルクロ・デ・ベジャス・アルテスにて学ぶ。1978年、マドリッド「サロン・デ・オト-ニョ」で二等賞。シルクロ・ドス画廊にて初個展。1979年、マドリッド「シルクロ・ドス賞小品展」で一等賞を獲得。1981年「サロン・デ・オトーニョ」の一等賞受賞などにより、スペイン国内で注目されるようになる。バルセロナ伯爵夫人賞展で名誉賞を受賞。
山本 容子(やまもと ようこ、1952年4月7日 - )は、… 山本 容子(やまもと ようこ、1952年4月7日 - )は、日本の銅版画家。 作品は、柔らかく繊細な描線と独特の色使いが特徴で、都会的で洗練された雰囲気を持つ。 『マリ・クレール』1988年4月号~1989年3月号に連載された吉本ばななの小説『TUGUMI』の挿画を手がけ、単行本(1989年3月刊行)の表紙絵も担当。版画家としてはすでに一家をなしていたが、同書が1989年年間ベストセラーの総合1位を記録し、累計167万部ものベストセラーとなったことから山本の名前も広く知られるようになる。(なお、編集者の安原顯はこの売上げの多くは、山本の挿画の魅力によるものだと語っている。[要出典]) それ以降、多数の書籍の装丁や挿画、アクセサリー、食器、舞台衣装のデザインなどの幅広い分野の作品を発表している。
高瀬 義夫(たかせ よしお、1952年 - )は造形作家・版… 高瀬 義夫(たかせ よしお、1952年 - )は造形作家・版画家である。大阪府大阪市生まれ。 1977年、立命館大学法学部卒業。1987年より、ミヤザキ・アトリエで版画を研究し始める。2年後、第4期ホルベイン・アクリラ・スカラシップ取得。1990年からは、松田豊が主宰する現代美術研究会「色彩造形」に参加。以後、関西を中心に幅広く個展を開く他、カナダ、ベルギーなど国際的な活躍もみせる。
若一 光司(わかいち こうじ、1950年(昭和25年)10月… 若一 光司(わかいち こうじ、1950年(昭和25年)10月16日 - )は、日本の作家・画家、テレビのコメンテーター。大阪府豊中市出身。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。 高校在学中から大阪(信濃橋画廊)・東京(村松画廊)で個展を開催するなど、現代美術作家として活動。1969年(昭和44年)の村松画廊での個展では、ハツカネズミの死体(実物)を透明アクリルで挟んでプレスした作品を展示する活動を行っていた。また、1970年(昭和45年)には松本雄吉らと共に劇団日本維新派(現在の劇団維新派)の結成に参加。 高校を1年留年して卒業後、コピーライターやCFディレクターを経て、1973年(昭和48年)に企画会社プランニング・インターナショナルを設立。
井上 直久(いのうえ なおひさ、1948年 - )は、日本の… 井上 直久(いのうえ なおひさ、1948年 - )は、日本の画家、イラストレーター、漫画家。大阪府東大阪市出身、茨木市在住。大阪府立春日丘高等学校、金沢美術工芸大学産業美術科卒業。 大学卒業後の1971年から2年間広告代理店に勤め、その後大阪府立春日丘高等学校に美術教諭として20年間勤務。学校勤務と並行して、異郷「イバラード」をテーマにした作品を描き、個展や画集を発表。1992年に学校退職後も精力的に活動し、1995年公開のアニメ映画『耳をすませば』中の挿話「バロンのくれた物語」の背景画を制作して注目を集めた。2002年から6年間成安造形大学に教授として勤務。2007年にはスタジオジブリが製作した映像作品『イバラード時間(英語版)』を監督した。
池田 理代子(いけだ りよこ、1947年12月18日 - )… 池田 理代子(いけだ りよこ、1947年12月18日 - )は、日本の漫画家・劇画家・声楽家。大阪府出身、千葉県柏市育ち渋谷区在住。血液型はAB型。
成瀬 政博(なるせ まさひろ、1947年 - )は、日本の画… 成瀬 政博(なるせ まさひろ、1947年 - )は、日本の画家、イラストレーター、エッセイスト。 大阪府出身。大阪外国語大学を卒業後、公務員の傍ら美術評論を書いていたが、退職してイラストレーターに転身した。1997年から、谷内六郎の後を引き継いで「週刊新潮」の表紙絵とコラムを担当している。 画家の横尾忠則の実弟。妻との間に5人の子供がいる。
武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の… 武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の画家(油彩画家)。大阪府大阪市出身。ポルトガルの風景を、独特の赤を多用し、独自の画風を確立。 来歴1946年、愛媛県新居浜市出身の画家・武本憲太郎(1911-2012)の次男として、大阪市東住吉区に生まれる。父が主宰する土曜日児童画教室で幼少の頃より絵に親しむ。 育和幼稚園、桑津小学校、東住吉中学校を経て浪速高等学校に入学。美術部に入部し、本格的に油彩を描き始める。このときの同期には、上久保良文(イラストレーター)が、先輩に吉田定一(児童文学、詩人、画家)、1年後輩には、はるき悦巳(漫画家・じゃりン子チエ)などがいる。また、顧問の藤井満の下、今も50年目を迎えるOB展、NACK展(茶臼山画廊)、NACKシニア展(マサゴ画廊)、スケッチ会など盛んに活動が行われている。
