乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 … 乾 常美(いぬい つねみ、1914年(大正3年)9月21日 - 2007年(平成19年)9月18日)は、高知県出身の郷土史家。随筆家。国府史蹟保存会会長、南国史談会会長、南国市文化財審議会委員。清和源氏土岐氏支流乾氏・乾和信の分家の子孫(和信の14世孫)にあたる。板垣退助の監修による『自由党史』を執筆した和田三郎は親戚。 高知県商工会議所業務部長を務めるかたわら、長年に渡って執筆投稿してきた随筆を『生涯雑筆』に収録して出版。さらに続編として『続・生涯雑筆』を上梓。国府史蹟保存会会長として紀貫之邸址の整備と石碑の建立。南国史談会の会長をつとめ、みずから南国市の史跡調査についての研究論文を執筆。また、「乾の大墓」の調査保存に努めた。
公文 公(くもん とおる、1914年〈大正3年〉3月26日 … 公文 公(くもん とおる、1914年〈大正3年〉3月26日 - 1995年〈平成7年〉7月25日)は、日本の数学教育者。「公文式」学習指導法の考案と普及に尽力した。 高知県長岡郡大津村(現:高知市大津)の農家に生まれる。下知尋常小学校(現:高知市立昭和小学校)から土佐中学校を経て1933年に高知高等学校を卒業。1936年、大阪帝国大学理学部数学科を第1期生として卒業。高知県立海南中学校(現:高知県立高知小津高等学校)の数学教師となるが、翌年の1937年、召集令状により退職をして同県の朝倉連隊に二等兵として入隊し、満洲国に出兵。3年後の1940年に召集解除となって帰国。海軍兵学校海軍文官海軍教授の試験に合格し、茨城県の土浦海軍航空隊で教鞭を執るが、後に奈良県の天理海軍航空隊に勤務し、1944年に高知県の浦戸航空隊に転属をして、終戦を迎える。
横山 隆志(よこやま たかし、1913年(大正2年)12月2… 横山 隆志(よこやま たかし、1913年(大正2年)12月24日 - 1945年(昭和20年)4月14日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック800メートルリレーで金メダルを獲得した選手である。 1913年、高知県高知市出身。1931年に高知市立高知商業学校(現・高知市立高知商業高等学校)を卒業し、早稲田大学商学部に進学。 1931年8月、日本で開催された日米対抗水上競技大会では800m自由形で10分25秒2のタイムで牧野正蔵らを抑えて優勝。 1932年ロサンゼルスオリンピック代表に選出され、大会本番では400メートル自由形では4位入賞を果たし、男子800メートルリレーで宮崎康二、遊佐正憲、豊田久吉と共に金メダルを獲得した。
坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日… 坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日 - 1978年《昭和53年》12月2日)は、日本の医師、政治家。旧姓・傍士 高知県選挙区選出の参議院議員で、1956年(昭和31年)から1962年(昭和37年)まで務めた。第24・25・26代高知市長も務め、在任期間は1967年(昭和42年)から1978年(昭和53年)10月まで。 三重県宇治山田市曽根町(現伊勢市)で、中学校英語教師・傍士龍治、茂登恵の長男として生まれた。母方の姓を継ぎ坂本に改姓。
仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 197… 仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 1976年1月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(5期、自由民主党)。建設大臣(第37代)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県幡多郡上灘村(現土佐清水市)出身。高等小学校卒業後、家業の農業に携わる傍ら、漁師もしていた。清水町助役、以布利漁協組合長、県漁連副会長を経て1947年より高知県議会議員を4期、同議長も経験して超党派県政をスローガンに公正円満な議会運営で与野党問わず議員の人望を得た。1960年の第29回衆議院議員総選挙に高知県全県区から自由民主党で立候補し、当選する。自民党では佐藤派→田中派に所属する。農林政務次官、建設政務次官、衆議院農林水産委員長を歴任し、田中改造内閣で科学技術庁長官を要請されたが辞退し、1974年三木武夫内閣で建設大臣に就任する。
目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002… 目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。東洋ゴム工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1937年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、東洋紡での勤務を経て、1944年9月に東洋ゴム工業に入社。1959年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1965年5月に社長に就任。1977年5月に会長に就任し、1983年6月には相談役に就任。 