田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日… 田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日本の歴史学者、日本史研究者、静岡大学名誉教授。
山口県:1,491人
田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日… 田村 貞雄(たむら さだお、1937年8月21日- )は、日本の歴史学者、日本史研究者、静岡大学名誉教授。
木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は… 木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 岩国工業高校から1956年に阪急ブレーブスへ投手で入団。後に内野手へ転向。
亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本… 亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。山口県下関市長(1期)、下関市議会議員(5期)を歴任。市長経験者が落選後、市議に転進するのは全国的にも珍しい。 下関市出身。1959年、九州大学法学部を卒業。 1963年、自治省に入省。以後、鳥取県総務部長、自治省財政局指導課長、徳島県副知事、消防大学校校長などを歴任し、1987年に退官。 その後、地方債協会常務理事、地域総合整備財団常務理事を務め、1991年に下関市長選挙に当選して一期務めた後に2003年より下関市議会議員に在任中。 2024年(令和6年)春の受勲に於いて旭日中綬章が授けられることが決定された。 泉田芳次・前市長時代に計画・設立された第三セクターによる日韓高速船事業を引き継ぎ、1991年7月に運航が開始されたものの、経営不振で開設後約1年半の1992年12月に休業、そのまま廃業。
藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は… 藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺(山口県岩国市)住職、学校法人理事長、参議院議員(1期)、山口県議会議員(4期)、旧岩国市議会議員(4期)などを務めた。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会「劇団のんた」を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞。1988年には児童劇団「ゆりかご」を設立した。 旧岩国市議会議員(4期)・山口県議会議員(4期)を経る。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬、35名中17位で当選。
町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月1… 町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月16日 - 2015年〈平成27年〉4月5日)は、日本の裁判官。勲等は桐花大綬章。 山口県下関市出身。若年の頃は司法修習の同期であった宮本康昭らとともに青年法律家協会(青法協)に所属し活動していたが、町田は早々に青法協を脱会している。 福岡高等裁判所長官、東京高等裁判所長官、最高裁判所判事を経て、2002年11月に最高裁判所長官(第15代)などを歴任した。前長官の山口の定年は2002年11月3日だが、休日や式に立ち会う小泉純一郎内閣総理大臣の政治日程が重なり、3日遅れの同年11月6日に皇居で長官任命式が行われた。 最高裁長官在任中、裁判員制度の導入や法科大学院の創設や下級裁判所裁判官指名諮問委員会の設置など司法制度改革に尽力した。
梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 20… 梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 2018年12月31日)は、日本の実業家。新京成電鉄第7代代表取締役社長。 1936年9月2日、山口県下関市生まれ。1955年山口県立豊浦高等学校、1960年法政大学法学部政治学科卒業。 1961年京成電鉄入社。主に経理畑を歩み、同社取締役関連事業部長、常務取締役、専務取締役等を経て、2000年新京成電鉄代表取締役社長となり京成電鉄取締役を兼ねる。2006年新京成電鉄代表取締役会長、2008年相談役。2014年旭日中綬章受章。2018年12月31日、肺癌のため死去、82歳。叙正五位。
末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )… 末森 法典(すえもり ほうてん、1936年6月18日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 山口高校から1955年に南海ホークスへ入団。1958年に退団。
木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、… 木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、日本の法学者(英米法)、弁護士(第一東京弁護士会)。法学博士(東京大学・課程博士・1971年)。 山口県下関市出身。伊藤正己に師事。 大木雅夫から盗作を指摘され、中央大学から調査を受けたが、著作権法違反とは断定できないが、引用先を明示していない個所が多数あり、学者として倫理上問題があったとして、2004年に職務停止3か月の懲戒処分を受けた。問題となった著書は『比較法文化論』と『アメリカ法入門・総論』の2冊。