木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大… 木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大津市出身の画家。元音楽プロデューサー。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業。 大学卒業後、ロック音楽プロデューサーとなる。1970年代後半から1980年代は、広告やポスターのデザインも含めたコンセプチュアルデザイナーとして活躍する。60歳から画家になることを宣言した。 大阪府泉大津市に生まれる。1965年(昭和40年) 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)工芸科デザイン専攻卒業。非常勤講師として大学に残る。その後、ロックプロデューサー・コンセプチュアルデザイナーとして活躍する。 2001年(平成13年) 画家宣言。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月… 薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月23日 - 2000年〈平成12年〉6月18日)は、日本の動物画家、絵本作家。 絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で標本画の基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞。
宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 20… 宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 2012年10月19日)は日本の画家。大阪府吹田市出身。 大阪府吹田市生まれ。父の転勤により和歌山市へ転居し、小中学校期を同地で過ごす。 1953年に家族とともに大阪に転居し、大阪市立田辺中学校に編入。 1958年、大阪府立天王寺高校卒業。東京藝術大学を受験するが不合格となり、東京に居をかまえ独学で創作を開始。 1963年、南画廊(東京・日本橋)で初個展。 1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」展(MoMA、NY)出品。この年に見つけた『ライフ』誌上のワッツ暴動の写真から抜き出した4人の人型を、翌年の自作に用いる。 1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加、他多数。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
田中 良平(たなか りょうへい、1933年 - 2019年)… 田中 良平(たなか りょうへい、1933年 - 2019年)は、日本の版画家である。 田中良平は、日本の原風景や京都の寺などを多く手がけた。いくつかの作品は、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、クリーブランド美術館、シンガポール国立博物館にも作品が収められている。 田中良平は1933年、大阪府高槻市に生まれる。1955年に高槻高等学校を卒業、1963年に古野由男に師事し、エッチングを学んだ。そして1966年に日本版画協会に作品を出展し始め、1973年に正会員となり、すべてにおいて「完璧であれ」をモットーに制作を続ける。1975年に、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ・買取賞を受賞。その後も、精力的に作品を発表し、高い評価を受ける。
米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - … 米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - )は、日本出身の作家・画家。本名は富美子。ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセイズに在住。 大阪市に生まれる。大阪府立夕陽丘高等女学校、大阪女子大学(現在の大阪府立大学)国文科卒業。1957年、油絵を二科展に出品して関西女流美術賞を受ける。1960年に奨学金を受けて渡米。抽象画家としてアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の芸術家村マクダウェル・コロニー(MacDowell Colony)に移住したとき、ジョシュ・グリーンフェルドと出会う。 ニューヨークでジョシュと結婚し、夫との間に二人の息子を持つ(長男のカール・タロウは現在文筆家)。 自閉症の次男ノアの子育てと画家活動が両立困難になったことから文筆活動に転じた。
金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959… 金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959年6月16日)は、日本の洋画家である。