1977年に紺綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大原 富枝(おおはら とみえ、1912年9月28日 - 20… 大原 富枝(おおはら とみえ、1912年9月28日 - 2000年1月27日)は、日本の小説家。位階は正五位。栄典は勲三等瑞宝章。 高知県女子師範学校中退。結核療養の中小説を書き、『ストマイつんぼ』で文壇に登場、幽閉生活を強いられた野中婉の生涯を描いた『婉という女』で毎日出版文化賞と野間文芸賞を受賞した。その後カトリックに入信。歴史に題材をとりながら、負の人生を一途に生きた女を描き、現代の切実な問題としている。日本芸術院会員。 高知県長岡郡吉野村寺家(現本山町)生まれ。父亀次郎(小学校校長)と母米の次女であった。 高知市内の学校を結核のため中退。故郷での病気療養中に文筆活動を始め、1932年「姉のプレゼント」が「令女界」に入選。
中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20… 中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20日 - 2001年〈平成13年〉11月22日、満89歳没)は、日本の政治家。高知県知事を務めた。 高知県吾川郡明治村(現・高岡郡越知町)出身(なお、出生地は現在の吾川郡いの町)である)。明治村立鎌井田尋常小学校、明治村立片岡尋常高等小学校を経て旧制・高知県立高知城東中学校(現高知県立高知追手前高等学校)卒業。その後、大阪での就職を経て帰高し高知県の外郭団体たる高知県体育協会の職員になり、その後高知県職員となる。民生部長、厚生労働部長、高知県教育長、副知事を歴任(なお、生え抜き初の副知事である)。とりわけ、いわゆる勤評闘争時には高知県教育長として組合側と対峙し、県教育界正常化のために奔走する。
槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年… 槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)は、日本のプロレタリア詩人。本名は吉田 豊道(よしだ ほうどう)。 高知県高知市生まれ。1931年、日本プロレタリア作家同盟高知支部を作り、その後、「槇村 浩(まきむら こう)」のペンネームで作家活動をした。反戦運動・労働運動にも参加し、反戦詩『間島パルチザンの歌』は代表作とされている。 槇村の作品は朝鮮人民との連帯、植民地解放を訴え、日本兵士に中国軍兵士と共同して日本軍への反乱を呼びかけるなど、当時のプロレタリア文学においても例のない国際連帯の視点に貫かれていた。これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去。
鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年… 鏡川 四郎(かがみかわ しろう、1911年7月1日 - 没年不明)は、高知県香美郡野市町(現香美市)出身で、二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は西山 四郎。最高位は十両12枚目。 同郷の元前頭の土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年10月に初土俵を踏む。1941年1月十両に昇進。十両は3場所つとめたが、いずれも大負けして勝ち越すことができなかった。1945年11月で廃業した。
島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> … 島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> 4月28日 - 1989年 <平成元年> 2月19日)は、日本の経営者。位階は従四位。 なお名前については、音読みの「どうこう」と呼ばれることも多かった。 高知県高知市出身。1935年に東京商科大学本科を卒業し、同年4月に第一銀行に入行。1963年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務。1968年から翌1969年にかけて起きた第一銀行と三菱銀行の合併騒動では、合併反対派の急先鋒として当時同行会長だった井上薫らに与し、合併を推進した頭取の長谷川重三郎と対立したため、長谷川の逆鱗に触れた島村は銀行を追い出され東亜ペイントに転出を余儀なくされた。
前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月2… 前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月21日 - 1971年〈昭和46年〉7月24日)は、日本の銀行家。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。 1911年(明治44年)3月8日、吉本家の男子として、高知県高知市鷹匠町2に生まれる。のち前野家を継いで姓を改む。 高知県立高知城東中学校(現・高知追手前高校)卒業後、旧制高知高等学校を経て、1935年(昭和10年)、東京帝国大学法学部法律学科に学ぶ。東京帝大法学部法律学科在学中に高等試験行政科に合格。 東京帝大法学部法律学科を卒業後、横浜正金銀行に入り、1941年(昭和16年)、大蔵省に入省。為替局属。1944年(昭和19年)4月、総務局。