豊田 行二(とよだ こうじ、1936年5月11日 - 199… 豊田 行二(とよだ こうじ、1936年5月11日 - 1996年11月7日)は、日本の作家。 日本文芸家クラブ初代理事長。本名は渡辺修造。 山口県下関市生まれ。山口県立下関西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。早稲田大学大学院経済学研究科財政学専攻修士課程修了。在学中は雄弁会に所属していた。郷里で「防長新聞」の記者、代議士秘書を経て、1968年「示談書」でオール読物新人賞受賞、同作で直木賞候補となる。上京後、『週刊大衆』のライターを務める。ゴーストライターとして糸山英太郎の「怪物商法」「太陽への挑戦」を書く。1984年『作家前後』で日本文芸大賞現代文芸賞受賞。 のち「ラブ―」と始まる題名の官能小説を多量に執筆、多くは「野望」のついた題名に改められ、野望シリーズの観を呈した。
十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 200… 十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 2001年9月27日)は、光写真印刷株式会社の元社長。プロ野球選手。引退後の姓は「惟村(これむら)」。 山口県岩国市出身。岩国高校では、1953年秋季中国大会準決勝に進むが、広島観音高に延長13回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、萩高に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。 卒業後、1955年に読売ジャイアンツに入団。1956年に一軍に上がり、8月から右翼手として16試合に先発出場。同年の西鉄との日本シリーズは4試合に出場し2四球を選ぶ。1957年の西鉄との日本シリーズでは第1戦、第4戦に代打で起用され連続安打。
有馬 実成(ありま じつじょう、1936年3月7日 - 20… 有馬 実成(ありま じつじょう、1936年3月7日 - 2000年9月18日)は、日本の曹洞宗僧侶。曹洞宗東南アジア難民救済会議JSRCに始まる社団法人シャンティ国際ボランティア会SVAの創設者として専務理事をつとめた。国際協力NGOセンターJANIC副理事長および理事長や、東京災害ボランティアネットワーク副代表等の役員を歴任し、NGO間調整にあたる「NGOの有馬」と呼ばれた。NHK記者・キャスターの有馬嘉男は長男。 1936年3月7日、山口県徳山市(現 周南市)の原江寺に生まれる。1954年多々良学園高等学校(現、高川学園高等学校・中学校)卒業、駒澤大学仏教学部進学。1958年駒澤大学卒業、原江寺住職となる。
安広 欣記(やすひろ よしのり、1936年 - )は、日本の… 安広 欣記(やすひろ よしのり、1936年 - )は、日本の新聞記者。元民社党顧問。現在は政治評論家。 山口県大島郡周防大島町出身、千葉県野田市在住。 山口県立柳井高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部卒業。読売新聞入社、甲府支局に配属。 読売新聞東京本社で政治部勤務となり、四度の首相官邸詰めをはじめ国会デスク、各政党、外務省、大蔵省、厚生省、労働省などを担当。 1982年夏、読売新聞を政治部次長を最後に退職。
中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 -… 中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日)は、おもに歌謡曲、演歌を手がける日本の作曲家。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。 山口県の後の新南陽市〜周南市にて誕生。地元開催の「コロムビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し、歌手を志して「かばん1つで上京」した。1958年には「コロムビア歌謡コンクール」全国大会で入賞して若山彰の付き人となる。原六朗に師事した後、歌手ではなく作曲の道に進んだ。 1963年、北島三郎の『三郎太鼓』のB面曲『田舎へ帰れよ』で、本名の中村貞夫として作曲家デビューした。1969年には、中村千里名義で同じく北島三郎の『仁義』をヒットさせた。
岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )… 岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )は、日本の作家。 山口県下関市生まれ。京都女子大学短期大学部文学部国文科卒。結婚後、福岡県北九州市に住む。 1975年(昭和50年)より同人誌『海峡派』に加わる。 1986年、「抱卵」が第17回九州芸術祭文学賞の地区次席になる。1987年、九電女のエッセイ特選に選ばれる。1987年、「雪迎え」で第18回九州芸術祭文学賞の最優秀作受賞、第1回三島由紀夫賞候補、第99回芥川賞候補となる。1988年、「香水蘭」で第100回芥川賞候補となる。1996年、「噴水の向こうの風景」で第1回草枕文学賞を受賞。 1.芥川賞のすべて・のようなものhttps://prizesworld.com/akutagawa/kogun/kogun99IM.htm
