小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016… 小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016年8月12日)は、日本の劇作家である。 高知県安芸市出身。1959年に高知県立安芸高等学校を卒業し、上京。1968年早稲田大学演劇科卒。以後、劇作ひとすじに、地味で寡作ながらも中味の濃い創作活動を続けている。劇団には所属せず、演出や出演も行っていない。様々な演劇賞の選考委員を務めるほか、学校演劇に使われる脚本なども執筆。演劇雑誌『テアトロ』の編集委員。日本劇作家協会常務理事。 2016年8月12日、胃癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森光 正吉(もりみつ しょうきち、1941年3月5日 - )… 森光 正吉(もりみつ しょうきち、1941年3月5日 - )は、高知県須崎市出身の元プロ野球選手。
柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大… 柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大阪府出身の元NHKのエグゼクティブアナウンサー。
立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5… 立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5月29日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻は近代フランス文学。サルトル、ブランショの研究を経て、マラルメにおけるポエジーを研究。千葉県船橋市在住。
尾﨑 靖夫(おざき やすお、1940年5月20日 - )は、… 尾﨑 靖夫(おざき やすお、1940年5月20日 - )は、高知県吾川郡伊野町出身の元プロ野球選手。
小松 俊広(こまつ としひろ、1940年1月13日 - )は… 小松 俊広(こまつ としひろ、1940年1月13日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(投手)。プロ入りまでの名は敏宏。
田島 征三(たしま せいぞう, 1940年1月9日 - )は… 田島 征三(たしま せいぞう, 1940年1月9日 - )は、日本の絵本作家、美術家。同じ絵本作家の田島征彦は同年生まれの双子の兄弟だが、苗字の読み方は征三が「たしま」、征彦が「たじま」を名乗っている。本来の読み方は「たしま」だが、征三が先に「たしま」で世に出たため、征彦はそれと区別する意味で「たじま」と改めた。血液型はB型。辰年生まれ。山羊座生まれ。力強いタッチで描かれた作品に定評がある。
入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日… 入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日 - )は、日本の実業家。高知県出身の神戸市育ち。灘中学に入学後、麻布中学に転校し麻布高校卒。東京大学工学部航空工学科卒業。
岩本 久則(いわもと きゅうそく、いわもと ひさのり1939… 岩本 久則(いわもと きゅうそく、いわもと ひさのり1939年3月 -)は、日本の漫画家。 高知市出身。高知市立城北中学校在籍中から漫画に熱中していた。同期生に俳人の松田ひろむがいる。1954年、中学校を卒業後、海上自衛隊に入る。1967年に漫画家として独立。 近藤日出造のあとを受けて「読売新聞」2面の時事漫画(政治漫画)を描く。ナンセンス漫画に属する。 環境保護、バードウォッチング、ホエールウォッチングでも知られ、特に鯨の保護に力を入れている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、… 岡村 甫(おかむら はじめ、1938年9月18日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門はコンクリート工学。高知工科大学理事長。東京大学名誉教授。 高知県出身。東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了。東京大学工学部学部長、高知工科大学第2代学長を経て高知工科大学理事長。 学生時代は東京大学運動会硬式野球部の投手として、東京六大学リーグ通算71試合登板、17勝35敗、防御率2.82、120奪三振。アンダースローから17勝を挙げるが、東京大学の投手として通算最多勝利記録となっている。のちに同大で野球部監督・部長も務めた。 東京六大学野球連盟元理事長。土木学会名誉会員、ACI名誉会員。土木学会論文賞、コンクリート工学協会論文賞、日系BP技術賞、紫綬褒章、土木学会功績賞など。