塩田 猪年男(しおだ いねお、1911年 - 1984年)は… 塩田 猪年男(しおだ いねお、1911年 - 1984年)は、高知県出身のプロ野球選手。 高知工業学校、満州中央銀行、八王子実業団を経て1937年秋に名古屋金鯱軍へ入団。 1938年秋に東京セネタースへ移籍し1939年に退団した。
正延 正俊(まさのぶ まさとし、1911年(明治44年) -… 正延 正俊(まさのぶ まさとし、1911年(明治44年) - 1995年(平成7年))は、日本の画家。具体美術協会の結成メンバーであり、抽象絵画を手がけた。 1911年(明治44年)、高知県高岡郡須崎町(現在の須崎市)に生まれる。1933年(昭和8年)、高知県師範学校(現在の高知大学教育学部)専攻科を卒業。 1935年(昭和10年)に東京に移り、また1940年代半ばに神戸市に移った。この間、高知県内、東京、神戸市内で小学校の図工教員として勤務し、1968年(昭和43年)まで教員生活を送った。 戦前期から具象的な絵画を制作し公募展に出品を行っていた。1948年(昭和23年)頃に神戸で吉原治良に出会い、師事するようになると、急速に抽象絵画に展開。
大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月… 大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月12日 - 1987年〈昭和62年〉9月18日)は、日本の政治家。郵政大臣(第40代)、衆議院議員(9期)。 高知県高知市升形出身。弁護士、衆議院議員の大西正幹の長男。旧制高知高等学校、東京帝国大学法学部卒業後、検事を経て弁護士となる。1949年の総選挙に高知県全県区から立候補し、初当選。1952年の総選挙では公職追放から解除されたばかりの宇田耕一に地盤を譲り、同年の参院選に高知県地方区から出馬するが、落選。 政界から一旦は退いていたが、1963年の総選挙で宇田の後継だった浜田正信の地盤を引き継ぐ格好で、11年振りに出馬して当選し、国政に返り咲く。
平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年〈明治43年〉… 平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年〈明治43年〉9月10日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の作曲家。本名、平井 保喜(ひらい やすき)。 高知県吾川郡伊野町(現:いの町)出身。父親・惣太郎の影響で、家にはオルガンや蓄音器がある等、音楽的に恵まれた環境で育った。伊野小学校から、1923年(大正12年)に旧制土佐中学校(現:土佐中学校・高等学校)入学。土佐中学校在学中に当時の校長:三根円次郎(ディック・ミネの父)が生徒向けに用意していた蓄音機で音楽を聴き、独学でヴァイオリンを練習したことがNHKのラジオ番組で息子の平井丈一朗によって語られた。1929年(昭和4年)に東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)ヴァイオリン科に進学し、ローベルト・ポラックに師事して1934年(昭和9年)に卒業。
赤松 貞明(あかまつ さだあき、1910年(明治43年)7月… 赤松 貞明(あかまつ さだあき、1910年(明治43年)7月30日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。日中戦争、太平洋戦争の撃墜王。 1910年(明治43年)7月30日高知県土佐郡秦村(現高知市)で測候所長の子として生まれる。中学海南学校を卒業し、1928年(昭和3年)6月佐世保海兵団に入隊、四等水兵。1929年(昭和4年)大村航空隊所属の柴田武雄中尉の従兵となる。柴田によれば、赤松は外出しては酔って暴れ、そのたびに柴田がもらい下げにいったという。1931年(昭和6年)6月、第17期操縦練習生。教官は源田実大尉。1932年(昭和7年)3月、同修了。その後、大村航空隊、空母「赤城」、「龍驤」、「加賀」に配属。
仁智 栄坊(にち えいぼう、1910年7月8日 - 1993… 仁智 栄坊(にち えいぼう、1910年7月8日 - 1993年3月31日)は、俳人。高知県高知市生まれ。本名は北尾一水(きたお かずみ)。新興俳句弾圧事件の犠牲者として知られる。 1931年大阪外国語学校(現・大阪外国語大学)卒業後、大阪逓信局無線課に勤め、ロシア語の知識を生かして、ソビエト連邦からの無線の傍受にあたった。岸風三楼に誘われ「京大俳句」に参加。1940年の俳句弾圧事件、いわゆる京大俳句事件に連座。1941年7月、妻とともに満洲に渡り、新京の満洲電信電話放送部に就職。同僚に高屋窓秋がいた。また森繁久弥は芸能番組を担当していた。 敗戦後、ソ連軍に反ソ活動の容疑で逮捕され、シベリアの収容所送りとなった。