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月1… 宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月15日 - )は、日本の俳人。現代俳句協会特別顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 「草苑」編集長、「草樹」会員代表、大阪俳句研究会理事、現代俳句協会会長などを歴任した。 山口県徳山市(現:周南市)生まれ。武庫川学院女子短期大学家政学科卒。1953年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。1962年、麦浪が没し前田正治主宰となった「獅林」に入会。1970年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。1976年から1985年まで坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。1978年より「草苑」編集担当となり「獅林」退会。1981年「未定」に参加。
岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 201… 岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。毎日新聞社特別顧問。 関東州(現:中国)大連生まれ、山口県防府市育ち。山口県立防府高等学校、京都大学法学部卒業後、1958年毎日新聞社入社。社会部記者、政治部記者、政治部副部長、秘書室長、論説委員、出版局次長兼サンデー毎日編集長、編集委員室長、東京本社編集局次長、編集局編集委員、編集局政治担当特別顧問を最後に、2007年3月31日で退社。 毎日新聞の編集局長時代には、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と一面から社会面まで誤報を掲載した経緯がある(毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件)。
悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 202… 悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 2026年3月3日)は、日本の作詞家、元女優。女優名は藤田佳子。親類に女優の葉山葉子がいる。山口県防府市生まれ。八代亜紀の大ヒット曲『なみだ恋』、『おんなの夢』、香西かおりの大ヒット曲『浮雲』の作詞や田川寿美を見出し大歌手にまで育成したことで知られる。 最初の夫は俳優の山田真二だったが、のち離婚。その後、作曲家の鈴木淳と再婚した。 芸能界入りしたのは16歳だが、藤田佳子の芸名で女優として「十代の秘密」でデビュー。1954年に大映入り。出演作には「婦系図 湯島の白梅」、「霧の音」、「夜の蝶」、「細雪」、「大奥」などがある。京マチ子、若尾文子、山本富士子や市田ひろみらと共演している。
池田 孝一郎(いけだ こういちろう、1935年6月8日 - … 池田 孝一郎(いけだ こういちろう、1935年6月8日 - )は、日本のアナウンサー。TBSアナウンサー第6期生。バーラム(オフィス「K・I」)、ワーサルに所属していた。 山口県生まれ、新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)出身。血液型A型。新潟県立巻高等学校を経て早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。 1959年、ラジオ東京(1960年11月29日よりTBS)に第6期生アナウンサーとして入社(同期には石井智・川野昌宏・里見恭夫・新堀俊明・土屋統督・藤田和弘・料治直矢・相場君子・今井登茂子・加藤かな子・加藤珪子・土井誉子・蛭田玲子)、主にスポーツ番組の司会や実況中継(野球、競馬、バレーボール)を担当し、1978年から8年間『JNNスポーツデスク』の司会を務めた。
坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 20… 坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 2022年1月29日)は、日本の編集者。 月刊文芸誌『新潮』編集長を長年務めた。三田文学新人賞選考委員、開高健記念会会長。こども読書推進賞表彰選考委員。山口県下関市生まれ。
戸川 一郎(とがわ いちろう、1935年4月2日 - )は、… 戸川 一郎(とがわ いちろう、1935年4月2日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
三田 登喜子(みた ときこ、旧芸名:三田 桃基子〈読みは同じ… 三田 登喜子(みた ときこ、旧芸名:三田 桃基子〈読みは同じ〉、1935年2月26日 - )は、日本の女優。本名は宮澤 登喜子(旧姓:淵上)。特技はテニス、水泳。 防府商業高校在学中の1951年、大映創立10周年記念ミス・ニッポンの準ミスに輝く。高校を中退し、大映演技研究所に6期生として入る。同期に品川隆二、南原宏治らがいる。1953年、溝口健二監督の『雨月物語』でデビュー。以降、大映の時代劇映画で活躍。1962年にフリーになってからはテレビドラマで活躍している。
有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または… 有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または1936年 - 2019年〈平成31年〉4月18日)は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」などのヒット曲で知られる。 本名・立石三惠子。山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。 時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される。