松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は… 松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は、俳人。本名は英孝(ひでたか)。第28回現代俳句評論賞、第9回新俳句人連盟賞、第1回雑草賞受賞。古沢太穂師系「鴎座」代表、現代俳句協会参与、新俳句人連盟永年会員。 1938年8月25日、高知県高知市小津町に生まれる。高知市立城北中学校・高知県立高知工業高等学校機械科卒業。高校時代、秋元不死男の「氷海」に入会。高校卒業後、東京電力に入社。鶴見火力発電所、千曲川電力所、新東京火力発電所、大井火力発電所に勤務。1972年「沙羅」と合併し古沢太穂主宰となった「道標」に同人として参加。1974年藤田湘子の「鷹」に入会、のち同人となるも1979年退会。
小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)… 小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)7月28日 - 2025年(令和7年)10月9日)は、日本の銀行家。三菱東京UFJ銀行名誉顧問、東海銀行頭取、名城大学理事長などを務めた。 高知県高知市出身。東京大学経済学部卒業。1962年に東海銀行入行。営業畑を中心に、企画、融資、資金証券など行内の幅広い分野を経験。1998年頭取に就任し、旧あさひ銀行(現りそな銀行)との統合を模索し、関西地区で強固な経営基盤を持っていた三和銀行をグループに迎え入れることを決めたが、統合の交渉は難航し、最終的にあさひ銀行が離脱。三和銀行との経営統合を実現させ、合併によるUFJ銀行の誕生では、会長を務めた。
河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は… 河内 十郎(かわち じゅうろう、1938年4月7日 - )は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 高知県生まれ。栄光学園高等学校から、1961年東大文学部心理学科卒、1967年同大学院博士課程中退、1975年東大教養学部助教授(心理学)、1981年「左半側空間無視患者の認知空間の構造に関する心理学的研究」で文学博士、1988年教授、1999年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授。2009年退職。 脳の損傷を研究する。神経心理学が専門。
目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学… 目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学者。専門は家族社会学、ジェンダーの社会学、開発とジェンダー。上智大学名誉教授、ケース・ウェスタン・リザーブ大学博士。元日本家族社会学会会長。 高知県高知市出身。高知県立高知小津高等学校、ブライアクリフ・カレッジ、ウェスタン女子大学を経て、1967年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、1974年ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院社会学専攻博士課程修了、Ph.D.。 1971年4月上智大学文学部社会学科専任講師、同助教授、同教授、上智大学総合人間学部社会学科教授。2009年4月上智大学名誉教授。男女共同参画推進連携会議議員委員、原子力委員会国際関係部会委員、国連婦人の地位委員会日本代表、一般財団法人外務精励会理事なども務める。
山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10… 山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長(2期)。 高知県出身。高知県立高知農業高等学校卒。農業に従事し、安芸市議会議員となり、議長などを務める。1989年安芸市長和食富雄が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、元市長の岡村喜郎を破り、当選する。1993年に再選。1997年に三選を目指したが、元安芸市職員の井津哲彦に敗れた。
土居 章助(どい しょうすけ、1937年9月3日 - )は、… 土居 章助(どい しょうすけ、1937年9月3日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 20… 西山 弘二(にしやま こうじ、1937年6月27日 - 2025年9月11日 )は、広島カープに所属した高知県出身の元プロ野球選手(捕手)(右投右打)。 1963年のみ登録名を「西山 幸次」に変更した(読みは本名と同じ)。 土佐高等学校から中央大学を経て、1960年に大型捕手と期待され広島カープに入団。期待されたが、思うような成績を残せず4年で退団した。
西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )… 西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高… 須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高知県安芸郡安芸町出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。現在は野球解説者。