板原 伝(いたはら つたえ、1910年(明治43年)2月8日… 板原 伝(いたはら つたえ、1910年(明治43年)2月8日 - 1984年(昭和59年)11月7日)は、昭和時代の政治家。農民運動家。高知県土佐市長。 板原信衛、うまの二男として高知県高岡郡高岡町(現土佐市)に生まれる。高岡町高等小学校を中退し、農業に就いた。小作農家として楮加工、養蚕に従事した。 1929年(昭和4年)高知県穀物検査の制度化に反対し、農民運動を進め、制度は廃案となる。その後、岡崎精郎を委員長とする全国農民組合県支部、高東地区で兄の板原正気、西原貞らと共に激しい農民運動を展開した。 1945年(昭和20年)戦後の農民開放指令、農地改革となり、1946年(昭和21年)農民組合が新たに発足し農地改革推進の中心的役割を担うようになる。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月3… 土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月31日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。二子山部屋→二所ノ関部屋所属。本名は石川 久治(いしかわ ひさじ)。高知県香美郡香我美町(現香美市)出身。最高位は西十両14枚目。得意技は左四つ、下手投げ。 同郷の前頭・土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年1月場所に初土俵を踏む。1936年5月場所に十両に昇進。この場所は1勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に落ちた。幕下から三段目に落ち、1942年5月場所で廃業した。
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月… 奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は海軍中佐、空将。高知県出身。航空主兵論の急先鋒であり、戦艦無用論を主張した。 1909年(明治42年)7月27日、高知県に父・奥宮正治と母・虎の三男として生まれる。生家は土佐藩藩校の教授であった奥宮慥斎の本家になる。母は土佐の旧家である入交家の出身。市岡中学卒を経て、1926年(大正15年)11月、海軍兵学校58期入校。1930年(昭和5年)11月、海軍兵学校卒業。1932年(昭和7年)4月、海軍少尉任官。 1933年(昭和8年)11月、海軍練習航空隊第24期飛行学生を卒業、大村海軍航空隊付(延長教育を受ける)。
横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - … 横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は、日本の漫画家・アニメーション作家。高知県高知市出身。 政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告・絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。 高知市堺町に生まれる。公式の誕生日(戸籍上の生年月日)は5月17日であるが、横山自身は母から、名付けの遅れのために届け出が遅れ、本当の生まれた日付は5月10日であったことを伝え聞いているという。
大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - … 大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - 1992年10月24日)は、日本の映画評論家。辛口の映画批評で知られる。 高知県高岡郡仁井田村下呉地()(現・四万十町下呉地)出身。小学校入学前に小高坂村(現・高知市)へ転居。高知県師範学校附属小学校を経て旧制高知城東中学校卒業。中学5年の時に一家が東京へ移住したため、1926年に中学卒業とともに上京。有島武郎の小説や山への憧憬から北海道大学進学を目指すが叶わず、1927年の頃は復興局で測量技師の助手のアルバイトに従事して、収入の多くを映画鑑賞に費やし、やがて「人生の転機」(『映画とともに五十年』より)にいたる。1928年、松竹キネマ蒲田撮影所において所長の城戸四郎の肝煎りで新たに開設される「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生に応募、30人の中に合格して第1期生の一人となった。
小林為太郎(こばやし ためたろう、1908年4月10日 - … 小林為太郎(こばやし ためたろう、1908年4月10日 - 1985年11月12日)は、日本の弁護士である。 高知県幡多郡下川口村大津(現在の土佐清水市)出身。旧姓・上岡為太郎。長男は元・タレント漫才師の上岡龍太郎。映画監督の小林聖太郎、兄弟お笑いコンビのミキは孫に当たる。 1908年(明治41年)4月10日、上岡岩吉、マサノの三男として出生。高等小学校卒業後、しばらく村の三等郵便局に勤務するが、18歳までサツマイモを作ったり、テングサをとったりイカ釣りをしていた。その間、独学で小学校教員資格試験を三度受験する。 1926年(大正15年)3月、働きながら勉学する決心をして高知市に出る。キリスト教系団体によって運営されていた『学生労働会』に入り、牛乳配達をしながら自学する。
乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13… 乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13日 - 2000年(平成12年)9月19日)は、日本の教育者(英語・ドイツ語科)、牧師、軍人。旧土佐藩士族 乾市郎兵衛家・第9代当主。板垣退助の孫。日本福音ルーテル芦屋教会初代牧師。 1908年(明治41年)1月13日、高知県貫属士族・乾正士の長男として、高知県土佐郡潮江村412番屋敷に生まれる。母は、長野県上水内郡柳里村8番地(現・長野県上水内郡飯綱町柳里中宿164番地)高野直作の長女・八重野。父乾正士は板垣退助の次男にあたる。乾姓を称したのは、退助が戊辰戦争の際、乾姓から板垣に復姓したが、旧来の乾姓が無くなるのを惜しみ正士を後嗣の無い分家の土佐藩士・乾正厚の家督を相続させる形で残そうとしたため。
