木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月… 木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月27日 - 2024年〈令和6年〉4月20日)は、日本の美術史家、美術評論家。共立女子大学名誉教授。元地中海学会副会長。 鳥取県八頭郡若桜町生まれ。木島公之の長男。1964年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史攻卒業。同大学大学院修士課程修了。フィレンツェ大学、ニューヨーク大学大学院、同美術史研究所に学ぶ。 共立女子大文芸学部教授、2009年、定年退任、名誉教授。群馬県立近代美術館館長、群馬県立館林美術館館長、Bunkamuraザ・ミュージアムプロデューサー。1992年地中海学会常任委員・副会長、日本美術評論家連盟常任委員。 2014年7月1日よりポーラ美術館館長を務め、2023年7月1日に退任。
小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - … 小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - )は、日本の栄養学者。専門は食品科学。学位は、医学博士。相模女子大学名誉教授、前学長。2015年瑞宝中綬章受章。 1939年、鳥取県境港市中野町生まれ。鳥取県立境高等学校を経て、1962年、相模女子大学学芸学部食物学科(管理栄養士専攻)卒業。東京農工大学や東京栄養食糧専門学校での勤務を経て、1964年から相模女子大学と相模女子短大で教壇に立つ。1989年、相模女子大学教授。1993年、食生態学の論文で医学博士号取得。2005年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部学長に就任(同大学初の女性学長であり、初の卒業生学長)。2008年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部の学長を退任した。
米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥… 米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。血液型はAB型。 プロ野球歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。通算先発626登板、通算1940失点、通算1659自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打の日本記録保持者。 その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれる。 祖父・長次郎は海産物仲買業を営み、『伯耆国実業人名録』(明治37年 (1904年))に載せられていた大篠津の代表的な商人であった。父・雅明は薪炭雑貨商。
種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は… 種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は、鳥取県倉吉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。妻は宮田征典(読売ジャイアンツ同期入団)の姉・鈴子。孫はシンガーソングライター兼グラビアアイドルの宮田みほ。 上灘小から倉吉東中を経て入学した倉吉農業高ではエースとして活躍したが、同年次に米子東高の義原武敏や境高の米田哲也といった好投手がおり、甲子園には出場できなかった。高校卒業後は1957年に米子鉄道管理局へ入社し、改札の切符切りなどの業務に従事。鉄道関係の略号などに詳しくなったほか、レールの上を走る汽車や貨車の車種を当てる特技も身に付けた。1961年にはクラレ岡山の補強選手として都市対抗に出場し、北海道拓殖銀行との1回戦に登板したが、敗戦投手となっている。
谷口 源太郎(たにぐち げんたろう、1938年 - 2024… 谷口 源太郎(たにぐち げんたろう、1938年 - 2024年6月22日)は、日本のスポーツ評論家。 鳥取県鳥取市出身。早稲田大学中退後、講談社、文藝春秋の雑誌記者を経て、フリーとして活動する。 1998年2月に開催された長野オリンピックでは、競技コース開発による自然破壊(1998年長野オリンピックの滑降競技場設営問題を参照)を理由に招致に反対した。また、東京都や福岡市が2016年の開催地に立候補したオリンピック招致運動(2020年東京オリンピック)にも一貫して反対している。 2008年8月の北京オリンピックで日本代表を応援する日本人を「偏狭ナショナリズム」とし、原爆詩人の作品を引用して「星野ジャパン」や「日の丸」の露出度を過去の侵略戦争に無反省なあり方・態度として問題視した。
赤井 勝利(あかい かつとし、1937年11月1日 - )は… 赤井 勝利(あかい かつとし、1937年11月1日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(外野手)。 米子南高校から1957年に広島カープへ入団。 1軍出場は2年目の1試合だけに留まり、1959年に引退した。
八村 輝夫(はちむら てるお、1937年〈昭和12年〉10月… 八村 輝夫(はちむら てるお、1937年〈昭和12年〉10月8日 - )は日本の実業家。鳥取銀行元頭取。鳥取商工会議所元会頭。鳥取環境大学元理事長。父は鳥取銀行元頭取の八村信三。兄は小野田セメント(現:太平洋セメント)取締役の八村義郎。弟は工学者で立命館大学名誉教授の八村広三郎。 鳥取県鳥取市出身。鳥取銀行元頭取の八村信三・緑夫妻の二男として生まれる。鳥取県立鳥取東高等学校を経て、1961年(昭和36年)東京大学法学部を卒業し、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行。1974年(昭和49年)7月シカゴ支店調査役、1977年(昭和52年)営業本部第二部次長、1978年(昭和53年)4月同第一部次長を歴任。