久保 友之(くぼ ともゆき、1937年2月20日 - 202… 久保 友之(くぼ ともゆき、1937年2月20日 - 2023年7月7日)は、高知県室戸市出身のプロ野球選手・プロ野球審判員である。 1957年に高知県立室戸高等学校を卒業後大阪タイガースに入団したが一軍経験のないまま3年で退団。選手時代の背番号は36。その後サラリーマン生活を送っていたが、野球への情熱が忘れ去られず審判になることを決意。1970年テストを受けてセントラル・リーグ審判となり関西審判部に所属。1996年まで審判を務めた。 50代の時はインサイドプロテクターに変更した。 審判員袖番号は11(1988年初採用から1996年引退まで、2004年から吉本文弘が44から変更して継承。) その後はプロ野球マスターズリーグで審判をつとめるほか、少年野球教室の指導などをしていた。
小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、… 小谷 信雄(こたに のぶお、1937年2月16日 - )は、高知県安芸市出身の元プロ野球選手。 高知商業高校時代の1954年に春夏連続で甲子園に出場した。 1955年に広島カープへ入団。1957年に退団後は篠崎倉庫でプレーした。その後地元に帰郷して安芸市役所に勤めた。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11… 井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長。 高知県安芸郡北川村出身。1959年(昭和34年)中央大学文学部卒業。 1960年(昭和35年)安芸市役所に入り、1985年(昭和60年)総務部福利厚生課長などを経て、高知県文化環境部参事、県国際交流協会常務理事を歴任。1997年(平成9年)安芸市長に当選した。
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日… 萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。元赤旗記者。本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。 北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。 高知県高知市出身。立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。 17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版… 小池 暢子(こいけ のぶこ、1937年 - )は、日本の銅版画家である。 1937年に高知市で生まれた。父は医師であった。1941年に士別市に引っ越した。上京して女子美術大学に進学し、一時期は安保闘争のデモ活動に参加していた。1961年に女子美術大学を卒業した。その後、壁画を作成する会社で働くようになり、1964年6月頃から東京オリンピックの準備として国立競技場の壁画制作作業の現場監督として働いた。1960年代頃までは油絵を描いており、油絵の個展も行っていた。 1972年、35歳の時に東京では制作に没頭できないと考え、渡仏してパリで活動するようになった。ローマなどにも滞在した。ヨーロッパ在住中は「アラプペ」と呼ばれる一版多色刷りの銅版画を多数制作した。
志水 辰夫(しみず たつお、本名: 川村 光暁(かわむら み… 志水 辰夫(しみず たつお、本名: 川村 光暁(かわむら みつあき)、1936年12月17日 -)は日本の小説家。 叙情的な文体で冒険小説から恋愛小説、時代小説まで手がけ、その手腕は「このミステリーがすごい!」などでも高く評価されている。特に初期はクライマックスを散文詩のように謳いあげ、「シミタツ節」の異名を取った。 高知県南国市出身。高知商卒業後、公務員等の職を経て、出版社勤務。27歳から雑誌のフリーライターとして活動。 30代末から小説転向を志し、かつて取材した資料をもとにした長編小説を習作として執筆、これを全面的に書き直して1981年8月に書き下ろし『飢えて狼』としてデビュー。北方の海や択捉島を舞台にした骨太の冒険小説で、1977年刊行の谷恒生『喜望峰』(KKベストセラーズ)、1980年刊行の西木正明『オホーツク諜報船』(角川書店)などとともに日本に本格的な海洋冒険小説の時代を切り開いた。
児島 明子(こじま あきこ、1936年10月29日 - )は… 児島 明子(こじま あきこ、1936年10月29日 - )は、日本のファッションモデルである。1959年(昭和34年)のミス・ユニバース・ジャパンでもあり、アメリカ合衆国で開催された第8回ミス・ユニバース世界大会(ミス・ユニバース1959)で栄冠を獲得した。日本人として、アジア人として初めてのミス・ユニバース世界大会優勝者である。「有色人種」初のミス・ユニバースとも言われる。また、1952年の第1回大会で優勝したミス・フィンランド、アルミ・クーセラ以来の旧枢軸国(第二次世界大戦の敗戦国)出身のミス・ユニバースでもある。 宝田明の最初の妻、児島未散の母としても知られる。 1936年(昭和11年)10月29日、東京府東京市世田谷区豪徳寺に生まれた。