中西 勝(なかにし まさる、1924年4月11日 - 201… 中西 勝(なかにし まさる、1924年4月11日 - 2015年5月22日)は日本の画家。洋画家。 画風は、第二次世界大戦後の人々の暮らしなどを抒情的、詩的に描き出す、時には戦争体験も踏まえたものが中心であったが、1965年(昭和40年)から妻とともに自動車で世界一周をすると人間の逞しさや生命の根源を窺うものへと変化した。 1924年(大正13年)、現在の大阪府大阪市城東区に生まれる。大阪府立四條畷中学校在学時から油絵を描き始め、保田龍門のアトリエなどでデッサンを学ぶ。帝国美術学校西洋画科へ入学するとともに川端画学校へも通った。1944年(昭和19年)学徒動員にて出征。中支那派遣軍の部隊に配属するも、逃走を試みるなど軍人としては問題があった。
津田 耕(つだ こう、1923年 - 2003年)は、日本の… 津田 耕(つだ こう、1923年 - 2003年)は、日本の版画家。元日本宣伝美術会会員。 大阪府岸和田市生まれ。旧制岸和田中学校卒業後、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)に学ぶ。 1952年に積水化学に入社し、宣伝部に所属する。1959年、アートハウスを設立する。1974年にはスタジオパレットを、1997年にシーディーシーを、それぞれ設立した。 2002年に、BSデジタルラジオ320chJFN1 BSジャズギャラリーにて「津田耕ジャズの世界」の放送が開催された。 2003年12月に死去。
泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年… 泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年5月11日)は、日本の洋画家及び版画家。
稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 202… 稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 2021年3月23日)は、日本画家、文化功労者。東京芸術大学名誉教授。女子美術大学大学院客員教授。創画会会員。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)生まれ。父はデザイナーの稗田耕一(号・彩花)。その後大阪に転居、9歳から阿倍野橋洋画研究所に通う。1933年、大阪市立工芸学校工芸図案科に入学。卒業後上京、東京美術学校日本画科に入学。1943年、戦時体制のため繰上げ卒業。その後山本丘人に師事。 戦後1948年、丘人、上村松篁らが創造美術を結成し、第1回展より出品、奨励賞受賞。1951年、創造美術と新制作派協会が合併し新制作協会日本画部が発足、会員に推挙される。
藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日… 藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日 - 1998年9月17日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。リズミカルな筆触、明快な色調の風景画を得意とした。 静岡県伊豆下田生まれ。生後間もなく大阪に移住。1930年、鹿子木孟郎、赤松麟作に師事する。1931年(昭和6年)大阪天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業後、上京して川端画学校に学ぶ。1935年(昭和10年)東京美術学校入学。寺内萬治郎、藤島武二に師事。1937年(昭和12年)ポール・ゴーギャンに憧れて南洋旅行。1939年(昭和14年)光風会展で初入選、F氏賞を受賞、第3回海洋美術展でも海軍協会賞を受賞。1940年、東京美術学校を卒業、第4回海洋美術展で朝日新聞社賞を受賞。
川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - … 川島 宙次(かわしま ちゅうじ、1912年10月15日 - 1998年)は、日本の民家研究家・画家。 東京生まれ。1932年大阪市立都島工業学校建築科卒。一級建築士。大林組に入り、住宅部長、大林ハウジング取締役を歴任。欧米、東南アジア諸国を歴訪し住居建築を研究。1990年第1回竹内芳太郎賞受賞。日本民族建築学会評議員、東京民芸協会会員、日本美術家連盟会員。
吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 197… 吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 1972年2月10日)は、日本の抽象画家、実業家。吉原製油社長。具体美術協会の創設者。
島村 三七雄(しまむら みなお、1904年(明治37年)7月… 島村 三七雄(しまむら みなお、1904年(明治37年)7月9日 - 1978年(昭和53年)10月25日)とは、日本の洋画家。大阪府大阪市北区出身。 1904年(明治37年)7月9日、大阪府大阪市北区に生まれる。 1924年(大正13年)3月、大阪府立天王寺中学校卒業。同年4月、東京美術学校西洋画科入学。在学中の1928年(昭和3年)10月、帝展に「読書」が初入選。翌1929年(昭和4年)、東京美術学校西洋画科を卒業。 同年渡仏、フランスで「午後」がサロン・ドートンヌ入選。翌1930年(昭和5年)パリ国立美術学校のリュシアン・シモン教室に入学するも2年後の1932年(昭和7年)に中退する。その後ポール・ランソンのアカデミー・ランソンでフレスコ画法を学び、1933年(昭和8年)からサロン・デザルティスト・フランセに毎年出品を開始、翌1934年(昭和9年)出品の「ユゲット・トノン孃肖像」はマンション・オノラブル賞を受賞している。