木原 明(きはら あきら、1935年 - 2024年6月22… 木原 明(きはら あきら、1935年 - 2024年6月22日)は、日本のたたら製鉄職人、元日立製作所・プロテリアル安来工場職員。 1935年に山口県宇部市で生まれた。高校を卒業したあと、安来市にある現在のプロテリアル安来工場に入社。 1977年にはそれまで途絶えていた「たたら製鉄」の復活に携わり、1986年に国の「選定保存技術保持者」に認定されると、たたら製鉄を行う奥出雲町の製鉄所の操業責任者「村下」に就任して、製造した日本刀の材料となる鉄・玉鋼を全国の刀匠に届けてきた。 2004年には「現代の名工」にも選ばれ、「たたら製鉄」を担う後進の育成にも力を入れてきた。 プロテリアル安来工場によると、2024年6月22日、奥出雲町にある病院で死去。
松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭… 松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭和9年〉10月4日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。 旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた。山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年(昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。
南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、… 南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、日本の電子音楽および現代音楽の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 山口県生まれ。福岡県立八幡高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部作曲科、同校専攻科を経て、ドイツのフライブルク音楽大学でヴォルフガング・フォルトナーに学ぶ。帰国後、東京音楽大学、東京藝術大学で教鞭を執りながら、作曲活動を続ける。電子音楽に注目し、5曲の「電子交響曲」を作曲した他、1992年には日本電子音楽協会を設立した。また、若い頃から合唱の分野にも力を注いでおり、大学在学時の1955年、草野心平の詩による男声合唱のための組曲「蛙の歌」を作曲している他、堀口大學の訳詩による男声合唱曲集「月下の一群」(第1集 - 第3集)、高田敏子の詩による混声合唱組曲「飛翔(はばたき)」などがある。
増本 一郎(ますもと いちろう、1934年6月16日 - )… 増本 一郎(ますもと いちろう、1934年6月16日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日… 藤田 恒郎(ふじた つねお、1934年(昭和9年)5月31日 - 2025年(令和7年)7月7日)は、日本の財務官僚。大蔵省証券局長、北海道銀行頭取、学校法人札幌学院大学理事長等を歴任した。山口県防府市生まれ。
森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 199… 森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 1993年12月7日)は、山口県柳井市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。息子は元俳優の森永健司。 1958年から1962年までの登録名は「森永 勝治」。 柳井商工ではエースとして活躍し、2年次の1951年に秋季中国大会県予選準決勝へ進むが、下関商に敗れる。3年次の1952年には夏の甲子園へ出場し、2回戦(初戦)でエース堀内庄を擁する松商学園に完封勝ち。準々決勝では、この大会に優勝した芦屋高の植村義信と投げ合うが、0-2と完封を喫する。 高校卒業後は1953年に専修大学へ進学し、外野手に転向。東都大学野球リーグでは、1年次の同年春季リーグからレギュラーになり在学中全試合に出場し、2度の優勝を経験。
玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 … 玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 - )は、日本の政治活動家。山口県熊毛郡田布施町出身。早稲田大学卒業。元日本青年団協議会副会長、元新自由クラブ山口県連代表、元進歩党幹事長。 父親が特定郵便局長を務める家に生まれる。 山口県立熊毛南高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部卒業。河野洋平前衆議院議長は大学時代の同級生で、玉木が新自由クラブに入党する最大のきっかけになる。在学中は卓球部マネジャー、日本学生卓球連盟幹事長を務めた。 農業を営みながら、熊毛郡連合青年団長、山口県連合青年団長、日本青年団協議会副会長と青年団活動一筋に上り詰めた。あすの山口を創る県民会議を結成し、山口県少年の船、山口県海外少年の船、山口県青少年1万人キャンプ大会などの青少年活動は現在も続けている。
鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年… 鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年12月9日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。本名:藤田 順二郎(ふじた じゅんじろう)。 夫人は元女優で作詞家の悠木圭子、前妻は作詞家の有馬三恵子。鈴木淳音楽事務所所属。 1934年(昭和9年)2月7日、山口県防府市の防府天満宮の宮司の子息として生まれる。 山口県立防府高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、音楽之友社に入社、音楽雑誌の編集を手がけるが、過労により郷里に戻り、入院生活を送る。2年間の療養生活を経て、さらに2年間、同地の女子高校に国語科教諭として勤務する。合計4年の時期を経て東京に戻り、音楽之友社に復帰、音楽雑誌『教育音楽』『ポップス』の編集に携わり、『ポップス』編集長に就任する。