片田 謙二(かただ けんじ、1936年8月23日 - 199… 片田 謙二(かただ けんじ、1936年8月23日 - 1993年11月25日)は、高知県高岡郡宇佐町出身で、広島カープに在籍したプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。
29代 木村 庄之助(にじゅうきゅうだい きむら しょうのす… 29代 木村 庄之助(にじゅうきゅうだい きむら しょうのすけ、本名:櫻井 春芳(さくらい はるよし、旧姓・梯〈かけはし〉)、1936年3月26日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は1995年1月-2001年3月。二所ノ関部屋所属。高知県香南市香我美町岸本(旧香美郡香我美町)出身。 幼少期、岸本の漁師、梯長太郎の養子となる。香南市立岸本小学校4年生の時に、隣人で園芸を営む河村重寅という相撲愛好家に 「どうか、東京に行ってみないか」 と言われ、故郷を離れ、二所ノ関部屋に入門。 満9歳でいわゆる「豆行司」と呼ばれる年齢であった1945年11月に木村春芳の名で初土俵。のちに師匠の三役格行司・9代式守与太夫の養子となり、房錦は義理の兄になった(房錦と同じ学年だが、生まれは房錦のほうがわずかに早い)。
永野 元玄(ながの もとはる、1936年2月26日 - )は… 永野 元玄(ながの もとはる、1936年2月26日 - )は、日本の高校野球審判員、元社会人野球選手。高知県出身。 高知市立城西中学校から土佐高等学校に進学。野球部では捕手。1952年、2年生の時に第24回選抜高等学校野球大会に出場したが初戦敗退。3年次は主将として、春夏連続甲子園出場。第25回選抜高等学校野球大会は2回戦で敗退したが、夏の第35回全国高等学校野球選手権大会では決勝まで進出。空谷泰を擁する愛媛県立松山商業高等学校との決勝戦では、9回表に勝利目前ファウルチップを落球、直後に空谷に同点打を放たれ、延長13回に決勝点を許し準優勝に終わった。 慶應義塾大学では藤田元司とバッテリーを組んだ。
原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ … 原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)、旧姓名・旧芸名:田原 知佐子(たはら ちさこ)、1936年〈昭和11年〉1月6日 - 2020年〈令和2年〉1月19日)は、日本の女優。夫は実相寺昭雄。現代制作舎所属。 高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市)出身。高知県立高知追手前高等学校卒業、同志社大学文学部美学美術学科中退。 高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。 高岡中学校を経て、1954年に高等学校を卒業。宝塚歌劇団と松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、大学に入学。
平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1… 平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長などを務めた。 高知県土佐清水市出身。父は医師。1958年、法政大学法学部法律学科卒業。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に入局し、園田直の下で副議長秘書、前尾繁三郎の下で議長秘書を務めた後、委員部総務課長、委員部長を経て退職。 1992年7月26日投開票の第16回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から無所属(自由民主党、公明党推薦、民社党支援)で立候補し、初当選。国会議員選挙ではそれまでに例のない与党自民党と野党公明党(当時)・民社党(当時)支援の相乗り候補として注目され、小沢一郎と市川雄一によるいわゆる「一・一ライン」の存在が広く知られる契機となる。
木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 20… 木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 2026年4月16日)は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)。 雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。 高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。 20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという。
倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10… 倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本の小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。明治大学在学中に『パルタイ』を発表して脚光を浴び、その後も『聖少女』『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』などを発表。カフカやカミュの影響を受け、日本の女流作家としては稀な抽象的、寓話的作風を示して注目された。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母が浪人に反対したため京都女子大学国文学学科に籍を置き、医学部を再度受験するが失敗。
北村 総一朗(きたむら そういちろう、本名及び旧芸名:北村 … 北村 総一朗(きたむら そういちろう、本名及び旧芸名:北村 総一郎(読み同じ)、1935年〈昭和10年〉9月25日 - )は、日本の俳優、声優。 高知県出身。身長は172cm。血液型はA型。高知大学農学部卒業。妻は磯辺万沙子。劇団昴に所属していた。 土佐中学在学時に、劇団民藝の『セールスマンの死』を観劇したことがきっかけで役者の道を志す。土佐高校卒業後に高知大学農学部に入学し、同大学の演劇研究会に所属。同時期に放送局の放送劇団に入り、俳優の傍ら放送劇も書くようになる。 24歳の時に上京し、1961年に文学座に研究生として入る。同期には岸田森、寺田農、橋爪功、草野大悟、樹木希林、小川真由美などがいる。
石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知… 石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知県安芸市出身の競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの200mバタフライ銀メダリスト。 1935年4月6日、高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校を経て日本大学卒業。 中学校の時に野球をしていたが、水泳部の大会に出場したことがきっかけで水泳を始めた。大学1年の時に100mバタフライで日本記録を出した。 1956年メルボルンオリンピック男子200mバタフライ銀メダリストで、1957年9月7日に神宮プールで、富田一雄、古川勝、石原勝記との400mメドレーリレーの世界記録、9月14日に100mバタフライの世界記録を保持した。 日本選手権水泳競技大会では、100mバタフライで1956年から1958年まで3連覇、200mバタフライでも1955年から1957年まで3連覇した。
河野 典生(こうの てんせい、1935年1月27日 - 20… 河野 典生(こうの てんせい、1935年1月27日 - 2012年1月29日)は、日本の小説家。本名は河野典生(のりお)。遠い親戚に安岡章太郎がいる。 高知県高知市生まれ。明治大学仏文科中退。在学中から詩、戯曲、幻想小説等を書き始め、戯曲「墜ちた鷹」を「三田文学」に掲載し、寺山修司らと劇団活動も行っていた。また寺山とやっていた総合芸術雑誌に銅版画を描き、野中ユリ・加納光於らと知り合う。他にアルバイトでラジオドラマの脚本を多数執筆した。 1958年、テレビの仕事を開始し、明治大学を中退。1959年、日本テレビの番組「夜のプリズム」の原作小説募集に作品「ゴウイング・マイ・ウェイ」で応募して当選、雑誌『宝石』に掲載される。
公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )… 公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )は、日本の社会学者。東京大学教授、多摩大学情報社会学研究所所長、多摩大学教授、立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部客員教員、情報社会学会会長などを歴任。専門は、社会システム論、国際関係論。 高知県出身。土佐中学校・高等学校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。1959年に同大学院社会科学研究科理論経済学専門課程修士課程修了。1967年に東京大学教養学部助教授、カールトン大学客員助教授・客員準教授。1968年にインディアナ大学経済学大学院でPh.D.取得。1971年に経済企画庁客員研究官。1978年、東京大学教養学部教授。1988年にワシントン大学客員研究教授。
中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- … 中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- )は、日本のジャーナリスト、政治活動家である。高知県南国市出身。早稲田大学文学部卒業。NHK職員、新自由クラブ遊説委員長、田川誠一衆議院議員秘書などを務めた。