深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、… 深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、日本のこけし研究家・版画家・童話作家。本字での表記は深澤要。 東京市下谷区池之端七軒町に生まれる。少年期は、医師である父に従って九州で育った。1917年、福岡県嘉穂中学校に入学するが病気のため退学。1921年、大阪泰西学館に入学するも病気のため退学。 1925年、大阪市立工業学校(現大阪市立都島工業高等学校、翌年、大阪市立都島工業学校と改称)に勤務。かたわら童話研究を志す。1929年、都島工業学校を退職。行人社書店を設立するが病気のため閉店。『古本屋の棚』『子供考』を出版。1933年、東京に移る。1934年、このころより、こけしの収集研究が始まり産地訪問が始まる。
朝井 閑右衛門(あさい かんえもん/あさい かんうえもん、出… 朝井 閑右衛門(あさい かんえもん/あさい かんうえもん、出生名:浅井 實(みのる)、1901年1月24日 - 1983年4月23日)は、日本の洋画家。戦前は官展や光風会で活躍、戦後は新樹会や国際形象展を結成し、油彩の厚塗りで強烈な個性を発揮した。常に画壇の第一線で活躍しながら画集もなく、また本格的な個展も開催することがないなど、特異な生涯を貫いた。同じモチーフを繰り返し描くことが多く、「バラの画家」「ドン・キホーテに憑かれた画家」とも呼ばれる。 明治34年(1901年)1月24日、大阪府大阪市南区恵美須町(現在の浪速区恵美須西)の今宮戎神社の南門近くで、浅井繁熊(25歳)、ヒサ(27歳)の長男として生まれる。
玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - … 玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - 1984年10月9日)は、大阪市出身の日本の建築学者・都市計画家。工学博士(東京帝国大学)。大阪工業大学名誉教授。元内閣技官・帝都復興院復興局技師。元大阪府建築監督官・愛知県建築部長。勲四等瑞宝章受章。 専門は建築計画・建築史、都市計画。 1923年(大正12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省から都市計画地方委員会事務取扱を委嘱される。同年、関東大震災が発生し、帝都復興院の設置により復興局技師に転じ、復興計画にあたる。1925年(大正14年)大阪府警察技師、1927年(昭和2年)地方技師・大阪府建築監督官を勤める。この後、約15年間は土地区画整理事業等の指導に当たる。
佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年〈明治31年〉4月2… 佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1928年〈昭和3年〉8月16日)は、大正・昭和初期の洋画家。大阪出身で、短い画業の大半を戦間期のフランス(仏国)に渡ってパリのモンパルナス等で過ごし、パリで客死した。作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画などもある。 佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現:大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人兄弟の次男として生まれた。
鍋島 紀雄(なべしま ただお、1897年5月26日 - 19… 鍋島 紀雄(なべしま ただお、1897年5月26日 - 1968年2月19日)は、日本画家。 大阪市北区福島番外413番地に生まれる。父熊太郎(1865年(慶応元年)生まれ)、母ミチ(旧姓牧、1876年(明治9年)生まれ)の長男。鍋島熊太郎は旧佐賀蓮池藩連枝。 1915年(大正4年)東北学院中等部卒業。4月、東京美術学校日本画科に入学。4月から7月まで予備科、8月から本科に進む。川合玉堂、結城素明、松岡映丘の指導を受ける。 1921年(大正10年)東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業。卒業制作は、東京芸術大学収蔵品として保管されているが、一般公開はされていない。[要出典] 恩師・川合玉堂の言葉「塵汚の渦中に巻込まれる勿れ、一意我が道に精進せよ」を受けて中央画壇に背を向け、大阪南部の羽曳野市に住み、人知れず「己が魂」を描き続けた。
粥川 伸二(かゆかわ しんじ、1896年〈明治29年〉2月2… 粥川 伸二(かゆかわ しんじ、1896年〈明治29年〉2月24日 - 1949年〈昭和24年〉1月1日)は、大正期から昭和戦前期にかけて活動した日本画家。雅号は新児、心児。 1896年(明治29年)2月24日、粥川八郎、ミチ夫妻の長男として大阪府大鳥郡向井村中筋(現在の堺市)に生まれる。 1902年(明治35年)、堺市英彰尋常小学校(現在の堺市立英彰小学校)に入学する。途中、体が弱く一年間休学する。 1909年(明治42年)、大阪大倉商業学校(現在の関西大倉中学校・高等学校)に入学するが、1910年(明治43年)、結核性骨髄炎となり右足を切断する。 後の進路を親族会議で相談した結果、本人が幼少より絵が好きであったため、画家にさせることに決定。