大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2… 大坂 弘道(おおさか ひろみち 1937年2月20日 - 2020年9月25日)は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては6番目の認定者(1997年認定)。 鳥取県倉吉市出身。鳥取県立倉吉東高等学校、東京学芸大学卒業後、美術教師をしながら木工製作を独学。34歳から木工芸家本橋玉斎、氷見晃堂、竹内碧外らに師事する。木工芸に限らずほとんどの人間国宝が家業として、あるいは子供のころから修業の道に入り、遅くとも大学・学校を卒業後直ちにその道に進んでいるのに比べ、大学卒業後しばらく公立学校教師についていた異例の人間国宝である。 唐木指物などの木工画法を得意とし華麗な装飾が特徴である。
根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026… 根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026年3月8日)は、日本の植物学者、自然科学者、理学博士。広島大学及び広島経済大学名誉教授。現在放送大学客員教授、実践生物教育研究会講師でもある。鳥取県境港市出身。広島市西区在住。
佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、… 佐伯 昌優(さえき よしまさ、1936年8月4日 - )は、将棋棋士、九段。2002年、引退。坂口允彦九段門下。棋士番号は79。鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。 5歳の頃、将棋を趣味としていた兄の影響を受けて将棋を覚える。 1952年に奨励会入会。1959年前期の予備クラスにおいて関東優勝をし、東西決戦で関西の星田啓三六段に勝ち、1959年10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。 順位戦では、初参加から2期目の第16期(1961年度)C級2組で10勝2敗・1位となり初昇級。1年置いて、第18期(1963年度)C級1組順位戦で8勝3敗・2位の成績でB級2組に昇級。 1962年、第6回古豪新鋭戦で米長邦雄(三段)に勝ち決勝進出するが、大内延介(三段)に敗れて準優勝。
樋口 公啓(ひぐち こうけい、1936年(昭和11年)3月1… 樋口 公啓(ひぐち こうけい、1936年(昭和11年)3月14日 - 2018年(平成30年)10月16日)は、日本の実業家。 鳥取県米子市出身。1960年慶應義塾大学経済学部卒業後、東京海上火災保険株式会社入社。1996年社長、2001年会長、2003年相談役に就任。この間日本損害保険協会会長や日本経済団体連合会副会長等を歴任。その後、ビジネスに見切りをつけ大学院で学びなおす。2005年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、2011年同後期博士課程修了。2018年10月16日、胆管炎のため死去、82歳没。 『山田方谷の思想と藩政改革』明徳出版社、2011年2月 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
室山 敏昭(むろやま としあき、1936年 - )は、日本の… 室山 敏昭(むろやま としあき、1936年 - )は、日本の言語学者。専門は、生活語彙論・文化言語学。広島大学名誉教授。 鳥取県倉吉市生まれ。1964年、広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。ノートルダム清心女子大学助教授、鳥取大学教育学部助教授、広島大学文学部助教授、教授。2000年、定年退官、名誉教授。第21回新村出賞受賞。
安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2… 安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2004年4月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者・研究者、新聞記者。専門は棒高跳で元・日本記録保持者。中京大学名誉教授。日本統治時代の台湾生まれ、鳥取県出身。 安田の現役時代は棒高跳のポールの進化が続いていた頃であり、竹、スチール、グラスファイバーの3種を手に競技を行った。 1935年(昭和10年)12月11日、日本統治下の台湾の台北県樹林鎮(現・新北市樹林区)に安田家7人兄弟の5番目として生まれた。当時の樹林は台北市の郊外にある田舎町であり、父は台湾で国民学校の校長を務め、自宅は学校の裏にあった。高いところに登るのが好きで、2歳の頃に学校の樋を伝って10 mほどの高さの屋根まで登り、母をひやひやさせた経験があるという。