西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )… 西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )は、日本の政治家、歌人。元日本社会党参議院議員(1期)。 高知県土佐市出身。1953年土佐高校卒。卒業後はNHK高知放送局に就職する。以後、参院選に立候補するまで勤務。労働運動と女性運動に身を投じ、日放労高知分会書記長、高知県労働組合総評議会婦人部長、日本婦人会議高知県本部議長などを歴任。また、「高知歌人」や「新日本歌人」に所属して歌人としても活動する。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。小選挙区制導入に反対を表明し、1994年に栗原透(社会党高知県本部委員長、高知県議)らと共に離党。
渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 20… 渡邊 五郎(わたなべ ごろう、1934年5月14日 - 2021年2月16日)は、日本の実業家。三井物産代表取締役副社長、三井化学代表取締役会長を歴任した。 高知市立潮江小学校時代は、体も大きくガキ大将だった。1945年、小学5年生だった頃に、空襲によって自宅を焼失する。そこで、四万十町魚ノ川に疎開して山小屋を建て、5年間を過ごした。実家は貧困状態で、家に電気は引かれておらず、夜はたいまつとランプで過ごした。また、父の木材仲買業の収入が不安定だったため、自身も子供ながらに、高知の町まで米などを売りに出て家計を支えた。 中学3年生の3学期から、進学高校への進学を志して高知市に戻り、調理人をしていた兄の家の屋根裏部屋に住み、高知市立昭和中学校(現高知市立愛宕中学校)に通った。
籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 200… 籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 2002年11月23日)は、日本の高校野球指導者。高知県出身。 高知県宇佐町(現在の土佐市)生まれ。土佐中学校・高等学校に進学。高校では野球部に入らず、溝淵峯夫監督からコーチ術を学び、休日に帰郷して宇佐中学校で教えていた。早稲田大学教育学部でも野球部に入らず森茂雄監督にコーチ術を学び、宇佐中学校野球部監督として指導していた。当時の教え子に片田謙二、横山小次郎、有藤通世、浜村孝、山下司、井本隆がいる。卒業後は帰郷して中学校教師となり、1963年に高知市立高知商業高等学校教諭に転じたが、野球部の部長しか空きがないため1学期で退職、母校の土佐高校教諭に転じた。
武井 義明(たけい よしあき、1934年(昭和9年)1月24… 武井 義明(たけい よしあき、1934年(昭和9年)1月24日 - 1994年(平成6年)8月2日)は、日本のジャズシンガー。 高知県高知市出身、中央大学卒業。在学中にフランク武井の名でジャズののど自慢大会に優勝してプロ入りし疋田ブラザーズ楽団の専属歌手となる。ジョージ川口、与田輝雄らとコンボで歌い、その後ソロへ転向。 1959年12月31日、第10回NHK紅白歌合戦に初出場した(詳細は下記参照)。 戦後の第一次ジャズブームの中では最年少であった。 日清ちびっこのどじまん(フジテレビ)の審査員を務めた。
弘瀬 昌彦(ひろせ まさひこ、1934年1月9日 - )は高… 弘瀬 昌彦(ひろせ まさひこ、1934年1月9日 - )は高知県出身の元プロ野球選手。
片岡 文雄(かたおか ふみお、1933年9月12日 - 20… 片岡 文雄(かたおか ふみお、1933年9月12日 - 2014年1月9日)は、日本の詩人。 高知県吾川郡いの町生まれ。高知県立高知工業高等学校、明治大学文学部卒。高校・大学の先輩である嶋岡晨と『貘』を創刊。『地球』同人。高知県で高校教師となり、定年まで勤める。1969年『悪霊』で椋庵文学賞、76年『帰郷手帖』で第9回小熊秀雄賞・第21回高知県出版文化賞、88年『漂う岸』で第13回地球賞、98年『流れる家』で第16回現代詩人賞受賞。
毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、… 毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、日本の元女優。グラマー女優と称され時代劇でも活躍したが、男女関係のもつれから妻子持ちの男性を刺殺し3年間服役していた。 1933年(昭和8年)4月25日、高知県幡多郡宿毛町(現:宿毛市)の呉服商の家に生まれる。高知県立宿毛高等学校を卒業後、親戚の経営する大分県別府市の旅館でフロント係を勤めていた1955年(昭和30年)、「全国温泉旅館美女コンテスト」で「ミス温泉」に選ばれた。日本生まれの中国人ヤクザに強姦され、福岡中洲のクラブで働かされたのち、地元暴力団の親分の妾となる。 その後上京し、俳優座の委託研究生を経て大映に第10期ニューフェイスとして入社したのは1956年のことである。