三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本… 三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ボイストレーナー。本名:持光 正輝(もちみつ・まさてる)。 山口県宇部市出身。国立音楽大学卒業。NHK総合テレビジョンの音楽番組『歌の広場』でデビューした後、日本コロムビア専て活動。その傍ら、ボイストレーナーとして活動するほか、社歌、自治体の県民歌・市町村民歌を数多く手掛ける。 演歌歌手のわかばちどりは妻に当たる。
豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日… 豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日本の体育学者。 山口県出身。山口県立光高等学校から1957年に日本体育大学を卒業。東京大学教養学部助手、講師を経て同学部助教授。のちに千葉大学教養学部に転じ同学部教授。退官後は名誉教授。 学生時代はバレーボール選手で、教員となったのちもバレーボール選手の体力面における科学的な研究や指導方法の研究を行い、1964年の東京オリンピックでは強化コーチを務めた。発表した書籍、論文多数。 バレーボール球界では、日本バレーボール協会常任理事、専務理事を歴任。国際バレーボール連盟の副会長、技術コーチ委員長、公認コーチ指導委員なども歴任した。その著書「ジュニアバレー・コーチングマニュアル」の推薦のことばとして、日本小学生バレーボール連盟会長は「日本の小学生・中学生バレーの育ての親」と最大級の賛辞を送っている。
砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008… 砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008年3月20日)は、日本の児童文学作家、評論家。
金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は… 金具 洋右(かなぐ ようすけ、1933年5月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 柳井高校、八幡製鐵を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。同年のウエスタン・リーグで初となる1イニング4奪三振を記録した。 1957年に引退。その後は母校の柳井高校で監督を務めた。
赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)… 赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)、1933年4月22日 - 2012年6月8日)は、日本の小説家。歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説や、京都を舞台にした作品を数多く発表。耽美的、伝奇的な作風で、熱烈な支持者を持つ。 2度候補となった直木賞受賞はならなかったものの、『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞している。 1933年、山口県下関市で教員の両親の間に6人兄弟の次男として生まれる。本名:長谷川敬。戦争中は豊浦郡豊東村(現・下関市菊川町)に疎開した。 1946年、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)に入学。
中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 201… 中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 2019年8月3日)は、日本のアニメーター。関東州旅順生まれ。 満州生まれで、幼少期から絵に親しみ、満州に美術学校が無かったため将来は内地の美術学校に進学するつもりでいた。12歳で同地で終戦を迎え山口県に引き揚げる。 山口県立宇部高等学校から女子美術大学洋画科に進学。画業のみで生計を立てるのは大変であるため、大学で高校と中学の美術教員免許を取得している。同大在学中、フランスの長編漫画映画『やぶにらみの暴君』(1952年/ポール・グリモア監督)を観てアニメーターに関心を持ち、卒業後、東映動画にスタジオ開設時の募集広告を見て第1期採用で入社。同期入社に大塚康生、紺野修司らがいる。
村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 19… 村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 1990年2月23日)は、日本の猿まわし師、政治家。 山口県光市出身。「周防猿まわしの会」初代会長。元山口県光市議会議員(3期)。 地区で一番富裕な家に生まれる。家長である祖父・村﨑梅二郎は、土建業・猿回しの親方などを営んでおり、義正は梅次郎の一人息子・勝正の次男であったが、小学校入学時に兄とともに祖父にひきとられ、厳格に育てられる。毎日仕事を課され遊ぶ暇もない毎日であったが、その中で創意工夫をこらして遊ぶ時間を生み出すなど試練を跳ね返すバイタリティと才覚を身につけていく。だが、1948年に祖父が死去し、村﨑家は没落。兄は家出し、17歳の義正は妹一人と弟五人をかかえて、さまざまな非合法行為まで行い一家を支える。