山室 耕(やまむろ こう、1907年12月17日 - 没年不… 山室 耕(やまむろ こう、1907年12月17日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は西森 高茂(にしもり たかしげ)。旧芸名は村上 英二(むらかみ えいじ)、光 一(ひかり はじめ)。 1907年(明治40年)12月17日、高知県高知市に生まれる。高知城東商業学校(現在の高知中学校・高等学校)を卒業。 1927年(昭和2年)、村上英二という芸名で日活大将軍撮影所(後に日活京都撮影所・日活太秦撮影所)に入社。一時期、本名の西森高茂名義で活動した時期もある。1933年(昭和8年)には日活多摩川撮影所現代劇に移籍。後に芸名も光一と改名して、1936年(昭和11年)公開の内田吐夢監督映画『人生劇場 青春篇』などに出演。
桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月… 桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月10日 - 1989年〈平成元年〉8月9日)は、日本の民俗学者。 高知県高知市出身。早稲田第二高等学院中退。小学校教諭、校長、高知県福祉事業財団会長などを務めながら昔話を採集。1984年『土佐民俗選集』で柳田賞受賞。土佐民俗学会長。
伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 19… 伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 1998年5月25日)は、日本の農業経済学者。北海道大学名誉教授。元日本学術会議会員。北海道文化賞受賞。 1907年、北海道札幌市で生まれた。1925年、高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1928年、北海道帝国大学予科修了し、北海道帝国大学農学部農業経済学科に進んだ。1931年に卒業した後、同大学大学院へ進学。1936年に修了し、同大学助手に採用された。1941年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。 戦後帰国し、1946年より帯広獣医畜産専門学校教授。翌1947年、北海道帝国大学法文学部助教授となった。1948年、北海道大学に学位論文を提出して農学博士。
岡村 弘(おかむら ひろし、1907年7月27日 - 199… 岡村 弘(おかむら ひろし、1907年7月27日 - 1993年7月17日)は、日本のドイツ文学者、小説家。 倉本兵衛の筆名で戦時中に私小説を書いた。 高知市出身。1931年東京帝国大学文学部独文科卒。同大学院をへて、松江高等学校教授。1949年島根大学助教授、1952年神戸大学教養部助教授、教授、教養部長。1971年名誉教授。関西学院大学教授。1976年梅花女子大学教授。勲三等旭日中綬章受勲。 英語学者の岡村弘(ひろむ、1912-?)は別人。
塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月1… 塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月17日 - 1980年(昭和55年)11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員(4期)。自治大臣、厚生大臣。自由民主党高知県連会長。板垣退助先生顕彰会顧問。土佐市名誉市民。 1907年(明治40年)5月17日、塩見熊吉の二男として高知県高岡郡戸波村浅井(現土佐市)に生まれる。初代土佐市長の塩見俊雄は実兄。母は塩見良。 1921年(大正10年)4月、高知県立第一中学校(翌年「高知県立高知城東中学校」と改称。現高知県立高知追手前高等学校)に入学。この時の同期生に板垣退助の孫・乾一郎がいた。同校卒業後、旧制高知高等学校に進み、更に東京帝国大学法学部で学を修める。
高橋 勝之(たかはし かつゆき、1904年8月15日 - 1… 高橋 勝之(たかはし かつゆき、1904年8月15日 - 1986年6月8日)は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 高知市出身。1927年早稲田大学第二高等学院ロシア文科卒。筆名・里見三吉。日本共産党、新日本文学会に属し、マルクス主義について執筆・翻訳を行った。
梅津 はぎ子(うめづ はぎこ、1904年〈明治37年〉4月2… 梅津 はぎ子(うめづ はぎこ、1904年〈明治37年〉4月22日 - 1989年(平成元年)10月8日)は、日本の労働運動家。紡績工での過酷な労働を経て、戦前の紡績工の女性従業員たちの労働の実態を代弁し、何度も検挙されながらも、大正期から昭和期にかけての社会運動で活躍した。高知県高岡郡高岡町(後の土佐市)出身、旧姓は中平。別名は梅津 萩子。 幼少時に両親が離婚後、親戚の養女となった。尋常小学校時代より、子守り奉公などで苦労を重ねた。結婚話が持ち上がったが、気が進まずに家を出た。女中や製紙工場で働いた後、1921年(大正10年)、保土ヶ谷にある富士瓦斯紡績の工場に勤めた。 当時の富士紡は最盛期で、全従業員は約1500人の内、8割近くが女性、大半が出稼ぎの十代の少女であった。
浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、19… 浅野 千鶴子(あさの ちづこ、旧字体: 淺野 千鶴子 、1904年(明治37年)3月22日 - 1991年(平成3年)3月3日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。民謡歌手で秋田県出身の浅野千鶴子は同姓同名の別人。 高知県高知市出身。1927年(昭和2年)東京音楽学校研究科修了。永井郁子に師事し、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、長坂好子の指導も受けた。1920年代から文化学院の教壇に立つ。1929年(昭和4年)4月 京城で「山田耕筰作品発表会」に出演(ピアノ:山田耕筰、ヴァイオリン:黒柳守綱、ソプラノ:浅野千鶴子)。1930年(昭和5年)東京でリサイタル・デビュー。1935年(昭和10年)東京音楽学校第75回定期演奏会(於:日比谷公会堂)でバッハ『聖母讃歌』ソリスト(指揮:クラウス・プリングスハイム、ソプラノ:浅野千鶴子、メゾソプラノ:田中伸枝、アルト:齋藤英子、テノール:木下保、バス:伊藤武雄)。
影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1… 影山 光一(かげやま こういち、1904年1月27日 - 1964年3月26日)は、日本の電機および鉄道技術者で実業家。高知県出身。近畿日本鉄道(近鉄)元専務取締役である。 高知県安芸郡安芸町(現・安芸市)西浜に生まれる。旧制安芸中学校時代には平均点で95点とも98点ともいわれるほどの優秀な成績を残したという。 旧制松山高校を経て1926年に東京帝国大学工学部を卒業し、鈴木商店(現・味の素)に入社。まもなくイギリスに渡り、ウェスティングハウス(WH)の子会社であるメトロポリタン・ビッカース電機会社に工員(名目上は実習生)として勤務、技術を習得した。 1929年、同郷の先輩で近鉄の前身・参宮急行電鉄(参急)の幹部であった井内彦四郎に招聘され、中途入社として参急に入社する。
島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月… 島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月22日 - 1945年(昭和20年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲四等。 高知県土佐郡初月村久万(現・高知市)出身。島村民衛・千代の長男。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校を経て、1924年(大正13年)7月、陸軍士官学校(36期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を優等で卒業した。 1932年(昭和7年)9月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、中国・ソビエト連邦駐在、関東軍参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵少佐に昇進。
土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1… 土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1日 - 1977年5月4日)は、高知県香美郡赤岡町(現香南市)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は武内 好春。最高位は東前頭4枚目(1934年5月場所)。 現役時代の体格は179cm、112kg。得意手は上突っ張り、出し投げ。 同郷の土州山役太郎の経営していた二子山部屋に入門、1922年5月場所に初土俵を踏む。三段目から幕下で苦労していたが、土佐ノ海から師名の土州山に四股名を改めた直後の1932年1月に起きた春秋園事件で大量の脱退者が出たので、繰り上がって同年2月の改正番付で新十両を果たした。その機会を生かして1933年1月場所に入幕、以後6年にわたって幕内中堅力士として活躍した。
有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1… 有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1995年2月22日)は、日本の官僚(文部事務次官)・教育者。1974年勲一等瑞宝章受章。1989年名誉都民受賞。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県生まれ。旧制高知県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1927年、文部省に入省した。1932年に宗教局保存課長、1934年に専門学務局学務課長、1941年に大臣官房文書課長、1942年に大臣官房秘書課長兼大臣秘書官、1945年6月に科学局長、1945年9月に体育局長、1945年10月に教科書局長を経て1947年に文部事務次官に就任した。 教育基本法の制定、小学校6年、中学校3年の六・三制の実施などの戦後の教育改革に携わる。