成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2… 成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2022年8月7日 、旧姓:山中)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ学者。高知県吾川郡池川町(現・仁淀川町)出身。 高知県立高知追手前高等学校ではバレーボール部に所属していたが、東京教育大学体育学部に入学後は蹴球部に入部した。在学中の1953年に関東大学サッカーリーグ戦で優勝、1954年に日本代表候補となる。 東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学後、1960年にドイツ体育大学ケルンに留学する際、日本サッカー協会から戦後日本のサッカー復興のためのコーチ探しを依頼され、西ドイツ国内のクラブチームから、当時西ドイツでも日本でも無名であったデットマール・クラマーを発掘した。
原田 茂生(はらだ しげお、1932年8月6日 - 2017… 原田 茂生(はらだ しげお、1932年8月6日 - 2017年12月12日)は、日本のバリトン歌手。東京芸術大学名誉教授、尚美学園大学名誉教授。二期会会員。 高知県高知市生まれ。1955年京都大学工学部卒業。1960年に東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。伊藤武雄、矢田部勁吉、中山悌一に師事。DAAD奨学生として1961年ミュンヘン音楽大学およびベルリン芸術大学に留学。 1965年からドイツ・プフォルツハイム市立歌劇場のバリトン歌手として専属契約、『セヴィリアの理髪師』のフィガロでデビュー。1969年帰国以来、二期会を中心とするオペラ公演・各オラトリオ公演に出演した。ドイツ歌曲のスペシャリストとして、これまでに国内外で数多くのリサイタルを開くかたわら、『美しい水車小屋の娘』『冬の旅』『シューマン歌曲集』『R.シュトラウス歌曲集』等のCDを録音している。
西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本… 西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本の大蔵官僚。広島国税局長、国税不服審判所次長などを務めてきた。 高知県高知市に生まれ育つ。高知市立城東中学校、高知県立高知小津高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 1958年 大蔵省入省(理財局資金課)。同期入省者に尾崎護、角谷正彦、安原正、冨金原俊二、大野功統、柿澤弘治らがいた。1963年6月10日 高萩税務署長。 1980年6月17日 国税庁長官官房総務課長。1981年6月26日 広島国税局長。1982年6月1日 国税不服審判所次長。1983年6月7日 退官。 同年 日本下水道事業団理事。1988年から四国銀行代表取締役専務。
嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本… 嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本の仏文学者・詩人・評論家・小説家。立正大学名誉教授。本名はしまおか あきら。 高知県高岡郡四万十町生まれ。高知県立高知工業高等学校建築科、明治大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科修了。大学在学中に後輩の片岡文雄らと詩誌「貘」を創刊。1958年に寺山修司と「様式論争」を繰り広げるが、1959年には寺山らと詩劇グループ「鳥の会」を結成する。「歴程」同人、「無限」編集長を歴任。 詩集や詩論のほか、坂本龍馬などの土佐国出身の幕末維新期の人物伝、フランス詩の翻訳もおこなう。小説も書き、1980年に『裏返しの夜空』で第84回芥川賞候補、1982年に『《ポー》の立つ時間』で第87回芥川賞候補となっている。
小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。… 小松俊雄(こまつ としお、1932年- )は、日本の法学者。専門は商法。弁護士。明治大学名誉教授。高知県安芸市出身。 1956年司法試験合格。1957年明治大学法学部卒業。司法修習生。1959年明治大学法学部助手。1962年明治大学法学部専任講師。1965年明治大学法学部助教授。1970年明治大学法学部教授。1974年イギリス・ロンドン大学に留学。1990年明治大学法学部長。1996年明治大学評議員。2000年明治大学法制研究所所長。2003年明治大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録。 この他、明治大学法学部法律学科長(1978年-1979年、1982年-1984年)も務めた。 著書に伊藤進, 木元錦哉と共著『消費者の権利 : 賢い消費者のすすめ(有斐閣選書)』(有斐閣、1976年)がある。