島 碩弥(しま ひろみ、1935年8月29日 - 2004年… 島 碩弥(しま ひろみ、1935年8月29日 - 2004年7月5日)は元ラジオ山陰(現:山陰放送)・ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本)のアナウンサー。 鳥取県出身。幼い頃は、雑誌「野球少年」に誌上放送を連載していた志村正順のファンであった。高校卒業後、大学を3か月で中退、ラジオ山陰(現在の山陰放送)に入社。アナウンサーの採用はこの頃も大学卒が一般的であったが、当時のラジオ山陰社長の織田収と島の叔父が知己の間柄だったこともあり、18歳でのアナウンサー採用となった。 1958年12月、ラジオ関東開局のため移籍。ラジオ関東移籍後は、数多くのDJ番組の企画制作出演をこなす。 1960年6月15日、全学連主流派の学生を中心とする安保条約反対のデモ隊が国会に突入、警官隊と衝突する安保騒動が発生し、ラジオ関東のみが報道機関で唯一、実況生中継を敢行した。
渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日… 渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日 - 2007年3月2日)は、日本の画家、彫刻家。 武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」ことができる社会を目指して提唱し、その同志が建設した理想郷「新しき村」で義務労働の傍ら、絵画や彫刻の制作に励む。村で毎日絵筆をとる生活をし、絵画教室も開いていた。渡辺登州(わたなべ としゅう)と名乗ることもあった。本名、渡辺修(わたなべ おさむ)。武者小路実篤や高田博厚に師事した。 鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)で生まれ、中学生の頃から絵を描きたいという思いを持ち、武者小路実篤の作品も熱心に読んでいた。将来は教員でもやりながら絵を描こうと思っていたが、高校教師だった兄の話を聞いて教師との両立に疑問を抱く。
山田 憲典(やまだ けんすけ、1935年6月7日 - )は、… 山田 憲典(やまだ けんすけ、1935年6月7日 - )は、日本の実業家。 鳥取県出身。鳥取県立鳥取西高等学校卒業。明治大学法学部卒業。 日本最大、世界でも第二位の規模の製パン業者でありながら、同族経営企業でもある山崎製パンに於いて、38年間に亘り役員を務め、2018年に同社最高顧問に就任した。 1960年、山崎製パン入社。1980年取締役、1981年常務取締役、1990年専務取締役、1999年取締役副社長。2000年、デイリーヤマザキ代表取締役会長兼社長。2007年不二家代表取締役会長、不二家フードサービス代表取締役会長。2018年、山崎製パン最高顧問。2019年、ダロワイヨジャポン代表取締役会長。
拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥… 拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥取県境港市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。 3歳上の実兄・聖雄(まさお)も元プロ野球選手で、こちらは近鉄パールスにて5年間、弟と同じく投手として活躍した。 境高校ではエースとして活躍。2年生時の1952年には、創部6年目の同高校野球部を夏の甲子園初出場へ導く奮投を見せた。しかし、全国大会では2回戦(初戦)で日大三高の若杉輝明と投げ合いの末、完封負け。翌1953年夏は東中国大会1回戦で浜田高に敗れ、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース・杉浦忠とともに活躍した。1957年には春秋4勝を挙げ、チーム初となる春秋季リーグ連覇に貢献している。
毛利 彰(もうり あきら、1935年 - 2008年4月9日… 毛利 彰(もうり あきら、1935年 - 2008年4月9日)は、日本のイラストレーター。 鳥取県出身。上京後、石膏デッサンを学んだ後帰郷し、鳥取大丸宣伝部に入社。 再び上京し、1957年から1971年まで伊勢丹のファッションイラストレーション担当。 1971年からフリーとなってから小説の挿絵や映画ポスター、広告などを数多く手がけた。 鳥取市の鳥取城跡近くにある吉川経家の銅像のデザイン画を担当した。「歴史群像シリーズ」(学習研究社)では、表紙で武将や合戦シーンなどを描いた。 2008年4月9日、鳥取市内の病院で呼吸不全のため死去。享年73。
司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 … 司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村第2代村長。東京福祉大学特任教授。本名は相澤 葉子()。旧姓は庄司。東宝芸能所属。 夫は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。 鳥取県西伯郡渡村に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業。 1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。
高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )… 高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )は、日本の作曲家。 鳥取県米子市出身。1958年、国立音楽大学作曲科卒業。作曲を高田三郎、島岡譲に師事。1959年、国立音楽大学専攻科(作曲専攻)修了。同年、第28回日本音楽コンクール作曲部門第3位入賞。 1974年〜1979年、国立音楽大学助教授、1980年〜1999年、同大学教授、現在、同大学名誉教授。 日本現代音楽協会、日本作曲家協議会で作品発表や楽譜の出版の活動を続けている。