西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月… 西山 磐(にしやま いわお、1903年 <明治36年> 9月7日 - 1999年 <平成11年> 9月9日)は、日本の実業家。大阪ガス元会長・社長。位階は従三位。 高知県南国市出身。東京帝国大学法学部卒業後、1928年に阪神電気鉄道へ入社。1944年に大阪ガスへ中途入社し、監査役、常務取締役、代表取締役副社長を経て、1969年に代表取締役社長に就任。その後1973年より代表取締役会長を務め、1983年に取締相談役へ退く。その他には大阪工業会会長、社団法人大阪府計量協会会長、帝塚山学院理事長、朝日放送取締役も務めた。1999年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治3… 浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治36年)6月18日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 高知県吾川郡伊野町(現いの町)で浜田惣次、春尾の二男として生まれる。高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部を卒業した。 京都市役所で勤務した後、淀川製鋼所に転じた。東京支社長、取締役支配人、専務取締役などを歴任。1957年(昭和32年)宇田耕一の死去に伴い取締役社長に就任した。その他、白洋産業取締役社長、白洋汽船取締役、南海興業取締役、高知県造船取締役会長、日本鉄鋼連盟理事、日本経営者団体連盟理事、国連協会関西本部理事などを務めた。
宮畑 虎彦(みやはた とらひこ、1903年1月23日 - 1… 宮畑 虎彦(みやはた とらひこ、1903年1月23日 - 1988年5月16日)は、日本の男子競泳選手。高知県四万十市下田出身。 1924年パリオリンピックに出場し、男子4×200mフリーリレーにおいては小野田一雄、野田一雄、高石勝男とともに4位になっている。100m自由形にも出場しているが、1次予選で3位に入り敗退している。1928年アムステルダムオリンピックには役員として選手団に同行した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月1… 西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月19日)は、日本の歴史学者。 高知県生まれ。高知第一中学校卒業。一時期マルクス主義やアナーキズムに傾倒。代用教員を経て、広島文理科大学数学科卒業。和暦および暦法研究の過程で、谷秦山(渋川春海の弟子)の土佐勤皇思想(土佐南学)に接し、皇国史観にのめり込む。平泉澄(当時東京帝国大学教授)が開いた青々塾の門下生となり、皇国史観で著名な「平泉学派」のイデオローグの一人とみなされるに至る。 広島文理大研究生、陸軍士官学校嘱託教官を経て陸軍教授(1933年以降青々塾門下生が次々に陸海軍学校の教官に迎え入れられている)。のち、総力戦研究所所員(思想担当教官)として同所研究生等に「皇国思想」を教授するが、当時の日本の各界の若手エリートからなる同所研究生の間では時代錯誤的であるとして評判が悪かったといわれる。
島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1… 島崎 敬夫(しまざき よしお、1902年10月11日 - 1975年6月29日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長を務めた。高知県高知市出身。実弟に俳優の志村喬がいる。 1926年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に古河銀行に入行。1931年に横浜ゴムに転じ、1948年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1965年には社長に就任。1973年2月に会長に就任。 1969年に藍綬褒章を受章。 1975年6月29日に肝硬変のために死去。72歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
上林 暁(上林 曉、かんばやし あかつき、1902年(明治3… 上林 暁(上林 曉、かんばやし あかつき、1902年(明治35年)10月6日 - 1980年(昭和55年)8月28日)は、日本の小説家で、昭和期を代表する私小説作家の一人。高知県出身。本名は徳廣 巌城(とくひろ いわき)。『薔薇盗人』で登場、その後私小説に活路を拓き、『聖ヨハネ病院にて』などの病妻物で高い評価を受けた。代表作は『薔薇盗人』『聖ヨハネ病院にて』『春の坂』『白い屋形船』『ブロンズの首』など。日本芸術院会員。 高知県幡多郡田ノ口村下田ノ口(現・黒潮町)に生まれた。山沖之彦はいとこの妻のおいにあたる。 高知県立第三中学校(現・高知県立中村高等学校)時代には、雑誌『文章世界』に影響を受け、友人らと語らって回覧雑誌『かきせ』を発行し、この頃に小説家になる希望を持った。