中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - … 中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大洋漁業に入社。 1987年4月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。2002年3月には会長に退いた。社長在任時には、同族会社からの脱皮と総合食品企業への切り替えといった近代化を推し進めた。 1990年から2002年までに横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズのオーナーを務めた。
岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日… 岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日 - 2001年(平成13年)7月15日)は、日本のノンフィクション作家。 山口県岩国市生まれ。旧制山口県立防府中学校、山口県立防府高等学校を経て広島大学文学部独文科卒業。 梶山軍団の一員として、『週刊文春』『週刊女性』などに執筆の後、小説、ノンフィクションを上梓。 1976年、『神を信ぜず』、1979年、『多くを語らず』、1982年、『海峡』でそれぞれ直木賞候補。1994年、JRA賞馬事文化賞、1995年、『孤島の土となるとも』(BC級戦犯を扱った『神を信ぜず』の続篇)で講談社ノンフィクション賞受賞。 プロ野球、競馬関係に造詣が深く、それらを題材とした著作が多い。
大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸… 大和 保男(やまと やすお、1933年 - )は、日本の陶芸家。萩焼作家。山口県山口市出身。山口県立大学大学院非常勤講師。山口県指定無形文化財萩焼保持者。 小学生の頃、第二次世界大戦の影響で陶工が召集されたことにより、大和が代わりに窯の手伝いを始めることになる。中学生になると、父の指導により本格的な陶工に成長した。 1980年より、日本工芸会山口支部幹事長に就任。 1988年、山口県指定無形文化財に指定された。 2000年には、フランスで「萩焼400年パリ展」を開催するなど海外にも活動の幅を広げた。
伊藤敬一(いとう けいいち、1933年〈昭和8年〉 - )は… 伊藤敬一(いとう けいいち、1933年〈昭和8年〉 - )は、日本の薬学者。薬学博士(東京大学)。北海道薬科大学名誉教授、元北海道薬科大学学長。山口県出身
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日… 秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。 山口県防府市生まれ。父は広島県広島市の出身で、小学生までは郁彦の本籍地も広島の爆心地にあった。このため自身は広島出身でもあると述べている。父は鉄道省の技術官吏で、九州の宮崎県、出水(鹿児島県)、若松(福岡県北九州市)の順で機関区長をしたため、小学校を5回転校。太平洋戦争中に広島市に引っ越し、原爆投下の一年前に母の実家がある山口県防府市に移った。父は戦時中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して終戦の1か月前に戦死した。
杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2… 杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2022年2月11日 )は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。 山口市出身。1961年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、79年「現代帝国主義の基本構造」で経済学博士。京都大学経済研究所助教授、教授、88-90年所長を務める。95年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。門下に有賀敏之がいる。
松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )… 松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )は、日本の歴史学者。専門は日本近代思想史。茨城大学名誉教授・岡山大学名誉教授。 1932年、三重県津市に大吞稔一・大呑イネ子の三男として生まれる。1951年3月、山口県立山口高等学校を卒業。同年4月に山口大学文理学部文学科に入学するも、9月に中退し、翌1952年4月に東京教育大学文学部史学科日本史専攻に入学する。1956年3月、同大学を卒業。 卒業後は、1956年より山口市立鴻南中学校教諭、宮野中学校教諭、宇部市立神原中学校教諭として勤務。1960年3月に神原中学校教諭を退職し、4月より母校の東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程に入学し、和歌森太郎、桜井徳太郎、家永三郎らに師事した。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 199… 神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 1996年4月18日)は、日本の美術史家。上智大学名誉教授。専攻は16世紀のバロック期(スペイン黄金時代美術)からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。 山口県下関市長府町生まれ。浦和市(現さいたま市)に転居し、1948年(昭和23年)埼玉県立浦和高等学校を卒業、1956年上智大学経済学部を卒業。在学中に聖イグナチオ教会で受洗し、カトリック信者となる。同年から1959年までスペイン政府給費留学生としてマドリード・コンプルテンセ大学に留学、1965年に上智大学外国語学部助教授、1969年に教授。1970年にスペインの芸術文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。
佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 … 佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 - 2016年〈平成28年〉5月3日)は、日本の政治家。運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)などを歴任。位階勲等は正三位勲一等。衆議院議員永年在職表彰受彰。父は第61、62、63代内閣総理大臣の佐藤榮作。 山口県熊毛郡田布施町出身。東京都立大学附属高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、日本鋼管株式会社(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1972年、冷延鋼板課長として訪中。日中国交正常化直前のタイミングではあったが、広州に滞在して鋼材の売り込みを行った。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区に出馬し初当選。
伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 20… 伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 2001年11月6日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。山口県萩市出身。 1956年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に東洋ベアリング製造(のちのNTN)に入社。 1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年4月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2001年11月6日冠不全のために在任中に死去。70歳没。
野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦… 野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦〈のずえ かずひこ〉、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の放送作家、経済評論家、政治家。野末陳平事務所代表。 レイク浜松カントリークラブ(引佐観光開発)代表取締役会長。落語立川流顧問。駄句駄句会同人、俳号は「野ざらし」。 参議院議員(4期)、税金党党首(初代)、参議院大蔵委員長、WWF常任理事、サイバー大学客員教授などを歴任した。 父親は鉄道院の役人で、各地の駅を設計していた。母親は岡山県岡山市の出身で、薬剤師になるため上京し、明治薬学専門学校を卒業後、薬局で働いていたとき、見合い結婚。父親が山口県立工業の教師として赴任した山口県宇部市で陳平(和彦)は生まれた。
田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)… 田中 良子(たなか よしこ、1932年または1933年 -)は、山口県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル1個を含む計7個のメダルを獲得し、日本卓球界の創成期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は5位。段級位は7段。 1949年度、柳井高校2年時の全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で佐藤恵子を2-1で倒し、初優勝。田舛彦介と出場した混合ダブルスでも決勝で本庄俊彦 / 西村登美江組を2-0で下し、優勝。 1950年度、高校選手権ではシングルス優勝。日本選手権シングルスでは決勝で楢原静に1-2で敗れ、準優勝。 1951年度、日本選手権混合ダブルスは峯石忠雄と出場し、決勝で溝畑司呂 / 石原れい子組を2-0で下し2度目の優勝。
山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日… 山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。 大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て1961年に『二階の他人』でデビュー。『男はつらいよ』シリーズなど人情劇を発表し、現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督。紫綬褒章(1996年)、文化功労者(2004年)、日本芸術院会員(2008年)。文化勲章(2012年)受章。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科および立命館大学映像学部の客員教授、文化学院の特別講師。日本映画監督協会会員。 妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。