加藤 威(かとう たけし、昭和9年(1934年)1月26日 … 加藤 威(かとう たけし、昭和9年(1934年)1月26日 - )は日本の実業家。加藤商事社長。 元加藤商事会長加藤章の次男。兄は元三井銀総合研究所社長加藤裕。 鳥取県米子市出身。加藤章の次男。家業は建設資材卸売業。 昭和35年(1960年)慶應義塾大学経済学部卒業、同年加藤豊吉商店勤務。昭和39年(1964年)加藤商事専務取締役に就任(加藤豊吉商店を吸収合併)。 昭和52年(1977年)山陰生コンクリート代表取締役社長、昭和55年(1980年)加藤商事代表取締役社長、昭和56年(1981年)白兎生コン代表取締役社長、昭和57年(1982年)赤碕生コン代表取締役社長に各々就任。 趣味は読書、カメラ、旅行。
森谷 哲也(もりたに てつや、1933年11月15日 - 2… 森谷 哲也(もりたに てつや、1933年11月15日 - 2007年4月6日)は、日本の実業家。トラベルジャーナルグループ創業者。 鳥取県米子市生まれ。明治大学商学部卒業後、アメリカン・エキスプレスや名鉄航空サービス(現・名鉄観光サービス)などの勤務を経て、1964年にトラベルジャーナルを設立し社長に就任。 1974年トラベルジャーナル旅行学院(現:ホスピタリティツーリズム専門学校)を開校、1981年大阪トラベルジャーナル旅行学院(現:ホスピタリティツーリズム専門学校大阪)を開校。1995年、財団法人日本ホテル教育センター(専門学校日本ホテルスクールの運営母体)理事長に就任。太平洋アジア観光協会終身会員、全米旅行業協会会員を務めた。
米原 正博(よねはら まさひろ、1932年(昭和7年)7月3… 米原 正博(よねはら まさひろ、1932年(昭和7年)7月30日 - 2009年(平成21年)10月19日)は、日本の実業家。日ノ丸総本社会長、鳥取商工会議所会頭などを務めた。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1955年、成城大学経済学部卒業後、日本生産性本部に勤務。1961年日本青年会議所専務理事。1969年日本オリンピック委員会副会頭、のち会頭。 1976年、日ノ丸総本社の社長に就任し、日ノ丸自動車、鳥取大丸などグループ各社の経営にあたった。1990年から13年間にわたって鳥取商工会議所会頭を務め、JR山陰本線の高速化や鳥取環境大学の開学に尽力した。 2009年10月19日死去。死因は非公表。翌20日に、近親者による密葬を経て、11月25日、社長でもあったホテルニューオータニ鳥取で「お別れの会」が行われた。
拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 20… 拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 2011年7月21日)は、鳥取県境港市出身で、近鉄パールスに在籍した元プロ野球選手(投手)である。 実弟の拝藤宣雄(‐のりお)も、元プロ野球選手(広島カープに在籍した)。 境高では、1949年秋季中国大会準決勝に進むが米子東高に敗退。翌1950年夏の甲子園予選東中国大会でも準決勝に進出するが、またも米子東高に敗退し甲子園出場を逸する。米子鉄道管理局を経て、1952年に近鉄パールスへ入団。 1956年3月24日の東映フライヤーズ戦でプロ初勝利を記録した。同年は主に中継ぎとして18試合に登板。しかし公式戦ではその1勝のみで、同年オフに24歳にして現役を引退。
三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 19… 三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 1997年1月12日)は、日本の哲学者。 鳥取県倉吉市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1965年京都産業大学助教授、1970年教授。フランス哲学を専攻。 1997年、呼吸不全のため死去。
黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日… 黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日 - 2017年(平成29年)5月19日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長。 鳥取県西伯郡境町(現境港市)出身。父は印刷業黒見宗次。4歳の時母はるえが病死。 1947年鳥取県立境中学校中退。境町役場勤務。1970年境港市役所財政課長。1980年同総務部長。1983年同民生部長。1986年同助役。 1989年12月境港市長就任。体調を崩して療養が必要な状況となり、2004年6月5日に辞職届けを提出した。 2017年5月19日朝、境港市内の病院で亡くなった。
渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 -… 渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 - 2001年12月11日)は日本の音楽学者。鳥取県出身。特にヘンデルを研究。 母校・鳥取県立米子東高等学校の校歌作曲者の一人。東京藝術大学音楽学部楽理科にて、音楽学を服部幸三に学んだ。1967年から1969年まで、および1987年にはアレクサンダー・フォン・フンボルト財団の招聘によりドイツおよびイギリスでヘンデル研究に携わる。1972年から桐朋学園大学助教授、教授。 1994年以来様々な団体とともにヘンデルの劇作品の企画構成演出に携わり、1998年に日本ヘンデル協会(The Handel Institute Japan)を創設、同協会代表を務めた。
仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990… 仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990年3月13日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。文学博士(佛教大学、1985年)。 鳥取県境港市生まれ。1955年、同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。1963年、同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士課程退学。1963年、同志社大学人文科学研究所専任研究員(助手待遇)に就任。1964年に専任研究員(専任講師待遇)、1967年に専任研究員(助教授待遇)、1975年に専任研究員(教授待遇)を経て、1978年、同志社大学人文科学研究所教授。1990年、死去。58歳没。 同志社大学で赤松俊秀に古文書学を学び、大学院では三品彰英・秋山国三らに学ぶ。
石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月… 石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月3日 - 昭和57年(1982年)10月28日)は日本の実業家。元・丸神海産取締役社長、キング食品工業代表取締役、神和工業取締役、神港商事取締役。 妻春子は弁護士、公証人雑賀愛造の次女。なお日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。 鳥取県境港市生まれ。 昭和22年(1947年)丸神海産入社、昭和28年(1953年)社長に就任。大篠津食品工業(株)、神和工業(株)各代表取締役のほか、日本輸出水産缶詰組合理事も務めた。 趣味は読書。住所は境港市明治町。
平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 -… 平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年11月21日 - )は、日本の政治家、自治官僚。鳥取県知事(3期)、郵政大臣(第67代)、衆議院議員(5期)等を歴任。
3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)… 3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)2月15日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の実業家。坂口合名会社(坂口財閥)代表社員会長。米子商工会議所会頭。旧名平吉郎。 2代坂口平兵衛の長男として、鳥取県米子市尾高町に生まれる。 1954年(昭和29年)東京大学法学部政治学科卒業後、坂口合名会社入社。1964年代表社員副社長、1965年代表社員社長に就任。 1980年(昭和55年)米子商工会議所会頭に就任。 2012年6月14日、病気のため米子市内で死去。81歳没。
岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 200… 岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 2002年4月11日)は日本の脚本家。作家。エッセイスト。大学卒業後放送局と契約し、ラジオドラマの脚本や番組の企画に携わる。その後は数多くのテレビドラマの脚本を執筆し、1980年代からは主に2時間サスペンスの脚本を多く手掛けた。作詞家の岡本おさみは実弟。 鳥取県米子市に生まれる。1953年、早稲田大学卒業時に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の戯曲募集で自作「木枯」が入選する。1954年から5年間ニッポン放送と契約し、番組の構成やラジオドラマの脚本を手掛け、1959年にフジテレビ開局前の試験放送ドラマ『億万長者』でテレビドラマの脚本家としてデビューする。
松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1… 松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1日 - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者。日本近現代史専攻。大正デモクラシー研究をライフワークとした。京都大学名誉教授。 1929年、鳥取県鳥取市で生まれた。旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制松江高等学校(現・島根大学)文科甲類を経て、京都帝国大学文学部に進学。この年の学生は、入学・卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。京大では国史学の北山茂夫に師事した。1953年9月に卒業。 1954年4月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1970年5月に同研究所助教授に昇格。1971年1月、京都大学文学部史学科助教授に移り、現代史学講座を担当した。
青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 … 青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 - 平成20年(2008年)3月31日)は、日本の実業家。元米子信用金庫会長。位階は正六位。旭日双光章。 父は元米子信用金庫会長青砥喜三郎、兄は元山陰放送社長青砥昇。 鳥取県米子市出身。米子中学校を経て、昭和27年(1952年)関西大学経済学部卒業。昭和32年(1957年)米子信用金庫入庫。昭和43年(1968年)同審査部長、常勤理事。昭和45年(1970年)常務理事。昭和49年(1974年)専務理事。昭和58年(1983年)理事長。 平成20年(2008年)3月31日、79歳で死去。死没日付をもって正六位に叙され、旭日双光章を追贈された。