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月1… 荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月18日 - 1974年(昭和49年)8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。 横須賀中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。 1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。 1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館附武官補佐官に在任。
大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月… 大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月18日 - 1952年〈昭和27年〉1月29日)は、日本の陸軍軍人、右翼活動家。 高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て現香美市)出身。大岸蓑吉、岩尾の息子として生まれた。陸軍士官学校卒(35期)。1930年西田税の指導する秘密結社「天剣党」に参加、皇道派青年将校運動のリーダーとなり、1931年9月「皇政維新法案大綱」という国家改造計画を起草した。1936年の2.26事件に関係して待命となり、左翼から転向の中村義明とともに右翼団体「あけぼの社」を設立。同年12月大尉で予備役。1940年9月近衛新体制に即応、革新青年団結のため結成された皇道翼賛青年連盟委員となった。
手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年〈明治34年〉11月… 手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年〈明治34年〉11月3日 - 1987年〈昭和62年〉3月27日)は、日本の書家、文化功労者。高知県安芸町(現安芸市)出身。本名・南海巍(なみき)。ニックネームは「ライオンの右卿」[要出典]。 妻は仮名書家の手島小華、長弟と次弟は、いずれも書家の高松慕真と南不乗。 1915年(大正4年)、川谷尚亭の門をたたき、師逝去の後は1935年(昭和10年)に上京、比田井天来の門下となる。その後、大日本書道院第1回展では天来の単独審査を手伝うなど、次第に頭角を現し、以後日展の参事や審査員、文部省指導書編集委員などを歴任。 常々、「書は人間の霊知の所産である」として、東洋的な精神性と現代感覚を融合した「象書」を創始。
小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 19… 小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 1989年7月25日)は日本の作家。高知県長岡郡大篠村(現・南国市)篠原出身。出生名は池本 イト、結婚後は小山 イト。綿密な調査に基づき社会問題を扱った作品が多く、清純なヒューマニズムと社会性が特徴である。「執行猶予」で第23回直木三十五賞を受賞した。『読売新聞』紙上の人生相談「人生案内」回答者を務め、皇太子妃美智子に関する小説連載中止騒動に巻き込まれたことでも知られる。 福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業。在学中に歌人の橋田東聲の門下生となる。1920年(大正9年)、19歳で父親により結婚を強要されるが、相手を好きになれず、男性に対する反逆心を持ち始める。
川村 和嘉治(かわむら わかじ、1901年(明治34年)2月… 川村 和嘉治(かわむら わかじ、1901年(明治34年)2月21日 - 1968年(昭和43年)2月19日、満66歳没)は日本の政治家。高知県知事を務めた。 高知県長岡郡本山町出身。1930年京都帝国大学農学部卒業。『大阪毎日新聞』で農政記者として、戦時下の農政団体で活躍する。1947年(昭和22年)の第1回高知県知事選挙に出馬し当選。およそ半年後の1947年(昭和22年)7月25日に公職追放が決定し、解職。追放解除後の1951年(昭和26年)に国民民主党、日本社会党、社会革新党の推薦を得て、現職の桃井直美を約2万票の差で破り当選。1955年(昭和30年)まで再び知事を務めた。1955年の高知県知事選挙では新人の溝渕増巳に敗れて知事を退任。
岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7… 岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7月13日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第50期卒業。最終階級は海軍大佐。 1901年高知県安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)の瓦葺き職人の父岡村熊之助のもとに生まれる。兄に岡村徳長、妹聖子の夫に江草隆繁がいる。1922年6月1日海軍兵学校50期を卒業。第13期飛行学生を戦闘機搭乗員として卒業。1928年鳳翔勤務時、振武盃を下賜される。 飛行学生17期の出身で、三式艦上戦闘機搭乗以来の長いキャリアを持つ戦闘機搭乗員で、特に編隊飛行の名手であり、横須賀航空隊分隊長時代、戦闘機の特殊編隊飛行の公演を行って「岡村サーカス」の名前で知られた。