耳野 卯三郎(みみの うさぶろう、1891年〈明治24年〉1… 耳野 卯三郎(みみの うさぶろう、1891年〈明治24年〉11月12日 - 1974年〈昭和49年〉3月15日)は、洋画家、日本芸術院会員。 大阪府大阪市出身。1907年東京葵橋洋画研究所に入る。1916年東京美術学校西洋画科卒。文展、帝展に出品、1933年光風会会員。1934年帝展特選。1942年文展審査員。戦後は日展に出品、1956年同運営会参事。1958年同評議員。1962年日本芸術院賞受賞。1967年日展理事、芸術院会員、勲三等瑞宝章受章。『耳野卯三郎静物画集』(美術工芸会、1964)がある。児童書の挿絵も多く手がけた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
生田 花朝女(いくた かちょうじょ、1889年(明治22年)… 生田 花朝女(いくた かちょうじょ、1889年(明治22年)11月22日 - 1978年(昭和53年)3月29日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。 菅楯彦と北野恒富の門人。本名、生田稔(みのり)。始め花朝と号し、のちに花朝女と号した。1889年、大阪市天王寺区上之宮町で生まれており、現在は生誕地の碑が建っている。父は国学者の生田南水。父に俳句、藤沢黄波に漢学、近藤尺天に国学を学ぶ。大阪第一師範学校附属小学校を卒業後、喜多暉月に四条派を教わる。1912年、菅楯彦に師事してまず大和絵と有職故実を学んでいる。1921年に北野恒富に預けられ、白耀社にも所属した。1925年の第6回帝展に出品した「春日」が初入選を果たした。
小出 楢重(こいで ならしげ、1887年〈明治20年〉10月… 小出 楢重(こいで ならしげ、1887年〈明治20年〉10月13日 - 1931年〈昭和6年〉2月13日)は、日本の洋画家。大正から昭和初期に活躍した。 1887年(明治20年)、大阪府大阪市南区長堀橋筋一丁目(現在の中央区東心斎橋)に生まれる。小学校から中学時代にかけて渡辺祥益に日本画の手ほどきを受ける。1907年(明治40年)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科を受験したものの不合格、日本画科への編入を許されて入学する。下村観山の指導を受けるが、のち洋画に転向。1919年東京藝術大学の西洋画家で、和田英作、藤島武二らに師事。(大正8年)、二科展出品作の『Nの家族』で樗牛賞を受ける。翌年は『少女お梅の像』が二科賞を受賞。
川崎 巨泉(かわさき きょせん、1877年6月2日 - 19… 川崎 巨泉(かわさき きょせん、1877年6月2日 - 1942年9月15日)は明治時代の浮世絵師、郷土玩具画家。 本名は川崎末吉。明治10年(1877年)に堺県(現:大阪府堺市)に生まれる。他の雅号では人魚洞・芳斎・碧水居とも称した。子供のころから絵が得意で、明治25年(1892年)堺に住んでいた浮世絵師の中井芳滝に師事した。一時期は芳滝の元を離れて東京に絵を学びに行くが、数年で堺に戻って大阪に移住した芳滝に再び師事し浮世絵の手法を学んだ。その後芳滝の娘と結婚し養子となって芳滝の遺志であった新聞・雑誌の挿絵や連載物の他にシリーズで発刊されていた刷物風俗画作品(『大阪名所』)を引き継いだ。更に芳滝と親しかった大阪麦酒(現:アサヒグループホールディングス)との関係も引き継ぎ、明治36年(1903年)、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会のパビリオンの1つ「冷蔵庫」内における陳列とビアホールの様子を描いた絵を残している(アサヒビール蔵)。
跡見 花蹊(あとみ かけい、天保11年4月9日〈1840年5… 跡見 花蹊(あとみ かけい、天保11年4月9日〈1840年5月10日〉 - 1926年〈大正15年〉1月10日)は、日本の教育者、日本画家、書家。学校法人跡見学園の創設者。甥は浦和画家の跡見泰。本名は跡見瀧野(たきの)。 摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。父重敬は寺子屋を営んでいた。幼少時より書や画などを習い、12歳の時石垣東山に入門、その後禎野楚山について画を学ぶ。 17歳の時の1856年(安政3年)に京都に遊学する。頼山陽門下の宮原節庵に漢籍、詩文、書を学ぶ。画は円山応立・中島来章から円山派(写生派)を、日根対山から南宗派(文人派)をそれぞれ学び、それぞれを生かした画風を作り上げた。
日根 対山(ひね たいざん、文化10年(1813年) - 明… 日根 対山(ひね たいざん、文化10年(1813年) - 明治2年3月13日(1869年4月24日))は、幕末の文人画家。 日根野とも呼ばれる。名を盛長、字を成言・小年、対山のほかに茅海・錦林子・同楽園・雲煙楼・酔墨庵などと号した。和泉国日根郡中庄村湊(現在の大阪府泉佐野市湊)に生まれる。 日根又衛門の三男として生まれる。幼い頃より絵を好み、はじめ土佐派の桃田栄雲に学び、大坂に出た後岡田半江に就いて南画を学んだ。泉佐野の豪商・里井浮丘とは幼なじみで、浮丘の庇護を受け中国絵画の臨模などで画業を磨いた。 28歳で京都に遊び、経学と書を貫名菘翁に師事した。京都移住後は勤王家の梁川星巌、頼三樹三郎、藤本鉄石、中西耕石らと親交を結ぶ。