松尾 尊兌(まつお たかよし、1929年(昭和4年) - 2… 松尾 尊兌(まつお たかよし、1929年(昭和4年) - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者(日本近現代史専攻)。京都大学名誉教授。鳥取市生まれ。
有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 -… 有地 亨(ありち とおる、1928年(昭和3年)8月9日 - 2006年(平成18年)7月22日)は、日本の法学者。専門は家族法。学位は、法学博士(九州大学・論文博士・1962年)。九州大学名誉教授、聖心女子大学名誉教授。弁護士。鳥取県鳥取市出身。 日本法社会学会理事、比較家族史学会副会長、日本家族(法と社会)学会理事、福岡家庭裁判所家事調停委員、同参与員、九州地方鉱業協議会委員、RKB番組審議会委員長、福岡国税局土地評価審議会委員、九州大学出版会常任理事等を歴任。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928… 宇沢 弘文(うざわ ひろふみ、旧字体: 宇澤 弘文、1928年〈昭和3年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した。東京大学名誉教授。位階は従三位。 鳥取県米子市出身。父時夫は小学校の教師。宇沢家の始祖は江戸中期に遡る。元は米子の南に位置する法勝寺(現在の南部町)というところの出で、のちに米子に移った。生家は代々米屋を営んでいたが破産している(時期は不明)。宇沢家は長い間、男の子に恵まれなかった。全くの女系家族といってよい。父も祖父も婿養子である。
山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 200… 山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 2009年3月5日)は、鳥取県米子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日… 西尾 迢富(にしお はるとみ、1928年(昭和3年)2月6日 - 2009年(平成21年)8月18日)は、日本の政治家。鳥取県鳥取市長(3期)。 鳥取県鳥取市出身。鳥取農林専門学校(現・鳥取大学農学部)を卒業。鳥取県庁に入り、民生、農林水産の各部長を務める。その後鳥取県土地開発公社監事を経て、1987年鳥取市助役に就任する。 1990年の鳥取市長選挙に立候補して当選、3期務める。2002年の市長選挙では4選を目指したが、元国土交通省官僚の竹内功に敗れて落選した。2003年春の叙勲で、勲四等旭日小綬章を受章。 2009年8月18日午前5時5分、鳥取市の病院で死去、81歳。死没日をもって正五位に叙される。
瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 201… 瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 2016年9月25日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1991年)(学位論文「ドイツ中世農民史の研究」)。立命館大学名誉教授。専門は中世から近世初期にかけてドイツ史。 鳥取県米子市生まれ。1951年京都大学文学部史学科西洋史専攻卒業。1956年京都大学大学院(旧制)修了。 立命館大学助教授、教授、1994年定年退任、名誉教授、京都橘女子大学教授、1991年「ドイツ中世農民史の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。
杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月2… 杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日本の歌人。塚本邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸本光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。
仙崎 武(せんざき たけし、1926年1月1日 - 2020… 仙崎 武(せんざき たけし、1926年1月1日 - 2020年10月29日 )は、日本の教育学者。文教大学名誉教授。 鳥取県米子市生まれ。1950年早稲田大学文学部哲学科教育学専攻科卒業、1959年同大学院(旧)修了。 公立学校教員(地方公務員)として東京都立王子工業高等学校教諭ののちに退職。退職後は立正女子大学教授となり、校名変更で文教大学教授、1997年定年、名誉教授となる。キャリア教育、進路指導研究の第一人者として、日本進路指導学会会長を務め、日本キャリア教育学会名誉会長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。 2020年10月29日午後7時45分、老衰のため逝去。
森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月2… 森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月28日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の医師、政治家。産婦人科森田医院院長。鳥取県医師会常任理事。鳥大医学部同窓会名誉会長。日本・ネパール人づくり協力会会長。日野郡人会会長。米子市長。旧姓新出(にいで)。位階は従五位。 大正14年(1925年)、鳥取県日南町の寺院の3男として生まれた。同年、一家で現在の境港市に移住。父は托鉢をして集めた浄財で託児所を作り、孤児や恵まれない子どもを養育した。昭和18年(1943年)鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)卒業。昭和29年(1954年)米子医科大学(現・鳥取大学医学部)卒業、産婦人科教室に入局。
茅野 恒治(かやの つねはる、大正14年(1925年)7月1… 茅野 恒治(かやの つねはる、大正14年(1925年)7月19日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。茅野工業相談役。元米子市議会議長。 昭和20年(1945年)徳島工業専門学校電気科卒業。昭和27年(1952年)茅野工業(有)を設立、取締役に就任。 昭和46年(1971年)米子商工会議所議員。同年米子市議会議員に当選。 昭和47年(1972年)地裁・家裁司法調停委員。同年中国新日本運輸(株)を設立、代表取締役社長に就任。 昭和54年(1979年)市議会副議長。 昭和61年(1986年)米子商工会議所常議員。同年市議会議長。 趣味はスポーツ。信条・座右の銘は健康第一。住所は米子市角盤町。 (鳥取県米子市角盤町)
西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003… 西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。 鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年外務省入省、経済部総務課。1951年-1952年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院留学。1952年欧米局第一課。 1955年在連合王国大使館三等書記官、1958年国際連合局政治課、1962年大臣官房書記官、1963年在米国日本大使館一等書記官、1964年在イラン大使館一等書記官、1966年大臣官房書記官、1967年経済局スターリング地域課長。
河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011… 河野 眞(こうの まこと、1925年3月31日 - 2011年6月5日)は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 鳥取県八頭郡智頭町出身。1951年広島文理科大学哲学科卒業、同助手。1962年「シェリングにおける現実的世界の実践的構造」で広島大学文学博士。1965年広島大助教授、1974年教授、文学部長、1988年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授、1989年副学長、1990年学長。2004年退任。同年秋、瑞宝中綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月2… 門脇 卓爾(かどわき たくじ、1925年(大正14年)2月22日 - 2012年(平成24年)12月28日)は日本の哲学者。学習院大学名誉教授。米子日独協会会長。カント哲学の研究者。ボン大学より学位「Doktor der Philosophie」を取得。宗教家・実業家門脇章太郎の長男。門脇家第11代当主。 子息の一人は鳥取県内で教職についている。
森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年… 森 康二(もり やすじ、1925年1月28日 - 1992年9月4日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、絵本作家。日本アニメーション所属。森やすじ、もりやすじという表記も使用した。 鳥取県鳥取市出身。台湾で幼少期を過ごす。東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。 政岡憲三に師事しアニメーションを学ぶ。日本における初期の本格的な商業用アニメーション製作会社・東映動画(現・東映アニメーション)に発足当初から参加し、同社草創期の作画部門において大工原章らとともに指導的な役割を果たす。以後長年にわたり、数々の児童向けアニメーション映画・テレビ番組制作に携わる。 日本アニメーションに所属してからは、アニメーション制作の他に新人、若手アニメーターの教育や指導も行っていた。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 199… 乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 1994年12月22日)は、日本の女優。本名:新藤信子(旧姓:加治)、愛称は「オカジ」(旧姓より)。 鳥取県西伯郡米子町(現:米子市)西倉吉町に生まれる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。 小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになる。 1937年(昭和12年)、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学。宝塚歌劇団27期生。同期生に越路吹雪、浦島千歌子、瑠璃豊美、東郷晴子、月丘夢路、大路三千緒らがいる。この芸名は養母が信仰する新興宗教の教師が命名した。